職業性ジストニアに当てはまるのだそうな
NHK朝ドラ「カムカムエヴリバディ」で、ジョーがトランペットを吹けなくなってしまったことについて前回ブログでこう書いた。
動物番組で「かわいいな~」と思って見始めた頃に天敵に捕食されるシーンが流れて言葉を失うような・・・感情移入する視聴者を嘲笑うかのような、主人公の幸せが不幸に暗転する状況をバンバン提示して「どう、面白くなってきたでしょ」とか?
ということで、荒唐無稽なほどに不幸を持ってきますよね。トランぺッターだから、右手の指が痙攣でもして操れなくなるのかな?と思ったら、あの原因不明ぶりでは・・・現代のお医者さんの見解を聞いてみたい。(「カムカム」るいの「天下御免の向こう傷」 - 黒猫の額:ペットロス日記 (hatenablog.co)
そうしたら、この症状に関連する記事やブログが「カムカム」に絡めていくつか見つかり、今回のジョーの症状は「職業性ジストニア」「局所性ジストニア」という病気に当てはまりそうだと分かった。
心理的な病ではなく、脳の病気だ。自分の意思とは関係なく、筋肉の収縮が起きてしまうそうだ。この↑ヨミドクターの記事で紹介されているように、脳の手術によって以前のように演奏できるようになったギタリストのIMAJOさんのようなケースも、現代では存在する。
物語の進む時代では、そうはいかなかっただろうけど。
ピアニスト、ドラマーやギタリストなど反復して手や指を酷使するミュージシャンではそんな病気があることは聞いたことがあった。でも、トランぺッターでもそうだったとは考えが及ばなかった。
そうしたら、今作「カムカムエヴリバディ」で作曲担当の金子隆博さんも、42歳でジストニアに見舞われ、サックスを諦めた過去が実際にあるのだそうだ。
サックスを吹こうと思っても、サックスをうまくくわえられず、意思に反して首が逃げてしまうんです。最初の3年ぐらいは病名もわからず、サックスを演奏することができず、どうしようか悩み続けていました。 演奏家ってみんな1つのフレーズを弾けるように、繰り返し繰り返しやるものなんですが、自分としては喜々としてやっていることが、実は体にとってはちょっと負担になっていたということなのだと思っています。
金子さんの場合、19歳からプロとして演奏してきたサックス。42歳と言えばもう20年以上も演奏してきて、油も乗り切って自由自在に音も出せて、体の一部のように扱うことができるぐらいの感覚があったのでは。
それを脳が拒否してうまくくわえられずに首が逃げるとは・・・何ということか。
ジョーもトランペットの音がまず出せない様子で演じられていたけれど、マウスピースに息を吹き込むことを脳が拒否するのだろうか? 何十年も演奏をしてきたプレーヤーが・・・というのではなく、あんなに若いジョーが?
もしかして、戦災孤児としての幼少期の栄養失調など、過酷な経験が影響する病としてジストニアは説明できるものなのか。ケチャップをべったりシャツにこぼしてしまうのは、単なるあわてんぼうでなく、脳の病気が示唆されていたのか。
しかし、実際の金子さんの場合は、サックスプレーヤーがダメでも音楽の道は続いていた。また同じ記事から引用させてもらうと・・・。
サックスに関しては、プロとして19歳の時から本気で演奏してきたので、渡辺貞夫さんじゃないですけど「一生かけてサックスと向き合い、自分の音を見つけていこう」とずっと思っていたので、それなりのショックはあったと思います。
でも42歳だったので、それ以上に音楽のクリエイティブな楽しさを知っていました。作曲をしたり、他にも音楽で自分なりに表現できることって何だろうと考えるようになりました。
――非常に困難な状況なのに、どうしてそのように前向きになれたのでしょうか。
結局、昔からずっと音楽だけは続けていました。これでいきなりラーメン屋さんを始めましたとか、いきなり絵を描き始めましたということではない。ロールプレイングゲームみたいに、アイテム1つ取られました、サックスってアイテムをとられました、じゃあそこで死んじゃうんですか?って。まだ先がありますよ、さあどうしますか?っていう、そのぐらいのことではないかと思います。
クリエイティブな才能は、ジョーにもある設定だったはず。作曲にもかつて取り組んでいた。「いきなり回転焼き屋さんを始め」てしまったけれど、時期が来れば、トランペットというアイテムを1つ取られても、何かきっかけさえあれば音楽は溢れ出てくるのではないだろうか?
私も、40年近く離れていた音楽に形を変えて戻ったばかりなので、余計にそう強く思うのかもしれないが・・・音楽は人生を支えてくれる。ぜひ、ジョーの人生に音楽を取り戻してほしい。
ジストニアは不幸を描きたいだけ?
ただ・・・主人公を次々と不幸で見舞うのを面白さだと考えて、その目的であの脚本家に選ばれたのがジストニアという病だったのだとしたら。ヒロインが事故で向こう傷を額にザックリ負い、その相手役が難病のジストニア。その他諸々の不幸が「安子編」から連綿とあるのに・・・まだ飽き足らないのか。
不幸でお腹いっぱいだ。
ひどい不幸の連鎖が無いと、日常の小さな幸せを感じる物語が紡げないとでも考えるのだろうか・・・朝から。荒物屋あかにしの吉右衛門ちゃんの成長後の人格変化にびっくり、ぐらいにしておいてほしい。
時代劇なら、現代人からしたら理不尽な状況が普通に存在していたわけだから不幸続きも「そうなのかもね」と思えても、戦後、現代も近いと、やっぱり不幸続きには荒唐無稽感が漂う。
漫画『風の谷のナウシカ』を読んで思ったことなのだけれど、平和や環境の大切さを訴えるのに、こんなにも延々と戦闘続きの場面を描かないといけないのか。それと似ている。(いや、戦闘シーンを描きたいだけだよね・・・。)アニメが素晴らしかったので、いつか原作本を読みたいと思っていたのに、そんな風に思って白けてしまった。
ヒロインの不幸を描きたいだけのように見えて、視聴者を身構えさせる「カムカム」。せめて、ジョーの音楽ぐらいハッピーな方向で伏線回収してほしい。