黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【鎌倉殿の13人】実朝暗殺。義村の本心を知り、義時の闇が深まった

「聖なる儀式」の中、天使の実朝は天命に従う

 NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、11/27に三代将軍実朝の悲劇的最期を描く第45回「八幡宮の階段」を放送した。

 最近は主人公に同情たっぷりの家族に引きずられて見ていたせいか、物語は重かった~とにかく重かった。最後の心の拠り所・三浦平六義村にも殺されそうになったと知った我らのダークヒーロー北条義時の絶望。最後の方はもう人間味を完全に失ったロボット顔に変貌し、血の通わない無機物的な、故に迷いがあるはずがない顔になっていた。「かわいそうで仕方ない」と家族は同情しきりだ。

 さて、今回描かれた実朝暗殺。まずは源仲章が「寒いんだよ」と出色のセリフを吐いて絶命(生田斗真ホントに記憶に残る憎まれ演技が素晴らしかった)、そして公暁に対峙した三代将軍実朝は、「太郎のワガママ」として泰時に携帯を懇願された小刀を身に着けて右大臣拝賀式に臨んでいたことが分かった。

 実朝は、一時その小刀を取り出したものの、頭の中に響くおばばの「天命に逆らうな」の言葉の後、あえて左手から小刀を滑り落して公暁に向かって歩みを進め、ほほ笑んだようにも見えた。そして、うなずいた実朝は、公暁に袈裟懸けに斬られた。

 前44回で、公暁に対して涙ながらに謝罪していた実朝だもの、自分の考えが甘く、そんなことでは公暁に到底許されないのだと悟ったのだろう。それで命を差し出した。子どもっぽいけれど、清らかな光の中で生きてきた実朝はまるで天使のようだ。

 「天命に逆らうな」と言い回るおばば(大竹しのぶ演)は、厳しいはずの警備をかいくぐってあちこちに出没。朝時に認知症の徘徊扱いされていたけれど、超能力のありそうなおばばの生霊があっちこっちに出向いていたのかな。

もし実朝が生きていたら北条は終わり、六波羅幕府?

 今回はドラマ冒頭で、源仲章が「太刀は私が持つ。鎌倉殿のご命令だ。お主はもう用無しということだ」と義時に告げ、式典の名誉ある太刀持ちから義時は外された。

 頼家の死に関する北条の暗躍を知った実朝の慟哭を鑑みれば、実朝が義時を嫌って太刀持ちから外すのも自然なこと。義時は「鎌倉殿は私に憤っておられる。もし公暁殿が討ち損じたら、私は終わりだ」という見立ては正しかっただろう。

 もし公暁が襲撃に失敗して実朝が無事だったら。泰時が鎌倉武士らしく弓矢を使うことをちゃんと思い出して公暁を射ていたら(泰時は頼家に続き、将軍2代を目前で救えずに終わった。へなちょこ~)。何事もなく拝賀式が終わっていたらどうだっただろう。実朝を惜しむ気持ちから、アレコレ考えてしまう。

 北条を嫌悪するだろう実朝は、時を置かずに六波羅に幕府を移したかもしれない。源仲章の思い通りに幕府は乗っ取られて上皇に取り込まれ、泰時以外の北条の面々は鎌倉に置き去りになったのでは。

 しかし、北条を除くと実朝は同時に自らの基盤を危うくすることになるのではと前回ブログでは書いた。天使の実朝は公暁を憐れんで何とかしたいと頑張ったかもしれないが、どんなに頑張っても無力で頼仁親王の後に公暁を鎌倉殿(その頃は六波羅殿か)の座に付けることは難しかっただろう。

 この、実朝が鎌倉を捨てて六波羅に御所を移すことを望んでいたという話は、ドラマの中での完全なるフィクション?それとも、そういった意思を彼が持っていたことが何かの文書に残っているのだろうか。もしも三谷幸喜によるフィクションだというなら凄い。鎌倉最大のミステリーに対して、とても納得感のある解を提示したのではないか。

 そりゃ義時は、武士が坂東に取り残され北条が完全に干される六波羅行きなんか認めるわけない。よって、公暁の実朝襲撃に対して不作為でいるのもすごく分かる。

 実朝の辞世となった和歌「出でて去なば 主なき宿となりぬとも 軒端の梅よ 春を忘るな」も、通常は自分の死を悟った実朝が・・・と解釈されてきていたように思うが、「ちょっと待て、実朝君は自分の運命を予知できるのか?」と疑問が拭えなかった。それが、鎌倉を捨てるつもりで実朝がこの歌を詠んだのなら辻褄が合い、すんなり理解できる。物語の持っていき方がうまい。

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人間味が消え、ロボット味が増した義時

 義時はどんどんダークさを増し、今45回終わりでとうとう最終形態になったのではないだろうか。以前「義時は真っ黒な闇の張りぼてを被っているだけで、内側には昔のままの小四郎が生きている」と書いた。しかし今や、闇張りぼてに中身が吸収されつつあるように見える。内側の「小四郎」は、断末魔の悲痛な叫びをあげている。政子にはそれが届いただろうか。

 運慶と話をしていた義時は、目も虚ろで放心状態というか人間っぽさがほぼ失われていた。45回の冒頭ではそうでなかった。変化した小栗旬の表現がすごかった。虚ろに見開いた眼は焦点が微妙に合ってないような、ロボットのように無機物に近く見え、恐ろしかった。

 その最終的な変化を義時にもたらしたのは、三浦平六義村だったと思う。

 「公暁殿はどこに潜んでいる」「なぜ俺に聞く」「察しはついている」「では聞こう、それが分かっていながらお前はなぜ動かぬ」「思いは同じ・・・鎌倉殿は私に憤っておられる。もし公暁殿が討ち損じたら私は終わりだ」とオープニング前にふたりが会話した際には、義時は自分から義村の肩を叩いて話しかけ、丁々発止ながらもまだ一定の信頼が残る態度に見えた。

 オープニング後、泰時が「父上はここから動かぬよう。公暁殿は父上の命も狙っております」と告げた時、義時は無言だが右目がピクン。自分が狙われているとは知らなかった彼は、そこから頭の中ですぐに義村のことを考えただろう。

 実際に、太刀持ちを代わった仲章は、義時の身代わりに殺された。「笑えるな、お前の代わりに死んでくれた」と言って去った義村。「兄上は天に守られているのです」とフォローしたトキューサ。義時はここでも無言だったが、仲章の死体を見やりながら、義村への疑念はどす黒い積乱雲がムクムク湧いて成長するように頭の中で大きくなっていたことだろう。

 義時は、この物語の初回から平六義村に頼っていた。義村の方が史実では5歳程度年下らしいが、困ると「平六~」と幼なじみらしく甘えて知恵の回る平六に問題解決のヒントをもらっていた。

 畠山重忠や和田義盛も初回から登場していたお馴染みだったが、義村は義時にとっては別格の無二の友。一方、義村は頼朝が旗揚げする最初から「小四郎、すまん。参りましょう」と形ばかり謝って氾濫する川を渡らず帰ろうとしていたけれど。

 義村は結構ドライ。父の三浦義澄と義時パパの北条時政のような屈託のない竹馬の友とは質が違うが、義時側はそれが分かっていなかったかもしれない。

 その、自分の幼なじみで無二の友だと思っていた義村が、自分を狙う公暁に手を貸していた(らしい)。その平六ショックの絶望が顔を出したのが「のえ」への心無い言葉だったと思う。

 そして、義時は義村に疑問をぶつけた。ふたりの会話は互いに背を向けてスタート。

小四郎義時:どこまで知っていた

平六義村:公暁から相談は受けていた。しかし断った。信じてもらえそうにないな

こ:無理だな

へ:では正直に言うことにする。確かに一時は考えた。公暁を焚きつけて実朝を殺し、てっぺんに上り詰めようと思った。だが止めた。何故だか教えてやろうか

こ:聞かせてもらおうか(平六の方を見る)

へ:(小四郎を見て)お前のことを考えたら嫌になったんだ。今のお前は力にしがみついて恨みを集め、怯え切っている。そんな姿を見て、誰が取って代わろうと思うか

こ:私にはもう敵はいない。天も味方している。これから好きなようにやらせてもらう

へ:頼朝気取りか。言っとくが、これで鎌倉はガタガタだ。せいぜい馬から落ちないように気をつけるんだな(義時の肩を叩いて去ろうとする)

こ:私が狙われていたことは?公暁が私を殺そうとしていたこと、知っていたのか

へ:(後ろ姿のまま、首を横に振る)

こ:私に、死んでほしかったのではないのか(声が上ずる)

へ:(戻ってきて)公暁がお前も殺そうとしていると知ったら、俺はその場であいつを殺していたよ(去り際に襟を直す)

こ:(無言で平六を見送り、襟直しを確認)

 この時には、黒い執権用張りぼてから「小四郎」が顔を出して会話していたことが声の上ずった部分でわかった。平六には、一縷の望みをかけていたのだろう。

 そして義時は、平六の襟直しを言葉と心が裏腹な時の癖だと信じているから、襟直しが最後の最後に発動したのを見て、「小四郎」の心には絶望がザックリ来たのではないだろうか。顔は映らなかったが、泣いていたのではないか。義村まで俺を殺そうとしていたのか、と。

 しかし、義村の襟直しで彼の本心を見分けるのは面白いけれど、本当に100%そうなるのかどうかはわからないだろう。それを常に信じてしまうと、義時は自分で自分を追い込むだけだと思う。(ここまで書いたところで、土曜スタジオパークの山本耕史を見た。やっぱり!義村が襟直しを仕掛けている可能性もあるんだね。)

 義時は、愛する長男・泰時にも改めて宣戦布告されていた。

父上は、鎌倉殿の死を望んでおられた。全て父上の思い通りになりました。これからは好きに鎌倉を動かせる、父上はそうお思いだ。しかし、そうはいきません。私がそれを止めて見せる。あなたの思い通りにはさせない

 泰時の装束を直してやりながら、「おもしろい、受けて立とう」と言った義時。この闇の道も全ては安寧な鎌倉を泰時に手渡すため。なのに、理解されない。でも、それほど八重の忘れ形見への愛が深いのだな。

 多くの人が敵対する中、思えば、義時を殺そうと思えば殺せたのに寸止めでそうしなかった畠山重忠。もしも彼が信頼できる友人として生き残っていたら鎌倉はどうだっただろう。義時は闇に堕ちただろうか。

悲嘆の中、政子は解離していたか

 今回の暗殺劇で、政子は4人産んだ最後の生き残りである実朝が殺され、それを実行した孫の公暁も三浦義村の手によってあっけなく殺された。義村は、蓑やらお道具やら部屋のお片付けの一環のように事務的に公暁を手にかけた。これで三浦は無事安泰、いっちょ上がり、か。

 公暁が最期に手にしたのはあのドクロだったが、源氏3代が早々に滅びたのも、弄り回されているドクロの主の怒りじゃないのか。ドラマの中でドクロが何でこんなに重きを置かれてきたのか不思議だったが、まさかの実朝の首代わりの役割があったとは。考えたものだ。実朝暗殺後、公暁は実朝の首を抱えて食事を摂ったと聞いたが、それは映像化できないからのドクロだったのだ。

 さて、政子は、前回で「公暁を蔑ろにしてなぜ平気なのか」「私は母上が分からない、あなたという人が」と、実朝に涙ながらに北条と自分の罪を詰問されていた。そのショックは大きかったはず。そして今回、それを上回る実朝暗殺と公暁誅殺という衝撃が政子にはやってきた。

 人が抱えきれない衝撃に直面した時に、それがカーテンを隔てたあちら側で起きているような事柄に見えて、現実のものとはどうしても信じられない状況に陥る場合がある。その「解離」、犯罪被害者支援の場ではよく見聞きした。泣きもせずに事件後に対処して「気丈に振る舞っている」と言われるご遺族が解離状態だった、なんてことが起きる。政子もそういう設定だったのだろう。

 つらさから自害しようとした政子を救ったのはトウ。彼女の言葉が意味深だ。

政子:(小刀を首に当てようとして、払われる)誰?

トウ:ならぬ

政子:では、あなたが殺して(小刀を渡そうとする)

トウ:主の命が無ければ人は殺せぬ。自ら死んではならぬ

政子:(声をあげて泣く)

 トウの今の主は義時。政子の存在価値を考えたら死なせるわけにはいかないから、状況を慮れば自害しかねない姉の護衛にトウを付けたのも分かる気がする。

 トウは「自ら死んではならぬ」と善児に言い含められて、辛い境遇の中で育ってきたのだろう。その善児をトウが修善寺で殺したということは・・・主の命があったということ。兄の宗時の仇だとして、トウは善児を殺せと義時から命じられたということか。

政子は、弟の塗炭の苦しみにようやく気付いたか

 死ねなかった政子は、鎌倉からの引退を望んだが、義時に拒まれた。

政子:小四郎、私は鎌倉を去ります

義時:(虚ろな目で)なりません

ま:伊豆へ帰ります

よ:できません

ま:もうたくさんなのです、なぜ止めるのですか

よ:姉上が、頼朝様の妻だからです。頼朝様のご威光を示すことができるのはあなただけ。むしろ立場が今以上に重くなります。今こそ、北条の鎌倉を作るのです。邪魔をする者はもう誰もいない

ま:勝手にやりなさい

よ:姉上にはとことん付き合ってもらう

ま:放っておいて

よ:鎌倉の闇を忌み嫌うのは結構。しかしあなたは今までに何をされた。お答えになってください。闇を絶つためにあなたは何をなされた。頼朝様から学んだのは私だけではない。我らは一心同体、これまでも、そしてこの先も(虚ろな目)

ま:(涙目で立ち尽くす)

 このシーンが思い起こさせるのは、第26回「悲しむ前に」でのふたりのやりとりだ。頼朝が死んで弔いも終わり、政子は後家となった場面だ。

政子:色々ご苦労様でした

義時:私のやることは全て終わりました。長いことありがとうございました。私はこれで、鎌倉を離れます

ま:待ちなさい

よ:頼朝様にこの身を捧げて参りました。頼朝様がいなくなった今、ここにいる意味がありません。憂いなく旅立っていかれることが私の最後の仕事と思って参りました。(略)そして鎌倉の中心には姉上が。誰とでも隔てなく接することのできる姉上がいる。私は伊豆に帰ります。これからの鎌倉に私は要らぬ男です

 以前のメモをひっくり返して転記しているが、なぜか政子のセリフは別にメモってあったので、義時の言葉のどこに入るのかが分からない。まとめて書いておく。

・頼家を助けてやってちょうだい

・あなた卑怯よ、自分だけ逃げるなんて。あなたに言われて腹を括ったんですから

・これまで頼朝様を支えたように、これからは私を支えてください。お願い(頼朝の小さい観音像を手渡す)。鎌倉を見捨てないで、頼朝様を、頼家を

 政子から懇願された義時は、「姉上」と返し、困惑した顔をしていた。「13人目はあなたです」と頼家を支えるメンツに世代の若い義時を押し込んだのも政子だったし。この時のやり取りを政子が思い起こさない訳が無いように思う。

 今、弟に責任を押し付けて鎌倉をひとりで逃げだそうとしているのは誰か。そもそもは誰が弟を引き留めたのか、誰が卑怯か。政子は思い至るのではないだろうか。

 子ども全てと孫を失った自分が一番つらいと政子は考えていたかもしれない。そう考えてもおかしくない。ただ、自分が引き込んだせいで以来ずっと苦渋の道を歩んできた弟の苦しみに、自ら責任があると、ようやく気づくかもしれない。その気づきによって、次回(明日だけれど)尼将軍として立つ気になるのかもしれない。

運慶作の仏像は?

 さて、義時に命じられて運慶が作る仏像は、どれになるのだろう。実際に現在も残る運慶作の像が当てられるのだろうか。円応寺の閻魔様との説もあるが、もう一つ思いついた。

 八重が死んだ回で、北条の面々が伊豆の願成就院に行って運慶の作る仏を拝んでいたが、その時に若き義時がモデルになった(?たぶん)という毘沙門天の話が出てこなかったように思う。もしかしてそれかな?

 願成就院は時政パパが葬られているお寺だし、もしかしたら若き自分の姿を写した仏像と、父との精神的邂逅によってダーク義時が我に返るラストになるというのはどうだろうか。

 最終回を入れて、残り3回。今のところ、義時の周りに味方は残っているか。トキューサだけ?主人公が全員にその死を願われてしまうラストになりそうな予感があるが、政子だけはちょっと意味あいが異なってほしいと思っている。

 もし、今回政子が義時の苦しみに気づき、それを一緒に分かち合う覚悟で次回尼将軍になるとしたら。鎌倉のために義時の死を願うなら、せめて苦しみから弟を解放してあげたいという姉ごころも殺害理由の中には入れてほしい。そう思う。(敬称略)