黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【どうする家康】#33 瀬名への誓いに縛られた家康に、自分の言葉を届けるための数正出奔

出奔理由、ドラマの数正の感情で言えば一択

 NHK大河ドラマ「どうする家康」の第33回「裏切り者」が8/27に放送された。第33回か・・・「おんな城主直虎」では鶴こと小野但馬が磔となり、直虎が止めを刺したんだった・・・と妄想がシュポーンと飛んでいきそうなところで止めておく。「直虎」も「どう家」も、パートナー的立ち位置の重要人物が主人公のもとを去る回ではあった。

 では、「裏切り者」のあらすじを公式サイトから引用させていただく。

家康(松本潤)は小牧長久手で秀吉(ムロツヨシ)に大勝。しかし秀吉は織田信雄(浜野謙太)を抱き込んで和議を迫り、さらに人質を求めてくる。そのうえ、秀吉が関白に叙せられたという知らせが浜松に届き、家康は名代として数正(松重豊)を大坂城へ送る。そこで数正は、改めて秀吉の恐ろしさを痛感。徳川を苦しめる真田昌幸(佐藤浩市)の裏にも秀吉の影を感じた数正は、決死の進言をするが、家康の秀吉に対する憎しみは深くーー。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 「家康の秀吉に対する憎しみ」って、お市を死に追いやった一点でそんなに深くなっていたのか。自分がまんまと秀吉の策に乗せられて、お市らを助けに行かずに甲斐信濃ニンジンをしゃぶっている間にあれよあれよと死地に追い込んだという、自分への不甲斐なさからの腹いせ?

 秀吉に対して、家康の心情として深まっているとしたら憎しみじゃなくて嫌悪感程度じゃないのかな、それならわかるけれど。建前はともかく、戦国の世なら下剋上は当たり前との考えもあったはずだが。

 「数正の決死の進言」が家康の心に届かないとしたら、

  • 家康が瀬名に、自分が戦無き安寧な世を作ると誓ったこと
  • 今川義元から教えられた「王道>覇道」の信条

ーーこの2つの観念的な話が邪魔をしているのではないか。

 特に前者が殿の心を占拠して縛っている状況では、いくら数正が「見えているものがある」(by 酒井忠次)と言ったって、現実的にどうこうの自分の言葉はとても届かない、取次としての役目を諦めるしかない、と思ったのでは。

 殿を呪縛から解き放ち、現実に目を向けさせるショック療法が、自らの出奔だったのだろう。そんな描き方を、このドラマはしていると感じた。

徳川家康:幼い頃、わしはそなたが苦手でな。いつも叱られてばかりおった。そのおかげで今がある。そなたが、わしをここまで連れてきてくれたんじゃ。

 そなたの言い分は分かっておるつもりじゃ。だがわしは・・・こうする他ないんじゃ。勝つ手立てが必ずやある。そなたがいれば。(数正の方を向いて)そなたがいなければ、できぬ。数正。

石川数正:(両手をついたまま座っている)大高城の兵糧入れが、ついこないだの事のようでござる。数え切れぬほどの戦をしてまいりました。実に多くの仲間を失いました。今も・・・夢によう出ます。あの顔や、あの顔やあの顔が。

 あの、弱く優しかった殿が、かほどに強く勇ましくなられるとは。さぞや・・・さぞやお苦しいことでございましょう。

家康:苦しいことなどあるものか。わしは、戦無き世を作る。この世を浄土にする。そう心に決めてきた!苦しくなどない。

数正:(体を起こして)そう、お誓いなさったのですね・・・亡き御人に

家康:(立ち上がる)王道を以て覇道を制す!わしにはできぬと申すか。数正!

数正:・・・秀吉にひれ伏すなどと申したら、この国を守るために死んでいった多くの者たちが化けて出ましょう。危うく忘れるところでござった。殿を天下人にすることこそ、我が夢であると。(立膝になって)覚悟を決め申した!もうひとたび、この老体に鞭打って大暴れいたしましょう!

 (家康の目を見て、両手をつく)私はどこまでも殿と一緒でござる。(立ち上がる)羽柴秀吉何するものぞ!我らの国を守り抜き、我らの殿を天下人に致しまする!(笑みを浮かべ、出ていこうとして、背中を向けたまま)殿、決してお忘れあるな。私はどこまでも殿と一緒でござる。(去る)

 この次の場面は夜。数正は妻の鍋(いかにもの慎ましい紺色ベースの打掛を、お出かけスタイルの壺装束みたいにしている薄幸女優ナンバーワンの木村多江)、家来も連れて出奔する。そして朝、空になった数正の屋敷に一足先に来ていた酒井忠次が「石川数正、その妻子、その家臣、出奔いたしてございます」と、駆けつけた家康に事務的に、だけど悲しい響きで報告した。

 その頃には数正夫妻は秀吉、寧々、秀長に大坂城で謁見。数正は秀吉と杯を交わして新たに「出雲守吉輝」という名を貰っていた。吹き曝しの、良く言えば自然を常に感じることのできる浜松城と、人工的に作り込んだ庭と金ぴかに光り輝く豪華な建物が大坂城。対照的だ。鍋が大坂城の廊下を見渡し、身をすくめていた。

 気になったのは数正の口上だ。秀吉に「石川出雲守吉輝、関白殿下のため身を捧げまする」とは言ったが、「身も心も」とか「全身全霊」とは言わなかった。彼が、心を家康の下に置いてきたのを思わせる。

 そして、残されていたのは木彫りの仏、たぶん秀吉に押し付けられたという金の入った箱、「関白殿下是天下人也」という書き付け。「羽柴秀吉何するものぞ!我らの国を守り抜き、我らの殿を天下人に致しまする!」と言われたばかりの家康は、混乱しただろう。いや、裏切られたと思っただろう。

 そうじゃないよ、家康。思い出せ、最後の数正の言葉を・・・。

交渉は、身内との情報共有が肝

 こうあってほしいという気持ちも込めて書くと、このドラマの数正は、明らかに家康のために出奔した。ドラマでは於義伊(中の子は「麒麟がくる」の竹千代君だ!)の次の人質として、やはり家康の子らを秀吉が望んでいた設定になっていたが、本来は「家老中之人質二、三人」(家康宛信雄書状)が望まれていたのだから、数正としては自分が人質になるぐらいの気持ちで、秀吉の下に赴いたのだと思う。

 松重豊が演じてきたこれまでの数正は、我を通す人柄ではない。徳川が生き残るとしたら遅かれ早かれ秀吉の旗下に入らざるを得ないと数正は考えていたようだったから、なるべく無事にソフトランディングできるよう、道ならしを先にしておき、有利な条件を徳川のために引き出すつもりと見た。

 きっと、自分が「緩衝材」になり、自分がいる限りは決して秀吉に徳川を潰させない覚悟だろう。

 今回は、しかし「百聞は一見に如かず」「井の中の蛙大海を知らず」が頭の中に何度も去来した回だった。当時の徳川が生き残るには、日の出の勢いの秀吉との和議しかないのに・・・それを知る人が徳川家中にほぼいなかった。

 ドラマの数正も、渋くて寡黙設定だから・・・手を変え品を変え、家中に自分の見てきたことをペラペラ喋って共有することができないタイプ。家中との情報共有が大事だったのに、戦勝を祝う場面でも、ひとりで風に吹かれている場合じゃなかった。特に日の出の勢いで相手方が変化している時には。

 戦前の日本を思い出す。アメリカの国力の実際の強大さを知らずに、はるかに貧乏国の日本が戦いを挑んでいた悲しさ。日露戦争時のポーツマスの講和でもいい。臣民は日本の現状を知らされていなかったから、講和の結果に不満足だとあれだけ憤慨したんだよね。

 例えば四天王の若手3人が、於義伊の護衛と称して大坂城まで送り届け、大坂の町と城を目にしていたらどうだっただろう。一気に情報が入って自らの不明を恥じただろうし、数正が出ていく事も無かったのではないか。

プロと素人の差を認めない人たち

 ドラマを離れるが、歴史家はこの石川数正の謎多い出奔をどのように見ているのか、NHK‐BSの人気番組「英雄たちの選択」8/30の回「どうした?石川数正~なぜ家康の忠臣は出奔したのか~」を興味深く見た。

 司会の磯田道史先生は家族ぐるみでファンであり、夫は「バランスの取れた真っ当な考え方ができる人だ」と、磯田先生を日本国の首相にしたがっている。そんなツテも権限も我が家はないけれど。

 その磯田先生が石川数正について「日本史上、一番お疲れさまが言いたい人。戦国一の苦労人。こんなに誠心誠意勤めた人はいませんよ」と言うのだから、これはもう間違いない。

www.nhk.jp

 ちょっと脱線する。単なる大河ドラマ好きの(一般人の)私が、気分とか期待とかイメージとかで勝手気ままに妄想を述べる時に、他方の歴史研究者の人たち(玄人)は、一字一句に裏付けとなる文献の有無を確認しながら慎重に話をしていることは、私も分かっているつもりだ。

 言葉遣いも、同じ日本語だからといって騙されてはいけない。玄人衆は一般人とは異なり、意味合いを厳密に捉える。厳密さという点で、言葉の捉え方のレベルが違う。一般人のように「カッコいいから」「こんなもんでしょ」とか、ふんわり雰囲気で言い回しを選んでいない。

 その文献とか厳密な言葉遣いとか、そうやって積み上がってきた学問や研究がある。それなのに、その研究上どうしたって存在する理解の深さ浅さの差を理解せず、高名な玄人にSNSで噛みついて返り討ちにあったり、困惑させている人たちを見かけるが、何故なんだろう。

 プロの研究者に太刀打ちできるほどの研究を、自分がしてきたのか?研究の積み上げを認めず、研究者と素人の自分が専門分野で対等に話ができると思っているのが不思議だ。

 このように玄人と一般人がごちゃ混ぜになった結果、大抵の玄人は困惑したままSNSから撤退していく。そうすると、せっかく興味深い専門的なツイート(今はポストだった)を拝見できなくなってしまう。それでも、玄人に噛みついて存在価値を認めてもらいたいのかな・・・。歪んでいるな・・・「餅は餅屋」なのに(脱線終り)。

 こういった「SNS上の素人さんからの噛みつき」にも未だ果敢に対応している(?)平山優先生も、この回の「英雄たちの選択」にはご出演。あと城郭考古学の千田嘉博先生、元国際交渉人の島田久仁彦氏が出ていた。

 石川数正が追い詰められていった現場は正に「国際交渉」の現場だ。数正のように相手方に取り込まれる「ミイラ取りがミイラ」型の取次役というか代表者って、今もやっぱり存在するんだろうか。

 自陣営を説得できないまま、自陣営から裏切り者として疑惑の目を向けられてしまう辛さよ。それを回避するためには情報をできるだけ共有することだよね。

プロの意見も「徳川を守るための出奔」

 前振りが長くなったが、こういった専門家のみなさんが一様に選択したのが数正の行動は「徳川を守るための出奔」であり、「徳川を見限って出奔」の選択肢を選んだ方はいなかった。そうだよね!

 平山先生が言うには、今の研究者たちの共通認識は、見限ったというよりも追い詰められて出奔したという路線だそうだ。

 先生方の理由づけの中で、興味深い所を記録しておきたい(ざっくりメモ)。

  • (平山)孤立している取次役は、当時、暗殺されるか、腹を切らされるか、取次を解任されるか3つに1つ。数正は暗殺される危険性が凄くあった。しかし、戦国期には取次役を解任したり傷つけたりすると相手方への宣戦布告を意味する。数正が暗殺されれば石川家の家臣が黙っておらず徳川家中の内乱状態に陥る可能性があり、そんな中で秀吉方と開戦を迎えては家康にとって最悪。そこで、あらゆる機密を握る徳川のトップである自分が秀吉の下へ行けば、家中の分裂は免れるし、「あらゆる手立てを知られてしまった以上戦おうとしても厳しい」という自制を徳川に促せる。
  • (千田)数正は取次役として苦労が多く、自分の息子まで人質に出し、全身全霊で家康を支えていた人。目先の十万石じゃ秀吉の下へは行かない。むしろ秀吉の下へ行ってもっとダイレクトに物事が分かれば、「秀吉は次こういう手を打ってきますよ」と伝えることができる。これまでしてきたことの延長として、動ける。
  • (島田)数正の出奔は、徳川家中にとってスーパーサプライズ。すごいショック療法。全て握っている彼が先方に行けば、徳川家の情報はダダ洩れで、ここで全部根本から変えなくてはいけないという意識を持たせ、陣形、戦略から変える後押しができた。
  • (磯田)豊臣は家康を殺したいとまで思っていない。秀吉は天下が統一したいだけ。家康方は5か国程度の東海筋の領国を持ったまま長期に生存したいとだけ思っている(ドラマとは違うけど)。これは妥結点がある。戦争をする必要はない。秀吉にしても家康と戦うデメリットは大きく(千田先生によると、岡崎城始め西三河の城は非常に戦闘的に作り替えられていた)、講和した方が良い。そのための蟻の一穴を開けるには数正が出奔するしかない。

・・・磯田先生の話は、「合理的に考えたら」という前提があると思う。戦国武将は血の気が多そうだし、常に合理的に人間が動けるものとも思えない。いきり立っている場面で、メンツを捨てて合理的に動ける契機に、数正の出奔がなったということだろうね。冷や水を浴びせられて、徳川家中がハッと我に返ったというか。

 そして、これは決定的なんじゃないの?と感じたのは、平山先生の指摘した「取次役が解任されたり傷つけられたりしたら相手方への宣戦布告」との当時の縛り。これがあるのでは、家中を説得できずに孤立した数正は、徳川を守るために出るしかない。これだな。つくづく取次役は辛いね。

 考えてみれば、織田信雄が秀吉に内通していた3家老を斬ったことが小牧長久手の戦いの宣戦布告になったというのを見たばかりだった。実際に、斬られた家老の地元で反乱が勃発し、信雄は鎮圧に苦労して家中がバラバラになり秀吉と単独講和するに至ったらしいから、秀吉は、この再現を徳川家中で狙ったのだろう。

硬軟取り混ぜて相手を追い詰める秀吉、やり手の真田昌幸

 徳川家中をガタガタにすることを狙って、秀吉が取次役の数正が家中から疑われるような意味深な手紙を出していたことも番組では紹介されていた。下ごしらえが凄い秀吉。

 「長久手の戦い(1584年)直後に、既に数正が調略されているかのような書き方」(平山)で、「その方に対しては前々から格別に思っている。馬鎧を贈った。万一家康の耳に入れば、その方の立つ瀬は無くなるかもしれない」と。怖いなー。

 翌1585年7月には、秀吉は関白に任官され、徳川への更なる人質(前述の家老二、三人)を迫っている。家中が激怒、反発する中で、ひとり数正だけが和議を主張している(武家実記)そうだ。「秀吉は天下の半を領し諸将の多くがその下風に立つ。たとえ一旦利を得るとも、ながく敵し難し」(寛政重修諸家譜)。ここで徳川から大人しく家老を出しておけば、家中で情報共有ができたのに。

 この1585年、閏8月には第一次上田合戦で徳川が敗退、11月に数正出奔という流れだ。

 2016年の大河ドラマ「真田丸」では、真田昌幸の弟・真田信伊が徳川方に居たから、その口車に乗せられて真田にとって非常にうまいタイミングで数正を出奔させちゃった、となっていたように思う。出奔で徳川は真田どころではなくなるのだった。

 「真田丸」ファンとしては、どこに信伊叔父上がいるのかな?とキョロキョロしてしまうが、残念ながら「どう家」では出てこないご様子。そして、第一次上田合戦がごく簡単に描かれて、「武衛」の佐藤浩市が表裏比興の者・昌幸として登場した。

 歓迎したい気持ちの一方で、ゴメンナサイと先に謝っておくが、何故に彼なんだろう。昌幸は家康の4つ下なんだけれど。佐藤浩市は言うまでもなくいい役者さんで上総介も印象的だったが、今回はもう少し若い役者に譲るべきだったのではないか。

 家族と一緒に真田昌幸候補として勝手に考えたのは、

  1. 綾野剛
  2. 大沢たかお
  3. 山本耕史
  4. 原田泰造

・・・だったかな。もっといたように思うが、今思い出せない(人の名前が出てこない年頃なので)。

 ①綾野剛は、最初「ウシジマくん」ファンの家族が、山田孝之が思い浮かんだけれど既に服部半蔵で出ているじゃんということで、二番手として思い浮かべたのが綾野剛だった。若すぎる気もするが。信之でもいいよね。

 ②大沢たかおは、「キングダム」で「ムフ」ばかり言っていないでそろそろ大河に戻ってきても良い人材かと。「花燃ゆ」もちょっと気の毒な結果だったし。優しそうに見えて底知れない怖さがありそうな、まさに表裏のある昌幸になりそう。

 ③山本耕史は、佐藤浩市が2年連続OKなら、何でもできる山本耕史だってOKでしょということで。少し気真面目が前面に出た昌幸となりそうだけれど。

 ④原田泰造は、ネプチューンのお笑いの人と思っていたら、「龍馬伝」の近藤勇での殺気に度肝を抜かれた。「篤姫」の大久保利通も良かったし、豪放磊落でコワイ昌幸を演じてくれそうということで。

・・・勝手にここで吠えてみても、佐藤浩市の昌幸は、年齢など気にされずすごくウェルカムされているみたい。数正が出なくなったら重鎮がいなくなるばかりだしね。

 家康の方も、見てくれで言えば数正と対話している場面で顔のラインも緩み、うっすら狸チックになってきたかもなと思ったら既に数え44歳。これからは殿の老け勝負が見どころか。

 ということで、色男殿・大久保忠世を演じている中の人がインタビューで次34回は「神回」と言っていた。楽しみにしたい。

(ほぼ敬称略)