黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【どうする家康】#37 「さらば三河家臣団」大久保忠世と半蔵(?)惜別の花道回、酒井忠次はどこに

徳川家臣団も老いていく

 NHK大河ドラマ「どうする家康」の第37回「さらば三河家臣団」が10/1に放送されたのだが、酒井忠次が出てこなかった…と思ったら、オープニングには「酒井忠次 大森南朋(回想)」の表記になっていた。忠次が「回想」だけなんて、前回もチラッと出ただけだったし、彼もとうとう…。

 とにかく、心を落ち着けてあらすじを公式サイトから引用する。

茶々(北川景子)が秀吉(ムロツヨシ)との子・鶴松を産んだ。勢いづく秀吉は、北条攻めを決定。和平を主張する家康(松本潤)に秀吉は先陣を命じ、勝てば北条領を全て与えると言う。しかし、それは故郷・三河を離れる事でもあった。家康は家臣たちに事情を話せないまま、出陣を命じる。秀吉が20万もの大軍で小田原城を包囲する中、家康は氏政(駿河太郎)に降伏を促すが、全く応じようとしない。氏政には関東の雄としての意地があった。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 小田原征伐の結果、天下統一を果たした秀吉に旧北条領への国替えを言い渡された家康。当時は未だ湿地で大掛かりな開発を必要とする江戸へ行けと言われた上に、有力家臣もそれぞれ領内で城持ちとせよと言われてしまう。つまり、江戸の開発で多大な出費をさせ、強固なつながりを誇る徳川家臣団をバラバラにする秀吉の思惑は明白で、家康は悔しがる。

 家康は家臣らの反発を予想していたが、「異論は認めんぞ!」と強く出たところで「関東も良いところに相違ござらん」「我らはとっくに覚悟ができており申す」「新たな領国を収めるのもまた、大いにやりがいのあること」と返されて肩透かし。国替えは本多正信⇒大久保忠世によって予め伝えられ、下ごしらえはできていたのだ。

 そのように、見えないところで徳川家臣団の暴れ馬たちをドウドウヨシヨシして貢献してきた大久保忠世は、これまで北条家が拠点としていた重要な小田原城を任されることになり、花道を飾った。

 北条討伐でも、オープニングアニメになっていた「蝶」の旗指物を背に巨体を揺らしてジャンプ!大丈夫か、と見ながら心配になった。その前にも、本多正信の機転で国替えは避けられないと忠世が同僚たちに告げた時には、すっかり鬱憤晴らしの的にされ、庭に転がされて泥塗れ。ほんとに中の人は大丈夫か・・・転がる時にはちゃんと受け身だったらしいから、柔道経験者?なら平気なのか。私なら骨折するところだ。

 鬱憤晴らしの的になりつつも、泣きに泣く仲間に「気は済んだか」と声を掛け、甘んじて耐える忠世は頼りになる兄貴分だった。そんな忠世を家康もしっかり評価しており、その結果が小田原城となった。

 忠世は隠居間近な年(当時58歳前後)だとか何とか言っていたが、嫡子の忠隣も優秀だし、大久保一族は頼りになるしで小田原城を任せるには適任だったのだろう。大久保一族についてはついつい後の事件まで先走って頭に浮かんでしまうが・・・それは置いとこう。

 家臣団がそれぞれ任地を告げられ、江戸での再会を誓う場面は感動的だったが、もうほぼお約束となった服部半蔵(山田孝之)のニヤニヤするおとぼけがここでも嚙まされてきた。

 「どこかやる」と約束してもらった半蔵が、殿と江戸に行ったからこその、現在も残る半蔵門だ。近くの西念寺は半蔵が(ドラマでは介錯した)故信康の供養のために開こうとした寺で、半蔵のお墓も信康の遺髪を埋めた供養塔もある。

 ・・・と西念寺のHP(お寺の由緒・歴史|浄土宗西念寺|新宿区の四谷にある服部半蔵が開基したお寺 (yotsuya-sainenji.or.jp))を確認しながら書いたのだが、半蔵は「しかしながら寺院建立を果たせず、文禄4年(1595)11月14日、55歳で正念往生なさいました」とある。ウィキだと1596年になっているが、お寺の方が正しそうだ。

 半蔵は開基の立場ではあるけれど、「寺院建立を果たせず」と言うからには寺の完成を待たずに亡くなったか?と思ったら、開山は「文禄3年(1594年)専譽念無上人」とのことで、半蔵の死の前年。え?こういったことに疎く、混乱した。

 とにかく半蔵は55歳で亡くなるのか。小田原合戦が1590年だから、たった5年後だ。先ほどの大久保忠世が没するのは1594年だから、その翌年だ。

 ウィキの「徳川十六神将」のページ(徳川十六神将 - Wikipedia)からドラマの出演者だけ生没年を抜粋して引用させていただき一部追記、そして本多正信と家康をリストに加えた。

 鳥居元忠のように戦死する場合もあり、総じてやはり若いと感じてしまう。最たるものは井伊直政だ、もったいない。寿命の蠟燭を比べるようで寂しくなるが、小田原征伐の1590年を基点とすると、忠世はあと4年、後を追うように半蔵、忠次が関ヶ原の戦いを前に世を去っていく。

 そう思うと、今37回は忠世の花道の回だけでなく、実は半蔵の見せ場の回でもあったのだ。だから半蔵は手裏剣もまぐれで当たるし、あんなに北条との戦いでの活躍が描かれたのか。

 山田孝之の半蔵は最後、笑顔を消して微妙な表情をした。あれが半蔵の終幕?もうニヤニヤ出てこないのか、寂しいことだ。大鼠との息子役で再登場してはどうだろう。

酒井忠次はどこに

 小田原での三河家臣団解散!の場に、家臣団のリーダー・酒井忠次がいなくて寂しかったが、彼は京にいたはずだ。家康が、旭姫に「このまま大政所様の下にいて差し上げたら」と勧めた時に、忠次は「おお、それは良うございます。私も、京勤めとなりましたので」と前36回の「於愛日記」で言っていた。

 ドラマでは「京勤め」なのだが…ここでまたウィキペディア先生にお出ましを願うと、史実の忠次は眼病を患ってほぼ失明したため小田原征伐の2年前の1588年に家督を譲って隠居、秀吉から京都桜井に屋敷と世話係の女、在京料として1000石を与えられたとか。出家して「一智」と号したそうだ。(酒井忠次 - Wikipedia)そして、前述のように1596年には亡くなる。

 石川数正や大久保忠世らがあれだけ特別なお別れの回で送られているのだから、酒井忠次ほどの者が旭と家康の夫婦の会話に引っかかるぐらいでの退場は無いはず。きっと彼を盛大に送る回があるはずだ。

 ちょうど「やまコレ」(やまコレ どうする家康スペシャルトークショーin鶴岡 - #どうする家康 - NHKプラス)という番組で、酒井忠次の中の人・大森南朋の山形県鶴岡市でのトークショーを扱っていて、10/6にNHK+にアップされていた。

 鶴岡は忠次の子孫が治めた土地だ。大森南朋は、妻・登与さんのモデルになった忠次の正室・碓井姫の像とツーショットを撮影していたのが微笑ましかった。その像の福々しいお顔が、登与さんの中の人・猫背椿と何となく似ている。

 ショーには、「どうする家康」の磯智明・制作統括も出演していた。

磯:「家康自身もこのドラマではマイペースなところもあったりするので、実際に徳川というチームを動かしていたのは酒井忠次だったのではと思い、普段は一歩引いているがここぞという時は前に出て殿に対して厳しい意見を言う。殿もいろんな家臣団の意見を聞くけど、酒井忠次の(意見)については、きちっとそれを受け入れるような態度を取っていく感じで(ドラマでは)描いていますね」

とのことだった。そして今後の見どころとして、こう言った。

磯:これから家康の関ヶ原・天下取りに向けての大きな物語が始まっていくと思います。この前、石川数正が出奔したように、だんだんと三河家臣団のそれぞれが散っていったりとか、家康の下をいろんな形で去っていく別れも大きな見どころなんですよね。

 いずれ、この酒井忠次と家康の別れのシーンも出てくる。酒井忠次が最後に家康に伝えるメッセージが、物語上、石川数正と同じくらい、もしくはそれ以上に大きな家康を動かすインパクトのある言葉になっていくと思うので、そういう大きな物語を期待してご覧頂ければと思います。

 徳川家の裏の舵取りは、今回を見ると本多正信と阿茶に移ったようだったが、やはり、忠次があのまま終わるわけがなかった。別れは次回ぐらいに描かれてもおかしくないぐらい近くなっていると思うけれど、彼は大きな影響を家康に遺して去るらしいので、期待して見届けたい。忠次~!

 そうそう、忠次十八番の「海老すくい」は、唄も踊りも一から取材をして作り上げたこのドラマオリジナルだとか。宴会芸だと侮るなかれ、大森南朋曰く、踊ると汗びっしょりになるそうだ。海老すくいのせいでオファーを断らないよう、いかにも何でもないと思わせられてきたのに様々な場面で踊ることになって「海老すくい詐欺」にあったと思ったそうだ。でも、家臣団の空気を保つために大事な舞だ。

 大森南朋は、演じる酒井忠次について;

大森:武将としても一流、非常に強い戦国武将であると思いますし、統率力、家臣団をまとめる力(がある)。底抜けに明るく自分を見せて、家臣たちを納得させていく。とにかく、強い心を持ち、優しく明るい人だったのではないかなと僕は思っております。

 酒井忠次の最後の回もぜひお楽しみに。海老すくいがあるのかないのか?ご想像にお任せいたします。

とのこと。石川数正が去って寂しそうだった酒井忠次も去るか。先ほどの表で確認してしまったが、最後まで残るのは家康と正信、阿茶、そして渡辺守綱だけなのか。もう物語も終わりが見えてきた。

三成と家康、同じ星を見ていたのに

 秀吉は今回、四公六民という善政を施し民にも慕われていた北条家を滅し、一統を成し遂げた。当時は、酷いと七公三民なんて民から搾り取る武将もいたらしいから、北条は凄い。後に移ってきた家康が、善政のつもりで五公五民でどうだー、とやったら「ウチはずっともっと良くしてもらってた」と旧北条の民から返されたとの逸話は、今後出てくるのか?

 ドラマでは、ようやく降伏した(と言いながら、氏直と違ってまだ甲冑姿の)氏政に、家康が「なにゆえもっと早くご決心なさらなかったか」と問うた。この時、氏政の口からまた瀬名のユートピア論が飛び出したのにはちょっと面食らったものの、民を大事にしてきた北条だからこそ、瀬名の話は響いたのかもしれない、とは思った。

 この時、その場にいた榊原康政はハッとしたように見えたが、家康は顔色を変えなかった。一番心の柔らかい部分を突いてくる瀬名に関する話でも、いつの間にか殿は狸に化けられるようになっていたか。

 気づけば家康の声音は以前からすると低い。そろそろ数えで50歳。最近の家康は物語の進行に従って坂道を転げ落ちるように年齢も重ねているから、役者さん(松潤)は声で加齢を表現するか。声って年を取っても一番変わらないと言われてなかったかとは思うが面白いものだ。

 秀吉は北条を滅ぼし、少し違うかもしれないが「人を呪わば穴二つ」という言葉が浮かんでしまった。一統の反面、秀吉の身内には不幸が続いた。旭、秀長、そして鶴松だ。次回予告では仲が死に、もしかしたら早々に秀吉ご本人も?ドラマの進行も巻きが入っている。

 本作では多忙だと言われながらも長々と星を眺め、家康に「気が合いそうですな」との人懐こい登場の仕方をした石田三成が、今回、徳川陣営を訪ねてわざわざ警告をした。織田信雄が国替えを断ったら改易されたと。親切だね、それより三成、忍城の方は大丈夫?

本多正信:殿、客人でございます。

家康:治部殿。

石田三成:小田原を制したご挨拶に。また、関東へのお国替え、おめでとうござりまする。

家康:そのことは、殿下ともう一度話し合うつもりじゃ。

三成:織田信雄様もまた、殿下にお国替えを命じられました。

家康:信雄様が?

三成:信雄様はそれを不服とし、異を唱えたところ…改易と相成りました。

家康:改易…織田家を取り潰すのか?

三成:徳川様は、どうかご辛抱を。

家康:わしは戦無き世を成すために殿下に従った。今の殿下のやり方にはついて行けぬ。

三成:殿下は賢明なる御方。これまで一度として間違ったことはございませぬ。もし万が一、殿下が間違ったことをなさったときは、この三成がお止めいたします。(立ち上がり空を見て)戦無き世を成す…私はかねてより、徳川様と同じ星を見ていると心得ております。共に力を合わせて参りとうございます。

家康:治部殿。(三成が頭を下げて去る。家康は空を見る)

正信:江戸からも、同じ星は見えまする。

 三成は、このドラマでは清潔感ある好ましい人物として描かれている。この人も後世の悪評をドラマが払拭する路線か。家康も、「今の殿下のやり方にはついて行けぬ」と秀吉配下の三成に直接言うなんて、ずいぶんとぶっちゃけたものだ。

 この人と、家康は十年後に戦うことになる。三成は、あの秀吉の貪欲さも見てきたはずだが「殿下は賢明なる御方。これまで一度として間違ったことはございませぬ」と言い切るとは。望遠鏡で見るように、自分を引き上げてくれた主として、美しいところだけ見てきたか。

 でも秀長も寧々もそうだった。常人にはモンスターはとても魅力的に見えるし、近くにいるからといっても止められないものだ。それを止める役を皆が家康に期待している状況なのかと思ってきたが、今のところ三成にもその気はあるのだね。

 前にも書いたが、家康はずっと補佐役として望まれてきた。今川義元は、嫡子・氏真を支える存在として家康を教育した。織田信長も、唯一の友としての位置づけで、自分のパートナーとして家康を望んでいた。

 秀吉は?妹の婿として一応、家康を遇して東を任せようとしている。義元や信長に比べて家康に対する特別な感情は無いが、ある意味信頼はある。家康はナンバー2気質の人なんだろうと改めて思う。

 そのナンバー2が天下を取り長持ちさせるのだから、面白いものだ。

(敬称略)