黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【どうする家康】#36 家康の心を救った笑顔の於愛、偽りが誠になった夫婦

殿不在時、家中に指図をする於愛の方

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第36回「於愛日記」が9/24に放送された。徳川幕府二代将軍の母としてその名を遺した於愛を中心に、真田信幸に嫁ぐ嫁がないのすったもんだを演じた本多忠勝の娘・稲姫、お久しぶりの武田の間者・千代、そして初登場のはずだけれど見覚えのある茶々(やっぱりの北川景子がお市の方と二役)の話が主に描かれた。

 まずは公式サイトからあらすじを引用する。

家康(松本潤)は真田昌幸(佐藤浩市)から、北条に領地を渡す代わりに徳川の姫が欲しいと頼まれる。忠勝(山田裕貴)の娘・稲(鳴海唯)を養女にして嫁がせようとするが、父娘ともに猛反対。そんな中、家康が探させていた武田の女を、元忠(音尾琢真)が匿っていたことが分かる。説得に向かった忠勝は、抵抗する元忠と一触即発の危機に陥る。改めて、於愛(広瀬アリス)が元忠に話を聞くと、意外な事実がーー。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 忠勝は「説得」に行ったか?どうみても鳥居元忠(彦右衛門)に戦いを挑みに行っていたが。武田の女・千代を真田の間者と疑って「そそのかされた結果、真田の手先になっている」彦右衛門から千代を奪うつもりだったのだろう。

 この乱闘の原因になった渡辺守綱が面白かった。そうだった、彼は一向宗門徒側で戦っていたから千代を良く知っていた。だから彦右衛門宅で彦右衛門にいちゃつかれる千代を見て、すぐにそれと分かったのだ。それを家康に報告するならともかく、言いふらしちゃうなんてねぇ。

 守綱が乱闘の中で「やめい~!」と良く通る声でカッコつけて呼ばわった所に、「お前のせいじゃろうが!」と叫ぶ彦右衛門の蹴りがキレイに後ろから入った。さらに、本多正信が扇子をじっと構え、パン!と叩かれた時の顔がまた、作り込まれていておかしかった。

 しかし、この乱闘が起きた時、家康は正室の旭と上洛中。徳川家中のリーダー酒井忠次は同じく上洛中で、京に滞在することになったらしい。

 主不在のこんな時、重臣の彦右衛門と本多忠勝のいざこざを裁定する場面で、本多正信が「殿がお留守である以上、ここは於愛様の御指図を」と言ってきたが、ここにちょっと新鮮味を覚えた。

 これまでの大河だったら、裁定は於愛抜きで大久保忠世単独か、忠世と正信ふたりが話を聞き、殿の帰国までのとりあえずを決める路線になりそう。しかし今回は、於愛が殿の席の上座にデンと座り、脇に忠世と正信が控え、次の間に彦右衛門や千代、忠勝らがかしこまっていた。

 石川数正出奔の時に、評定の場に於愛が顔を出したことでSNSで異論を唱えて怒っている方々がいた。けれど、江戸幕府以降の女を完全に排除したシステムが出来上がっていない頃だと、こうなるって事なんだろうね。おもしろかったなあ。

お葉から於愛への助言が正に金言

 さて今回も、この脚本家お得意の「実はこうでした」の後出しジャンケン。「於愛日記」を振り返ることによって、於愛の裏を深掘りする作りになっていた。時系列に拘っていたわけじゃないが、慣れるとこれはこれで面白い。

 於愛は心から慕っていた夫を元亀3年10月(1572年、家康数え31歳、於愛は12~13歳⁈)に戦で失った。そして子ども2人を祖父母に預けて城に上がった時、お葉から於愛への助言が正に金言。さすが出来者のお葉、於愛を通じて家康をも救ったか…となる言葉だ。

お葉:(暗い顔の於愛の頬に両手を当て、口角を上げて)嘘でも笑っていなされ。皆に好かれぬと辛いぞ。

 その助言に従って日頃口角を上げるように努めていた於愛。例の、女たらしの井伊直政と見間違えて殿のお尻をスパーン!と叩く直前も、水面に映る顔を見てそうしていた。

 天正4年(1576年)5月20日、「思いがけぬお話を頂いた」と記したこの日には、於愛はお葉や彦右衛門に築山に連れていかれ、御方様・瀬名に面会。この場面はしっかり記憶にある。

 瀬名は「良い笑顔じゃ。愛や、殿のことをよろしく頼みます。そなたの大らかなところがこの先、殿の助けになろう」と於愛を側室とした。瀬名の死の3年前だと長篠の戦のせいで信康がPTSDを発症、瀬名は遥かなる夢への覚悟を固めた緊張の頃だったか。

 この時の於愛の心中は、日記によればこうだった。

御方様、私の笑顔は偽りでございます。殿のことは心から敬い申し上げているけれど、お慕いする御方では・・・ない。

 今回の鍵だった、この「偽りの笑顔」。武家のおなごは家と家のつながりの為に使命を帯びて嫁ぐから、好きだの嫌いだの言っている暇はなかっただろうね。於愛の場合はご奉公か。皆が皆、偽りの笑顔を浮かべていたと言えばそうだったのかも。

 天正7年(1579年、秀忠誕生の年)9月15日、於愛は「恐ろしいことが起こった」と書いた。瀬名に続き信康自害が伝わった日で、家康は心労から倒れた。於愛はさらにこう記す。

お支えしなければならない。私よりはるかに傷ついているこの御方を。笑っていよう。たとえ偽りの笑顔でも。絶えず大らかでいよう。この方があのお優しい笑顔を取り戻される日まで。

 於愛は秀忠を産んだ頃でも、お務めとしての「偽りの笑顔」を意識していたことになるのか…。家康も心は瀬名に在ったのだから、ふたりはなんとしんどいお務めの関係だったことか。

 それでも、於愛の「偽りの笑顔」はいつしか誠のものとなり、家康を救っていた。そうなったのはいつだったんだろうね。

家康:これまでそなたに救われてきた。いつもそなたが大らかでいてくれたから。そうでなければ、わしの心はどこかで折れていたろう。

 於愛も家康に救われていたと言い、無理やり口角を上げる仕草を「いつの間にか忘れさせてくださいました」と家康に感謝した。

 偽りの関係から始まっても、支え合う誠の関係になっていた家康と於愛。これから更に良い夫婦になって行けただろうに…ここで死んじゃったのは、本当にもったいないね。

連れ合いに先立たれる寂しさは不変

 於愛が若くして死んだので(諸説あるようだが30歳前後?)、彼女の死については「陰謀論」がささやかれたとか。

 築山殿の侍女が毒を盛った説については、家康の正室旭も於愛も同時期に死んでおりまさか?と思わないでもなかった。が、今作ではドロドロ系はNHKがやることじゃないし、「天使の瀬名」が侍女にそんな事をさせる訳もない。

 他方、「家忠日記」の作者・松平家忠の家中が関係する喧嘩で死んだとの同日記での記述は、信憑性があるかと気を揉んだものの、ドラマで於愛の死は具体的に描かれず、ナレ死で終わった。

 於愛はたびたび胸痛に見舞われた。瀬名譲りの薬研で胸の痛みを取る薬を作ってくれた家康に、いつか瀬名と信康のたわいない思い出話を聞きたかったと心の内を伝え、家康と笑い合っての幕引き。笑顔だけに悲しさの余韻が残る。

 家康が彼女と話題にしたのは例の、信康と五徳の祝言でのエピソードだったが、以前も瀬名が話そうとして笑ってしまった謎の面白話だ。最終回までには話の内容は明らかになるのだろうか?鯉が出てくるのはわかったが、他に誰か知っていたら話してほしい。京住まいになった忠次が、こっそり数正と話していたら面白いところだ。

 このあたりで、家康は瀬名、於愛、旭と都合3人の妻に先立たれることになる。連れ合いに死なれる寂しさは、人が簡単に死ぬ当時だって目減りするものでもないだろう。

 ちょっと脱線するが、ちょうど朝ドラ「らんまん」が9/29で最終回を迎え、主人公・牧野万太郎は原因不明の病で妻・寿恵子と死別した。発病を知り、万太郎が知人の力を搔き集めて急いで完成させた図鑑には、多くの協力者の名前が書かれ、掲載された植物は「爛漫の」3206種を数えた。その最後が新種のスエコザサ。体が弱る妻に「寿恵ちゃんの名前じゃ」「わしを信じてくれてありがとう」「愛しちゅう」などと伝え、抱きしめた。

 朝から涙涙。作中の万太郎も、モデルとなった牧野富太郎博士も、妻への気持ちは現代の私たちのそれと変わりないだろう。練馬の植物園には、スエコザサに囲まれた博士の胸像が立っているとか😢訪問したら、涙無しでは見られそうもない。

 「どう家」に戻るが、於愛が心に残る言葉を遺した。千代の件の裁定で人情ある「大岡裁き」をした家康が、「於愛の助言に従ったまで」と言う。その時に於愛が言った。

於愛:人の生きる道とは、辛く苦しい茨の道。そんな中で慕い慕われる者あることがどれほど幸せな事か。それを得たのなら、大事にするべきと思うまで。(千代と彦右衛門が深々と於愛に礼をする)

 大久保忠世がウンウン肯いていた。後世、水戸藩周辺で江戸時代末期までに作られ、徳川慶喜や渋沢栄一まで信じてしまっていたという、でっち上げの「徳川家康公御遺訓」にも何となく似ている。とにかく、こういう「できた妻」を早死にで失ったら、尚更辛い。

 於愛は、この裁定の時に千代の話を自分に重ねて聞いていた。千代としたら、最初は身の安全が守られればいいと思っていたのだろうな。その後、偽りが誠になっていたのを感じさせた。

於愛:千代、そなたの言い分は?

千代:ございませぬ。非道なことを散々してきた私の言葉に信用などありますまい。

於愛:彦殿を慕う気持ちは誠のものか?

千代:さあ…わかりませぬ。きっと偽りでございましょう。ずっとそうして生きてきたので。(彦に)あなたは私に騙されたのさ。もう私の事は忘れなされ。

於愛:千代。間もなく殿がお帰りになる。殿のご裁定を待つように。

於愛:(私室に戻って)回想「きっと偽りでございましょう。ずっとそうして生きてきたので」「私の笑顔は偽りでございます」(日記を出し、偽りの笑顔でも殿のために大らかでいようと覚悟した日を読み返す。)

 気になっていた、於愛のヘタウマ笛のエピソードは回収されず。亡き夫の笛を見よう見まねで吹いていたから下手だった?と予想していたが。今後、彼女の息子たち、秀忠か忠吉がその笛を吹いていたら面白い。

千代、そのエピソードに着地したか

 「千代の再登場は期待していい」と横から聞いていたので、てっきり千代が家康の妻ふたり(旭、於愛)の死に絡んでくるのか?と妄想をたくましくしていたが、大外れだった。脚本家は千代に悪事を重ねさせず、優しかった。

 千代は、長篠の戦で戦死した武田重臣・馬場信春(信房)の娘との設定で再登場。家康は、「築山の謀」の同志として彼女の行方を鳥居元忠に探させていたつもりだったが、元忠は半年も前に馬場信春の地元・教来石の外れで野良仕事に従事する彼女を見つけていたのに、家康に「恨まれとるに相違ない。処断されるか忍びの仕事をさせられては不憫」と早合点して隠し、勝手に妻にしていた。

 ・・・おい!何をやってる!と言いたくなるが、史実でも彼の側室は馬場信春の娘だから、架空の存在だった千代を絡ませ着地させたんだね。なるほど。

 千代は元忠の側室になってハッピーエンドか?まだ終わりじゃない気もする。関ヶ原の前哨戦、千代が夫の立てこもる伏見城に駆け付けたら面白いなぁ。

 千代の父・馬場信春は今作ではチラとも出てこなかったが、「風林火山」では元・男闘呼組の高橋和也が演じていた。2007年からもう16年も経つ。「武田信玄」の美木良介も覚えている。1988年だから35年前。はぁ、そんなに前か。

 年号等を確認しようとウィキペディア先生(馬場信春 - Wikipedia)を拝見したら、面白いことが分かった。

  1. 今作の時代考証を担っている重鎮、小和田哲男先生の母方の先祖が馬場信春なんだとか。
  2. 千代は元忠の男子を3人も生んだらしい。子孫には大石内蔵助がいるんだって。へえ!
  3. 千代の姉妹のひとりは、なんと真田信伊に嫁いでいた。昌幸の弟だ。「真田丸」では主人公・信繁の叔父で栗原英雄が演じ、誠にカッコ良かった。

 ・・・ということは、本多忠勝が千代のことを「真田の忍びだ」と大騒ぎして警戒し、稲の真田家への嫁入りに抵抗したのも、③という近いつながりがあった訳なのだね、なんて。

 今作「どう家」には今のところ出てこないけれど、信伊叔父上は徳川家臣のはず。出してほしいなあ。

凛々しい期待の稲姫

 いよいよの稲姫。「真田太平記」での紺野美沙子、「真田丸」の吉田羊が素敵に演じてくれていて人気のキャラだが、新たに鳴海唯が印象を塗り替えてくれるかな。

 鳴海唯はどこかで見たな~と考えていたら、この目力は朝ドラ「なつぞら」の明美だった。明美はまだ全然子どもだったのに、今の稲はすっかり大人。これも役者の力か、それともリアルに彼女が成長したのか。

 紺野美沙子の稲姫は、ずらり並んだ婿候補たちのあごを扇子でクイっと持ち上げ、吟味するシーンが印象深い。本来は髷をつかんで顔を見たらしいが、それじゃ豪快過ぎる。渡瀬恒彦演じる信幸が「無礼な!」等と叱り飛ばし稲に気に入られた・・・ような気がする。おしとやかで切れ者、「使者の御用の趣は」と、遠慮せずにずばり信幸に聞く姫だった。信之も敢えて彼女にはすべて告げ、徳川に隠し事をしない態度を見せた印象がある。

 吉田羊の稲姫は、彼女を溺愛する藤岡弘の忠勝パパが嫁入りの付き人に化けたり、何かというと現れ、子離れできていなかった。その点が今作の山田裕貴の忠勝パパの参考になるか。キリッとした稲姫だったけれど、正妻を譲ってくれた信幸の先妻「こう」や「こう」の息子には万事、思いやりがあった。

 どちらも、稲姫見せ場の例のシーンではハチマキを額にキリリと巻いて長刀を構え、堂々としていた。これが稲姫だよね。

 鳴海版も楽しみだ。前二者と違い、躾がなってないところが笑える。打掛を着崩したり、生け花にも苦戦。「輿入れ先が無い」と父に嘆かれるような不出来な姫設定だが、真っすぐな父に武芸はたっぷり仕込まれ、心身はしっかりしている姫と見た。

 彼女は、於愛に「好き嫌いは脇に置きなされ」と諭され、小田原征伐を避けるために苦心している最中の、北条家に嫁いだおふう(お葉の娘)が「大切なお務め」をしていると聞かされたところで顔色が変わったように見えた。そこから稲なりに考えたか。しかし、お葉親子は黙々と優秀だね。

家康:平八郎、異存ないか。

本多忠勝:(千代が)真田の忍びである疑いが晴れておりませぬ。真田は信用なりませぬ。万が一その忍びに、徳川重臣が操られていたとあらば由々しき事。寝首を掻かれてからでは遅い。

稲:ならば、私が。父上、私が真田に入り込んで真田を操れば良うございます。彦殿が寝首を掻かれたら、私は真田親子の寝首を掻きます。それでお相子。

忠勝:左様なこと、お前ができるはずがない。

稲:父上に武芸を仕込まれてきました。できます。(於愛に)夫婦を成すも、またおなごの戦と思い知りました。真田家、我が戦場として申し分なし。殿、謹んでお受けしとうございます。

大久保忠世:平八郎。お主があのじゃじゃ馬をどれほどかわいがっておったか、わしもよう知っとるつもりじゃ。だがな・・・。

本多正信:・・・いい加減、手放す時でござる。観念しなされ。

稲:父上、本多忠勝の娘として、その名に恥じぬよう立派に務めを果たして参ります。(忠勝、すすり泣き始める。)

於愛:(笑顔で家康と顔を見合わせてから、視線を千代に送る。千代、礼を返す。)

 覚悟を決めて「申し分なし」と言い切るカッコイイ娘の前で泣く忠勝よ…観念するしかないね。

禍々しい茶々、女優さんは手抜きで演じて

 稲は真田家に徳川の養女として輿入れし、プラス沼田の替え地も手に入れた真田は不平を言わずに矛を収め、沼田から手を引こうとしていた。徳川の努力によるものだ。

 しかし、沼田を手に入れても、ようやっと先代当主の弟・氏規だけを上洛させると決めた北条家に対して、秀吉は不満足。「沼田の一部を真田にもやれ、不公平だ」と言い出し、「それでは北条は満足しない」と家康は気色ばむ。このままではおふうや榊原康政の努力も水の泡、北条は秀吉と戦になる。

 さらに秀吉のストッパーとなっていた秀長が病。もう北政所と家康しか我が道を進む秀吉(もう訛りは使わない)には諫言できない、イエスマンだらけの取り巻きに気を付けなされと秀長から家康が耳打ちされたところで出てきたのが、北川景子が演じていたお市の方の長女・茶々だった。

 茶々は、煌びやかな衣装に身を包み、北九州市の成人式に参加してそう。秀吉が散々矢を射かけながら外してばかりの的に火縄銃をぶっ放し射抜くという、「セーラー服と機関銃」も真っ青な、派手な登場の仕方をした。

 やはり茶々も北川の二役だが、だけれど醸し出す禍々しさが違う。清々しく凛々しいお市には無いものだった。徳川の偽りスタートでも誠のある夫婦関係に至る姿を視聴者に見せた後で、豊臣には禍々しい偽りしかないのかと思わせる茶々。

 家康にも銃口を向けた時に一瞬暗い表情がのぞき、口で「ダーン」と言って笑い、続けて秀吉にも「ダーン」。化粧厚めのギャルがふざけて大笑いしているようだが、苦しい恨みも見える。(でも、井伊直政は家康に銃口が向いた時にはポーズでも主君を守るために間に割って入らなきゃ、ボーっとしてちゃダメだって!)

 茶々は、妹たちを安全に嫁がせるために、父母の仇・秀吉の妻とならざるを得ない。でも若い自分が、母の身代わりに母が嫌った秀吉なんぞの言いなりにされている事実には拭えない嫌悪感がありそう。こんな心理的葛藤があったら、まともに生きている方が不思議なくらいだ。

 そこで茶々の支えになったのが、母に誓った天下取りの言葉なのかな。

 そして、母を土壇場で裏切った(と茶々が考える)家康が目の前にいる。実のところは怒り心頭、引き金を引きたかっただろう。

 茶々(淀殿)といえば、古くは「おんな太閤記」の池上季実子(茶々のスタンダードを作ったか)や「徳川家康」の夏目雅子、最近ではどうしても「真田丸」の竹内結子が思い出される。

 竹内結子はメンタルの危うい茶々が素晴らしかった。それだけに、役を理解しようとして、茶々の闇を彼女は真正直に引き受けてしまったのではないか、役を超えて彼女自身がリアルに蝕まれたのでは?と、つい考えてしまう。

 だから、北川景子を始めとして今後茶々を演じる女優さん方には、ある程度手を抜いて茶々を演じてほしいくらい。落城3回の恨みの重さをバカにしちゃいけない。そんなに真面目に茶々に寄り添わなくていい、扮装で十分茶々だと分かるから。元々北川景子の根っこにある健全な明るさは大きな救いだから杞憂だとは思うけれど、メンタルのケアはしっかりとお願いしますよ、と言っておきたい。

(敬称略)