黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

「カムカム」ひなたの道、どう輝くのだろう

「ひなたの道を歩けば、きっと人生は輝くよ」

 3代目ヒロイン・ひなた(川栄李奈)と条映大部屋俳優・五十嵐文四郎(本郷奏多)との別れが描かれた第19週。ひなたの父として錠一郎(オダギリジョー)はわざわざ条映を訪れて、文四郎に自分の夢破れた過去を伝え、「ひなたの道を歩けば、きっと人生は輝くよ」とはなむけの言葉を与えた。

 さすがジョーだなあ。最初、錠一郎の訪問に対してステレオタイプな想像をし、文四郎は非難されるものと警戒心を丸出しにしていたけれど、肩透かし。錠一郎は敵対するのではなく、並んで座ってみせて、文四郎に寄り添った。

 そこが、視聴者から「ヒモ」扱いされながらも2代目ヒロイン「るい」と心温まる良い家庭を築いてきたジョーの真骨頂。あのようにしても、全然突飛ではない。けれど虚勢を張るのが通常運転の文四郎には理解不能だったろう。それが理解できるようになれば、文四郎も自分自身を救うことができるのだろう。

自らを最下位にランク付けする危険性

 文四郎は大部屋俳優であり、五十嵐だから「嵐寛寿郎の五十倍」のスターになることを夢見てきた。ところが逆に、条映スターである「破天荒将軍」に絡んで干されることになり、条映を去ることになった。

 彼は、父親が社長で兄が副社長の小さい会社で働くと「ひなた」に告げていたけれど・・・どこに行ったとしても、自分のポジションを愛せず、ランキングを意識してしまって外向きの社交辞令じゃなくて本当に自らを卑下して最下位にランク付けしてしまう人は、幸せにはなれないと思う。

 文四郎は「大部屋のままじゃダメなんだ」と言っていた。

 言うまでもなく、時代劇は主役のスター俳優だけでは成立しない。相手役となる大勢の斬られ役の俳優たちがいなければ、物語にならない。「日本一の斬られ役」として有名だった福本清三さん(昨年逝去)は、それこそ大部屋のまごうことなきスターだった。

 大部屋俳優に比べて、得られる金銭や名声は、主役俳優の方が大きいのは疑いようもない。だが、本質的には物語の中で果たす役割が違うだけであり、人としては対等だ。むしろ、役を離れても周囲に対してそんな意識が欠けて甘え放題の主役俳優(すみれさんとか)は人間としてどうかと思うし。

 役は物語だけのことなのだ。そこで人間の上下が決まるわけではない。そもそも、他人と比べての上下なんかない。繰り返すが、人として対等だ。

「思い通りにならないBさん」文四郎

 文四郎については、登場してきた時に危惧を抱いていた。「ひなた」を「バカだ」と下に見てきた。モラハラっ気がたっぷりだった。だから「ひなた」と恋人になってしまうのを心配していた。

toyamona.hatenablog.com

 ひなたは「ちりとてちん」のB子とも似ている。そうなると、待てよ・・・コメディかもしれないけれど、また少し身構える必要があるのかも。

 脚本の藤本有紀が描く女の子は自分に自信のないイメージが強い。そして、相手役は大抵がモラハラ系男子だから困る。自己肯定感が低い女子がつかまりやすいダメンズ。世の中的に要注意人物なのだから、あまり美化して描いてほしくないところだ。

 さっそく本郷奏多が、モラハラ男っぽく登場してきた。嫌だ嫌だ。ジョーが自分の機嫌は自分で取るのが大人だと教え、改心させてほしい。

 幸いにして、「るい」とジョーの子として「ひなた」はたっぷり愛され、自己肯定感高く育っていた。初代ヒロイン安子とその点は共通し、2代目ヒロイン「るい」はそれを欠いていた。「ひなた」はバカにしてくる文四郎に対しても「底抜けのアホ」と反発できて、「私を夢を諦める言い訳に使わんといて」とキッパリ言える女子だった。

 その点は本当に良かった。「自分の欠点を正直に指摘してくれる」とか言ってモラハラ男の支配下に絡め捕られていく自己肯定感の低い女子になっていなくて。

 別れの際、文四郎は「ひなた」を眩しすぎると言っていたが・・・養成所時代を入れたら7年以上だろう、そんな時間をかけても自分は名のある俳優になれなかった。時代劇を愛していたというより、自分は上に這い上がりたい、上に立ちたい気が満々だったのに果たせなかった。

 文四郎にとってスター俳優というのは、人の上に立って「どうだ、すごいだろ」と周囲にドヤ顔をして留飲を下げるための手段だったと言ってもいいかもしれない。もしかしたら、俳優を続けるためにも家族に見せたかったのかもしれないが。

 その主役俳優になることだけを夢見て大部屋を端から通過点としてしか考えていなかったとしたら、いつまでも「上に行けない」自分の状況は信じたくないし、耐えられないだろう。

 文四郎を見ていると、以前のブログでも散々書いている「思い通りにならないBさん」を思い浮かべてしまう。(Bさんについてはコチラ➡五輪休戦無視のロシア、中国はいいの? - 黒猫の額:ペットロス日記 (hatenablog.com)

 自分が意識の上で作り上げた上下関係にとらわれて、自分は下にいると信じて自分から辛くなっている。人としては対等なんだけどね。きれいごとだと思っているのか、そこを信じない人なんだな・・・文四郎はジョーとさらにじっくり話すか、アドラーを読んで楽になってほしい。

 とりあえず、実家に帰りつく前に交通機関で暴れて事件を起こすとか余計な想像をしてしまうけれど止めてほしい。これまで放ってきた実家を支えていた兄にいじられて、逆ギレして暴発するとかも止めてほしい。

 きっと「ひなた」は文四郎がどんな役を演じていても、時代劇を愛する同士として彼の仕事を応援する気持ちは変わらなかったと思う。小さな幸せを大事にして生きてきた「るい」とジョーの娘だもの、そんなことで人を下に見たりしない。

 少し前に、ネットで介護職の若者が「世の中で底辺だと思われている職業」だと自分のことを卑下して書いていて、仰天した。大変な、世の中にとって欠くべからざるお仕事であり、プロフェッショナルだ。賃金が低いのはそれがおかしいのであり、その地域の議員と同等の賃金を得るべきだと私は思っている。断じて底辺ではない。

 心の中での孤独なマウンティング競争に、終止符を打ってほしい。そんな一人芝居は誰も幸せにしない。

 文四郎が心を入れ替え、誇りを持って大部屋俳優の斬られ役を演じられるようになれば、「ひなた」との未来も開けるだろう。そうあってほしい。

とうとう再登場のラジオ英語講座

 さて、物語上はすっかり音沙汰が無くなっていたラジオ英語講座。ひなたの友人の小夜ちゃんが英語を学び続けビリー(あれだけの出演にもかかわらず、人物紹介に意味深に表示され続けている。しかも、以前のロバートの位置に。となると、城田優の出番か)と結婚するのかと想像していたけれど、視聴者に隠れて学び続けていたのは「るい」の方だった。しかも、小夜ちゃんは手近な吉之丞と結婚すると・・・。

 そうだよね、今期のドラマはタイトルも「カムカムエヴリバディ」であり、「英語講座と歩んだ親子3代」とかの触れ込みだったわけだから、「るい」が学んでいないとね。しかしな~。

 安子との思い出が英語に対してハードルになるかと思ったけれど、せっかく「ひなた」のために買ったテキストと、せっかく福引で当てたラジオを無駄にはできない現実的なたくましさが「るい」にはあったのだろうか。「るい」も、変に全方向的に怯えていた昔とは違って立派な関西のおばちゃんに成長したってことかな。

 「英語には挫折したんや、子どもの頃に」という「ひなた」に、あきれる「るい」。挫折って大層に言うほどには勉強はしていなかった。そして手っ取り早く短絡的に駅前留学に飛びついて、結婚資金の貯金をはたいてしまう「ひなた」。

 ひなたを(あほやな~)とはとても思えない。手短に済ませて3カ月でペラペラになろうという、めんどくさがりの万人の心を突いたいい商売だし、なるみ(それだけで笑う)が出てきて立て板に水の営業をかまされたら、そりゃ乗せられてしまうだろう。

 「るい」が17年間ラジオ講座を聞き続けて一定の英会話をこなせるようになっていたのとは対照的だ。

 英語上達の道は、毎日少しずつ、継続するのが大事なんだとは全然継続してこずに錆びつかせ放題の私も重々分かっている。継続できるってそれが天才なんだよなあと、イチローの例を持ち出すまでもない、それが真実だ。

 よくドラマで努力のプロセスが軽快な音楽とともに飛ばされたり、時間が経過したりしてその後、ヒロインが何でもできるようになっているシーンがよく見受けられるが、安子と「るい」はそのパターン。「ひなた」ではそうならなかった。

 初代ヒロイン安子の場合「英語がうますぎる」とブログでも書いたけれど、ラジオ講座でコツコツと学び、英語をものにした初代&2代目と比べると、「ひなた」のポンコツぶりが際立った。「I'm expecting!」には大いに笑った。

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来週からは怒涛の伏線回収か

 来週の予告を見たら、姿を消していたサンタ黒須(算太・濱田岳)が再登場していた。ヒロイン一家も岡山に姿を現し、「るい」が「勇おじさん、ただいま帰りました」と口にしていた。

 この朝ドラも、いよいよ最終回の大団円に向けて動き出すようだ。もう放送期間は1ヶ月を切り、撮了したと報道でも伝わっていたから、そうなのだろう。

 初代ヒロイン安子のその後、安子から「るい」に残された誤解がメインとしては解決されるべきなんだろうし、ポンコツだけれど愛すべき「ひなた」がどう自分の道を見つけて輝かせていくのか。安子や「るい」の過去、「たちばな」のファミリーヒストリーに触れて、ひなたと桃太郎のきょうだいが色々と吹っ切れるということなのかな。

 岡山と言えば桃太郎伝説。岡山を訪れた桃太郎は、何に向かうのだろう。「たちばな」再建を目指して和菓子職人になったりするのか。「大月」のままでもいいけど。

 けれど、「ひなたの道を歩けば、きっと人生は輝くよ」と信じてきたジョーの音楽との関わりがどうなっていくのかが個人的には一番気になっている。

 もちろん、「るい」とささやかながら平和な家族を持つことができたことで、戦災孤児だった錠一郎の人生はちゃんと輝いている。

 しかし、音楽との和解はまだだ。安易で突飛な成功が待っていても何か白けるし・・・ジストニアを現在患う人たちも納得の輝かせ方を、難しいだろうけれど期待したい。

(敬称略)