今年じゃなくて20年前だけど、亡き息子の誕生日(に設定している日)を祝ってもらってる感じがしちゃったなー。さすが息子だ。
本日6月15日は最上の大吉日『天赦日』と『一粒万倍日』の2つが重なる縁起の良い日。 pic.twitter.com/JBBtlyKGm1
— 大和猫 (@yamatokotobacat) June 14, 2021
今年じゃなくて20年前だけど、亡き息子の誕生日(に設定している日)を祝ってもらってる感じがしちゃったなー。さすが息子だ。
本日6月15日は最上の大吉日『天赦日』と『一粒万倍日』の2つが重なる縁起の良い日。 pic.twitter.com/JBBtlyKGm1
— 大和猫 (@yamatokotobacat) June 14, 2021
前回⑦の、ウイルスによる癌治療の話が有望だと新聞でも取り上げられていた件がぐっさり胸に刺さってしまった上に、先週の月命日もあって、次がなかなか書けなかった。
あのとき、せっかくS先生が提案してくださったセンダイウイルス治療を中断せずに続けていたら… これについて、家族は「あれが全てだった、息子のためにベストを尽くしたんだよ」と言った。
もう時計の針は戻せない。このブログだって、こうやって過去をなぞって自分を責めるために書いているわけではない。
少しずつトラウマに向き合い整理することによって自分の回復につながる部分はあるとは思うけれど、なぜ書いているかというと、不幸にして扁平上皮癌の猫さんを抱えてしまった飼い主さんが、多くの実例に触れることによってご自身なりの後悔のない判断をしてほしいからだ。
息子クロスケのケースが、その実例のうちの1つになればと思ってのことだ。とても成功例とは言えないけれども、失敗例から他の飼い主さんたちが得るものもあるだろう。息子には、失敗しちゃってごめんねと謝るしかない。
今も、納戸の奥にソファカバーやらファブリックを入れる大きなケース2つが並んで置いてあるが、息子クロスケは、その間に逃げ込んで出てこようとしなかった。そんなところに入っていくのだって既に息子は大変だったのに。今もありありとその姿が目に浮かぶ。
もう注射されたくない、口元を拭かれたくない、もう嫌だ、ママなんかあっち行け、と全身で訴えていたあの後ろ姿。その姿を見て、9日のセンダイウイルス接種4回目をキャンセルしたのだった。
ずっと息子を穏やかに送り出したいとは漠然と思っていたけれども、あの時がやはり具体的なターニングポイント。息子をできるだけ苦しまずに旅立たせてあげようと舵を切ったのが、2019年11月8日。その日、ホメオパシー獣医の下へ行ったのだった。
その日のことは「猫の絶望(猫の絶望 - 黒猫の額:ペットロス日記 (nekonohitai.tokyo))」に書いた通りだ。
読み返してみると、進行形で記録を残すことの大切さに今更ながら気づく。大切な息子に属する記憶だが、私にとってはトラウマ記憶でもあり自ずと忘れてしまいたいからか、あれほど鮮明だったはずの事柄も、薄れてきている。
当時、色々と飲ませていた薬は2種を残して整理し、ホメオパシーなどの代替薬に移行しているのだが、残した薬は鎮痛剤のメタカムと甲状腺機能亢進症(人間だったらバゼドー病)を抑えるメルカゾールだったように思う。
メルカゾールは、ここで半減させた。息子クロスケは、この薬が本当に苦手で飲み始めて数年来、毎回毎回ひどく抵抗していたので、息子の気持ちと穏やかな毎日を優先して回数を減らし、一日当たりの摂取量を半分にした。少しでも補えればと、缶詰のy/d缶(甲状腺疾患のための缶詰)は継続した。
息子の体重減少に与えた影響を考えると、何よりもこのメルカゾールを半減させたことが大きかったのかもしれない。今になって気づいた。
カレンダーに「11/8~」として残るメモには、ごはんの主力は「ciaoとりささみほたて貝柱」「y/d缶」「ちゅーる」、ここに「介護期用メルミル」も入る。これを息子の好物のほたてをベースに組み合わせて、ミキサーにかけて流動食にして与えた。
けいれん発作止めのイーケプラは、11/12を最後に与えておらず、けいれん発作も以後はあまり起きていなかったと思う。ホメオパシーのベラドンナに移行して問題なかったということだろうか。
そのほかのホメオパシー類も、信じない人もいるかとは思うが、何を飲ませていたか念のために書き出しておく。
マーキュリアス(Mercurius、口内潰瘍、歯肉炎など口の症状を抑える)とベラドンナ(Belladonna、急性症状に効く)を合わせたもの、プロテウス(Proteus、絶望的なストレスに対応)。これに、例の抗癌剤タキソールの原料になっている紅豆杉のエキス(!)、乳酸菌などの白いパウダーも出してもらった。
紅豆杉のエキスは茶色の液体で、まさにお茶を煮詰めたようなもの。「あるんだ!」と少し驚いたのをおぼえている。市販の高価な人間用の錠剤を与える前に、こちらでエキス剤を出してもらっていたら良かった…。やはり、代替医療にも並行してかかるべきだったと思う。
私のように既に自分で恩恵を受けていた人でないと、なかなか信頼を置くのは難しいかもしれないが、手術を受けさせるルートを経ずに、センダイウイルス治療➡並行して代替医療のホメオパシーと紅豆杉エキス、がクロスケにとってはベストな治療法だったなと今では思う。
あのホメオパシー獣医さんには、全国から患者の犬猫が来ていると待合室で隣り合った人から聞いた。その話を聞いたのは、もう20年近く前。うちに来たばかりの赤ちゃんだった息子が猫白血病ウィルス陽性で1年持たないと近所の獣医で言われ、見捨てられたようで途方に暮れ、探し当てたのだった。おかげで息子は寛解した。
その後、息子は5歳ごろ胃潰瘍で吐血し、死にかけて手術を受けたが(息子の真っ白な舌、今も忘れることができない)、その時も、手術を受ける傍ら、ホメオパシーを送り続けてもらった。おかげで19歳近くまで生きることができたのだったが、最後の最後でホメオパシー獣医に連れて行くのが遅れてしまったのが悔やまれる。
手術を経ない方が経済的にも格段に安かっただろう。病歴のために保険に加入できていなかった息子が下顎切除手術とそれに伴う治療を繰り返し、私は自分の保険を1つ潰して支払った。出費は3桁に上った。
出費を重ねてしまったが、代替医療を選ぶことは現代医学に見切りをつけること、イコール、息子の死への道筋を私が選んでしまうかに思え、死への運命が決定づけられてしまうような気がした。それで、踏み切れなかったのかもしれない。
でも、思い違いだった。代替医療も現代医学も、どちらも活用すればよかったのだ。その方が、よほど延命の可能性が逆にあったように思えてならない。
まず、下顎を骨ごと大きく切除するなんてことはせず、表面に出ている腫瘍をちょこちょこ切除する手法を選択、息子の自力で癌と戦う力を温存する。センダイウイルス治療はトライする。並行してホメオパシーと紅豆杉エキスで治療する。痛み止めは現代医学のメタカムをしっかり与える。そうすれば、発症からここまでの3か月半、どれだけ息子が穏やかに過ごせたことだろうか。
うまくいけば寛解して、今もおじいちゃん猫として私の傍らで寝ていたかもしれないな… 夢だ。
2001年6月にうちの猫型息子は生まれた。日付は、はっきりはわからない。生きていたら、今年は20歳を迎えていたんだな・・・人間だったら超おじいちゃん。その死は、寿命を全う、大往生と形容されるお年頃だ。
同じ年の6月8日、ある大きな事件が起き、知人の娘さんが死んだ。まだ7歳だった。
「記念日反応」という言葉。知っている人は、最近多いかもしれない。記念日というと、結婚記念日とか良いイベントが起きた日を私はどうしても連想して座りが悪い気がしてしまうのだけれども、そうとも限らないのだと知ったのは、被害者支援を学んでからだった。
ご遺族にとっては人生で最悪の、例えば子供が被害に遭って亡くなった日=ご命日が近づくと、個人差があるが、落ち着かない、やるせない気持ちが溢れてきてどうしようもなくなってしまったりする場合がある。それまで何とか日々を送れるように落ち着いていたのにもかかわらず、だ。そのご命日が「記念日反応」の記念日にあたる。
予想のできる、病気という形で猫型の息子を死なせた私も、月命日の前後は毎月涙もろくなっている。頑張らないと、ボーっとしてしまう。これが突然の不慮の事故とか、通り魔的な事件に偶然巻き込まれて・・・となると、予想もできなかったことが起きてしまった結果なので、到底ご遺族も納得などできないし、悲嘆も深く、記念日反応に悩まされる方々も多い印象がある。
6月8日は、そんな日だ。多くのご遺族が長年苦しんできた日だろうと思う。
20年前は、大阪教育大付属池田小事件が起きて、8人の小学生が犠牲になった。切りつけられて傷を負った子も、怪我は追わずに逃げた子も、どちらも心には大きな傷を抱えて20年間を生きてきたのだろうと思う。既に20代の後半にもなっている、その人たちにとっても、記念日反応が起きる日なのではないだろうか。
きっと彼らの周囲の人たちにとっても、そうだろう。被害者が1人出ると、周りには同心円状に影響を及ぼすものだ。「被害者はひとりではない」と言われる所以だ。
池田小事件については、報道で事件を知った人間であったとしても、あの事件のショックは簡単に思い出せる。今も被害に遭った子たちの、あったはずの人生を想い、涙も出る。程度の差はあれ、日本の社会で多くの人たちが心に何らかの傷を負った日なのかもしれない。
そして・・・あろうことか、その社会の負った傷をあえて広げて塩を塗り込むようなことをした人間もいた。池田小事件の犯人・Tに憧れて、7年後の2008年、同じ6月8日に秋葉原で事件を起こしたK。
この日は、本当に悲しい日になった。この日が近づくと、また何か起きそうで怖い。記念日の罠に、まんまとやられている。
昨日か一昨日だったか、また亡き息子の夢を見た。チャンネルが合ってるのかな、うれしい。
おぼえているのは、何やら昭和の香りのするアパート。外階段を上がると小豆色に壁やドアが塗られているのが見えて、その部屋の廊下に面した窓あたりから、息子の声が漏れ聞こえてくる。
突然、隣人と思しき、マルちゃんのお母さんヘアの、人の良さそうなおばさんがニッコリ笑ってドアの前に立ち、「お待ちかねみたいですね」と声をかけてきた。猫好きの、良く知る人物だと、既に夢の中の私にはインプットされている。
私は「そうですね」と彼女にほほ笑んで答え、部屋に入った。
この人は誰かに似ていると、起きてからしばらく考えた。髪型は全然違うストレートだけれど、もしかしたら猫友さんのひとりじゃないかと思い当たった。
さて、部屋の中は雑然としていた(すごく、片づけたい)。ドアを入って左方向を見ると、奥の畳の部屋が一段高くなっていて、その段の手前に息子のベッドがあり、息子が丸くなっていた。
私を喜びの丸い目で見上げた息子は、おかえり!と言うように「ニャーン!」と飛びついてきて、私は丸々ふくふくとした息子を抱っこしてなでなで。至福の時だ。ずっとこうしたかったよ、クロスケ。もう1年以上、抱っこしてないなんて嘘だ。
夢の中の私はそんな堪らない感情の一方で、そうではない平常の気持ちも並行して持ち合わせていた。至ってフラットに「待たせてごめんね」と息子には声をかけていたと思う。
その時「この猫は息子クロスケだ」という確信が夢の中の私にはあったのだが、起きて現実に帰ると、クロスケにしてはかなり尻尾が長く、フサフサだった。全体的に体は大きくて、毛足も長毛種みたいにお尻のあたりがフワフワしていたなあと思う。ちゃんと真っ黒ではあったのだけれど。
前回の夢の中のクロスケは、ブログに書いたかどうか忘れたが、実は金ぴかだった。全身、毛も何もかも、ヒゲも爪も豊臣秀吉好みの黄金で、何かバックにお日様をしょっているような光り輝き方だった。その時も、なぜか短毛種でなくて長毛種だった。
それでも不思議なことに、夢の中の私は、その猫が息子のクロスケだと確信していた。なんでだ。
出てくる家屋も、これまでも大抵サザエさんの家チックと言うか、アニメではなく現実的な物なのだけれども、そんな古い時代を感じさせる建物ばかり。昭和30年代かそれ以前ということになるのかな。私が生まれる前か。
現在の人生の前にも息子と楽しい関係があったのなら、うれしい話だ。
長々と、夢の話でした。また待ってるよ、クロスケ。会いに来てね。
つい先日、朝日新聞の朝刊一面の記事にくぎ付けになった。「がん細胞をウイルス攻撃 治療薬承認へ 1年後生存率6倍」という見出しの記事だ。
ウイルスを使ってがん細胞を破壊する治療薬が、承認される見通しになった。厚生労働省の専門部会が24日、製造販売の承認を了承した。臨床試験(治験)では標準治療と比べて1年後の生存率が6倍になるなどの延命効果が示された。がんに対するウイルス治療薬が承認されるのは国内で初めて。▼3面=遺伝子改変で「味方」…(がん細胞をウイルス攻撃、治療薬承認へ 1年後生存率、6倍:朝日新聞デジタル (asahi.com))2021年5月25日 5時00分
無断転載・複製はダメとのことで引用しないが、記事には「がんウイルス療法のしくみのイメージ」という図もついていて、わかりやすい。がん細胞と正常細胞が対比され、そこにそれぞれ「数カ所の遺伝子を改変したウイルス」が注入される。
その結果、正常細胞では「ウイルスは増殖できない」が、がん細胞では「ウイルスが増殖し、がん細胞を破壊」「周囲のがん細胞にウイルスが広がる」「がん細胞を次々に破壊」と図には書き込まれていた。
この記事を読んで、ひどくうなだれている。後悔で胸がつかえる。息子が生きる可能性を私が摘んだのかもしれない、きっとそうだったと思うからだ。
2019年10月29日、息子クロスケの右側口角のあたりにできた白く丸い病変は、S先生が扁平上皮癌の再発であると確認した。息子には、検査による下顎の骨折やそれに伴う内出血と貧血、患部の下顎半分を切り取る大手術、その後も残った下顎の牙を切り取る手術と、当初のこちらの思惑(できるだけ自然に、苦しくないように猫生を全うさせたい)とはまさに180度違い、本当に苦しい道程をフルコースで歩ませてしまった。
それなのに、再発。すべての息子の苦労は水の泡、振出しに戻ってしまったと思った。
この時点で、10月頭から与えていた紅豆杉の錠剤に含まれるキシリトールの弊害が出たらしかった(今思えば)。
紅豆杉はお茶のまま与えられたら良かったのだが、錠剤に切り替えたことで息子の肝機能が落ち、癌に体力的に押し負けての再発だったのではなかろうか…このあたりは前述した。
治療が振出しに戻り(といっても既に大きなダメージを心身ともに負った状態で戻るのはつらい)、もう手詰まりと見えた時、S先生に提案されたのが放射線治療、そしてセンダイウイルスでの治療だった。
調べると、放射線治療は近くの大学病院施設で受けられるらしかった。しかし、猫の扁平上皮癌に放射線治療をしても、予後が良くない。何回も通わないといけないし、心身ともに疲弊している息子に放射線治療を受けさせても結果が望めないのだったら空しい。
苦しく怖い思いを、今度こそ息子にさせたくなかった。
それに、麻酔がネックだった。放射線を当てるたびに麻酔はかけなければならないだろうし、そうすると、息子の腎臓が持たないかもしれなかった。
もう1つの選択肢のセンダイウイルスでの治療は、初めて聞くものだった。仙台市の東北大学に関係するのでセンダイウイルスなのだそうだ。そのウイルスが癌細胞を破壊するとの説明を聞いたように思う。
ウイルスを取り寄せて、S先生がクロスケに注射をするのだったら、まだ息子も我慢してくれるかな…と思い、その治療法を試すことにしたのだった。
センダイウイルスについては、こちらの2007年の論文(virus57-1_029-036.pdf (umin.jp))によると、実験段階では脳腫瘍やメラノーマの難治性の癌でも「癌細胞の退縮と生存期間の延長が認められた」「治療用遺伝子を搭載していないセンダイウイルスベクターで活性化した樹状細胞を用いても抗腫瘍効果が示され」たとか。
現在の大阪大学呼吸器外科の臨床研究のサイト(大阪大学呼吸器外科|一般外来の方|悪性胸膜中皮腫に対するGEN0101療法 (osaka-u.ac.jp))にも、このように書かれている。今も治験の参加患者を募集しているようだ。
大阪大学では、新たな癌治療の方法の開発を行っており、細胞融合をおこすウイルスのひとつであるセンダイウイルスを不活性化して作られたGEN0101による癌治療もその一つです。GEN0101は人体内でウイルスの再活性化や増殖をせず、免疫活性作用によりインターフェロンという物質の産生を通じて抗腫瘍効果を有する事が基礎的研究で明らかにされています。現在、悪性黒色腫と前立腺癌において研究が進められています。私たちはGEN0101を、その他の治療の難しい悪性腫瘍へ応用することを目指しております。
ググればすぐに出てくるこういった事柄も、実は当時、よくは調べていなかった。
息子の癌再発の事実に、圧倒されていたのかもなぁ…ちゃんと調べる気持ちの余裕が無かった。もっとよくよく検討しておけばよかったと、冒頭の朝日新聞の記事を見て、後悔する気持ちがまた大きく湧き上がった。
記事のケースは、センダイウイルスではなくてヘルペスウイルスを使っているらしいが。
センダイウイルス治療では、1クール6回、患部にウイルスを注入する。結局耐えられず、息子の場合は半分の3回でストップした。
11/2、11/5、11/7は接種し、その後の予約はキャンセル。残りのウイルスは無駄になったと思うが、接種希望のケースがあればお譲りするのでそうしてほしいとS先生には伝えた。
その頃の話は、当時のブログ(猫の絶望 - 黒猫の額:ペットロス日記 (nekonohitai.tokyo))で書いた。結局、情けないことにへこたれたのは私。息子の様子を見てられなかったんだと思う。心を鬼に、センダイウイルスで踏ん張るべきだった。
もしもセンダイウイルス治療を、初めて扁平上皮癌らしいできものが見つかった2019年7月に、手術を経ずに選べていたら、1クールどころか3クールぐらいは実施できたかもしれない。まだ、息子のダメージはほとんどなかったのだから。
タラレバの話だ。空しい。
2019年10月20日の夜、1週間後に市の音楽祭の舞台を控えていたので、家族に息子クロスケを任せて私はコーラスの練習に外出していた。
その日、主に練習していたのは日本の作曲家の手によるレクイエム(鎮魂歌)。「息子が闘病している時に縁起でもない、できれば歌いたくない」気分だった。
モーツァルトが死の間際に作曲を依頼され、死を引き寄せたようにも言われたのがレクイエムだったから、それは困る!うちは治るんだから!と内心思っていた。
癌は取り切れていなかった。だけれど「紅豆杉」が治してくれる、治さないまでも、少なくともネットで見た扁平上皮癌になった猫の顔面が癌で浸食され崩される惨状ではなくて、せめて息子が苦しくないような良い形に収めてくれるのが紅豆杉だと、信じたかった。
10月15日に、口元にうっすら「白い丸」が見つかっていたんだけれどもね…。
コーラス練習中の20日午後7時20分頃だったか。家族からスマホに連絡がきた。涙声で「クロスケが死んじゃう、死んじゃうよ」と繰り返し言っていた。
努めて冷静に、廊下に出て詳細を聞こうとしたが、とにかく家族は興奮していて息子が激しくけいれんしていることしかわからなかった。
タクシーを呼んで、夜間救急で以前お世話になったところに急げと言ったら、タクシーの呼び方がわからない(!)と言う。完全にパニック。こちらでタクシーは手配する、私も行くからね、とにかく頑張ってクロスケを連れて行ってほしいと頼んだ。
後から聞くと、私が顔面蒼白で急に廊下に出て行ったので、ああ、クロスケちゃんに何かあったのかな…と、練習に出ていたメンバーの何人かは思ったのだそうだ。息子が闘病中だということは、コーラスの場でその方たちに伝えてあったから、私を目で見送りつつ、歌っていたそうだ。
レクイエムの続く中、挨拶もそこそこに練習を辞した。タクシー1台を自宅に手配してから表の通りに出たところ、ちょうどラグビーワールドカップの日本戦が中継中で街は大騒ぎになっていた。
パブリックビューイング画面に釘付けになっている人だかりの傍らを通り抜け、ようやくこちらもタクシーを捕まえ、少し距離のある動物救急センターに向かってもらった。
日本の対戦相手はどこだったか、全然覚えていない。運転手がラグビーの試合画面をちらちら見ながら運転していたのは、はっきり覚えている。
救急センターに着くと、息子クロスケは既に診てもらってケージに入れられていた。落ち着いている息子の顔に心底ホッとした。心臓がキュウと痛かった。
何でも、迎えのタクシーに乗る頃にはけいれんも止まっていたそうだ。
ナンでそれを教えてくれなかったのか、こちらは今まで生きた心地もしなかったのに…!と言ってしまったが、家族はあれだけパニックで、抱えた息子しか眼中になかったのだから、私を思い出さなくても仕方なかった。
息子は朝まで入院することになった。夜間専門のセンターなので翌21日の朝6時までに迎えに来てくれというので、あまり眠らずに迎えに行くことになった。背に腹は代えられないので、帰宅もタクシー、翌朝の迎えもタクシー。
車を手放していたので、息子の通院にはタクシーを頼るしかない。この頃は、予約の電話をすると「いつもありがとうございます」とオペレーターにお礼を言われるようになっていた。
21日は夜9時20分と、そして4時間後の22日1時20分にも息子はけいれんを起こした。理由は分かっていなかった。とにかく息子が舌を嚙まないように、周りに頭などぶつけないように、インストラクション通りにタオルで大暴れする息子をくるんで抱え、じっと発作が通り過ぎるのを待った。息子がかわいそうでかわいそうで仕方なかった。
22日は、今上天皇の即位礼の日で、祝日だった。私は音楽祭前の最後のコーラス練習が抜けられず、たぶん家族が息子を病院に連れて行ったのだと思うが、その日から、イーケプラという抗けいれん薬も、息子の飲み薬に加わった。
息子の体重はその22日で3・1kg。その後4日間はけいれん発作もなく、ポタージュごはんもよく食べ、お通じもありで幸い落ち着いていたので、26日は発作などで色々と汚れた息子をお風呂に入れた。
息子はニャーと一応怒りながらも気持ちよさそうだったが、体を拭いているときに、肩回りが前よりも骨ばったような気がした。
27日は私の音楽祭の本番。その日と28日、息子は朝少し吐いたが、これは私が外出したことで、気になった息子が水をあまり飲まず便秘気味になったからかもしれない。
カレンダーに書き込んだ記録を見ると、29日の体重は3・08㎏で、前週とあまり変わらない。けいれん発作は22日以降は見られないので、イーケプラも日に3回から2回へ減った。甲状腺機能亢進症の薬メルカゾールは1・5錠のままキープ、息子がずっと飲んでいる鎮痛剤メタカムとウルソはごはんに混ぜて与え、貧血改善のためのペットチニックが復活、こちらもごはんに5滴たらして日に2回与えることになった。
ごはんは薬だらけだ。
このまま穏やかに進行して欲しかったが…この29日、息子の口元にある「白く丸になっている部分」を確認して、S先生は「再発です」と言った。
レクイエムが頭の中でぐるぐる回った。
今日はスーパーの買い物や、ネットショップで買った荷物が届いた。
コロナ禍で、当たり前のようにお願いするようになった、ドア前の置き配。その荷物を自宅内に運びながら、以前はいつもドアから息子が出て行かないよう&荷物を無事に運び入れる攻防戦が大変だったな、と思った。
自然と、亡き息子がこちらを見上げて「ニャー!」と真顔で訴える様子が思い浮かぶ。張り切ってたよなー。
息子はドアから出て行こうとするだけでなく(いざそうなったら、出ていくとは思えないのだけれど)、部屋に入ってくる荷物は必ず点検しないと気が済まなかった。
ボクのごはんが届いた!と思って待ち構えていたのかもしれない。
忙しく点検に出てきて、配達人のおじさん達にもあいさつの「ニャー!」は欠かさない。一声だけでなく、ニャーニャーニャーニャー、元気に話しかけ続ける。
息子は「ママは頼りないから自分が出張っていく責任がある」と自認していたような雰囲気があり、威嚇していたのかもしれないけれど、特になじみの佐川急便のおじさんは「今日も可愛いねー、くろちゃん」とニコニコしていた。
たぶん、エリザベスカラーも外れていたから、2019年10月以降だったと思う。手術を終えて下顎を半分失った息子が、以前のようにニャーニャーと、久しぶりにベッドから跳ね起きて佐川のおじさんに挨拶に出てきた。
ちょっと心配だったけれど、息子は自分のミッションを果たそうとお構いなしだ。
そうしたら、おじさんが「あれ?ペロペロがおかしいね、どうしたのくろちゃん…」と気づいて言い出した。
息子の舌は、ペコちゃんのようにペロペロと口の向かって左側からよく見える状態だったので、佐川のおじさんもびっくりしたのだろう。早々に息子を抱きかかえて奥の息子ベッドに連れて行き、手術を受けたので…と言った。
おじさんとクロスケが会ったのも、それが最後だったなあ。コロナのせいで置き配ばかりだし、おじさんとおしゃべりする機会はすっかりなくなった。猫好きだったらしい佐川のおじさんは、今もまだクロスケを心配しているかもしれない。
さて、先の「扁平上皮癌になった愛猫を、天にお返しした③」で2019年10月の話に先走ってしまっていたので、前回の④では少し戻って主に9月のどたばたを書く形になった。また、今回の⑤では10月の話に戻る。
牙の手術も終えて、10月1日に首のチューブを抜去して「口からごはん」がスタートしたせいか、喉も潤って息子は唾液の塊を詰まらせることもなくなった。あとは便秘をさせないように、吐かせないようにと、毎日そろそろと注意深く進行していた。
ごはんは流動食を毎日3~4時間おきに与えた。ジューサーが大活躍、カリカリ+カントリーロードの粉ミルク、ホタテの缶詰、これまた好きだった「健康缶」シリーズなどを混ぜてポタージュのようにして、食べさせた。
もちろん、癌が再発しませんようにと毎日祈った。以前与えていた、抗癌剤タキソールの原料という「紅豆杉」も復活し、お茶ではなく錠剤を与えるようになっていた。お茶だと苦いから飲まないでしょう、と岐阜大の先生に言われたアレだ。
後から指摘を受けて分かることだが、これはお茶の方が大正解だった。錠剤に入っているキシリトールが、人間には問題なくても、猫や犬の場合は肝臓に溜まって良くないのだとは知らなかった。
チュールには、こっそり肝臓薬のウルソや紅豆杉の錠剤を潰して混ぜ与えた。甲状腺機能亢進症の治療薬メルカゾールは、マズ過ぎたのか混ぜたチュールまで拒否するので、液状にして注射器に入れ、口から朝晩注入した。
息子は、いつも嫌がって口に入ると頭をプルプル振るので、ごめんごめんと言いながら2人がかりで与えていた。
たぶん4,5年前からだったと思うが、甲状腺にしこりが見つかって息子は薬が必要になっていた。本当に長い間、息子はガマンして飲んでくれていたよなと思う。
本来なら、ガリガリに痩せてしまった当時、天国に迎えられていた命だったのかもしれない。それを、人間の都合で無理やり長生きさせてきたようにも思う。でも、当時息子を見送るには、あまりに無理だった。
10月15日、チューブを入れていた首脇の、2つ目の穴を縫い閉じた部分から抜糸した。その際の検査で、甲状腺の数値が悪く、メルカゾールを1・5倍に増やすことになった。
今思えばたぶん、「紅豆杉」錠剤のキシリトールのせいで、肝臓の機能が悪くなって吸収しにくくなったせいだった。
そして…切除した顎のすぐ横の口元に、なんとなく白くなっている丸いしこりが見つかってしまった。
S先生は、まだわからないと言った。嫌でも「再発」の2文字が頭に浮かんだが、考えたくなかった。
さらに5日後の10月20日、とんでもないことが起きてしまった。癌が、息子の脳に入り込んでしまったのかもしれなかった。
今回も敬称略で失礼します。NHK朝ドラの「おちょやん」が終わった。取ってつけたような格好つけで無理やりな終わり方ではなくて、本当に良い終わり方だった。「今ある人生、それがすべて」「生きるっちゅうのはホンマにしんどうて、おもろいな」と、朝ドラとしては「純と愛」には負けるけど、とてもしんどいヒロイン人生を歩んできた主人公・千代が最後の劇中劇で言うセリフ。亡き父母弟のテルヲ・サエ・ヨシヲの幻3人組を含む総出演のキャストだけじゃなく、そうだよねそうだよねと、視聴者も涙とともに最終回を見届けたと思う。
物語の中で秀逸だったのは、何と言っても、継母・栗子が千代に花籠を贈り続けた「紫のバラの人」だったこと。これには堪らなかったな… 栗子が産んだ亡き妹・さくらの子、春子を守り育てる気持ちにも千代がなろうというもの。血のつながり云々ではない気持ちになると思う。栗子が大事に思う春子なんだもんね。
この花籠エピソードは、さすが「半沢直樹」と同じ脚本家・八津弘幸だけあって、倍返し的なカタルシスがあった感がある。
ヒロインが最初に家族を失うきっかけになったのが栗子だった。その栗子が…。陰ながら応援し続けていた証と言うべき花籠はもちろんそうなんだけれど、私はカタルシスのポイントは、栗子がまず、心からの謝罪をきっちり千代に対して表明していたことがあるんだと思う。
その場で受け入れられなかったとしても、謝罪があるのとないのとでは大違い。ボディブローのように効いてくるはずで、マイナスをようやっとゼロに持ってこられるのかどうなのかは謝罪にかかっている。謝罪抜きでプラス要素の花籠を送っていた主が自分だったと栗子が明かしたとしても、何かモヤモヤが残り、視聴者の涙腺が決壊するまでの涙の和解までには至らなかったんじゃないか。花籠で気持ちはわかるだろうとか、何となく流しがちなところだが、うやむやは感動の敵なんだと思う。
正直に言うと、「半沢直樹」については、話題になった香川照之の土下座についても、マウンティングゲームの一環の「無理やり頭を下げさせてやったぜ!」という勝利の凱歌にしか見えなくて、なんだかなあ、そんなに熱狂することかと思っていた。でも、今回の栗子の謝罪は毛色が違い、心から自然に頭を下げたものだったと見えた。
灯子と一平もそうだ。まず、灯子は最初からまっすぐ頭を下げていた人として描かれていた。一平は、照れとか変なプライドとか言い訳が頭に渦巻いている感じがあったのがまたうまいなと思ったが、結局、灯子につられてという感も無きにしも非ずとはいえ、会いに来た千代に、心の中にあった後ろめたい気持ちを吐露し、頭を下げることができた。
あれが灯子抜きの2人きりで会ってたらどうだったろう。一平は逆切れと言うか、悪態をついて終わったかもしれない。そうだとしたら、終幕であんなに晴れ晴れと「ほんまもんの喜劇を作っていく」との前向きな言葉を発することができただろうか。千代に謝罪することで、切り替えられたのは明らかだった。
千代は、そういう心の底からの謝罪をストレートに表明されたからこそ、許しがたいことも受け入れて「だんない」と言えて、現実の人生を「これがすべて」と受け止めることができたんではないかと思う。波風立てず、何となくの有耶無耶では、皆が笑顔になることはできなかったと思う。
離れて行った人と和解したいなら、やっぱり謝り上手にならなきゃね。
勝手なことを書いているが、私は途中で見るのを止めた時期があり、4月半ばくらいから復活した。いつも毒父テルヲが出てくるだけで気分が悪くなって横目で見るような状態だったのだけれど(別にトータス松本に罪はない)、特にほっしゃんと板尾創路がメインに回るパートは見たくなかった。板尾の性犯罪歴がちらついてしまって。
念のためにさっきググってみたら、この俳優さん、反省してないみたい。最近も似たような不祥事を起こしていたんだね…吉本所属でよかったこと。こちらには良くないか。興ざめで、物語が入ってこなくて見てられなかったんですよ。
ほっしゃんについては、スミマセン、演技は素晴らしいのだけれど、テルヲでお腹いっぱいのところ、ヒロインに絡んでくる面倒くさいおじさんの役回りがちょっともう消化不良で。ビジュアル的にも個人的にはアップの場面、引きでお願いしたかった。
最近、ドラマにしろ報道(!)にしろスポーツにしろ、見るに耐えない人物アップの場面で「だめだわー、なんでこんなに寄ってアップにするの?こんなところまで見せないで」とか「顔の表情はどうでもいい、全体を見せて!」と、ひとりで怒ってる私を見て家族がよく笑っているけれど、やっぱりドラマで見る「美しい」俳優陣のアップは許せるというか…本能なんですかね、不思議ですよね。
「おちょやん」の視聴を再開したのは、灯子が一平の子を宿してしまって千代が道頓堀を離れるあたりなんだけれども、そう、灯子役の小西はるは小西真奈美の娘かと思うような、それでいて凛とした芯を感じさせる美人さんで、一平役の成田凌は、さすがモデル出身の売れっ子俳優。まさに美男美女。だからこそ、ヒロインに人生最大最悪の痛打を与える悪役を演じていても「見てられない」とはならなかったんだろう。
考えてみると、悪役敵役仇役って美人女優や二枚目俳優が演じるのが定番のような気がする。成田凌が今回は実生活でも「ひどい旦那だ」と周囲からいじられて「NHKさん、責任取って」と何かの番組でおどけて言ったらしいけれど、テレビ上のフィクションが実生活に滲ませる影響力を考えると、「ヒロインに対する敵役を演じる美しくない俳優陣」へのインパクトが目も当てられないことになりそう、つまりは「きっと本人の性格も悪いに違いない」と信じられてしまいそうで、自ずから悪影響を抑えられそうな美形俳優の方々が悪役には選ばれているのかも、と思うのだ。
伊藤かずえなんて、性格も天使みたいだしあの美貌。だからこそ、ずっと悪役続きだったのかもしれない。
きっと、小西はるも成田凌も、大河ドラマあたりで悪役イメージ払しょくのチャンスはすぐにもらえそう。そうでなければ、嫌だよね。
とはいえ、二代目天海天海や灯子のモデルとなった2人を両親に持つ、三代目渋谷天外(撮影所の警備員役でしたよね)が出演していたり、事務所が資料提供をしていたり、天外本人が「親父を悪く描くなよ」とNHKに言ったとか言わないとか。そんなこともあったのかなかったのか、本当のヒロインの元夫は一平なんかよりももっともっと酷い夫だったらしいけれど、そのままなぞってしまったら「純と愛」を超える惨事になっただろう。朝ドラは適度に美しくしてもらった方がいい。
#おちょやん
今、私は術後の亡き息子クロスケのために作った窓際の特別スペースに座椅子とコタツ(さすがに布団抜き)を置き、書斎のようにして、そこでこの文章を書いている。
元々、窓際の角には息子のケージが置いてあった。その周辺に、50センチ四方のパネル式カーペット16枚を木の床の上に敷いた。息子スペースが底冷えしないように、だ。
布団を4つ折りにして大判タオル等でくるんだ「ベッド」はこのスペースだけで2カ所作り、さらにケージの「1階」と、内側がボアでフワフワの△の形の猫ベッドも置いて中にタオル等を敷き、どこで息子がバッタリ寝ても大丈夫な体制。その窓に向かった一角がごはん置き場だった。
ここに座っていると、かわいい息子の幻が見えるような気がする。
思えば、7月31日の顎切除手術後の8,9月は息子も私たちも大変だった。前回書いた、10月1日に「口からごはん」に移行するまでには、いつも胃液を吐きやすい息子なのに、痰と言うか唾液の透明な塊が吐き出せなくて喉を詰まらせ、それを吸引して出してもらうのに大騒ぎした。
喉の詰まりについては、「1年前の7月、愛猫に扁平上皮癌が見つかった⑤」でも触れたが、手術3日前の週末に「呼吸と意識レベルが下がっている」と急な連絡が来て、覚悟を決めて病院に向かったところ、息子は明らかに何かを喉に詰まらせていて、家族が口からずるずると芋づる式に透明な塊を引っ張り出し、それで息子は楽になった…ということがあった。
あの時は、なんだー、びっくりした!と涙も引っ込んで喜びの方が勝ったものの、そんな簡単な処置もしてもらえないまま死ぬところだったじゃないか…と後から頭にきたのだった。
後日、その話をしたので担当のS先生は息子の喉の詰まりを気にかけてくれるようになった。やはり、口からごはんを食べていないし、息子は下顎半分を失って口をちゃんと閉じられないから口も乾く。だから唾液が固まりやすいのかもしれなかった。
いつもS先生は「あー、はいはい」と事もなげにあっという間に痰の吸引を済ませるのだが、S先生が不在でK先生に依頼すると、大仰な説明の上に手術並みの書類にサインを求められ、何万円も別に取られたことがあったなあ…。それで実際の吸引は別の先生が実施していたり。
機会があるたびに私に妙な猫撫で声で安楽死の話をしたK先生は、息子クロスケはもう死んだものとでも思いたいらしく、何かを頼んでも本当にイヤイヤ、関わりたくない態度が目に余った。
そのK先生に頼まなければならない事態に、残念ながら予想通り、なってしまった。
専門医の手術によって息子の右下顎は無くなったが、残った半分の左下顎には、立派な牙がついたまま。そして驚いたが右下顎には何の再建もされなかったので、術後は右側の支えを失った左下顎が中央に向かってぶらぶらと変形するのだった。
危ないよね、残った左下顎の牙がどう見ても上顎を傷つけてしまうのではないか、どうして手術の時に除いてくれなかったのか、残った左顎が右側に動かないようにしてくれなかったのは何故だろう、あれで大丈夫なんだろうか…等々と私は心配だった。
そしてやっぱり… 8月20日の夕方17:40とカレンダーには記録があるが、クロスケが「あくん」と口を閉じた瞬間に目を見開いたのに気づいた。
「痛ーい!」という表情に見えた。案の定、口から出血している。
その日は、術後初めて大好物の「金のだしカップ」を口から与えたのだった。だから、息子も勢い込んで食べようとしたのかもしれなかった。傷をちゃんと確認したいが、息子は逃げようとするし術後の口を押さえて開くのも難しい。
その後、何回か口から血が出たような気がしたのでS先生に口を診てもらったが、当初は傷が見つからず。ようやく上顎中央に大きな穴が開いているのが確認できたのは9月7日のことだった。
首脇のカテーテル用の穴の膿み方が酷い頃で、カテーテルでの流動食投与も限界だろうから早く口からの食事ができるようにしてあげたくて、すぐに牙を取り除くようお願いした。
その病院で歯科の専門は、K先生だ。頼みのS先生は内科だったと思う。S先生が頑張って頼んでくださり、K先生による息子の左下顎の牙を削る手術は9月10日に行われた。朝9時に預け、夕方6時に迎えに行った。K先生は朝も夕も姿を見せず、S先生が説明してくれた。
術後の傷を守るため、息子はまたまた大きなエリザベスカラーを着けなくてはならない。翌11日には口から食べようとするも、痛いらしい。無理もない。でも、口から食べることを忘れていないのがうれしかった。
13日からまた頻繁に呼吸困難が始まり、日に1度はゼイゼイ詰まらせて苦しんでいる。カレンダーにはいつもの「吐」に加えて「呼吸困難」と赤いマーカーの文字が連日並ぶようになり、たまらず19日に吸引をしてもらった。
この日が確か、K先生が書類にサインを求めてきた日だ。K先生は、息子の吸引もせずにそのまま帰すつもりで言いくるめようとしてきたので、それでは困る、死んでしまう、吸引してくれと強く頼んだところ、K先生の剣幕はすごかった。
しかし、頑張って良かった。吸引を経て翌日には息子の呼吸は楽になり、全体的に落ち着いた。「獣医の先生が言うのだから」と遠慮してはいけない場面だったと、息子を撫でながら自分を奮い立たせた。
そもそも、K先生の言うままにバイオプシー(生検)を息子に受けさせてしまったのが運命の始まりだったと今も思う。
検体を採取する際に患部の右下顎を骨折させられ、そこから内出血が続いたせいで転げ落ちるように貧血が悪化。命をつなぐには、どうしたって顎の切除手術を受けさせざるを得なくなり、そして牙を残されてしまったことでの再手術。牙も取ってほしいこと、切除する右下顎の再建のことについて、せめて最初の手術の際に確認しておくべきだった。まさかこんな形にされてしまうとは。
全部、私がK先生の言うままに流され、しっかりしなかったから息子に余計な苦しみを与える結果になってしまっていたのだった。ただただ、耐えている息子に申し訳なかった。
今年のGW、というか2年連続となったステイホーム週間が終わろうとしている。その間、愛する猫息子の月命日もあったり、いつもこの時期には息子のこたつを片付けてたなとか、今日みたいに暑くなれば壁際の床でひっくり返って半分持ち上げた足を壁に預けて寝てただろうなとか、いつも通りに息子のことを想う毎日だった。
家にずっと引きこもっているから、余計に亡き息子を想い、姿を追ってしまう毎日。相変わらず、そこここをしゅるんと走り抜け、こちらを見上げる姿が見える気がする。
いつも息子を想い続けているのは家族も同じようだ。ちょうど夕刊に、江戸時代にあった子どもの生まれ変わりの不思議伝説の記事が載っていて、近隣に生まれ変わった息子が亡くなった息子にそっくりで元の親も喜んだとの話だったので、読んで羨ましくなった私は「クロスケ、いつでも帰っておいで」と、つい口にした。
それが聞こえた家族。息子クロスケは帰ってこなくてもいい、次に会うのは天国でいいと言う。帰ってきた息子を、再度見送ることになるなら、それにまた耐えられるとは思わないからだそうだ。
そうだよね・・・息子が死んでいた朝の姿が一気に思い浮かんで、ダメだ、私も耐えられないと一瞬思った。でも、でもどうなんだろう。もう抱っこできなくなって1年3か月・・・やっぱりすぐにも会いたい。生まれ変わってでも帰ってきてくれるなら、私は喜んで迎えたいと思い直した。
感じ方は、人それぞれ。私と同様、亡き息子に心が占領されたままの家族であっても、違って当たり前だ。
そんな家族が、最近とうとう使えなくなってしまった我が家のプリンターを買い替えるために、近くのコジマへ歩いて出かけて行った。近くと言っても、徒歩では20分ぐらいはかかる。車を手放して、自転車も処分してしまった我が家は、歩くしかない。確か、息子の月命日の前日だった。
すぐに買い替えてしまわないと、連休明けの仕事に支障が出るので困る。コロナが怖いが、今のうちに行くしかないと、ひとりで家族は出て行った。店頭からビデオ通話が来て私とあれこれ相談。少し予算オーバーのプリンターなら在庫があるらしいとのことで、仕方ないからとそれを買うことに決めた。
それからすぐに帰ってきたが、プリンターが無い。手ぶらだ。
なんでも、そのプリンターは取っておいてもらってあるが、無料で下取りしてもらうために壊れた方を今から持って行くのだと言う。時間は11時頃になっていた。
「え?もう時間ないけど大丈夫?1時から仕事だったらギリギリじゃないの?」と聞いたが、「だから大急ぎで行ってくる」と言って、慌ててイケアの青い袋にプリンターを突っ込んで、それを抱えて出て行った。「配送してもらえばよかったじゃない」と言ったら、2200円はかかるのだとか。予算はオーバーしてるし、微妙にもったいないか。
気を揉んで昼食を用意しつつ待つことしばらくして、家族は笑顔で新しいプリンターと共に帰ってきた。思っていたよりも早い帰宅だ。
行きは仕事に間に合わせようとアドレナリンが出ていたこともあり、重かったけれども何とか着いた。店側も、取り置いてくれていたプリンターをいつでも運べるように、包みに取っ手などを付けて用意してくれていたそうだ。
しかし、ホッとしての帰り道。重いプリンター入りの箱を再度抱えて歩き出してみると、以前手術を受けた鼠径ヘルニアの治療痕が痛みだし、慌てていたから普段から抑えるために使っていた腰痛ベルトも着け忘れていたことに「そういえば」と気づいた家族。「これはまずい、どうしよう」とタクシーを探したが、コジマのある大通りで待ってみても、まったく来ない。
諦めて、痛みに耐えつつ大通りから自宅方向の道に入ってプリンターを抱えて歩き出したところ、すぐの交差点に1台だけ停まっていたのが黒いタクシーだったそうだ。変な話だが、家族は、その黒いタクシーが最初に目に入った時に黒猫の息子だと感じたのだと言う。
手を挙げて、「近いけどいいですか」と聞いたところ、若い運転手はにこやかに「いいですよ」と言ってくれたんだとか。ものの数分で着いてしまったので、ろくに会話もせずに降車することになった。
映画「となりのトトロ」の猫バスならぬ猫タクシー。近隣では最近よく見る黒いタクシーはボックスタイプばかりだから、あまり見かけなくなったセダンタイプの黒塗り車両が忽然と目の前に出現し、息子が自分を助けに来てくれたように感じたんだそうだ。
そうかもね、パパっ子だったしね。いいなあ、いいなあ。私も乗りたい猫タクシー。乗って毛艶ツヤツヤの息子をなでに行きたいものだ。
先週からちょっと消費者トラブルに巻き込まれていたんだけれども、ゴールデンウイークは解決を見て迎えることができた。やれやれ。
まず、先方のお問い合わせフォームに書き込んで、その後、お客様センターのみなさんとメールのやり取りになった。私はただ同じこと1点を言っているのだけれど、なんか一般論に持って行ったり、はぐらかされたり。
それに対して、こちらもスルーせず真面目に応答していたら、どんどん書く量が増えた。時間がもったいなくて、夜に来たメールに「もう眠いのに・・・」と思いながら返信。気が重かった。
先方は非を認めず、一部だけ「特例だ」と言って超上からの態度がプンプン臭う譲歩をしてきたが、既払い分は返さないという。それも、特例の提案を飲むか飲まないかの期限が切られていて、さらにこのタイミングで規約を変更すると通知してきたりして、イヤーな感じ。末端の利用者なんか踏みつぶしてやる!大手の言うことを聞け!という意思しか感じられなかった。
そこで、公的機関を使ういいチャンスだと思い、相談してみた。「188(いやや)」ですね。
キレキレの相談員さんに、契約後の規約変更には縛られないし、私の言うことは理不尽じゃない、もう一押し頑張れと言われ、先方とのメールに向かった。先方の返信は丁寧な物言いとお詫びに転じていたが、取り付く島もなく、こちらを振り切る体制に入ったように見えた。結局、非を認めないで「特例」だけで逃げようとする中身は同じだ。
先方の言う期限になってしまったので、相談員さんに改めて相談。相談員さんが、先方に電話を入れることになった。5分後、担当者が不在で、翌日に連絡が入ることになったと相談員さんから電話があった。
え?あの3人はいた、先方のやり取り相手のみなさん・・・誰もいないの? どこにおいでになったのか?
その日、期限当日夜の先方からのメールは、相変わらずの強気だった。
期限翌日の朝、相談員さんに先方のメールは相変わらずだったと伝えたところ、明らかに落胆。続けて、私の言い分や気持ちはもっともでわかるけれど、メール内容から、もう先方は引かないかもしれない、と言う。連絡があったら相談員さんが先方の担当者と話をすることになるが「連絡してこないかもしれないし」ということで、並行して、こちらも妥協するか簡裁の調停に行くかを天秤にかけて考えることになった。
簡裁に行くのもめったにない経験だからやってみるか!と思う反面、コロナ禍で世の中が面倒くささいっぱいになっている時に、こんな些少な額の争いを簡裁に持ち込むのもなあ・・・とためらわれた。そこが先方の目の付け所、はっきり言ったら「手口」なのかもしれないと思うとモヤモヤしたが、妥協して特例を飲む旨のメールを先方に送った。
午後になってからだったと思うが、先方から初めて電話が入った。これまではメールばかりだったので驚いたが、相談員さんと話をしたのだという。それであっけなく、こちらの言い分の通りにしてもらえることになった。残った他の懸案事項も、解除してくれた。
対応は誠実そのもので、今までのお客様センターのメール内容とは打って変わってだったので、電話の相手のことが心配になった。他のセンターの皆さんから責められたりしない?大丈夫?との言葉が出かかったが、止めた。
てっきり相談員さんの大活躍があったのかと思い、お礼の電話をした。そうしたら、「よく粘りましたね」「どうやったの」と逆に相談員さんに驚かれて聞かれる始末。狐につままれた。私の言い分は、最初に問い合わせフォームに書いたことと同じ。後のメールのやり取りは膨らんだが、当初と特に何も変わっていないんだけれども・・・。
やっぱり、先方は、本当に公的相談機関から連絡が来るとは思ってなかったのでは?
相談員さんは、何かまだ腑に落ちないようだった。三権分立の関係で、仲介はできても何かを断じることはできないとも言っていたので、確かに先方との電話で私の立場に丸々立って何かを言うことまではできなかったのだろうと思うが、こちらは「いやいや、肩書の力ってあると思いますけどね」と心の中で思った。
相談員さんからは、今回の事例を、消費者庁のサイトにあるフォームを使って報告するように勧められた。他の消費者のためだ。でも「相談員のおかげで解決した、とか書かないでほしい」と言う。
「わかりました」とは答えたものの、先方が折れた原因として考えられる点は、順を追ってみても、相談員さんが登場したことぐらい。仕方ないので、時系列のまま、事実だけ書いたが・・・肩書を持っている側は、案外その力に無頓着なのかなと思った。
#消費者トラブルには188
本日15日が本年2021年の確定申告の締め切り日。私も毎年のことながらヒーヒー言いながら苦手な数字と格闘し、先ほど無事にポストに投函した。
この確定申告の書類などを用意する過程で、どうしても昨年の手帳はじっくり見るし、領収書類もプリントアウトするので「あー、こんなの買ってたな」と嫌でも見ることになった。前回にも書いたような亡き息子グッズは、確定申告的にはカウント外だが、たまっていた領収書の中には息子グッズのものも混じって含まれていた。
息子は昨年の2月4日未明に死んだが、前々日というかほぼ前日の2日には、大量のごはんが届いていた。私が1月31日に注文した品だ。
「チャオちゅーる」はペースト状で食べてもらえるので、胃腸のことを考えて乳酸菌入りのかつお味と、とりささみ味をそれぞれ1袋。そして介護期用のペーストごはんがあると知って、有難く買い始めた「メルミル」10パウチ。これもかつお味。それから「健康缶」の「20歳からのとろとろまぐろペースト」。これを30パウチ買っていた。
この息子ごはんは、新品のまま猫友さん達に残らず差し上げることになった。
このほかに防水性のある「床を汚さないシート」も1袋5枚買っていた。ペット用というか「犬用」表示だったけど。
この防水シートはとても便利、口からごはんを開始してからは必需品だった。
息子クロスケが液状のごはんを自力で食べるには、どうしても盛大に周囲にはねさせざるを得なかったからだ。また、一旦口に入っても、べーっとそのまま出してしまうこともあったから。
床の無垢材の隙間に入ってしまうと液状ごはんは容易には取れない。そのままではダニの栄養になるだけ。カピカピに乾いてからカードで削り、粉状になったところを掃除機で吸い取るのが一番有効な掃除方法だと段々分かったが、乾くのを待っていては足の踏み場もなくなってしまう。
そこで、まず防水シート。それで何とか受け止めた。
「口からごはん」の前の、首脇に穴を開けて昼夜問わず2時間おきにカテーテルで薬液や流動食を注ぎ込む当初の作戦は、ずっと続けるのは無理だった。息子が抗生剤のせいで下痢が止まらなかったためだ。
1昨年8月7日の退院後、27日には首の穴が膿んでしまい、消毒後にチューブを改めて縫い付けたが、再度投入した抗生剤でまた下痢が悪化。9月10日に首の反対側に別の穴を開けて、その穴も1か月弱保つのが精いっぱいだった。
息子の首からチューブを抜去したのが10月1日、その日から「口からごはん」生活に戻ったのだった。
その日は「無事に手術済!よかったー」と手帳に書いてある。あとは、首脇の穴の傷も含めて、良くなるだけだと思っていた。10月27日に癌再発が確認されるまでの1か月弱が、今思うと本当にいとおしい時間だった。
「口からごはん」に戻った息子。何しろ下顎の半分が無いのだ。食べるのは一苦労どころではない。下顎の右半分が無いと、残った左半分がさまよってしまって、どんどん中心線を越えて右側に偏ってきてしまう。
そうすると、どうなるかというと、不二家のぺこちゃんのようにベロが右側にぺろぺろ出てしまうことになって、本人(猫)はまっすぐ12時方向に舐めているつもりでも、2時方向にズレて舌が動くことになった。
目の前のごはんに狙いを定めて舐めたいのに、それが口に入ってこないのだから、本人は混乱しただろう。見ていて手助けをしたいが、シリンジを使って口から入れようとしても、正面から迫る形になるので、抵抗してなかなかうまくいかなかった。
「ごはんなんだよ~イイコで飲んで~」となだめなだめでも、限界があった。
そうこうするうちに息子も盛大に跳ね上げながらごはんを口に流し込むことを覚えた。とても効率が悪いのは、ごはんの器回りにボタボタ垂れているごはんを見れば明らかだったが、それ以外に仕方ない。
以前も書いたが、息子自身も顔などがごはんだらけになっていて、それが嫌で食後はプルプルするので、全部が周りにさらに跳ねてしまう。あああ!と「口拭きババア」が追いかけて濡れティッシュで顔を拭く毎日になった。
そんな中での必需品が、鬼のように買ったティッシュペーパーと、あの防水シートだったわけですよ…。
当初は、以前のキッチン近くに息子のごはんを置いていたが、そうするとごはんまみれになっている息子と床と壁がお出迎えする状態になり、靴下を犠牲にせずにはキッチンから出られなくなるので、息子専用のスペースを別に窓際に作り、そこにごはんを置くようにした。
まず防水シートを何枚か広げ、その上に普通のペットシーツ大小を何枚か敷いて、ごはんを置く。ペットシーツはこまめに交換できたのが良かった。
息子のように、口腔癌で顎の下半分をごっそり骨ごと切除する手術を、今となっては私は全くお勧めできない。もし、可能なら、表面に出てきていた腫瘍だけをこまめに切除する方法を選択したかった。
作家の村山由佳さんが愛猫もみじちゃんの扁平上皮癌での闘病を『猫がいなけりゃ息もできない』(集英社)に詳述しているが、もみじちゃんはこまめにカット方式だったようだ。
ペコちゃん状態の息子が、ごはんを跳ね上げながら一心に食べる様子が今も目に浮かぶ。一生懸命な様子はかすかな希望にもなった。
10月22日の段階では、3.1㎏あり、退院時3.55㎏からちょっと減ったぐらいの体重を、息子は保っていた。
息子のために買っていた猫ごはんはもちろんのこと、消毒液やらペットシーツ等々の広告。それが、パソコンを開くと画面に表示されますよね… 息子が生存中は、そういった広告から必要な品を見つけたこともあったし便利だと思ったこともあったが、現金なもので、天にお返ししてからは「まだこんなものを私に買えと言うのか」と、グサッと来ることもあった。
不意打ちなんか喰らうと、特に涙もろいおばさんはどっと涙が出た。
もう最近は表示頻度は落ちた気がする。たまに、どーんとお得なペットシーツが表示されることもあるけれど。どうやって判断しているんだろうなあ。ぱたりと買わなくなったことで、必要ないと判断したんだろうね、どこかの時点で。
周囲には急ぎすぎてるようにも見えたらしいが、息子が亡くなってから、まだ使える物は爪切りから何から、猫を飼っている家族や友人に譲り倒した。息子グッズを見てしまうと、その主の不在がどうしても浮かび上がってくる。それが汚いまま朽ちていくのは、尚更たまらない。だから、使ってもらえる品物はできるだけ綺麗なうちにと、お譲りしたのだった。
さて、息子が退院してから良く買ったと言えば、ペット用のウェットティッシュ。これが無いと夜も日も明けない。首横に穴なんか開けている息子の清潔は、お風呂にも入れられないし、せっせと拭いておかないと保てないので、行きつけのペットのコジマで大量に買うようになった。
食道に直接通じる首の穴周りや、手術をした口周りには、獣医さんから出してもらっていた「マスキン水」「中性水」などを使ってガーゼで拭いていたと思うが、市販でも使える物があった。ちゃんとペット用で、銀イオンが配合されていたっけ… 消臭もできて口内にも使えるので、通販で手に入れ、手術した息子の口の中や、後には腫瘍が膨れて外に出てきてしまった際にも、恐る恐る使った。
新型コロナが流行って、世の中の消毒液が争奪戦になってしまった時に、こういったペット用の消毒液は大丈夫だろうか、必要な飼い主の手元にちゃんと届いているのだろうか…と心配だった。例えば獣医さんに設置されてある動物用の人工呼吸器までも、人間用に振り向けられるかもとの報道を見た。だから、人間用にも足りない足りないと言われていた消毒液は、動物用にちゃんと製造販売されていただろうか。
息子は2月4日に逝った。もし1年遅れての闘病生活だったらコロナ禍のせいで手に入らないものも多かったかもしれない。一時入手しにくくなったトイレットペーパーも、息子の口周りを拭くためにティッシュペーパーが鬼のように必要だったので、1月ごろにはまとめて買ってあった。そう考えると、親孝行というか何というか… 息子がわかっていたはずはないのだが。
息子が手術後に退院してしばらくは、首脇に開けた穴から流動食を与える方法が機能していたから、穴からの感染症が心配で息子の清潔を保つにはかなり気を遣ったつもりだった。しかし、穴を塞いで口からの食事に戻ってからは、別の意味でさらに清潔を保つのが大変な日々が待っていた。
息子だけでなく、家全体が大変なことになり、いい方法を考えなければ息子の介護を続ける上でマズい状態だった。でも、それが息子には迷惑だったろうな…。
つづく。
ところどころ敬称略で失礼します。TVで顔を見ない日はない、売れっ子の有吉弘行、夏目三久のご両人がエープリルフールの4月1日に婚姻届を出したそうだ。おふたりの周りでも驚いた人たちが多かったようで、世間に幸せな空気が広がった。おめでたいなー、本当におめでとうございます。
ネット上のニュースを見ても、数年前に一時期噂になった頃から耐えてきたってことなんだろうか…。色々と業界の思惑も利害も絡むから、気持ちを諦めてもおかしくなかったのではないかと思うし、そんな周囲を納得させた上でこうやって晴れの日を勝ち取るのは、それはそれは大変だったのではないか。実際、やってみたら数年かかったってことなんだろう。お疲れ様です!良かった!
おふたりがマツコ・デラックスと共に出演していたテレビ朝日の「怒り新党」は、私も好きで頻繁に見ていたけれども、夏目さんは番組進行に徹していたと言うか、実にお行儀よく弁えた存在で、それがマツコの癇に障っていたのが面白かったというか、マツコと有吉に振られたときにちょこっと話すだけだったから、実はそんなに印象がない。
私が言うまでもなく、アナウンサーには美人さんたちが多いですよね。記者時代にテレビ局に取材に行くとまさにきれいな人たちだらけで、自分のことは棚に置いて「普通にきれい」くらいではああそう、くらいなもので感覚がおかしくなったが、夏目さんは確かにきれいで有吉が羨ましがられるのもわかる。
「怒り新党」を見ていた頃は、私も既に記者を辞めて久しく、彼女に直接お目にかかる立場でもなかったが、画面を通しても美人さんだとは思っていた。
でも、申し訳ないけど中身に対しては? 時代的にも「番組に添えられている花」といった存在だったようにやはり認識していた。
私が楽しんで見ていたのはマツコと有吉のおしゃべりの方。でも、実は毒舌を誇る有吉でも、夏目さんの前では紳士的だったのかもしれない、なんて思い返したりするのも、いち視聴者としての、こういうハッピーな話での楽しみだ。
有吉さんと言えば、猿岩石として香港からロンドンまでのヒッチハイクの旅を終えて帰国後、インタビューして記事を書いたことがある。所沢の西武球場で猿岩石のふたりの記者会見が行われるというので、英字紙の放送メディア担当として行ったのだった。
しかし、普通の記者会見ではなかった。日本での人気ぶりを知らない猿岩石が、多くの人たちが迎える(さくらだと思ったらしい)様子にびっくりするところを収録するために公開記者会見を視聴者に楽しんでもらおうとテレビ局側としては目論んだみたいで、記者席も会場の中に設けられていたのだった。
そんなこととは聞いておらず、普通に会見を取材するつもりでいた私は、仕事とはいえ「えー、ナニコレ、私まで映りたくないのに」と内心ムッとした、正直に言うと。誰も私なんかに関心もないし見ていないんだけれども、そういうことではなくて、断りもなく舞台装置の1つに急にさせられたのが不満だった。たぶん、会見で猿岩石に質問もしなかったと思う。したかな…?ノリが悪い奴ですみませんが。
その後、猿岩石のふたりに個別で会って話を聞いた。よく覚えていないのだけれど、たぶん西武球場での会見の後に、個別インタビューの時間が設けられていたのか… それとも、別の日に場所を変えて会ったのかはわからない。どっちだっけ。何しろ1996年の話だ。
だけれど、とてもよく覚えていることがある。会った時の有吉さんの腰の低い振る舞いだ。
ヒッチハイクの旅だって最終3日間は食べられずに半分飢えてのゴール、そして帰国してからも取材取材で心身ともに休まらない状態だったのではないかと思うので、相方さんが、はっきり言って「ふてて」しまって、取材に明らかに前向きでない様子全開だった。
それも無理からぬこと、ましてや以前から特に付き合いもない私が取材相手だし…と私も思っていたのだが、相方のことを気遣って私に謝り、何とか場を持たせ取りなそうとしてきたのは有吉さんだった。
不機嫌なタレントの取材などは、まあ無いことではなかった。忙しくて寝てないんだろうな、ぐらいにいつも思った。そもそも記者の扱いなんてそんなものだし、むしろ多忙な中、時間をちょっとでも貰ってありがたい限り。だから、相方さんの態度も仕方ないと織り込んでいたので、有吉さんの私への気遣いや「ねえ、そういうことでいいよね?」といった感じで、少し離れて座ってこっちに来ようとしない相方に声をかけてコメントの確認を取ってくれたことは新鮮でよく覚えていたのだ。へー、優しいなあと、こっちが恐縮した。
記事に書いた有吉さんのコメントはこうだった。"From now on, I will be helpful to others, for we could not have survived without the help we got from people." 英文にしてしまったし、取材メモも残してないので、正確に彼の日本語でのコメントは今はもうわからない。過酷なヒッチハイクの旅が、彼を人にやさしい人間にしたのだったら、かなり乱暴な企画でも、いい経験だったのだろう。
その後の売れない不遇な時代も、人の優しさを思い出して耐えたのかもしれないし、夏目さんもその人柄を感じ取ったということなのだろう。良かった良かった。
私も、ちょっとはノリ良くあの時の公開記者会見に貢献してあげたら良かったかもしれないけどな… いや、あれはやっぱり嫌だな。そこが凡人ですね、ご容赦を。
半年ぐらい前に「1年前の7月、愛猫に扁平上皮癌が見つかった」を9回にわたって書いた。その続編として、愛息クロスケが天国に帰っていくまでを書いてみようと思います・・・書ける範囲で。
昨日(4月4日)は月命日だったのだけれども、さすがに1年以上も経過していたから「結構平常心でいられるもんだ」と感じていたが、やっぱりというか、ところがどっこいで、この原稿を書くためにもと昔の記録(息子の食事と排せつの内容とか回数が記してあるカレンダー)や私の手帳を見始めたら、涙があふれてしまった。
2019年8月7日の退院の日。息子は、大手術の後だというのに帰宅していつものように家の中を点検して歩いた。その日には3.55㎏の体重があった息子だが、たったの3日で3㎏ぴったりになった。人間で言ったら、3日で5㎏落ちたくらいのインパクトだろうと思う。翌2020年2月初めに亡くなる頃には痩せ細り、2㎏もなかっただろう(人間なら半年で15㎏減)。
元々、最大体重では6㎏半ばを超えた大きな猫だった息子。それが…むごい話だ。
追々の話ではあるけれど、息子があまりに痩せて痩せて悲しくて、私は途中からそれを直視できなくなっていく。通院のたびに測る体重、それを測りたくなくなっていくのだ。でも、この時点ではまだ息子は手術疲れはあったものの年相応にふっくらし、毛艶もツヤツヤだった。
さて、口内にできてしまった扁平上皮癌だから、息子は下顎の右半分(こちらからだと向かって左)を切り取らなくてはいけなかったし、別稿で後述するが舌の可動方向が変わり、物理的な障害ができてしまっていた。体重減少の原因として、その点も考慮しないといけないだろうが、しかし、退院後しつこく悩まされた下痢によって、息子の体重は大きく奪われていったような気がする。
当時は焦って色々悩んだが、今はもう、下痢がどうして起きていたかはわかっている。抗生剤の「アモキクリア」。青い動物向けの錠剤だ。これが息子には合わなかった。
2時間おきに流動食ごはんを与えて、下痢も2時間おき。流動食の「カケシア」や「ちゅーるリキッド」、それと煮だした「紅豆杉茶」を首の脇に穴を開けて設けたカテーテルから与えた。
息子も空腹になると「ちょーだい」とばかりにやってきて、カテーテルからのご飯の注入を頑張っておとなしく受け入れているのに、繰り返す下痢でどんどんと栄養が出て行ってしまった。
同じ抗生剤の「エンロクリア」はやはり動物向けの黄色っぽい錠剤で、下痢の点ではマシだったが、今度は首のカテーテルを入れる穴周辺が明らかに膿んできてしまう。口周りの手術痕も心配だった。エンロクリアはつまり、毒にも薬にもならぬ状態だった。
それで、退院前に注射してもらっていた、1度すれば2週間は効果があるという抗生剤「コンべニア」が結局1番クロスケには使い勝手が良いらしかった。ちょうど通院のタイミングで打ってもらえれば良いが、通院までに効き目が切れそうな時は、往診専門の獣医さんにもお願いして、コンべニアを息子に打ってもらった。
息子の精神的負担を考えて、病院に連れて行くのはできるだけ避けたかった。思い切って往診の先生をお願いしたのだったのだが、初めて往診の獣医さんが部屋に入ってきた時、私に抱っこされていた息子は、怖さからかそのままお漏らしをした。私のスカートはぐっしょり、息子は私に抱き着いたまま注射され、私も立ち上がれない状態のまま、家族が獣医を見送った。
部屋に入ってきた人物が、なぜ獣医さんだと息子にわかったのかは謎だ。ニオイかな?それとも単に、見知らぬ男性が入ってきたのが(獣医さんと気づいてなくても)怖かったのかもしれない。
下痢を引き起こしているのが「アモキクリア」だとわかるまでには、食べ物が悪いのかな?と「カケシア」を止めてみたり、「ちゅーるリキッド」「クリティカルリキッド」「a/d缶」の配合を変えてみたり、これまで好きだったカリカリをすりつぶして液状にして与えみたりと、試行錯誤を繰り返すことになった。
その中で、息子が退院後初めて口から自力で水を飲んだ8月14日、「カントリーロード」のミルクパウダーをごはんに混ぜて与え始めたら、タイミングも良かったのか、お通じの状態も徐々に安定し始めた。
息子の小さいかりんとうのような便が出るようになって、安心してガッツポーズしたなあ…と思い出す。これは、S先生のお勧めで、通販で探して買った物だった。確かにおすすめ。
そうしたら、今度は逆に固まったお通じに苦しんで「モニラックシロップ」や「ガスモチン」で便通を整える必要も出てきてしまった。吐くことも多く、本当にバランスが難しかった。直接の顎の話ではなくて、なかなか整わないのは高齢猫だから仕方なかったか…。
それでも、毎日ちゃんと空腹になるとカテーテルの食事を催促する息子は、本当に前向きに頑張っていた。親が負けてられない、と思うほどに。そして当然ながら、とてもとても可愛かった。