黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

肩書の力

 先週からちょっと消費者トラブルに巻き込まれていたんだけれども、ゴールデンウイークは解決を見て迎えることができた。やれやれ。

 まず、先方のお問い合わせフォームに書き込んで、その後、お客様センターのみなさんとメールのやり取りになった。私はただ同じこと1点を言っているのだけれど、なんか一般論に持って行ったり、はぐらかされたり。

 それに対して、こちらもスルーせず真面目に応答していたら、どんどん書く量が増えた。時間がもったいなくて、夜に来たメールに「もう眠いのに・・・」と思いながら返信。気が重かった。

 先方は非を認めず、一部だけ「特例だ」と言って超上からの態度がプンプン臭う譲歩をしてきたが、既払い分は返さないという。それも、特例の提案を飲むか飲まないかの期限が切られていて、さらにこのタイミングで規約を変更すると通知してきたりして、イヤーな感じ。末端の利用者なんか踏みつぶしてやる!大手の言うことを聞け!という意思しか感じられなかった。

 そこで、公的機関を使ういいチャンスだと思い、相談してみた。「188(いやや)」ですね。

 キレキレの相談員さんに、契約後の規約変更には縛られないし、私の言うことは理不尽じゃない、もう一押し頑張れと言われ、先方とのメールに向かった。先方の返信は丁寧な物言いとお詫びに転じていたが、取り付く島もなく、こちらを振り切る体制に入ったように見えた。結局、非を認めないで「特例」だけで逃げようとする中身は同じだ。

 先方の言う期限になってしまったので、相談員さんに改めて相談。相談員さんが、先方に電話を入れることになった。5分後、担当者が不在で、翌日に連絡が入ることになったと相談員さんから電話があった。

 え?あの3人はいた、先方のやり取り相手のみなさん・・・誰もいないの? どこにおいでになったのか? 

 その日、期限当日夜の先方からのメールは、相変わらずの強気だった。

 期限翌日の朝、相談員さんに先方のメールは相変わらずだったと伝えたところ、明らかに落胆。続けて、私の言い分や気持ちはもっともでわかるけれど、メール内容から、もう先方は引かないかもしれない、と言う。連絡があったら相談員さんが先方の担当者と話をすることになるが「連絡してこないかもしれないし」ということで、並行して、こちらも妥協するか簡裁の調停に行くかを天秤にかけて考えることになった。

 簡裁に行くのもめったにない経験だからやってみるか!と思う反面、コロナ禍で世の中が面倒くささいっぱいになっている時に、こんな些少な額の争いを簡裁に持ち込むのもなあ・・・とためらわれた。そこが先方の目の付け所、はっきり言ったら「手口」なのかもしれないと思うとモヤモヤしたが、妥協して特例を飲む旨のメールを先方に送った。

 午後になってからだったと思うが、先方から初めて電話が入った。これまではメールばかりだったので驚いたが、相談員さんと話をしたのだという。それであっけなく、こちらの言い分の通りにしてもらえることになった。残った他の懸案事項も、解除してくれた。

 対応は誠実そのもので、今までのお客様センターのメール内容とは打って変わってだったので、電話の相手のことが心配になった。他のセンターの皆さんから責められたりしない?大丈夫?との言葉が出かかったが、止めた。

 てっきり相談員さんの大活躍があったのかと思い、お礼の電話をした。そうしたら、「よく粘りましたね」「どうやったの」と逆に相談員さんに驚かれて聞かれる始末。狐につままれた。私の言い分は、最初に問い合わせフォームに書いたことと同じ。後のメールのやり取りは膨らんだが、当初と特に何も変わっていないんだけれども・・・。

 やっぱり、先方は、本当に公的相談機関から連絡が来るとは思ってなかったのでは?

 相談員さんは、何かまだ腑に落ちないようだった。三権分立の関係で、仲介はできても何かを断じることはできないとも言っていたので、確かに先方との電話で私の立場に丸々立って何かを言うことまではできなかったのだろうと思うが、こちらは「いやいや、肩書の力ってあると思いますけどね」と心の中で思った。

 相談員さんからは、今回の事例を、消費者庁のサイトにあるフォームを使って報告するように勧められた。他の消費者のためだ。でも「相談員のおかげで解決した、とか書かないでほしい」と言う。

 「わかりました」とは答えたものの、先方が折れた原因として考えられる点は、順を追ってみても、相談員さんが登場したことぐらい。仕方ないので、時系列のまま、事実だけ書いたが・・・肩書を持っている側は、案外その力に無頓着なのかなと思った。

#消費者トラブルには188

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扁平上皮癌になった愛猫を、天にお返しした③

ペット用防水シートが必需品になった

 本日15日が本年2021年の確定申告の締め切り日。私も毎年のことながらヒーヒー言いながら苦手な数字と格闘し、先ほど無事にポストに投函した。

 この確定申告の書類などを用意する過程で、どうしても昨年の手帳はじっくり見るし、領収書類もプリントアウトするので「あー、こんなの買ってたな」と嫌でも見ることになった。前回にも書いたような亡き息子グッズは、確定申告的にはカウント外だが、たまっていた領収書の中には息子グッズのものも混じって含まれていた。

 息子は昨年の2月4日未明に死んだが、前々日というかほぼ前日の2日には、大量のごはんが届いていた。私が1月31日に注文した品だ。

 「チャオちゅーる」はペースト状で食べてもらえるので、胃腸のことを考えて乳酸菌入りのかつお味と、とりささみ味をそれぞれ1袋。そして介護期用のペーストごはんがあると知って、有難く買い始めた「メルミル」10パウチ。これもかつお味。それから「健康缶」の「20歳からのとろとろまぐろペースト」。これを30パウチ買っていた。

 この息子ごはんは、新品のまま猫友さん達に残らず差し上げることになった。

 このほかに防水性のある「床を汚さないシート」も1袋5枚買っていた。ペット用というか「犬用」表示だったけど。

 この防水シートはとても便利、口からごはんを開始してからは必需品だった。

 息子クロスケが液状のごはんを自力で食べるには、どうしても盛大に周囲にはねさせざるを得なかったからだ。また、一旦口に入っても、べーっとそのまま出してしまうこともあったから。

 床の無垢材の隙間に入ってしまうと液状ごはんは容易には取れない。そのままではダニの栄養になるだけ。カピカピに乾いてからカードで削り、粉状になったところを掃除機で吸い取るのが一番有効な掃除方法だと段々分かったが、乾くのを待っていては足の踏み場もなくなってしまう。

 そこで、まず防水シート。それで何とか受け止めた。

 「口からごはん」の前の、首脇に穴を開けて昼夜問わず2時間おきにカテーテルで薬液や流動食を注ぎ込む当初の作戦は、ずっと続けるのは無理だった。息子が抗生剤のせいで下痢が止まらなかったためだ。

 1昨年8月7日の退院後、27日には首の穴が膿んでしまい、消毒後にチューブを改めて縫い付けたが、再度投入した抗生剤でまた下痢が悪化。9月10日に首の反対側に別の穴を開けて、その穴も1か月弱保つのが精いっぱいだった。

 息子の首からチューブを抜去したのが10月1日、その日から「口からごはん」生活に戻ったのだった。

 その日は「無事に手術済!よかったー」と手帳に書いてある。あとは、首脇の穴の傷も含めて、良くなるだけだと思っていた。10月27日に癌再発が確認されるまでの1か月弱が、今思うと本当にいとおしい時間だった。

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2019/8/24 術後は抗生剤で下痢が続き、痩せてしまっている

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2019/9/17 食欲旺盛、ごはんを待つ

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2019/10/3 ふっくら、ツヤツヤに回復

 「口からごはん」に戻った息子。何しろ下顎の半分が無いのだ。食べるのは一苦労どころではない。下顎の右半分が無いと、残った左半分がさまよってしまって、どんどん中心線を越えて右側に偏ってきてしまう。

 そうすると、どうなるかというと、不二家のぺこちゃんのようにベロが右側にぺろぺろ出てしまうことになって、本人(猫)はまっすぐ12時方向に舐めているつもりでも、2時方向にズレて舌が動くことになった。

 目の前のごはんに狙いを定めて舐めたいのに、それが口に入ってこないのだから、本人は混乱しただろう。見ていて手助けをしたいが、シリンジを使って口から入れようとしても、正面から迫る形になるので、抵抗してなかなかうまくいかなかった。

 「ごはんなんだよ~イイコで飲んで~」となだめなだめでも、限界があった。

 そうこうするうちに息子も盛大に跳ね上げながらごはんを口に流し込むことを覚えた。とても効率が悪いのは、ごはんの器回りにボタボタ垂れているごはんを見れば明らかだったが、それ以外に仕方ない。

 以前も書いたが、息子自身も顔などがごはんだらけになっていて、それが嫌で食後はプルプルするので、全部が周りにさらに跳ねてしまう。あああ!と「口拭きババア」が追いかけて濡れティッシュで顔を拭く毎日になった。

 そんな中での必需品が、鬼のように買ったティッシュペーパーと、あの防水シートだったわけですよ…。

 当初は、以前のキッチン近くに息子のごはんを置いていたが、そうするとごはんまみれになっている息子と床と壁がお出迎えする状態になり、靴下を犠牲にせずにはキッチンから出られなくなるので、息子専用のスペースを別に窓際に作り、そこにごはんを置くようにした。

 まず防水シートを何枚か広げ、その上に普通のペットシーツ大小を何枚か敷いて、ごはんを置く。ペットシーツはこまめに交換できたのが良かった。

 息子のように、口腔癌で顎の下半分をごっそり骨ごと切除する手術を、今となっては私は全くお勧めできない。もし、可能なら、表面に出てきていた腫瘍だけをこまめに切除する方法を選択したかった。

 作家の村山由佳さんが愛猫もみじちゃんの扁平上皮癌での闘病を『猫がいなけりゃ息もできない』(集英社)に詳述しているが、もみじちゃんはこまめにカット方式だったようだ。

 ペコちゃん状態の息子が、ごはんを跳ね上げながら一心に食べる様子が今も目に浮かぶ。一生懸命な様子はかすかな希望にもなった。

 10月22日の段階では、3.1㎏あり、退院時3.55㎏からちょっと減ったぐらいの体重を、息子は保っていた。

 

扁平上皮癌になった愛猫を、天にお返しした②

息子を清潔に保つには

 息子のために買っていた猫ごはんはもちろんのこと、消毒液やらペットシーツ等々の広告。それが、パソコンを開くと画面に表示されますよね… 息子が生存中は、そういった広告から必要な品を見つけたこともあったし便利だと思ったこともあったが、現金なもので、天にお返ししてからは「まだこんなものを私に買えと言うのか」と、グサッと来ることもあった。

 不意打ちなんか喰らうと、特に涙もろいおばさんはどっと涙が出た。

 もう最近は表示頻度は落ちた気がする。たまに、どーんとお得なペットシーツが表示されることもあるけれど。どうやって判断しているんだろうなあ。ぱたりと買わなくなったことで、必要ないと判断したんだろうね、どこかの時点で。

 周囲には急ぎすぎてるようにも見えたらしいが、息子が亡くなってから、まだ使える物は爪切りから何から、猫を飼っている家族や友人に譲り倒した。息子グッズを見てしまうと、その主の不在がどうしても浮かび上がってくる。それが汚いまま朽ちていくのは、尚更たまらない。だから、使ってもらえる品物はできるだけ綺麗なうちにと、お譲りしたのだった。

 さて、息子が退院してから良く買ったと言えば、ペット用のウェットティッシュ。これが無いと夜も日も明けない。首横に穴なんか開けている息子の清潔は、お風呂にも入れられないし、せっせと拭いておかないと保てないので、行きつけのペットのコジマで大量に買うようになった。

 食道に直接通じる首の穴周りや、手術をした口周りには、獣医さんから出してもらっていた「マスキン水」「中性水」などを使ってガーゼで拭いていたと思うが、市販でも使える物があった。ちゃんとペット用で、銀イオンが配合されていたっけ… 消臭もできて口内にも使えるので、通販で手に入れ、手術した息子の口の中や、後には腫瘍が膨れて外に出てきてしまった際にも、恐る恐る使った。

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 新型コロナが流行って、世の中の消毒液が争奪戦になってしまった時に、こういったペット用の消毒液は大丈夫だろうか、必要な飼い主の手元にちゃんと届いているのだろうか…と心配だった。例えば獣医さんに設置されてある動物用の人工呼吸器までも、人間用に振り向けられるかもとの報道を見た。だから、人間用にも足りない足りないと言われていた消毒液は、動物用にちゃんと製造販売されていただろうか。

 息子は2月4日に逝った。もし1年遅れての闘病生活だったらコロナ禍のせいで手に入らないものも多かったかもしれない。一時入手しにくくなったトイレットペーパーも、息子の口周りを拭くためにティッシュペーパーが鬼のように必要だったので、1月ごろにはまとめて買ってあった。そう考えると、親孝行というか何というか… 息子がわかっていたはずはないのだが。

 息子が手術後に退院してしばらくは、首脇に開けた穴から流動食を与える方法が機能していたから、穴からの感染症が心配で息子の清潔を保つにはかなり気を遣ったつもりだった。しかし、穴を塞いで口からの食事に戻ってからは、別の意味でさらに清潔を保つのが大変な日々が待っていた。

 息子だけでなく、家全体が大変なことになり、いい方法を考えなければ息子の介護を続ける上でマズい状態だった。でも、それが息子には迷惑だったろうな…。

 つづく。

 

おめでたい話

 ところどころ敬称略で失礼します。TVで顔を見ない日はない、売れっ子の有吉弘行夏目三久のご両人がエープリルフールの4月1日に婚姻届を出したそうだ。おふたりの周りでも驚いた人たちが多かったようで、世間に幸せな空気が広がった。おめでたいなー、本当におめでとうございます。

 ネット上のニュースを見ても、数年前に一時期噂になった頃から耐えてきたってことなんだろうか…。色々と業界の思惑も利害も絡むから、気持ちを諦めてもおかしくなかったのではないかと思うし、そんな周囲を納得させた上でこうやって晴れの日を勝ち取るのは、それはそれは大変だったのではないか。実際、やってみたら数年かかったってことなんだろう。お疲れ様です!良かった!

 おふたりがマツコ・デラックスと共に出演していたテレビ朝日の「怒り新党」は、私も好きで頻繁に見ていたけれども、夏目さんは番組進行に徹していたと言うか、実にお行儀よく弁えた存在で、それがマツコの癇に障っていたのが面白かったというか、マツコと有吉に振られたときにちょこっと話すだけだったから、実はそんなに印象がない。

 私が言うまでもなく、アナウンサーには美人さんたちが多いですよね。記者時代にテレビ局に取材に行くとまさにきれいな人たちだらけで、自分のことは棚に置いて「普通にきれい」くらいではああそう、くらいなもので感覚がおかしくなったが、夏目さんは確かにきれいで有吉が羨ましがられるのもわかる。

 「怒り新党」を見ていた頃は、私も既に記者を辞めて久しく、彼女に直接お目にかかる立場でもなかったが、画面を通しても美人さんだとは思っていた。

 でも、申し訳ないけど中身に対しては? 時代的にも「番組に添えられている花」といった存在だったようにやはり認識していた。

 私が楽しんで見ていたのはマツコと有吉のおしゃべりの方。でも、実は毒舌を誇る有吉でも、夏目さんの前では紳士的だったのかもしれない、なんて思い返したりするのも、いち視聴者としての、こういうハッピーな話での楽しみだ。

 有吉さんと言えば、猿岩石として香港からロンドンまでのヒッチハイクの旅を終えて帰国後、インタビューして記事を書いたことがある。所沢の西武球場で猿岩石のふたりの記者会見が行われるというので、英字紙の放送メディア担当として行ったのだった。

 しかし、普通の記者会見ではなかった。日本での人気ぶりを知らない猿岩石が、多くの人たちが迎える(さくらだと思ったらしい)様子にびっくりするところを収録するために公開記者会見を視聴者に楽しんでもらおうとテレビ局側としては目論んだみたいで、記者席も会場の中に設けられていたのだった。

 そんなこととは聞いておらず、普通に会見を取材するつもりでいた私は、仕事とはいえ「えー、ナニコレ、私まで映りたくないのに」と内心ムッとした、正直に言うと。誰も私なんかに関心もないし見ていないんだけれども、そういうことではなくて、断りもなく舞台装置の1つに急にさせられたのが不満だった。たぶん、会見で猿岩石に質問もしなかったと思う。したかな…?ノリが悪い奴ですみませんが。

 その後、猿岩石のふたりに個別で会って話を聞いた。よく覚えていないのだけれど、たぶん西武球場での会見の後に、個別インタビューの時間が設けられていたのか… それとも、別の日に場所を変えて会ったのかはわからない。どっちだっけ。何しろ1996年の話だ。

 だけれど、とてもよく覚えていることがある。会った時の有吉さんの腰の低い振る舞いだ。

 ヒッチハイクの旅だって最終3日間は食べられずに半分飢えてのゴール、そして帰国してからも取材取材で心身ともに休まらない状態だったのではないかと思うので、相方さんが、はっきり言って「ふてて」しまって、取材に明らかに前向きでない様子全開だった。

 それも無理からぬこと、ましてや以前から特に付き合いもない私が取材相手だし…と私も思っていたのだが、相方のことを気遣って私に謝り、何とか場を持たせ取りなそうとしてきたのは有吉さんだった。

 不機嫌なタレントの取材などは、まあ無いことではなかった。忙しくて寝てないんだろうな、ぐらいにいつも思った。そもそも記者の扱いなんてそんなものだし、むしろ多忙な中、時間をちょっとでも貰ってありがたい限り。だから、相方さんの態度も仕方ないと織り込んでいたので、有吉さんの私への気遣いや「ねえ、そういうことでいいよね?」といった感じで、少し離れて座ってこっちに来ようとしない相方に声をかけてコメントの確認を取ってくれたことは新鮮でよく覚えていたのだ。へー、優しいなあと、こっちが恐縮した。

 記事に書いた有吉さんのコメントはこうだった。"From now on, I will be helpful to others, for we could not have survived without the help we got from people." 英文にしてしまったし、取材メモも残してないので、正確に彼の日本語でのコメントは今はもうわからない。過酷なヒッチハイクの旅が、彼を人にやさしい人間にしたのだったら、かなり乱暴な企画でも、いい経験だったのだろう。

 その後の売れない不遇な時代も、人の優しさを思い出して耐えたのかもしれないし、夏目さんもその人柄を感じ取ったということなのだろう。良かった良かった。

 私も、ちょっとはノリ良くあの時の公開記者会見に貢献してあげたら良かったかもしれないけどな… いや、あれはやっぱり嫌だな。そこが凡人ですね、ご容赦を。

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扁平上皮癌になった愛猫を、天にお返しした①

下痢の天敵は、抗生剤アモキクリア

 半年ぐらい前に「1年前の7月、愛猫に扁平上皮癌が見つかった」を9回にわたって書いた。その続編として、愛息クロスケが天国に帰っていくまでを書いてみようと思います・・・書ける範囲で。

 昨日(4月4日)は月命日だったのだけれども、さすがに1年以上も経過していたから「結構平常心でいられるもんだ」と感じていたが、やっぱりというか、ところがどっこいで、この原稿を書くためにもと昔の記録(息子の食事と排せつの内容とか回数が記してあるカレンダー)や私の手帳を見始めたら、涙があふれてしまった。

 2019年8月7日の退院の日。息子は、大手術の後だというのに帰宅していつものように家の中を点検して歩いた。その日には3.55㎏の体重があった息子だが、たったの3日で3㎏ぴったりになった。人間で言ったら、3日で5㎏落ちたくらいのインパクトだろうと思う。翌2020年2月初めに亡くなる頃には痩せ細り、2㎏もなかっただろう(人間なら半年で15㎏減)。

 元々、最大体重では6㎏半ばを超えた大きな猫だった息子。それが…むごい話だ。

 追々の話ではあるけれど、息子があまりに痩せて痩せて悲しくて、私は途中からそれを直視できなくなっていく。通院のたびに測る体重、それを測りたくなくなっていくのだ。でも、この時点ではまだ息子は手術疲れはあったものの年相応にふっくらし、毛艶もツヤツヤだった。

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ケージのベッドに納まって。カラーに手術着、首にはネックカバー (2019/8/12)

 さて、口内にできてしまった扁平上皮癌だから、息子は下顎の右半分(こちらからだと向かって左)を切り取らなくてはいけなかったし、別稿で後述するが舌の可動方向が変わり、物理的な障害ができてしまっていた。体重減少の原因として、その点も考慮しないといけないだろうが、しかし、退院後しつこく悩まされた下痢によって、息子の体重は大きく奪われていったような気がする。

 当時は焦って色々悩んだが、今はもう、下痢がどうして起きていたかはわかっている。抗生剤の「アモキクリア」。青い動物向けの錠剤だ。これが息子には合わなかった。

 2時間おきに流動食ごはんを与えて、下痢も2時間おき。流動食の「カケシア」や「ちゅーるリキッド」、それと煮だした「紅豆杉茶」を首の脇に穴を開けて設けたカテーテルから与えた。

 息子も空腹になると「ちょーだい」とばかりにやってきて、カテーテルからのご飯の注入を頑張っておとなしく受け入れているのに、繰り返す下痢でどんどんと栄養が出て行ってしまった。

 同じ抗生剤の「エンロクリア」はやはり動物向けの黄色っぽい錠剤で、下痢の点ではマシだったが、今度は首のカテーテルを入れる穴周辺が明らかに膿んできてしまう。口周りの手術痕も心配だった。エンロクリアはつまり、毒にも薬にもならぬ状態だった。

 それで、退院前に注射してもらっていた、1度すれば2週間は効果があるという抗生剤「コンべニア」が結局1番クロスケには使い勝手が良いらしかった。ちょうど通院のタイミングで打ってもらえれば良いが、通院までに効き目が切れそうな時は、往診専門の獣医さんにもお願いして、コンべニアを息子に打ってもらった。

 息子の精神的負担を考えて、病院に連れて行くのはできるだけ避けたかった。思い切って往診の先生をお願いしたのだったのだが、初めて往診の獣医さんが部屋に入ってきた時、私に抱っこされていた息子は、怖さからかそのままお漏らしをした。私のスカートはぐっしょり、息子は私に抱き着いたまま注射され、私も立ち上がれない状態のまま、家族が獣医を見送った。

 部屋に入ってきた人物が、なぜ獣医さんだと息子にわかったのかは謎だ。ニオイかな?それとも単に、見知らぬ男性が入ってきたのが(獣医さんと気づいてなくても)怖かったのかもしれない。

 下痢を引き起こしているのが「アモキクリア」だとわかるまでには、食べ物が悪いのかな?と「カケシア」を止めてみたり、「ちゅーるリキッド」「クリティカルリキッド」「a/d缶」の配合を変えてみたり、これまで好きだったカリカリをすりつぶして液状にして与えみたりと、試行錯誤を繰り返すことになった。

 その中で、息子が退院後初めて口から自力で水を飲んだ8月14日、「カントリーロード」のミルクパウダーをごはんに混ぜて与え始めたら、タイミングも良かったのか、お通じの状態も徐々に安定し始めた。

 息子の小さいかりんとうのような便が出るようになって、安心してガッツポーズしたなあ…と思い出す。これは、S先生のお勧めで、通販で探して買った物だった。確かにおすすめ。

 そうしたら、今度は逆に固まったお通じに苦しんで「モニラックシロップ」や「ガスモチン」で便通を整える必要も出てきてしまった。吐くことも多く、本当にバランスが難しかった。直接の顎の話ではなくて、なかなか整わないのは高齢猫だから仕方なかったか…。 

 それでも、毎日ちゃんと空腹になるとカテーテルの食事を催促する息子は、本当に前向きに頑張っていた。親が負けてられない、と思うほどに。そして当然ながら、とてもとても可愛かった。

 

夢の中の亡き息子

 おはようございます。夢に息子クロスケが出てきてくれたので、忘れないうちに書こうと思います。

 ロケーションは、とてもマンガチックな雰囲気の、二階建ての日当たりのよい畳の部屋。黄色とか緑とかカラフルな印象(なんかサザエさんの家みたいと言うか…あそこは二階建てじゃないけど)。そこで、夫もいて、私はクロスケのことを抱っこしている。

 スリスリなんかして、クロスケ~と思い切りデレデレしていた。息子はツヤツヤふっくらして、ヒゲも立派。でも6キロオーバーの最重量の頃じゃなくて、もう少し小ぶり、子どもの頃だったような気がする。

 これまでは、夢にクロスケがせっかく登場していても、夢の中の私はあまり目もくれないと言うか、ああいるのね、程度のもったいない扱いをしていると目覚めてから残念がるシチュエーションが多かった。だから、今回のように思い切り抱っこして、デレデレしてというのは、起きてから思い返しても満足感があるんだけれども…。

 けれどその後、夢の中で「クロスケのはずないじゃないか、クロスケは死んだんだから」と気づいてしまったのだ。ものすごくもったいない展開。

 どう辻褄を合わせようとしているのか、夢の中では私が抱っこしている黒猫は、亡き息子の甥っ子?姪っ子?みたいな話が夫との間で進行し、そういう理解になっていった。

 そうなの~?と半信半疑の夢の中の私は、クロスケの中途半端な長さの尻尾を確認しようとして、あれ、ちょっとクロスケよりも長いかな?なんて言っていた。尻尾も、確認しようとした瞬間、しゅるしゅるんとビジュアル的に一気に伸びた感じもあった。さすが夢。

 いや、そうじゃないよね、クロスケのままで良かったんだよ…何を現実に夢の中の物事を合わせようとしていたんだろう。 夢の中くらい、いいじゃないのークロスケを思い切り抱っこしたって!

 ということで、すごく嬉しさを感じていたのがちょっと薄れて目覚めた朝でした。

ペットロスが怖かった

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 今日は風が強いですね。せっかく咲いた桜が散る中を、犬の散歩で歩いている人たちもちらほら見かけた。私は犬の方ばかり目が行ってしまうのだけれど、中には、もうおじいちゃんかおばあちゃんのワンコがやっとこさっとこ歩みを進めていて、飼い主さんがしっかりしたハーネスで半ばワンコを持ち上げるようにして歩いている姿も見た。

 ワンコを見つめる飼い主さんの目が優しいな…と、ホッとした。いい犬生を送ってほしい。

 家に帰ると、自然と亡きクロスケの写真に「ただいま」と話しかける。クロスケの遺影は、今、窓の外の桜が見える方向に向けられている。家猫だったからクロスケが直接桜と触れ合う機会はなかったけれど、よく窓に寄って外を見ていたから、自宅前の学校の桜の花びらが花吹雪となって散ってくる時などは、「ほらほらすごいよー」と息子を抱っこして外を見せていた。

 クロスケは、ベランダに散ってくる花びらを見ていたような気もするし、関心が無くて「早く降ろせ」とアピールしていたこともあったなあ。自分のタイミングじゃなくて抱っこされるのは好きじゃないもんね。

 さて、文春オンラインで見たのだけど、山本さほさんというマンガ家さんの猫・トルコちゃんは一緒に暮らして15年になるそうだ(作品の掲載時点で…もう今なら16年になるかな?)。それで当初から、山本さんは「ペットロス症候群になるの怖い症候群」に悩んでいたらしい。わかる…わかるよ!と読みながら思いました。

みなさん「ペットロス症候群になるの怖い症候群」にどう対処していますか……? | 文春オンライン (bunshun.jp)

 亡きクロスケがまだ元気で抱っこさせてくれてるのに、そんなうちから、いつの頃からか私も悩んでいた。2匹目を飼おうかなと思ったこともあった。でも、結局そうしないことを選んだ。

 そのままクロスケはうちの一人息子として病を得て、昨年の立春の日に大往生を迎え、今もうちには猫はいない。毎日内臓が締めあげられるような心地を味わいながら看病をしていた日々を振り返ると、それで良かった。とてもじゃないけれど、もう1匹の面倒は見られなかったから。そして今、毎日そこらへんにいるはずと信じて、家族で息子に語りかけている。

 色々な考え方はあると思いますよ。何が正解なんて決められないことだとも。

 私が療養生活中にうちに来た息子は、私がきちんと寝ているかどうかをしっかり監視する役目を家族から任された。そして、長年にわたりとても忠実にそれを務める中で、いわゆる「分離不安症」になってしまったようで、私にべったりの毎日だった。

 いつもクロスケを大泣きさせてしまうので、安穏にのんびり入浴するのが至難の業だった。お風呂場のドアの外でアオーンアオーンと早く出て来いと泣くので、早寝の家族も心配して起きてきてしまうほど。私も家族が起きている間に風呂に入ればいいのだが、それもなかなか難しいので、息子がうつらうつら寝ている隙にダッシュで入る毎日だった。それでも気づかれて、泣かれて怒られる。

 山本さんの漫画には、分離不安についても描かれていた。わかるなー、トルコちゃん、わかるよーという思いになった。

 本当に私にべったりの息子だった。だから、もし、自分のペットロスになるのが怖いという気持ちを優先させて別の子猫などを迎えていたらどうだったろうか。おそらく、かなりのショックを与えてしまったのではないだろうか。自分の下僕だと信じていたのに、他の猫の世話をするのか!と思っただろう。

 私は、息子の私への信頼が壊れる事の方が怖いと思った。ここまでの長い間一人っ子にさせていたのだから、クロスケとしっかり向き合おうと思った。息子にショックを与えるぐらいだったら、ペットロスどんと来い!味わい尽くしてやるぜと思った。

 猫友が言うには、飼い猫を亡くしたご友人たちは1年以内に別の猫を飼い始める、今のところ100%そうだったとか。それに対抗していたわけじゃないけれども、うちは1年を超えた。「いつまでもうちの息子だよ、世界で一番愛しているよ」と亡き息子に話しかけながら、ペットロス上等、いいじゃないかと思っている。

猫息子の記録、真面目に書こう…

 愛息クロスケの癌治療の話を書いていたのだけれども、退院して1週間ぐらいのところで急停止したままになっていました。

 すでに半年ぐらい経ってますよね… その間、クロスケの1周忌が過ぎ(2月4日)、そしてこの日曜日(3月21日)には2回目の「ペット彼岸会」に参列してきたのでした。場所は、そうそう、クロスケの手術前日にご祈禱していただいたお不動様。

 このお不動様は、昨年ペット供養を始めたそうで、まるでクロスケのためにスタートしてくれたようなタイミングの良さ。昨年初回の彼岸会は、まだまだ息子を天に送った辛さに圧倒されていたような…。

 今も、その辛さが薄らいだかと言えば、少しは抱えやすくなっているんでしょうけれど、「会えない時間が長くなる辛さ」が増していく感覚がある。ブログが止まってしまったのも、「これから息子の死に向かって書いていくのか」と思ってしまったからだろうなあ…。

 私も物書きの端くれだったんじゃなかったっけ。その物書きが、息子の記録を残さないでどうするんだ。

 そう思ったので、そろそろ再開していこうと思います。

 

1年前の7月、愛猫に扁平上皮癌が見つかった⑨

下痢の原因

 手術をしたからといって、その瞬間からきれいさっぱり問題が無くなるわけではない。特に、うちの猫息子の場合、癌がすべて取りきれたわけではなかった。QOLを優先させて、後はどこまで再発させずに行けるかどうか。体力を養い、なんとか1日でも長く平穏に一緒に暮らしたい。それが願いだった。

 それなのに、術後の息子は下痢が止まらなかった。術後2日目、下痢をしてお尻を洗ってもらってご機嫌だった日には糞便検査もしてもらったが、理由が判然としない。

 抗生剤で胃腸のバランスが崩れているのかもしれないと、S先生は言っていた。

 術後3日目にも、下痢が続くのか息子はおしめ姿。ICUの酸素供給がストップしたのは回復傾向だったからかもしれなかったが、口の手術痕がむくみ、鼻水や分泌液が出ているのが息子はとても気になっているようだった。

 4日目、下痢が止まらず、K先生は電話をしてきて「紅豆杉茶を与えるのをストップしたい」と言う。「水分摂取を抑えるため」とのことだった。

 でも、下痢をしていたら水分補給は大事なんじゃないのかな…副作用の話は聞いていないけれど、お茶が下痢の原因だと怪しまれているのかな…でも、冷蔵庫から出して、冷たいまま与えていたとしたら、確かにお腹には悪そうだ。

 癌の再発を抑えるために与えていた紅豆杉茶は、こちらとしては息子の命綱とも感じていたので、それを止めるのは抵抗があった。が、息子の命よりもご自身の執刀医との関係を優先して手術を渋っていたかにこちらには見えたK先生と言えど、もう手術は済んだのだし、悪いことは言わないはず…そう考えた。そもそも、息子が入院させていただいている病院の、獣医の言うことには逆らえない。

 この日面会に行くと、ちょっと喉を詰まらせて涙目になった様子を見て心配になったが、それでも、息子は全体的には回復してきているようにも見えた。

 5日目、息子の下痢は軟便程度に良くなったとのことだったが、今度は吐いてしまった。以前から朝の空腹時や排便時に吐きやすく、ガスターガスモチンが手放せない息子。入院してからずっとガスター抜きだったから吐いたのかもしれないが、吐くと体力を消耗する。心配だ。

 さらにギョッとしたのだが、口元の手術痕を盛んに気にしていた息子が、どうやったのか器用に足先をエリザベスカラーに突っ込んで蹴ってしまったらしく、出血。傷口が開くような大事には至らなかったのは幸いだったが、再手術か?!とヒヤッとした。

 当然、息子は一回り大きなエリザベスカラーをはめられることになった。

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 吐いて下痢しておむつを履かされて、口元はむくんでむず痒くて、いじったら血が出て煩わしいサイズのカラーをはめられる。クロスケにしたら散々、気持ちは限界だったろう。本当に、キレてもおかしくない。

 5日目は、ちょっとでも息子を慰めたくて、抱っこさせてもらった。手術後初、自宅から息子専用の大判タオルを持参して、コード類など気をつけながら慎重に息子をくるみ、膝に乗せた。

 私は嬉しさでいっぱいだが、息子は嬉しそうと言うよりも、「帰りたいー、おうちに帰りたいー」と一心に私に助けを求めている。切ない。もうちょっとだ、もうちょっと頑張って、下痢が止まったら帰れるかな…と抱っこしながら言葉をかけた。

 6日目のおむつ交換では、前述のとおり、とうとう息子は堪忍袋の緒が切れてしまったということだろう。

 もしかしたら、精神的に参っているから下痢も続いているのかもしれない、とその時は考えた。まだ軟便・下痢は続いていたが、とにかく帰ろう。

 7日目の退院が決まった。

 下痢については退院後も続き、「流動食が合わないのかな」等々の試行錯誤を経て、9月に入ってようやくある抗生剤に起因することが確認できた。アモキクリアだ。

 抗生剤は最初にS先生が疑っていたわけで、もっと早くに確認できれば体力が削がれずに済んだろうから、そうしてあげたかった。それから、K先生にやり玉に挙げられた紅豆杉茶は無罪だった。

 術後も正に山あり谷あり、何とか軟着陸を果たしたいとオンボロの飛行機を操っているような、戦いの毎日が続いた。

1年前の7月、愛猫に扁平上皮癌が見つかった⑧

蝶よ花よクロスケよ

 7月31日に手術をしてもらい、1週間後の8月7日に何とか退院を迎えた訳だが、親バカとしては当然ながら入院中は毎日、息子クロスケの顔を見に行った。煮だした紅豆杉茶も届けねばならない。

 術後初日、8月1日の息子は、朝方はぐったりしていたらしいが、家族と面会に行った時にはICUの中で体を起こして座っていた。入院以来の手術着をそのまま着て、首にはよだれかけ代わりにペットシーツを巻いたエリザベスカラーをはめている。出されていたチュールを食べた様子はなかったが、首脇から食道に入れてあるカテーテルから流動食を与えているとのことだった。

 入院以来、消炎鎮痛剤オンシオールを毎日注射してくださっているので痛みは多少コントロールされているはずだったが、下顎半分を失った手術の翌日だけあって、さすがに違和感があるのではなかろうか。息子は不機嫌そうだった。

 顎半分を失ったら、人間ならば鏡を見て将来を不安に思ったり自己を憐れんだりして嘆きそうなものだが、猫はそんなことはないのだと執刀した専門医が言っていた。猫は、与えられた現実に対処しようと努めるだけらしい。すごいなぁ。どこまでもリアリストなのか。

 リアリストだとしても、いつも使っていた顎半分が無いのだ。手で触れないから確認できないわけだが、不思議だろうし不快だろう。

 息子の体温が平熱の38度になっていたのは喜ばしかったものの、また血液検査の結果は貧血に傾いており、涙目で鼻水や口からの分泌液もあった。まだ抱っこできないのが寂しいが、持参したペット用ウェットティッシュでぐしょぐしょの顔をていねいに拭いた。「よく頑張ったね」などと話しかけていると、息子はゴロゴロと喉を鳴らして応えた。

 息子にとって、家族の中で順位が最下位らしい私に喉を鳴らすなど、日頃は滅多にない。余程つらかったのだろう。顔が濡れてきれいじゃないのもプライドが許さないよね。でも、生きてくれている。本当によく頑張ってくれた。

 不機嫌な息子は、しかし、話によると反抗する元気はあるという。そうか、涙目で不機嫌なのは反抗の痕だったのか…。胸が痛い。 

 面倒を見てくださっている獣医さんや看護師さんたちに対して、あまり反抗はしないでもらいたかったが、本人(猫)は訳もわからず必死のはずだ。かわいそうなんだけれど、ご迷惑になるし、何より本人の体力の無駄遣いになる。だから、ちょっとは他の猫ちゃんたちのように大人しく治療を受け入れて…とはならないのが、殊のほか意思のしっかりしたうちのクロスケなのだった。

 実のところ、過去の他の獣医での入院手術時のトラウマがあって相当ビビりなだけなのだが、「暴れん坊将軍」扱いだったので、当初は術前の入院さえも難しそうな反応が獣医さんから返ってきていた。

 その点は、息子命の親バカながら、無理もない…と思わざるを得ない。本人も消耗するので、できるだけ手術前の入院はさせずにいたかったが、今回は状況が差し迫ってしまったから選択の余地はなかった。

 術後6日目の退院前日のこと。面会時、おむつを交換してくださっていたのだが、部屋に入っていって見かけた息子の恐慌状態はひどかった。とにかくアップセットして牙をむいていた。プロの看護師さんたちも、緊張して身構えていた。

 かわいそうに、相当怖いんだね。これではもう家に帰った方が良いね、明日は退院だから、大丈夫だよ…と話しかけて撫でて落ち着かせた。そこまで反抗できるほど、体力が戻ったということもあるんだろう。

 考えてみると、術後2日目には看護師さんにお尻を洗ってもらって気持ちが良かったのか尻尾をパタパタ、おむつをさせられても従順にご機嫌そうだった。その日は酸素ルームの中で薬も効いているのかとにかくよく寝ていたので、15分ほどで退散したのだった。この頃は、まだ反抗する体力もなかったのだろう。

 やはり、箱入り息子の世間知らずだからなぁ…。人間型の息子だったら、社会で生きていけるよう、人様にご迷惑をかけないように一人前の人間に育てなければならない責任が親にもある。

 しかし、うちの息子は猫型だ。溺愛の限りを尽くして甘えさせるだけ甘えさせても人様のご迷惑にはならないよね!と信じて、「蝶よ花よクロスケよ」といった育て方を18歳に至る今までしてきてしまった。

 しっかり、ご迷惑になってしまった・・・。

 私は完全なる下僕。入院という事態に至り、久しぶりにいきなり出現した「下僕抜きでの社会」との接点に戸惑う息子、だったのだろう。

1年前の7月、愛猫に扁平上皮癌が見つかった⑦

 紅豆杉というもの

 手術をしても、リンパ節も切除せず、dirtyと疑いのある細胞も残ってしまっているということは、つまりは再発は必至だと言われたも同然だった。

 むしろ、手術やそれ以前のバイオプシーによって、体力をかなり消耗している高齢猫。ここに至っては近づく未来を大きくは変え難いとはいえ、ちょっとでも息子の死を遠ざたい。

 そのためには、何かを考えなければ…。藁をもつかみたい心境だった。

 まだ息子を入院させる前の7月下旬。息子クロスケを連れて獣医から帰宅するタクシーで、運転手さんから聞いたことのないお茶の話を聞いた。息子の病状をちょっと話したから、同情してくれたらしかった。

 なんでも、運転手さんは膀胱癌を数年前に患って、今も再発していない。そして、何度目かの再発しているかどうか確認する検査結果が、また数日で出るそうだった。

 癌を発病したころは、周りが心配してアガリクス冬虫夏草やら、マクロビの食事療法など、様々なものを勧めてくださったそうだ。色々試して、これだ!と今も継続して摂取していると言うのが「紅豆杉」というお茶とサプリメントの錠剤だという。

 その他は全部止めて、体調が悪くなるからと抗癌剤も止めてしまったそうだ。驚いた。(え、抗癌剤も止めて大丈夫なんですか?)の質問は、聞かずに飲みこんだ。

 「聞いたことないですか?新聞にも、抗癌剤の原料になっているって載っていて、乱獲なんかもあったみたいですよ」と運転手さんは言うが、いやー、聞いたことない…。「コウトウスギってどんな字を書くんですか?」と伺ったところ「紅、マメ、杉の木の杉」、ちなみに紅ではなく白と書いて白豆杉ということもあると教えてくれた。

 帰宅してしばらく忘れていたが、ハッと思い出してネットで調べた。

 確かに、生息する中国高地での乱獲の記事や、国内で販売している紅豆杉サプリメントのパンフレットなども出てきた。ふーん、サプリメント…た、高い!通常、自分の為だったら手が出ない金額だ。

 しかし、抗酸化作用が強く、広く使われている抗癌剤タキソールの原材料であること、癌の細胞分裂を阻害してアポトーシスさせるらしいこと、それが「ネイチャー」にも載ったとか、200余の医療機関でも使われ関連学会での使用実績の発表もあるとか…。

 そういったものを見ると、「私が知らなかっただけで信憑性がありそう」と考えるようになり、副作用もないのならちょっと聞いてみよう、との結論に至った。

 サプリメント製造販売の相談窓口に電話をしたのは、クロスケが入院した翌日、7月26日だった。

 ご説明によると、癌治療の場合は、人間の大人だと「錠剤は毎日18錠、お茶は紅豆杉の木片2g入りのティーパック7袋半を毎日煎じた1~2リットルを飲む」とのことだった。でも、私が知りたいのは動物、特に猫に与えた場合だ。

 窓口が「詳細はこちらへ」と丁寧にご案内くださったので、今度は岐阜大学の「紅豆杉研究室」に電話を入れた。

 「口腔癌なんですが」と切り出し、「実は猫なんです」と言ったところで反応が心配だったが(ヒトのための研究をしている場所なのだから、仕方ない…)、ちょっと「え」という間はあったものの、研究者らしき人物が真面目に答えてくださった。

 動物実験の段階で投与した癌の犬の場合は、毎日体重1㎏あたり1錠を与えて、数か月で良好な結果を得て、治癒したのだとか。癌の種類にもよるだろう、しかも犬だし…とは思ったが、希望が持てる。猫のクロスケの場合、当時は3~4㎏の体重があったので、「日に3~4錠を与えてみて」とのことだった。

 「お茶は苦くて飲まないでしょう」と言われたが、現在は首横に開けたカテーテルで胃に流動食や薬を注入できると伝えたら、「それなら」と、お茶は1パックを煎じた500㏄を与えるか、もしくは「できるだけ与える水分全てを紅豆杉茶で置き換えてほしい」とのことだった。そして「お大事に」と言ってくれた。

 後から考えてみると、お茶はクロスケの力にかなりなっていたようだった。

 その日の26日夕から息子との面会の際に煎じた紅豆杉茶500㏄を持ち込み、看護師さんに「ご飯を溶くとか水を使う場面で、できる範囲でいいから与えてほしい」とお渡しした。看護師さんたちも、たくさん飲ませてくださって、助かった。

 錠剤の方も、翌27日からS先生にお渡しして飲ませるようにお願いし、すりつぶしてごはんと一緒に与えていただいたが…後から、猫の場合は錠剤に使われているキシリトールが良くなかった(ヒトだと問題ない)と代替医療の獣医の指摘で分かったので、もし読んでいる方で錠剤の紅豆杉を猫に与えようと考えた場合は、安心なお茶の方にしてくださいませ。

 ということで、dirty細胞が残っていようが、紅豆杉茶で殲滅だ!再発を抑えてしまえば治るよね!と希望を捨てずに頑張ろう、頑張れると思った。

 8月7日、無事に退院を迎えた日のことだった。まわりのスタッフさんに頭を下げてお礼を言っていたら、直接の担当ではない獣医さんの一人が声をかけてきた。「正直、クロスケちゃんは助からないかもと思っていたんです。それが生きて退院できるとは…クロスケちゃんの体力はすごいです。本当に良かったですね。」

 おかげさまで…と言いながら、そうよね、これって紅豆杉茶のおかげもあるかな、あのタクシー運転手さんは神様だったかな、と思った。

 

 

 

1年前の7月、愛猫に扁平上皮癌が見つかった⑥

7月末日、手術

 いよいよ7月31日、術前の血液検査で手術できる数値をクリアできたことで、息子は専門医の手によって下顎の右側を切除する手術ができることになった。

 当初、できるだけ手術はしたくなかったはずだったが、皮肉なものだ。今この時、手術をしなければ、息子とは数日もせずにお別れしなければならなかっただろう。

 手術死を恐れて執刀を渋っていたらしい専門医を説き伏せて、手術まで持って行ってくださったS先生には感謝しかない。

 実は、前日の30日のS先生との打ち合わせでは、専門医はこう指摘していた(メモを見せてもらった)。元々、クロスケの白血球が少ない/顎骨折で骨が露出している(バイオプシーのせいだ…)➡菌が体内に入り込みやすい。抵抗力が無く、敗血症にほぼなるだろう。手術で亡くなるリスクが高い、と。

 さらに、血栓症が引き起こされることで、心筋梗塞脳梗塞・多臓器不全・腎不全につながると…。

 この頃いつもK先生は、何とかこちらに手術を諦めさせ安楽死を選択させようとしているようで、苛立ちは隠しようもなく、長い話の言葉の端々から「いいかげんにしろ」と心の声が聞こえてくるようだった。

 それは、手術死を恐れ、執刀を嫌がる専門医の意向を慮ってのことだったんだろうな、と腑に落ちた。K先生は、患者でなく専門医の顔色を見ていたのだろう。

 息子を預けるこちらとしては大いに困るが、K先生の振る舞いはよくあること。何といっても自分と同じ領域の専門医だ。患者は one of them で、それ限りだけれども、専門医との付き合いはずっと続く。専門医の下に研修にも通っていると聞いたし、大げさに言えば自分の将来が専門医の顔色一つにかかっていると思っていたかもしれない。

 私は、専門の違うS先生に、どう思うのか、と聞いてみた。

 「五分五分だと思います」とS先生は言った。50%も手術を乗り越えられる可能性がある。私は「手術をしてもらわないと、生きる可能性が無くなってしまう。ぜひお願いします」と言った。

 そして、S先生は、専門医の執刀条件である血液の検査数値を、当日朝にきっちり揃えてくださったのだ。

 息子への麻酔は、11時半ごろに始まった。2時間半の手術の間、味もわからないままファミレスで日替わりランチを流し込んだ。落ち着きなく居ても立ってもいられず、とりあえず病院スタッフのためにと、マカロン20個を買ってきた。願うのは、あのままではあんまりだ、安らかな余生を少しでも自宅で過ごさせてあげたい、ということだけだった。

 手術が終わり、まもなく専門医の説明を聞いた。息子は生きている。とにかく手術をして、命をつないでくださったことにひたすら感謝した。

 息子の下顎の正中線から右側をごっそり切り取ってしまう手術は、やはり難しかったのか、予定よりも1時間伸びた。残念ながら、右下顎の癌はかなり広がっていた。しかしQOLを考えて、dirtyな部分(つまり癌が浸潤していた細胞がある部分ということだろう)はあったものの、顎関節に及ぶ切除はせず、下顎のリンパ節も取らなかったとのことだった。

 息子はよく頑張った。私もできるだけのことをしよう、と思った。

 

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手術直後の息子。麻酔で寝ている。右下顎を切除した (2019/7/31)



1年前の7月、愛猫に扁平上皮癌が見つかった⑤

手術に向け、とうとう入院

 昨年の7月25日、息子クロスケは月末の手術実施に向けて貧血改善を目指し、かかりつけ獣医に入院した。さっそく翌26日には食道カテーテルが首の横に設置され、そこから栄養補給が可能になった。

 息子は黄色い服を着せられて、そのマジックテープの付いた背中にクルクル丸められたチューブ(カテーテル?)が収められていた。看護師さんはチューブの先にシリンジを器用につないで、ゆっくりと液状の食事を注入していく。

 チューブには空気が入ってはいけないし、あまり早く食事を注入してしまうと、入れられる側は吐いてしまう。簡単そうに見えるけれど、実際やると消毒やらの手順が大変そうだ。失敗したら一大事。息子の退院に際しては、私もできるようになっていないといけないのか、大ごとじゃないかと緊張して看護師さんの動作を注視した。

 そしてその日、息子は輸血ネコちゃんからいただいて輸血もした。一部途中で漏れたものの、少しは体に入った。おかげで26日を底に、輸血翌日の27日の検査結果はやや上向いた。しかし、期待したような数字には届かない。

 この27日、S先生は検査結果を説明してから、今後の見通しとして、手術前日の朝イチで血液検査をして、その結果次第で悪ければ2回目の輸血をしたいと言った。そう何度も輸血はできないとの話だったはずだが、ヘマトクリット(HCT)の値が30%に届かないと例の専門医が手術しないそうなのだ。

 そんな…あの先生、手術を渋っているのか。バイオプシーが無駄になるじゃないか。手術を見送られては、骨折した顎から内出血のあるクロスケの命が持たない。

 もし不幸にして前日に輸血してもHCT値が30%を超えなければ、終わりじゃないか。どうしたらいいのか。動揺する私に、S先生は、8月6日に専門医とは別の腫瘍外科の医師が手術できそう、その次はまた8月13日に専門医が来ることになっていると言う。

 S先生は、他の医師が執刀する可能性も探ってくれていた。助かると思ったものの、そんなところまで延ばされたら、息子はどうなるのだろう。やはり7月31日、悪くても8月6日に手術してほしいと思った。

 7/15(腫瘍確認)、7/21(バイオプシー翌日)、7/22、7/25(入院)、7/26(輸血実施)、7/27~29の検査結果を並べてみる。22日からは基準値に満たない数字が続く。

 ・赤血球数(RBC、10の4乗/ul)781.0➡779.0➡560.0➡470.0➡414.0➡498.0➡531.0➡526.0

  ・ヘモグロビン(HGB)7/15~26 10.5g/dl➡10.2➡7.5➡6.2➡5.5➡6.7➡7.1➡6.9

  ・ヘマトクリット(HCT)7/15~26  33.0%➡32.8➡23.3➡19.9➡17.5➡21.4➡22.4➡21.7

 26日の輸血以降、上向き加減かと思われた数値が29日に足踏みしたのには、前日のある騒ぎの影響があったのかもしれない。

 28日昼、しばらくしたら息子に面会に行こうと準備していた矢先、病院のY先生から電話が入った。担当のS先生ではないし、K先生でもない。なんと、クロスケの呼吸と意識レベルが低下したから、すぐに面会に来てくれと言う。

 「とうとう来てしまったか」と内心で息子を看取る覚悟をして、家族とタクシーで向かった。

 ICUにいた息子は確かに苦しそうで、呼吸が変。だが、何かを詰まらせているような様子。家族が思い切って息子の口に指を入れ、何かを引っ張り出したところ、芋づる式に透明な痰の塊らしきものが出てきて、息子は一気に落ち着いた。その後、カテーテルでのごはん注入も点滴も済んで息子は機嫌が良くなり、家族にゴロゴロと喉を鳴らして抱っこして見せた。

 本当に息子が死ぬのかと、こちらは全身が脈打って痺れるほどだった。ただただ、助かって良かった… 感謝して、帰宅した。

 翌29日、クロスケは発熱。抗生剤投与で下がったものの、昨日の帰り際の機嫌の良さは消え、苦しそう。S先生に昨日の様子を話し、またも息子がゼーゼーし始めたので吸引して痰を出してもらった。抱っこしたら、かなり疲れた様子で半目を開けて私を見た。苦しいよ、と言いたかったのか…。

 息子の様子は夜になって落ち着いたと連絡があったが、前日の窒息騒動とこの日の発熱も、血液検査の結果に影響を及ぼしたのかもしれない。

 検査のために血を取りすぎるのも、当然、貧血には良くない。採血は避けたかったが、結局、入院して以来は連日の検査。そこで、息子の貧血改善を目指し、S先生は手術前日(30日)の採血は止めてみて、2回目の60ccの輸血のみを実施した。

 その工夫のおかげで手術当日(31日)の術前検査では、息子のRBCの値はほぼ基準値の748.0、HGBは基準値下限ぎりぎりの10.0、そして懸案のHCTは基準値内の30.8を無事クリア。手術が可能なだけの数値を揃えることができた。状況をうまく見計らってくださったS先生に感謝感謝だった。

 手術ができますように、そして成功しますように…居ても立ってもいられず、30日はお不動様に願掛けに行った。後で家族に指摘されて気づくのだが、ご祈祷をしてくださったまだ若い導師は、不思議なほどS先生にそっくり。ごきょうだいですか?とお聞きしたいほど似通った顔立ちだった。

 

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入院した息子クロスケ。エリザベスカラーにペットシーツを巻いて



1年前の7月、愛猫に扁平上皮癌が見つかった④

自宅で療養したものの

 昨年の7月23日は、習い始めたボイストレーニングの先生が主宰する会で公演が予定されていた。初心者の私も、当初は「出ましょう!」と誘われていたがそれは無理な話。「せめて応援に観に行きます」と言っていたが、愛する息子クロスケが瀕死となっては当然ながら叶わなかった。出演者の皆さんは浴衣姿で、美声を披露したそうだ。

 息子にはかかりつけ獣医で出してもらったa/d缶を伸ばしたリキッドをシリンジで3本(1本あたり20ccぐらいだったか?)与えた。だしカップのスープも飲んでくれた。だが固形物は食べられない。翌24日も息子はa/d缶リキッドをシリンジ6本飲み、ミルクも少し飲んだ。おしっこは自力でトイレに立ち、日に2回ずつ。なんて偉いんだ。誇り高いんだ。

 この24日には、往診専門の獣医に初めて連絡を取った。今後、家での療養となったらお世話になるかもしれない。話では、来ていただくたびに2~3万円の出費になるが、息子の命には代えられない。自分の保険を崩して費用に充てようと思った。

 ペット保険には息子は入っていなかった。生まれてすぐに猫白血病ウィルスに感染しているとわかって治療、めでたく寛解したが、保険加入はそれで難しくなってしまったのではなかったか…そんな気がする。その後も、胃潰瘍と、吸収病巣の手術も息子は受けたが、急場の出費は家族の保険を崩してしのいだ。

 「下手すると、年がら年中病気自慢の私よりも、一番医療費がかかっているよね。そこら辺のブランド猫さんよりもトータルの額では高いよね」と、息子には言っていた。

 家での2日間、息子はケージ1階に置いた、暑くなる前にと買って用意してあったヒンヤリふかふかベッドでぐったり。いつもはケージの床に座布団を置いてタオルを何枚か敷くだけだったから、それでは闘病にはつらかっただろう。おじいちゃん猫だから体を楽に、とちゃんとしたベッドを買っておいてよかった!と、少し前の自分の判断を褒めた。

 25日昼、獣医へ。採血検査の結果、貧血は進んでいた。a/d缶を少しでも食べてくれているから…と良い方向に考えようとしていたが、甘かった。現実には、

 ・赤血球数(RBC、単位は10の4乗/ul)は15日から、781.0➡779.0➡560.0➡470.0

 ・ヘモグロビン(HGB)も15日以降、10.5g/dl➡10.2➡7.5➡6.2

 ・ヘマトクリット(HCT)も、33.0%➡32.8➡23.3➡19.9

…と、確実にまずい状態へ。自宅での療養では改善は見込めないので、入院させ、輸血もしてもらう方向で考えてもらうことになった。

 頼りはあきらめない態度を堅持してくれているS先生だった。安楽死を勧めるK先生はS先生よりも先輩らしいが、負けないでほしいと強く思った。

 

 

1年前の7月、愛猫に扁平上皮癌が見つかった③

下顎が変形、骨折していた

 専門医で息子が「衝撃のバイオプシー」を受けた翌7月21日は、日曜日だった。家族はボランティアの約束があって後ろ髪をひかれながら出かけ、私がタクシーを呼び、ぐったりするクロスケをかかりつけ獣医に午後1時に連れて行った。

 クロスケは、前日のバイオプシー以降は何も食べなかった。口から出血があり、パンチした下顎は明らかに変形してしまっていた。

 獣医では、検査のために採血をして、消炎鎮痛薬(オンシオール)、鎮痛薬(ププレノルフィン)、止血剤(アドナ)、強肝剤(アデラビン、強力ネオミノファーゲン)、制吐剤(セレニア)、消化管運動改善剤(プリンペラン)、制酸剤(ファモチジン、つまりガスター)、食欲改善効果の期待できるビタミンB12を、まとめて息子に点滴してもらった。

 内服薬でも消炎鎮痛剤(メタカム)、鎮痛剤(トラマール)、食欲増進剤(ペリアクチン)が、通常の処方薬(ウルソ、メルカゾール)に加えて出された。病院用のチュールも出してもらった。

 鎮痛剤だらけ。一気に元気が失われた息子は、やはりかなり痛みがあったのだろう。その日は自宅でおしっこを1度しただけで前日同様お通じは無く、だしカップをほんの少し口にしたが、ミルクは飲まない。食欲どころの話ではなかった。

 翌22日の朝、息子は痛み止めと、チャオちゅーるリキッドを5cc口にした。昼に消炎鎮痛剤を点滴してもらうためにかかりつけ獣医に連れて行き、a/d缶という回復期の缶詰を3/1食べさせてもらった。

 この日の血液検査では、赤血球数(RBC)が560.0(単位は10の4乗/ul)まで減り、基準値に届かず貧血に転じていた。前日21日は779.0、さらにバイオプシー実施以前の15日は781.0と基準値内だったのだが。

 同様に、ヘモグロビン(HGB)も15日から順に10.5g/dl➡10.2➡7.5と、ヘマトクリット(HCT)も33.0%➡32.8➡23.3というように悪化。息子の貧血は、バイオプシーから2日で急激に進行していた。

 なぜ貧血が進行しているのか。それは、バイオプシーのパンチの際に「バチン」とされた拍子に顎の骨が折れたらしく(!)、そこから内出血があるのではないかとの話だった。

 なんてことだ… ただでさえ18歳を超えた老猫、腫瘍が浸潤した骨は専門医でも想定以上に脆かったのだろうか。パンチの圧力で折れてしまったとは…もっと衝撃の少ない方法での組織採取はできなかったのか。

 クロスケの体がバイオプシーの反動で跳ねるほどだったのは、私も見ていた。あの時、息子のかぼそい悲鳴が上がり、目の当たりにした私には大きなショックだった。

 こうなってしまったからには、もう「検査の結果を見て手術するかどうか決めよう」等といった悠長なことは言っていられなくなった。とにかく手術で早く内出血を止めなければ。

 元々は避けたかったはずの手術。痛い・苦しい手術の必要性など猫は理解できないから極力避けて、なんとか穏やかに生を全うさせたかったはずだった。それが、息子を生きのびさせるためには手術が必須になってしまった。

 このまま死なせることは、できなかった。

 息子の手術日は、執刀する専門医の都合もあり、7月31日に設定された。それまでに貧血が改善していないと手術は受けられない。体力が持たず、術中に死んでしまうかもしれないからだ。

 「それより、10日も待っていたらクロスケは死んじゃいますよ」と私は訴えた。

 K医師は、早々に見切りをつけて安楽死に持って行きたい意向が端々に感じられるような話を長々と畳みかけてきた。「口腔癌だと、みんな食べたくても食べられなくなって餓死するんです。」声が冷たく、ねっとり気持ち悪く聞こえた。

 もうひとりのS医師は、この日、投薬をたくさんしたので輸血せずに改善できるか様子を見たいと言う。次の受診は25日、状態が良くならなければ入院、と話が決まった。

 帰宅したら、息子は右後ろ足のつま先をケガして、敷物が10センチ四方も血に染まっていた。病院で処置してもらう時に、キャリーへの出入りか何かで抵抗して踏ん張って爪を少しはがしてしまったのかな。

 貧血なのに、貴重な血なのに…と悲しかった。