黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【どうする家康】#31 ヒゲ家康の覚悟、秀吉との大戦へ家臣を動かす

老けメイクでロボ感が増した家康公

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第31回「史上最大の決戦」が8/13に放送され、主人公の神君家康公がいきなり髭付きになり、ビジュアルが変化した。

 数え43歳になり、それなりの老け顔にしたらしい。お市の方に死なれたのがあまりにもショックで、外見に影響したという設定か。しかし、42歳から43歳のたった1年で、見た目にギャップがありすぎやしないか。

 視聴者向けに、家康公がヒゲを蓄えるようになった理由ぐらい於愛あたりがセリフで語ってくれないかな・・・。ついでに、家康だけでなく家臣たちの衣装もいつの間にかレベルアップしている。本多忠勝の大数珠も登場した。

 大河を見ていると、役柄で老ける時は大体メイクが濃くなっていく傾向にある。「篤姫」の宮崎あおいは、スタート当初はほぼノーメイクに見えるような色黒な於一(おかつ)で出てきた。それが、夫の13代将軍家定が死んで天璋院篤姫となるまでにはアイラインもバッチリの色白しっかりメイクへと変わった。将軍御台所へと身分も上昇していたから、貫禄も醸し出され、メイクでの変化は大成功だった。

 今作の家康公も、齢43歳となって中の人・松本潤の実年齢を超えてきたのだろうか?松潤がいくつだか知らないが、アラフォーの不惑前後のはず。だが、さすがトップアイドル、30代前半だと言われても楽に通る磨き上げられた若い外見をしている。

 その人に老けメイクをしっかり施したらどうなるか。あの秀吉軍と小牧山で対峙する最終シーン、冷たい炎に内から燃えているからと言えばいいのか、表情の動きがあまりない、スッとした鼻筋が目立つ家康が馬に乗り登場、それが一瞬CGかアンドロイドかと思ってしまった。

 作りが整っている人にしっかりメイクをすると、美しさがさらに強調される。人間離れして、ロボット感と言うか人工物感が増すような気がする。

浜野謙太の信雄がサイコー

 さて、公式サイトから、31回のあらすじを引用する。

お市(北川景子)を死に追いやった秀吉(ムロツヨシ)に、家康(松本潤)は激怒、打倒秀吉の意志を固める。だが勢いに乗る秀吉は信長の次男・信雄(浜野謙太)を安土城から追放、着々と天下人への道を進んでいた。信雄からも助けを求められ、10万を超える秀吉軍と戦う方法を考えあぐねていた家康は、正信(松山ケンイチ)の日の本全土を巻き込む壮大な作戦を採用。しかし、その策も秀吉に封じられ、大ピンチに追い込まれ・・・。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 今回、ちょっと面白かったのは浜野謙太演じる信雄。いやー、良いね。家康に怒られての「ハイ!」は、とっても素直なお返事、笑いが抑えられなかった。上記の「大ピンチ」に陥った時のことだ。

織田信雄:どうなるんじゃ?秀吉を囲い込む策は!

本多正信:既に崩れました。

信雄:なぜ池田はわしを裏切る?

榊原康政:申し上げます。池田の手勢、犬山を出て更に向かっております。楽田を狙うものと。

信雄:どうするんだ?楽田まで落とされれば次は小牧山じゃ!目と鼻の先じゃぞ!おい、なぜこんなことになった!池田は、我が父の幼い・・・!

徳川家康:信雄!(ハッと振り返る信雄)秀吉相手の戦が思い通りに行かぬことはもとより承知の上。既に火蓋は切られておる。総大将がうろたえるな!(歩いていき、近くで信雄を見つめる)信長の息子じゃろう。(肩に手を置き)しっかりせい。

信雄:・・・ハイ。

 このシーンの他、ムロツヨシ(この人も無論のこと面白いし)の秀吉に安土を追い出される時に「二度と天下に手を伸ばすに及ばず」と言われ、信雄は「三法師も追いやったまま・・・お前は織田家を・・・」(今更、ようやく気付いたんか~い!)とプリプリ怒り、悔しがって出ていく。そのシーンの足取りが文字通り「地団太踏んで」のようで面白かった。

 中の人を最初に見たのは、ずいぶん昔になるけど、来年の大河「光る君へ」で主演を張る吉高由里子の映画「婚前特急」。これは面白かった。2011年だった。

 この「2011年」を確認するためにウィキペディアをチェックして目に入ったのが、あの「戦国鍋TV」での秀吉役(浜野謙太 - Wikipedia)。見ていたのに忘れていた。そうだった、秀吉も演じていたね!

 彼は今作の信雄について「劣等感に塗れた人」「いろんな才能や頭の良い人に触れ、右往左往したり素直に驚いたりしている」とインタビューで答えていた(織田信雄役 浜野謙太さんインタビュー まるっと* - #どうする家康 - NHKプラス)。

 信雄には、非凡な父・信長を持ち、天下取りの争いの中で状況が読めず、自ら織田家の力を削ぎ落して家を没落させていくアホ坊ちゃんというイメージがある。近いところでは、三谷幸喜の映画「清須会議」での妻夫木聡が、見ただけで突き抜けたアホ感が伝わる信雄を演じて、おかしかった。

 今作では信雄をただのアホボンにするのかどうなのか。坊ちゃんなりに劣等感に塗れていた・・・そう思えば気の毒な人だ。信雄も、今川氏真・武田勝頼と共に偉大な父を持つ残念な二代目と考えられてきた人だ。実は氏真と同じく長生きだし、もしかして揃って今作で名誉挽回なるのかな?

「信長はわしが」「光秀はわしが」「秀吉はわしが」で、3度目の正直

 さて、前回ブログで書いたが、お市の死を知ってまだ机なんぞ叩いて子どもっぽく悔しさをぶつけていた家康。旧武田領というニンジンをぶら下げられて自分が貪り食べている間に、秀吉はアホボン信雄を利用して織田家の簒奪に成功した。お市も死に追いやられた。

 家康は、はっきり言って秀吉にまんまとやられた。そりゃ「秀吉はわしが倒す」と悔し紛れに言いたくもなるが、言うだけなら何でも言える。「信長はわしが」「光秀はわしが」に引き続き、既視感ありすぎ。

 しかし三度目の正直、「秀吉を倒す」は口先で終わらなかった。瀬名を失い、信長を乗り越え、お市を失った。それを糧に、数え39歳から43歳への足掛け5年で家康は進むべき方向を見失わなくなった。

 むしろ、「秀吉から天下を取り返してくれ!わしと共にあの盗人を倒してくれ!」と頼んできた信雄に「刺し違える覚悟、おありでございましょうや」と「どうする」の決断を迫る側に立つ。

 何か、大きなステップを上った。こういう家康公をもっと早く見せてもらえたら良かったな。もう8月半ば、視聴者もよくガマンした。

戦い前夜の家臣との対話

 天下分け目の秀吉との戦い(小牧長久手の戦い)に向け、家康は動き出す。印象に残ったのは、信雄に泣き付かれた後、家老2人と若手3人の家臣とそれぞれ話した場面だ。

忠次:この話、軽々に乗るべきではございませぬ。秀吉の軍勢は、今や10万を超え・・・。

家康:わかっておる。

数正:あるいは全て秀吉の手の内ということもあろうかと。

家康:・・・無謀な戦をするつもりはない。下がって良い。

 家康は秀吉打倒に立ち上がることを心に決めていた。「無謀じゃない戦」をするつもりだ。保護者的な重臣ふたり、酒井忠次と石川数正には、聞いてみたらやっぱり止められた、という感じか。

 次に家康は、若手の3人、後の四天王のうちの井伊直政、榊原康政、本多忠勝をわざわざ訪ね、問うた。

 まずは井伊直政。旧武田兵との稽古で傷だらけだ。自信喪失気味の直政だったが「もし、近いうち大きな戦となったら、(預けた旧武田兵を)思いのままに動かせるか?」と家康に問われ、「必ずや手なずけてご覧に入れます」と威儀を正して答えた。

 次に榊原康政。家康は勝算はあるかと聞いた。この時の返答がカッコイイ。

康政:敵は寄せ集めの大軍。我らはいくつもの戦をくぐり抜けてきた、小さいながらも固い固い一丸。なぜ負けましょうや。

 家康は「今度こそ死ぬかもしれんぞ」と、さらに覚悟を問うた。

家柄のよからぬ武家の次男坊が、ここまで出世し長生きできるとは思っておりませんでした。何の悔いもありませぬ。

 家康は、それを聞いて初めて、懐から絵図を取り出した。康政に渡し「お主の知恵を頼りにしておる」と言って去った。絵図には犬山城、楽田城、小牧山城などに赤丸が付いており、そこで戦った場合の勝利プランを練っておけということで、責任重大だ。

 最後に家康が会いに行ったのは、本多忠勝。彼は槍の稽古中で、家康が問う前に「俺に聞くまでも無いこと。やるべし」「天下の覇権を巡って戦えること、この上ない喜び」と言った。

 忠勝が「天下をお取りになったら(主君と認めることについて)考えてもようござる」と言って突き出した瓢箪は、あの叔父忠真の形見だろう。そう思うと、家康が瓢箪に一礼してから中の酒を飲んだのがグッときた。

 もちろん、瓢箪と言えば秀吉。秀吉を飲んでやるという意味もあるか。

家康の覚悟

 鷹匠から軍師に昇格したらしい本多正信が、畿内の秀吉をぐるりと囲う策を説明した時、池田恒興を「要」だと言い「こやつを調略すれば秀吉の懐に深く入り込むことができる」と言った。

 池田が付けば、丹羽も前田もこちらになびくそうだ。前田利家が?そうかな・・・。越中の佐々成政、土佐の長宗我部元親、紀州の根来衆、雑賀衆は期待できるにしても。

 肌感覚で「そうはなるまい」と感じたとすれば数正ぐらいか。「池田恒興、うまく調略できますでしょうか」と疑問を述べた。

 そんな大事な池田恒興なのに、家康が調略をなぜアホボン信雄に任せたのかは大いなる疑問だ。父親の乳兄弟である古くからの顔見知りだからと言うなら、顔つなぎはお願いするにしても、任せっきりではねえ。「できる!必ずやる!」と言ったとて、詰めの甘さでは一流の信雄だよ!

 この、日の本全土を巻き込む大戦に踏み出す前の徳川家中の気持ちを思うと、緊張と恐怖で逃げ出したくなる。「今やらねば秀吉は益々強大となり、跪くのみとなりましょう」と康政は言ったが、跪く前に潰されるだけの結果になる方が十分考えられた訳で。良く踏み出したものだ。

 「殿のお心は決まっておいでなのでしょう?」と忠次に投げかけられて、家康は言う。

家康:何も持たぬ百姓であった男がありとあらゆるものを手に入れてきた。それが羽柴秀吉じゃ。そういう男は欲に果てが無い。もし、秀吉に跪けば我らのこの国も奴に奪われるのではないか?わしは身に染みてよう分かっておる。力が無ければ何も守れん。強くなければ奪われるだけじゃと。乱世を鎮め安寧な世をもたらすは、このわしの役目と心得ておる!秀吉に勝負を挑みたい。

 国を奪われる、は後に本当になった。家康の言葉を聞いていた家臣からは口々に「異存なし」と声が上がった。忠次は「ご奉公いたしまする」と。数正は「猿を檻に入れましょう」と言って頭を下げた。

ちょっと先走って数正出奔について

 話が先に飛んで恐縮だが、石川数正がなぜ翌年に秀吉側に出奔したのか、わかった気がした。もちろんこれはドラマであり脚本家が書いたフィクションだが、決戦前夜には徳川家中で似たようなやり取りがあっただろうと察する。皆、死地に赴く決意だったろう。

 数正の行動は、やっぱり家康を守る為だったのだ。この家康の言葉を聞いて、数正が自分だけのために逃げたとは思えない。もしかしたら、自分が秀吉の陣営に加わる引き換えに、徳川を潰さないという条件でも引き出していたのかも。

 数正は、自分が秀吉側になることで、スムーズに家康・秀吉間の講和が結べるように、そして徳川がうまく秀吉陣営で生き延びて行けるように、地ならしをして守っていくためにあちらに転じたのではないか。それしかないじゃないか。

 そのために裏切者のそしりを受けることも厭わない。なんと律義者だろう。

 さて、数正出奔はドラマではどう描かれるだろう。瀬名の言葉「きっと戦の無い世を築いてくださいませ。あなたならできます、必ず」が家中全員の悲願になっているのなら、そうなると思うのだが。

小牧長久手の戦い、スタート

 家康がゴーサインを出し、秀吉に通じていた家老3人を信雄が誅殺して、戦いの火蓋が切られた。秀長が「まんまと仕掛けてきおったな」と口にし、秀吉も「愚かよのう。これで信雄、家康、まとめて滅ぼしたれるわ」と言ったので、秀吉の目論見通りに家康は踊らされているらしいと分かる。

 だが、戦いは水物。やってみなければわからない。武威を示しておくことこそが大事なのだし。

 徳川軍が清須城に入る前に、酒井忠次が大久保忠世、鳥居元忠、平岩親吉の3人に「背後の守りを任せる」と言った。「甲斐信濃を固めよ。特に、真田からは目を離すな!」と。この面子だし、そろそろ第一次上田合戦かとワクワクする。

 殿のお言葉はこうだった。

家康:皆々、ここまでよう付いてきてくれた。この戦は、いまだかつてない日の本を二分する大戦となろう。機は熟せり。織田信雄様の下、上洛し今こそ我らが天下を取る時ぞ!

 多くの武将が、こうやって家臣を鼓舞して戦いに挑んでいっただろう。そして破れ死んでいった。自分たちは正しい、でも勝ち目は無さそうという点で似通っているのかもと、浅井長政軍を思った。ドラマでも、家康がギリギリまで味方をしたいと悩んだ相手だった。あの時は若すぎた家康、でも機は熟したんだね。

 家康はこの後、神がかり的に運が良い。運を味方に付けるぐらいの、後の世で神君と呼ばれる程の人物なのだから、「どうしたらええんじゃ~」から卒業してくれて、本当に良かった。

 大垣城の池田恒興は、秀吉方に寝返り信雄方の犬山城を占拠。さらに進軍してくるのを止めるため「羽黒辺りでたたきまする」と酒井忠次が出陣、勝利した。それでヒヤッとしたか、秀吉本軍10万(!)が犬山、楽田城まで出てきて陣を敷き、清須から小牧山に陣を移した家康・信雄軍(3万ぐらい?)と対峙した。

 次回は、忠次が戦った前哨戦に続き、本戦での家康の家臣それぞれの活躍が描かれるはず。楽しみにしているからスルーしないでほしいね。 

秀吉の人たらし術

 戦いからちょっと遡るが、後の数正出奔にもつながるので、戦勝祝いの場面での秀吉の人たらし術を確認しておこうと思う。

秀長:徳川三河守様ご家臣、石川伯耆守数正殿にごぜ~ます。

数正:(深々と礼をして)こたびのご戦勝、我が主に成り代わりまして心よりお喜び申し上げます。

秀吉:(座敷上段で胡坐をかき、低い声で)大儀である。・・・(声も高く)な~んちゅ~て堅っ苦しいのは止めだわ!毎日毎日、決まり文句聞かされてま~、うんざりだでよ~。(ハイハイ歩きで壇上から数正の前に降りてくる)よ~う来てくれたのう、石川殿。まあ、いつ見てもええ男っぷりだわ・・・徳川殿が羨ましい・・・欲しいのう。

秀長:まあまあ、兄様。

秀吉:(数正にさらに近寄り)わしも、そなたのような家臣が欲しいのう。

数正:(かぶり気味に)我が主より預かりし品、何卒お納めいただきますよう。(視線を床に下げたまま、両手をつき微動だにしない)

秀吉:(近くでじっと数正を見つめていたが、弾けたように離れて)あ~!気ぃ遣わんでええのに!何が出るかしゃん?ええ?出てきおった(木箱から取り出された、柿の実くらいの壺型の品を手に取り、まじまじと眺める)・・・こりゃあ(震える手で掲げる)・・・初花肩衝だにゃあきゃ?

数正:はて、お気に召しませぬか?

秀吉:(アワアワと)もったいねえ、そんな・・・あ・・・徳川殿はこの卑しい身の上の猿に、下さるっちゅ~んか?そ・・・いやいや、もったいね。もったい・・・ああ~もったいねえ・・・(泣く)。(表情を変えない数正を、秀長がじっと見ている)徳川殿に伝えてくりゃあせ!徳川殿が頼りじゃと!支え合って、仲良くやろまいな!あ・・・あの、わしの新たな城が出来上がったらお招きするで、また・・・遊びに来てちょ~でえ。

 初花肩衝という茶器、YouTube動画で聞いたのを受け売りすると元々は信長の所有物➡家督を譲った時に信忠が譲り受けた、ということで天下人の印みたいな存在らしい。

 ドラマでは大久保忠世が「信長の形見」と呼び、家康が形見分けで貰ったようにも聞こえる言い方だったが、家康は、信忠死後の混乱時に流出した初花肩衝を入手した家臣から献上され、そのままちゃっかり持っていただけだそうだ。え?織田家に返さないの家康???

youtu.be

 その初花肩衝を、家康が秀吉に贈った。「あなたが天下人」と認めているようにも解釈される行為だよね。秀吉が頬ずりするのも分かる。家康本人が挨拶に来ないのか~と愚痴ってはいたが。

 この会見を家康に報告する数正。

数正:我が手を取り、仲良くやろうと。

酒井忠次:すべて猿芝居か・・・。

数正:何もかも芝居のようであり、いや、何もかも赤子のように心のままにも思える。得体が知れん。

忠次:前にも増して不気味じゃな。

 数正は、妻のお鍋が着替えを手伝いながら「お役目ご苦労な事でございました。大坂はいかがでございました?」と問うても、ずらりと居並ぶ秀吉の軍勢にすっかり意識が飛び、憂えているようだった。

 使いに行くと、あちらの様子がよく分かるだけに独自に考える余地が生まれる。確かに、出奔して外から徳川を支えるアイデアは思考の埒外にも思えるが、人質になっている家康の次男・於義丸や自身の息子を近くで見守れる意味でも、実はベストだったかもしれない。

(敬称略)