黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【どうする家康】#9 本多正信劇場、しばしの別れがつらい

3/11震災の日に、考えたこと

 NHK大河ドラマ「どうする家康」の第9回「守るべきもの」について、今週も毎度のごとくダラダラと遅くなってしまい、3/11土曜の午後から書き始めた。もうどうしようもない。

 3/11は言わずと知れた東日本大震災が発生した、忘れられない日だ。天災が起きる=天に見放された君主であるとして、科学的知識も無い時代の為政者たちは、かなり恐怖心を抱いたらしい。

 そうだろう、現代だって大震災は十分恐ろしい。次に起こるとされる南海トラフ地震のことを想像すると、日本にいればどうしたって逃げられないような気になる。運任せの部分はどうしたってある。昔も今も、為政者たちは気持ち的に追い詰められるだろうな。民主党政権が倒れたのも、東日本大震災のインパクトがあったからだろう。

 ここで天正大地震のことを思い出した。小牧長久手の戦いから間もない1586年(天正13年)に起きたこの大地震によって、豊臣秀吉は徳川家康討伐のために大垣城だったかに集めていた軍勢が壊滅するような大きな被害を出し、戦を諦め大坂城に逃げ帰ったと聞く。

 この地震では各地の城が崩れており、前田利家の弟夫妻や「功名が辻」でも描かれた山内一豊夫妻の娘・よねが圧死したり、大規模な山崩れで城も城下町も埋まり族滅した内ケ島一族の悲劇が知られている。甚大な被害だ。(天正地震(天正13年) - 岐阜県公式ホームページ(防災課) (gifu.lg.jp)

 しかし、家康はこの震災を機に秀吉に滅ぼされるのを免れ、後に江戸幕府まで開く。大震災によって二人の天命が入れ替わったかのようだ。もし、家康が秀吉によって滅ぼされていたら、秀吉没後の日本は戦国時代に逆戻りだったか?恐ろしいことだ。

家臣にも視聴者にも、首の皮一枚だったかな

 さて、公式サイトの「あらすじ」(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK)から第9回の話を引用する。

身近な家臣さえ信じられなくなり、引きこもる家康(松本潤)を鳥居忠吉(イッセー尾形)が訪ねてくる。たとえ裏切られても信じ切るか、疑いがある者を切り捨てるか、二つに一つ。そう問われた家康は、ある決意を固める。激戦の末、家康はついに一向宗側の軍師と対峙し・・・。

 前8回の終わりで、一向宗側の軍師は本多正信だったと服部半蔵が報告した。さらに、一向宗門徒であるため一旦は家康を嵌めたものの、家康を守って死んだ土屋長吉が言い残した「殿、お気を付けなされ・・・裏切者はまだ近しいご家臣にも」で家康は完全にビビってしまった。なんと自分の家臣を恐れ引きこもってしまうのだから、「え?それ戦国時代にあなたがやっちゃっていいの?」だった。

 家康は、自分の祖父も、父も、家臣の裏切りによって死んでいると鳥居忠吉は言っていた。それなのに?生き延びるためには、家臣には、何としても隙なんかとても見せられない、じゃないと殺されると考えるのでは?大っぴらに引きこもりなんかして、「家臣を信じられません」ポーズなど取ろうものなら、家臣が雪崩を打って首を刎ねに来そうだけどなー。

 吉良義昭も「家康の首は近いぞ!」と彼の首を望んでいたのであり、もし吉良側の誘いに乗って忠次や数正ら声をかけられていた者たちが仕官するなら、その手土産になるのは家康の首以外にない。家康の代になって、三河家臣団は人が変わったようにお優しくなったのかな。

 ここで殿に救いの手を差し伸べた鳥居忠吉。「わしは具合が悪いと言っておろうが!」「許しなく奥に入るとは何事だ!」なんて、今作のお子ちゃまメンタルの家康は叫んでいる。そこで忠吉が伝えたのは「あらすじ」にもあった通り;

  • 道は二つに一つ
  • つまるところ、主君なる者は家臣を信じるほかない。主君が家臣を信じなければ、家臣は主君を信じない
  • もう一つの道とは、謀反の疑いが少しでもある者をことごとく殺すこと。ひとり残らず、片っ端から

 ・・・ということだった。後者のサンプルは、昨年の「鎌倉殿の13人」で散々拝見した。「吾妻鏡」を愛読書とする家康が、そこから何の学びも無かったの?そうそう、今作の家康は、前回見たように今川義元から「国の主は民だ」と大切なことを教えられてもすっかり忘れ切って泣いている御人だから、仕方ないのかな。

 歯がゆいでしょうね、泉下の家康公。しかし、そう考えるとリアル家康はさすが。源頼朝の轍を踏まなかった。

 ドラマの泣き虫甘えたがり家康も、とうとう「わしについてこいとは言わん!主君を選ぶのはお前たちじゃ、好きな主を選ぶがよい!わしは!お前たちを信じる!供をしたい者だけ参れ!」と家臣に宣言して一向宗門徒との戦いに赴いた。家臣の皆さんもヤレヤレだったけど、見ているこちらもヤレヤレ、首の皮一枚だ。

なんちゃって和睦、大坂の陣の原型がここに?

 前回ブログでも書いたように、私の脳内では今年の大河ドラマの主役は勝手に本多正信か服部半蔵に変えようと思っていた。もうヘタレ過ぎて家康にはついて行けない、と思ったからだが、分かっていたことではあったものの本当に残念ながら、本多正信は今回で「三河から追放」されてしまった。

 その置き土産として、本多正信が考えて授けたのが「寺があった場所は、元の元は野っ原なり。元の野っ原に戻~す!」という人を馬鹿にしたタヌキ親父風の知恵だった。「寺を元に戻す」と和睦の場で空誓に約束した手前、結局は寺を取り潰すにあたりそれなりの言い訳が必要だから、ということだった。

 大坂の陣で、まず和睦をまとめ、大坂城の堀を埋め立ててしまった家康の策を思い出す。和睦後に有名な真田丸も破却され、難攻不落の大坂城が裸城にされたところで戦端が再度開かれ、豊臣は滅亡に追い込まれた。

 その大坂の陣と同じ「なんちゃって和睦」策が、本證寺など一向宗の寺を潰す際にも実行されていたのだね。大坂の陣の場面では、三河一向一揆での和睦に思いを馳せる、老いた家康と正信のやり取りが出てくるだろうか。だとしたら楽しみだ。

 この策を考えたのは、実のところは一体誰だったのだろう。まさか敵側の「軍師」が考えたなんてことは有り得ないだろうが、その設定も面白かった。本当は水野信元か酒井忠次あたりが考えた策だったのに、今作では手柄を取られちゃったのかな?

今週の白眉、本多正信の家康への説教

 この「野っ原に戻~す」策を置き土産にする前の、正信のセリフが良かった。今週の白眉だ。人気ユーチューバー「かしまし歴史チャンネル」きりゅうさんの「10回見た」には驚かされたが、私も何度でも見たい場面。ふたりのやり取りを記録しておこう。

本多正信:イタタタ、痛い(後ろ手に縛られ連れてこられる)
松平家康:よい(家臣に。家臣が去ってふたりに)。お主の事じゃ、分かっておるだろう。始めから、寺を元に戻す気など・・・。
正信:感心しております。お人よしだった殿が、なかなか強かになられた。
家康:なぜ、弁明しに出てこぬ?過ちを悔いておるとそう申せば、わしが皆を説得し・・・。
正信:背いた家臣たちも許していかなければ三河が持たない。それは分かります。しかし私は殿を殺そうとしたのですよ。その私までお許しになってはさすがにまずいでしょう。それに(家康の近くに来るが家康の方は見ずに、後ろ手のまま座る)過ちだの悔いておるだの、さようなことは例え嘘でも申すことができませぬ。
家康:なぜじゃ。
正信:過ちを犯したのは・・・殿だから。(仏像の正面に向かい座っていたことが分かる)殿は、阿弥陀仏に縋る者たちの心をご存じない。毎日たらふく飯を食い、己の妻と子を助けるために戦をするような御方には、日々の米一粒のために殺し合い、奪い合う者たちの気持ちはお分かりにならんのでしょう。(穏やかに、仏の言葉を伝えるような正信)

 仏に縋るのは、現世が苦しいからじゃ。生きているのがつらいからじゃ。殿が・・・お前が・・・民を楽にしてやれるのなら、だ~れも仏に縋らずに済むんじゃ。そのために民は、お前にたらふく米を食わせているんじゃ。(家康の方をハッキリと見て、強く)己はそれを成さずして、民から救いの場を奪うとは何事じゃこの大たわけが!悔いなければならんのは、殿でござる。
家康:(顔を歪めて)とうに悔いておる・・・。わしは・・・ずっと悔いておる・・・。(すすり泣き)だが、この国を立て直さねばならぬ。そのために過ちを全て引き受け、わしは前へ進む!
正信:(仏様を見たまま、フッと表情が緩んで)切腹でも打ち首でも何なりとお申し付けくださいませ。
家康:(泣いていたが、表情を引き締めて)本多正信。(正信が家康を見る。家康が立ち上がって正信の背後に回る。小刀を抜いて手の戒めを解き、立膝をついたまま)この三河から追放とする・・・二度と戻ってくること相ならぬ!
正信:(意外そうな表情。家康が小刀を鞘に納める。家康の方に向き直って手をついて)長年の御恩、心より御礼申し上げまする。(出ていく家康)時に殿。こたび寺を元に戻すと約定を交わした上には、取り潰すために曲がりなりにも言い訳が要りまするぞ。何と申されるおつもりで?
家康:はあ・・・。頭を抱えておる。
正信:はあ~。寺があった場所は、元の元は野っ原なり。元の野っ原に戻~す!・・・でいかがかな?(家康、唖然としている。フッと笑って見せる正信)

 ふたりのやり取り、というよりも本多正信の命を懸けた家康への説教、と言う方が正しいかもしれない。「切腹でも打ち首でも」と言ったように、正信は死ぬ気だったからここまで伝えたのだ。家康を途中から「お前」呼ばわりしていたのに、命を救われてまた慇懃な態度に戻る。ようやっと心が通じたところで、しばしの退場だ。

 将来、本多正信は色男殿の取りなしで家康の元に戻るというが、いつ戻るのかは判然としないそうだ。ドラマではどのように描かれるのだろう。予想では、石川数正の出奔による家中の動揺が大きく、それに対処するためとして知恵者が戻されるのでは?でも、私的には来週戻ってきても全然いいから!松ケンが生き生きしているし。

 ところで、正信の言葉、現代の政治家の先生方はどう聞いただろう。「仏に縋るのは、現世が苦しいからじゃ。生きているのがつらいからじゃ。殿が・・・お前が・・・民を楽にしてやれるのなら、だ~れも仏に縋らずに済むんじゃ。そのために民は、お前にたらふく米を食わせているんじゃ。」

 先生方はお手盛りで世界的にも高額な歳費を貰う一方、一般民衆の稼ぎは人材派遣会社に中抜きされるようになり、今や非正規がスタンダードに。苦しさから縋った宗教団体にはさらに献金を搾り取られ、皮肉にも先生方の選挙の集票マシーンとして機能させられる。宗教団体が政治と結託して民は置いてきぼりなんてね。民は骨の髄まで利用され、現世は苦しみばかり。正信の説教を、国会でエンドレスで回しておいてほしい。

正信を突き動かした民衆代表、お玉の存在

 さて、ドラマでは本證寺の寺内町で戦っていた本多正信だが、どうやらそうではなくて、便乗して蜂起した国衆の下で戦っていたらしいと何かで読んだ。酒井忠次の叔父さんの酒井忠尚だったかな。でもそれじゃ物語にしにくいもんね。じゃあ、なんでここにいることになったのか。空誓とこんな会話があった。

正信:ご安心めされ、我らは負けませぬ。皆、この寺を守りたい一心で戦ってござる。
空誓:軍師殿・・・そなたはなんでここにおる?
正信:むろん、御仏の・・・
空誓:この寺を利用しとるんなら・・・
正信:違います、断じて。
空誓:ほいじゃあ、何でここにおるだ?
正信:ただ、そうしたいから・・・ではいけませぬか。
空誓:(目をそらしている正信を、無言でじっと見つめている)

 空誓さんよ、そんなことを言ったらボランティア軍師殿の気持ちが萎えちゃうよ。あなたが疑いの目を向けるべきは、「後で来いよ」とデレデレしていた千代だったのに・・・と思ったが、とうとう千代の正体も、かのローマ国(甲斐の国)から派遣され情報収集に励んでいた「望月千代」だとの種明かしが、今回の最後にあった。

 ともかく、ドラマでは正信が本證寺にいた理由をはっきりとは明かさなかったものの、幼少期のご近所さん「お玉」への思いからであるように描かれていた。寺には彼女の墓もあるのだろうか。上人様にも勘繰られるから言っちゃえばいいのに、正信よ。

 お玉は、少女時代に戦後の乱取りの犠牲になって攫われ、少年正信(弥八郎)はすんでの所で彼女を救えなかった。物語の8年前に偶然ふたりは再会。瀕死だったお玉(色男殿と共に正信が盗賊を一網打尽にした際に、遊び女としてちょうど盗賊に捕らわれてきて負傷したか)が実は寺内町を住処にしていたと分かり、彼女を助けようと正信が寺内町に運び込んだところでお玉は絶命。その時のお玉の言葉が、正信を突き動かして一向宗の門徒と共に戦わせたらしかった。

正信:お玉・・・お玉じゃろ、弥八郎じゃ。
お玉:(目を見開いて驚くが)違う・・・違う。違う!
正信:お玉。
お玉:殺せ・・・はよ殺せ!
正信:(お玉をおんぶして寺内町へ)寺内町におったとは・・・。(ムシロのような敷物の上に寝かせる。苦しそうにもがく玉)
正信:寝ておれ。傷が開く。玉!
お玉:南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
正信:医者を呼んでくる。
お玉:いい!この世は・・・苦しみばかり。早う仏様のもとに行きたい・・・。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。はあ、はあ、はあ、南無阿弥陀仏。(柱に貼ってある「南無阿弥陀仏」の紙に祈る)

 お玉はほほ笑んでいるかのような表情で死に、正信はお玉の手に数珠を握らせ「南無阿弥陀仏」を唱えた。お玉は攫われて以来、ずっと辛酸をなめて生きてきたのだろう。「この世は苦しみばかり。早う仏様のもとに行きたい」という言葉に、その生き地獄が集約されている。

 戦さえなければ、親に守られ平和に成長できたかもしれないお玉。正信の初恋だったのかもね。戦国時代に一般の民が日ごろ感じていたのは、お玉の言った「この世は苦しみばかり」に違いない。その代表として描かれたのだね、きっと。家中で嫌われ打算しかないかのような描かれ方だった正信の、人としての側面を伝える純情エピソードになっていた。惜しいなあ、正信。しばしさらばじゃ。

悔い改め、汚れたこの世を浄土に

 ちょっとは家康にも戻ろう。

 本證寺側の空誓上人は「ここは誰もが救われる場所じゃ。それを踏みにじるもんは、たとえ殿さんであろうと御仏の敵。仏敵じゃ!」と譲れないものとして千代に煽られるまま立ち上がったわけだが、「この子らを守りたかったんじゃ、この子らの暮らしを。皆、すまん。この空誓、どえらい過ちを犯した。たくさんの友を、子を、きょうだいを死なしてしもうた。わしのせいじゃ!すまん。すまんのう、みんな!」と悔いるに至った。

 家康も、正信に説教された際に「とうに悔いている」と涙を流して言った。リーダー2人が後悔して、戦が終わる。終われてよかった。続けば双方ボロボロになる。そう考えたから家康の心底(寺を元通りなど嘘)を感じ取っても、空誓は血判を押したのだろう。(後悔無きプーチンがウクライナをボロボロにしている・・・誰かプーチンを後悔させてくれ。)

 涙ナミダの家康は、瀬名に言った。

家康:きれい事にしてはならん。わしは・・・愚かなことをした。わしが守るべきものは・・・民と家臣たちであったというのに・・・!
瀬名:ならば、これから成し遂げましょう。厭離穢土欣求浄土。汚れたこの世を浄土に。
家康:そんな大それたこと・・・できるのかの・・・このわしに・・・。
瀬名:できるような気がします。何となく。
家康:なんとなく、のう。
瀬名:ええ、何となく。

 先を見通せるエスパー瀬名と、視聴者は家康ができる事を知っている。だから、家康には期待と希望を抱いている。それで「何もそこまで落とさなくても」と、今作の家康公のヘタレぶりにはガッカリして我慢ならなくなる。

 現世がつらいのだ、視聴者も。ギャップをゆっくり楽しむ余裕が無い。

(敬称略)