黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【どうする家康】#29 伊賀越えで軽やかに松ケン本多正信復帰!おめでとう!

信長襲撃、家康黒幕説に1票!

 NHKのコメディ大河ドラマ「どうする家康」第29回「伊賀を越えろ!」が7/30に放送された。前回ブログで書いた通り、今作をただの「大河ドラマ」と認識するのは誤りだ、そういうつもりで楽しめばいいんだと気づいたので、忘れないように「コメディ大河」と書くことにした。

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 さて、8/5の再放送を見て改めて思ったのは・・・「こりゃ、殿がやりましたな!だけど秀吉に裏をかかれましたな!」だ。さすが生き馬の目を抜く戦国時代だ。

 まずはあらすじを公式サイトから引用しておこう。

信長、死す――。衝撃的な知らせが世を駆け巡る中、光秀(酒向芳)の命令で、家康(松本潤)は浪人から村人まであらゆる者から命をつけ狙われることに。岡崎へ帰還すべく、家臣団とともに逃亡する家康に、半蔵(山田孝之)は、服部党の故郷である伊賀を抜けるべきだと進言する。光秀の追手を欺くため、忠次(大森南朋)らと別れた家康は、伊賀の難所を越えて、一路岡崎を目指すが、道中で謎の伊賀者達に捕らわれてしまう!(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 伊賀越えの話は後で書くとして・・・。気になったのはオープニング前の秀長のセリフ。秀吉に問われ、言った。

羽柴秀長:やったのは徳川だなく、明智だわ。

羽柴秀吉:あ・・・明智・・・?ほんじゃあ、徳川殿はどこに?

秀長:僅かな連れと堺見物だとか。

秀吉:こりゃ死んだわ。

 この羽柴兄弟のドラマでの会話は、家康のことを「もう死んだ」と予想して言っている。僅かな連れしかいないんじゃあね、仕方ない、命運尽きたねお気の毒にと。

 でも、秀長も家康の動向を良く把握しているもんだ。情報を収集していれば、簡単に家康主従の動向は分かったのか。となると、実際のところ、信長討ちは家康が仕組んだんじゃないのかな・・・と思いたくなった。このドラマの話じゃなくて。

 つまり、僅かな供回りしかいない危地に自分を置けば、信長殺害の容疑者からは外れて見えるから。ぼく、堺に居ますよーとわざわざアリバイを言いふらしてある感じが怪しい。

 瀬名と信康の死からほぼ3年。ドラマのヘタレじゃなく、実際の家康だったら、本当に信長討ちのために考え抜いて準備万端整えそうだ。

  • まず、信長を討つには自分の手は汚さない。➡光秀を嵌め、けしかける。
  • さらに、皆が「妻子を殺された家康が信長を恨んで謀反を起こすだろう」と考え警戒していたらしいので、自分には嫌疑がかからないようにする。共謀者と思われると織田の各将と戦うことになってしまう➡僅かな供回りで堺にて大っぴらに遊び、自分も危難に遭遇したように見せる。実際は手なずけた伊賀者に守られてスムーズに脱出、帰国。光秀を討つために軍勢を率いて再上京する。
  • で、今や信長配下の大名であるし、各将が在京しないのをいいことに仇討の大義名分を以て謀反人光秀を討ち果たし、天下に号令する➡秀吉に裏をかかれ、出し抜かれた。

ーー流れとしてはこんな感じ?それが、堺から片道250kmもあるという三河に戻り、取って返す段階で情報収集に長けた秀吉に出し抜かれ、計画をコンプリートできなかったのではないか。

 秀吉の中国大返しは、どのくらいの距離を戻ってきたのだろう?ググってみたら備中高松から山城山崎では230kmだとか・・・。やはり往復しなければならない家康よりも移動距離は短かったが、ともかく秀吉の動きは家康の思惑の上を行くもので、予想外だったのだろう。

 そんな気がする。家康黒幕説の詳細は知らないけれど、そんな感じならば私も1票投じよう。

 しかし、みんな信長に死んでほしかったんだな。秀吉も晩年そうなっていく。家康だけが違うのは・・・流石色々勉強した結果だよね。

伊賀越えの諸説を取りまとめた今作?

 今回は伊賀越えの話だったが、家康が一体どこを通ったのか、本当のところはっきりわかっていないらしい。多くの歴史に詳しい人たちがそこら辺は書いておられるので、私みたいな素人の出番は無い。全然土地鑑もないし。

 「戦国・小和田チャンネル」で時代考証担当の小和田哲男先生がご説明されているので、後学のためにメモを取ってここに書いておく。

 「石川忠総留書」による「神君伊賀越え」のルートは、飯盛山の麓➡尊延寺➡草内➡近江甲賀郡➡信楽小川村を通ったとなるそうで、信楽小川村で、多羅尾光俊の小川城に泊まったそうだ。ドラマではこの通説が採用されている。

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 そのほか、「浄土宗寺院由緒書」には小川村の妙福寺に権現様御一行が1泊したと書いてあるそうで、その記録を郷土史家が見つけ、2015年末に新聞記事になった。この新説、ずいぶんと最近の話だ。

 小和田先生によれば、似たような記述は滋賀県教育委員会が出している「捴見寺文書目録II・浄厳寺文書目録」にも見られるそうで、先生は①小川城では接待を受けたのみで泊ったのは妙福寺か、②一行の人数が多くて城と寺で分宿したのか、と可能性を仰っておられた。

 詳しくは分からないが、この話は宿泊先は異なれど、同じ「甲賀・伊賀越え説」に属するらしい。他方、比較的新しめな「大和・伊賀越え説」もあるそうだ。

 今回のドラマでは、人目を眩ませるために小川城を前にして家康一行が3手に分かれた話にしていて、数説をいっぺんにカバー。山を走り抜けるには足手まといだからと、酒井忠次が信楽の近江路(遠回り)を行き、石川数正が桜峠(人目に付く)を行くという。うまい方法だ。でも、これありそう。

 家康の囮になるということは、忠次も数正も「わしは家康じゃ」と行く先々で言うはず。だから、方々で権現様ゆかりの・・・となって後世に残るんだね。

 それは家康の伊賀越えに限ったことでもなかろう。落人伝説や有名人のお墓などの史跡があちこちに残るのもそういう事かな?

 囮と言えば・・・「我こそは徳川家康」を名乗った坊主頭が討ち取られ、明智光秀が首実検に及んでいた。光秀が「これは穴山の首じゃ!家康の首を持ってこんか!」と説明してくれたが、つまりは梅雪が積極的に家康の囮になったということだ。

 なぜだ。史実でそうなのか?何か記録でもあるのか。いや、明智方の陣中で起きたことなど記録しても残らなそうだ。この部分はフィクション?

 ドラマの中だけの話だとすると、何しろあの優しい田辺誠一が演じる梅雪だもの、家康一行と別れる際に言っていた「主君を裏切って虚しい」話が気になるし、瀬名の遥かな夢に心酔したことも関係あった、ということかな。それとも、道中一緒だったし、家康をそこまで信頼するようになっていたのか。

 まあ、家康黒幕説に1票を投じた私としては、申し訳ないけど梅雪一行は伊賀越えで家康に殺されたのではないかと思う。これまでの道中、もし家康が「本能寺の変」の裏で暗躍していたとしたら、色々と見られてはマズいこともあっただろう。知り過ぎた男は、それで消されたのだ、と。

 それで、後々の徳川は穴山武田に色々と優しいのかと考えると辻褄が合うような?勝頼を裏切った穴山梅雪の印象は悪かったけれど、今作でイメージアップに成功した。

さっそく面白かったイカサマ師・正信

 甲賀の頭領・多羅尾光俊を演じる「きたろう」等があまりにも歓待してくれたのが怪しくて(振っている旗の模様が変!葵の紋じゃなくて♥3つに見える)、親切が過ぎると疑って家康一行は早々に小川城を退散。伊賀の地に足を踏み入れてしまった。その伊賀・音羽郷で久しぶりに再登場したのが本多正信だった。

 少し前に小川城で「伊賀が軍師を雇って信長と戦う気満々」の話が出た時に、軍師といえば!と皆ワクワクしましたよね?私もだ。

 伊賀で家康一行が捕まっても、お約束で肝心な場面になかなか姿を現さなかったが、正信は今回も様子を見ていたんだね。家康の成長を確認できなかったら、あの場で家康の首を百地丹波に落とさせていたと考えると恐ろしい。助けると決めたから、あの場に出てきた。

家康:わしの首をやる。だから他の者は見逃せ。

百地:(太刀を構える)

正信:ほ、よし、うぃ。(穴倉の階段を上って地上へ)

百地:おお、軍師殿。ようやく見えられたか。見てみい。徳川家康をとっ捕まえたわ。いい金になるぞ。

正信:こりゃ驚いた。本当に家康じゃ。こんな所で会おうとは。ふー。惨めな姿じゃのう。

家康:本多・・・正信。

正信:百地殿。間違いなく、こいつが徳川家康じゃ。わしはむか~しむかし、こいつの下にも居ったからな。(家康の頭を小さい箒で叩いて)ひっでえ主でな、寺に戦を仕掛けたんじゃ。わしは許せんかった。(牢の中にいる服部党の面々の頭を順に叩いていく)道理が通らん。よって御仏のためにこいつに鉄砲を向けて戦った。あと一歩まで追い詰めたが(一拍おいて半蔵の頭を叩く)無念。三河を追放されたんじゃ。(踊るような足取りで牢から戻ってきて)今でもこのろくでなしを心底恨んどる。

 家康、哀れじゃのう。こんな所で伊賀者の手にかかって終わるとは。最も情けない死に方をした大名として名を馳せるであろう!ヘヘヘヘヘ、ハハハハハ!

 さあ、百地殿。やれ!(太刀を振り上げる百地)妙な噂が広まっとるが気にすることはねえ。

百地:妙な噂?

正信:うん?気にするな、やれ!

百地:(太刀を下ろして)何のことじゃ。

正信:根も葉もない噂よ。信長が生き延びたっちゅう。(皆の顔色が変わる)バカな話じゃ、嘘に決まっとる。さあ、覚悟せい!家康!(百地に向かって頷く)

百地:(太刀を振り上げる)

正信:信長の首が出とらんのは確かなことだがな。

百地:(太刀を下ろして)もし、万が一信長が生き延びとったらどうなる?

正信:ああ?そんなことありゃせんわい。

百地:万が一じゃ!どうなる?

正信:信長が生きとったら?そりゃあ明智につくヤツなんぞおらんからな。あっちゅう間に明智は信長に滅ぼされる。そこに家康の首が届いたら・・・まあ、えらいことだわな。こいつは信長の弟分だからな。信長は、今度こそ間違いなく伊賀国を滅ぼすじゃろ。まっ、その時のためにこのわしがおる!安心せい、勝ってみせるわ。

 逆に、もし家康をここで助ければ、信長はもう二度と伊賀に手出しせんじゃろう。それどころか手厚く守るじゃろうなあ。だが信長は死んだ!死んだに決まっとる!首は出とらんが。さあ、やれ!

百地:(正信に促されても、もう太刀を構えない。正信を見る)

正信:早うやれ!わしはこいつを憎んどるんじゃ!お主がやらんならわしがやる。貸せ!

百地:フフ・・・(家康を見る)あんたはどう思う?信長は生きとると思うか?

家康:死んでいると思う。だが、首が出ていないのは確か。だから織田の家臣らは信長は生き延びたという噂を盛んに振りまいておるんじゃろう。そのせいで、しばらくは皆、様子を見るしかない。即座に明智に味方をする者は現れぬ。明智は、何としても信長の首を取らねばならなかった。だが、奴はしくじったんじゃ。奴に天下は取れぬと思う。

 (体を起こして)わしに明智を討たせよ。わしに恩を売れ。恐らくそれがお主にとって、最も利となることじゃ。(百地を見据える)(正信がその場を離れていく)

百地:(家康を見る)賢い物言いじゃ。軍師殿が惚れこむだけのことはある。フフフ。(家康を縛る縄を一刀のもとで切る)その口車に乗った!お主に懸ける。

(山の中)

家康:正信、なぜわしを助けた?

正信:身をもって伊賀者を助けようとする殿様など初めて見ました。なかなかの主になられたようじゃ。

 本多正信劇場。けれど、後半は家康が自力で切り抜けた。「どうしたらええんじゃ~」と泣いていたのも今は昔、か。ようやく鑑賞に堪える家康になってくれたか。

 百地丹波には正信の真意は丸わかりだった。「軍師殿が惚れこんでいる」と言われてしまった。さすがだな。

 史実の百地丹波は天正伊賀の乱で討ち死にしたとどこかで読んだけれど、こちら(↓)のブログが言うように、代々名乗っていた名前なのかもしれないし、生き延びていたのかもしれないし・・・ドラマに登場してきたのは面白かった。

百地三太夫~伊賀忍術の祖と百地丹波・藤林長門守 – 戦国武将列伝Ω 武将辞典

 正信は、これにて無事に史実通り「帰り新参」となるらしい。今回のドラマが本能寺の変の直後だから天正10年(1582年)6月の話、その2か月後の8月に徳川に戻り、10月には武田旧臣を懐柔するという、家康の腹心としての活躍の記録があると小和田先生が言っておられた。

 正信は狸化の片鱗が見られる家康には良い先生。イカサマ正信によって、家康の人間性にさらに深みが出ていくんだな。

 もし正信が岡崎クーデターあたりに家康の下に居たら、どうだったろう。瀬名と信康を死なせずに済んだような気がするな・・・すごく残念。

 そうそう、家康が捕まった時、本多忠勝と榊原康政、井伊直政は3人で何してたの?伊賀の山中に置いてかれてたの?服部党は捕らわれているのに?それでまた都合よく合流できるんだ・・・。そうだった、コメディだった。

オープニングの変化

 そういえば、テーマ曲が流れる際の出演者紹介に変化があった。

 「どうする家康」のロゴが出てくる前の4人は「特別枠」みたいなものかなと思っていたが、寂しいことに2番目が定位置だった有村架純の瀬名が去り、ロゴ直前にいつも出てくる岡田准一の織田信長が去り・・・。

 北川景子のお市、松嶋菜々子の於大が出てこない日は松潤家康だけになっちゃうのかなと変な心配をしていた。そんな訳ないよね。

 で、29回目のオープニングが始まってみると、1人目は当然ながら主役の松潤家康。次に出てきたのは大森南朋が演じる酒井忠次👏、そして本多忠勝の山田裕貴、榊原康政の杉野遙亮の四天王のうち3人がロゴ前で続き、「特別枠」を占めた。

 四天王のうち、井伊直政のみがロゴ直後。なるほどー。

 松山ケンイチは「特別枠」でもいいような気がするけれど、後ろから2番目。もう一人の大河主役経験者の中村勘九郎は最終グループ6人のうちの3番目?この順番って、考える方も色々と頭を悩ませそう。面子とか大変そうだ💦

(ほぼ敬称略)

 

【どうする家康】#28 恋愛コメディの主人公は、寄せられる愛に鈍感

岡田信長&松潤家康、本能寺の「恋」

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第28回「本能寺の変」が7/23の先週放送され、あまりにも有名な戦国武将・織田信長が討たれた。

 今の時点で、多分そうだ。まだ茶屋四郎次郎がセリフで言うだけで武田勝頼のように首を画面で拝見した訳じゃないので、今作の場合、一応ね、警戒はしておく。遺骸を回収したという阿弥陀寺のお坊さんたちも出てこないし。

 こんなことを440年も経っている後世の人間までが書いたりするぐらいだから、当時の人間は本当に疑心暗鬼になっただろうなあ。信長の、首を含めて、亡骸が晒されることは無かったから。「上様は死んでない」と秀吉みたいに喧伝する人間がいれば、余計に迷うよね。

 敵将の首を上げ、公衆に晒すという行為は残酷だが、ただそれだけじゃない。後続政権の成立に関わる問題だ。もし光秀がすみやかに信長の首を晒せていたら、三日天下は避けられたのだろうか。

 今作の光秀の場合、人望の点で無理そうだけれど、「麒麟がくる」の十兵衛光秀なら?何かできそうじゃない?

 さて、今回も公式サイトから、あらすじを引用する。

信長(岡田准一)が本能寺へ入ったという知らせを受け、家康(松本潤)は堺へ向かう。堺の商人たちと手を結び、家康は信長を討った後の体制も盤石に整えていた。だが、そこにお市(北川景子)が現れる。市から、あることを聞かされ、家康は戸惑う。信長を討つなら今夜しかないーー家康は、一世一代の決断を迫られる。そして迎えた夜明け、本能寺は何者かの襲撃を受け、炎に包まれ・・・。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 鉄砲の買い付けの算段は着けていたようだったが、堺では有名どころと接待ゴルフを重ねていただけでは?あれで「盤石の体制に整えて」家臣の鼻を明かすほどの戦略的な行動を家康が取っていたのかな。金の手当てができればすべて丸く収まるか。細かい話だけど。

 しかし、準備万端と家臣に言いながら、家康は悩んでいた。堺に突然現れたお市の言葉「あなた様は兄のたった一人の友ですもの」に悩み、瀬名の言葉「兎はず~っと強うございます。狼よりもずっとずっと強うございます。あなたならできます」を思い出し、信長を討つ決断ができない。信長の「待っててやるさ」まで脳裏には浮かぶ。こうなったら無理だろう。

 ところで、木彫りの兎を手に家康が叫び、寝ずに起きている家臣たちが耳を傾けている描写ってカッコイイの?夜中に叫ぶのはご近所迷惑、あまりに独りよがりで少年漫画っぽい。

 だいたい、いい大人の名のある武将が、自制心はどこへ。この人たちの生育過程で受けてきた鍛錬が、軽々しく叫ばせたりしないだろう。他人に弱みを見せるようなもので、白けちゃったのは私だけか?悩んでたら何をしてもいいのか。

 さて、こうして史実通りの本能寺の変が家康抜きで起きる訳だが、翌朝(変の当日)、家臣に言った

情けないが、決断できぬ。今のわしには到底成し遂げられぬ。無謀なることで皆を危険に曝すわけにもいかぬ。全ては・・・全ては我が未熟さ。すまぬ

で泣くところが、誠に「どう家」の主人公らしい、兎だ。憑き物が落ちたな。

 その殿に寄り添い、「お力になれず申し訳ない」「今はまだ、その時ではないということ」「いずれ必ず、その時は来る」「いずれ必ず、天下を取りましょうぞ」「それまで御方様の思い、大切に育みましょうぞ」と励ます家臣達は、本当にやさしい。

 憑き物が落ちる鍵になったお市との会話を引用しておこう。

お市:兄を恨んでおいででしょう。

家康:(張り付いたような表情で)とんでもない。

お市:私は、恨んでおります。(家康、遠くで厳しい顔)もっとも、兄ほど恨みを買っている者はこの世におりますまい。でも、あなた様は安泰。兄は決して、あなた様には手を出しませぬ。

家康:(訝しみ、近くに来て座る)何故?

お市:あなた様は、兄のたった一人の友ですもの。

家康:友・・・?

お市:兄は、ずっとそう思っております。

家康:(顔を背けて)まさか。(家臣たちも裏で話を聞いている)

お市:皆から恐れられ、誰からも愛されず、お山のてっぺんで独りぼっち。心を許すたった一人の友には憎まれている。(家康がお市を見つめる)あれほど哀れな人はおりませぬ。きっと、兄の人生で楽しかったのはほんのひととき。家を飛び出し、竹殿たちと相撲を取って遊んでいたあの頃だけでしょう。

 たまに思う事があります。いずれ誰かに討たれるのなら、あなた様に討たれたい。兄はそう思っているのではと。兄は、あなた様が羨ましいのでしょう。弱くて、優しくて(覗いている家臣の方を見て)皆から好かれて。兄が遠い昔に捨てさせられたものを、ず~っと持ち続けておられるから。

 出過ぎたことを申しました。そろそろ岐阜へ帰ります。また、お会いできますよう。(互いに例を交わし、お市は退出。名残惜しそうに廊下で振り返る)

 前回の「安土城の決闘」が、信長からの「愛の告白」としかみえない「決闘」だったのだから、いい加減信長の気持ちに気づいてあげようね、家康よ。

 信長は、正直にトップに立つ己の限界を見せ、涙を流して声を震わせ、君ももらい泣きしていたじゃないか。「本当にお前が俺の代わりをやる覚悟があるなら俺を討て、待っててやるさ」とまで言われていたじゃないか。まだお市の話に怪訝な素振りをするなんて、分かりが悪すぎる。

 妻子を失ったショックが大きすぎ、「弱き兎が狼を食らう」思考にすっかり自己陶酔か?そして、妻子を殺す原因が信長だから、お市に言われるまで信長から寄せられる愛にしっくりきていなかった?

 これはまあ、少女マンガや恋愛ドラマでよく見る話。主人公はなぜかとても鈍感で、誰かに指摘されるまで、寄せられている大きな愛に気づかないのさ❤テンプレだ。

 そして「本能寺の変」なんだけどね・・・変じゃなくて恋バナになってる。変の最中、信長の意識にあることが「家康」一択って。そんな事があるか。かわいそうな嫡男信忠、そして五男の御坊丸(信房・勝長)。この変の際に京で討たれているが、父に一顧だにされず今作ではキャスティングさえもされていないっぽい。

 念のために書くと、ドラマでは信長の家康への気持ちを「恋愛」としてドーンと押し出している訳ではない。「唯一の友」への友情だと、お市も言っている。その友情が暑苦しくて依存的な理由としては、お得意パターンである厳しすぎる父からの呪いだ。

信秀:信じられるのは己ひとり。それが己の道じゃ!(略)

信長:己ただ一人の道を行けと?

信秀:そうじゃ。どうしても耐え難ければ、心を許すのは一人だけにしておけ。こいつになら殺されても悔いはないと思う友を、一人だけ。

 孤独な信長が、縋りつくように家康を求めたのだ。しかし、信長の妻妾が一切出てこない今作、友情の範囲にその感情は収まるのだろうか?

 創業者が少年への性加害で大問題になっている「ジャニーズ」俳優のふたりが、NHKの看板・大河ドラマで、渾身の同性間の恋愛を演じているんだろうなと、私は興味深く見たが。(少なくとも信長➡家康)

 実は目論見はそこら辺にあるのか。同性間の恋愛に、大河を通じて市民権を与えるという。(ジャニーの性加害を容認するのとは全く違う。)それが信長&家康の「本能寺の変」だ。

 光秀と信長の関係を掘り下げた「麒麟がくる」とは全然違う。いちばんしっくりきた本能寺の変としては、私の中ではまだ「麒麟」が勝ち残っている。

岡田信長の言葉で気づいた「今作はコメディ」

 それと、NHK+で岡田准一のインタビューを見ていて、大事なことに改めて気づいた。安土城のある滋賀県近江八幡市での7/16のトークショー「本能寺の変直前SP信長・岡田准一、安土城の地・近江八幡で語る」だ。

 「どうする家康」の脚本家・古沢良太は、岡田准一曰く、「展開を作っていく事で物語を動かされる方」「人物を描かれる脚本家」「コメディが得意な方」。コメディが得意・・・そうだった。

 コメディ作家と言えば、比べて何だが、三谷幸喜というコメディの稀代のヒットメーカーは、「鎌倉殿の13人」「真田丸」「新選組!」を書いても、たまに滑るギャグが入るくらいで王道の大河ドラマとして成立させていた。さすが根っからの大河好き。「コメディ作家だが大河も一流のものが書ける」というところ。

 一方、今作はどうやら、コメディの得意な作家が、タイトルもいきなりコメディだと分かりやすい「どうする家康」を書いている。最初からコメディだったんだよ・・・「大河ドラマ」枠など何のその、コメディが得意な作家が、歴史と潤沢な受信料を使ってコメディを正面からぶつけてきている。そう考えて見るべきだった。

 そう気づくと、信長の血染めの真っ赤過ぎる着物も、信長のひと振りで明智方の兵が3人ぐらいは一気にぶっ倒されたり串刺しにされているのも、昔懐かしい時代劇か、香港映画のオーバーアクションっぽくて納得。「様々な武術の卓越した技に裏打ちされた、岡田師範の素晴らしい殺陣を皆さんご堪能ください」のショータイムだった。

 岡田信長は、最初に忍び(家康だと錯覚)に襲われ、どう見ても普通の人ならば致命傷となる傷を負わされた。刀は体を貫き、それを後から自分で抜いちゃったのだから、出血はとめどないだろう。

 しかし、尋常ならざる岡田信長だ。見た目が血まみれという多少のダメージは感じさせるものの、パワーは衰えずほぼ普通に戦い続ける。火事場の馬鹿力にしても、相当おかしい。笑うべき場面だった。

 白い着物もいつの間にか「赤こんにゃく」のように真っ赤っか。イメージは、昔、白兎・家康と出会った頃の信長の着物の色か。失血死しそうな出血量のはずだが、どこまでも死なない。弁慶か。

 だが、頭の回転だけは血が足りなくてままならず、「家康」「家康」だけになっちゃったってことかな。でも、ある意味幸福で、それが本望だったんだろう(光秀に会うまでは)。

 家康の方も、「信長」「信長」だけを考えて堺から逃げている訳だが、そんなに心ここにあらずの状態じゃ危ない。いよいよ三大危機の「神君伊賀越え」、上の空では簡単に野武士らに討たれてしまう。

 で、落ち武者狩りチームと戦いながら家康が叫ぶのが「信長~!」えええ!何て言ったらいいんだ。コメディを見慣れないもので。

三英傑と、お呼びじゃない光秀

 本作はコメディ。だから「本能寺の変」という舞台で制作側が「これ面白いよね🎵ククク」と笑いを堪えてやりたかったのは、「お呼びじゃない光秀」が、信長の眼前にスーッと軍勢を割って登場し、「何だ、お前か」とガッカリされるあの感じなんだろう。

 信長が「討たれるなら家康」とお膳立てまでしてあげたのに、いざ本能寺を囲んでいたのは「お呼びでない光秀」。炎の中を彷徨って家康を探していたのに、お気の毒の極みだ。それを笑うのは何か気分が悪い。「貴公は乱世を鎮めるまでの御方。平穏なる世では無用の長物」と罵倒されちゃうし、信長がかわいそう。

 そして、毛利攻めをしている秀吉は「直ちに引き返す。この猿が敵を討ったるがや。この猿が、徳川家康の首を取ったろまい!」といきり立ったのに出鼻が挫かれる。「兄様、違うんだわ!やったのは徳川だなく明智だわ」「あけち?」とキョトン。そこら辺を「ねえねえ皆眼中に無かったんだよ~面白いでしょ~✨✨✨」とばかりに畳みかけてきている。

 酒向芳が極めて好演している証拠だと思うのだけれど、だから「あの」光秀だった訳。

 三英傑が眼中に無い小者であり、本能寺の変の前々日である5/29の段階で、信長・信忠・家康が揃って京にいるのに守りが手薄だと知って急に思いつきで襲撃を決めるような浅さ。四国説も何も今作では出ていないので、ただただ家康接待での恨みが引き金になって謀反を起こしたかのように描かれた。

 信長が切り取ったと言われる名香・蘭奢待かな?と思われる何かを焚き、恍惚となっていたのも何か刹那的。そして、家康生け捕りを命じる場面では「あの糞戯けの口に、腐った魚を詰めて殺してやるわ!」が決め台詞になっていたが、アップの表情がどうにも漫画チック。

 光秀は人格的にもどうかと思うような悪役で終始した。ただ、どうして岡田信長が重用したのか全然説得力無いじゃん!とは言いたくなる。信長自身だって「やれんのか、金柑頭!お前に俺の代わりが!」と懐疑的だったし。

 ひとつ、気になっている。変の前日、信長は文机に向かって何かを熱心に書いていた。筆を置いてため息をついて・・・書き終わっていたね。家康への遺書?天下人マニュアルか?

 焼けていなければ、これは光秀の手に渡るのでは。光秀は、自分へのラブレターだと大いに勘違いして、上様の愛情深さに感激し後悔するのかな。ククク。

 さあ、白兎は狼を乗り越え、さらばと別れを告げた。次回は伊賀越え。「真田丸」の伝説の爆笑伊賀越えを、今作がコメディの名に懸けて絶対超えようと無理しないよう祈るばかりだ。予告によると、とうとう本多正信が出てくる。お帰りなさい、待ってたよー。また外連味たっぷりの登場みたいで、楽しみだ。

(敬称略)

【どうする家康】番外編・瀬名を偲ぶ岡崎への旅(平山優先生ご案内付き✨)

瀬名ロスが高じて、ひとり大興奮の旅

 NHK大河ドラマ「どうする家康」の第25回「はるかに遠い夢」で非業の自死を遂げた瀬名こと築山殿。前27回ブログの冒頭で明言した通り、瀬名ロスに現在どっぷり中だ。瀬名と言うべきか、有村架純を再登板させる方法まで勝手に妄想を重ねていた。

toyamona.hatenablog.com

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 そんな私にぴったりの岡崎を巡るツアーが開催されると知り、ポンコツの体に鞭打って急遽参加してきた。申し込んだ時には残席僅か、危なかった。(平山優先生と行く激震の岡崎!家康公の人生の岐路めぐり|令和5年度岡崎おでかけツアーズコース紹介|特集|岡崎おでかけナビ - 岡崎市観光協会公式サイト (okazaki-kanko.jp)

 しかもこのツアー、なんと「どう家」時代考証担当の平山優先生が特別講師だと・・・ありえない。いや、これはもう本当に行けて良かった。もうしばらくはどこにも行けなくてもいいくらい良かった。(+ツアー中に倒れなくて本当に良かった。)

 ツアーのタイトルは「平山優先生と行く激震の岡崎!家康公の人生の岐路めぐり」。「激震の」がとても良い感じだ。まさに、瀬名ロスの私の心を言い当てているような・・・なんて。

 家康だって、真っ当な人間なら「激震」じゃない訳がない。どんなに時代が変わっても、たとえ夫婦間の情が薄かったとしても、ご縁の有ったパートナーと息子の命が奪われるとなったら話は別、たまらないはずでしょ?

 そうじゃなくたって大規模なクーデターが隠れていたのだ。「返り忠」で謀反を家康に申告してきた山田八蔵がいなかったら成功していたかもしれないと考えると、家康は本当に運が良いね。

 ツアーは、まず名鉄東岡崎駅東口に集合。「名鉄」にも生まれて初めて乗った私は、駅に着いてコインロッカーを探せてホッとしたのも束の間、小銭の持ち合わせが無くて焦り、さらに集合場所に行くまでに迷い、時間の余裕を見ていたはずなのにギリギリで大汗をかいてしまった。

 集合場所はあまり風も通らず、暑い。ドッと噴き出る汗をさまそうと、スタート前の説明を観光協会スタッフからして頂いている間、扇子を広げて盛大にパタパタし続けた。

 駅前の「家康公ひろば」で平山先生が合流、冷房の効いた「はとバス」タイプの上等なバスに乗って各所を回ったが、暑いさ中だったので助かった。そうじゃなかったら途中で熱中症で倒れていたに違いない。

家康公ひろば、家康像。四天王像は乙川対岸の銀行にあるそう

 コースは「家康公ひろば」からスタート。以下のように回った。

  1. 大樹寺/松平八代の墓/宝物殿
  2. 大正庵釜春本店で昼食
  3. 築山屋敷址など(バス車窓から)
  4. 祐傳寺(築山御前首埋葬寺)
  5. 若宮八幡宮/信康公首塚
  6. 小豆坂古戦場など(車窓から)
  7. 山中城址(車窓から)
  8. 法蔵寺/三方ヶ原忠死者の墓/手習いの書、文机(拝見)
  9. 岡崎公園散策/岡崎大河ドラマ館(閉館時間後に見学)

 ・・・そしてスタート地点の「家康公ひろば」に戻って解散、だった。

 ①大樹寺では、岡崎城までのビスタラインを確認。条例が作られ、寺の門から覗ける岡崎城まで、視界を妨げるような建物は建てられなくなったそうだ。大事な歴史的遺産だもんね。

 また、空襲でも焼けずに残ったという、1535年建立の多宝塔が国指定重要文化財になっていた。平山先生によると、家康の祖父・松平清康が「世良田」を名乗っていたことがこの棟札で確認できたのが大きな発見だったらしい。

大樹寺多宝塔

 ②大正庵釜春本店で八丁味噌煮込みうどんを食べ、帰ろうとした時に階段飾り棚で見つけたのが、写真の木彫りのウサギだった。

 「神宮えと守」と書いてあるので、今年の干支・ウサギの人形らしい。それが、「どう家」で瀬名と家康をつなぐ、例の大切な兎の人形に色といい大きさといい、イメージがすごく似ていた。ドラマの方が細かく彫ってあるけれど、ここまで似ているのだからモデルかな?

 ツアー参加者の数人もそう思ったらしく、皆で「どこの神宮ですか?」とお店のスタッフに伺ったものの、知らないと。残念。熱田神宮かな?

今年の干支、うさぎの木彫り

 ③築山屋敷址は、今の岡崎康生郵便局のあたり。地元ガイドさんによれば、高台になって開けている様子がドラマでも良く表現されていて感心したらしい。しかし!通過するバスの中からでは一瞬過ぎて何とも・・・😢

 ④祐傳寺は、バスの車窓から眺めるだけだったはずが、お寺のご厚意かタイミングの良さか(?)不明なれど拝観できることに。きっと平山先生が同行されていたからでは?専門家パワーでしょうね!

 (おまけに、道を挟んで反対側の岡崎市消防本部には、日本でもまだ2台というレッドサラマンダーがあり、NHKの取材を受けている真っ最中。有難みが分からずボーっと見ていたが、ラッキーだった模様。)

 肝心な築山殿首塚は、門を入ってすぐ左手に、本当にささやかな五輪塔がちょこんと有ったので面食らった。徳川を憚ってこんな扱いだったのかは分からないが、もうそんな時代でもないし、損壊や盗難も心配だし、もうちょっと管理が何とかならないものかしらと考えてしまった。余計なお世話かな。

 平山先生のご説明では、築山殿の五輪塔は、途中の石が変わっているようで、全てが当初の物という訳ではなさそう。後ろには、小さな「一石五輪塔」が2つ。細長い石に五輪塔の形を省略して形成されているようで、もしかしたら築山殿の侍女のものかも、と。

 お仕えする主と共に命を絶たれたか、後追いしたか。気の毒で胸が詰まった。

祐傳寺にて、築山殿首塚について説明する平山優先生

 ⑤若宮八幡宮には、バスを降りて少し歩いた。それだけでも暑くて、この季節に日傘は必須アイテムだと実感。暑いのも生きていればこそ、こちらに首塚のある1579年にたった20歳で落命した信康公には申し訳ない話だ。

 4年前の1575年には家康伯父の水野信元が武田への内通を疑われて粛清され、岡崎クーデター(大岡弥四郎事件)も明るみに出て、首謀者らは処刑された。岡崎奉行3人の内2人が嚙んでいたというのは驚きだ。当時、軍事的に徳川を追い込んでいた武田に通じる流れの中心には、まだ幼い信康というよりは築山殿が担がれていたとの話がある。

 クーデターの際に、大岡弥四郎は築山殿も信康も始末して城を乗っ取るつもりだったのに、築山殿は信康が武田に通じることで、家康に代わって家を存続できると騙されていたらしいと・・・子を思う母の心を利用されたのか。哀れだ。

 ツアー中に出ていた話では、築山殿があんな場所(佐鳴湖畔)で死んだのは、やはり自死だったのではないかと・・・申し開きに浜松城に赴く途上に、全て諦めて死を選んだか。駕籠の中で自死したのかもしれないとの話をどこかで読んだ時、昨年の大河「鎌倉殿の13人」で中川大志が演じて大評判だった、畠山重忠の側室の駕籠塚を思い出した。

 瀬名の死から信康の死までは少しタイムラグがある。もしかしたら「私が全ての責任を負って死ぬから、何とか信康を助けてほしい」との瀬名の気持ちを受けて、家康も努力した結果が(実らなかったことになるが)、あのタイムラグとなったのではないかなとも感じた。

 今回は行けないが、彼女の浜松の墓地(西来院の月窟廟)にもいつかお参りしたい。平山先生が言うには戦時の空襲で墓碑もボロボロになってコンクリート(?)か何かで固められたそうだが、それってあんまりじゃ・・・💦隣には、あの武田に人質に出され両足の指を凍傷で失った家康の異母弟・松平康俊が葬られているという。

 小豆坂古戦場に至るまでに、八柱神社を通過。築山殿の首は後に④からこちらに改葬されたそうで、てっきりお参りできるのかと思っていたのでかなり残念だった。仕方ない、バスの停車が難しいらしい。岡崎にまた来てね、ということか。

 また、大岡弥四郎の妻子が磔になって後、お地蔵さんが建立された場所も通過。地元の人じゃないと、なかなか知られてない所だそうだ。惜しかったが、車中からでは良く分からなかった。その周辺で、グーグルマップによれば石川数正の墓もあったので「え!」と思ったが、ツアーの悲しさ、いきなりの思い付きによる個人的な行動は難しい。仕方ない。

 ⑦山中城址は、いかにも立派そうな山城。ゆっくり城歩きができれば楽しいだろうなと思いながら通過。

 ⑧法蔵寺に到着。701年創建、徳川家の始祖・松平親氏が1441年に伽藍を建立し菩提寺とした寺で、古くから街道に面しているせいで色々な方々の位牌がざくざく出てくるとか。今川義元のまで出てきて驚いた、と先生がおっしゃっていた。近藤勇の首塚もあるし、ウィキペディアを見たら、幕末にはシーボルトまで参拝していた。

 このお寺にはいつか行きたいと思ってはいた。しかし、行ける場所の限られるポンコツではもう絶対無理だろうなと思っていたので、今回のツアーでカバーされていたのは幸運だった。

 が、既に暑さと疲れで集中できない。ポンコツおばさんの体力もここまでか。せっかく本堂をお借りして平山先生のお話を聞けたのに、熱中症気味でメモも取れなかったのがかなり悔やまれた。

 それでも日傘を頼りに何とか登っていったお寺の墓地には、松平家霊廟の区画が。家康父・広忠と同じくらいの大きさのお墓がもう1つあり、松平忠政と表記があったが誰?とウィキを見たら家康の庶兄だった。広忠の側室・お久の子で、母の墓もあった。

 家康の父方の異母兄があまりにも知られていないのは何故に。後に、幕府への申し開きに子孫は困ったらしい。下には家康と同年同日に生まれた弟もいたというのに、正室を憚ったか。母方の於大が産んだ異父弟たちは知られているのにね。

法蔵寺、松平家霊廟。

 忠政公の隣には、薄井姫(碓井姫・ドラマでは酒井忠次の正室登与)の墓があった。地元ガイドさんが「今、ドラマに出ている方のお墓がある」とのことで、振り返ってみたら・・・だった。「庶民的な描き方をされているけれど、松平の姫なのにねー」とガイドさんはおっしゃっていたが、その通りだ。

 猫背椿さんは好きな女優さんではあるけれど、登与さんキャラには物申したい。だって、あの絶世の美女、ミス東海の華陽院がお母さんで於大の妹なんでしょう?華陽院が美人過ぎて求められて5回(!)も結婚し、清康の娘なので父方でも母方でも家康の叔母に当たるという不思議な立場にいるのが碓井姫。身分が高いため、高齢になっても「姫」と呼ばれた人だ。

 いつか戦国時代で大河ドラマを作るネタが尽きたら、華陽院と碓井姫のふたりを主人公に据えてくれないかなと妄想する。サブの柱は酒井忠次ね。映画でもいい。忠次は単独でもなかなか面白いが、何と言っても華陽院の実家が伊賀の忍びの関りがあるとの話を小耳に挟んで以来「華陽院、あちこち嫁がされて気の毒だけど面白過ぎる」と思っている。

 華陽院は振り回されるばかりじゃなかったかもしれない、と描けばどうだろう。碓井姫の母子が伊賀者を手先に家康のために謀を張り巡らし、優秀な忠次が動くとか。駿府では謀略に生きた華陽院が支え、岡崎に戻ってからは油断ならない出来物の忠次夫婦が支えた家康。ダメかなー。

 大きく脱線したが、法蔵寺での今回のツアーの目玉は三方ヶ原で家康の身代わりになった、あの夏目吉信や忠死者のお墓参りだったが、夏目吉信はともかく、その他の五輪塔などはあまりに小さく、ツアーの参加者の誰かが「わ、気をつけないと踏みそう」という状態だった。

 先ほどの④もそうだけれど、岡崎は、史跡があり過ぎて管理にあまり手が回らないのだろうか・・・それとも、普通こういうもの?

 それから、法蔵寺では家康が幼き竹千代時代にした文机の落書き(城だった)や、手習いの書も拝見した。平山先生としてはこの書については真偽を疑っているらしい。え、そうなの?

 その後、⑨岡崎公園に向かった。城の石垣が好きなはずの私も、写真を1枚撮るのが精一杯で朦朧としてヨロヨロと歩いた。婉曲しているお濠と緑が美しい。埋まっているけれどもっと下まで石垣がある・・・との説明を地元ガイドさんから聞いたような気がする。

 ちょうど家康公のからくり時計が鳴り始めた。いわゆる家康公の遺訓といわれる「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くが如し・・・」の一節がスピーカーから聞こえたので、手の空いてそうだった平山先生に「これは日光東照宮にもでーんと掲示してあるのに、偽物だと聞きますが本当ですか」と聞いてみた。

 そうしたら・・・やっぱり偽物作り物なんだとか!「水戸藩に近い誰かが作って、よくできているんだよね」とのこと。えええ!

 「青天を衝け」では主人公の渋沢栄一と15代将軍の慶喜がこの遺訓を唱和する感動的なシーンがあったが、それはどうなるのか?と思ったら「江戸末期には既に成立していて、慶喜も本物だと信じていた節がある」と。ましてや栄一も、ということだ。

 真偽について信頼できる方にお伺いしたかったので、これで諦めがついた。この後、お礼もそこそこに涼しい売店めがけて突進してしまったが、先生失礼しました。

岡崎城の濠。緑が美しい

 そして、岡崎大河ドラマ館。元気を振り絞って、倒れないように有難い平山先生のお話を伺いながら回った。既に時間外なのに見学をさせて頂く。スタッフも倒れたいぐらいの暑さだろうからきっと疲れもひとしお、迷惑だろうけど許してね。このツアー一行が出たら夜を徹しての展示替えだそうで、古いのに滑り込みセーフだったのか、新しいのが見られず惜しかったのか。

 平山先生が大河ドラマ撮影の裏話を許される範囲で少々してくださった。長身の先生が現場に行った時、先生よりも高い俳優さんは榊原康政役の中の人(杉野遥亮)だけだったそうで、彼はそんなに背が高かったかと意外だった。(武田信玄役の阿部寛はいなかった模様。)そして、やっぱり有村架純は驚くほどきれいだったそうだ。

本田忠勝の等身大パネルと平山先生

 今後、ドラマでは退場していく出演者が多いので、先生としては「だからもっと多く出しておけば良かったのに」とご不満があるご様子。私としても「鬼作左」は出してもらいたかったなと思うが、特殊メイクが大変すぎるのか。

 詳細は省くが、時代考証を担当している先生が仰天するシーンも度々あったようで、案を出して「ああ、いいですね~」と言われても、その実「全然聞かない」そうで採用してもらえないとか。それで映像を見てビックリでは、提案するのも悲しく虚しい話だ。以前、私がブログで「平山先生、これでいいの?」と書いたシーンも、先生が見てぶっ飛んだ類だったらしい。清須城もね。

 そうそう、千代はお楽しみに。今後の活躍が期待できるらしい。

 ・・・ということで、バスは東岡崎駅前の家康公ひろばに戻って解散となった。暑くて疲れたが、充実したツアーだった。平山先生と、バスでお隣になった方と写真を撮っていただいて、お別れした。

 岡崎の町にはあちこちに史跡がある。当然ながら今回のツアーでは回りきれたものではないが、先生の他に観光協会職員さんと地元の「岡崎歴史かたり人」なる御仁が興味深く説明してくれて楽しいツアーになった。

 岡崎クーデターの大岡弥四郎が鋸引きの刑に処された辻があった場所なども通過したが、バスはどんどん移動する。あっちこっちとキョロキョロしていては車酔いになりそうで、メモも取れなかったのがもったいなかった。車中で器用に写真も撮影しメモも取っている参加者の皆さん、たくましい!

ひとりで築山屋敷址へ

 解散後、まだまだ日も明るいので、瀬名推しの私はツアーで通過して心残りだった築山屋敷址へ戻ってみることにした。どこにそんな体力が残っていたのやら。次に岡崎に来られるのはいつの日かもわからないから、もう一息頑張った。せっかく彼女を偲ぶ旅なんだから。

 東岡崎駅から乙川に沿って西に歩き、桜城橋を渡った。歩行者用に整備された橋だ。橋だけじゃなく、国道1号線の大通りを渡り、築山御殿推定地である岡崎康生郵便局を越えて籠田公園に至るぐらいまでだったか、中央緑道やデッキがあって歩行者向けになっていた。まだ新しい。いいね、こういうの。

桜城橋から岡崎城方向の夕景

 その道をガンバレガンバレと自らを励ましつつ、えっちらおっちら上がっていく。ペディストリアンデッキのような造形物は続き、築山屋敷址の郵便局前でデッキに上って振り返ってみると、なるほど開けた丘からのような風景が眼下に見て取れた。

 「誠に良いところを頂戴したのぉ」と庵を訪ねた於大が瀬名に声を掛けていたのが分かる気がした。風が通り、気持ち良い。瀬名もこの風を感じたのかな?バスも楽だけど、やっぱり歩くと良い。満足して、ツアーを終えることができた。

築山屋敷址の前の道。ゆるやかな下りの坂道

左は築山屋敷址の郵便局、その周辺

 (ほぼ敬称略。ブログへの掲載を「いいよ」と快くご了承いただいた平山先生、ありがとうございましたm(__)m)

 

【どうする家康】#27 サイコパスじゃない岡田信長、蓄積疲労で限界だった模様

瀬名ロスです

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第27回「安土城の決闘」が7/16に放送された。タイトルは「決闘」だけれど、物理的に乱闘があった訳でもなく(7/22「土スタ」出演の岡田准一によると、脚本上は相撲を取る設定だったらしい)・・・狸の化けの皮が剥がれた子どもっぽい家康が、疲れ切った信長に「告白」された話だった。そこからの「国譲り」みたいな。

 テンション低めですみませんね・・・瀬名ロスですよ、どっぷりと。

 オープニングでは、主役の家康直後のヒロイン席「瀬名 有村架純」がぽっかり空いていて、これまで瀬名推しで見ていたこちらとしては大層悲しかった😢於愛の広瀬アリスの表記はもう少し後ろの方で、ヒロイン席を埋めるには至らないってことか。じゃあ、あそこはずっと空席になるの?

 家康は「誰にも、わしの大切なものを奪わせはせぬ」と言ってたけれど、もうしっかり奪われちゃった後じゃないの・・・。

 今の「大切なもの」は於愛とその息子たちとの方向で、割り切れたのか。瀬名じゃなくても、於愛でもいいのか。なんだかなー。

 彼女本人を愛していたというよりも、彼女が担っていた機能を愛していたのか?その考え方は母の於大譲りだ。「妻も子も、すぐまた持てます」って「⑤瀬名奪還作戦」で言っちゃってたもの。

 家康に「案外、(そこらじゅうにいる)兎の方がたくましいのかもしれませぬなあ」と明るく言う於愛は、確かに健気。男の子もふたり産んだ。ただ、死別した妻には敵わないとも言うし、家康の中での瀬名には敵わなさそう。特にあんな「徳川を守る」形で死を遂げたら、もう誰も敵わないかな。

 瀬名、帰ってきてー(←ムリだって)。

徳川家臣達、安土訪問は怖くてたまらなかっただろうな

 気を取り直して、「安土城の決闘」のあらすじを公式サイトから引用する。

京の本能寺で信長(岡田准一)を討つ計画を家臣たちに明かした家康(松本潤)。なみなみならぬ家康の決意に、家臣たちの意見は賛成と反対で真っ二つに割れるが、忠次(大森南朋)は、家康の決断を信じようと家臣団を諭す。やがて家康たちは信長に招かれ、安土城へ。だが酒宴の席で、家康は供された鯉が臭うと言い出した。信長は激高し、接待役の明智(酒向芳)を打ちのめし、追放する。その夜、信長と家康は2人きりで対峙しーー。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 あれ、ちょっと待って。明智ってこのドラマの中でも追放されてないよね?だって毛利攻めの最中の秀吉軍のお手伝いに行かされるのだから。それに、忠次は「家康の決断を信じよう」とは言ってない。「委ねよう」と言ったのだ。

徳川家康:信長を殺す。わしは天下を取る。安土ではやらん。信長は京に移るはずじゃ。今や都は信長の庭。すっかり穏やかになり、敵への備えは極めて手薄。既に半蔵たちを忍ばせてある。服部党と伊賀から逃れてきた伊賀者たちを集めておる。近頃の信長の宿は本能寺という寺だそうじゃ。茶屋四郎次郎の屋敷はすぐそば。様々な支度をぬかりなく進めさせておる。信長を・・・本能寺で討つ。

 家康はこう家臣団に告げた。そして対話。

  • 信長さえ討ち取れば、織田は混乱に陥るけれど配下の将がいる➡いない。秀吉は毛利攻め、柴田は北国。力ある連中は各地に打って出ている。すぐには駆けつけられない。千載一遇の好機。
  • 唯一厄介なのが饗応役の明智。しかし「奴を遠ざける策も考えてある」と家康。
  • 「異存、反論、一切許さぬ。従えぬ者はこの場で斬る。わしはもう誰の指図も受けん。誰にも、わしの大切なものを奪わせはせぬ」と家康は宣言した。

 徳川生き残りのため、順調に信長の足を舐め続けていると思っていた殿から、えらい話を聞かされた家臣たちは、額を突き合わせて「このまま安土に殿を行かせて良いものか」「殿は並々ならぬ決意、やり遂げるだろう」「そうたやすい話ではない。今信長を討てば乱世に逆戻り」「安土に行ったら殿が信長に殺される方が心配」「罠かもしれん。毒を盛られるかも」と考えを巡らせた。

 心配が募った石川数正が「殿をお止めしてくる」と腰を上げた時、酒井忠次は数正の前に立ちはだかり、言った。

忠次:御方様と若殿様を失って、殿はお心が壊れた。「信長を討つ」この3年の間、ただその一事のみを支えに辛うじてお心を保ってこられたのじゃろう。それを止めることは、殿から生きる意味を奪うのと同じじゃ。わしにはできん。殿に委ねよう。そして最後は、我らが殿を守ろう。

 悲壮な決意だ。もし安土への招待が信長の罠であったなら、全員討死、徳川滅亡の局面になる。それでも殿に殉じて家臣の我らは死のうと言っている。「殿に委ねよう」だと、思考抜きでそうなる。

 ここでその覚悟を皆にさせた忠次は、徳川ナンバー2としてパーフェクト。だけど、実際のところ安土へのお供の皆さんは怖かっただろうなー。

信長も、理不尽な教育を叩きこまれた子だった

 冒頭は、信長の夢だった。顔を隠した武者と斬り合い、信長は致命的な傷を負わされたようだ。

 あれは誰だったんだろう。家康?信長自身?父親の信秀?武田信玄?勝頼(眞栄田郷敦勝頼だったら岡田師範信長も殺されそう)?市の夫で、金で塗られたしゃれこうべが酒宴の余興にされたとか聞く浅井長政?それとも、信長に殺されていった無数の人たちのミックス?

 夢は、信長が「その痛み苦しみ、恨みを全てこの身に受け止め」た姿だったのかな。家康を呼び出して対峙する場面といい、岡田准一渾身の演技だった。家康の前で、信長の心理的弱さをこんなにも出していいんですか?という程。それだけ家康に頼っていたとは・・・。

 信長って戦国時代のビッグネームだけに、大河ドラマ主人公に対して「無条件で好き」設定にしたくなるんだね。「麒麟がくる」では、信長は光秀ラブだった。

 さて、今作の信長は書棚で寝ている程、勉強熱心な人物らしい。焦燥感の表れなのかも。挟み込まれる信長幼少期の映像によると、理不尽なスパルタ教育を父親に叩き込まれている点で、信秀・信長父子も、武田信玄・勝頼父子も相似形だ。

 なぜ極端に暴力的な父子関係が、家康のライバル家族で続けざまに出てくるのか。暴力的でない父子は厳しい戦国時代には存在できないかのようだ。それとも、見ているこちらが現代的な親子関係の視線を持ちすぎているのか。

 今川義元・氏真父子も、義元は人格者設定なのに息子とコミュニケーションはうまくいっていない不全感があるし、今回、信長嫡子の信忠は姿も現さない。そう思うと、史実では信康を処分しているのに、このドラマの家康・信康父子は、問題も抱えていたが少しはマシに見えて皮肉だ。

 そういえば、家康は幼少期に父に死なれたのだった。その松平広忠は暴力的な人物ではなかった。父代わりの義元は、家康には優しかった。対比として、ライバル関係者は暴力的な父との関係に悩む設定になったのだろうか?ステレオタイプを感じて何か引っかかるけど。

心が壊れたからといって何でも許されるわけじゃない

 信長暗殺計画を胸に、にこやかな狸に化けていた・・・つもりの家康。信長は家康の暗殺計画なんて、ぜーんぶ知っていたんだろうな。何しろ、京は自分の庭同然。それで愛する白兎を好きに遊ばせてきたか。

 「京で待ち伏せして俺を討つつもりか」と、信長に計画が丸バレしていたことを知らされても、家康はまだ腹を割らずにいられたものの、瀬名と信康の死を「くだらない」と言う信長の挑発には、あっさり化けの皮が剥がれた。弱点を突かれると弱さが露呈、狸への道は遠かったね。

信長:謝ってほしいか?あん?妻と子供を殺して済まなかったと。謝ってほしいか?ハハハハハ!謝らんぞ。くだらん。

家康:くだらん?(目をしばたたかせる)我が妻と息子の死を・・・くだらんと申すのか!(立ち上がって信長と相対する)

信長:ああ、くだらんな。

家康:ふざけるな!

信長:俺はそのような感情、とうに捨てたわ!

家康:わしはお主とは違う。捨てられはせん!

信長:だからお前に俺の代わりは無理なんじゃ!人を殺めるということは、その痛み苦しみ、恨みを全てこの身に受け止めるということじゃ!十人殺せば十の痛み、百人殺せば百の痛み。万殺せば万の痛みじゃ!(太刀を掲げる信長の手が震え、上ずる声)俺は・・・どれだけ殺した?どれだけ・・・殺した?(涙を堪え、太刀を抜く)この報いは、必ず受けるであろう。俺は誰かに殺される。誰よりも無残にな。うああ~!(叫びと共に太刀で空を斬る)

 だが、俺は覚悟ができている。お前はどうじゃ?お前には、できてせいぜい俺を支えることぐらいじゃ。これからなんじゃ・・・大変なのはこれからなんじゃ。(座り込む)戦無き世の政は、乱世を鎮めるよりはるかに困難じゃろう。この国の有姿のためには、やらねばならぬことが多すぎる。(家康を振り返って)恨め。憎んでもいい。だから・・・俺の傍で俺を支えろ

家康:(頬に、涙がつたう)私には・・・あなたの真似はできん。したいとも思わん。わしは・・・わしのやり方で世を治める。確かにわしは弱い。だが、弱ければこそできる事があると、わしは信じる。(信長の傍に行き、上から)行き詰っておるのは、お主ではないのか?(座っている信長の耳に口を寄せて)弱き兎が・・・狼を食らうんじゃ

信長:(落ち着いた、優しい声音で)なら、やればいい。(家康を正面から見る)俺はわずかな手勢を率いて京に向かう。本当にお前が俺の代わりをやる覚悟があるなら、俺を討て。待っててやるさ。やってみろ。

家康:(涙溢れる目で信長を見て、去っていく)

 この場面が、相撲に代わる信長と家康の「決闘」か。「弱き兎が狼を食らうんじゃ」の件は、どうしても家康が子どもっぽく見えてしまったなあ、「行き詰っているのはお主」だけで十分信長には刺さっていると思うから、蛇足に見えた。

 とても信長の代わりの統治者にはなれなさそう、と却って感じたが、家族は「カッコイイ!」と繰り返し言っていた。

 だいたい、どうして家康が信長を殺すんだ。それこそ、何のために瀬名と信康は死んだ?「徳川を守るため」だったのに台無しだ。武田が滅んで、徳川が織田の助けを必要とする状況はすっかり無くなったのか?

 「妻子を殺されて心が壊れて悔しい」殿のお気持ち優先で、家康が信長を討つとする。家康は、天下を取ると言うなら信長配下の将と順に戦わねばならなくなる。数珠つなぎに出てくる相手は主君の敵討ちの大義名分があって意気軒昂、徳川はエンドレスの戦いに耐えうるか。悪いが、どこかで殲滅され、徳川の滅亡完了だろう。

 それとも、信長配下の将を相手に瀬名のプランを実行するつもりなのだろうか。奪い合うのではなくて与え合う。これに乗ってくるか。

 でも、今の時点では現実的ではない。信長を討てば、徳川は大きな同盟相手を失って孤立しそう。なんという自殺行為。やっぱり家臣を巻き込んでの「拡大自殺計画」に見えてしまう。家康に全てを託し、支えようと言う天使のような徳川家臣団が不憫でならない。心が壊れたからって、何をしてもいいわけじゃない。

 本多正信だったか「妻子を取り戻そうとして戦をするような御方だ」と家康のことを評して言っていた。まだまだ同じ、お坊ちゃま思考なのではないだろうか。

信長はひとり苦しんできた

 ふたりが対峙する場面は、前述のように信長の弱みも見え、なかなか見応えがあった。信長は「俺はそのような感情、とうに捨てたわ」と死んだ妻子に執着する家康に言い、だから自分の代わりには家康はなれないと切り捨てた。

 今作の信長には、心理的支えになっている妻の気配がない。同じ脚本家作の映画「レジェンド&バタフライ」で理想の信長妻(綾瀬はるかの濃姫)を書いてしまったから、他のバージョンを書く気がなくて出てこないのかと思ったが、「そんな感情は捨てた」という信長の心理の表現として、省略されていたのかな。

 そもそも、信長といえば最近は「サイコパス」。「麒麟がくる」の染谷将太が演じた信長は、その信長像が哀れで出色だった。

 今作はそうではなく、世の「有姿」という理想を求める普通の人らしい。まさか、涙声で「俺は、どれだけ殺した?」と悩む人物だったとは・・・今川義元の首の扱いを見ると意外過ぎる。あれは強がり、だったにしてはあんまりだったが。

 信長は、天下布武の過程で奪ってきた命の痛みを、作用反作用的にかなり受け止めてきたことが今回の涙の告白でよく分かったが、サイコパスの気のない常人が、ひとりで背負っていたら辛かっただろうね。

 家康は、鳥居忠吉に「信じなければ、信じてもらえない。それで裏切られるなら、それまでの器だったのだ」と教わったから、家臣を信頼できるようになって今がある。そこで「友垣」のように扱う家臣に「足元をすくわれる」と信長に言われても、「それならそれで、しょうがない」と言うことができた。

 父も祖父も、家臣に足元をすくわれた過去がある家康が言っていると思えば、信長にもそれなりの重みを持って響いたか。

 その家康に、愛の告白のような「恨め。憎んでもいい。俺の傍で俺を支えろ」と。

 目を引くつかせ、疲れがありありと見える信長には「ビタミンB12入りの目薬がピクピクにはかなり効くよ」とお勧めしたくなったが、家康の言葉「行き詰っておるのは、お主ではないのか?」は、それこそ心身ともに図星だったんだろうな。もう限界を感じていたのだろう。

 目薬さして、ちゃんと寝て、すっきりした頭で考えなくちゃ。

 「俺を支えろ」と言う信長は、それが定説の家康に対してだったらもちろん人を見る目がある。ドラマには出てこなかったが、太原雪斎だって氏真を支える人物として家康を選び、育てたんだもんね。それだけの力があった。

 また、「戦無き世の政の方がよほど大変だ」という信長には「家康に任せておきなさいよ、260年超も平和になるから」と教えてあげたくもなる。

 でも、今作の家康に対してだと「俺を支えろ」と言いたいか。どうなんだろう。申し訳ないけどあまり使えないよ?なんで?品のある海老すくいが踊れてお顔がきれいだから?愛があるから?このドラマキャラの中で選ぶなら、文句なく酒井忠次でしょう。

 そして、だ。なんで「俺を討て。待っててやるさ、やってみろ」になるんだ・・・。白兎家康を見守る狼のセリフとしてはカッコいいが、蓄積疲労による気の迷い、自らの仕事をなげうちたいほど忙しい脚本家の心底が現れたようにも思ってしまった。

 自ら討たれて国譲りだとすると、何と言っても嫡男・信忠の存在を忘れ過ぎている。信長死後の群雄割拠の混乱の中から信忠も這い上がってこい、とでも?あまりにぶっ飛んでいる。

光秀の余計な気働きが、信長には不安だったか

 次回はついに本能寺の変。さて、そろそろダラダラ書くのも終いにと思ったが、家康接待での光秀(の失態)について、ちょっと書こう。

 光秀の中の人(酒向芳)が比較的高齢で非力に見えるので、岡田師範信長様には、かなーり力を抜いて折檻しないと本当に死んじゃうよ、とドキドキした。殴られているようにタイミングを合わせるのに苦労したとのインタビューを見てホッとしたが、逆に本当に殴っているとの記事もあったようだ。どっち?今どき殴るか?記者の勘違いでは?

 前回ブログで気になっていた予告部分ひそかに徳川殿の料理に入れることも」については、信長がどう返答したのかは分からずじまいだったが、そのやりとりが信長による光秀への激しい殴打につながったのではないか。光秀は「何の細工も」とも殴られながら弁明していたし。

 つまり、信長は、自分がNOと言ったのに、細工(食べ物に毒を仕込む)という指示違反を光秀が行い、その結果、愛する家康の命を危険に曝したと判断し、折檻に及んだのでは。淀の鯉を「臭う」と言った家康を「食べなくていい」と咄嗟に止めたのは、毒の作用の方を心配したのでは。

 あそこまで激高した理由は、単なる接待のしくじりではなく、そんなところでは。

 (ドラマで臭うのが「琵琶湖の鮒」でなくて良かった。どうしたって発酵食品の「鮒ずし」は日本酒にはぴったりだけど違った意味で「匂う」から、私みたいに好む人ばかりではあるまい。営業妨害にならないように、淀の鯉にしたのか?それともそういう記録があるのかな?)

 家康とすれば「光秀を遠ざける」程度の策のはずだったのに、光秀は腹を切ると言う。徳川の友垣文化にはない発想でも、しくじりを許さない織田カルチャーを良く分かっているはずなのに、という光秀の恨み言もごもっとも。そこら辺の配慮に欠けるから、家康は本能寺で光秀に先を越されることになるわけだ。

 結果的にそれで家康には良かったんだけど。

 光秀が信長を討った理由については最近の四国説とか、穴山梅雪の織田加入によって武田と気脈を通じていたのがバレるのを恐れて説とか、そういうのは今のところ全く触れられず。今作は怨恨説の変形版か。

 ここで濡れ衣を着せた光秀には、「悪いな」という思いを家康や徳川家中は抱きそう。これが、将来どう影響してくるのかな。

 さて、次回以降、本能寺の変➡神君伊賀越えだ。「真田丸」の爆笑伊賀越えを超越する名場面になるかな? 

(敬称略)

【どうする家康】#26 狸と狼の化かし合い、絶品海老すくいで切り抜ける

アイドル松潤家康、面目躍如の舞

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第26回「ぶらり富士遊覧」が先週7/9に放送され、アイドル松本潤はやっぱり伊達じゃなかったと感嘆するしかないキラキラの「海老すくい」を見せて頂いた。今回はこれが白眉。

 上半身を真っ直ぐに、舞台上にスススと滑るように進み出るブレない姿は、古いけど「徳川慶喜」本木雅弘が禁中で走る姿を思い出した。それでいて腰を曲げて跳ねる時の軽やかさ。よろけそうもないバランスの良さ。上品だな~これは絶品って言うべきでしょう。

 松潤の「嵐」としてのダンスはいつが最後だったのだろう。彼が踊るのはそれ以来じゃないのか。お宝ダンスだったかな。

 それに、後編突入の変化として分かりやすい月代姿。冒頭の、剃られている時の姿も美しい。総髪よりも若返ったような・・・別にファンでもないが、やっぱり家康の中の人・松潤は日本を代表する美形アイドルだったんだと、今更ながら思い知った。

盛りだくさん、スキのない回

 あまり「どう家」に関心がないと言いながら、大河ドラマ好きというか習慣になってしまっている人間(=私)がいるので付き合いで毎週見ている家族は、今回の「ぶらり富士遊覧」が「これまでで一番面白かった」と言った。最後の「信長を殺す」でキュンと来たのかもしれない。

 確かに、表メニューも盛りだくさん。涙の高天神城の皆殺し落城の件(信長の指令通り、降伏を認めず。「おんな城主直虎」の側近・奥山六左衛門役の中の人、田中美央が演じた岡部元信ともお別れ)からの、凛々しい勝頼が討たれる武田家の滅亡(信長長男の信忠にに花を持たせる。眞栄田郷敦はかなり良かったね)が駆け足でなぞられて、そこからの家康自身が「海老すくい」で道化に徹する信長御接待。

 この接待道中を大成功に終わらせ、後に、家康が安土城で信長から饗応を受ける側になる流れがすっきり頭に入った。

 そして、裏メニューとして、妻子を喪った悲劇の後での主君の態度に納得いかない家臣団の葛藤、秀吉からの探り、信長の疑念の深まり、家康の真意「信長を殺す」の吐露でドッキリ。心理劇としてもなかなか隙の無い回だったかも。

 大体、これまでの本能寺の変を描くドラマでは、いきなり家康が安土城でおもてなしを受けている場面で始まり、「なぜ、家康はこんなに信長からおもてなしを受けている訳?光秀がそんなに怒られるぐらい大切なおもてなしなの?」と唐突な印象があった。

 そこで家康が妻子を失った憂いをちょっと視聴者サービスで見せたりするので、信長との同盟を守るために妻子を犠牲にした家康を慰めるため、信長が配慮してのお呼ばれ?・・・なんてドラマを見て思ったりもしていた。

 今作では最近の説に基づいて、はっきり家康は対等な同盟者ではなく長篠の戦以来信長の「家臣」扱いだし、だったら他の家臣団を差し置いて、なんで家康だけおもてなし?・・・の答えに、今回はなっている。

 信長からの不信を払しょくするために、大事な道中だったんだね。これまでの大河でもドーンと派手に見せてくれたら良かった。逆に家康が味わった屈辱感が色濃く出るのだから。

 ただ、於愛の用意した道行の手引書の絵が入るのはそれはそれで面白いとしても、信長家康が味わったであろう地元の名産・食材のアップを次々に見せてくれたら「わあ🎵」ともっと盛り上がれた。それに、ユーチューバーのみなさん絶賛の大井川の舟橋、CGでも再現が難しかったかな・・・ちょっと見たかった。

用心深い信長

 あらすじを公式サイトから引用しよう。

信長(岡田准一)を恨む様子もなく従順に付き従う家康(松本潤)を理解できず、忠勝(山田裕貴)ら家臣の一部は不満を持っていた。そんな中、家康は安土へ戻る道中に信長を接待したいと申し出る。家臣団に於愛(広瀬アリス)や茶屋四郎次郎(中村勘九郎)も加わって富士遊覧の饗応が始まるが、気まぐれな信長に振り回され、計画は思うように進まず・・・。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 あらすじはそう書くが、「気まぐれな信長」なのか?信長は単に、家康や武田の残党に対し用心していただけかと思った。

 富士山の絶景を見晴らせる場所にゆっくり一人で佇んでいれば、銃や弓矢の格好の的になる。瀬名や信康を惜しみ、信長に対して悔しさをにじませている徳川家臣団に囲まれて湯でリラックス?「できるかー!」と思うだろう。湯が無防備に過ぎることは源義朝や源頼家の例を挙げるまでもない。

 ただ、本能寺とは違い、武田討伐の帰りだから信長の家臣団もそれなりに居ただろう。信長も10日間ぐらいの道中ずっと入浴しない訳にも行かない。「少なくともすぐに俺を殺そうとまでは家康は考えてなさそうだ」と思い直し、どこかで湯には入ったでしょうね。

 このドラマだと家康と瀬名はラブラブ夫婦だった。その妻子を犠牲にしてまでどこまでも従順につき従っている家康は、信長にはかえって空恐ろしく見えただろう。

 岡田信長は、武田勝頼の首が披露された場でもこう言い出した。(家康に従う穴山梅雪が、勝頼の首に対して無言で目を伏せる演技が細かくて良い。)

明智光秀:徳川殿。憎き憎き勝頼でございますぞ。蹴るなり踏みつけるなり、気の済むまで存分になさいませ。(叩く)さあ、遠慮なさらず。

徳川家康:上様に献上されたる御首級を私などが汚すわけには参りませぬ。

光秀:上様はお許しでござる。さあさあ。積年の恨みを込めて。ヘッヘッヘッヘ・・・。

家康:恨んではおりませぬゆえ。

光秀:心にも無いことを。

家康:死ねば皆、仏かと。

光秀:(顔をしかめる)チッ!ケッ!

織田信長:(ジッと家康の様子を見ていて)恨んでおるのは・・・別の誰かか?

家康:(表情を変えず、信長を見る)何のことでございましょう?

信長:フッ。(鋭い視線のまま、笑う)

 現代の話だが、伴侶を喪うことが一番精神的ダメージが大きい事象だと何かで見た。家康はそんな情緒を持つタイプ。心理的ダメージがどう今後に影響しているかと、信長も慎重に測って探っていた。

 ところで、今作での光秀は、気の毒にも徹底的に底の浅い小利口な奴だと結論付けて良さそうだ。磯田道史氏の本「徳川家康 弱者の戦略」で読んだ、信玄生存時からの武田との通謀➡それが穴山梅雪によって信長にバレるのを恐れ本能寺に至る、との説は、今作では採用されないっぽい。しかし、後出しジャンケンが通常運転の今作、まだ何とも言えない。

家康の真意を確かめに来た秀吉

 贅沢なおもてなし道中でちょっと思い出したのは、秀吉が信長から勘気を被った時に、秀吉が長浜城を挙げて催した宴だった。竹中直人主演の「秀吉」では市原悦子演じる母親の「なか」も率先して踊り、金銭を盛大に使って「謀反の気なんかございませんよ」と信長にアピールする狙いが的中した。

 秀吉は、安土城に正月の挨拶に来た後に、こっそり足を延ばして家康に会いに来た(実は、信長の指図だったかもしれないが)。もしかして、秀吉に会ったので、家康は「疑いを晴らすと言えば」と、大宴会@遠征帰りの道中を思いついたかな。

 それとも直接教えてもらった?信長は大きすぎる犠牲を払っても従順な家康に懐疑的、だから、それを打ち払う宴をする必要がありますよ、と。そんな会話は今のところは無かったし、あの秀吉が親切だけが目的で動くなんてことは無さそう。明らかに探りに来ていた。

家康:しかし、一羽も取れませんでしたなあ。

羽柴秀吉:まあ、ええがね。上様に新年のごええさつ(挨拶)にめえったついでに、ちょびっと足を延ばしたまでだでよ~。

家康:毛利攻めの真っただ中でござろう。こんなところに寄り道してよろしいので?

秀吉:よくねえに決まっとるがや。上様に知られたら、えれ~こったわ。くれぐれも内緒にしてちょ~よ。

家康:そこまでしてなぜここに?

秀吉:そりゃあ、会いたかったからに決まっとるわさ!長えことお会いしとらんかったんでよ~。この~やらけえ、やらけえほっぺによ~!

家康:おやめくだされ。

秀吉:ヒャヒャヒャヒャ!・・・おつれえ時は、この猿めを頼ってくだせ~まし。何でも力になりますで。わしゃ徳川殿が心配で心配で・・・。

家康:心配とは?

秀吉:信康殿と、奥方様の・・・。

家康:(自害した信康と瀬名の回想)ああ・・・お恥ずかしい限り。

秀吉:恨んどるんだないきゃ?

家康:誰を?

秀吉:上様を

家康:まさか!ハハ、何ゆえ。

秀吉:だってよ~実のところ上様の御指図みてえなもんだったんでは?

家康:滅相もない。私が決めたことです。全ては、我が愚かなる妻と息子の不行状ゆえ。

秀吉:ふ~ん。(笑みが消え、家康の表情を見ている)

 これが天正10年(1582年)1月の秀吉との会話。築山殿・信康事件は1579年だから、数年経っているとはいえ、心に深い傷があれば名前が会話に出ただけで反射的に涙目になりそうだったんじゃないのか。それを隠しての家康の演技だ。

 1582年は3月に武田が滅び、4月におもてなし富士遊覧。その後の秀吉と秀長の会話も興味深い。

秀長:徳川殿が上様をエライおもてなしされたそうじゃ。

秀吉:弟よ。家康から目ぇ離すな。事によると、おもしれえ事になるかもしれんがや。(小さく笑う。秀長も何か考える表情)

 意味深だな~。家康の真意を嗅ぎ取った秀吉と、疑いを深める信長は正しかったと今回のラストで視聴者は知った。尚のこと、大宴会道中はカモフラージュのために派手に華やかに仕立てる必要があったんだな。

意図あって難癖をつける信長

 信長の家康を試す行動は、道中も続いた。難癖をつけていたぶり、本音を吐き出させようとする信長、それを面従腹背、にこやかに平身低頭、受け入れ続ける家康。

 ドラマだけど、この心理的攻防というかパワハラの防戦一方を目撃するのは正直嫌な気持ちになる。ましてやそれを受けるのが自分の主君とか・・・プロだけど演じる人たちも嫌だったろうな。

家康:(酌をする)ささ、どうぞどうぞ。

信長:家康よ。

家康:ハッ。

信長:前から言おうと思っていたんだがな、お前のところのあの旗に書いてあるあの文句な・・・

家康:文句?

酒井忠次:厭離穢土欣求浄土でございましょうか?

信長:あれは気味が悪いな。

家康:ああ・・・大変ありがたい言葉で、汚れ・・・

信長:陰気臭いんじゃ。気分が萎えるわ。(光秀を始め、追従の笑い声)大体お前のところは田舎臭いんじゃ。これからは駿河もお前が治める。バカにされるぞ。ハハハ。

家康:はっ。そのことで、ひとつお伺いが。

信長:何じゃ?申せ。

家康:駿河国は今川氏真に任せたいと考えておりまして。

信長:氏真?

家康:はっ。

信長:ハッハハハ・・・氏真。(左手を挙げ、囃子の演奏を止める)お前は、たわけか?

光秀:今川から奪った国を今川に返すおつもりで?

石川数正:恐れながら駿河国はいまだ今川を慕う者多く、氏真殿が最もうまく治められるかと・・・。

信長:無能な奴には任せぬ。

家康:(にこやかに)氏真は無能では・・・。

信長:無能だから国を滅ぼした。あ?違うか?

家康:(両手をつき、頭を下げる)ごもっともでございます。(表情の硬い忠勝ら徳川家臣団)

光秀:徳川殿、ついでに申し上げますが、伊賀の国の件は心得ていらっしゃいますな?銭次第で誰にでも従う伊賀者がはびこっては世が乱れる元。今こそ根絶やしにします。始末なさいませ。よろしいですな。

家康:(にこやかに)ひとり残らず、始末いたしまする。

信長:フフ、ハハハ。

於愛:(空気を変えようと、笛をたどたどしく吹き始める)

大久保忠世:酒井殿。あれをご披露なさってはいかがか。

酒井忠次:お、おう。そ、そうじゃな。ここは「海老すくい」じゃ。ハハハハ。

家康:左衛門、よい。(信長がじろりと見る)わしが踊ろう。

忠次、忠世:はっ?え?(家臣団も驚きの表情)

家康:(にこやかに)上様。家臣・家康、上様の天下を祝し、三河のめでたき舞をご披露いたしまする。

信長:おう。全力でやれ。ハハハハ。

家康:はっ。(あくまでにこやかに)

 固唾を飲む雰囲気のなか、一人「にこやか」な家康が披露したのが冒頭も書いた絶品「海老すくい」だった。

 家康は「ハァ海老すくい 海老すくい・・・男なら、せめてなりたや織田家臣・・・天下布武 天下布武 上様の、天下めでたき日本晴れ」と唄い、信長は大笑い。海老すくい「本家」の忠次と家臣団も舞台に乗って舞い、張りつめた空気は一変、華やかな踊りの輪が広がった。

 家康は、信長のしつこい疑心暗鬼を「にこやかに」うっちゃるだけの胆力を見せたのだった。よくやった!よく頑張った!既に数え41歳、人生半ばで妻子を不運にも喪って悲しみをトコトン味わい、ようやく狸に化けられるようになったようだ。

 富士山と青空が見下ろす野原を、馬を並べ疾走する信長と家康。無邪気な笑みを交わし、信長は声を出してハハハと笑う。家康の点てた茶をためらいなく飲み、「良い時を過ごした」と言う信長は、返礼に安土城へと家康を招待した。

 安土での饗応役は光秀・・・運命の日に向かってお膳立てが整っていく。

 帰途、信長は家康を評した。おもてなし道中で家康への疑心をさらに深め、気を引き締めたようにも見えた。

信長:あれは変わったな

光秀:はあ。大層素直になられましたような気もしまするが。

信長:腹の内を見せなくなった。化けおったな

 はい、狸です・・・明け広げで「弱虫・泣き虫・鼻水垂れ」だったお坊ちゃま白兎も、亡き瀬名譲りの薬研を夜な夜な操って薬草を砕くうちに心の整理を付け、狸へと。そういうことだよね。瀬名から離れひとりになって、ようやく大人になった。

主の妻子を失ったショック、家中にも

 大成功裏に終わった富士遊覧の御接待旅行だったが、家中は「妻子を殺させた信長の足を徹底的に舐める」主君の姿勢に戸惑った。そうだよね・・・御方様とお世継ぎを自害させて失ったショックは、そうそう簡単に拭えるものではない。まだ家中にも色濃くあったはずだ。

家康:上様は、富士の山をしかとご覧になったことが無いと思われる。

本多忠勝(平八郎):それで?

家康:よって街道の要所要所でおもてなしをし、富士の絶景をご覧いただきながら悠々と安土へお帰り頂く。

忠勝:何のために?

家康:上様にお喜びいただくために決まっておろう!(平八郎をにらむ)

(略)

榊原康政:これがつまり・・・。

万千代:格別なるお役目でござる~。

酒井忠次:この役目を甘く見るでないぞ。相手は上様じゃ。そんじょそこらの戦事よりよほど困難であるぞ!

茶屋四郎次郎:さあ皆様方!徳川家中の威信にかけ、上様御一行を富士遊覧のおもてなしの道行き、見事成し遂げられませ~!

於愛、家康ら:エイエイオー!エイエイオー!ハハハハハ!(立ち去る平八郎)

忠次:さあ、作業に戻るぞ!

家康:頼むぞ!

 家中の空気に反して、家康は平身低頭接待ゴルフをやる気満々なのだ。

康政(小平太):平八郎殿が先に帰った。私も帰る。

万千代:じゃあ私も。

康政:お前はここに残っておれ。

大久保忠世:おい、ちょっと待て待て待て待て。許さんぞ、持ち場に戻れ。

康政:殿のあのようなお姿、これ以上見とうはございませぬ。

忠世:だとしても。だとしてもわしらの主じゃ。

康政:何のためにお二人はご自害なさった。お二人が報われん。そう思いませぬか。

於愛:そのようなこと言うでない。殿がどんなお気持ちで上様をもてなしておられるか、そなたらに分かるのか。(小平太を睨み、薪を抱えて小走りに去る)

忠次:殿には深いお考えがおありなのだと、わしは信じておる

康政、万千代:(忠世に肩をポンポンと叩かれる)

康政:・・・平八郎殿を呼んでくる。

 やっぱりナンバー2(忠次)が優秀。そもそも考えてみれば、今回の話で道化の極みと思われている「海老すくい」を踊り続けてきたのは忠次なのだ。義理とは言え殿の叔父、副将という立場にありながら、家中を和ませるため率先して踊ることも厭わない姿は素晴らしい。「おんな城主直虎」の使えない忠次とは評価が真逆だ。

 しかし、とうとうそのナンバー2が家臣達を従え、家康のもとにやってきた。

忠次:殿。(主だった家臣を引き連れ、薬を煎じる家康の部屋に入ってくる)

忠勝:さような振る舞いをお続けになるなら、我らはもう付いていけませぬ。

忠次:殿。お心の内をそろそろお打ち明けてくださっても良い頃合いでは?

家康:わしもそう思っておった。閉めよ。(椀を手に、煎じ薬を飲む)信長を殺す。わしは天下を取る。

 ・・・えーえ?ずいぶんとあっさり、フラットに感情無く言ったね・・・腑抜けになった殿が、戯言を言っているようにも見えなくもない。大ごとだけに、家臣たちも真意を測りかねるはず。

黒幕は誰に・・・家康か

 「本能寺の変まであと46日」とテロップではカウントダウンも始まった。

 次回予告では、特に気になることがあった。信長の「俺は誰かに殺される」と、信長父の信秀が言う「信じられるのは己ひとり!」、そして光秀が言う「ひそかに徳川殿の料理に入れることも」だ。

 これ、もしかしたら信長が、安土に招いた家康を殺しにかかるんじゃないか?光秀は薬に明るい人物だから(元々医師だったとの説もあった)、信長に命じられて家康を毒殺しようとしたが失敗、それで激しく𠮟責される・・・と言う流れかな?

 家康は「弱き兎が狼を食らうんじゃ」と言っているから、双方殺しにかかるとして・・・それで次回タイトルは「安土城の決闘」?まさかの殺し合いになるのか。

 昨年の「鎌倉殿の13人」でも、畠山重忠と北条義時が青春映画みたいなボッコボコの殴り合いをしていて「えええ?大河だよ?」となったからな・・・いいですよ、そんな展開も心してお待ちしています。

 なにしろ、伊賀者百人も控えている(服部半蔵:伊賀国から逃れてきた伊賀者、百名ばかり匿っております。皆、織田様に深い恨みを持つ者ばかり。いつでも動けるよう、手なずけておきます)。双方に踊らされるのが明智光秀かな。楽しみだなあ。

(敬称略)

【どうする家康】#25 準主役・瀬名退場、松潤家康は正念場

有村架純を再登板させる手は

 NHK大河ドラマ「どうする家康」の第25回「はるかに遠い夢」は、7/2に放送され、ここまでドラマを引っ張ってきた家康の正室・瀬名が、いわゆる「築山殿事件」にて残念ながら最期を迎えるに至った。

 公式サイトからあらすじを引用させていただこう。

武田勝頼(眞栄田郷敦)の手で暴かれた、瀬名(有村架純)と信康(細田佳央太)の計画。それはやがて信長(岡田准一)の知るところとなる。2人の始末をつけなければ織田と戦になる。それでも家康(松本潤)は信長の目を欺き、妻子を逃がそうと決意する。一方、瀬名は五徳(久保史緒里)に、姑は悪女だと訴える手紙を信長に宛てて書かせ、全ての責任を負おうとする。岡崎城を出た信康も又、逃げ延びることを良しとせずーー。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 タイトルには「準主役・瀬名退場」と書いた。グズグズして煮え切らない殿・家康ではなく、思慮深く物事を前に進めることができる瀬名に共感し、ドラマを見続けてきた視聴者も少なからずいただろう。

 何しろこのブログも、振り返ると過去5回のタイトルには「瀬名」が入っている。主人公の家康じゃなくて。でも・・・瀬名亡き今、誰を心の拠り所に「どう家」を見たらいいのだろう。ファンタジー大河だし、家康に妻子を殺させないのでは?瀬名は死なないのでは?と期待していたからさ・・・。

 まあ、確かに松潤家康を傷つけないように、勝手に妻子に自殺されたかわいそうな家康、ということにはなっている。

 有村架純を再登板させる手はある。例えば、前も書いた穴山梅雪の養女で側室になるお都摩こと下山殿。似ていたって話があるんでしょう?でも「瀬名が武田に匿われ、下山殿として家康の側室になる」路線はあえなくダメになったので、「瀬名に似てる別人の下山殿として側室」になり、有村架純が演じれば?ダメかなー。

 そうそう、次回登場するかどうかは分からないが、既に武田の旧臣出身の阿茶の局が側室として家康の傍にいるはず。それが、例の千代ではないかと期待を込めるツイッターを見た。女大鼠との関係に問題は生じそうだが、阿茶の局の今後の活躍を考えたらそれいいね!と私も思う。1票を投じたい。

 それから、全然関係ないけど、本多正信はそろそろ帰ってこないのかしらねー。そしたら楽しみに見られるんだけどな。

妻子の命が懸かっているのに、行き当たりばったり

 それにしても、だ。ドラマとはいえ、今作の家康のお粗末な事よ・・・これじゃ瀬名と信康は死ぬしかないじゃないか。この大失敗、自分のせいだと考えることができる家康なら、成長できるだろうが。

 瀬名の「慈愛の国」計画に、家康までポーっとのぼせ上っていたのか。「助け合うのっていいね、絶対にうまくいくよ🎵」というノリで染まり切っていたのか。計画が破綻した場合に備えようとは全然思ってなかった様子なのは驚きだ。「計画が破綻したらとか想像するの、縁起悪い」とか考えちゃった?

 酒井忠次が「洩れました、築山の謀」と報告してきたら、途端に「では申し合わせの通りに」「各々抜かりなく」とプロジェクトメンバーがサッと立ち上がり、素早く動き出すのを期待していた。プランA~Cぐらいは立案して、シミュレーションも何度もしてあると思ったよ、家康よ。

 だって、妻子の命が懸かってるんだよ?その危機感あった?無かったよね?

 信長との面談(頭を下げてきた)後、家康はどう見てもノープランで頭真っ白。今更「信長と手を切る」なんて、最悪な話を言い出した。

信康:私が腹を切ります。

家康:ならん。

信康:それで、全て済みます。

家康:ならん。

信康:では、どうするのですか。

家康:信長と、手を切る。

信康:武田に裏切られた今、織田まで敵に回せばおしまいです!

家康:お前を死なせるくらいならわしが腹を切る!

信康:それこそ徳川が滅ぶことでござる!

 瀬名も信康もガッカリしたよね、今更、信長と手を切る?わしが腹を切る?・・・自分たちを救うプロジェクトは幻で、何も立ち上がっていなかった、この日のために準備万端整っているものは何も無かったと確認できてしまった瞬間だ。絶望しただろうな・・・。

 「ダメだ、この殿。私は死ぬしかない」と瀬名は覚悟を決めたのだろう。だから、次善の策として、信康と自らがトカゲのしっぽになって徳川を守ろうと動いた。それが通説に合致する仕掛けだ。

瀬名:五徳や。そなたは信長様に書状を書きなさい。私と信康の悪行の数々を書き連ねるのです。暴虐で、不埒で、不忠な母子であると。

五徳:そのようなことはできませぬ。

瀬名:さもなければそなたまで私たちの仲間と思われます。

五徳:仲間でございます!義母上と、信康様と志を同じくした仲間でございます!

瀬名:そなたには2人の姫を育て上げる務めがあろう!・・・殿。なんなりとご処断くださいませ。(穏やかに頭を下げる)

妻子の命乞いをしない家康

 家康が出したのはアイデアでも何でもない。カッコつけて言うことじゃないのに、松潤が「信長を、世を欺く」と言うと、何事かのように聞こえてしまうので困る。

家康:わしは・・・決めたぞ。皆、わしの言うことを聞け。瀬名と信康には責めを負ってもらう。五徳は瀬名の言う通り、信長様に書状を書け。

五徳:殿?

家康:・・・そういうことにするんじゃ。信長を、世を、欺く。

 こんな「世を欺く」形が永続できる話ではないことぐらい、瀬名はピンときただろう。「死ぬしかない」の思いは、何ら変わらなかったはずだ。

 家康が本当に妻子を助けようと思ったら、自分の命を懸けて信長に助命嘆願するしかなかった。信康は高野山送りで瀬名は尼にして尼寺に入れるとか、どこかに預けて幽閉するとか、ふたりが信長に認められる形で生きられる道を、ツテを総動員して必死に切り開くべきだったと思う。

 悲劇の種だったのは、この松潤家康が岡田信長を信頼していないことだ。だから、早々に命乞いは諦めてしまったのだろう。でも「築山殿、信康様、ともにご自害いただく所存」と、酒井忠次によって信長に報告させてしまえば、誰かが死ぬしかなくなる。

 家康が深く瀬名の考えを理解していれば、「慈愛の国」を説く彼女が身代わりを受け入れる訳がないことも分かったはずなのに。それに、信長には面も割れているし、身代わりは危険な賭けだっただろう。

 だから、まずは正々堂々、2人の命乞いを試みるべきだった。今作の岡田信長は、それを待っていた節もある。もしかしたら相応の処罰で許してくれたかもしれないのに、ネックになったのは家康の信長への不信感だったね。

 事後に信長は「家康よ・・・」とつぶやいていた。頼ってくれなくて寂しかっただろうな。やっぱり真剣に命乞いしていたら?と思わせる。もったいなかった。

 史実としてはこの時期に瀬名と信康が死んでいる訳だから、いくらこのドラマでも、そこに着地させなきゃなんだけど・・・EUをぶちあげるぐらいなんだから、「実は生きのびました」バージョンを、可能性をとことん追求して、見せてほしかった。

 プランA~Cを順にプロジェクトメンバーが仕掛けるが、「徳川を守るんじゃ」と死ぬ気満々の瀬名と信康の2人が、ことごとくメンバーの鼻を明かしてくぐり抜ける。それが、最終的にあっと驚くプランDで、納得して生き延びる。そんな感じがあったら良かったな・・・。

泣かせたのは半蔵と女大鼠の服部党

 プランDを準備万端整えられる殿だったら瀬名も信康も生き延びたんだろうけれど、「それができない殿だから、もう死のう」と、家康を責める事もせずに覚悟を決められる瀬名。よほど家康よりも「殿」らしく、人間ができている。強い。

家康:(小舟で湖畔の瀬名の下へ)死んではならん。生きてくれ。

瀬名:それは・・・できませぬ。

家康:なぜじゃ!

瀬名:私たちは、死なねばなりませぬ。本当は、信康だけはどんな形でも生きてほしいけれど、あの子はそれを良しとしないでしょう。私も共に逝きます。

家康:嫌じゃ。

瀬名:それは、わがまま。

家康:わしはかつて1度、そなたたちを見捨てた。我が手に取り返した時、わしは心に決めたんじゃ。2度とそなたたちを見捨てんと。何があろうとそなたたちを守ってゆくと!(瀬名の肩をつかみ)守らせてくれ・・・。

瀬名:あなたが守るべきは、国でございましょう。

家康:国なんぞどうでもいい!知ったことか!わしは、そなたたちを守りたいんじゃ。

瀬名:かつて、父と母に言われました。いつか、私の大切なものを守るために、命を懸ける時が来ると。今がその時なのです。きっと、父と母もようやったと褒めてくれるでしょう。すべてを背負わせてくださいませ

家康:世の者ども、そなたを悪辣な妻と語り継ぐぞ。

瀬名:平気です。本当の私は、あなたの心におります

家康:(瀬名を抱きしめ、泣く)

瀬名:相変わらず、弱虫・泣き虫・鼻水垂れの殿じゃ。憶えておいででございますか?ずーっと昔、どこかに隠れて私たちだけでこっそり暮らそうと話したのを。(回想・誰も知らない地で、小さな畑をこさえて、世の騒がしさにも我関せず、ただ、私たちと静かに、ひっそりと。)あれが、瀬名のたった1つの夢でございました。はるかはるか、遠い夢でございましたな。フフ。

 (泣いている家康から離れて)さあ、お城へお戻りなさいませ。ここに居てはいけませぬ。平八郎、小平太。殿をお連れせよ。そして殿と共にそなたたちが安寧な世を作りなさい。

本多忠勝:はっ。

榊原康政:はっ。

家康:そんなこと・・・そんなことわしには!

瀬名:できます。(家康の手に木彫りのウサギを握らせて)いいですか?ウサギはずーっと強うございます。狼よりもずっとずっと強うございます。(家康の手に頬を寄せ)あなたならできます。必ず。(手に口づけをする)瀬名は、ずっと見守っております。(ほほえむ)

家康:(泣きながら涙を拭う。びしょ濡れの顔で微笑み、背を向ける。従う平八郎と小平太。家康を乗せた舟が、湖面に滑り出す)

瀬名:(水辺に正座し、懐剣を握る。走馬灯・・・駿府の森でかくれんぼ、祝言、カニの柄の浴衣で子どもたちと遊んだ日々、本證寺でバッタリ、金平糖を取り合い子どものように笑い合ったあの日、ふたり並んで城からの景色を眺める、築山で渡された木彫りのウサギ「いつか必ず、取りに来てくださいませ。殿の弱くて優しいお心を。瀬名はその日を待っております」)

家康:(舟の上、両手で木彫りのウサギを握りしめ、泣く。湖畔を振り返ると、正座をする瀬名の姿が目に入る。立ち上がって穏やかな顔の瀬名を見る)やはり駄目じゃ・・・舟を戻せ!

康政、忠勝:殿!殿!(家康を止めようとして水中に落とされる)

家康:(舟から飛び降りて、水の中を戻ろうとする)こんなのは間違っておる!離せ!離せ!瀬名、瀬名!

康政、忠勝:殿、御覚悟を!御覚悟を!(暴れる家康をつかむ)

瀬名:(刃を首に当てる。目を閉じ、首を切る。体が地面に崩れる)

鳥居元忠:(膝を付き、泣く)

女大鼠:(介錯の刀で瀬名を刺す。刀を捨て、ひれ伏す)

家康:ウワー、アアア(声を限りに泣く)

 瀬名が亡くなり大鼠がひれ伏す画には、手前の藪の竹が十字を作り、BGMでは静かに鐘が鳴る。やはり、イメージしているのはキリストの処刑のよう。ユダ(武田勝頼)の裏切りによって死んでいくキリスト(瀬名)。

 顛末を聞いた勝頼は「人でなしじゃな、家康は」と言った。当然妻子を守って織田と徳川は戦になると踏んでいたのだろう。けれど、そうならなかった。そうさせた「人でなし」は勝頼だったと思うんだけどね。

 しかし、自裁する寸前の妻に「弱虫、泣き虫、鼻水垂れの殿」と、当然のように慰められている夫・家康を見ていたら「普通逆なんじゃないの・・・死ぬ方が怖いよね」とムクムクと反感も湧いた。「嫌じゃ言うなら、ここは自分の力不足をトコトン妻に謝るべきなんじゃないか、家康よ!救えなくてゴメンって!」と力が入った。

 (瀬名のカニ柄の着物にはおおお!と思った。家族みんなお揃いで持っているんだねえ。一家団欒もそうだけれど、カニは再生の象徴とか?もしかして・・・やっぱり再登板?)

 家康もだらしないが、彦(鳥居元忠)もだらしない。介錯を瀬名に頼まれても「できませぬ」って、なんだ、自分の感情優先か!御方様のために、こんな大事な務めも果たせないとは。

 その点、女大鼠は頼りになった。彼女だって、瀬名には思い入れができていたのではないかと思う。築山の庵の床下に潜って1か月、彼女はずっと瀬名の言葉を聞いていたのだから。瀬名の語る理想に、心を揺さぶられたのではないか。

 それが、介錯後ひれ伏すお辞儀に表れていたように思う。瀬名の息の根を止めた刀を放り出し、全身で身を伏せて。決して作法に適ったものには見えない礼の仕方が、余計に彼女の心情を感じさせて、ここは泣けた。(日曜日にはもっと泣けていたと思うのに、土曜日の再放送では女大鼠のお辞儀に至るまでは泣けなかったな。)

信康には生存説も

 ドラマでは順番が逆だったが、秋の信康の切腹シーンも、七之助(平岩親吉)が泣きに泣いて信康に取り付き、全然介錯をしないどころか邪魔をする始末でハラハラ。色男殿(大久保忠世)に「楽にして差し上げよ」と言われてもなお、信康に取り付いて「駄目じゃ、駄目じゃ」と泣いているのは、岡部大が熱演なんだけど、また「自分の感情優先か!」と見ていて腹が立ってしまった。

 駿府で家康幼少期から付いていたふたり、彦と七はダメダメコンビだな。日頃、よく務まっているよな。あの殿だからこそか。

 一筋の涙を流しながら、この信康の介錯を務めたのは今作では服部半蔵だった。聞いていたのは半蔵が心乱れて斬れず、検視役だった天方通綱が代わりに介錯したという話だったので、アレっと思った。彼に花を持たせたのは今後意味があるのだろうか。四谷の西念寺までドラマでやるのかなあ。

 この時の信康が、母の築山殿の自害を半蔵に確認して、それから自害に及んだところを見ると、やはりまだプランDに期待をかけて、待っていたのではないかと思わせた。ウィキペディアを見たら、彼には生存説があるようだ。

 徳川を守った、を誇りに命を散らせていった今作の信康だと、どうなんだろう。あまり自殺する人を美化したくないが、長篠戦後PTSDで心乱れる自分に対しても落胆していただろうし、それで徳川を守れるなら潔く死のう、と思い極めていたというところではないだろうか。

 覚悟が定まらずグズグズ泣いているのは、父の家康ばかりということだ。妻子を失い、こんなにダメダメにしておいて、後半戦で家康は見違えるのかな?

やっぱり家康には優しい信長

 家康は相変わらず信長に甘えている。信長は自分の首を切ることなど絶対にしないとの自信があるかのように振る舞う。岡崎謀反の一報を聞いて、いつもの鷹狩りの小屋まで雨の中飛んできた信長に、ただただ頭を下げ、釈明もせず無言だった。自分の感情が勝って声も出なかったのかもしれないが、それで許されると信じているのが凄い。

 あの雨の場面、佐久間信盛を交えての対面はこうだった。

織田信長:(軒下に座り、雨を眺めている。横には佐久間信盛が立つ。)

徳川家康:(ずぶ濡れでやってくる。土気色の顔。腰から太刀を外し、ぬかるみに膝を付く。信長に向かい、頭を下げる。)

佐久間信盛:岡崎にて謀反との噂あり。信康殿と奥方、我らを欺いて武田と結び、また、徳川殿もそれに加担しておられると。虚説でござろう?虚説でなければなりませぬぞ!(家康は頭を下げ続けている。)

信長:お前の家中で起きたことじゃ。俺は何も指図せん。お前が自分で決めろ。(立ち去る)

家康:(ひれ伏したまま、雨が滴っている)

信盛:家康殿。(家康を起こす)何をせねばならぬか、お判りでしょうな?ご処分が決まり次第、安土に使いを。(去る)

家康:(動けないまま、雨に打たれている)

 びっくりするほど信長は家康に優しい。「徳川殿もそれに加担しておられる」部分がいきなりスルー、不問に付されているのだから。

 妻子に対する処分が、家康への心理的罰になることは当然あるにしても、家康自身は後の佐久間のように追放されるでもなく腹を切らされるでもなく、信長は「お前の家中で起きたこと」と、瀬名と信康だけの問題であるかのように矮小化してくれた。

 やっぱり愛だなー。家康にはとても弱い信長だ。

 この信長だからこそ、あの瀬名の「慈愛の国」構想をぶつけてみたらどうだったかな、と思う。ふたりに直接対話をさせてみたら、案外、信長は瀬名の夢に乗ったかもしれない。彼は実は「慈愛」の言葉に飢えていそうだ。

 「要するに調略と同じ」と、「慈愛」は骨抜きにされ看板だけにされるおそれもあるだろうが、「それいいね」と乗っかってくる可能性はあったかも。戦は金がかかり、経済的に考えたら避けたいだろう。

 さて、安土城も完成、瀬名が退場、次回予告ではもう・・・となると、この家康ラブの信長様もそろそろ先が見えてきた。信康と五徳の婚姻関係のつながりも消えてしまったし、織田と徳川をつなぐため、正妻を失った家康と未亡人お市を娶せようとする可能性はあるのかな?

 それと、家康に片思いする信長、妻子を失った恨みを心に秘める家康の両者の愛憎関係はどうなるのだろう。ふたりの絆の強さには信長ラブの光秀が嫉妬しそうだし、「知り過ぎた男」穴山梅雪の織田軍加入で、武田と通じた過去がある(?となるか)光秀は慌てるのだろうし。

昨年作「鎌倉殿の13人」では同時期に源頼朝が退場

 ところで、この「はてなブログ」には「去年こんなブログ書いてますよ」と思い出させる機能がある。「過去の同じ時期に投稿した記事を振り返るメールをお送りします」ということで、「はてな」から送られてきたメールにあったのがこのブログ。

toyamona.hatenablog.com

 なるほど、大泉洋が好演した源頼朝が落馬し、命を落としたのが昨年のこの頃。初期に純粋な若者だった主人公・北条義時(小栗旬)は、既に初恋の妻(新垣結衣)も失い、上記の回での頼朝の死を境に、さらに真っ黒な黒執権への道を歩むことになった。

 まあ、1年にも渡る連続ドラマが大河。物語の構成上、前半を引っ張る大物は必要だ。それが「鎌倉殿」では頼朝、「どう家」では家康の正室・瀬名だった。ふたりは、主人公に大きな影響を残してほぼ同時期にドラマから死亡退場なんだな、と気づいた。

 折り返しの7月から、ドラマも後半戦。「弱虫、泣き虫、鼻水垂れ」の家康も、ウサギの強みを生かして狼に対抗し、つかみどころのない「タヌキ親父」と呼ばれようと、瀬名の言う「慈愛の国」を彼なりに何とか実現するため幕府を開くのだろう・・・動物が多めで訳が分からない。

 松潤家康の、後半での黒執権義時に負けず劣らずの変貌ぶりに期待したい。

 

【どうする家康】#24 スイスじゃなくてEUだった瀬名の夢

酒井忠次以下、家臣団は優秀なのに殿は

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第24回「築山へ集え!」が6/25に放送された。まずは公式サイトからあらすじを引用させていただく。

瀬名(有村架純)と信康(細田佳央太)が各地に密書を送り、武田方をはじめ多くの者が築山を訪ねていることを知った家康(松本潤)。これが信長(岡田准一)に伝われば、命より大事な妻子を失うことになる。苦悶の末、家康は数正(松重豊)らと共に築山へと踏み込む。だが瀬名は、家康が来るのを待ち構えていた。瀬名は、内々に進めていた途方もない計画を明かし・・・。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 家康、「苦悶の末」と書いてあるけどなあ。悪いけど、本当に苦悶していたのかなあ。物事からただ逃げ回っていただけにしか見えなかった。

 築山に入り浸る信康への心配、岡崎が離反する懸念を家臣団から口々に聞かされても「それの何が悪い」「わしは妻と息子を信じておる」という反応。それで「信じれば物事が落着する訳ではござらぬ」と石川数正からピシャリと怒られて。

 家臣は優秀なのに、今作の徳川殿は相も変わらずピリッとしませんな。次回、ツケがたまって爆発か。

 他方、「鷹狩」を誘ってきた信長は、家康へ一応愛ある対応を見せた。「どうじゃ?近頃」「岡崎もか?」「五徳が色々と申しておる」「水野のようなことは・・・あれで最後にしたいものじゃ」と告げて、去っていった。

 その間、信長は家康には近寄らず、顔を背け、毎度ねっとり耳攻撃もしない。水野の件を告げる時だけ、家康の顔を見た。いつもより心理的距離を感じさせた信長の様子を見て取り、危機感のない家康にすかさず「手を打ちましょう!」と進言したのは酒井忠次。本当に彼は優秀だ。二番手が裏切らず優秀だから徳川は生き残ったという描き方か。

対照的に、御方様へと立派に成長した瀬名が

 さて、前回の「瀬名、覚醒」から考えて、今回で悲劇的な方向へと物語は舵を切るものとばかり身構えていたので、今回の副題「築山へ集え!」のポジティブさに違和感を覚えていたのだけれど・・・そういうことだったか。着地先は納まるべきところに納まりそうで、なるほどお見事、だけどプロセスがアクロバティックで驚いた。

 前回のブログでは、こんなことを書いた。

 瀬名の大きな夢って?戦国時代の感覚を飛び越えた現代的な女性だとすると、もしかして永世中立的な場を築山に形成すると言い出すのか。今のスイスみたいな。(略)

 でも・・・スイスは中立を守るために武力も整え、それだけ血を流してきた歴史がある訳だから。単に織田の手先になってエンドレスの戦を戦うのは嫌だと精神的な平和の尊さを訴えても、それは空しく蹂躙されて終わるだろう。高度な文明を持っていたと言われながら、滅ぼされていったインカ帝国などが頭を過ったりする。

 しかし、スイスとは想像がたくましすぎるか。瀬名の真意がどこにあるのか、まだ分からない。(【どうする家康】#23 覚醒した瀬名、嵐を呼ぶか穴山梅雪 - 黒猫の額:ペットロス日記 (hatenablog.com)

 ・・・ということで予想したのは永世中立国のスイス止まりで、瀬名が岡崎の中立を言い出すのかと思ったのだったが、そうではなかった。

 瀬名が構想していたのは、足りない物を融通し合って支え合い、共通の通貨を流通させて一大経済圏を成立させる、巨大な「慈愛の国」。それを聞いて「EUだよね、ユーロもあるし」と多くの視聴者が考えただろう。

 スイスで「想像がたくましすぎるか」なんて私は言っちゃってたけど、もっとたくましくしなければ追いつかなかった。

 確かに瀬名の構想が現代的なので、それを戦国時代を描くドラマがぶち上げてきたことにはビックリではあった。だけれど、彼女の経験値を考えたら、瀬名がその考えに行き着いたとしても「ちょっと時代を先駆けているよね、そんな考えが出てくるのはもっと後だよ」とか、何の書物のどこから出てきた、そんなの彼女には不可能だ、とも私は思わなかった。

 そんな風にね、声を発せられない側にいた瀬名をバカにできない。

 主流をも動かすような、まとまった思想として人々に理解されるようになるには時代的にもう少し下る必要があったとしても・・・きれいな言葉にはできなくとも、戦争を何とか避けたい思いは浮かんでは消え浮かんでは消え、似たような考えは人々の間に長く揺蕩っていたのではないか。

 戦国時代の人間がみんな好戦的だとは思わない。戦いたくない人間の言葉が、強者によって圧殺されてきただけだろう。

 大体、それなりの立場のある人の言葉じゃなきゃ記録にも残らない。ペーペーが言っても聞こえない振りでスルーされても、上司が言うと会議で通る、みたいな。アメリカ大陸は先住民が住んでいたのに、コロンブスに「発見」された、みたいな。

 さらに脱線気味だが、昔、「レディーミツコ」という漫画を読んだ。作者は大和和紀だった。骨董屋の背の高い娘・青山ミツがヨーロッパのクーデンホーフ=カレルギー伯爵に見初められ、ヨーロッパに渡り、社交界の花となる。彼女の息子リヒャルトは、EUの礎となる汎ヨーロッパ主義を提唱する人物になる。

 かつて戦争続きだったヨーロッパがEUとなる歴史の裏に、リヒャルトの母・ミツコの存在は無関係だったか?国家間の戦争で一番困るのは、国際結婚の当事者だ。でも異国人のミツコよりも、貴族であるリヒャルトが言うからヨーロッパでも話を聞こうという人たちが出る。「彼のバックグラウンドを考えたら、そう考えても当然だね」と彼の言葉を尊重する空気がメインストリームに存在して初めて、思想というのは広まっていけるんじゃないのか・・・なんて昔考えたのを思い出した。ちょうどEUだし。脱線終わり。

 ということで、瀬名は本当に追い込まれた境遇にある。最愛の息子の命、夫も家中も全て安全にソフトランディングさせたいとなったら、現代的と見えるウルトラCだって飛び出すかもしれない。

 母・巴の死に際の言葉は、必ず瀬名が追い込まれたら出てくると最初からわかっていたのに、いざ見てしまうと心にズンと来た。

瀬名、強くおなり。我らおなごはな、大切なものを守るために命を懸けるんです。そなたにも、守らねばならぬものがあろう。瀬名、そなたが命を懸けるべき時はいずれ必ず来ます。それまで強く、もっともっと強く、生きるんです。(第6話「続・瀬名奪還作戦」)

 力に頼らず、相手を尊重しつつ味方を増やしていく事は、粘り強くメンタルが強くないとできない事だと思う。細い尾根の上をそろりそろりと歩く思いであり、落ちれば真っ逆さまなのだ。瀬名の心底には、全身を震わせて泣きたい必死な思いが常にあったはずなのに、そんな心理状態にありながら穏やかに笑顔で事を進めるなど、尋常な強さではない。

 母の言葉通り、瀬名は強くあろうとしていた。それが、家康と対峙する彼女からはよく伝わってきた。

瀬名:書物を読んだり色んな方に教えを請うたり・・・そして、ひとつの夢を描くようになりました。

家康:夢?

信康:母上の考えは、我らが武田の配下に入るのでも、武田が我らの配下に入るのでもありません。

家康:どういう事じゃ。

瀬名:私たちはなぜ戦をするのでありましょう?

家康:わしが生まれた時からこの世は戦だらけじゃ。考えたこともない。(瀬名に見つめられて)戦をするのは・・・貧しいからじゃ。民が飢えれば、隣国より奪うほかない。奪われれば、奪い返すほかない。

瀬名:されど奪い合いは、多くの犠牲を伴います。

家康:已むを得ん。

瀬名:そうでしょうか。

家康:なら、どうすれば良い。

瀬名:貰えばようございます。

家康:貰う?

瀬名:米が足らぬなら、米が沢山ある国から貰う。

家康:ただでくれはせん。

瀬名:代わりのものを差し上げます。塩が取れる国ならば塩を。海があれば魚を。金山があれば金を。相手が飢えたるときは助け、己が飢えたるときは助けてもらう。奪い合うのではなく、与え合うのです。さすれば戦は起きませぬ。

酒井忠次:御方様。仰せになることは分かります。しかし、それは理屈でござる。実際にはそのようには・・・。

瀬名:まいらぬか?

石川数正:少なくとも、徳川と武田がそのように結ぶことはできますまい。互いに多くの家臣を殺され深い恨みを抱えております。

信康:父上。私はもう、誰も殺したくはありませぬ。戦を止めましょう。

家康:信康・・・。

五徳:されど、そのようなことは我が父が許さぬでしょう。

忠次:さよう。織田と敵対することになる。戦になりましょう。

信康:我らは誰とも戦はせぬ!

忠次:向こうから攻めてくるのでござる。

瀬名:そうならぬため、この方々にお知恵を頂きました。

信康:久松殿、今川殿らの誓書でござる。

(略)

数正:そのような結びつきは、脆いものかと。

信康:肝心なのは銭でござる。

数正:銭?

瀬名:それらの国々が同じ銭を使い、商売を自在にし、人と物の往来を盛んにする。さすればこの東国に新たなる巨大な国が出来上がるも同じ。そのような巨大な国に信長さまは戦を仕掛けてくるでしょうか?強き獣は弱き獣を襲います。されど、強き獣と強き獣は、ただ睨みあうのみ。

信康:睨みあっている間にも、我らの下に集う者はどんどん増えるに違いありません。この大きな国は、武力で制したのではなく、慈愛の心で結びついた国なのですから。

家康:慈愛の心で・・・結びついた国。

千代:いずれ織田様も、我らの下へ集うことになりましょう。

穴山信君:武田、徳川、織田、北条、上杉、伊達らがあらゆる事柄を話し合いで決めてゆくのです。さすれば戦のない世ができまする。

瀬名:日本国が、ひとつの慈愛の国となるのです。

信康:これが、母上が考えた途方もない謀でございます。

瀬名:すべての責めは、この私が負う覚悟にございます。殿、左衛門尉に数正、そして五徳。どうか私たちと同じ夢を見てくださいませ。

家康:・・・なんというおなごじゃ。

五徳:五徳は・・・信康様について参ります。

瀬名:(一点を見つめたまま、一筋の涙を流す)

 有村架純は、ちょうど再放送中の「あまちゃん」の主人公の、こじらせていつまでもかまってちゃんな母(若き日の春子)として出演中なので、楽しんで見ている。そして今作の初期はかわいらしい姫として登場し、今や賢く説得力のある御方様。いつまでもピリッとしない夫と比べ、しっかりと成長している。

瀬名の考えを形作ってきた言葉たち

 瀬名の考え方を形作り、支えている言葉の数々が、今回の冒頭で丁寧にリフレインされていた。忘れっぽい視聴者のための「まとめ」か。

 巴の言葉の他には、お万のセリフ「私はずっと思っておりました。男どもに戦のない世など作れるはずがないと。政もおなごがやればよいのです。そうすれば男どもにはできぬことが、きっとできるはず」があった。

 そして、前述のように時代の陰で潰されていった言葉として、大岡弥四郎の「くだらん!御恩だの忠義だのは、我らを死にに行かせるためのまやかしの言葉じゃ!皆、もう懲り懲りなんじゃ。終わりにしたいんじゃ。だが終わらん。信長にくっついている限り、戦いは永遠に終わらん無間地獄じゃ!」も印象的だった。

 この大岡弥四郎のセリフに打ちのめされた様子だった信康の、長篠の戦によるPTSDを経ての闇落ちは、瀬名を動かした一番のポイント。「わしに逆らう奴は斬る。斬られたい奴は出てこい!」と、異様に高ぶって、無辜の僧を斬った返り血をものともせず息子に叫ばれた日には、母としてこれ以上ショックな現実はない。

 とどめは武田の間者・望月千代の言葉。「岡崎と信康様を救えるのはあなた様だけと存じますよ。」これでパズルのピースがピピピと瀬名の脳内でハマり、彼女の行動を決定づけたのだろう。

 瀬名は言った。「母にはずっと胸に秘めてきた考えがある。全てを懸けてそれを成す覚悟ができている」。

 それが、武田だけでなく(織田以外の)できるだけ多くの勢力と、与え合う「慈愛」の心で手を結び、大きな集合体となって織田と対抗する考えだった。「強き獣と強き獣は、ただ睨みあうのみ」と。(でも、ウサギはいくら集まってもウサギの集団で、虎にはなれないと思うけどな・・・ウサギの集団VS.虎だと、やっぱり虎は躊躇しないでしょ?)

 瀬名が、辛すぎる現実から目を逸らさず、考え抜いたから到達した結論だ。物事から逃げ回る家康とは対照的な、瀬名の内面の強さが描かれていた。

 (現在進行形の悲劇、ウクライナを思う。ウクライナが早いところEUに入っていたら、ロシアも手出しできなかったのでは・・・睨みあうのみで。)

田辺誠一はどこか甘いキャラが定位置

 SNS等を見て思うのだが、奪い合わず戦抜きで手を取り合う事が、戦国の現実を見ていない「頭がお花畑」的思想だと一笑に付されていいものなのか。武田・今川・北条の三国同盟だってあったじゃないかーーだが、軍事力が裏打ちとしてあったからなぁ。

 丸腰で手を差し伸べても、相手から一方的に奪われるだけの結果になるというのが、悲しいけれど戦国の現実というものかも。物語の中で、信玄よりも信長よりもはるかに人格者だった今川義元が治めていた地が、旧同盟国の単なる草刈り場になってしまったし。

 「戦乱の世はもう終わらせなければならぬ」と言った義元。彼が家康に説いた王道は今、覇道に下った形だ。「武を以て治めるは覇道、徳を以て治めるのが王道也」が空しい。

 瀬名の謀(はかりごと)に理解を示した田辺誠一が演じる穴山信君は、敵将とも思えない「いい人」だ。これまでの彼の目に付くキャラがそうであったように、情にほだされたり甘いところがあったりする「やっぱりね」の部分が出てきた、ということか。

 そういう厳しくなりきれない「優しい」「甘い」のが田辺誠一は似合うんだな。映画「ハッピーフライト」では、演じていた若手パイロットが規定通り帽子をかぶらず、そのせいで災難に遭っていたような気がする。「風林火山」では武田家武将の小山田信有を演じ、真木よう子演じる敵将の奥方(幼少期に主人公・山本勘助とお知り合い)を側室に迎え、その姫に殺されていた。

 そうか、今回の穴山信君は勝頼のいとこ、「風林火山」の小山田信有は信玄のいとこだから、武田家当主のいとこポジションが田辺誠一の定位置なんだ・・・ちがうか。

 とにかく、後の穴山梅雪は勝頼を裏切って徳川・織田に通じるから、今回の築山殿事件によって心理的下地ができるということかな。「人心が離れ」たんだな。

勝頼が悪役、それ必要だった?

 そして、いとこの穴山梅雪に裏切らせてしまう武田勝頼。前述のお万の言葉を証明したのが勝頼だったかと思う。

 勝頼は、当初は戦を嫌う岡崎が武田に縋ってきたと理解し、「これで織田と徳川を分断できる」と考えた。築山殿の言う「武田と手を結ぶことを望んでいる」の意味は、信じ難かったのだろう。力と力のぶつかり合いの中で生きてきた戦国のマッチョ武将だ。

 しかし、穴山信君は「戦い続ければ先に力尽きるのは我らかと。この策に懸けるより他に我らの生き残る道は(無い)」と言った。

 だから、瀬名の意図はともかく、とりあえず話に乗っかって長篠の戦で傷ついた武田軍の力を養う期間として瀬名の策を利用する方向を選んでも、責められない。突飛な「おなごのままごとのような謀」には乗れないよね。無理もない。

 何しろあんな厳しすぎるブートキャンプみたいなところで育ったのだ。「筋肉は裏切らない」を信条に筋肉に生きる勝頼が、「徳川と戦争ごっこ?戦を否定して話し合いのみ?バカバカしい」となるのは当然だ。鍛え上げた自分を否定するのか。

 今作の武田勝頼に、肉体的に非の打ちどころのない、最強の眞栄田郷敦をキャスティングした訳が分かる。「真田丸」ではインテリっぽい哀愁漂う勝頼を平岳大が演じていた。真田丸バージョンのインテリ勝頼では、むしろ率先して瀬名と手をつなぎそうだもの。

 築山の密約から数年経った1579年(とうとう!)、マッチョでファイターの勝頼は言った。

良い頃合いか。全てを明るみに出す頃合いよ。噂を振りまけ。徳川は織田を騙し、武田と裏で結んでおると。すまんな、やはりわしは、おなごのままごとのごとき謀には乗れん。仲良く手を取り合って生き延びるぐらいなら戦い続けて死にたい。信長の耳に入れてやれ。信長と家康の仲が壊れれば、わしらはまだ戦える。あのふたりに戦をさせよ。わしは織田、徳川諸共滅ぼす。穴山よ、この世は戦いぞ。戦いこそが我らの生きる道ぞ。我が夢は、父が成し得なかったことを成すこと。天下を手に入れ、武田信玄を超える事のみじゃ。築山の謀略、世にぶちまけよ!

 穴山信君と同様、すっかり瀬名にたぶらかされている千代の「どういうことでございましょう」と問う戸惑い、涙をにじませる表情からの落胆がわかりやすかった。千代も、戦で家族を軒並み失った側だから、瀬名の夢を見たかったんだろうな。

 しかしね、勝頼を悪者に仕立てるまでもなかったんじゃないか。

 史実でも、この数年は高天神城の攻防戦あたりで徳川と武田は一進一退が続いたらしいけれど、戦争ごっこをしばらく続けていた訳だから、それに従事していた兵は何人いたと思っているんだ。

 兵士たちは感情や口のないロボットではない。「今日も空砲を撃って、遊んできた」という、まさに「願ってもないほのぼの話」は、兵士→周辺の庶民を通じてパッと伝わるはずで、優秀な織田方の忍びはすぐにも戦争ごっこの真相を把握したはずだ。

 庶民は戦が無い状態を渇望している。そんな夢みたいなこと、と思いながらも、救いのない戦国時代だからこそ、瀬名のファンタジーには飛びつきたい人たちがたくさんいただろう。勝頼が命じなくても、ホワホワとしたカラフルな夢いっぱいの噂は庶民の間に広がったはず。そんなに良いこと、みんな黙ってられないよねえ。

 まあでも、ドラマだから・・・それに、前述のように、この瀬名と手を切る決断を契機に優しい穴山信君が武田勝頼に失望しないといけないから、そういうことにしておかないと。

 今回の勝頼はユダなのかな。そして慈愛溢れるキリストの役回りの瀬名が処刑される。瀬名が目指し、家康と家臣らも成し遂げようとした「東国の夢」が破れてしまう。次回、見るのがつらい。

(敬称略)

【どうする家康】#23 覚醒した瀬名、嵐を呼ぶか穴山梅雪

瀬名は「静かなジャンヌダルク」

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第23回「瀬名、覚醒」という何とも来ないでほしい未来を感じさせる副題の回が6/18に放送された。はい、1週間前ですね。

 いつも1週間遅れで私の個人的なダラダラとした雑感をお送りしているが、ネタバレという観点からすると1週間遅れぐらいがちょうどいいのかも、ということにしておく。大体、土曜日の再放送を見てからノンビリ書こうかなと思い立つ訳だから・・・平日は他に限られた脳みそを使うから仕方ない。

 さて、公式サイトからあらすじを引用させていただく。

瀬名(有村架純)が武田の使者・千代(古川琴音)と密会していると知った五徳(久保史緒里)は信長(岡田准一)に密告。すると信長は、水野(寺島進)が武田と内通していると言いがかりをつけ、家康(松本潤)に処分を迫る。苦渋の末、水野を手にかけた家康は、侍女・於愛(広瀬アリス)に癒しを求めるように。一方、設楽原の戦い以来、心のバランスを失っていた信康(細田佳央太)に、瀬名は秘めてきた大きな夢を打ち明ける。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 壊れていく息子。大事に大事に育てたひとり息子だ。実家が潰された今となっては、血がつながるのは息子と娘だけになってしまった瀬名。彼女にとって、信康は掛け替えのない存在だ。

 その息子が長篠の戦での人を人とも思わない織田信長による新しい戦い方(一方的に銃で殺戮していく)を目の当たりにしたことで精神を病み、常軌を逸した行動をするようになってしまった訳だ。未発達のteen-brain だからショックが大人よりも大きかったのも仕方ない。それで母は立ち上がるのだ。心情的にとても同情する。

 再放送を見たら、続けて放送された土曜スタジオパークには瀬名役の有村架純と、五徳役の久保史緒里が出演していた。そうだよね😢土スタご出演ということは、瀬名が退場する前振りだよね。 

 有村架純は、自身が演じる瀬名について「静かなジャンヌダルク」「最後尾で皆の背中を押し続けた女性だ」と形容した。ジャンヌダルクか・・・彼女なりの信念を持って行動し、最後は火あぶりになる悲劇的なイメージがある。瀬名も、時代と環境に恵まれなかっただけで、彼女なりの正義に従って行動したと言いたいのかな。

 築山殿は悪女と言われているけれども「本当はそうじゃなかったんじゃないかというところでこの物語を作っていきたい」と脚本家・古沢良太は有村架純に意図を語っていたそうで、現代の女性に近い存在として描かれているそうだ。

 瀬名の悪女伝説については、NHKが「虎の巻」でも説明している。(どうする家康 虎の巻 天下取りの秘密その五 瀬名 悪女伝説!? - #どうする家康 - NHKプラス)戦国時代までは武将の正室が政治に関わり、夫の代わりを務めるのは当然のことだったそうで、時代考証を務める平山優先生曰く、

  • 江戸時代は女性が政治に参画できなかった男性中心の社会で、いわば出しゃばりとか、それが(築山殿の)悪女説の根源になった
  • つまり築山殿の実像と、今日、江戸時代から流布されている虚像と言うもののギャップはかなり大きいのだろう
  • 家康と築山殿の夫婦仲が悪かった証拠はどこにもない

ーーとのこと。だから、それに則って未だかつて見たことのないラブラブ夫婦の家康♡瀬名がこのドラマで出現した訳だ。本当に新鮮、でも今作に付いて行けない人が続出したのも、天下を取った家康がヘタレという点がまず信じがたい上に、良妻賢母の愛らしい瀬名が前代未聞だったからのような気もする。

 そう、こんな家康夫妻は見たことない(実際に会ったことも無いけど)。

 土スタでの有村架純は「ウサギは重要」と木彫りのウサギにあえて触れていたので、ウサギは瀬名の最期に絡めて出てくるのかな?なにしろ、あのウサギは色々な人物が集合するだろう築山に置いてある。次回は今川氏真&妻の糸(早川殿)、於大と夫(本当は隠居じゃなく出奔していた?)、大鼠(?)も集合するのだから、何事かが起きるのだ。

 「母にはずっと胸に秘めてきた考えがある。もしそなたがやるというのなら、全てを投げ捨ててそれをやる覚悟がある」という、瀬名の大きな夢って?戦国時代の感覚を飛び越えた現代的な女性だとすると、もしかして永世中立的な場を築山に形成すると言い出すのか。今のスイスみたいな。以前、瀬名は築山を貰った際に誰でも来られる場にしたいと言っていたよね?(姑の於大以外は歓迎するって。)

 でも・・・スイスは中立を守るために武力も整え、それだけ血を流してきた歴史がある訳だから。単に織田の手先になってエンドレスの戦を戦うのは嫌だと精神的な平和の尊さを訴えても、それは空しく蹂躙されて終わるだろう。高度な文明を持っていたと言われながら、滅ぼされていったインカ帝国などが頭を過ったりする。

 しかし、スイスとは想像がたくましすぎるか。瀬名の真意がどこにあるのか、まだ分からない。彼女の最期までもうあまりないはず。文句を言わずに付き合おう。

穴山梅雪が築山にキター

 気になっているのは、穴山梅雪の登場だ。彼が出てきたことで「もしかしたら今作の脚本家は瀬名には優しいし、処刑を免れて武田に落ち延びるなんてこともあるのかな?」と考えてしまった。

 どこで読んだが思い出せないが、武田滅亡後の1582年に家康の側室になる武田の姫(お都摩の方、下山殿。穴山梅雪の養女)が瀬名に似ていると家康が喜んだって話が無かったかな?年齢的に少々無理だよねとは思うけれど、瀬名=下山殿とのことでドラマが転がっていかないかな?そうしたら、有村架純にはもう少し会えることになる。

 穴山梅雪を演じるのが田辺誠一だから、これまでのポジション(信玄や勝頼の横でただただ従っている)には満足できない、これで終わるわけが無いと思っていた。何か通り一遍の役割じゃない、特別な役割がこのドラマの中では与えられているはず、そう信じていたが、もしかして伊賀越えエピぐらいで終わるかなとモヤっとしていた。

 そしたら!やっぱりである。築山殿を貶める逸話の中で必ず出てくる唐人医師(「長勝院の萩」では減敬)を思わせる出で立ちで、田辺誠一がご登場だった。このドラマでは滅敬(めっけい)との名で、上の者を連れて来いと瀬名が千代に言ったため、武田の外交担当の穴山信君が来たのだね。

 この穴山信君、梅雪の方が私的には馴染んでいるのだけれど、この穴山梅雪に関して、ちょっと驚くことを耳にした。私が大好きな歴史家の磯田道史がご出演の6/20テレ朝「本能寺の変、14の謎を解け」という3時間スペシャルの結論がこうだった。

《本能寺の変》の新事実が今夜明らかに!!神社仏閣3時間SP|テレビ朝日

 なぜ明智光秀が本能寺の変を起こしたのか・・・それは「信玄とのつながりがバレた」から。バレた原因は、武田の外交担当で全てを知っている男・穴山梅雪が、武田滅亡時に織田方に付いたからだ、と。

 知らなかったな・・・💦今、そういうことになってるの?

 信玄は1573年に死んでいるが、光秀は「かねて内通ありしかども信玄死去し勝頼討たれ、本意を失われしに(明智光秀は以前から信玄と内通していたが、信玄が死去し勝頼が討たれたので本来の意志を失った)」という、光秀家臣で後の春日局の父・斎藤利三の息子の証言が、熊本の細川家公式記録「綿考輯録(めんこうしゅうろく)」に記録されているのだそうだ。

 磯田先生は「一次資料じゃなくてもこれを無視できますか?」と鼻息も荒かった。

 曰く、外交が得意な光秀は、もし内通していなかったとしても武田とのチャンネルは持っていただろう。武田国境に近い美濃の豪族に縁があり、ズブズブに内通していなくても何らかのつながりはあったはず。本能寺の変の前、信長と光秀の関係が悪くなった頃に、信長に気に入られたいと思っている穴山梅雪がやってきた。内通していなくても、光秀の恐怖感は増幅されたことは考えられる。武田が信長に仕掛けた諜報戦がゆっくり毒のように効いたことは無かっただろうか、と・・・。

 確かに、光秀は足利義昭側の都人のような顔をしているけれども、そのルーツを思えば、武田国境の岩村城近くに明智城もあった気がする。光秀の前半生はベールに包まれているのだから、武田とのつながりもあったかも。

 義昭の指令によって、光秀がスパイのような働きをしていたとしたらと考えると、なんて面白いんだろう。そのスパイの正体が穴山梅雪の織田側への加入によって信長に明かされることを恐れて、というのは分かる。本当だったら生きた心地がしないし、そうじゃなくても「気に入られたい人=梅雪」が自分について有ること無いこと信長の耳に吹き込むと考えたら恐ろしいはずだ。

 そう思うと、梅雪が伊賀越えで殺されたのは偶然だったのだろうか。本当に落ち武者狩りによって?実は、明智軍が絶対に殺せと血眼になっていたのかも。

 そして・・・実は武田と他家とのつながりを全部知っているという点では、家康も梅雪を危険視していたのではないか。

 瀬名と信康が武田方に通じているから処分したとなっている話は、実は家康も同心していたりして。可能性として、無くは無いだろう。妻子が犠牲になってくれることで辛くも家康は嫌疑を逃れたのに、その実際のところを知っていた梅雪が、はからずも織田に来てしまった、という話だったとしたら?徳川に災いをもたらすネタを知っている梅雪の命を奪うには、伊賀越えは絶好の機会。家康も絶対に梅雪の命を奪うだろう。

 いやー、怖い怖い。妄想は膨らむ一方、ドラマからはちょっと脱線したが、そんな方向も面白い。何しろ一筋縄ではいかない田辺誠一が梅雪だから期待している。

お葉さん健在、今も直角にターン 

 角を直角に曲がる女、Lの側室・西郡の局お葉が家康の世話を粛々とこなしている様子を見て「おお、ここにいたか」と嬉しかった。瀬名が岡崎にいるから、浜松での家康のお世話を万全にこなしていたのが彼女だということだろう。

 お万の方の騒動があって、その後に瀬名の指示で派遣されたのかな?パートナーのお美代も一緒かな?お葉は、実質はともかく、表向きは正室の瀬名が認めた側室で、娘も生んでいて御腹様の地位にある。女子衆の上に立つ「妻」の役割はきちんと務めているようだった。

 その西郡の局に仕えていたのが西郷の局(於愛)の母だという話があるそうで、その縁で彼女は家康の側室になったのだとか。その説がある程度活かされてドラマも構築されていた。良く知られた「近見姫」の説もうまく使われ、於愛がまさか万千代と人違いしてバーンと殿である家康のお尻を叩くとは思わなかったが、面白かった。

 今回、於愛は正室の瀬名との面接をクリアしていて、これも今までの彼女の描かれ方(と言ってもドラマ化では竹下景子ぐらいしか憶えていない)からすると新鮮だった。ヘタクソな横笛は、夫の形見なのかな?築山殿と仲が悪くなった家康が、正室には許しを請わず、黙って勝手に妻にしたのが西郷の局、という描かれ方が創作の中での印象だ。

 (蛇足ながら、面接のときの「源氏物語」だけど・・・当然ながら来年の大河ドラマに対するサービスなんだろうが、ちょっと源氏物語に対する温度が違うなあと個人的には思った。感じ方は人それぞれながら、次々と女関係を結んでいく光源氏に自己投影してウキウキできる読者もいる一方、ヒロインの紫の上や、その他の女君に共感して物語を読み進める側だと、自由が無いままつらい世を生きる女たちの境遇が身に迫り、私は出家したくなってキャピキャピはできなかったなあ。)

 さてさて、この西郷の局は若くして1589年には亡くなり、前述の下山殿も1591年には亡くなる。1586年に秀吉の妹の旭姫が家康の継室になっているから、気苦労は相当だったろう。旭姫は1590年に亡くなるが、3年連続でバタバタバタと女たちが亡くなっているのも何か気味が悪い。ちなみにお葉の西郡の局は1606年没と比較的長命だ。

 そして、万が一さっきの路線で下山殿=瀬名とすると、正室だった人物と継室がバッティングする。話としては面白くなりそうだけど、こんな思い付きは大河ドラマではやらないだろう。

印象が弱い主人公・家康

 主人公の家康はどこに行った、と言われそうなので少しは書く。伯父である水野信元の粛清については、何と言うか、もっと葛藤は無いのか・・・と家康の在りように物足りなく思った。

 桶狭間の戦いの際にも、織田への渡りをつけてくれたり気にしてくれた恩のある伯父ではないか。母の於大も絡んでのひと悶着を期待していたのに、ずいぶんと静かに、あっさり済んだものだ。

 水野信元が自害する振りをして久松長家を人質に取って抵抗した時、咄嗟に刃を付け殺害したのは未だにすぐ泣くキャラの平岩親吉で史実通りだったが、余計な葛藤がたっぷりで、いい年の武将なのにお前が泣くんかい!と思わず突っ込んでしまった。別の場面では山田八蔵と女子衆に混じって針仕事をしていたが、そういうキャラ付けって必要なのだろうか。リラックスできる場である針仕事に混じる男というのも・・・そんな気が無いのはわかるけど、安心できる場が侵食されていく。

 七がいつまでも泣いて見せる代わりに、家康は相変わらずピリッとせずボーっとしている。家康もダメージから立ち直れないのか。せっかく伯父が死に際に「俺はお前への見せしめだ」とヒントをくれたのに、直視するのを避けるよう。ここでテキパキ対処して瀬名と信康の死地を打開してしまっては史実と異なってしまうから困るけれど、いつになったらウチの殿は将来の天下人らしく成長してくれるんだろうか。それとも、ホワ~ンとしたまま周り頼みで終わりまで行くんだろうか。

 久松長家の隠居の顛末も、彼の心の動きが分かりにくかった。長家は、なぜ隠居したいと考えるに至ったのか。

 聞いた話では、彼は水野信元を警戒させないように呼び出す役をそれと知らずに家康に担わされ、信元を殺す片棒を担がされたことに反発して家康の下から出奔した、とのこと。でも、このドラマでの久松長家は、出奔せず隠居止まりだし、信元の死は分かっていたみたいでお経もあげていたし、そうするとどうなっていたのか?

 夫がそうなっても、於大は家康に詰め寄るでもなく・・・なんだかなあ。徳川家は部分的にでも機能不全に陥っていないか。

 むしろ、多少なりとも人間らしさを見せたのが織田親子だった。

 五徳は姑告発の書を実父信長に送るにあたり、涙を流したり、警告の言葉を直接瀬名にも伝えた。姑に気づいてほしかったのだろう。どれだけ父が怖いかは、先日、頬をグイッとつかまれ「徳川を見張れ」との命令を叩きこまれた時の様子でよくわかった(中の人お上手)。

 思えば、今作の五徳は孤独だっただろうな。幼少期に、まんじゅうの件で竹千代(信康)と揉めた場面があった。瀬名は、話を聞いて第三者的に振る舞おうとしていたが、「2つ目のまんじゅうに手を出した信康をいきなり叩いた五徳が悪い」と決めてしまって、息子の味方をして終わった。「あんまり賢いやりかたじゃないよね瀬名」と気になった。

 信康が2つ目に手を出す前に、五徳に「2つ目のまんじゅうは妹のものだ」と説明すればトラブルは回避できたのだから、瀬名は自分の息子に「説明をしなかったあなたが悪いよ」と言うべきだった・・・とは誰も五徳のために言ってくれない。そういう環境で育ったのだから、自分を守るために「信長の娘じゃ」と笠に着たくもなるだろう。

 その魔王信長が、伯父殺しは命じてきたけれども妻の不穏な動きについては、まだ黙ってくれている。このドラマの信長は、家康に決定的な所では温情をかけてくれるような気がする。そこに愛があるから。それに甘える癖がついちゃってるのかな、家康よ。

(敬称略)

【どうする家康】#22 設楽原でPTSD発症の信康、そして瀬名が動く

6/13、北条義時の800年忌

 見ているこちらも重苦しくなる内容のNHK大河ドラマ「どうする家康」第22回「設楽原の戦い」が、6/11に放送された。

 そちらについて書く前に・・・今週6/13はナント、昨年夢中になって視聴した「鎌倉殿の13人」主人公、北条義時の800年忌だったと聞いた。義時ゆかりの覚園寺、北條寺(他でもやってたかも)では法要があったそうだ。

 ツイッターを見たら、覚園寺でのお供えはキノコが多め。そして、参列者に配られたのは「きのこの山」だったようで。なんともシャレの効いた話ですな。出歩く元気があったら行きたかったなー。

 この6/13というのは、明智光秀の命日でもあるそうだ。なんというか・・・主殺しのおふたり、それでも大河ドラマの主人公に選ばれることによって同情する理解者も21世紀には確実に増えたおふたり、奇遇だなと思った。

 義時が今年800年忌ということは、来年は政子?また鎌倉や伊豆の国市に行きたくなった。

 ちなみに光秀は何年忌?2023マイナス1582は441か・・・この「どう家」のキャラのモデルたちは、北条義時と我々の時代の中間点よりちょっと昔側あたりに生きていたんだね。ゾロ目の444で計算してみたら、1579!この年は、築山殿が処分される年のはずだ。

悲劇前の息抜き、ダチョウ俱楽部とエビすくい

 さて、「どうする家康」に戻ろう。公式サイトからあらすじを引用する。

徳川・織田連合軍は長篠城の西・設楽原で武田軍と対峙。だが信長(岡田准一)は馬防柵を作るばかりで動こうとしない。しびれを切らした家康(松本潤)は、わずかな手勢で武田の背後から夜襲をかける危険な賭けに出る。策は功を奏し、勝頼(眞栄田郷敦)は攻めかかってくるが、信長はその瞬間を待っていた。3000丁の鉄砲が火を噴く!(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 「見てるこちらも重苦しくなる内容」と先ほど書いた今回、6/17再放送でも気分が悪くなった。だが、殺戮前には視聴者のために緊張を緩めるポイントも用意されていた。織田家臣団によるダチョウ俱楽部リスペクトの「どうぞどうぞ」、そして酒井忠次を奇襲に送り出す「死んでたまるか海老すくい」だ。

 この設楽原(当時、この場はそう呼ばれていなかったとの歴史家のコメントも見た。だから「長篠・設楽原の戦」じゃなくて「長篠の戦」で良いと。色々な説がある。後世どう呼ばれているだろうか?)での戦いでは、数に勝る3万の織田・徳川連合軍に、1万5千の武田軍が向かってくるように、キツツキ戦法を思いついて信長に進言、実施したと聞く酒井忠次の活躍が楽しみだった。

 だが・・・今作では、忠次が武田軍後方の鳶ヶ巣山砦を急襲して武田軍を挟み撃ちにすることを思いつくが、信長陣営は既にその作戦を検討した上で芝居を打ち、危険な作戦を徳川軍にわざわざ擦り付けたように描かれた。

家康:信長殿!直ちに打って出て武田を追い払い、長篠城を救うべきと存じまする!

忠次:数で劣る武田から攻めかかってくることは無いと存じまする。

羽柴秀吉:ほうじゃのう、どうすりゃええかしゃん。どうすりゃどうすりゃどうす・・・(信長との囲碁)あ!また囲まれてまった!上様、お強うごぜ~ますなあ。

織田信長:加減をするな、猿。

秀吉:加減なぞ、とんでもねえ。

家康:碁をやめんか!

信長:・・・こちらからは攻めかからん。俺は武田を追い払いに来たわけでも、長篠を救いに来たわけでもないのでな。

信康:では、何のためにここへ。

信長:碁を打ちにかの。そんなに攻め入りたければ徳川勢だけでやればよい。

家康:それができればやっております!

秀吉:まぁまぁまぁまぁまぁ!向こうから攻め立ててこさせる手立てがありゃあええんだがね~。大声で悪口言うぐらいしか思いつかんがや。何かええ手立てはねえもんかしゃん。徳川様、何かええ手立てはねえもんかしゃん。(勝家に小突かれて、鳶ヶ巣山砦まわりの地図上にバラバラと何かを落とす)ありがとうごぜ~ます。

忠次:殿。信康殿。

家康:何じゃ。(忠次、信康と隅へ行く)

忠次:鳶ヶ巣山の砦を落とせば、あるいは。

信康:なるほど。いや、しかし

(聞き耳を立てながら無言で目くばせをする信長と織田家中)

家康:かなり危険じゃな。

忠次:他に手が・・・。

家康:(信長に向き直って)一策、献上いたしまする。

秀吉:ありゃ。策がありゃ~すか。

忠次:は。夜のうちに3000から4000の手勢を密かに動かし、ぐる~っと長篠の背後に回り、鳶ヶ巣山の砦を落とし・・・

秀吉:なるほど。いわゆるキツツキにございますな!こりゃ妙案だ。

勝家:上様。ぜひこの柴田勝家にお申し付けくだされ。

信盛:いやいや。この佐久間信盛に。

秀吉:いやいや、この羽柴秀吉に。(家康を見る信長、秀吉、勝家、信盛)

家康:・・・我ら徳川勢に。

信長:危険すぎる策じゃ。俺の大事な家臣にそんなことはさせられん。が、俺の家臣じゃない奴がやる分にはやぶさかではない・・・。(秀吉、勝家、信盛も、家康に「どうぞ」と手を出す)自分から言い出したんじゃ。やり遂げる自信もあるんだろうしな。

家康:(信長を見据え、悔しさをこらえていたが)くそっ!(何かを蹴り、立ち去る。去り際に)くそみたいな芝居じゃ!

 まあ、情報戦には非常に長けた織田軍だ。徳川に言われるまでも無く検討済みだったというのはあり得そう。それを後に生き残った徳川が、織田の鉄砲隊の活躍を少々薄めるために自軍の酒井忠次の手柄をいくぶん盛って江戸時代以降に伝えても不思議ではない。歴史の通説は、勝者寄りになりがちだ。

 そしてその作戦に出発する忠次を送り出す、石川数正の低い声で始まる「えーびーすくいー、えびすくいー」が念仏のよう。また、若殿の信康までもが参加する幹部の皆さんの踊り(パタリロ!のクックロビン音頭にどうしても見える)に、新参者で「えびすくい」の何たるかを知らない井伊万千代が完全にドン引きし、笑える顔をしていた。

酒井忠次の奇襲作戦は、武田もお見通し

 酒井忠次の部隊が鳶ヶ巣山砦への奇襲に動いたことは、このドラマでは武田側までもが簡単に察知していた。ちょっと驚いた。

穴山:敵の別手が密かに動き出しました。

山県:背後の鳶ヶ巣山を落とし長篠を救うつもりかと。

勝頼:・・・と同時に、後ろから我らを押し出し正面へ突っ込ませるつもりよ。

穴山:物見によると敵の鉄砲は1000を超えると。

山県:そんなところへ突っ込めば・・・。

勝頼:さすが信長じゃ。

穴山:引くよりほかないかと・・・後ろを断たれる前に。

 NHKが5/31に放送した「歴史探偵」(徳川四天王 - 歴史探偵 - NHK)の分析に引っ張られると、忠次の、というか敵方の作戦を、武田がそんなに軽く見破ったりできたのか?ドラマでは全部見透かしているじゃないか。だったら鳶ヶ巣山砦の守備を厚くしておけばよかったじゃん、勝頼よ。

 しかし、夜襲に動く別手は察知できるのに、鉄砲の数を大きく見誤っている武田軍。物見(忍び)の情報収集能力には、やはり疑問符が付く。

 そして、織田本陣。

秀吉:酒井忠次殿の動き、ちょびっともたついておりますな。

佐久間信盛:もう手の内は見破られたことでしょう。

 かわいそうだなー、忠次。そして私みたいに「歴史探偵」で予習して彼の見せ場を待っていた視聴者も肩透かし。そんなに簡単に看破される行程じゃなく、難所を越えて道なき道を行くように見えたけど。

 なぜ忠次の作戦はドラマで貶められなきゃいけなかったのか?今ドラマは本多忠勝の生涯無傷の逸話にしろ、サクッと否定して笑いにしてしまい逸話の強化はしない。その憂き目に酒井忠次の鳶ヶ巣山砦奇襲も遭ったってことかな。それが嫌なら「徳川実記」でも読んでろと。

 それで、この設楽原で活躍したのは酒井忠次チームじゃなくて鉄砲3000丁に尽きる、と言いたかったのかな。

勝頼のカリスマは素晴らしかった

 いとこの穴山信君が退路を断たれる前に引こうと勧めていたのに、勝頼は、倍ほどの敵勢に向かっていく決断を下した。信長は勝頼を評して「並みの将であれば引くであろう。もし引かねば勝頼はとんでもない愚か者か、あるいは・・・」と言葉を飲んだ時に、背後で雷鳴が轟いた。

 雷雨は桶狭間を思い出させる。信長は、勝頼の才を高く買っているから、過去の自分に勝頼を重ね合わせたか。桶狭間でとても見込みのなさそうだった自分が、今川義元の大軍に立ち向かって勝ち切ったことを勝頼が再現しようとしていると考えたのだろうか。

 鳶ヶ巣山砦を落とされて、穴山信君が駆け込んできた。

穴山:鳶ヶ巣山砦、敵の手勢に襲われ、落ちましてございます。引き上げのお下知を。・・・急がねば、逃げ道を塞がれます。

勝頼:(空を見上げて)・・・父が好きな空の色じゃ。

 ここで差し込まれたのが、在りし日の信玄が槍を振るう姿。阿部寛は若い頃から古武道に通じていると聞くだけに、堂々たる槍捌き、ぐらつきもしない。「麒麟がくる」で主演の長谷川博己が刀を振るって決めポーズのところでグラグラしちゃって冷や冷やしたが、阿部寛と眞栄田郷敦の「武田親子」はさすがに違う。間違いなく鍛え上げた武士の親子の再現であり、素晴らしい。

勝頼:(朝焼けの空を見つめていた勝頼)我が父なら、どうすると思う。

穴山:間違いなく、引くことと存じます。

山県:信玄公は、十分な勝ち目無き戦は決してなさいませんでした。

勝頼:その通りじゃ。だから武田信玄は天下を取れなかった。手堅い勝利を100重ねようが、1の神業には及ばぬ。(去る)

穴山:御屋形様!

勝頼:(軍勢の前に立って)まもなく逃げ道が塞がれる。正面の敵は3万。待ち構える鉄砲組は1000を超える。直ちに引くのが上策である。

 だが、引いてしまって良いのか。目の前に、信長と家康が首を並べておる。(兵一同:オー)このような舞台はもう二度とないぞ。(オー)命永らえたい者は止めはせん、逃げるがよい。だが、戦場に死して名を残したい者には、今日よりふさわしき日は無い!(オー!)

 あれを見よ。(設楽原をまたぐ虹)吉兆なり!我が父が申しておる!

回想の信玄:敵は織田信長!)

勝頼:武田信玄を超えて見せよと!(オー!)

回想の信玄:徳川家康を討つ!)

勝頼:我が最強の兵どもよ!信長と家康の首を取ってみせよ!(オー!)お前たちの骨は、このわしが拾ってやる!(喚声)

山県:(跪いて)先陣、仕りまする!

勝頼:(頷く。刀を抜いて)御旗、楯無、ご照覧あれ!出陣じゃ~!

回想の信玄:いざ、風の如く進め!)

 なんでも、虹が出ること自体じゃなくて敵陣の方角に出ていることでこちらにとっては吉兆、ということらしい。なるほど。

 ここまで兵士を盛り上げることができる勝頼、すごいカリスマだ。この腹から出ている重みのある眞栄田郷敦の声が素晴らしい。山県は観念したように先陣を申し出た。そして、中井貴一主演の「武田信玄」ではこれでもかと聞いた気がする「御旗、楯無、ご照覧あれ!」が、この場面で登場。今作では初めて聞けたのではないか。

 家宝の旗と鎧(銘が楯無)に頑張るから見ててね!という意味なんだと理解していたが、「これを当主が言ったらもう家臣の誰も、決定に口を挟めない」という隠れた指示があるとツイッターかで見たが、知らなかった。えー、そうなんだ。「武田信玄」「風林火山」でそんな話があったっけ?

 まあ、とにかくだ。勇ましく倍の数の織田・徳川連合軍に向かっていった武田軍は、虫けらの如く鉄砲3000丁の餌食になってバタバタと死んでいった。歴戦の勇者であろうと足軽だろうと、鉄砲は相手を選ばない。人対鉄砲という、無慈悲な戦の仕方を信長が導入し、成果を挙げたのだった。

 信長が、ゲスい秀吉の言葉を制して勝頼ナイストライ、あっぱれと褒めたのは、過去の桶狭間に向かって行った自分を褒めたのかなと思った。

 ちょっと分からなかったのは、勝頼の采配の意味だ。先陣の兵たちがただただ殺戮されて尚、勝頼は進軍せよと指示したのに誰も従わなかったということか?カリスマも消えたということか。または、さすがに「引け」という指示だったのか?どっちだろう。

「虫も殺せない兄上」だったのに

 今回の冒頭、幼き信康と亀姫、そして母の瀬名の間でテントウムシを介したやり取りがあった。

(築山の花咲く庭、信康がテントウムシを捕まえる)

信康:(亀姫に)いいものをやろう、手を出せ。(亀姫の掌にテントウムシを乗せる)

亀姫:やだやだ!取ってくだされ兄上、早く。

信康:かわいいではないか

亀姫:気味が悪うございます。

信康:これもひとつの命じゃ。ですよね?母上。

瀬名:うん、そうじゃな。(信康、テントウムシを袖に乗せる。テントウムシは飛び立っていく)(瀬名、目を輝かせて好ましそうに信康を見つめる)

 しかし、それから十年も経たないであろう1575年の今回、設楽原の戦いを前に信康は母や父、妻らの前でこんな言葉を吐いていた。

・武田の大将首を取ってきてやる!

・私も矢面に出て戦いまする。そのために日々厳しい鍛錬を積んでまいりました。武田の強者どもにも引けを取らぬと存じまする!

・(万千代:よもや乱戦ともなれば)大暴れして見せるわ!

 本来の優しい信康キャラとは異なる、勇ましい発言だ。でもあまりに無理をしていると母の瀬名には読み取られていたのだろう。

 前回の終わりに予告を見て、目の周りを真っ黒にして明らかに気が変になったような描写をされている若者は誰だろうと思っていたら、それが信康だった。設楽原の戦の後も、二股城の戦いなどトラウマ体験を強化するようなことをして、勇ましい言葉を吐いていたが、一方でぼんやりするようになって夜は悪夢に苦しみ、夜中にやってきたのがあのテントウムシを見つけ妹と遊んでいた築山の庭だったとは。

 どう見ても、従来の戦の作法など無視して無機物に非人間的に殺されていく武田軍を見た戦時ショックによるPTSDだと、このドラマでは描いている。

 「泣いておるのか」と瀬名はショックを受けたのだろう。その愛する息子の変容が瀬名を最大の悲劇へと動かすことになった。

 なるほど、脚本家はうまいな。どうしたらラブラブ家康夫婦が反目し、瀬名ラブの家康が妻を殺す悲劇に物語を持って行くのだろうと思っていたら、そういうことか・・・。

 精神を病んだ信康は戦場では役に立たない。だから息子が生きられるように、戦のない世界を彼女なりに作ろうと画策するのだろうが、この戦国時代のご時世にそれが理解されるわけはない。

 相手方には利用され、味方には裏切りとしか理解されない。

 そうやって、瀬名と信康の悲劇のレールを敷いたのか。ふたりが殺されるのは先刻承知にしても、突飛な話を仕立てられたらヤだなと思っていた。こういう話の持って行き方なら、家康も悪者にはならないのかも。瀬名があまり家康には相談できない「賢い」妻だったという設定が活きる。

 ああ、でも・・・そうだと頭では理解しても、次回以降を見るのが辛い。見るけど。広瀬アリスの於愛が登場するというのは助かるな。

(敬称略)

【どうする家康】#21 近づく瀬名Xデー、その前に戦国走れメロス再び

スネ夫&ドラえもん、じゃない鳥居強右衛門

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第21回「長篠を救え!」が6/4に放送され、長篠合戦での有名人、戦国時代の「走れメロス」鳥居強右衛門のエピソードが描かれた。強右衛門のことは分かっていたのに、日曜夜に泣かされて、さらに6/10の再放送を見てまた泣いた。この年になると涙腺が弱くて困る。

 金ヶ崎まで激走した阿月ちゃんも、自分をちゃんと受け止めてくれたお市様のために走って「走れメロス」的感動をもたらしたが、今回の強右衛門も、自分を信頼してくれた殿のために走った。

 この走る姿というのが日本人はかなり好きなんじゃないのかな、あれだけマラソンや駅伝観戦が好きな国民性だもの。プラスして自己犠牲を承知で誰かのために走るって・・・人情の弱いところのど真ん中を突いてきている。

 まずは公式サイトからあらすじを引用させていただく。

武田に包囲された奥三河の長篠城。城主・奥平信昌(白洲迅)はピンチを伝えるため、鳥居強右衛門(岡崎体育)を岡崎へ送り出す。強右衛門の手紙を受け取った家康(松本潤)は、織田に援護を求めると、信長(岡田准一)は二万を超える軍勢を率いて岡崎へやってくる。そして天下一統に突き進む信長は、参戦の条件として家康に驚くべき条件を提示する。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 ドラマの中の強右衛門がまさに拗ねた態度をとるものだから、性格的には「スネ夫」、そして体型から「ドラえもん」のふたつを合わせて造形されたフィクションのキャラか?なんて思う人なんかもいたかもしれない。

 この鳥居強右衛門の「ろくでなし」設定は、忠義者だと刷り込まれていたオールド大河ファンとすると、意表を突かれて「スネ夫だ」と笑ってしまった。徳川の援軍は来ないとか、「長篠は見捨てられたんだて」「武田を裏切って徳川に付いたんはしくじりでごぜえます。殿は徳川に騙されたんじゃ」とかグダグダ言う姿は、ホントどうしようもない。

 有名人と書いたが、鳥居強右衛門を全く知らなかったという人もいるだろう。うちの家族もそうだった。まあ、関心は人それぞれ、そういう人もいる。

 「実在した超有名人なんだよ、戦前なんか忠義者ってことで」と家族にご注進したら、ドラマを見ていくうちに家族も「この人絶対地元のヒーローだよね!」と大興奮。「そうそう、信長が彼に感動して(?)作ったお墓もあるって」「鳥居って名前の駅もあるってよ」と、行ったことも無いけど小耳に挟んでいた話を伝えた。自分でも行ってみたくなった。

 強右衛門役はシンガーソングライターの岡崎体育。「🎵はーしれ、はーしれ強右衛門~」は耳に残りまくりだ。歌もそうだが、岡崎に走るって名前からキャスティングした?そんな訳ないか。彼は、この役をやる前に別ドラマで体重を17キロ減量し、今回は逆にかなり増量したとネットニュースか何かで読んだが、なるほど、旗指物にもなった磔の図がそっくりだった。それに寄せての増量だったか。

 ただ、長篠城では食糧庫を武田軍に焼かれて食べ物に困り、さらにお腹を空かせてマラソン以上の長距離を走る役柄なのに?と思わないでもなかった。そうか、だからちょっとぐうたら風味のろくでなしキャラにしたのかな。

 そのろくでなし人間が、同僚にいたぶられそうになった時に「殿」である奥平信昌の背後にサッと隠れ、庇ってもらっていた。日頃から殿には信頼を寄せていたのだろう。

 「わしはもう武田には戻れん。徳川様を信じるほかないんじゃ」という信昌の言葉に、「呼んで参りましょうか?」と強右衛門。「逃げる気じゃろう、己だけ武田に寝返る気じゃ」と他の兵は反発するし、もう長篠城は後がない状態なのだから、もっとシュッとした、いかにも健脚のマラソン体型の足軽(実際の強右衛門はそうだったのでは?)を選びそうなものだが、信昌は、ふっくらしたろくでなし強右衛門に使者を任せた。

 周りは罵るのに「わが殿はこんなわしを信じて見送ってくださった。優しい殿なんでごぜえます」。だからこそ、強右衛門は逃げることなく岡崎まで走り、また、一刻も早くと朗報を告げに帰ってきた。

 そして、史上有名な名場面となるわけだが、ドラマでは、視聴者を焦らすようにフェイントを噛ませてきた。

 見ていたら、往路の泳ぐ場面は長篠城から抜け出した時のもので、そうだろうと頷けるのだが、復路でも、武田兵を蹴散らして(!)➡泳いで(?)➡長篠城に帰還して(?!)城兵に救援が来ることを伝えて喜び合う(!!)完璧な幸福場面が続いたため「え?え?え?そんなバカな」と思わず口に出た。   

 しかし、直後に金色の光を浴び始めたところで、これは強右衛門の白日夢(=ウソでーす)をドラマでやっていると分かった。全然上がっていない胴上げをされたり、亀姫が白無垢で登場、強右衛門の胸に飛び込む訳がない。

 本当は、復路の強右衛門は武田兵を蹴散らすこともなく捕まって磔にされるのだから、彼は川を泳ぎ城に戻ることはない。城兵に朗報を伝えて手を取りあって喜び合うことはできない。

 このフェイントの後に、強右衛門はやっぱり捕まる。抱きとめた姫だと思ったのは武田兵だった。いたぶられたところで敵将勝頼登場、「慮外者め」と自軍の兵を叱責したところで、忠義者だと強右衛門を褒めて縄を解き、城兵に救援は来ないと伝えろ、そうしたら召し抱えてやると言った。当然、断れば殺される運命の強右衛門。

 強右衛門は、最初は勝頼に従う。フェイント第2弾だ。「来ん。徳川様は助けに来ん。わしらは見捨てられた!」と長篠城に向かって叫んだ。絶望の泣き声が響く城内。

 しかし、こぼした褒美の甲州金を拾う時に思い出したのは、自分を信頼して送り出してくれた亀姫の手と笑顔だった(拾うのを手伝う武田兵の皆さん・・・勝頼の手前、自分のものにしたりはしないだろう)。

 一瞬のスキを突いて逃げ、立てこもる長篠城側の奥平家中に向けて改めて真実を叫ぶ強右衛門。そして、亀姫のことを信昌に伝え、死に至る。

強右衛門:ウソじゃ~!殿!徳川様はすぐに参らっせるぞ!織田様の大軍勢と一緒じゃ!皆の衆~まあちいとの辛抱じゃあ!持ちこたえろ、持ちこたえるんじゃあ!(城内から歓声が上がる)

(磔にされて)殿!殿!徳川の姫君はな、麗しい姫君様じゃ!ようごぜえましたなあ、大事にしなされや!そりゃあまあ本当に素晴らしい姫君様じゃ!殿~!(刺され、絶命)

奥平信昌:(涙を流して)強右衛門~強右衛門!

 これだもの。後に結婚した亀姫が、従来言われた「嫉妬深くて信昌に側室を作らせない」訳じゃなかったんだと、このドラマを見ると思う。強右衛門の信頼が結んだふたりだったから、しっかりとした絆で結ばれたんじゃないのかと思わせる。・・・もちろん、神君の姫を迎えた格下夫としては側室を作らないなんてことは当然の振る舞いかもだけど。

 岡崎体育の強右衛門の芝居も良いのだけれど、思うに、私は城側の受けの芝居で泣かされたように思う。朗報を聞いて喜んだ後で、強右衛門の運命を見届けつつ涙を流して声を限りに叫ぶ白洲迅演じる奥平信昌と城兵の皆さん。そこにもらい泣きした。

亀姫のお嫁入り事情の陰に、織田VS徳川

 ドラマでは、強右衛門の活躍に絡め、織田と徳川の対立と、家康長女である亀姫がどうして格下の国衆である奥平家に嫁いだのかを、説得力ある話に仕立てていた。冒頭のミニアニメでは、強右衛門の手(磔の縄がかけられている)と亀姫の手が結ばれていた。

 信康が釣り合わないと反対して見せたように、後世の人間からすると、家康の娘(しかも唯一の正妻腹)の嫁ぎ先として奥平はそぐわない感覚も、はるか昔、「歴史読本」の家康子女の表を見た時には無いではなかった。なるほど、徳川の存亡のかかった頃の功労者に嫁いだ訳だから、事情は分かる。

 実際は亀姫の輿入れは家康が2年前ぐらいには決めていたらしいと多分歴史家の先生のツイッターで見たような気がするが、ともかく、ドラマでは亀姫の奥平への輿入れを信長が勝手に決めたとなっていた。それに反発したホワイト育ちの信康が、家康の躊躇いにも構わず「わが妹と奥平殿との婚姻の儀、無しとしていただきたく存じまする」とブラック信長に申し入れた。

 続けて家康が「この件につきましては我が家の事柄でございますれば我らにお任せ願いたく」と言ってしまったところ、織田と徳川との清須同盟はもうお終い、「臣下になれ、どうする家康!」と月代(誰も突っ込めない怖さ💦)姿の信長に詰め寄られる事態になったのだった。

 まあ、「今すぐ助けに来なければ、織田と手を切る」「武田勝頼と組んで信長を攻める」なんて先に魔王信長を脅しちゃった代償だ。「わしが脅せばこんなもんじゃ!😊」じゃないよね、家康。

 ホワイト家に生まれ育つと、ブラックの危険性が分からないんだな・・・五徳は分かっていたから父の来訪に怯えていたのだろうけれども、夫の信康は分からない。今回の騒ぎで、ホワイト家ですくすく育った信康も亀姫も少し世間を知ったということか。

 それで、五徳の苦しみにも信康が多少寄り添えるようになってめでたくご懐妊となり(清須同盟解消によって五徳を連れ帰るとの話が出た時、視線を交わしていたね)、その懐妊が、織田の臣下に落とされる危機から徳川を救うのでは?そろそろ信康・五徳夫妻に長女が生まれる頃のはず。

 ところで亀姫。天然ちゃんだとの描写はこれまでも積み上げられていたが、最初、築山御殿の外に倒れていた強右衛門を獣かと思い、石を投げるって・・・!最終的に投げようとしていたのは、昔、平岩親吉が瀬名を慕っておみやげに持ってきた漬物石か?

 その天然の亀ちゃんが、信長VS.家康の緊迫した場面で状況を打開した。強い。後の片鱗をここで見せてるのか?

信長:(清須同盟を破棄して去ろうとする)

強右衛門:奥平信昌が家臣、鳥居強右衛門でごぜーます。どうかお帰りにならんでくだせーまし。長篠を救って下せえまし!

信長:奥平に伝えよ。徳川は長篠を見捨てた。武田に帰れと。

強右衛門:戻れんのでごぜえます!武田にもどりゃあ、エライ目に!(信長に縋りつこうとする)

信長家臣:無礼者!

亀姫:(走ってきて)お怒りをお鎮めくださいませ!亀のせいでこのようなことになってしまい申し訳ございませぬ。父上、亀はもうワガママを申しませぬゆえ、どうか仲直りしてくださいませ!亀は奥平殿のもとへ喜んで参ります!

強右衛門:(泣く)

瀬名:我が夫は織田様の臣下となるのを拒むものではございませぬ。ただ、これは家臣一同にかかわる事柄ゆえ、よく話し合う猶予を頂きたいまで。ひとまずこのことは脇に置いて、長篠を救うことを先になさってはいかがでございましょう。その後に、お答え申します。旦那様、そうでございましょうね。

家康:ああ。

信長:(考えて、亀姫の肩に手を置く)面を上げなされ、怒ってなどおりませぬ。ほんの余興でござる。ハハ・・・。むろん、長篠は助ける。

強右衛門:ありがとうごぜえます!ありがとうごぜえます!ありがとうごぜえます!

 こう信長は言い、五徳を泣かせ、徳川家中に尋常じゃない冷や汗をかかせた信長によるドッキリはひとまず収まった。今作の信長は、瀬名始め女たちには結構敬意を払っている。

 「ようございましたな、強右衛門殿!・・・」と言いつつ、彼の手を取った亀姫。彼女の幼さが見える中にも真摯さが伝わって、強右衛門は感激しただろう。

亀姫:(泣いている強右衛門に)奥平殿にお伝えくだされ。どうか持ちこたえてくださいませと。亀は、奥平殿の下へ参るのを楽しみにしておりますと。毛むくらじゃらでも構いませんと。

強右衛門:我が殿は、毛むくじゃらではごぜえません。(亀姫の両手を取って)姫、わしは一刻も早く皆に伝えてやりてえで、これにて!

 強右衛門に死が訪れた時、岡崎城台所に設えられた獣囲いの鳴子が鳴った。囲いには、強右衛門が入れられていた。鳴子の音は姫の耳に届いたか?明らかに姫に恋したね、強右衛門。

怖い怖い、千代と瀬名との関わり進展か

 「お友達になりましょう」と瀬名が武田の間者・千代を誘った前回終わり。瀬名がとうとう地獄の釜の蓋に手をかけてしまったと恐怖に震えたが、そこから今回はスタートした。

瀬名:ようおいでくださった。

千代:(庵の入口で頭を下げて)なんと素敵な所でしょう。まさか築山殿じきじきにお招きいただけるとは思いませんでした。

瀬名:またお会いできてうれしい。お千代さん。

 ここで、前回の瀬名は千代に「私を憶えておいででございますか」と聞かれて「昔、お寺で楽しい踊りを。フフ」と三河一向一揆の際の扇動者はあなただったねと暗に答え、岡崎クーデターも扇動したのは「こたびも、あなたではないかと思っておりました」と言ってのけた。

 普通に聞けばケンカを売るようなセリフだが、瀬名はあくまでにこやかに「家臣に手出しされるくらいなら私がお相手しようと思って」「お友達になりましょう」と千代に伝えていた。が、今回そこは端折られている。

 瀬名は、千代のためにお茶をたてる。

千代:苦しいご胸中、お察しいたします。もはや徳川は風前の灯火。頼みの織田様もこき使うばかりで助けてはくれませぬしなあ。岡崎は岡崎で生き残っていかねばなりますまい。武田はいつでも受け入れますよ、あなた様と信康様を。

瀬名:(話の内容に構わず)お千代さん、旦那様は?

千代:・・・とうに亡くしました。

瀬名:戦で?

千代:ええ。

瀬名:お子は?(千代が無言でかすかにかぶりを振る)それで忍び働きを・・・あなたも苦労しますね。

千代:性に合っております。武田様もよくしてくださいますし。

瀬名:でも、もし戦が無かったら、また違った暮らしをしていたことでしょう?旦那様を支えて、お子たちを育てて。(千代は無言、茶を飲む)あなたから幸せを奪ったのは、本当はどなたなのかしら。(千代、瀬名を見る)私とあなたが手を結べば、何かができるんじゃないかしら。徳川のためでも、武田のためでもなく、もっと大きなことが。

千代:(無言で瀬名と見つめ合っていたが)フフ、ハハハハ・・・はあ、毒を飲まされるところでございました。

瀬名:フフフフ、毒など入っておりません。

千代:いえ、そのきれいな眼に引き込まれて要らぬことを喋ってしまう毒でございます。フフ、怖いお方でございますね。(茶碗を置いて)今日はこの辺で。(立ち上がって縁側へ)

瀬名:また、お出で下さいませね。(千代、無言で立ち去る)

 千代は、山田八蔵を通じて瀬名が接触してきたことを、瀬名が困って武田に救いを求めてきたと理解して築山に来たことが最初のセリフから分かる。客観的に見れば正に風前の灯火の徳川、領地がぐんと縮んだのは前回のブログでも見た通りだ。

 しかし、瀬名は関係ない質問(千代の身上調査)をぶつけ、話の主導権を千代から奪った。一瞬呆気に取られた千代だが、手練れの忍びだけあって「毒」を呑み込む前に「今日はこの辺で」と立ち去った。

 瀬名は、お万の言葉に突き動かされている。また引用する。

私はずっと思っておりました。男どもに戦のない世など作れるはずがないと。政も、おなごがやればよいのです。そうすれば、男どもにはできぬことがきっとできるはず。御方様のような御方なら、きっと。

 この言葉が、瀬名を大きく揺り動かしている。彼女のやろうとしている正義は視聴者には垣間見えたものの、家康や石川数正など家中には伝えていないままだ。それこそ外形的には、ただただ武田の間者と通じ、やり取りを重ねようと瀬名から積極的に働きかけているとしか・・・こうやって、このドラマでは悲劇への道が開かれていくのだろうなあ。

 信長からの仕打ちはどう影響したろうか。徳川は臣従しろと迫られたあの緊迫の場面は、瀬名が武田接近を真剣に考える契機になったかもしれない。今回の終わり、再訪したらしい千代の去り際の鈴の音が響く。瀬名は何を千代と話したのだろう。千代も築山殿攻略の作戦を練って改めて出張ってきただろうから、その話が聞きたかった。

 次回は、設楽原で織田徳川連合軍が大勝利を収めるはず。その手前で、瀬名は武田とどのような近づき方をしたか?瀬名Xデーに向け、息を飲むばかりだ。

(敬称略)

夢なのに、夢のない息子の話

たまには大河ドラマに関係ない猫話を

 うちの愛猫(=息子)は死んでしまってから3年以上も経っているので、変な恥ずかしさがあってなかなか愛情爆発のブログを書けないところもあるのだけれど、実のところ、毎日のように息子には心で話しかけ、寝る前には「夢に出てきていいんだよ」と伝えている。

 もうすぐ誕生日でもあるので、ただでさえ息子を思う気持ちは大きいのに、さらに気持ちは肥大化している。それなのに、最近全然夢には出てきてくれないな・・・💦と思っていたところ、ちょっとショックな夢を見てしまった。

 朝早く出かける夫は、アイスコーヒーを持参するために冷凍庫の氷を取り出し、携帯用のボトルに入れる。その時に、氷を入れる音が必要以上にキッチンで反響して、まだ寝どこに居る(!)私の耳にもゴゴゴゴゴと聞こえてくる。その音に関連して一瞬だけ見た夢だったらしい。

 夢の中の私は、リビングに立っていてベランダ方向を見て凍り付いた。特殊部隊なのか武装集団がベランダに居て、今にも突入してくる緊迫感。そして、寝室の夫から「逃げろ~!」という叫び声が聞こえる。

 夫を無情にも助けにも行かず、反射的に玄関方向に走り出そうとした私は、そうだ!と我に返って息子の骨壺と財布をマーガリーバッグに放り込んだ。背後ではゴゴゴゴゴと窓ガラスを砕きながら部隊が突入、ぎゃーどうなるの、となったところで目が覚めた。

 ・・・たったこれだけの夢なんだけど、起きた時には結構ゼーハーしていて、さらに気づいた。いつもいつも夢に出てくる息子は必ず生きていたのに、初めて夢の最初から息子が死んでいたのだ。

 この夢を夫に話している時、夫は「クロスケを連れて逃げなきゃね」と言った。でも、「ううん、もう骨壺だったからさ・・・骨壺を取りに行ったんだよ」と答えたら、ああそうか、と。答えてしまって猛烈に寂しくなった。なんでだ・・・夢の中くらい、生きていて欲しかった。

 もう死んで3年以上経つのだから、いよいよ私の意識も観念したということなんだろうか。クロスケ、次の夢では生きていておくれ。

 

【どうする家康】#20 岡崎を救うためのクーデター、瀬名を地獄に誘う

岡崎組のクーデターだった弥四郎事件

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第20回「岡崎クーデター」が先週5/28に放送された。いわゆる「大賀弥四郎事件」として知っていた話だったが、今作では「大賀」ではなく「大岡」と。最近の知見によると、そうなるらしい。まずはあらすじを公式サイトから引用する。

信玄(阿部寛)亡きあとも武田軍の強さは変わらず、勝頼(眞栄田郷敦)は徳川領に攻め込んだ。総大将の信康(細田佳央太)は数正(松重豊)らと応戦するが、苦戦を強いられ、瀬名(有村架純)や亀(當真あみ)も、負傷兵の手当てに走り回る。病で浜松から動けない家康(松本潤)は、忠勝(山田裕貴)らを援軍として送る。そんな慌ただしい状況の裏で、岡崎城ではある陰謀が仕組まれていた・・・。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 今回、家康は病に倒れ、大切な時期に床に臥せっていた。酒井忠次が誠に優秀で、危機でのやるべき指示は的確に済ませていたから良かったが、家康は井伊直政を小姓に取り立てるぐらいしか見せ場がない。忠次から「明日にも岡崎に武田勝頼が攻めてくる」と伝えられても「こんな時に動けぬとは、我ながら情けない」と悔しがりつつ、寝ていることしかできない。

 今作の家康にはあまり思い入れを持てないでいるが、ポンコツ体質で何かと熱を出し寝込む私は、この虚弱体質の点ばかりは同情する。「都合のいい時に寝込む」とか言われちゃうんだよなあ。

 さて、戦国時代を終わらせたという日本史上最高の結果を出しているだけに、あの徳川家康がこんなにも苦しい、薄氷を踏む思いの時期を経験していたことなど忘れてしまっていた。天正元年(1573年)4月に信玄が死んでも、天正三年(1575年)5月に長篠の戦いで勝つまではかなり苦しかった徳川家。この間、ちょうど信玄の死を伏せるべき三回忌までの期間に当たるが、徳川の方がもう少しで滅んでもおかしくなかった。死して尚恐ろしい信玄。

 今回の「岡崎クーデター」で描かれた件は、実は譜代の家臣である「大岡」弥四郎が関わっていた大規模な企てだったのに、大岡越前の一族の手前か幕府の意向で「大賀」なる身分低めの人物が起こした小さい話として記録されたらしい。それを、今作ではしっかり「大岡」弥四郎と・・・ちょっとオールド大河ドラマファンとしては戸惑った。

 (大岡越前は弥四郎の従弟の子孫らしいとの話があるらしいが、「全然関係ない」との説も。どっちが正解なんだろう?)

 私の中では「大賀」弥四郎は「徳川家康」での寺泉哲章(今の寺泉憲。「葵徳川三代」の松平忠吉でも印象深い)であり、池上季実子が演じた築山殿と共に強く脳裏に刻まれている。もうそれが私の中でのスタンダード。

 そして度々ブログで名前を出している、昔読んだ懐かしい杉本苑子著「長勝院の萩」の「大賀」弥四郎。欲にまみれた悪党として描かれ、家康は、築山殿もお万の方も両方寝とられ怒り爆発。その結果、酷い処刑(「黄金の日日」の杉谷善住坊で初めて知った鋸引きの刑)の上を行く始末のされ方だったから、忘れられなかったんだろう。

 しかし、「どうする家康」の弥四郎は欲にまみれた人物ではなかった。「まんぷく」塩軍団の毎熊克哉が弥四郎役かと内心気の毒だったから、弥四郎が人でなしに描かれていなくてホッとした。それが本来の姿だったかもしれないね。

平岩親吉:大岡弥四郎、城に残れ。留守を任せる。

大岡弥四郎(岡崎町奉行):大岡弥四郎、命に代えて岡崎を守りまする。ご一同の御武運、お祈りいたしまする。

 弥四郎のセリフを最初聞いた時は「またまた心にも無いことを」と思ったが、弥四郎なりに、前半は本当、後半は嘘だったのかな・・・と見終わって思うようになった。まず、弥四郎は同志にこう言っていた。

大岡弥四郎:(集まった同志を前に、連判状を確認して)勝頼様からお指図あり。明日、武田勢が攻めて参る。よって、我らは今宵、事を成す。時は寅の刻じゃ。ご一同!恐れるな。これは、岡崎を救うためになすことじゃ。狙うは、まず松平信康。次いで、築山殿。岡崎城を乗っ取り、武田勝頼様をお迎えいたす!

 彼なりに、岡崎を守るためという正義はあった。そして捕まってから。

信康:お前らがこのようなことを企てるとは。

数正:お主にも言い分があろう。申してみよ。

忠勝:武田に人質でも取られ、脅されたか?

康政:城を乗っ取った暁には、岡崎城の主にしてやるとでも言われたか?

弥四郎:脅されて、仕方なく・・・つい武田の口車に乗せられてしまいました。悔いております。(頭を下げる)フ・・・とでも言えば満足でござるか?

親吉:何を・・・?

弥四郎:私は、こちらの船とあちらの船をよ~く見比べて、あちらに乗った方が良いと判断したまで。沈む船に居続けるは愚かでござる。

数正:我らは沈む船か。

弥四郎:浜松の殿の才と武田勝頼の才を比べれば自ずと・・・

信康:我が父までも愚弄するか!

弥四郎:ずっと戦をしておる!ずっとじゃ。織田信長に尻尾を振って、我らに戦って死んでこいとず~っと言い続けておる!何の御恩があろうか!

親吉:お前には忠義の心というものが無いのか!

弥四郎:くだらん!御恩だの忠義だのは、我らを死にに行かせるためのまやかしの言葉じゃ!皆、もうこりごりなんじゃ。(前に出ていた信康を忠勝が引っ張って後ろに下げる)終わりにしたいんじゃ。だが終わらん。信長にくっついている限り戦いは永遠に終わらん無間地獄じゃ!遅かれ早かれ死ぬのならば、ほんのひとときでも欲にまみれる夢を見た方がマシじゃ。(忠勝が信康の肩を抑えている)(弥四郎、同志の方を向いて、笑顔で)飯をたらふく食うて、酒を浴びるほど飲んでいいおなごを抱いて!なあ、みんな!

クーデター同志一同:そうじゃ!そうじゃ!

数正:静まれ!静まれ!

弥四郎:(また囲いの外に向け)よう聞け!これが皆の本当の思いじゃ!本当の心じゃ!ハハハ!(何かにドスっと突かれる音)ウッ・・・(咳き込む)

同志一同:弥四郎殿・・・!

五徳:(槍を手に)信康様。このことは我が父に子細漏れなくお伝えいたします。この者たちをしかと処罰なさいませ。この上なく酷いやり方でなあ。(立ち去る)

信康:(怒り、情けなさ?に震え、涙目)

瀬名:(黙って一部始終を見ていた)

 弥四郎の言葉は、虎松の言葉と対になっている。ふたつの船を見比べて、武田を選んだ弥四郎と、徳川を選んだ虎松。

家康:面を上げよ。聞かせてくれんか?わしを憎んでいたお前が、なぜわしに仕官することを願い出たのか。

虎松:我が家と郷里を立て直すためでございます。

家康:なぜわしにと聞いておる。武田に仕えたかったのではなかったか。わしは、このざまじゃ。ずっと武田にやられっぱなしじゃ。民は、わしをバカにして笑っておるらしい。なのに、お前はなぜ。

虎松:だからこそでございます。私は幼い頃より民の悲しむ姿、苦しむ姿ばかりを見てきました。しかし、殿の話をする時は、皆愉快そうに大笑いします。民を恐れさせる殿様より、民を笑顔にさせる殿様の方がずっといい。きっとみんな幸せに違いない。殿に、この国を守っていただきたい!心の底では皆、そう願っていると存じます。

 虎松は「民を笑わせる殿様の方が良い」と徳川を選んだが、それは徳川がこのままでも生き残ると信じられたからこそ。家康も視聴者も、クーデターの後で虎松の言葉には救われたろう。でも弥四郎らは、恐怖に背中を押されて沈む船だと信じていたのだ、責められない。

 決行前、弥四郎は村はずれ(?)の小さい祠にお参りする振りをして置き文を交わすやり方で、武田の歩き巫女・千代と連絡を取っていた。千代は、文の抑えに干し柿を使い、文を読んだ弥四郎は柿を食べ、甘美な甘さを堪能していた。

 砂糖が貴重だったろう当時、自然な甘みの供給源だった干し柿。甘い物なんかふんだんにあるわけじゃないから痺れただろう。今も、私を含めて多くの人間は甘い物につられるが、昔なら尚更。武田からの指令は「甘言」として弥四郎の脳を揺さぶったかもしれない。(しかし、柿を祠に置いた途端、鳥に攫われたり悪ガキに盗まれたりしないか?)

 弥四郎の鋸引きの刑も映像化は無かった(今のところ)。「私は織田信長の娘じゃ、無礼者!」と姑の瀬名に対して啖呵を切ったキレた気分のままなのか、クーデター実行犯らにこの上なく酷い仕置きをご所望だった五徳、そして、家康に報告する本多忠勝の「一味は皆、死罪にするほかありません」との言葉から、弥四郎らへの処刑は果たされると匂わせ、終わるのだろう。

 そうそう、山田八蔵!中の人は「鎌倉殿の13人」でふくよかなお姿が目を引いた、あの義時の兄上と一緒に善児に殺されたあの人。「すまぬ」の意味がこちらが思った別物になったのは、瀬名が八蔵始め、家中の皆に情けをかけていたからだ。まさに、情けは人の為ならず。瀬名自らを救うことになった。

徳川領は、武田と織田の重みにうずくまる「小さい兎」

 今作の弥四郎には「岡崎を守るため」と、彼なりの正義があった。岡崎の留守を預かる奉行の弥四郎を筆頭に、多数の家臣を巻き込んだ事件の背景にあったのは、「あらすじ」にもあったように、信玄亡き後の武田軍の強さだ。

 前回ブログで「信玄が死んで家康が命拾いしたと万人が思ってる」と書いたが、認識が甘かった。勝頼は信玄が見込んだ器であり、だから眞栄田郷敦だったのだ。彼の力強さには見合わない役不足のように見えて、実は順当だった。「やつは、信玄の軍略知略の全てを受け継いでおる」と家康も恐れを拭えないぐらい。

 その勝頼の強さ無しでは語れない岡崎クーデター。武田軍に追い込まれた岡崎組は、奉行3人の内2人がクーデター側に回るほどに真っ青だったということだ。

 公式サイトの「略年譜」(略年譜 | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK)には簡略化された地図が載っている。その徳川領の縮みようを見て、あれまあ、こんなに!と改めて驚いた。これはまさに滅亡の危機を前に恐怖に震えても仕方ない。

①今川滅亡後、1569~1570年頃

②足利義昭が京を追われた後、1573~1574年頃

 ①が今川が滅んだ家康数え28~29歳(1569~1570年)、そして②が家康数え32~33歳(1573~1574年)のもので、②はたぶん高天神城が落ちる前だ。つまり、高天神城が落ちた後は、青い徳川領はさらに縮んでいる。これは怖い💦

 ①は左側を向いた青い犬のようにも見えるがシッポとお尻部分を失って②となった。②は、偶然ながら小さい徳川ウサギが、武田と織田の重みに耐えかね、うずくまっているようにも見える。白兎じゃなくて青兎だけど。

家中が割れるのは珍しくも無い

 浜松城が対武田の前線基地のはずだったのに、いつの間にか岡崎城目前まで敵が迫っている。前線に立つ兵士が多い浜松よりも、非戦闘員が多い岡崎では、浮足立つのも早いのではないだろうか。だから岡崎だけ武田に寝返って生き延びようとする考えだって生まれるだろう。

 今回、ドラマの弥四郎は信康と築山殿を標的として討ち取り、城まるごとを武田への手土産にするつもりだった。瀬名と信康は裏切られる側で弥四郎との連携はなかった。だが、事件の実際のところは、家臣団だけでなく、家康と不仲な築山殿が信康と共に武田に寝返る手はずだったとも聞く。

 その場合、浜松と岡崎で徳川が割れるのだ。勝頼が「岡崎攻めはまだ始まったばかりよ。あの城はいずれ必ず内側から崩れる」と言うからには、ドラマでも結果的にその道をたどっていくだろう。(まあ、岡崎城を遠目に、このセリフを言う勝頼の横顔の美しきかな。力攻めを主張する山県との意見割れと「大」だけの旗も気になるが。)

 家中が割れるのは珍しくも無い。「麒麟がくる」でユースケ・サンタマリアが演じていた朝倉義景を裏切り、織田方に寝返った一門衆筆頭のいとこ・朝倉景鏡がいた。若き信玄(当時は武田晴信)を擁する家臣たちが、当主の信虎を裏切って追放した例もある。

 また、今作ではネタバレになるが、武田滅亡時に織田に寝返る穴山梅雪もいる。彼の妻は信玄の次女だったり武田一門だ。一族の誰かが生き延びるのが正義だとすれば、そのような選択も致し方ない。

 ただし、お家が苦しい時に家を割る行為だからこそ、失敗した時のツケは重い。だとしたら、後に信康と築山殿のふたりが処刑されるのも納得できる。

 三河の名家出身の西郷の局から後の秀忠が生まれ、その5か月後の信康切腹だったというから、徳川家としては後継ぎの心配はなくなったと安心して信康らを片付けたか。その頃の黒歴史を、後の幕府は矮小化して伝えるしかなかったんだろうな。

気の毒な織田親子

 それにしても、織田信長は気の毒。「信康と築山殿を殺せ」と神君家康公に無体にも無理強いしたのは信長だと、ずっと後世には広く信じられてきた。何度もドラマでもそう描かれてきたが、それも幕府のせいだ。

 今作でも、まだ信長は「待ってろよ、俺の白兎」等と家康にねっとりと笑顔を向けて耳攻撃をしていて、第六天魔王的な存在であり、彼の名誉挽回は遠そうだ。

 一方、築山殿は今作で色々な濡れ衣を見直され、そして、築山殿の従来キャライメージは「信長の娘じゃ」の五徳にスライドして引き継がれている。つくづく気の毒な織田親子だ。

 そういえば、今回ドラマの冒頭では信長が光秀にワイン(?)を注がせてふたりで話をしていた。

天正元年(1573年)美濃・岐阜城

明智光秀:信玄めが死によって、もはや殿を脅かす者はおりませんな。徳川様が武田に奪われた所領をしっかりと取り返されることでしょう。

織田信長:果たしてそうかな・・・。武田四郎勝頼。(西洋酒をあおって)恐るべき才覚と、俺は見る。

 この時、信長に話しかける光秀のうれしそうなこと。ふたりの光景が癒しになるとは思わなかった。

瀬名は、家康と違い人に心をさらけ出せないか

 さて、地獄の釜の蓋を開くように、今回の最後で瀬名が行動を起こしてしまった。5月も最終週だったし、6月いっぱいで瀬名と家康は永遠にお別れか。やっぱり、前回のお万に言われた言葉が瀬名の心の中では響いていた、ということになったか。

私はずっと思っておりました。男どもに戦のない世など作れるはずがないと。政も、おなごがやればよいのです。そうすれば、男どもにはできぬことがきっとできるはず。御方様のような御方なら、きっと。

 クーデターを起こされて涙ぐむ信康は、いかにもまだ幼かった。槍を振るう姿も、申し訳ないけど郷敦勝頼に全く及ばず、まるで振りだけ覚えた軽いダンス。妻の五徳にも「甘いところが抜けませぬ」と指摘されていたね。年齢的には今なら中学生~高校生あたりか、反抗期夫婦を残してまだまだ浜松には行けぬ、としっかり者の瀬名が判断してもおかしくない。

 思うに、今作の瀬名には頼りになる相談相手がいない。姑の於大はデリカシーに欠け、弱味を見せて相談などできそうにない。於大の妹で酒井忠次の妻・登与にしても、御方様としてはシャンとしたところを見せなければならない関係にも見える。

 そして家康は、瀬名に一方的にヨシヨシされるばかりで、瀬名の思考に深く寄り添えてはいないように見える。両親の命という大き過ぎる犠牲を払って三河に来て、朋輩のお田鶴も死に、彼女はずっと孤独だったのでは。

 人質交換で川を渡ってきたあの辛い時にでも、家康に泣き顔を見せるのではなく、敢えて笑顔を見せる方を選ぶ賢さを持つ瀬名。ここで泣けなかったから、瀬名の心の奥底に凍った閉ざされた扉ができあがってしまったのかもしれない。

 築山に庵を結び、門戸を開いて広く庶民の声を聞く姿勢を持ち、「そなたらの血や汗ならば本望じゃ」と戦後の負傷兵を手当てするなど家中にも心配りをし、お万のはかりごとも見抜く洞察力満点な御方様だが、瀬名は誰にも心を開くことなく、最終的にいつも一人で考え、決めてしまっているような気がする。

 本證寺での千代の動向に目が留まっても(洞察力のなせる技!)、自分の考えを家康には告げたか?子どもっぽく瀬名の手を引っ張って寺を出た家康には、とても言えそうにない。家康には見えていない。

 今作の描き方として、家康と瀬名は対照的だ。乱暴な言い方かもしれないが、この夫婦は、時代劇で描かれるステレオタイプの夫婦像を男女逆転させたような性格をしている。怒ると手も口も出す負けん気があり、腹が座っていて賢い瀬名。メソメソ泣いてばかりで幼く、甘えん坊で弱音を吐きまくる家康(だから皆が助けてくれるのだけれど)。

 だから、瀬名がひとりで腹を決め、地獄への扉を開けたのも分かる気がする。「家臣に手出しされるくらいなら、私がお相手しようと思って」との重大な決意については、家康か、せめて数正には相談してほしかったが(底の浅そうな平岩親吉は無理だろう)・・・そうして五徳との嫁姑問題も絡んで、瀬名は立つ瀬を失っていく、という描かれ方になるのだろうか。

 お万に言われた「御方様のような御方なら」に励まされて踏み出した一歩だったのに、おなごが政に手を出して失敗していく例になるのは悔しいね、瀬名。あまりにも危険な橋を渡り始めた彼女が、次回以降落ちていくのを見るのが怖い。

(敬称略)

【どうする家康】#19 お万、神仏後押しのハニートラップ成功

家康は摩利支天、お万は手作りの子授け観音?

 NHK大河ドラマ「どうする家康」は第19回「お手付きしてどうする!」が1週間前の5/21に放送された。また1週間遅れで書いている。スミマセン。あと少しで日曜昼の4K放送、第20回が始まる。滑り込みセーフか。

 個人的には家康の人生に大きな教訓となったはずの三方ヶ原合戦の直後の19回だったから、家康の脳内に潜入してその内省の様子がつぶさに描かれたら興味深かったのになーと思ったが、山田孝之演じる服部半蔵も「笑ってはいけない城勤め」で参上するし、息抜き的なコミカル回の印象だった。とはいえ、今後に続く不気味な仕込みもありつつ。

 まずは、公式サイトからあらすじを引用させていただく。

武田軍は撤退し、信玄(阿部寛)は勝頼(眞栄田郷敦)にすべてを託す。信長(岡田准一)は武田に寝返った将軍・足利義昭(古田新太)を京から追放。一方、家康(松本潤)は信玄との激戦で大きな犠牲を払ったショックから、立ち直れないでいた。そんな中、美しい侍女のお万(松井玲奈)に介抱され、つい心を許してしまう。そのことを知った瀬名(有村架純)は浜松を訪ねるが・・・。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 以前の回で家康は、三方ヶ原合戦にあたって瀬名の下へ行き、自作の木彫りのウサギを手渡した。それは自分の弱くて優しい心。それを託した後、さらに彫っていたのが戦神の摩利支天だった。何かが動物の背に乗っている感じの彫り物だけど何だろう?と思っていたら、今回、石川数正が正解を教えてくれた。

いつも懐に入れておられる戦神、摩利支天が守ってくださったのかもしれませんな。

 摩利支天と言えば、「風林火山」の主役・山本勘助を懐かしく思い出す。メダルのようなものを首から下げていたような。貫地谷しほり演じるヒロインのお墓にも掛けたりしていた。

 この「風林火山」も面白かったが、当時の市川亀治郎がとても新鮮な武田晴信→信玄を演じていた。

 前半は爽やかな青年部将、後半はおどろおどろしく「あ~ま~り~(甘利)」と裏切りを疑い目を血走らせるシーンがあり、亀次郎の信玄は歌舞伎チックで面白かったが・・・あれが「事件」となれば、今後は再放送もできなくなるのだろうか。

 ちょっと脱線した。

 家康が懐に摩利支天を入れていて武田信玄との激しい戦を生き延びることができた一方で、お万は家康をたらし込むハニートラップに入る前に、何かの紙人形のようなものを手にして、作っていた。おそらく家康を風呂場で世話をする際に、懐に忍ばせていたのだろう。

 そして、家康がそれを見つけ拾った(!)のは、明らかにちょっとお万にクラっとなって、「もうよい!」とお万を下げさせた時だった。拾われたあの紙人形はどうなった?家康が持ち続けたのだろうか・・・まじないが効いたのだろうなあ。その次のお風呂だったもんなあ、お手付きは。

 その人形はまた出てきた。お万が懐妊してからで、母子を思わせるように小さいのと合わせて2つ。紙人形はその時も抽象的すぎて何やら判然としなかったが、子授けの観音様の類の神仏を思わせた。

 お万はこの御仏に祈って、今回のハニートラップを敢行したのか。相当な覚悟だ。実家の神社も戦災で焼け、父も死に母も動けず・・・みたいなことを言っていた。自分が立て直すしかない、そのためにできる事はコレだと計画を練った、という設定のようだった。

築山殿とお万、とってもイーブンな主従関係

 有名な築山殿によるお万の方への折檻の逸話も、うまくアレンジされていた。何と自分から仲間に頼んで木に縛り付けてもらい、棒を瀬名に差し出させて打ってくれとお万が言うなんて。その縛った縄を、かえって解いてあげる瀬名にするなんて。今作は本当に、瀬名の名誉を挽回する方向で進む。

 (そうそう、アレンジと言えば、三方ヶ原合戦にまつわって地元に伝わる有名過ぎる逸話の数々。てっきりスルーかと思っていたら、今回になって浜松の民によって家康がディスられてますよ、と酒井忠次に報告される場面で出てきた。うまい処理だった。)

 今回の見せ場、瀬名とお万のやり取りはこうだった。

お万:(庭の木に後ろ手に縛られ繋がれている)御方様。万は大変なことをしてしまいました。御方様に申し訳なくて、申し訳なくて。どうぞ懲らしめてくださいませ!(瀬名に棒を差し出す侍女)お気の済むまで折檻してくださいませ。殺されても文句は言いませぬ!お願いでございます。

瀬名:お腹の子に罪は無かろう。

お万:されど、この子を産めばお家が乱れます。城を出て私が育てるとしても殿のご落胤とあらば世に恥ずかしくない躾を施さねばなりません。我が家は、社でございますが戦で焼けてしまい、父は死に、母は動けず、とてもとてもそのような。(泣く)

瀬名:(笑ってしまう)お万。もうよい。(お万の縄を解く)私はそなたを見くびっておったようじゃ。おっとりした慎ましいおなごじゃと。なんのなんの、才ある子じゃ。これでは、うちの殿などひとたまりもあるまい。(お万の肩に手を置いて)見事じゃ。(ふたりとも膝を付き向かい合う)

 殿から金子をふんだんに頂くがよい。その金で、この子を立派に育てよ。焼けた社も再建するがよい。恥ずかしいことはない。それもおなごの生きる術じゃ。私は嫌いではないぞ。

お万:恥じてはおりません。多くのご家臣を亡くされてお心が疲れ切っていた殿を、御慰め申し上げたまで。男どもは己の欲しいものを手に入れるために戦をし、人を殺し、奪います。おなごはどうやって?人に尽くし、癒しと安らぎを与えて手に入れるのです。おなごの戦い方の方がよほど、ようございます。

 私はずっと思っておりました。男どもに戦のない世など作れるはずがないと。政も、おなごがやればよいのです。そうすれば、男どもにはできぬことがきっとできるはず。御方様のような御方なら、きっと。

 (立ち上がって)もうここへ来ることも、皆さまの前に姿を現すこともございますまい。この子は立派にお育ていたします。いずれ殿のお役に立つ子に。御方様、どうぞお達者で。(一礼して去る)

 しかし、御方様に対してこんなに滔々と自説を開陳して、勝手に出ていこうとして大丈夫なのか、お万。「無礼者」と瀬名(のお付き)に手打ちになったりしないのか?と見ているこちらがビクビクしてしまった。城で仕える者と殿の正室が、とってもイーブンな関係だ。瀬名ならでは、浜松ならではなのか。ホワイト企業だなー。

 そもそも、お万のキャラ設定がちょっと不思議にも思えるほど彼女に優しい。「うかつ者のお万」「控えめでおっとり」と言われ、瀬名にまで家康に手を出すなんぞ「俄かには信じられない。お万は、よう知っておるがおっとりした慎ましい娘で」と評されるお万。

 折檻シーンでは「早くお逃げ」と侍女仲間が彼女を庇って逃がそうとするし、遡るとお万に手を出した家康のことを「どうしようもない」と家臣たちが台所で噂をする場面では、背景で働く侍女たちの顔色が変わっていた。彼女が家康にレイプされたと思ったか(実態はそうだろう)。女同士で好かれ、可愛がられ応援されているキャラのようだった。

 今作では、松潤演じる家康を悪玉キャラになどまさか描けないし、そうすると普通は「殿にハニトラを仕掛けるなんて大した玉だ!」とお万が非難を集めそうなところではある。だが、お万が嫌われキャラにならないよう、今作は周到に考えられている。

 やっぱり、御仏の導きとはいえ、外形的には侍女のお万を手籠めにした家康は加害者だろうし、本来はレイプの被害者だったと現代では解されるお万を悪者にはしにくいよなあ。それで、物語的にハニトラを噛ませたんだろう。

 ハニトラと言えば、ほんの少し前(!)の昭和の時代劇だと、主君に手を出されレイプされた女側ばかりが「魔性の女」と変に色っぽく背徳的に誘惑する存在として描かれがちだった。令和にアップデートされている本作では、NHKだし、それはない。ハニトラを知らない時点でも「私、お万もぶってしまうかもしれませんから」と、女側にも責任があるとする解釈も、瀬名のセリフにはチラチラ見えなくもないが・・・。

 瀬名と話すまでは、お万の妊娠は計画ずくだと侍女仲間らにはバレていなかったと思う。が、それも覆った。おっとり者でもうかつ者でもなく、殿をはめる賢い子。実家の不幸など、お万の境遇が城中でも同情を集めていたらしいけれど、あの後、ハニトラ大成功だったと知った侍女仲間は、彼女をどう見ただろうか。

結城秀康と保科正之

 今作で描く当時の正室とその他の妻妾の違いについては、以前、瀬名が今川氏真の「妾」とされるという件で瀬名の両親の会話で説明されていた。以前のブログからそのあたりを再掲する。

toyamona.hatenablog.com

氏真からの申し渡しについて妻・巴に説明する関口氏純(渡部篤郎)。

巴:瀬名を、氏真様の妻にしていただけるのですか?それでわれら一同お咎めが無いのなら、この上ない良いお話ではありませぬか。三河の不忠者などより氏真様の方がよほどご立派

氏純:いや・・・妻という訳ではない

と:そりゃ、殿にはご正室がおわします。側室でもありがたいことではありませぬか

う:側室でもない。つまりは妻という立場ではない御奉公じゃ

と:それは・・・夜伽役ということでございますか?遊び女扱いさせるということでございますか?私は今川本家につながる身ですよ!その私の娘を!?

瀬名:母上、瀬名は氏真様にご奉公いたしとうございます。

う:瀬名

せ:瀬名は、幼い頃より氏真様をお慕い申し上げておりました。どのような形であれ、彼の方のお傍にいらるるはこの上ない喜びでございます

と:瀬名

せ:竹千代と姫をよろしくお願い申し上げまする(亀姫の泣き声)

 このように、瀬名が求められていたのは「遊び女扱い」であって妻である「側室」ではなかった。「妾」となり、良家の娘とは思えない扱いを受けることになるのだろう。

 お万は、今作の現段階では正室に認知されていないので妻(側室)でも妾(遊び女)でも無く、城を出されるということか。そして信玄が死んだ翌年(1574年)の2月に於義丸、後の結城秀康を産む。今作ではどうなるかわからないが、双子だとも言われる。

 正室が承認しない立場だったから、お万の子は城外で生まれ、秀吉の養子に出され、さらに結城家に養子に行く。ただ、築山殿の死後は、母子の扱いは良くなったらしい。

 今回のドラマではカバーされるとは思えないが、結城秀康を見ていると、家康の子・秀忠(ドラマではこれから生まれてくる)のご落胤の保科正之の境遇ととても似ていると思う。彼も、秀忠正室のお江が認めていなかった女性(お静の方だっけ?)が隠れて城外で生み、武田信玄の次女に育てられ、保科家に養子に行く。

 家康も秀忠も、親子二代で全く同じようなことをやっていることになる。親子だね。そしてご落胤のふたりは、後々ちゃんと徳川を支える人物になるというところが健気で泣ける。保科正之の子孫・会津松平家が、正之の言葉に縛られ幕末に辿る運命を考えると、さらに泣ける。

お家の存亡がかかる子作りは、殿のお仕事

 ドラマでは瀬名も一応その点は謝罪してはいたけれど、そもそも、家康に側室を用意しておかない正室の怠慢が、今回の騒動のベースとしてある。三方ヶ原合戦で、どうしてあんなにも家臣らが身を挺して家康を守り、代わりに死んでいったのか。夏目吉信が言ったように、殿が生きてさえいれば徳川は存続できるからだ。

 それを思い知らされたばかりの人たちが、戦後、殿に側室を用意しようと正室に働きかけたようには見えなかった。これは殿のお仕事!!!!!ぐらいの勢いで、子作りをしてもらわないと困るのでは?お家の存亡がかかっているのだ。

 その点で、お家が多少乱れる難点はあるにしても「何をしておられる」と家老2人がかりで怒るなんて辻褄が合わない。このドラマの石川数正&酒井忠次はどうかしている、と昭和の男都合全開の時代劇に毒された私は思う。(信康が「父上を見損なった!」と怒って文をビリビリ破るのは、まあ理解できる。)

 それに、大戦の影響でメンタルがやられている様子の家康。そういう意味でも、瀬名が自ら浜松に行くか(せめて定期的に岡崎と行ったり来たりするか)、時代劇的にはすぐに出てくる「お慰めする女人」とやらを置かないなんて。「正室として立場がありません!」とプリプリするなら、正室として側室を置く役目を果たしてからおっしゃい!と糾弾されそうだよ瀬名~。

 それとも「家康じゃなくても、自分の子である信康に子を作ってもらえば徳川は大丈夫」と今作の瀬名は考えていたか。でも、家康だってまだ30代前半なのにね。

勝頼を褒めちぎる武田信玄。そして琵琶法師は誰か

 ドラマ冒頭の桜の散る中、元亀4年(1573年)4/12、武田信玄は有名な遺言「3年の間、我が死を秘するべし」と言って信州駒場で死んでいった。「敵とはいえ、人の死を喜ぶとは何事か!」と鳥居元忠は怒られていたが、万人は思っているだろう。家康は命拾いしたと。

 歴史家・作家の加来耕三氏が、家康が天下を取れたのは信玄を真似たからと言うほどに、家康にインパクトを与えた信玄。ひっくり返せない史実なんだけど退場は惜しい。勿体ない人だと前回も書いた。でも、まさに神が信長を選んだんだね。

bookplus.nikkei.com

 とはいえ、信玄の「3年間は自分の死を秘密にしろ」という遺言は、はっきり言って無理ゲーではないかとかねがね思ってきた。

 前回ブログにも書いたけれど、やっぱり信玄は忍びの働きを軽く見ているとしか思えない。「甲斐の忍びはともかく、他国の忍びは大したことない、3年ぐらい大丈夫だろ」と思っているのか。この見通しが甘すぎる信玄を見るにつけ、実は武田家はあんまり忍びを活用できておらず、情報収集に難ありだったのではないかと疑ってしまう。

 それと、信玄の遺言はもう1つセットで「(勝頼嫡男の)信勝が成人するまで勝頼は陣代を務めろ」というのが知られている。そんな遺言をしてしまったら家中から信頼も得られないし勝頼がかわいそうじゃんねー、というこれも無理ゲーな内容だが、このドラマではそれは無かった。これも、今後にまた噂話的な面白い活用の仕方があるのかな。

 むしろ、今作では信玄の勝頼に対する信頼が凄まじい。こんなに勝頼を褒めちぎり、勝頼の内なる風船を自信でパンパンに膨らませた信玄は初めて見た。

信玄:ここまでか・・・。

勝頼:父上の残された思い、四郎勝頼がこの身に負うて成し遂げて見せまする。

信玄:それはならん。わしの真似をするな。そなたの世を作れ。そなたの器量はこのわしを遥かに凌ぐ

勝頼:そんなこと、あろうはずが・・・。

信玄:このわしが言うんじゃ、信じよ。そなたはわしの全てを注ぎ込んだ至高の逸材じゃ。黄泉にて・・・見守る・・・。(長い吐息の後、絶命)

勝頼:(うなだれる)

 勝頼のことを「わしの全てを注ぎ込んだ至高の逸材」だと信玄が呼ぶなんて。確かに、今作の勝頼はありえない程カッコイイ。彼の物語としてドラマを見たいぐらいだ。これまでは大概、諏訪という他家を継ぐ者として育てられた四郎勝頼が、息子・信勝は武田家の正当な継承者でも自分は息子の陣代にすぎないと、信玄からのその扱いに苦しみ、背伸びをして無理な戦を重ねる系列の物語ばかりを見てきた。

 今作は違う。勝頼は腹から声が出て戦ぶりも堂々としているし思慮深く、信玄からの信頼も厚く自信に満ちあふれている。これでどうしたら負けるのか?前も書いたように、今作の勝頼は本当に長篠の戦で勝利を収めてしまいそうだし、一度そういった世界線も見てみたい。

 ところで、気になったのが琵琶法師。琵琶法師は、信玄が没した場で「生者必滅 会者定離」と唄っていた。天正元年(1573年)の桜の散る中(つまり春)、死んでいった信玄の画のフレームアウトしそうな一番右側に控えている人と、緑の中(つまり夏)で琵琶を抱えて唄っていた人は同一人物なんだろうか、それとも別人か。

 そして、今回の終りの方で、紅葉が見える中(つまり秋)、信玄が没した場所で骸になっていた人物がいた。例の百足が骸の上を這っていたのは武田家を示すシンボリックなものだろうし、持ち物らしい小刀の鞘に武田家の❖家紋が見えるから、武田ゆかりの人だろう。これが信玄が死ぬときに一番右側に映っていた人か?

 可能性としては、①信玄の死を3年秘するため、信玄が死ぬ場に居合わせた右側の人物が、勝頼と山県、穴山によって命を絶たれた、②もしくは信玄を慕って自ら殉死したのかと思う。いずれにしても春にその場で死んでおり、秋に骸を晒す説明はつく。でも、そうすると夏の琵琶法師は誰なんだろう?ただの琵琶法師?

 もしかしたら、③殉死したのは琵琶法師かな?旧武田家臣か。

 春に信玄が没し秋が過ぎ、勝頼はいよいよ「三河を手に入れる」と言った。これから武田忍びの千代が三河に潜入し、徳川への工作が始まるんだろう。ロックオンされたのは岡崎城の信康と瀬名だ。

 こうなると「男どもに戦のない世など作れるはずがないと。政も、おなごがやればよいのです。そうすれば、男どもにはできぬことがきっとできるはず。御方様のような御方なら、きっと」とのお万の言葉が薄気味悪い。これに瀬名が走らされちゃうのかー。ヒタヒタと瀬名に悲劇が迫る音が聞こえるような、不気味な終わり方だった。

 そうそう、岡田信長が武術の腕を見せて寸止めした義昭の首への一太刀は、流石だった。あんなスピードでも止めちゃうんだ・・・と、しびれた。他の俳優さんだと無理じゃないかな。

 そして、明智光秀が義昭を見限り「この明智光秀、これより殿の天下一統のためこの身を捧げまする」と言い、信長から「励め」と受け入れられて心底嬉しそうな顔をした。前回書いたが、やっぱり今作の光秀は打算じゃなく、信長ラブみたいだ。

(ほぼ敬称略)

【どうする家康】#18 夏目広次=吉信、コンフィデンスマンJP的脚本の妙

家康討ち死の報に悲喜こもごも

 NHK大河ドラマ「どうする家康」の第18回「真・三方ヶ原合戦」を5/14、涙して見た。タイトルは流行りの「シン」ではなく「真」が付いての三方ヶ原合戦で、脂の乗り切った中年(失礼)俳優のおふたり(甲本雅裕&波岡一喜)が花道を飾る回。まんまと泣かされた。

 そりゃ、「カムカムエヴリバディ」の橘金太と、「青天を衝け」の川村様だもの、泣かされるのは分かっていた。そういえば、印象に残っていたのはどちらも雨にぐっしょり打たれての演技だ。それを思い出して、ついついそっちの役名を呼んでしまったりしてね。

 まずは18回のあらすじを公式サイトから引用させていただく。

金陀美具足の遺体が信玄(阿部寛)のもとに届けられると、家康(松本潤)討死の知らせは全国に広まった。瀬名(有村架純)は動転しつつも、籠城戦への備えを家中に伝え、信長(岡田准一)は武田との決戦を覚悟する。勝頼(眞栄田郷敦)たちは浜松城に攻め込むが、酒井忠次(大森南朋)の機転で徳川軍は難を逃れた。浜松を後にして西に兵を進めた信玄だが、体の異変に襲われていた。そんな中、徳川家臣団の前にある男が現れる。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 「そんな中、徳川家臣団の前にある男が現れる」とは、また意味深な書き方。このあらすじでは家康の動向はネタバレできないとばかりに、極力触れないように書きたいらしい。だから「家康の前に」と書かずに「徳川家臣団の前に」とわざわざ書いている。涙ぐましい。

 前回にも書いたが、徳川家康がこの時点で生存していることは後世の我々には全国的にほぼ周知の事実だ。そうなると、そんなに頑張って歴史上のネタバレを避けようと努めても、無駄な努力だと思うんだけどなあ。

 さて。今回はオープニングのタイトルバックが一新された。これまで白地にパステル調の若々しい明るいデザインだったが、金・赤・黒が目につく絢爛豪華?な感じになった。家康も30代、そろそろ重々しさを加味していこうとなったのか。ちょっと「功名が辻」のタイトルバックを思い出す。

 オープニング始めのミニアニメでは、その回の象徴的なものが毎回描かれるが、今回は家康所有の金陀美具足の兜が、脆くも蒸発するように空中に運ばれ消えていった。前回終わりで金陀美具足姿の遺体が武田兵によって荷車で運ばれて行き、兜首は槍先にぶら下げられていたから、金陀美具足の命運は知れている。タイトルバック終りの方で大映しになる金陀美具足はこのままなのかなあ。

 オープニング開けは前回終わりの続きで、井伊直政(まだ虎松)が武田軍の鬨の声を聞き、「討ち取ってやったわ」「やりましたのう」という武田兵の会話を信じられないといった顔で聞く姿が映し出されたが、別に虎松についてはそれ以上掘り下げられることはなかった。なんだー、せっかく三方ヶ原の先の祝田が地元なのに残念。それこそ地の利を生かし、武田の陣中に忍び込んでいく等々と想像していたのに。

 次に描かれたのは岡崎城中の狼狽ぶり。(たぶん)家康討ち死の報を受けて「まことなのか」と平岩親吉を突き飛ばす瀬名、これは前回既に見た。ここで戦国のおなごらしく「虚説に惑わされず、子細を見極めなされ」と息子にカツを入れるのが良かった。

 続いて虚空を眺めていたのが信長。「一心同体」の愛する家康が、あっという間に信玄に敗死したとの報せはかなりショックだっただろう。もっと援軍を増やすべきだったかと後悔したかどうか・・・ショックが怒りとなって後の水野信元への処分に向かうのかな。

 その信長が受けるであろうダメージの大きさを、抜かりなく想像して駆けつけたのが藤吉郎か。情報が速い。「やはり、桶狭間など二度は起きぬか」と神妙な信長、そりゃそうですよー。

 「武田信玄が松平家康を打ち倒したか!」と大喜びしたのが足利義昭。「松平」とまだ言ってる執念深さ。明智光秀は義昭から心が離れている感じがアリアリだ。中の人、いい表情するなあ。それに気づかない義昭。

足利義昭:さすがは信玄入道。見事見事。明智、そなたももう信長の所には行かなくていいぞ。あいつはもう用無しだ。これからは信玄じゃ。

明智光秀:信長様と信玄入道がぶつかってどちらが勝つかは・・・。

義昭:目に見えておる!唯一の味方である松平が滅んだ。ヤツはもう終わりじゃ!

光秀:上様。まだ分かりませぬ。徳川が滅んだのかどうかは。

義昭:(うるさそうに)家康はもう死んだんじゃろう?

 この時、義昭は寝間に女性を待たせていたようで、光秀の話を面倒くさそうに早々に切り上げたがっていた。これが「麒麟がくる」だったら御簾の奥にいるのは駒ちゃんということになりそうだが・・・今作の義昭様だと、やっぱり駒ちゃんは絶対に逃げるな。

 意外だったのが光秀の描き方で、今回、ちょっと人間的だった。今作の光秀は打算だけで動く人物ではなさそうだ。いずれ光秀は義昭を見限って信長の下に行くと当然分かっているにしても、単にどちらが得か天秤にかけた結果ではなく、信長の、ある意味真面目さに心を動かされて信長側に付くような雰囲気が感じられるが、気のせいか。

 「麒麟がくる」では光秀に片思いだったサイコパス信長だが、もしかしたら今作では光秀の方が信長に片思いする展開だったりするのかな?まあ、妄想だ。恋愛感情の場合もあれば、人間的に惚れこむ場合もあるだろう。どちらでもいい。

 それで、光秀が家康の接待を失敗したとして激怒する信長の姿に、改めて可愛さ余って憎さ百倍の炎が燃え上がっての本能寺、なんてことはないか?光秀にも注目したい。

阿部信玄は残念なチョイスを重ねる

 これはもう「そうしないと歴史に反するからどうしようもないのだ」とご本人にも言われそうだけれど、ドラマではここまでラスボス感満載の完璧信玄なのに、ここからの信玄は、武田ファンや山梨側の人から見たら、きっと「流石に見えて実は残念」だらけのチョイスばかりする。ああ。

 こうやって運は手をすり抜けていくんだな。逆に言えば、家康がそうやって運を手繰り寄せていく。それをドラマとして自然に見せていると思う。

 「家康の首」が運ばれてきた際、家康とはいつだったか山中でこっそり会った信玄が見ればすぐに他人の首と分かる訳だが、敬意の見られる扱いで陣中に安置するのは流石だ。これは良い。

 だが、浜松城の「空城の計」を見破ったのなら、「故事を学んでいるのは結構」とか余裕を見せていないで、勝頼(腹からしっかり声が出ていて誠にカッコイイ)の言う通り浜松城は片付けておかないと!と武田ファンは悔しがったのでは。勝頼の代にタスクを残したばかりに、息子は酷い目に遭うのだよ、信玄!

 今は些細な事と思うなら、些細なうちにやっておきましょう、それが教訓か。

 そもそも、今作の信玄は腹部に痛みの自覚がある。それで「時が惜しいのじゃ」なんて言っちゃって浜松を見逃した。徳川を「立ち上がれぬほどに叩いた。もう十分」との評価は、しかし間違っていたね。日本史を左右するほどの、大きな間違いだったよ信玄。

 時が惜しい信玄は、勝頼のために織田信長を討ち果たしておきたかったのだろう。それはわかる。でもね、だったらもっと早く立ち上がっておけたら良かったね。浅井長政が裏切ったあたりで長政と信玄が力を合わせていたらどうだったのだろう。

 でもそれを言い出したら、もっと前に「上杉謙信との争いは不毛だから、とっとと手を打っておくれ」と言いたいところかな、武田ファンの方々は。

 本当にもったいない御仁だ、信玄は。

 家族には昔からしつこく言ってうるさがられているのだが、「信玄の死は織田や徳川の忍びにやられた」という説は無いのだろうか。だって、両陣営にとって、あまりにも都合のいい時期に死んでくれている。こんなことあるか、と皆が思う時期だ。

 直接的に襲われて死ぬ以外でも、例えば毒殺。即効性がなくても遅効性があるとか、少しずつ与えてれば効果を示す毒だって当時はあったのではないか?それで癪が起きるってことで。

 それに、最近聞いた話では、信玄はかなりの期間「徳川家康は、織田信長配下の国衆だ」と誤解していたというではないか。こうなると、武田忍びの情報収集能力にも疑義が浮かぶ。武田忍び、失礼ながら、言われるほどじゃなかったのでは?

 片や、織田方は、桶狭間の戦いでの今川義元の本陣の位置情報をきっちり取って来た梁田政綱が、戦後一番に表彰されたとか。それが本当ならば、信玄が西進を始めたあの状況下、織田の忍び達は、第一の仕事として信玄の位置情報を捉え、できれば暗殺することに邁進していたのではないだろうか。

 今後、こういった資料が出てこないかなー。忍びの研究が昨今特に日進月歩の勢いで進んでいるらしいから、そんな話が出てくるのを待っている。

青春ドラマのような甥と叔父の「好きなんじゃろうがー!」

 今回のドラマでは、時が半日遡った。逆回し的映像ってどこかで見た。全部見たわけではないが、そう、同じ脚本家の「コンフィデンスマンJP」で、ダー子がオサカナに仕掛けをする時点まで映像が遡って謎が明かされていた。毎回、見て「やられたー」と思う。その方式で、今回は三方ヶ原合戦の真実が明かされた。

 まずは本多忠勝の叔父、本多忠真の死に様だ。榊原康政と甥の本多忠勝の危ない所を絶妙に矢を射て助け、間髪置かず槍を振るって敵を撃退。足手まといだから残れ、なんて忠勝に言われていたのにね。だからか忠真は、ひょうたんの酒をあおって見せてから「言うたじゃろ、腕は衰えとらんと!」と言う。足は確かにふらついているんだけれど、強い。

 ふたりを浜松城へと逃がし殿(しんがり)として戦場に残ろうとする忠真。忠真の「おめえらは行け!」の言葉に「遠慮なく!」と康政は駆け出し、動かない忠勝。康政は振り返るが、走り去る。

 忠勝は叔父の肩をつかみ「ひとりでは死なせん」と言う。

忠真:おめえは本当にアホ戯けじゃの!(忠勝、敵方向に進もうとする)おめえの死に場所はここではねえだろうが!

忠勝:(立ち止まって)俺は!叔父上を置いては行けぬ!

忠真:おめえの夢は、主君を守って死ぬことじゃろうが!

忠勝:あいつを主君などと・・・!

忠真:(忠勝を殴りつけ)好きなんじゃろうが!(倒れて忠真を見上げる忠勝に微笑み、うんうん頷いて)殿を守れ。おめえの大好きな殿を。(優しく忠勝を抱きしめる)行け、平八郎

忠勝:(抱きしめられたまま目を見開き、言葉が出ない)

忠真:(泣くのをこらえ、忠勝を放して敵の方に向いて立ち)行けー!

忠勝:うあ~!うあ~!あ~!あ~!

忠真:(甥の泣き声と駆け去る音を背後に聞き、涙を流す。1度振り返り確認後、またひょうたんの酒をあおって)さあ、本多忠真様がお相手じゃあ!こっから先は一歩も通さんわ!来い!(敵兵が喚声と共に向かってくる)

 忠真の呑兵衛殿はドラマの設定だそうだが、愛情たっぷりの照れ隠しには呑兵衛が良く似合う。もちろん、常に足がふらつくほどのアル中は現代では褒められたものではないのは当然ながら。

 正直でないのは家系なのだろうか、忠勝もまだ「あいつを主君などと」と言っちゃう。そうじゃないだろ、と忠真には分かっているからこそのパンチ1発。これも現代では褒められたものではない。

 この、1発殴ってからの「好きなんだろーが。○○を守れ、お前の大好きな○○を」で、見ているこちらは一体何の青春ドラマが始まったのかと一瞬むず痒くなってしまった。見開かれた忠勝(山田裕貴)の目が少女マンガの登場人物のようにキラッキラにきれいで、さらにその思いを強くした。

 しかし、忠真の中の人(波岡一喜)は「青天を衝け」の川村様である。「行けー、平八郎」からはもう涙涙、じっと最後まで見届けた。お疲れさまでした。

キタキタキタキタ、夏目広次=吉信の最期

 信玄の下に「家康の首」が届けられてからドラマでは半日、時が遡った。しかし、夏目広次のエピソードでは実のところは半日では済まなかった。まさかの初回、第2回まで見直すことになるとは。やられたーだった。

 家康は、夏目の下の名「広次」をほぼ毎回間違えて呼ぶが、なぜちゃんと広次と呼べないのか。ギャグじゃなかった。実はそれが「よし」「のぶ」に関連して間違えていたのだ。以前、彼は吉信と名乗っていたのだった。

 そうだったのか・・・夏目吉信は竹千代の幼少期に仕え、人質として駿府に送られる際にもお供となるはずだったんだね。しかも、竹千代に「若は私がお守りします」と約束していた。

竹千代(家康):竹千代は弱いんじゃ。

夏目吉信:弱いと言えるところが若の良いところでござる。素直にお心を打ち明け、人の話をよくお聞きになる。だから皆、若をお助けしたくなる。皆が助けてくれます。

竹千代:吉信も一緒に来てくれるのか?

吉信:もちろん。この夏目吉信が若をお守りいたします。若は、きっと大丈夫。

竹千代:ありがとう、吉信。

 家康がなぜ天下を取れたのか。その謎を夏目吉信が言ってくれている。それぐらい竹千代を理解していたのだが・・・それが戸田宗光の策略によって海辺で襲われ、竹千代は織田方に送られてしまった。あの「どんぶらこ~どんぶらこ~どんぶらこっこ、よ~いよい」で竹千代が目を閉じる間に無数の矢が崖から降ってくるシーンは怖かった。

 でも、第2回を見ても、あの竹千代襲撃場面での夏目吉信は見当たらない。今回、新たに挿入されたシーンで、あの場に夏目がいて幸運なことに生き延びていたと分かったが、あれだけ赤い衣装の人たち(織田方)が倒れた松平の兵をグサグサ止めを刺して回っていたのに、夏目はよくも無傷で助かったものだ。気を失っていたらしいが。

 三方ヶ原合戦では夏目「吉信」を始め、家臣が何人も家康の身代わりになったとは有名な話なのでいつからか知っていたが、本人が名乗っていたのは「広次」なのに石碑にあるなど知られている「吉信」。その謎を、こんなに上手に解いて、しかも感動的な物語を提示してきたのには本当に脱帽する。

 夏目は、三河一向一揆での謀反を不問に付してもらっただけではなかった。その前に、竹千代を奪われていたのを松平広忠に許された。そこでの改名だから、広忠の偏諱を賜って「広次」なんだね。死後は、家康の方が愛着のある「吉信」という名に戻して伝えていったとしたら説得力がある。夏目広次=吉信の名前の謎については、もうこれが正解ってことにしていいんじゃないか。

 しかし・・・今作の広忠、懐が深すぎる。嫡男を奪われたのにその責任がある家臣を許し、名前の一字まで与えるとは。形見の藁の虎人形も与えてたしね。それだけ夏目が松平にとって大事な存在だったにしても、夏目にすればこれは申し訳なく感激する。竹千代(家康)だけじゃなく、広忠に対して恩義を忘れない気持ちになるだろう。

 そこで、三方ヶ原での「殿、具足をお脱ぎください」となるわけだが・・・全てを察して無言で動く家臣達、抑え込もうとする鳥居元忠らに抵抗しながらとうとう「夏目吉信じゃろ?」と幼少期の記憶を思い出した家康。「お主は、幼い頃わしと一番よう遊んでくれた・・・夏目吉信じゃろ?」

 その家康の言葉を背後で耳にしながら、顔をくしゃくしゃに小さい目を黒目だけにして泣き顔になってしまう夏目を見ているこちらも、泣かないのは無理だった。

 家康が夏目の下の名前を間違えるのは、慣れ親しんだ「吉信」じゃないから。家康になぜわしはいつも間違えるかと問われて「影が薄いからでしょう」と夏目は答えていたが、それは夏目がわざと影を薄くしていたのでは?岡崎に墓参りで帰った際に、彼の名を思い出せない元康に「それで良いのです」と返した夏目は、多少ホッとしていたんだろうね。

 それから、本多忠勝を蹴飛ばして「すまん、お主はまだ先じゃ」と身代わりにはまだ早いと言い、自分が具足を身に着ける夏目もそうだが、それを素早く身に付けさせる夏目の家臣達にも私は泣いた。彼らは、金陀美具足姿となった主(夏目)の両脇に、最後まで付き従った家臣だと思う。もう主も自分も死ぬしかないと分かっているのに。ああ、この波状攻撃。涙の堤防も決壊する。

 とどめは、「徳川三河守家康はここにおるぞ~!」と名乗りをあげた夏目の金陀美具足姿。頭の小さい松潤サイズだからか、なんか少し兜が窮屈に見える。それでも立ち姿が美しかったなー。

 武田兵に殺されていく夏目の脳裏には「ありがとう、吉信」の竹千代の声。背景に流れるのは、あの阿月ちゃんが傷だらけで全力疾走して故郷の金ヶ崎にたどり着いたときのBGMだ。これはもう、さわやかな殉死の曲みたいになってるけど、阿月ちゃんも思い出して泣けた。

 このシーンで武田兵を演じた皆さんのご苦労も100カメでわかり、興味深かった。ご関心がある方は、こちらでどうぞ。(100カメ アクションチーム 大河ドラマ「どうする家康」を支える職人集団! - #どうする家康 - NHKプラス

(敬称略)

【どうする家康】#17 信長の片思いを利用、援軍を勝ち取る家康

「一蓮托生」と「一心同体」

 NHK大河ドラマ「どうする家康」の第17回「三方ヶ原合戦」が5/7に放送された。体調不良を言い訳に、既にお約束になってしまった1週間遅れの感想ブログ。お付き合い感謝です。まずは公式サイトからあらすじを引用する。

信玄(阿部寛)は徳川の拠点を次々に制圧。打つ手のない家康(松本潤)は、信長(岡田准一)の本軍が加勢に来るまで浜松城に籠城すると決める。だが、浜松に攻め寄せてきた武田本軍は、なんと浜松城を素通りし、西へ向かおうとする。このまま武田軍を通せば、遠江の民から見限られ、信長の逆鱗に触れる。何より、瀬名(有村架純)ら家族のいる岡崎城が危ない。打って出るべきか、籠城を続けるかーー。家康は究極の選択を迫られる!(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 せっかくの三方ヶ原合戦の回に何ですけど、まずは何より気になった、短期間で城を次々に落とされ追い詰めらた家康が、織田からの援軍が望めないと知らされて自ら信長との交渉に出た「鷹狩り」の場面。いやもう、全然鷹狩りなんかじゃない。

 自分なら信長を呼び出せると、家康はそれほど愛されていると自信があるんだね。まるで、どうしようもないピンチに陥った時に、いつもまつわりついてくる迷惑セクハラ社長をデートに呼び出すみたいな感じかな。

 常日頃はガマンしているんだから、こういう時ぐらいは利用しないと、ということだね。家康もしたたかに成長した。「どうすればいいんじゃ」と泣いているばかりでもない。第六天魔王を呼び出すにあたり、伯父上に「いいから伝えよ!」と強く出てたし。

 家康にとってはまさに死活問題の援軍。3千か5千かで揉めた末に3千で押し切られたが、ともかく援軍は勝ち取った。

家康:徳川と織田は一蓮托生であることをどうかお忘れなく。

信長:ふっ。死にそうな顔した大将には誰もついてこんぞ。楽しめ。一世一代の大勝負を。(家康の手を取り、互いが互いの肩に手を回す格好にする。)俺とお前は一心同体。ずっとそう思っておる。信玄を止めろ。俺は必ず行く。(家康の目をじっと見つめ、最後に頬を撫でて去る。)

 家康は、「一蓮托生」という言葉で「徳川に援軍を出してくれなきゃ織田だって共倒れ、それを忘れるな」を意味して言ったんだろう。信長は、またも家康にベタベタ触って互いに腕を肩に回して「俺とお前は一心同体」とか言っちゃって、すっかり恋人気分だ。呼び出されてよほど嬉しかったんだね。「俺を呼び出す奴は珍しい」「呼べばおいでになるんですね」「フン」なんて会話してたけど。

 でも、「一蓮托生」と言われたからって「一心同体」と同義と解して舞い上がる余地があるのか。前回に引き続き、広辞苑で確認しよう。

いちれん‐たくしょう一蓮托生‥シヤウ ①死後、ともに極楽に往生して、同一の蓮華に身を托すること。 ②善くても悪くても行動・運命をともにすること。(「一蓮托生」の検索結果 - 広辞苑無料検索 (sakura-paris.org)

 なるほど。家康は②で言ったが、信長は①で理解したか。①が本来の意味だろうけれど、そうかー、死後、共に極楽に往生して同じ一つの蓮の上に・・・まるで愛し合う恋人、長年連れ添った夫婦の発想だ。思いを寄せる家康が、とうとう自分にそう言ってくれて両想いだと感激しちゃったのかな、信長。

 それでも家康言い値の5千の援軍は出さないところはしっかりしている。家康にしても、ゼロ回答よりはもちろんマシ、「してやったり」だろう。

 ちなみに「一心同体」も引用しておく。

いっしん‐どうたい一心同体】 異なったものが一つの心、同じ体のような強固な結合をすること。「夫婦は―」(いっしん‐どうたい【一心同体】 - 広辞苑無料検索 (sakura-paris.org)

 うーん、あんまり想像したくないけど、信長はそういう思いでいるわけだ。

桶狭間を思い出す作り

 今回は見せ場の三方ヶ原合戦だが、作りがいつもに増してあざとかった。桶狭間の回をなぞっているんだなと思ったが、確かに、視聴後に桶狭間を描いた初回と何か似たような、うっすら気持ち悪い感覚に陥った。

 金陀美具足姿の誰か(まだ未確定)の遺体が荷車で運ばれていたが、そんな首なし遺体を運ぶ生々しい場面なんか、大河で初めて見たかもしれない。戦とはそうしたもの、と伝えたいのかな。

 桶狭間ということでさらに言えば、何しろ、賛否両論だった今川義元の兜首の描写と同様に、家康の兜をかぶった誰かの首(こちらもまだ未確定)が武田兵の槍の先にぶら下げられていた。

 たぶん全国的にほとんどの人が徳川家康が江戸幕府を開いた人物だと知っているわけで、ここで家康は死んでないのだから、誰かが身代わりになった挙句に命を落としたのだろうな…と考えたはず。私も夏目漱石の先祖の夏目広次が身代わりなんだっけ、以上!で、そこから家康が死んだ方向では想像しなかったが、双子説等で盛り上がっている人たちをネットで見て、ちゃんとドラマを楽しめてなかったな、と反省した。

 家康が三方ヶ原合戦で本当は死んでしまい、そこからは双子の家康が登場。瀬名がウサギの彫りものをきっかけに殿は偽物と気づいたため、口封じのために殺された…という説は面白かった。

youtu.be

全て見透かされていた

 そうそう、家康と信長の対話の場面で「策は?」「桶狭間」とのやり取りがあったが、ちょっとそこが判然としなかった。

 桶狭間と言うと、今川の大軍が細長く伸びたところに寡兵の信長が乾坤一擲の奇襲を本陣に仕掛け、大将の義元の首を奪って成功させたイメージ。今回、徳川は浜松城に籠城するつもりでいたはずなのに、信長に会った時点では、家康が城から出て武田の本陣に奇襲をかけるつもりでいるかのように聞こえて「???」となった。

 結局、心づもりとしては、家康曰く「わしの首は信玄に食いつかせる餌じゃ。食いつかせて一月鍛え忍び、一撃必殺!信玄の首を取る。天と地をひっくり返す」だった。家康がおとりとなって浜松城に武田軍を引き付け、信長本隊が来るまでの1カ月を籠城して持ちこたえ、信長本隊が来たところで共に岡崎と浜松の徳川軍が打って出て武田を殲滅する、というプランだ。乾坤一擲、一撃必殺、という部分が桶狭間となぞらえられたのだろうか。「十に九つは負ける戦」の残り1つに勝つ点が桶狭間、ということかな。

 しかし、徳川方が武田方とどう戦うつもりでいるか、岡崎城も含め、あれだけ身内で声高に共有されていたら、戦法はとうに忍びを通じて武田に筒抜けだっただろう。徳川方のプランは全て見透かされて、浜松城はスルーされた。

 桶狭間の時はまだ数え19歳だったか。あの時はガタガタ震えて「お指図を!」と求める家臣を置いて大高城から逃げ出した家康だったが、数え31歳になった三方ヶ原合戦では、さすがに逃げ出しはしなかった。「どういうことじゃ。バカな。わしはここじゃ。わしはここじゃ!家康はここにおるぞ!信玄!かかってこい!信玄!くそ~!」と取り乱したけれど。

 一番の弱点も見透かされていたのだろう。三河・岡崎を攻める姿勢を見せれば、徳川軍は家族らを心配して浮足立ち、浜松で籠城などしていられないことを。武田は瀬名の好物の栗まで把握している程だもんね、信長との面会後、家康が口直しのために瀬名を築山に訪ねたことも知っていたかも。

 そうそう、出陣前の奥さんたちとのやり取りは、グッときた。特に酒井忠次。妻の登与の髪に何かが付いていると嘘を言って近くに越させ、ハグをした。確か初回の桶狭間で、怖い時にどうやって誤魔化すかと聞かれて、ここだけの話、妻の柔らかい肌を思い出すと答えていたっけ。

 家康も言っていた。

家康:瀬名、そなたは何があっても強く生きよ。ここはまことに夢のような場所じゃ。ここには指一本触れさせぬ。

瀬名:殿、いつか必ず取りに来てくださいませ。殿の弱くて優しいお心を。瀬名はその日を待っております。(心を決めたように振り返らず出ていく家康。)

 浜松の徳川軍が心を残してきたのは岡崎。これはもう、城を出てまっしぐらに向かうよね。籠城策など簡単に破られてしまう。

井伊直政の出生地は「祝田」

 武田軍の浜松素通りの後、浜松城内では大揉めに揉め、「お指図を」と求められた家康が悩んだ末に(逃げ出すことなく)徳川には地の利があると指摘した。

家康:我らが武田に勝る点があるとすれば一つ。この地についてじゃ。

夏目広次:坂道を上り切った先は三方ヶ原。さらにその先は祝田の細い崖路でございます。

 細いから身動きが取れず、後ろからつつけば多数の兵を失わせられる。この策があれば勝機がある、と考えて徳川軍は城を出た。

家康:皆の者、我が屋敷の戸を踏み破って通られてそのままにしておくものがあろうか!戦の勝ち負けは多勢無勢で決まるものではない。天が決めるんじゃ!(ここでOPスタート)直ちに武田を追い、後ろから追い落とす!出陣じゃあ!

 そこを武田軍の魚鱗の陣で待ち伏せされて、兵数で劣る徳川軍は大敗を喫するのだが・・・意気揚々と城を出たところでかかっているのはオープニング曲。結果が見えているだけに、残酷だなあ。

 ところで、三方ヶ原の先にある「祝田」と言えば!「わしら瀬戸・祝田の百姓は、徳政令を望まんに!」の祝田じゃないの~と「おんな城主直虎」のエピソードがありありと頭の中で甦った。井伊直政(幼名は虎松)の出生地が祝田だ。それで、虎松が地元だけにうろちょろと戦見物などしに来ている設定になっているんだね。

 ちなみに直政が生まれたのは1561年、三方ヶ原合戦の1572年には三河の鳳来寺で修行中のはず。(「おんな城主直虎」では、虎松は1571年11月前には鳳来寺を出て松下へ養子に入っていたが、ウィキを見たら実際は龍潭寺での直親13回忌後の1574年らしい。つまり三方ヶ原合戦の2年後までは鳳来寺でお勉強していた。)

 数え8歳から15歳になって徳川家康に使えるまでの間、しっかり鳳来寺等でお勉強したからこその知識教養が、後の直政のこの上ない武器になる。しかし、今作の虎松は子どもの頃からハーレムさながらに女の子を連れまわして団子を食べている。大丈夫か。

 次回の「真・三方ヶ原合戦」では虎松はどう関わってくるのだろう。「おんな城主直虎」によると、井伊谷の皆さんは武田軍侵攻を前にもう隠し里に逃れているよ、虎松も行かなくていいの?それとも寺を抜け出して遊んでいることが直虎にバレると困るから、隠し里には行けないかな?虎松にも注目してみたい。(敬称略)