黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【どうする家康】#45 涙のプリンス秀忠こそが、戦を求めない「王道」を成す者

サブタイトルは「二人のプリンス」でも

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第45回「二人のプリンス」が11/26に放送された。いやあ、11月もこれで終わり、残るは12月の3回分だけ。視聴者側のこちらの気持ちも急いてくる気がする。まずはあらすじを公式サイトから引用する。

関ケ原で敗れ、牢人となった武士が豊臣の下に集結していた。憂慮した家康(松本潤)は、秀頼(作間龍斗)を二条城に呼び、豊臣が徳川に従うことを認めさせようとする。しかし、初めて世間に姿を見せた秀頼の麗しさに人々は熱狂。脅威を感じた家康は、秀忠(森崎ウィン)の世に憂いを残さぬためにも、自らの手で豊臣との問題を解決しようとする。そんな中、豊臣が大仏を再建した方広寺の鐘に刻まれた文言が、大きな火種になる!(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 サブタイトルではプリンスが「二人」だと言っているのだけれど、秀忠、秀頼、そしてかつての今川のプリンス氏真が登場し、家康の弱音を受け止める名場面があったので、プリンス4人でも良かったんじゃないの?と思った。

 今作では、今川が善なる存在で、氏真が家康の「兄」としてがっつり機能しているのが面白い視点で、これまでの大河ドラマなどには無いと思う(大抵、兄役に振り分けられていたのは信長だったのではないか)。その世界観がベースにあるのが面白いね、と既に書いたと思うが、今作の家康は今川義元(野村萬斎)こそを父とも尊敬し、氏真を兄と慕っていたから今川義元カラーの紺を多く纏ってきている。

 氏真が頼れる兄であれば、瀬名は従来説の悪妻ではなく最愛の妻であってもその世界観からするとごく自然、全く異常なものではなかった。信長&秀吉の暴力的な支配に耐え、やっぱり心には幸せだった駿府の今川時代があるんだね・・・瀬名を深く慕って当然じゃない?と、「どう家」世界観に慣れた私は、今そう思ったりしている。

 今回、家康が自分の跡取りの秀忠にも、自身が義元からたたき込まれたのと同様に「徳を以て治めるが王道、武を以て治めるが覇道。覇道は王道に及ばぬもの」と、ずっと教え込んでいたらしいことが分かって胸アツだった。初回からのロングパス。秀忠が、若き家康に重なって見えた一瞬だった。

 三英傑と呼ばれるが、家康が目指したのは織田信長でも豊臣秀吉でもなく、このドラマでは今川義元の王道の政。野村萬斎の義元はいかにも人格者で素晴らしかったと思い出される。初回で殺されたのにこの存在感。もう最終回も近いというのに重きをなしている。

 ということで、「兄」と思う氏真との会話で家康がボロボロ涙を流した場面を記録しておこうと思う。これは感動しただけでなく、虚を突かれた。泣き虫で弱虫、鼻たれの昔の家康(白兎)に意識は戻っているかのようで。家康は狸ではなくそっちが素だったんだよね。

氏真:わしは、かつてお主に「まだ降りるな」と言った。

回想の家康:(掛川城で氏真が投降する時のこと)いつか私もあなた様のように生きとうございます。

回想の氏真:そなたはまだ降りるな。そこでまだまだ苦しめ。

氏真:だが、まさか、これほどまで長く降りられぬことになろうとはなあ。だが、あと少しじゃろう。戦無き世を作り、我が父の目指した王道の治世、お主が成してくれ。

家康:わしには・・・無理かもしれん。

氏真:フ、何を言うか。お主は見違えるほど成長した。立派になった。誰もが・・・。

家康:成長などしておらん。・・・平気で人を殺せるようになっただけじゃ。戦無き世など、来ると思うか?1つ戦が終わっても、新たな戦を求め集まる者がいる。戦は無くならん。(涙がみるみる溢れ)わしの生涯はずっと死ぬまで・・・死ぬまで・・・死ぬまで戦をし続けて・・・(涙)。

氏真:(家康を抱きとめて)家康よ。弟よ。弱音を吐きたい時は、この兄が全て聞いてやる。(涙)そのために来た。お主に助けられた命もあることを忘るな。本当のお主に戻れる日もきっとくる

家康:ハァ(息をつく)。(時計の音が響く)

 氏真は、家康の白兎時代の「本当のお主」を知っている人だ。まだ、幼少期から兄弟のように共に過ごした氏真がいて良かった。

 また、戦をしたくない人が戦続きの人生なのだから、こういう絶望を家康が抱えていても不思議ではなかったね。自分も老い、残りの人生で「戦無き世」の実現が果たせるかどうか、焦っただろう。その後の歴史を知っているから、家康は迷いがないタヌキ親父だけで理解しがちだが、何と粘り強く、人生の最期まで歩んだ人なんだろうか。その途上ではこのように涙した時もあっただろうね。・・・そう考えさせる脚本だ。

 そういえば、オープニング曲のロゴ前に表示されていた四天王などが全て死没した今、家康だけがポツンとひとり表示されるようになった。次の阿茶局・松本若菜はロゴ後だ。時代考証の平山先生は、ドラマ制作側にもう少し多くの人物を出してはどうか、後半ほとんどいなくなっちゃうからと提案したことも当初あったとおっしゃっていた。が、こうなってみると、晩年の家康のポツン具合が表現できてちょうどいいのかも。

秀忠に過去の自分を見ていた家康

 先ほどちょっと触れたが、家康が、秀忠に過去の自分を見ていたとは、ちょっと意外だった。

 秀忠は、大坂方に「老木(家康)さえ朽ち果てれば、後に残るは凡庸なる二代目」と評価されてしまう人物として描かれている。大野治長がそう言うのも、覇権を競う「武将」としてのみ秀忠を見ているからだ。

 秀忠を演じている森崎ウィンがとても良くて、家族でファンになっている。NHKのドラマ「彼女が成仏できない理由」はももクロの高城れに目当てに見始めて彼の存在に気づき、「何この人凄いよね」と気になっていたが、今作でまさかの秀忠役。母親・於愛が広瀬アリスだからバタ臭い顔を持ってきたのかと思ったら(失礼)、そうじゃなくて森崎ウィンが秀忠だから、自然に見えるように広瀬アリスだったんじゃないの?と今や思ってしまうぐらいだ。

 彼の秀忠には、広瀬アリスの於愛がオーバーラップして見えることがしばしばだった。寄せて演じているのかな?と思っていたが、神君は、於愛じゃなくてご自身を彼の中に見ていたと。そうかー。丸顔の千姫は、神君からの隔世遺伝かな。秀忠の中にはちゃんと家康の血が流れていた証拠でもある。

 ドラマの中での秀忠は30代だ。秀忠は、家康が数え38歳で誕生している。30代の家康公が、どれほど泣き虫で心定まらず、榊原康政が前回の最後の諫言で言うまでもなく、酒井忠次ら家臣たちの支え抜きでは立ち行かなかったか。改めて、少し前の録画を数話見返してみた。

 秀忠が生まれて半年ほどで起きた、家康30代の大事件。瀬名と信康が自害するに至った築山殿事件が思い出される。「はるかに遠い夢」あたりでは私も瀬名ロスになって、岡崎まで旅立ったのだったよ・・・その気分が蘇った。あの頃は有村架純をどうやったら再登板させることができるかと考えもしたが、今、瀬名によく似た千姫がご出演でありがたいこと。(つまり、瀬名と家康は似たもの夫婦だったってことか。)

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 武田と織田に挟まれて、日々息つくのもやっと、どうしようもなかった家康。むしろ夫婦のリーダーは瀬名だった。その頼りにもなる愛する妻子を犠牲にせざるを得なかったなんて、自分が1度は内から瓦解する経験だったと思う。

 そういう30代を送っていた家康が、温かい目で秀忠を見ていた。武将として才ある次男・結城秀康(もう死んじゃってるけど)や、舅の伊達政宗と結びつき武将として一花咲かせたいと思いそうな六男忠輝じゃ危なっかしくて仕方ない。家康の中では、最初から秀忠しかいなかったんだと思えたシーンでもあった。

秀忠:あの京大仏の開眼供養だけはどうにかしてくだされ!間違いなく、豊臣の威光、益々蘇ります。正信にもそう申しておるのに・・・!

本多正信:う~ん・・・立派な大仏を作っとるだけですからなあ。

阿茶:うかつに動けば、かえって徳川の評判を落とすことになるのでは?

秀忠:しかし・・・

阿茶:自信をお持ちになって、堂々となさってるのがよろしいかと。

本多正純:諸国の大名は、秀忠様に従うよう誓書を取り交わしております。

秀忠:そんなものが何の役に立つ!・・・父上、世間で流行りの歌をご存知ですか?

家康:歌?

秀忠:「御所柿は、ひとり熟して落ちにけり。木の下にいて拾う秀頼」

正信:大御所様という柿は、勝手に熟して落ちる。秀頼様は木の下で待っていれば天下を拾える。

正純:何と無礼な!

正信:だが、言い得て妙じゃ。

正純:父上!

秀忠:この歌に、私は出てきてもいない。取るに足らぬ者と思われておるのです。父上が死んでしまったら・・・私と秀頼の戦いになったら、私は負けます。負ける自信がある!秀頼は、織田と豊臣の血を引く者。私は凡庸なる者です。父上の優れた才も受け継いでおりませぬ。父上がいつ死ぬのかと思うと・・・夜も眠れませぬ。

家康:秀忠。そなたはな、わしの才をよく受け継いでおる。

秀忠:まさか。

家康:まことじゃ。

秀忠:どこが?

家康:弱いところじゃ。そして、その弱さをそうやって素直に認められるところじゃ。(秀忠、ふてくされる)わしもかつてはそうであった。だが、戦乱の中でそれを捨てざるを得なかった。捨てずに持っていた頃の方が、多くの者に慕われ、幸せであった気がする。(秀忠、真面目に聞き入っている)わしは、そなたがまぶしい。それを大事にせい。(秀忠、驚いたような表情)秀忠。(立ち上がって秀忠のそばに来る家康)よいか・・・戦を求める者たちに、天下を渡すな王道と覇道とは?

秀忠:徳を以て治めるが王道、武を以て治めるが覇道。覇道は王道に及ばぬもの

家康:(うなずいて、秀忠の前に顔を寄せ)そなたこそが、それを成す者と信じておる。(涙と鼻水を流し、家康を見つめる秀忠。家康が、秀忠の肩をポンと叩く)わしの志を受け継いでくれ

秀忠:(家康に頬をポンポンと触られ、一礼。去り際、涙を拭う)

阿茶:(涙を拭う)(家康の背後に、時計が時を刻む音が聞こえる)

 覇道じゃなくて王道の志を継ぐ者だから秀忠なんだと、秀忠自身も、周りにいた家臣も、視聴者も、皆が深く納得したシーンだったと思う。夏目吉信(広次)に家康が言われたセリフじゃないか、泣かせるなあ。脚本家さんも役者さんも素晴らしかった。もう今回はダラダラ書くのをここで止めてもいいぐらいだ。

 でもね、覇道に訴えられたら秀忠が「負ける自信がある」との言葉も、又真実だと家康は受け止めただろう。だから、王道の達成を秀忠に託し、自分が覇道に訴えてくる相手との戦いを全部背負って終わらせてしまう「終活」を考えたのだろうね。

覇道に目が無い大坂方

 一方の大坂方。秀頼の武将としての素晴らしさを誉めそやす場面が、対照的にすぐ出てくるのが分かりやすい。覇道しか考えていない悪のドロンジョチームだ。

 まるで最近は厚化粧のドロンジョ様のようにしか見えなくなってしまった茶々を、北川景子が振り切って演じているのがまだどこか信じられない。堺に遊ぶ家康の前に現れ、「あなた様は安泰」と信長が唯一の友だと考えているからと告げた時の優しく華やかなお市と違い、声音にもドスが効いている。女優さんは凄い。

 その茶々が「惜しいの・・・柿が落ちるのをただ待つのが。家康を倒して手に入れてこそ、真の天下であろう?」と言い出し、例の方広寺の梵鐘の銘について「面白い。面白いのう」とあえて仕掛けをしてきた。徳川方がイチャモンを付けたのではなく、豊臣があえて勝負を挑んできた話になっているのが今作だ。まさに、「戦を求める者」として茶々らがいるのだね。

 話が前後したが、家康は秀頼には後陽成天皇の後水尾天皇への譲位に際する二条城の会見で「してやられている」。これまでは、ただ賢く立派に育った秀頼を見て家康が脅威に感じたから豊臣殲滅に動いたと描かれていたように思い、「真田丸」と「真田太平記」の会見場面を見返した。

 「真田丸」では、中川大志の秀頼が出てきた時点で豊臣の優勝!とも思ったが、むしろ秀頼を守り抜こうとする加藤清正の存在に会見では焦点が当てられていた。本多正信の制止を振り切り、家康にも立ち去れと言われているのに、家康側のお付きのように振る舞うことで会見の場に居続けた。

 「真田太平記」の秀頼は、中村梅之助の家康とにこやかに上段に並んだ。加藤清正が、実は徳川方の忍びの料理番に毒を盛られ始末させられていくなど、忍びの暗躍が描かれた。

 この2作は真田家フォーカスなので、当然ながら九度山に蟄居させられている昌幸の動向も出てくる。今頃気づいたが、昌幸はこの二条城の会見(3月下旬)があった数カ月後の1611年7月に死んでいるじゃないか!えええ!

 豊臣に肩入れする加藤清正が6月に死に、浅野長政が4月上旬に急死、息子幸長も翌々年に若死したことがよく取り沙汰されるが、なんとなんと、真田昌幸も死んだのはこの会見後だった。守ってくれた本多忠勝も既に死んでいるし、徳川方の良からぬ関わりを感じてしまう。

 脱線したが、ドラマでの秀頼。如才なく「わざわざのお出迎え、恐悦至極に存じます。秀頼にございます」と笑顔で家康に近づき、上座をどうぞどうぞと譲り合い。「意地を張るのも大人げのうございますので、横並びに致しましょう」と上座に横並びと見せかけておいて、スチャッと下座に着いて見せた。おじいちゃん家康はパッと身動きできないからねぇ。

 豊臣を公家として祀り上げ住み分ける作戦は大失敗、さらに「武家として」と高らかに宣言されてしまった。秀頼を跪かせたはいいが、徳川は、上方の民衆から「秀頼は慇懃、徳川は無礼。秀頼はご立派、徳川は恥知らず」と罵声を浴びることになった。

 「涼やかで、様子の良い秀吉じゃ」と家康が評すほどのここまでデキる挑戦的な秀頼は、これまたあまり見たことがない。ドロンジョ茶々様の教育の賜物だ。三浦按針に大筒を依頼し、家康が自ら片付けようと腰を上げたのも頷ける。秀忠への親心もそうだが、戦無き世実現への執念が感じられる。

 次回はいざ、大坂の陣だ。

(敬称略)