黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました

これもグリーフの一種

月命日に、戦争と亡き息子を考えた

 もう何回目なんだろうか・・・2月4日で2回目の息子クロスケの命日だったのだから、月命日としては4月4日で26回目だった。

 朝、気づいたら既に家族が猫柄のお茶碗に、息子の好物だった焼かつおのおやつをほぐし、お供えしていた。いつもそうなのだが、特にこの日は家族といかに息子が完璧にかわいい猫だったかを話した。ふたりで猫バカ息子バカだから仕方ない。

 毎回、月命日には息子は「オール」することになっていて、水もおやつも一晩お供えしたままにする。ゆっくりおやつをエンジョイしてもらいたいからだ。

 被害者支援に関連してグリーフという深い悲嘆について学んだ時に、その悲しみのあり方は様々な形があることを知った。家族であっても正に人それぞれ。時間の経過によっても変化があるし。

 一瞬意外に思うかもしれないが、「ホッと安心すること」もグリーフに入っていた。でも、よくよく考えればむしろ「あるある」なのかもしれない。

 もし長く闘病していたら「もう痛くないね、苦しくないね」「もう自由になったね、どこにでも飛んで行けるね、良かった」という気持ち。相手の苦しみからの離脱を優先して考えれば、自分の勝手な願望などどうでもいい気持ちになる。痛みから逃れたと思えば、ホッとする。

 「自分の勝手な願望」と書いたのは・・・当然ながら、私の場合は今だって亡き愛猫を撫でたいし、膝に乗せて飽きるまで寝かせておきたい。猫又という猫のバケモノになってもさらにずっと長生きして、ギネス記録を塗り替えるぐらい傍に居てほしかった。それはヤマヤマなのだ。

 でもね、あそこまで頑張って闘病生活に耐えてくれたのだ。あれ以上のガマンはさせられない。今は安らかに天国にいるのだから、それが息子の幸せなのだ。

 ロシアによるウクライナ侵攻の最近の報道では、ロシア軍が撤退した後のキーウ近郊の被害が甚大で、市街地には民間人や動物ものべつ関係なく撃たれて遺体が残されていたと伝えられている。手足を縛られた子どもの遺体の話などは、目の当たりにしなくても聞いただけで心が張り裂けそうだ。

 ウクライナ情勢に何もできない西側諸国の反応に味を占めて、プーチンは何をしだすかわからない。日本の北海道だって危ないなどという話を聞くと、亡き息子は天国に行っていてくれて安心だったと思ったりする。

 まだ息子が生きていた時、客観的に見れば1匹の老猫である息子が、普通だとそう大事にはされない現実はわかっていたつもりだった。

 いくら私たち家族の一員で宝なんだと言い張ったとしても、よほど奇特な人でなければ、私たちと同じようには息子を大事にしてなどくれない。どうあがいても、人の命には敵わない存在でしかない。

 だから自分たちで守り抜くしかないのだけれど、2019年夏に口腔癌を発症して以降、カテーテルで首脇の穴に食事を注入するのも恐る恐るで、益々ガラスのように砕けやすく儚い存在になった息子を(今、東日本大震災クラスの災害に襲われたら、守り切れるのか)との思いは、常に頭を離れなかった。

 ニュースで見るウクライナから脱出してくる人たちの中に、ペットを大事そうに抱えている人をたまに目にする。ああ、良かったねと涙が出る。大事にされてるね。でも、現実には、多くの猫や犬は仕方なく取り残されているのではないだろうか・・・悲劇だ。ペットにも飼い主にも、地獄だ。

 そして、決して丈夫ではないどころかあちこちポンコツの自分の身を省みて、ペットリュックに息子を入れて、背負って逃げ出すにしても、やっぱり今だと息子を守り切れない➡あの癌の治療以上にひどい目に人間社会で遭わせる前に、息子は天国にお返ししておいて良かったのだと、自分を納得させている。

 夢に出てきてくれないかな、クロスケ。