黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

扁平上皮癌になった愛猫を、天にお返しした⑫

焼酎に化けた息子

 先日、育ちすぎてしまったベランダのユーカリを使い、お風呂に入れるチンキを作ろうと、焼酎に漬け込むことにした。ウォッカが良かったらしいのだが、焼酎でもいいらしいとYouTubeで知り、大き目の焼酎ボトルを買ってきた。その量4リットル。

 ペットボトルなので、まあ4kgの重さ。刻んだユーカリ入りの焼酎ボトルを、朝晩振る。緩んだ腹筋のためにもいいよね、と思いながら振っていたとき、癌を発症する前の息子とちょうど同じくらいの重みなんだなと気づいた。

 両手で持つと、ペットボトルの形状からも、まるで息子の両脇の下に手を入れて「高い高い」をしているような格好になった。抱っこもしてみる。

 この重さ、身に覚えがある。

 毎日のように膝にずっと乗っていたんだもの、実際とても重かった。焼酎ボトルだと載せれば煩わしい重みで、すぐにもギブアップだけれど、愛する息子だと思えば不思議なもの。連続4時間ぐらいは日常的に耐えたまま、パソコンを打っていた。

 もちろん、立たねばならない時は当然ながら降りてもらったけれど、暖かくうれしい重みだった。

 無機質な焼酎ボトルが、まさか息子の重みと体温(逆説的に)を思い出させてくれるとは。高い高ーいと、今日もボトルを振っている。

頼りになる猫友さん

 さて、前回⑪の続きだ。

 2020年1月。体力が思いのほか回復してくれた息子ではあったものの、その息子を残してどうしても外出しなければならない用事ができてしまった。ボランティア関係の研修で、関連の推薦もいただいての機会なので、私が放り出すことはできない。朝から晩まで、参加しなければならなかった。

 さあ、どうしよう。

 家族は仕事を調整して、半日で戻れるようにできるそうだ。とはいえ、残る半日も、今にも急変するかもしれない病身の息子に留守番させ、出かけることはできなかった。

 どうしようどうしようと悩んで、猫友さんにお願いして、来てもらうことにした。

 その方は、ご自身で保護猫2匹を引き取るにあたり、猫の飼育関係の勉強をして、資格も取ったという勉強家。そのうちの1匹を、1年ほど前に看取った経験のある方だった。

 当初は、その方が懇意にしているペットシッターをご紹介していただこうと思い、お伺いを立てたのだった。でも、その優秀なペットシッターの担当地域にうちは入らない。残念、どうしようと思った時に、猫友さんご本人が申し出てくれたのだった。

 病気で痩せ細った息子を見ても、気味悪いなどとは思わず看病してくれそう。快く引き受けてくださったのには、心底ホッとした。

 研修2日前の1/20、下見に来てもらった。

 その日は息子の食欲もバッチリ、本当にこのまま元気になっていってくれるんじゃないかと夢のようなことまで思ったぐらい、元気だった。もしかしたら、猫友さんに格好いいところを見せようとしていたのかな? おしゃべりに花が咲き、息子はのんびりしていたように思う。

いよいよ、息子のお留守番

 そして当日の昨年1/22。10時から14時までの4時間は大丈夫とのことで、9時半ぐらいには来てくれたと家族から聞いた。

 ありがたく、家族は予定よりも早く出勤。そのあとの息子の様子については、猫友さんが詳細にメモを残してくれた。

 9:55にトイレ(小)。10:00に廊下をパトロール、リビングへと移動、テレビ前にしつらえてあった息子用ベッドもどきにてお休み。しばらく寝たらしい。

 10:40に全豪オープン大坂なおみが勝つと、さすがにその放送の音に起きたらしく、立ち上がって窓から外をしばし眺める。キッチンに移動して、また座る。

 11:15、ごはんを食べる。窓際の息子スペースに移動して食べたのか、キッチンでそのまま食べたのかは不明。11:20には人間用トイレの横にあるトイレに行き、大。猫友さんが片付け中に戻り、小。

 息子はこのパターンが多い。大を片付けないと、小を我慢してしまうことが多くなり、それがシッターさんを頼まねばと思った大きな理由の1つだった。猫友さんは、きちんとすぐに片づけてくださり、ありがたい。

 11:30、玄関の方を気にしながらキッチンで座る。たぶん、家族の帰りを待っているポーズだ。

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猫友さん撮影の、キッチンから廊下に身を乗り出して座っている息子(2019/1/22)

 11:50、宅配便が来た。「何度も鳴らすので、サインして受け取りました」とメモがある。宅配便屋さんが帰って後ろを見たら、息子が玄関近くまできていて「うぉーんうぉーん」と鳴くので、息子がパパが帰ったのかと思ったのかなと「ごめんね、パパじゃないよ」と猫友さんが言うと、「うぉん!」と一声、リビング方向に戻ったと。

 息子はそのままリビングを突っ切り、窓際で外を見ていたそう。「パパとママの帰りを待っているのかな」とメモがあるが、待っているのはきっとパパの方なんですよね。いつもそうなので・・・。

 自虐でもひねくれているわけでもない。事実として、息子は極めてはっきりしたところがあり、私の帰宅時、玄関へと途中までは勢いよく来るのだが、私と分かったところで踵を返すのだ。いやー、鮮やかなくらい。

 一方、家族が帰ると甘えん坊全開で大変だ。玄関から外に飛び出してしまうのではないかという勢いで、たたきにまで下りる。危ないよ、と何度も声をかけるほどのストーカーっぷりで、家族はとても歩けないと嘆く。それくらいギャップがあるのだ。

 ただ、宅配便のおじさんも大好きで、荷物を点検するのが自分の係だと思っている節があったので、点検をしたかったのかもしれないなと思う。

 さて、正午。猫友さんがコタツに座っていたら、横に来て入りたそうなしぐさをするので、布団を持ち上げたら息子はするっと入り、中で横になったそうだ。

 1月22日の話だから、当然寒い。コタツで暖かくしてもらった方がこちらは大安心だ。猫友さんが時々中を見ると、息子は横になりつつ猫友さんと目が合う感じ。やはりリラックスしきれないところもあるだろうが、それでも一緒のコタツに入るなんて、打ち解けている。

 12:50、自分からコタツを出た息子は、少しだけごはんを舐め、またトイレに移動して大。13:05、またキッチンに移動して待ちポーズ。13:20、家族が帰宅。息子は歓喜のお出迎えだったろう。

 本当に不思議なことだが、家族が帰宅する少し前には、いつもちゃんと位置について待ち始める息子。猫族のみなさんは、耳が良くて何かが聞こえるのでしょうかね。

 猫友さんは、息子に語りかけ続けてくれたそうで、そのおしゃべりに心がほどけたらしい。少なくとも害はない、私と同種だと思ったかもしれない。猫友さんも、息子がキリっと誇り高くしていた、みたいなことを言ってくれた。有難い有難い。

 この日は水曜日だった。こんな穏やかな日が、ずっと続いてほしいと思っていたが…その2週間後の水曜日に息子のお弔いをすることになるなんて、その時は思いもしなかった。

 

息子の知らない冷蔵庫

 唐突に、冷蔵庫を買い替えることになり、昨日量販店に行ってきた。

 今の冷蔵庫を使い始めたのは、現在住んでいる住まいの前の場所に入居した時だったと思う。そこを東日本大震災を機に引っ越して出たのだが、そこには5年は住んでいたような気がするので、15年以上は使ったことになる。

 冷蔵庫の寿命ってよくわからない。「電気代が気になるなら、一番電気を消費する冷蔵庫を新しく買い替えましょう」と聞いたことがあるので、10年以上も使っていることが、少々気にはなっていた。

 まだ使えるのかもしれないね、でもゴメンナサイね。明日新しい冷蔵庫がやってくる。中身を全部出して、クーラーボックスに入れなければ。

 今の冷蔵庫は、新品のが届くのと引き換えに業者が明日引き取る。リサイクルに出されるのは分かっているのだが、埃だらけなのも運ぶ業者さんに悪いし、どうかと思い、少しお掃除シートで拭いた。特にてっぺんは埃がたまっていた。

 椅子に乗って上辺を拭いていたら、何やらビニール袋が扉の上部分から外にはみ出していた。

 開けてみると、扉の最上段の棚には、亡き息子のモニラックシロップが新品のまま入っていて、その包みのビニール袋が顔を出していたことが分かった。シロップと、そして使い切りタイプの息子の目薬も、新古品状態で見つかった。

 どうしよう・・・息子の物となると、途端に手が止まる。今日はちょうど、18回目の月命日だしね。もう、1年半が経過していたとは。

 この冷蔵庫の扉に映る自分の姿を見て、息子はクルクル回って自分の尻尾を追いかけ始めたり、扉に向かって威嚇したりしていたことがあったなあ。

 またひとつ、息子の知っている物が家から無くなるんだなあ。

 息子が死んでから、こんなに大きな家具の変更は初めてかもしれない。こうやって、徐々に息子の見知らぬ家になっていくのだろうか。

 そんなことはないか。人間は変わらないんだしね。

 でも、息子が知らない家に住むとしたら、ちょっと嫌だ。ここも、今の冷蔵庫が来た前の家も、その前も、息子と一緒に暮らしていたんだものね。ずっと一緒だった。

 この家も、その前も、リノベーション工事中は仮住まいをする必要があったから、そこも数えると、結構引っ越ししてますね、息子さん。

 新しい家に移るたび、息子は念入りに点検をしていた。新しいルンバが来た時もそうだった。点検しすぎてルンバの箱が倒れ、びっくりして1メートルぐらいも飛んで逃げたっけ。

 そのびっくりぶりが、こちらにはびっくりだった。

 昼間ネットで見た、オリンピックのピクトグラムのパロディー「Nekonadenade」(開会式で話題 ピクトグラム「新競技」、SNSで続々(産経新聞) - Yahoo!ニュース)で息子を抱っこしたくてたまらない気持ちになっていたから、寂しい。月命日だし。 

 シロップと目薬、とりあえず判断は先送りして、そのまま次の冷蔵庫にもしばらく入れておくことになりそうだ。

 

扁平上皮癌になった愛猫を、天にお返しした⑪

息子が落としたガーベラの花

 オリンピックの東京2020大会が始まった。今年はもちろん2021年、周知のとおり、コロナ禍がなければ、本来ならこの大会は昨2020年に行われていたはずだった。

 息子と一緒に大会観戦をしようと、その前年に買い替えたテレビ。テレビ前にあるソファに今、息子は寝転がっているだろうか。夏だから、びろーんと全身思い切り伸び切って。

 いや、ソファじゃないな、床ですよ床。風の一番通る涼しい床に、お腹を見せて広がって寝ていると思う。

 こうやって書いている今も、姿が見えなくなった息子は一緒にいるはず。台風の風が吹き抜けた窓から外を見上げ、天を眺めていると信じたい。

 ちょっと先走るが、息子の火葬を済ませ、しばらく経った頃のこと。魂は一緒にいるんじゃないかと思い、おーい、と息子に呼び掛けてみたことがある。

 高校時代のクラスメートに霊感の強い人がいて「昔の飼い猫とか、普通に家の中を歩いているよ」と言うので、目を丸くしたことがあった。彼は家族みなが霊感が強いので、そんなものだと思っていたらしい。

 私は霊感など何もない。だけれどその話を思い出し、洗い物をしながら、リビングやベランダへと見通せるキッチンの小窓から、誰もいない(はずの)リビングに向かってこう言ってみた。

 「クロスケ、いるんでしょ? 何か、何でもいいから落としてみて。そしたらママもわかるから。やってみて」

 すぐには何も動かなかったので、そんなバカなお願いをしてもね・・・と思ったところ、しばらくしてガサッと変な音がした。

 見ると花瓶にあった花の中の紫のガーベラが1輪、不自然に花の根元から落ち、茎と葉が残っていた。花瓶は、息子のお骨を置いた棚の前にある、コーヒーテーブル上に置いてあった。

 そんな風に落ちたガーベラは、見たことが無かった。他の花は何ともないし、高さから言っても、クロスケがコーヒーテーブルに上って一心に鼻で小突いて落としたとしたら届く。花の中央も、不自然にばらけていた。

 人為的というか猫為的? それを見て、涙が噴き出た。

 「わかった、わかったよクロスケ。本当にいるんだね、ママ信じてるよ」ともう1度、リビングに向かって言った。声が響いた。

 今思えば、ちゃんと写真に撮っておけばよかった。秘密にしなければならないとでも思ったのか、何を考えたか、私は慌てて片付けてしまったのだった。なんでだ。

 これを書いている今日は7/27、ちょうど2年前の7月、息子は扁平上皮癌の発症が確認された。この日は、手術前の入院が始まっていた。手術できるかできないか、貧血の状況をにらんで人生で一番やきもきしたかもしれない微妙な時期だった。(1年前の7月、愛猫に扁平上皮癌が見つかった⑤ - 黒猫の額:ペットロス日記 (nekonohitai.tokyo)

 思い出すと、やりきれない。人生でまさに最悪の選択をしてしまった頃だと思うと。取り返しがつかない結果として、もう息子は天に帰り、いるとしても床で伸び切っている姿は見えず、抱っこもできなくなってしまった。

 この思考に陥ると、なかなか這い上がってこられない。

2020年1月を奇跡的に迎えた

 さて、前回⑩からの続きだ。手術から5か月が経ち、無理かもしれないと思った2020年への年越しを、息子は果たした。奇跡的だった。

 元旦には、朝4時からお通じもあり、ごはんもちゃんと5回食べている。お風呂マークがカレンダーに書いてあるので、新年でもあり、息子をお風呂に入れて、さっぱりさせたようだ。

 息子がまあまあ落ち着いていたからだと思うが、三が日に私はひとりで短時間外出し、その帰りに思いついて駅近くの神社に寄った。

 初詣というか、せっかく近くまで来たので息子のことをお願いしたかった。ところが、多過ぎる人が列を作って遠くまで並んでいたので、あきらめて境内を通り過ぎて帰ろうとした。

 その時、貼り出してあった年回りの表が目に入り、立ち止まって見て、気づいた。私も家族もクロスケも、3人ともが2019年は「八方塞の年」だったのだ。

 えええええ・・・今更気づいても。毎年のお札はいただいてお祀りするけれど、そこまで熱心でもなく、気づいていなかった。だから、八方除けのお祓いはしなかった。しまった、それでクロスケが家族の3人分を一身に背負ってしまったのかな・・・そう思って愕然とした。

 でも、もう八方塞の2019年は明けた。節分で年が切り替わるとしても、残るところあとひと月。「クロスケ、あと1か月頑張れば悪い年は終わるよ、頑張ろうね」と、帰って息子に話した。

息子が吐血➡点滴でV字回復

 2020年1月10日には、久しぶりにホメオパシー獣医を受診して、注射を打ってもらっている。内容は、何だったか・・・確か、癌が小さくできたらいいのに、と言ったらそれを打ってくれたように思う。ホメオパシーの薬は、説明が難しいしわからない。

 こちらに伺うには距離もあるので、息子をそこまで連れ出して受診できたということは、曲がりなりにも体調もそれなりに持っていたはず。体力を奪うので吐かせないように、便秘をさせないように気をつけて、毎日を過ごしていた。

 この頃、私は自分の布団をリビングに敷いて、夜はそこで寝るようになった。すると、顔を拭いたり薬を飲ませたりする私のことをどちらかというと避け気味だった息子なのに、私の腕枕で寝てくれるようになったのだった。

 これはうれしかった。人生初。「こんなに幸せなことがあるか」と手帳にはメモがある。

 このメモを書いた14日は、クロスケは4回もお通じがあり、うち2回は下痢気味だった。これには訳がある。2日前、便秘解消のために処方されていたモニラックシロップを、家族が間違えていっぺんに2cc与えてしまったのだった。多すぎる。

 青くなって、日曜日だったのでネットで相談できる獣医を探して聞いた。「Just Answer」というサイトで、「頻回少量の水分補給を」とのアドバイスだった。すぐには大事には至らなかったように見えたが、そのシロップの影響が、2日後の14日に出たらしかった。

 余計に体力を消耗させてしまったのではないかと、とても心配だった。

 関連は不明だが、15日朝、息子は大量に吐血した。鮮やかな赤い血で、口腔内の癌からの血なのか、それとも胃から吐いたものなのかわからなかった。すぐに出血は止まったようで、息子はいつもの澄ました顔を普通にしている。

 それでもこちらは「とうとう来る時が来たのか」と緊張した。この15日は昔実家で飼っていた猫の命日。その子は、私の腕の中で死んだのだった。それを思い出し「クロスケ、一緒に乗り越えよう!もうすぐ節分、八方塞も終わるよ」と言ったが、息子はポカンとしていた。

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2020/1/15 落ち着いて寝ているクロスケ

 心配だったので、翌16日は往診専門の獣医さんにお願いし、来ていただいた。

 前年夏の手術後、息子が退院したころに、抗生剤アモキクリアと下痢のバランスで苦労して、注射で2週間効く抗生剤コンべニアを打ちに来てもらっていた獣医さんだ。息子の在宅医療では、ゆくゆくはお世話になるだろうなとは考えていた。

 口の中をチェックしてもらったが、口内に出血点は見当たらないという。出血の仕方から、胃潰瘍ではないかと。鎮痛剤として飲ませているステロイドが関連するかもしれないと聞いて、使い過ぎたのかと心配になった。

 こちらの往診の獣医には、胃薬のガスター、吐き気止めのプリンペランとセレニア、抗生剤のビクタスの飲み薬を処方してもらった。また、息子は点滴もしてもらったのだが、ガスター注、プリンペラン注、セレニア注のほかに、抗生剤のエンロフロキサシン注、そして止血剤のアドナ注も入っていた。

 その時に、「お父さんお母さんがする方が、本人(猫)は気が楽にできて良いんですよ」と言われたものの、「素人がいきなり点滴なんかできるわけないよね」と内心では思っていた。

 息子は、元気を取り戻した。1月18日には「クロスケ、すごい食欲!!」とアンダーライン付きでメモが書いてある。薬が効き、まさにV字回復だった。

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食事中のクロスケ。口元に白く癌が見えるが、ここまで抑えられていた(2020/1/15)



 

扁平上皮癌になった愛猫を、天にお返しした⑩

2人の獣医さんに見守られ、持ち直した12月

 2019年11月30日から、鎮痛剤のメタカムに代わってステロイドを与えることになった。高齢猫である息子の腎臓が持つかどうか、心配だったからだったと思う。その変更は、手術を受けた動物クリニックのS先生も、ホメオパシー獣医も双方が賛同してそうなった。

 鎮痛剤がそんなに腎臓に負担だとは。腎臓の寿命がその個体の寿命を決めると、確かNHKスペシャル番組(タモリが出ていたような?)で見たような気がする。(探してみたら、ありました↓)

 高齢猫である息子の腎臓を気にして、麻酔の回数も決まってくるようだったし、それでなかなか踏み込んだ治療もできない場面もあって歯がゆかったことも正直あった。では、早々にステロイドにしちゃえばいいじゃん!という訳にもいかなかったんだろうけれど、未だにここら辺の判断が良く分かっていない。

 獣医さんならわかる、当たり前があるんだろうな・・・説明を受けたのかもしれないが、忘れてしまった。いや、もしかしたら、この頃はもう何を聞いてもそもそも頭に入らなかったのかもしれない。

 そのステロイド投与が始まったことで、11月末でお別れかと一時覚悟もした息子が、何のこと?と思うくらいに回復したのだった。緊張で目が見開きっぱなし、頭ガンガン、めまい発作でフラフラのハイパー状態だった飼い主も、ホッと肩の力が抜ける思いだった。

 例えば、「ステロイドのお陰で持ち直しています」とホメオパシー獣医に電話で報告した12/5は、息子クロスケは、ほたて貝柱や介護用メルミルなどの「カクテル流動食ごはん」を8回(0:20、4:00、8:30、13:10、15:20、17:05、18:50、21:25)も食べ、おしっこも9回、お通じも花丸付きを1回している。穏やかな1日で、うれしかった。

 11月から飲ませ始めていたホメオパシーの不思議な薬は、電話で病状などを伝えて追加を送ってもらうようになっていた。薬を出してもらったのは、11/21、12/5、12/17、2020年1/10、1/21、そして2/3。初診以外は息子は行く必要が無く、それが助かった。息子は病院に行くだけで毎回おもらししちゃうくらい怖い。久しぶりの初診でもそうだった。だから、できるなら行かせたくなかった。

 一方で、S先生の方を完全に切った訳ではなかった。

 ただ、もう息子クロスケを連れて行って受診させることはなかった。最後にS先生に診てもらったのは、たぶん11/16。その後は、ステロイドと、甲状腺機能亢進症のためのメルカゾールをS先生に出してもらい、家族が薬をもらいがてら、息子の様子を相談しに行っていた。

 11/30、12/6、12/13、12/28、そして2020年1/11の、S先生のクリニックの診療明細書が残っている。12/28にイーケプラを出してもらっているのは、おおむね穏やかに過ごせていた息子が12/17に久しぶりにてんかん発作を起こしたので、念のためお守りとしていただいた。

 その日、朝5:30に発作が起き、息子は失禁。床で大暴れ状態になり、見守るこちらも真っ青、メンタルダメージは大だった。

 が、慌てないよう自分に言い聞かせながら、指示通り息子が舌を噛まないように気をつけつつ、バスタオルでくるみ、落ち着くまで抱っこした。残っていたイーケプラとステロイドを与えて一安心・・・かと思いきや、また夜21:30にも発作が起きてしまった。

 朝の発作後、息子が落ち着いてからホメオパシー獣医に電話で相談、ホメオパシー薬を調整して送ってもらった。

 その発作が起きた12/17は、流動食ごはんも5回だけ。気づくと、12月上旬には7~9回はごはんをねだって食べていたのに、12/12の5回を境に減り、12/13は3回しか食べていなかったので、少し気を揉んでいた。

 もちろん無理には食べさせず、月末まで息子のごはんは毎日4~5回。量が減っても、ちゃんとコンスタントに食べてくれていることに感謝だった。

息子の清潔を保つには

 相変わらず、食べると周りにも自分にも盛大に撒き散らすことになるが、とはいえ息子も、食べ方が慣れてきているようだった。

 こちらも、ガーゼとボールに入れたお湯、そこに消毒スプレーも準備して待機、終わった頃合いを見計らってきれいに拭いた。

 息子は拭かれるのが嫌なんだろうなと思っていたが、例えば息子が食後に口を手で拭ってしまうと、ごはんが手先の毛の間で、毛も巻き込んで硬い固まりになって残る。通常の猫のように、自分の舌を自由に操って手先のごはんを舐め取れたらいいのだが、それが息子にはもうできない。

 その、体中のあちこちに残ったごはんは、息子にとって気持ちいいはずはなかった。

 ごはんが固まってしまったら、その部分を濡らして緩め、細かいコームでとかして除去しなければならない。その予防に、食後にはある程度、息子をせっせと拭いてしまわないと仕方なかった。

 あまりにもごはんがべったり付いていると、ガーゼで拭うぐらいでは間に合わない。毛の奥に押し込んでしまうだけになってしまう。そうすると、洗面器か大き目のボールにお湯を用意して、そこに両手を突っ込んでもらって洗うしかない。

 お風呂に入れられたら一番いいのだが・・・お湯とはいえ、冬場に手先を濡らされる息子は、不機嫌そうに一声「にゃー」と言う。文句は言いたいのだろうけれど、その実、気分は良さそうに見えた。

 口元右側の癌の再発部分は、残念ながらぷっくりと風船のように膨れてきていた。そのドームのように出てきた部分にも、ごはんがぱりぱりと張り付く。そこはお湯に浸したガーゼで丁寧にぬぐい、さらに消毒液のガーゼで慎重に拭いた。

ウルトラ隊員、クロスケ

 この頃はもう、瘦せた息子の体重を測ることもなかった。部屋の中には、息子がどこでもすぐに横になれるようにあちこちに猫ベッドらしきものをしつらえた。少なくとも6カ所。他に人間用のソファや座椅子、座布団もあったので、そこでも横になれた。

 痩せた息子がどこで横になっても痛くないようにしようと、猫用の半纏やら洋服をペットのコジマで買ってきて着せた。サイズを合わせたり、ヒモの代わりに着脱しやすいようにマジックテープを付けたり工夫した。

 ごはんで汚れるたび、息子はお着替えだ。「何を着ても可愛いな、うちの息子は」と愛おしくて仕方なかった。

 ちょうど12月、冬用のペット服は厚みがあっていい。ただ、ある服は長さはちょうどいいのだけれども横のサイズがぶかぶか。ちょうど背骨のあたりに沿ってつまむ形で縫ったところ、元々の生地の感じも手伝って、なんだかウルトラマンに出てくる隊員の衣装みたいに見えた。

 窓際に置いた座布団に座り空を見上げることの増えた息子が、そのウルトラ隊員の衣装もどきを着て外を一心に見ていると、空にいる仲間と交信しているようにも見えた。

 そんな様子を見るとたまらない。駆け寄って「そろそろお空に帰っちゃうの? もうちょっと待ってよね、クロスケ」と交信の邪魔をすること数回。竹取物語で月に帰ると言うかぐや姫を引き留める翁のようだ。

 そして、こちらを無言で見返すウルトラ隊員もどきの息子。任務を邪魔しないでくれと言わんばかりで、かぐや姫のように日ごとに気高さが増しているようだった。

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てんかん発作が起きた日、日課の窓から外を見る。雪だるま模様のちゃんちゃんこを着て(2019/12/17)

 

扁平上皮癌になった愛猫を、天にお返しした⑨

息子のジューサー

 この6月で、息子クロスケは20歳になるはずだった。猫の20歳。超えたら化け猫「猫又」になるんだったっけ?尻尾が2つに裂けて(痛そう!)、話ができるようになるんだったか。猫又になった息子とは、是非とも喋りたかったな・・・「子離れしろ」と一喝されただろうけど。

 今日、息子の流動食を毎日作っていたジューサーで、バナナスムージーを作った。バナナを凍らせておいて、豆乳を流し込み、スイッチを入れる。ボトルからスムージーを飲み終えたら、ボトルやブレンダーの刃がついている部分を洗う。そうそう、穴に串の先端を入れてパッキンを外して洗わないといけなかったよね・・・。

 こういった一連の簡単な動作が、息子専用の道具などに触れると、今もぎくしゃくする。今日も最初は何ともなく行けるかと思ったが、途中から涙をこらえながらになった。「ごはんー、ごはんー」と足元で催促する息子の姿がパッとたちどころに浮かぶからだ。

 元々は、家族の野菜不足を補うために買ったジューサーだった。そのボトルのまま、フタだけ取り換えて仕事にも持って行ける小ぶりなサイズ。色もビタミンカラーで可愛いし、いちいちバーミックスを出す必要が無く、重宝していた。それが、サイズ的にピッタリでもあり、いつの間にかクロスケのごはん専用になっていたのだった。

 昨日も、ちょっとココナッツオイルを入れる小さめなガラスの器が必要だなと考えて食器棚から手に取ったのは、息子の薬をいつも溶いていた器だった。そこでまた、しばし立ち尽くすことになった。

 家の中はあちこち息子の痕跡だらけ。昨年2月に息子が死に、気づいたら世の中はコロナ。家で仕事をしながらの引きこもり生活が1年以上も続き、ずっと息子三昧だ。なんと幸せなことか。

闘病生活、後半戦

 2019年10月末、1センチ×1センチの扁平上皮癌の局所再発が確認されたとき、息子の肝機能の数値は、意外にも半月前よりもかなり改善していた。10/15に231.0だったGPTは101.0と半分以下、GOTは56.0➡ 34.0と正常値になり、ALPは234.0➡ 194.0とまだ高いながらも大幅減。S先生が考えたのは、その回復の流れに乗っての、11月上旬のセンダイウイルス治療の導入だったのだろう、きっと。 

 そこで私が踏ん張れなかったのは、前述の通りだ。いや、むしろここまで検査結果が改善しているのだから回復をしていると考えて、「センダイウイルス治療で無理をさせなくても、紅豆杉だけでも行けるのでは」と思ったのかもしれない・・・よく覚えてない。

 手元に取ってある息子クロスケの血液検査結果は、この10/29のものが最後。息子が泣こうが喚こうが、センダイウイルスを続けて注射していたら?もっと良い検査結果を見ることができたのだろうか。

 ウイルス治療を諦めてすぐの11/10は、息子クロスケの体調は良かったらしく、記録によるとお風呂に入れている。猫タワーにも登ったと書いてある。息子は、トイレの後に自分でお尻を舐め、きれいにもしたらしい。家族の字でそう書いてあった。

 これは、下顎半分を手術で失って、いきなり方向性の定まらなくなった舌を操る必要が出てきた息子にしては、すごいことだった。舐めたいところが舐められなくなっていたから、ストレスがたまっていたはず。それが、とうとう狙い通りにできるようになっていた。すごいよ息子。

 この頃は、少しずつ2~3時間おきに流動食を与えていて、日付をまたいだ午前2時とか3時ごろまでは夜型の私が、その後は早起きの家族が5時とか6時の息子の求めに応じてごはんを用意していた。トイレもちょっとずつ、ちょこちょこ行っては「出たよ~出たよ~」と本人からその都度のお知らせがあり、また吐きやすいのでその始末もしなければならない。息子も大変だったが、世話をする側も寝不足が続いた。

 11/12~14には、少しではあったのだけれど、口から出血。どこから血が出ているのかわからないのが不気味だったが、癌部分からの出血ということも今後はあるだろうと覚悟しなければならないとは思っていた。

 15日からは血が止まり、落ち着いた5日間が過ぎたが・・・私のめまい発作が再発してしまった。23日には合唱の公演本番も控えていたので週末は毎週練習があり、12月2日には大事な仕事のミーティングもあったため、準備もあった。

 息子に毎日与えていた鎮痛剤のメタカムを1日おきに与えることになったのは、11/21。あまり痛くなさそうで、要らないようなら消化器症状やそろそろ限界が来るかもしれない腎臓との兼ね合いで、漫然と与えず様子を見ていこうとホメオパシー獣医と話をしたのだったと思う。

 23日の様子については当時、ブログにこう書いていた。(猫と3人(匹)での結婚記念日 - 黒猫の額:ペットロス日記 (nekonohitai.tokyo)

 (息子が猫型でなく)人間型だったら・・・。18歳と半年で見送る心の準備をしなくても良かったのにな・・・。

 ホメオパシー獣医に飼い猫を連れていってから2週間が過ぎた。2週間程度で腎臓に限界が来るかもしれないとの話だったので、少しヨタついて歩く後ろ姿にも、身構えてしまう。

 でも、とにかく生きてくれている。がんも、表立ってはひどくなっていないというか、見た目の変化はない。私たちの29周年は、おだやかによく食べて一緒にいてくれている。口回りや手についた食べこぼしを拭きとると、相変わらず威勢よくシャー!!と怒ってくる。

 食べてよく寝る、かわいい我が猫型息子だ。

11月末、弱っていく息子

 息子は嫌いなメルカゾールが朝晩の計2錠ではなくて1回1錠だけに減らされて、一時はマックスだったこちらに対する怒りの感情も薄れ、穏やかな表情も見せるようになっていた。しかし、落ち着いていたように見えた息子が、実は徐々に弱っていたらしい。

 メルカゾールを半減させてしまったことで、引き換えに確実に体力が消耗したのかもしれなかった。1日当たり9回前後も少しずつのごはんを食べる元気はまだあったが、24日と27日の夜に吐いた息子は、30日には見るからに弱ってしまった。

 「クロスケは、もうダメかもしれない」と初めて思ったのはこの頃だった。自分もめまいで焦点が定まらずフラフラしているところに、息子を失うかもしれない恐怖。取り返しのつかない、張り裂けんばかりの気持ちで、12/2の仕事のミーティングも無理無理のところを頼み込んで、延期をお願いした。

 当然ながら先方には呆れられてしまい、仕事は流れ、信頼を完全に失うことになってしまった。が、どうしようもなかった。頭の中は涙で詰まり、判断力は失われていた。

 その30日、獣医の指示でステロイドを与えた。おかげで、するすると手の平からこぼれ落ちそうだったクロスケの命は、一旦つなぎとめることができた。 

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横はぴったり、丈が足りない「隊員服」。背中にホカロン(2019/11/24)

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大好きな家族の膝で、とてもうれしそうなクロスケ (2019/11/24)

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ヨロヨロしながら何とか「買い物点検」職務を果たそうとする(2019/11/30)

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ダブルですごい日らしいです

 今年じゃなくて20年前だけど、亡き息子の誕生日(に設定している日)を祝ってもらってる感じがしちゃったなー。さすが息子だ。

扁平上皮癌になった愛猫を、天にお返しした⑧

ターニングポイント、ホメオパシー獣医へ

 前回⑦の、ウイルスによる癌治療の話が有望だと新聞でも取り上げられていた件がぐっさり胸に刺さってしまった上に、先週の月命日もあって、次がなかなか書けなかった。

 あのとき、せっかくS先生が提案してくださったセンダイウイルス治療を中断せずに続けていたら… これについて、家族は「あれが全てだった、息子のためにベストを尽くしたんだよ」と言った。

 もう時計の針は戻せない。このブログだって、こうやって過去をなぞって自分を責めるために書いているわけではない。

 少しずつトラウマに向き合い整理することによって自分の回復につながる部分はあるとは思うけれど、なぜ書いているかというと、不幸にして扁平上皮癌の猫さんを抱えてしまった飼い主さんが、多くの実例に触れることによってご自身なりの後悔のない判断をしてほしいからだ。

 息子クロスケのケースが、その実例のうちの1つになればと思ってのことだ。とても成功例とは言えないけれども、失敗例から他の飼い主さんたちが得るものもあるだろう。息子には、失敗しちゃってごめんねと謝るしかない。

 今も、納戸の奥にソファカバーやらファブリックを入れる大きなケース2つが並んで置いてあるが、息子クロスケは、その間に逃げ込んで出てこようとしなかった。そんなところに入っていくのだって既に息子は大変だったのに。今もありありとその姿が目に浮かぶ。

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2019/11/21 逃げ込んだ息子。私への不信感で一杯か

 もう注射されたくない、口元を拭かれたくない、もう嫌だ、ママなんかあっち行け、と全身で訴えていたあの後ろ姿。その姿を見て、9日のセンダイウイルス接種4回目をキャンセルしたのだった。

 ずっと息子を穏やかに送り出したいとは漠然と思っていたけれども、あの時がやはり具体的なターニングポイント。息子をできるだけ苦しまずに旅立たせてあげようと舵を切ったのが、2019年11月8日。その日、ホメオパシー獣医の下へ行ったのだった。

 その日のことは「猫の絶望(猫の絶望 - 黒猫の額:ペットロス日記 (nekonohitai.tokyo))」に書いた通りだ。

 読み返してみると、進行形で記録を残すことの大切さに今更ながら気づく。大切な息子に属する記憶だが、私にとってはトラウマ記憶でもあり自ずと忘れてしまいたいからか、あれほど鮮明だったはずの事柄も、薄れてきている。

 当時、色々と飲ませていた薬は2種を残して整理し、ホメオパシーなどの代替薬に移行しているのだが、残した薬は鎮痛剤のメタカムと甲状腺機能亢進症(人間だったらバゼドー病)を抑えるメルカゾールだったように思う。

 メルカゾールは、ここで半減させた。息子クロスケは、この薬が本当に苦手で飲み始めて数年来、毎回毎回ひどく抵抗していたので、息子の気持ちと穏やかな毎日を優先して回数を減らし、一日当たりの摂取量を半分にした。少しでも補えればと、缶詰のy/d缶(甲状腺疾患のための缶詰)は継続した。

 息子の体重減少に与えた影響を考えると、何よりもこのメルカゾールを半減させたことが大きかったのかもしれない。今になって気づいた。

 カレンダーに「11/8~」として残るメモには、ごはんの主力は「ciaoとりささみほたて貝柱」「y/d缶」「ちゅーる」、ここに「介護期用メルミル」も入る。これを息子の好物のほたてをベースに組み合わせて、ミキサーにかけて流動食にして与えた。

 けいれん発作止めのイーケプラは、11/12を最後に与えておらず、けいれん発作も以後はあまり起きていなかったと思う。ホメオパシーベラドンナに移行して問題なかったということだろうか。

 そのほかのホメオパシー類も、信じない人もいるかとは思うが、何を飲ませていたか念のために書き出しておく。

 マーキュリアス(Mercurius、口内潰瘍、歯肉炎など口の症状を抑える)とベラドンナBelladonna、急性症状に効く)を合わせたもの、プロテウス(Proteus、絶望的なストレスに対応)。これに、例の抗癌剤タキソールの原料になっている紅豆杉のエキス(!)、乳酸菌などの白いパウダーも出してもらった。

 紅豆杉のエキスは茶色の液体で、まさにお茶を煮詰めたようなもの。「あるんだ!」と少し驚いたのをおぼえている。市販の高価な人間用の錠剤を与える前に、こちらでエキス剤を出してもらっていたら良かった…。やはり、代替医療にも並行してかかるべきだったと思う。

 私のように既に自分で恩恵を受けていた人でないと、なかなか信頼を置くのは難しいかもしれないが、手術を受けさせるルートを経ずに、センダイウイルス治療➡並行して代替医療ホメオパシーと紅豆杉エキス、がクロスケにとってはベストな治療法だったなと今では思う。

 あのホメオパシー獣医さんには、全国から患者の犬猫が来ていると待合室で隣り合った人から聞いた。その話を聞いたのは、もう20年近く前。うちに来たばかりの赤ちゃんだった息子が猫白血病ウィルス陽性で1年持たないと近所の獣医で言われ、見捨てられたようで途方に暮れ、探し当てたのだった。おかげで息子は寛解した。

 その後、息子は5歳ごろ胃潰瘍で吐血し、死にかけて手術を受けたが(息子の真っ白な舌、今も忘れることができない)、その時も、手術を受ける傍ら、ホメオパシーを送り続けてもらった。おかげで19歳近くまで生きることができたのだったが、最後の最後でホメオパシー獣医に連れて行くのが遅れてしまったのが悔やまれる。

 手術を経ない方が経済的にも格段に安かっただろう。病歴のために保険に加入できていなかった息子が下顎切除手術とそれに伴う治療を繰り返し、私は自分の保険を1つ潰して支払った。出費は3桁に上った。

 出費を重ねてしまったが、代替医療を選ぶことは現代医学に見切りをつけること、イコール、息子の死への道筋を私が選んでしまうかに思え、死への運命が決定づけられてしまうような気がした。それで、踏み切れなかったのかもしれない。

 でも、思い違いだった。代替医療も現代医学も、どちらも活用すればよかったのだ。その方が、よほど延命の可能性が逆にあったように思えてならない。

 まず、下顎を骨ごと大きく切除するなんてことはせず、表面に出ている腫瘍をちょこちょこ切除する手法を選択、息子の自力で癌と戦う力を温存する。センダイウイルス治療はトライする。並行してホメオパシーと紅豆杉エキスで治療する。痛み止めは現代医学のメタカムをしっかり与える。そうすれば、発症からここまでの3か月半、どれだけ息子が穏やかに過ごせたことだろうか。

 うまくいけば寛解して、今もおじいちゃん猫として私の傍らで寝ていたかもしれないな… 夢だ。

 

記念日反応

 2001年6月にうちの猫型息子は生まれた。日付は、はっきりはわからない。生きていたら、今年は20歳を迎えていたんだな・・・人間だったら超おじいちゃん。その死は、寿命を全う、大往生と形容されるお年頃だ。

 同じ年の6月8日、ある大きな事件が起き、知人の娘さんが死んだ。まだ7歳だった。

 「記念日反応」という言葉。知っている人は、最近多いかもしれない。記念日というと、結婚記念日とか良いイベントが起きた日を私はどうしても連想して座りが悪い気がしてしまうのだけれども、そうとも限らないのだと知ったのは、被害者支援を学んでからだった。

 ご遺族にとっては人生で最悪の、例えば子供が被害に遭って亡くなった日=ご命日が近づくと、個人差があるが、落ち着かない、やるせない気持ちが溢れてきてどうしようもなくなってしまったりする場合がある。それまで何とか日々を送れるように落ち着いていたのにもかかわらず、だ。そのご命日が「記念日反応」の記念日にあたる。

 予想のできる、病気という形で猫型の息子を死なせた私も、月命日の前後は毎月涙もろくなっている。頑張らないと、ボーっとしてしまう。これが突然の不慮の事故とか、通り魔的な事件に偶然巻き込まれて・・・となると、予想もできなかったことが起きてしまった結果なので、到底ご遺族も納得などできないし、悲嘆も深く、記念日反応に悩まされる方々も多い印象がある。

 6月8日は、そんな日だ。多くのご遺族が長年苦しんできた日だろうと思う。

 20年前は、大阪教育大付属池田小事件が起きて、8人の小学生が犠牲になった。切りつけられて傷を負った子も、怪我は追わずに逃げた子も、どちらも心には大きな傷を抱えて20年間を生きてきたのだろうと思う。既に20代の後半にもなっている、その人たちにとっても、記念日反応が起きる日なのではないだろうか。

 きっと彼らの周囲の人たちにとっても、そうだろう。被害者が1人出ると、周りには同心円状に影響を及ぼすものだ。「被害者はひとりではない」と言われる所以だ。

 池田小事件については、報道で事件を知った人間であったとしても、あの事件のショックは簡単に思い出せる。今も被害に遭った子たちの、あったはずの人生を想い、涙も出る。程度の差はあれ、日本の社会で多くの人たちが心に何らかの傷を負った日なのかもしれない。

 そして・・・あろうことか、その社会の負った傷をあえて広げて塩を塗り込むようなことをした人間もいた。池田小事件の犯人・Tに憧れて、7年後の2008年、同じ6月8日に秋葉原で事件を起こしたK。

 この日は、本当に悲しい日になった。この日が近づくと、また何か起きそうで怖い。記念日の罠に、まんまとやられている。

また、夢の息子話

 昨日か一昨日だったか、また亡き息子の夢を見た。チャンネルが合ってるのかな、うれしい。

 おぼえているのは、何やら昭和の香りのするアパート。外階段を上がると小豆色に壁やドアが塗られているのが見えて、その部屋の廊下に面した窓あたりから、息子の声が漏れ聞こえてくる。

 突然、隣人と思しき、マルちゃんのお母さんヘアの、人の良さそうなおばさんがニッコリ笑ってドアの前に立ち、「お待ちかねみたいですね」と声をかけてきた。猫好きの、良く知る人物だと、既に夢の中の私にはインプットされている。

 私は「そうですね」と彼女にほほ笑んで答え、部屋に入った。

 この人は誰かに似ていると、起きてからしばらく考えた。髪型は全然違うストレートだけれど、もしかしたら猫友さんのひとりじゃないかと思い当たった。

 さて、部屋の中は雑然としていた(すごく、片づけたい)。ドアを入って左方向を見ると、奥の畳の部屋が一段高くなっていて、その段の手前に息子のベッドがあり、息子が丸くなっていた。

 私を喜びの丸い目で見上げた息子は、おかえり!と言うように「ニャーン!」と飛びついてきて、私は丸々ふくふくとした息子を抱っこしてなでなで。至福の時だ。ずっとこうしたかったよ、クロスケ。もう1年以上、抱っこしてないなんて嘘だ。

 夢の中の私はそんな堪らない感情の一方で、そうではない平常の気持ちも並行して持ち合わせていた。至ってフラットに「待たせてごめんね」と息子には声をかけていたと思う。

 その時「この猫は息子クロスケだ」という確信が夢の中の私にはあったのだが、起きて現実に帰ると、クロスケにしてはかなり尻尾が長く、フサフサだった。全体的に体は大きくて、毛足も長毛種みたいにお尻のあたりがフワフワしていたなあと思う。ちゃんと真っ黒ではあったのだけれど。

 前回の夢の中のクロスケは、ブログに書いたかどうか忘れたが、実は金ぴかだった。全身、毛も何もかも、ヒゲも爪も豊臣秀吉好みの黄金で、何かバックにお日様をしょっているような光り輝き方だった。その時も、なぜか短毛種でなくて長毛種だった。

 それでも不思議なことに、夢の中の私は、その猫が息子のクロスケだと確信していた。なんでだ。

 出てくる家屋も、これまでも大抵サザエさんの家チックと言うか、アニメではなく現実的な物なのだけれども、そんな古い時代を感じさせる建物ばかり。昭和30年代かそれ以前ということになるのかな。私が生まれる前か。

 現在の人生の前にも息子と楽しい関係があったのなら、うれしい話だ。

 長々と、夢の話でした。また待ってるよ、クロスケ。会いに来てね。

扁平上皮癌になった愛猫を、天にお返しした⑦

センダイウイルスでの癌治療

 つい先日、朝日新聞の朝刊一面の記事にくぎ付けになった。「がん細胞をウイルス攻撃 治療薬承認へ 1年後生存率6倍」という見出しの記事だ。

 ウイルスを使ってがん細胞を破壊する治療薬が、承認される見通しになった。厚生労働省の専門部会が24日、製造販売の承認を了承した。臨床試験(治験)では標準治療と比べて1年後の生存率が6倍になるなどの延命効果が示された。がんに対するウイルス治療薬が承認されるのは国内で初めて。▼3面=遺伝子改変で「味方」…(がん細胞をウイルス攻撃、治療薬承認へ 1年後生存率、6倍:朝日新聞デジタル (asahi.com))2021年5月25日 5時00分

 無断転載・複製はダメとのことで引用しないが、記事には「がんウイルス療法のしくみのイメージ」という図もついていて、わかりやすい。がん細胞と正常細胞が対比され、そこにそれぞれ「数カ所の遺伝子を改変したウイルス」が注入される。

 その結果、正常細胞では「ウイルスは増殖できない」が、がん細胞では「ウイルスが増殖し、がん細胞を破壊」「周囲のがん細胞にウイルスが広がる」「がん細胞を次々に破壊」と図には書き込まれていた。

 この記事を読んで、ひどくうなだれている。後悔で胸がつかえる。息子が生きる可能性を私が摘んだのかもしれない、きっとそうだったと思うからだ。

 2019年10月29日、息子クロスケの右側口角のあたりにできた白く丸い病変は、S先生が扁平上皮癌の再発であると確認した。息子には、検査による下顎の骨折やそれに伴う内出血と貧血、患部の下顎半分を切り取る大手術、その後も残った下顎の牙を切り取る手術と、当初のこちらの思惑(できるだけ自然に、苦しくないように猫生を全うさせたい)とはまさに180度違い、本当に苦しい道程をフルコースで歩ませてしまった。

 それなのに、再発。すべての息子の苦労は水の泡、振出しに戻ってしまったと思った。

 この時点で、10月頭から与えていた紅豆杉の錠剤に含まれるキシリトールの弊害が出たらしかった(今思えば)。

 紅豆杉はお茶のまま与えられたら良かったのだが、錠剤に切り替えたことで息子の肝機能が落ち、癌に体力的に押し負けての再発だったのではなかろうか…このあたりは前述した。

 治療が振出しに戻り(といっても既に大きなダメージを心身ともに負った状態で戻るのはつらい)、もう手詰まりと見えた時、S先生に提案されたのが放射線治療、そしてセンダイウイルスでの治療だった。

 調べると、放射線治療は近くの大学病院施設で受けられるらしかった。しかし、猫の扁平上皮癌に放射線治療をしても、予後が良くない。何回も通わないといけないし、心身ともに疲弊している息子に放射線治療を受けさせても結果が望めないのだったら空しい。

 苦しく怖い思いを、今度こそ息子にさせたくなかった。

 それに、麻酔がネックだった。放射線を当てるたびに麻酔はかけなければならないだろうし、そうすると、息子の腎臓が持たないかもしれなかった。

 もう1つの選択肢のセンダイウイルスでの治療は、初めて聞くものだった。仙台市東北大学に関係するのでセンダイウイルスなのだそうだ。そのウイルスが癌細胞を破壊するとの説明を聞いたように思う。

 ウイルスを取り寄せて、S先生がクロスケに注射をするのだったら、まだ息子も我慢してくれるかな…と思い、その治療法を試すことにしたのだった。

 センダイウイルスについては、こちらの2007年の論文(virus57-1_029-036.pdf (umin.jp))によると、実験段階では脳腫瘍やメラノーマの難治性の癌でも「癌細胞の退縮と生存期間の延長が認められた」「治療用遺伝子を搭載していないセンダイウイルスベクターで活性化した樹状細胞を用いても抗腫瘍効果が示され」たとか。

 現在の大阪大学呼吸器外科の臨床研究のサイト(大阪大学呼吸器外科|一般外来の方|悪性胸膜中皮腫に対するGEN0101療法 (osaka-u.ac.jp))にも、このように書かれている。今も治験の参加患者を募集しているようだ。

大阪大学では、新たな癌治療の方法の開発を行っており、細胞融合をおこすウイルスのひとつであるセンダイウイルスを不活性化して作られたGEN0101による癌治療もその一つです。GEN0101は人体内でウイルスの再活性化や増殖をせず、免疫活性作用によりインターフェロンという物質の産生を通じて抗腫瘍効果を有する事が基礎的研究で明らかにされています。現在、悪性黒色腫前立腺癌において研究が進められています。私たちはGEN0101を、その他の治療の難しい悪性腫瘍へ応用することを目指しております。

 ググればすぐに出てくるこういった事柄も、実は当時、よくは調べていなかった。

 息子の癌再発の事実に、圧倒されていたのかもなぁ…ちゃんと調べる気持ちの余裕が無かった。もっとよくよく検討しておけばよかったと、冒頭の朝日新聞の記事を見て、後悔する気持ちがまた大きく湧き上がった。

 記事のケースは、センダイウイルスではなくてヘルペスウイルスを使っているらしいが。

 センダイウイルス治療では、1クール6回、患部にウイルスを注入する。結局耐えられず、息子の場合は半分の3回でストップした。

 11/2、11/5、11/7は接種し、その後の予約はキャンセル。残りのウイルスは無駄になったと思うが、接種希望のケースがあればお譲りするのでそうしてほしいとS先生には伝えた。

 その頃の話は、当時のブログ(猫の絶望 - 黒猫の額:ペットロス日記 (nekonohitai.tokyo))で書いた。結局、情けないことにへこたれたのは私。息子の様子を見てられなかったんだと思う。心を鬼に、センダイウイルスで踏ん張るべきだった。

 もしもセンダイウイルス治療を、初めて扁平上皮癌らしいできものが見つかった2019年7月に、手術を経ずに選べていたら、1クールどころか3クールぐらいは実施できたかもしれない。まだ、息子のダメージはほとんどなかったのだから。

 タラレバの話だ。空しい。

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2019/11/15 キッチン前の作業台下にある息子専用「待合室」。ごはんを待つ場所だった

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口を拭かれるのが嫌で、お尻を向けて入るようになった

 

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扁平上皮癌になった愛猫を、天にお返しした⑥

息子が急にけいれん、家族はパニック

 2019年10月20日の夜、1週間後に市の音楽祭の舞台を控えていたので、家族に息子クロスケを任せて私はコーラスの練習に外出していた。

 その日、主に練習していたのは日本の作曲家の手によるレクイエム(鎮魂歌)。「息子が闘病している時に縁起でもない、できれば歌いたくない」気分だった。

 モーツァルトが死の間際に作曲を依頼され、死を引き寄せたようにも言われたのがレクイエムだったから、それは困る!うちは治るんだから!と内心思っていた。

 癌は取り切れていなかった。だけれど「紅豆杉」が治してくれる、治さないまでも、少なくともネットで見た扁平上皮癌になった猫の顔面が癌で浸食され崩される惨状ではなくて、せめて息子が苦しくないような良い形に収めてくれるのが紅豆杉だと、信じたかった。

 10月15日に、口元にうっすら「白い丸」が見つかっていたんだけれどもね…。

 コーラス練習中の20日午後7時20分頃だったか。家族からスマホに連絡がきた。涙声で「クロスケが死んじゃう、死んじゃうよ」と繰り返し言っていた。

 努めて冷静に、廊下に出て詳細を聞こうとしたが、とにかく家族は興奮していて息子が激しくけいれんしていることしかわからなかった。

 タクシーを呼んで、夜間救急で以前お世話になったところに急げと言ったら、タクシーの呼び方がわからない(!)と言う。完全にパニック。こちらでタクシーは手配する、私も行くからね、とにかく頑張ってクロスケを連れて行ってほしいと頼んだ。

 後から聞くと、私が顔面蒼白で急に廊下に出て行ったので、ああ、クロスケちゃんに何かあったのかな…と、練習に出ていたメンバーの何人かは思ったのだそうだ。息子が闘病中だということは、コーラスの場でその方たちに伝えてあったから、私を目で見送りつつ、歌っていたそうだ。

 レクイエムの続く中、挨拶もそこそこに練習を辞した。タクシー1台を自宅に手配してから表の通りに出たところ、ちょうどラグビーワールドカップの日本戦が中継中で街は大騒ぎになっていた。

 パブリックビューイング画面に釘付けになっている人だかりの傍らを通り抜け、ようやくこちらもタクシーを捕まえ、少し距離のある動物救急センターに向かってもらった。

 日本の対戦相手はどこだったか、全然覚えていない。運転手がラグビーの試合画面をちらちら見ながら運転していたのは、はっきり覚えている。

 救急センターに着くと、息子クロスケは既に診てもらってケージに入れられていた。落ち着いている息子の顔に心底ホッとした。心臓がキュウと痛かった。

 何でも、迎えのタクシーに乗る頃にはけいれんも止まっていたそうだ。

 ナンでそれを教えてくれなかったのか、こちらは今まで生きた心地もしなかったのに…!と言ってしまったが、家族はあれだけパニックで、抱えた息子しか眼中になかったのだから、私を思い出さなくても仕方なかった。

 息子は朝まで入院することになった。夜間専門のセンターなので翌21日の朝6時までに迎えに来てくれというので、あまり眠らずに迎えに行くことになった。背に腹は代えられないので、帰宅もタクシー、翌朝の迎えもタクシー。

 車を手放していたので、息子の通院にはタクシーを頼るしかない。この頃は、予約の電話をすると「いつもありがとうございます」とオペレーターにお礼を言われるようになっていた。

 21日は夜9時20分と、そして4時間後の22日1時20分にも息子はけいれんを起こした。理由は分かっていなかった。とにかく息子が舌を嚙まないように、周りに頭などぶつけないように、インストラクション通りにタオルで大暴れする息子をくるんで抱え、じっと発作が通り過ぎるのを待った。息子がかわいそうでかわいそうで仕方なかった。

 22日は、今上天皇の即位礼の日で、祝日だった。私は音楽祭前の最後のコーラス練習が抜けられず、たぶん家族が息子を病院に連れて行ったのだと思うが、その日から、イーケプラという抗けいれん薬も、息子の飲み薬に加わった。

 息子の体重はその22日で3・1kg。その後4日間はけいれん発作もなく、ポタージュごはんもよく食べ、お通じもありで幸い落ち着いていたので、26日は発作などで色々と汚れた息子をお風呂に入れた。

 息子はニャーと一応怒りながらも気持ちよさそうだったが、体を拭いているときに、肩回りが前よりも骨ばったような気がした。

 27日は私の音楽祭の本番。その日と28日、息子は朝少し吐いたが、これは私が外出したことで、気になった息子が水をあまり飲まず便秘気味になったからかもしれない。

 カレンダーに書き込んだ記録を見ると、29日の体重は3・08㎏で、前週とあまり変わらない。けいれん発作は22日以降は見られないので、イーケプラも日に3回から2回へ減った。甲状腺機能亢進症の薬メルカゾールは1・5錠のままキープ、息子がずっと飲んでいる鎮痛剤メタカムとウルソはごはんに混ぜて与え、貧血改善のためのペットチニックが復活、こちらもごはんに5滴たらして日に2回与えることになった。

 ごはんは薬だらけだ。

 このまま穏やかに進行して欲しかったが…この29日、息子の口元にある「白く丸になっている部分」を確認して、S先生は「再発です」と言った。

 レクイエムが頭の中でぐるぐる回った。

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2019/10/21 お気に入りの布団の上で休息。口元が白い?

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2019/10/23 よく食べてくれることが救い

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扁平上皮癌になった愛猫を、天にお返しした⑤

佐川急便のおじさんに、ニャー!

 今日はスーパーの買い物や、ネットショップで買った荷物が届いた。

 コロナ禍で、当たり前のようにお願いするようになった、ドア前の置き配。その荷物を自宅内に運びながら、以前はいつもドアから息子が出て行かないよう&荷物を無事に運び入れる攻防戦が大変だったな、と思った。

 自然と、亡き息子がこちらを見上げて「ニャー!」と真顔で訴える様子が思い浮かぶ。張り切ってたよなー。

 息子はドアから出て行こうとするだけでなく(いざそうなったら、出ていくとは思えないのだけれど)、部屋に入ってくる荷物は必ず点検しないと気が済まなかった。

 ボクのごはんが届いた!と思って待ち構えていたのかもしれない。

 忙しく点検に出てきて、配達人のおじさん達にもあいさつの「ニャー!」は欠かさない。一声だけでなく、ニャーニャーニャーニャー、元気に話しかけ続ける。

 息子は「ママは頼りないから自分が出張っていく責任がある」と自認していたような雰囲気があり、威嚇していたのかもしれないけれど、特になじみの佐川急便のおじさんは「今日も可愛いねー、くろちゃん」とニコニコしていた。

 たぶん、エリザベスカラーも外れていたから、2019年10月以降だったと思う。手術を終えて下顎を半分失った息子が、以前のようにニャーニャーと、久しぶりにベッドから跳ね起きて佐川のおじさんに挨拶に出てきた。

 ちょっと心配だったけれど、息子は自分のミッションを果たそうとお構いなしだ。

 そうしたら、おじさんが「あれ?ペロペロがおかしいね、どうしたのくろちゃん…」と気づいて言い出した。

 息子の舌は、ペコちゃんのようにペロペロと口の向かって左側からよく見える状態だったので、佐川のおじさんもびっくりしたのだろう。早々に息子を抱きかかえて奥の息子ベッドに連れて行き、手術を受けたので…と言った。

 おじさんとクロスケが会ったのも、それが最後だったなあ。コロナのせいで置き配ばかりだし、おじさんとおしゃべりする機会はすっかりなくなった。猫好きだったらしい佐川のおじさんは、今もまだクロスケを心配しているかもしれない。

嵐の前の小康状態

 さて、先の「扁平上皮癌になった愛猫を、天にお返しした③」で2019年10月の話に先走ってしまっていたので、前回の④では少し戻って主に9月のどたばたを書く形になった。また、今回の⑤では10月の話に戻る。

 牙の手術も終えて、10月1日に首のチューブを抜去して「口からごはん」がスタートしたせいか、喉も潤って息子は唾液の塊を詰まらせることもなくなった。あとは便秘をさせないように、吐かせないようにと、毎日そろそろと注意深く進行していた。

 ごはんは流動食を毎日3~4時間おきに与えた。ジューサーが大活躍、カリカリ+カントリーロードの粉ミルク、ホタテの缶詰、これまた好きだった「健康缶」シリーズなどを混ぜてポタージュのようにして、食べさせた。

 もちろん、癌が再発しませんようにと毎日祈った。以前与えていた、抗癌剤タキソールの原料という「紅豆杉」も復活し、お茶ではなく錠剤を与えるようになっていた。お茶だと苦いから飲まないでしょう、と岐阜大の先生に言われたアレだ。

 後から指摘を受けて分かることだが、これはお茶の方が大正解だった。錠剤に入っているキシリトールが、人間には問題なくても、猫や犬の場合は肝臓に溜まって良くないのだとは知らなかった。

 チュールには、こっそり肝臓薬のウルソや紅豆杉の錠剤を潰して混ぜ与えた。甲状腺機能亢進症の治療薬メルカゾールは、マズ過ぎたのか混ぜたチュールまで拒否するので、液状にして注射器に入れ、口から朝晩注入した。

 息子は、いつも嫌がって口に入ると頭をプルプル振るので、ごめんごめんと言いながら2人がかりで与えていた。

 たぶん4,5年前からだったと思うが、甲状腺にしこりが見つかって息子は薬が必要になっていた。本当に長い間、息子はガマンして飲んでくれていたよなと思う。

 本来なら、ガリガリに痩せてしまった当時、天国に迎えられていた命だったのかもしれない。それを、人間の都合で無理やり長生きさせてきたようにも思う。でも、当時息子を見送るには、あまりに無理だった。

 10月15日、チューブを入れていた首脇の、2つ目の穴を縫い閉じた部分から抜糸した。その際の検査で、甲状腺の数値が悪く、メルカゾールを1・5倍に増やすことになった。

 今思えばたぶん、「紅豆杉」錠剤のキシリトールのせいで、肝臓の機能が悪くなって吸収しにくくなったせいだった。

 そして…切除した顎のすぐ横の口元に、なんとなく白くなっている丸いしこりが見つかってしまった。

 S先生は、まだわからないと言った。嫌でも「再発」の2文字が頭に浮かんだが、考えたくなかった。

 さらに5日後の10月20日、とんでもないことが起きてしまった。癌が、息子の脳に入り込んでしまったのかもしれなかった。

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2019/10/18 再発がわかる前。すっかり良くなったかのような…

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2019/10/18 食欲も旺盛。このまま元気になってほしかった


 

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「おちょやん」謝罪が引き出すカタルシス

 今回も敬称略で失礼します。NHK朝ドラの「おちょやん」が終わった。取ってつけたような格好つけで無理やりな終わり方ではなくて、本当に良い終わり方だった。「今ある人生、それがすべて」「生きるっちゅうのはホンマにしんどうて、おもろいな」と、朝ドラとしては「純と愛」には負けるけど、とてもしんどいヒロイン人生を歩んできた主人公・千代が最後の劇中劇で言うセリフ。亡き父母弟のテルヲ・サエ・ヨシヲの幻3人組を含む総出演のキャストだけじゃなく、そうだよねそうだよねと、視聴者も涙とともに最終回を見届けたと思う。

 物語の中で秀逸だったのは、何と言っても、継母・栗子が千代に花籠を贈り続けた「紫のバラの人」だったこと。これには堪らなかったな… 栗子が産んだ亡き妹・さくらの子、春子を守り育てる気持ちにも千代がなろうというもの。血のつながり云々ではない気持ちになると思う。栗子が大事に思う春子なんだもんね。

 この花籠エピソードは、さすが「半沢直樹」と同じ脚本家・八津弘幸だけあって、倍返し的なカタルシスがあった感がある。

 ヒロインが最初に家族を失うきっかけになったのが栗子だった。その栗子が…。陰ながら応援し続けていた証と言うべき花籠はもちろんそうなんだけれど、私はカタルシスのポイントは、栗子がまず、心からの謝罪をきっちり千代に対して表明していたことがあるんだと思う。

 その場で受け入れられなかったとしても、謝罪があるのとないのとでは大違い。ボディブローのように効いてくるはずで、マイナスをようやっとゼロに持ってこられるのかどうなのかは謝罪にかかっている。謝罪抜きでプラス要素の花籠を送っていた主が自分だったと栗子が明かしたとしても、何かモヤモヤが残り、視聴者の涙腺が決壊するまでの涙の和解までには至らなかったんじゃないか。花籠で気持ちはわかるだろうとか、何となく流しがちなところだが、うやむやは感動の敵なんだと思う。

 正直に言うと、「半沢直樹」については、話題になった香川照之の土下座についても、マウンティングゲームの一環の「無理やり頭を下げさせてやったぜ!」という勝利の凱歌にしか見えなくて、なんだかなあ、そんなに熱狂することかと思っていた。でも、今回の栗子の謝罪は毛色が違い、心から自然に頭を下げたものだったと見えた。

 灯子と一平もそうだ。まず、灯子は最初からまっすぐ頭を下げていた人として描かれていた。一平は、照れとか変なプライドとか言い訳が頭に渦巻いている感じがあったのがまたうまいなと思ったが、結局、灯子につられてという感も無きにしも非ずとはいえ、会いに来た千代に、心の中にあった後ろめたい気持ちを吐露し、頭を下げることができた。

 あれが灯子抜きの2人きりで会ってたらどうだったろう。一平は逆切れと言うか、悪態をついて終わったかもしれない。そうだとしたら、終幕であんなに晴れ晴れと「ほんまもんの喜劇を作っていく」との前向きな言葉を発することができただろうか。千代に謝罪することで、切り替えられたのは明らかだった。

 千代は、そういう心の底からの謝罪をストレートに表明されたからこそ、許しがたいことも受け入れて「だんない」と言えて、現実の人生を「これがすべて」と受け止めることができたんではないかと思う。波風立てず、何となくの有耶無耶では、皆が笑顔になることはできなかったと思う。

 離れて行った人と和解したいなら、やっぱり謝り上手にならなきゃね。

最悪の仇役は美形のふたり

 勝手なことを書いているが、私は途中で見るのを止めた時期があり、4月半ばくらいから復活した。いつも毒父テルヲが出てくるだけで気分が悪くなって横目で見るような状態だったのだけれど(別にトータス松本に罪はない)、特にほっしゃんと板尾創路がメインに回るパートは見たくなかった。板尾の性犯罪歴がちらついてしまって。

 念のためにさっきググってみたら、この俳優さん、反省してないみたい。最近も似たような不祥事を起こしていたんだね…吉本所属でよかったこと。こちらには良くないか。興ざめで、物語が入ってこなくて見てられなかったんですよ。

 ほっしゃんについては、スミマセン、演技は素晴らしいのだけれど、テルヲでお腹いっぱいのところ、ヒロインに絡んでくる面倒くさいおじさんの役回りがちょっともう消化不良で。ビジュアル的にも個人的にはアップの場面、引きでお願いしたかった。

 最近、ドラマにしろ報道(!)にしろスポーツにしろ、見るに耐えない人物アップの場面で「だめだわー、なんでこんなに寄ってアップにするの?こんなところまで見せないで」とか「顔の表情はどうでもいい、全体を見せて!」と、ひとりで怒ってる私を見て家族がよく笑っているけれど、やっぱりドラマで見る「美しい」俳優陣のアップは許せるというか…本能なんですかね、不思議ですよね。

 「おちょやん」の視聴を再開したのは、灯子が一平の子を宿してしまって千代が道頓堀を離れるあたりなんだけれども、そう、灯子役の小西はるは小西真奈美の娘かと思うような、それでいて凛とした芯を感じさせる美人さんで、一平役の成田凌は、さすがモデル出身の売れっ子俳優。まさに美男美女。だからこそ、ヒロインに人生最大最悪の痛打を与える悪役を演じていても「見てられない」とはならなかったんだろう。

 考えてみると、悪役敵役仇役って美人女優や二枚目俳優が演じるのが定番のような気がする。成田凌が今回は実生活でも「ひどい旦那だ」と周囲からいじられて「NHKさん、責任取って」と何かの番組でおどけて言ったらしいけれど、テレビ上のフィクションが実生活に滲ませる影響力を考えると、「ヒロインに対する敵役を演じる美しくない俳優陣」へのインパクトが目も当てられないことになりそう、つまりは「きっと本人の性格も悪いに違いない」と信じられてしまいそうで、自ずから悪影響を抑えられそうな美形俳優の方々が悪役には選ばれているのかも、と思うのだ。

 伊藤かずえなんて、性格も天使みたいだしあの美貌。だからこそ、ずっと悪役続きだったのかもしれない。

 きっと、小西はるも成田凌も、大河ドラマあたりで悪役イメージ払しょくのチャンスはすぐにもらえそう。そうでなければ、嫌だよね。

 とはいえ、二代目天海天海や灯子のモデルとなった2人を両親に持つ、三代目渋谷天外(撮影所の警備員役でしたよね)が出演していたり、事務所が資料提供をしていたり、天外本人が「親父を悪く描くなよ」とNHKに言ったとか言わないとか。そんなこともあったのかなかったのか、本当のヒロインの元夫は一平なんかよりももっともっと酷い夫だったらしいけれど、そのままなぞってしまったら「純と愛」を超える惨事になっただろう。朝ドラは適度に美しくしてもらった方がいい。

#おちょやん

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扁平上皮癌になった愛猫を、天にお返しした④

残る牙が上顎に刺さり、さらなる手術

 今、私は術後の亡き息子クロスケのために作った窓際の特別スペースに座椅子とコタツ(さすがに布団抜き)を置き、書斎のようにして、そこでこの文章を書いている。

 元々、窓際の角には息子のケージが置いてあった。その周辺に、50センチ四方のパネル式カーペット16枚を木の床の上に敷いた。息子スペースが底冷えしないように、だ。

 布団を4つ折りにして大判タオル等でくるんだ「ベッド」はこのスペースだけで2カ所作り、さらにケージの「1階」と、内側がボアでフワフワの△の形の猫ベッドも置いて中にタオル等を敷き、どこで息子がバッタリ寝ても大丈夫な体制。その窓に向かった一角がごはん置き場だった。

 ここに座っていると、かわいい息子の幻が見えるような気がする。

 思えば、7月31日の顎切除手術後の8,9月は息子も私たちも大変だった。前回書いた、10月1日に「口からごはん」に移行するまでには、いつも胃液を吐きやすい息子なのに、痰と言うか唾液の透明な塊が吐き出せなくて喉を詰まらせ、それを吸引して出してもらうのに大騒ぎした。

 喉の詰まりについては、「1年前の7月、愛猫に扁平上皮癌が見つかった⑤」でも触れたが、手術3日前の週末に「呼吸と意識レベルが下がっている」と急な連絡が来て、覚悟を決めて病院に向かったところ、息子は明らかに何かを喉に詰まらせていて、家族が口からずるずると芋づる式に透明な塊を引っ張り出し、それで息子は楽になった…ということがあった。

 あの時は、なんだー、びっくりした!と涙も引っ込んで喜びの方が勝ったものの、そんな簡単な処置もしてもらえないまま死ぬところだったじゃないか…と後から頭にきたのだった。

 後日、その話をしたので担当のS先生は息子の喉の詰まりを気にかけてくれるようになった。やはり、口からごはんを食べていないし、息子は下顎半分を失って口をちゃんと閉じられないから口も乾く。だから唾液が固まりやすいのかもしれなかった。

 いつもS先生は「あー、はいはい」と事もなげにあっという間に痰の吸引を済ませるのだが、S先生が不在でK先生に依頼すると、大仰な説明の上に手術並みの書類にサインを求められ、何万円も別に取られたことがあったなあ…。それで実際の吸引は別の先生が実施していたり。

 機会があるたびに私に妙な猫撫で声で安楽死の話をしたK先生は、息子クロスケはもう死んだものとでも思いたいらしく、何かを頼んでも本当にイヤイヤ、関わりたくない態度が目に余った。

 そのK先生に頼まなければならない事態に、残念ながら予想通り、なってしまった。

 専門医の手術によって息子の右下顎は無くなったが、残った半分の左下顎には、立派な牙がついたまま。そして驚いたが右下顎には何の再建もされなかったので、術後は右側の支えを失った左下顎が中央に向かってぶらぶらと変形するのだった。

 危ないよね、残った左下顎の牙がどう見ても上顎を傷つけてしまうのではないか、どうして手術の時に除いてくれなかったのか、残った左顎が右側に動かないようにしてくれなかったのは何故だろう、あれで大丈夫なんだろうか…等々と私は心配だった。

 そしてやっぱり… 8月20日の夕方17:40とカレンダーには記録があるが、クロスケが「あくん」と口を閉じた瞬間に目を見開いたのに気づいた。

 「痛ーい!」という表情に見えた。案の定、口から出血している。

 その日は、術後初めて大好物の「金のだしカップ」を口から与えたのだった。だから、息子も勢い込んで食べようとしたのかもしれなかった。傷をちゃんと確認したいが、息子は逃げようとするし術後の口を押さえて開くのも難しい。

 その後、何回か口から血が出たような気がしたのでS先生に口を診てもらったが、当初は傷が見つからず。ようやく上顎中央に大きな穴が開いているのが確認できたのは9月7日のことだった。

 首脇のカテーテル用の穴の膿み方が酷い頃で、カテーテルでの流動食投与も限界だろうから早く口からの食事ができるようにしてあげたくて、すぐに牙を取り除くようお願いした。

 その病院で歯科の専門は、K先生だ。頼みのS先生は内科だったと思う。S先生が頑張って頼んでくださり、K先生による息子の左下顎の牙を削る手術は9月10日に行われた。朝9時に預け、夕方6時に迎えに行った。K先生は朝も夕も姿を見せず、S先生が説明してくれた。

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2019/9/10 牙を削る手術後、帰宅してバッタリ。お疲れさま!

 術後の傷を守るため、息子はまたまた大きなエリザベスカラーを着けなくてはならない。翌11日には口から食べようとするも、痛いらしい。無理もない。でも、口から食べることを忘れていないのがうれしかった。

 13日からまた頻繁に呼吸困難が始まり、日に1度はゼイゼイ詰まらせて苦しんでいる。カレンダーにはいつもの「吐」に加えて「呼吸困難」と赤いマーカーの文字が連日並ぶようになり、たまらず19日に吸引をしてもらった。

 この日が確か、K先生が書類にサインを求めてきた日だ。K先生は、息子の吸引もせずにそのまま帰すつもりで言いくるめようとしてきたので、それでは困る、死んでしまう、吸引してくれと強く頼んだところ、K先生の剣幕はすごかった。

 しかし、頑張って良かった。吸引を経て翌日には息子の呼吸は楽になり、全体的に落ち着いた。「獣医の先生が言うのだから」と遠慮してはいけない場面だったと、息子を撫でながら自分を奮い立たせた。

 そもそも、K先生の言うままにバイオプシー(生検)を息子に受けさせてしまったのが運命の始まりだったと今も思う。

 検体を採取する際に患部の右下顎を骨折させられ、そこから内出血が続いたせいで転げ落ちるように貧血が悪化。命をつなぐには、どうしたって顎の切除手術を受けさせざるを得なくなり、そして牙を残されてしまったことでの再手術。牙も取ってほしいこと、切除する右下顎の再建のことについて、せめて最初の手術の際に確認しておくべきだった。まさかこんな形にされてしまうとは。

 全部、私がK先生の言うままに流され、しっかりしなかったから息子に余計な苦しみを与える結果になってしまっていたのだった。ただただ、耐えている息子に申し訳なかった。

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2019/10/6 色々と難題を乗り越え、後は回復するだけと思っていた頃

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黒猫タクシー

 今年のGW、というか2年連続となったステイホーム週間が終わろうとしている。その間、愛する猫息子の月命日もあったり、いつもこの時期には息子のこたつを片付けてたなとか、今日みたいに暑くなれば壁際の床でひっくり返って半分持ち上げた足を壁に預けて寝てただろうなとか、いつも通りに息子のことを想う毎日だった。

 家にずっと引きこもっているから、余計に亡き息子を想い、姿を追ってしまう毎日。相変わらず、そこここをしゅるんと走り抜け、こちらを見上げる姿が見える気がする。

 いつも息子を想い続けているのは家族も同じようだ。ちょうど夕刊に、江戸時代にあった子どもの生まれ変わりの不思議伝説の記事が載っていて、近隣に生まれ変わった息子が亡くなった息子にそっくりで元の親も喜んだとの話だったので、読んで羨ましくなった私は「クロスケ、いつでも帰っておいで」と、つい口にした。

 それが聞こえた家族。息子クロスケは帰ってこなくてもいい、次に会うのは天国でいいと言う。帰ってきた息子を、再度見送ることになるなら、それにまた耐えられるとは思わないからだそうだ。

 そうだよね・・・息子が死んでいた朝の姿が一気に思い浮かんで、ダメだ、私も耐えられないと一瞬思った。でも、でもどうなんだろう。もう抱っこできなくなって1年3か月・・・やっぱりすぐにも会いたい。生まれ変わってでも帰ってきてくれるなら、私は喜んで迎えたいと思い直した。

 感じ方は、人それぞれ。私と同様、亡き息子に心が占領されたままの家族であっても、違って当たり前だ。

 そんな家族が、最近とうとう使えなくなってしまった我が家のプリンターを買い替えるために、近くのコジマへ歩いて出かけて行った。近くと言っても、徒歩では20分ぐらいはかかる。車を手放して、自転車も処分してしまった我が家は、歩くしかない。確か、息子の月命日の前日だった。

 すぐに買い替えてしまわないと、連休明けの仕事に支障が出るので困る。コロナが怖いが、今のうちに行くしかないと、ひとりで家族は出て行った。店頭からビデオ通話が来て私とあれこれ相談。少し予算オーバーのプリンターなら在庫があるらしいとのことで、仕方ないからとそれを買うことに決めた。

 それからすぐに帰ってきたが、プリンターが無い。手ぶらだ。

 なんでも、そのプリンターは取っておいてもらってあるが、無料で下取りしてもらうために壊れた方を今から持って行くのだと言う。時間は11時頃になっていた。

 「え?もう時間ないけど大丈夫?1時から仕事だったらギリギリじゃないの?」と聞いたが、「だから大急ぎで行ってくる」と言って、慌ててイケアの青い袋にプリンターを突っ込んで、それを抱えて出て行った。「配送してもらえばよかったじゃない」と言ったら、2200円はかかるのだとか。予算はオーバーしてるし、微妙にもったいないか。

 気を揉んで昼食を用意しつつ待つことしばらくして、家族は笑顔で新しいプリンターと共に帰ってきた。思っていたよりも早い帰宅だ。

 行きは仕事に間に合わせようとアドレナリンが出ていたこともあり、重かったけれども何とか着いた。店側も、取り置いてくれていたプリンターをいつでも運べるように、包みに取っ手などを付けて用意してくれていたそうだ。

 しかし、ホッとしての帰り道。重いプリンター入りの箱を再度抱えて歩き出してみると、以前手術を受けた鼠径ヘルニアの治療痕が痛みだし、慌てていたから普段から抑えるために使っていた腰痛ベルトも着け忘れていたことに「そういえば」と気づいた家族。「これはまずい、どうしよう」とタクシーを探したが、コジマのある大通りで待ってみても、まったく来ない。

 諦めて、痛みに耐えつつ大通りから自宅方向の道に入ってプリンターを抱えて歩き出したところ、すぐの交差点に1台だけ停まっていたのが黒いタクシーだったそうだ。変な話だが、家族は、その黒いタクシーが最初に目に入った時に黒猫の息子だと感じたのだと言う。

 手を挙げて、「近いけどいいですか」と聞いたところ、若い運転手はにこやかに「いいですよ」と言ってくれたんだとか。ものの数分で着いてしまったので、ろくに会話もせずに降車することになった。

 映画「となりのトトロ」の猫バスならぬ猫タクシー。近隣では最近よく見る黒いタクシーはボックスタイプばかりだから、あまり見かけなくなったセダンタイプの黒塗り車両が忽然と目の前に出現し、息子が自分を助けに来てくれたように感じたんだそうだ。

 そうかもね、パパっ子だったしね。いいなあ、いいなあ。私も乗りたい猫タクシー。乗って毛艶ツヤツヤの息子をなでに行きたいものだ。

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