黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

「カムカム」似て非なる懐かしき70年代

同い年の「ひなた」に自分を重ねた

 朝ドラ「カムカムエヴリバディ」第14週が終わった。懐かしの「およげたいやきくん」大ヒットのあおりを受け、回転焼きの売り上げが落ちたのを2代目ヒロイン「るい」が悩んでいたが、時代劇好きに育った3代目ヒロイン「ひなた」10歳は、裕福ではないながらも昭和の商店街でほのぼの平穏に子ども時代を過ごしていた。

 ひなたと同い年の私は、夏休みの宿題をためて遊びまわっていた彼女が、まるで自分の姿を見るようで懐かしかった。

 私は悪いことに年々ラスト1週間まで追い込まれないとエンジンがかからないようになり、小学生なのに最終日は徹夜。9月1日の始業式では「死ぬんじゃないか」と思うほどフラフラだった。

 ひなたのように、誰かに手伝ってもらえる人望は残念ながらなかった。自分でやるしかないと思ってもいたし。

 時代劇もあの頃見ていた。夕方帰宅すると「水戸黄門」がよく放送されていて、ピアノを練習しながら横目でテレビを見ていた。西郷輝彦と松坂慶子が出演していた「江戸を斬る」がカッコ良かったが、大河ドラマ「風と雲と虹と」以来の加藤剛ファンだったので、「大岡越前」も好きだった。

 小学生にして歴史読本を愛読し、剣道も習っていた。侍を意識するひなたとは友達になれたかも。チャンバラには関心なかったけどな・・・。

ひなたの「ケガ」はアイキャッチ?

 さて、油断ならない藤本脚本。今週はドラマ中に不幸が訪れることはなく、朝から心がそうかき乱されなくて良かったが、1つ気になる仕掛けはあった。

 予告で「ひなたちゃんが!」というシーンがあり、(また不幸のオンパレード、波乱万丈ドラマが再開?)と実はゲンナリ。本編を見ると、大したケガじゃなく終わったが、こういうの、朝から本当に要らない。

 キャラを不幸に突き落とすのをためらわない脚本家だと「安子編」「るい編」と見てきて学習した。もう少し人の生死や災難をデリケートに扱える人に朝ドラの脚本は書いてほしいと思ってしまった。

 国民的なNHKの朝ドラなんだから、アイキャッチのように安易に子どものケガを扱わないでほしいのだ。

 その「ひなたちゃんのケガ」が仄めかされて、一瞬にして連想したのは; ガラス瓶が割れる➡ひなた大けが➡駆けつけようとした「るい」か錠一郎が交通事故に遭うとか、転んで流産するとか➡ひなたが責任を感じてトラウマを背負って生きていく➡見ている方もガックリ、みたいなことだった。

 これだけ視聴者側が身構える朝ドラって! ひなたのケガ騒動は、制作側は「るい」の額の傷のトラウマ浄化につなげて描きたかったのだろうけれど、「もう不幸はやめて」と悲鳴を上げている視聴者側のトラウマが刺激されてしまう。

 「ちかえもん」は最高に面白かった。でも、藤本有紀ドラマは、個人的には朝ドラではもうお腹いっぱい。人の生き死にが多少乱暴でも設定的にOKな時代劇で、今後は楽しませていただこうと思う。

ジョーのフラットな父に説得力

 さて、ひなたの傷は顔の傷じゃなかったと分かり、「るい」はひなたを抱いてさめざめと泣いた。小さい頃の自分自身を抱きしめて、自分に向けての涙のようだった。

 そう見えたのは、ひなたの実際の膝の傷を確認もしなかったから。「るい」は、相変わらず傷ついたかわいそうな宇宙人だ。娘のための涙のように見えて、ケガした娘そっちのけで自分のために泣く。

 そして、時代劇好きだからこそ「旗本退屈男」の「天下御免の向こう傷」みたいでカッコいい!と母に言えるひなた。(やっぱりそう来たか。)10歳にして、母を気遣えるひなたは良い子だ。

 しかし、描かれていないけれども、「るい」もちゃんとひなたに向き合い、傷の手当てをしたのだろう。そうじゃないと、ひなたがそのようには育たない。

 そんな親子の良い関係性を作ってきたのは、ジョーの力が大きいのだろう。ジョーが促して、ひなたに「るい」が謝るシーンから特に感じられた。きつく言ったのは、ひなたにしっかりしてほしかったから、お姉ちゃんになるんだからと、赤ちゃんができたことを告げる件。

 こうやって親に尊重されて謝られなどしたら、ひなたは良い子に育つだろう。

 「安子は家父長制の犠牲になった」との記事をネットで見たことがあったが、そうかな?と疑問に思っていた。

 このドラマは、「安子編」の当初から、家族に対して抑圧的で威張り腐っている父親の姿は描いていない。ヒロインたちも、その犠牲とはほど遠いように見える。

 段田安則が演じた雉真千吉は、当初ヒロイン安子と長男・稔との結婚に反対はしたが、結局は自分から縁結びをし、嫁となった安子にも思いやり深く、優しかった。

 安子が「家父長制の犠牲」だとするなら、まず稔とは結婚できないだろうし、稔の戦死後は勇と再婚だ。実家のために嫁が奔走するなど許されず、嫁いだからには雪衣が言ったように「家のことだけをするのが本当じゃろう」と一喝されるのが落ちだ。

 もちろん、現代の感覚から見れば安子を縛るものはあった。しかし、「おしん」の描いた世界は、忘れられたのだろうか。おしんが見たら、「まあ、なんて安子さんは奔放なお方で」と言うのでは。

 それを黙認していた仙人のような千吉さんが孫の「るい」にも優しかったことは、インスタントコーヒーの思い出の中に浮き彫りになっていた。

 安子の父・橘金太にしても、ちゃらんぽらんな息子(算太)に家父長的な態度は多少見せたものの、コチコチのわからずやの父ではなかった。

 そして、オダギリジョーの大月錠一郎。子育てをする親だって親としてはまだ10歳だと妻を慰めたり、「お父ちゃんでよかったら、話聞くで」と娘にフラットに言える、素晴らしい父親だ。

  現実の70年代は、叱るのが父親だと言わんばかりの時代だったと思う。テレビで有名な父親像はバカヤローと怒鳴ってばかりだった「寺内貫太郎」だったのでは。阿川佐和子の父のような人はゴロゴロいた。

 やっぱり、ドラマとはファンタジー。それをオダギリジョーが説得力をもって体現している。「10年間何も働いていなかったのか」との突っ込みもあるだろうけれど、いいなあ、あんな父ちゃん。

 ジョーが書き溜めた曲を、トミーが演奏してくれる未来が待っていないだろうか。

ひなたの誕生日

 長くなるけれど、第14週で気になったことを書いてみる。

 前述したように私はひなたの設定と同い年なので、クラスメートには、ひなたとバッチリ同じ生年月日(1965年4月4日)の女子がいた。

 3月3日の桃の節句、5月5日子どもの日に挟まれた4月4日が誕生日だと、どんなからかわれ方をしたかは簡単に想像できるだろう。

 現代的なLGBTQの観点からいかがなものかとNHKは考えるだろうから、ドラマではその点でひなたが男子からからかわれることは全くない。ひなたは「さむらい」の志を持つ者だし、元々は男女の中間を暗示する生まれの設定だったのだろうか?

 いやいや、それこそデリケートな話をイージーに盛り込み過ぎ、となったのかもしれない。

おばさん「るい」が穿くジーンズ

 それからキャラの服装。地域差もあり、私の思い込みもあるだろうけれど、同時代に生きてきたからこそ細々した事が気になる。

 ジョーのヒッピールックは楽しい。けれども、私の親世代の戦中生まれ「るい」が、しかもおとなしげなキャラなのに、スカートではなくてジーンズを穿いていることに気がつき、「あれ?」と気になった。

 時代的には、「るい」よりもう少し若い戦後生まれの若者なら、70年代にジーパンを穿いていても正解なのかも。それでも、不良っぽいおしゃれを気張ってしている特別感があったのでは。

 「るい」はこの頃は既に30代前半、当時の感覚ではもう若者ではなく、立派な「おばちゃん」だ。若者とは着るものが違う。男女の差も今よりも当然のように意識されていたと思うので、控えめな「るい」が、ジーンズを日常着として果たして穿いていたか。

 ヒッピー姿のジョーに引きずられ・・・唯一の理由はそれか。

 だけれど私が10歳の頃、「るい」とジョー世代の父母のジーンズ姿は記憶にない。同級生のおばちゃんたちも、軒並みワンピかスカートだった。

 父母が、ジーンズをおずおずと穿き始め、普段着に取り入れていったのはいつだったのだろう? 父がジーンズを穿き始めた頃「おお!お父さんジーンズじゃん」と口にしたら、父は少し恥ずかしげな表情を見せていた。

 しかし、明治期に男性が洋装を始めても長く女性が着物姿だったように、ジーンズを「おばさん」世代が普通に穿き始めるのには、男性よりもさらに長くかかったのでは。

 80年代半ば、私はジーンズショップでバイトをしていた。店長さんの奥さんは仕事柄ビシッとジーパンを穿きこなしていたが、それは例外。当時の母世代のおばさんは、来店しても自分のジーンズを買う人なんかほぼいない。目的は息子のジーンズを買うためだった。

 バイトの私に「ジーンズは締め付けるから、女の人には良くないんだよ」と説教するおばさんさえいた。

 地域的な違いもあるだろうが・・・70年代半ばに、関西の30過ぎの控えめなおばちゃんたちは日常的にジーンズを穿いていたのか?10年は早い気がする。

まるちゃんのスカート、なのか

 それから、気になったのは、ひなたの肩ひも付きのスカートだ。それって、ちびまる子ちゃんのイメージに引っ張られ過ぎでは?

 私のアルバムを見ても、肩ひも付きのスカートは保育園時代に穿いていた(しかも、ヒモはもっと細かった)。小学4年生の頃には肩ひも付きは古臭く、肩ひも無しのスカートが普通だった。

 ましてや、肩ひもが付いているズボンを穿いている女子なんか見たことない。お母さんの手作り設定なのだろうか。

 当時は、母親手作りの服を着ている子も、まだいた。そうか、「るい」が子どもっぽい肩ひもスカートを作り続けている設定なのかもしれない。それを、侍以外は眼中にない「ひなた」が、小学校4年生でも気にせず穿いているのか。

 しかし、何というアンバランス。流行の先端のジーンズを穿く母親が作るのは、古臭いデザインの肩ひも付きのスカート。「るい」という一人の人物の中で、ファッションへの姿勢が矛盾している。

来週は、嵐を呼ぶ算太が帰るのか

 ところで、モモケンは、高橋英樹の「桃太郎侍」がモデルなんだろうと思っていたが、来週(第15週)の予告を見たらモモケンがマツケンのように踊っていた。

 モモケンサンバには初代ヒロイン「安子」の失踪した兄・算太が絡むのかもしれない。彼はダンサーだった。マツケンの横で踊る振付師が算太のモデルになるのか。

 もしそうなら、ひなたは映画村に就職するようだから、自分の大伯父との接点もできるのかもしれない。

 算太が帰ってくるとして・・・渡米してしまった安子の「るい」への気持ちを知っていたのは算太だ。順当なところでは、回転焼きを食べて、あんこの味から気づくのか? それとも、荒物屋「あかにし」の清子さんが算太に気づき、安子の娘が「るい」だったとわかり、誤解がとけるとか?

  算太は「るい」の伯父さんだ。濱田岳が深津絵里の伯父さんに見えるか余計な心配だけれども、楽しみにしたい。

 そして、英語のラジオ講座もとうとう帰ってくる。「るい」に母・安子との幸せだった時間が、英語講座と共に記憶の底からよみがえってくるといい。

(敬称略)