黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【どうする家康】#43 みんな知ってる関ヶ原、じゃない

こんなに凛々しい小早川秀秋、見たこと無い

 NHK大河ドラマ「どうする家康」もいよいよの第43回「関ヶ原の戦い」が11/12に放送された。最近は関ヶ原の戦い周辺の研究が特に進展しているそうで、昔のドラマや映画で慣れ親しんできた戦いの様相は、まさに様変わりの勢いだそうな。

 そんな中での「どう家」だ。注目のひとりは何といっても小早川秀秋(嘉島陸)。お約束の家康からの「問い鉄砲」はどうした?無いじゃないか。

 ドラマの秀秋は、家臣に徳川方に付いたと言いふらされていると聞かされても「気にするな。戦の成り行きのみを見極めよ」と冷静さを発揮。家康が桃配山から陣を進めた絶好タイミングを見て取ってから凛々しく采配を振るい、大谷軍を攻めよと命じた。

 これが金吾殿?はーっ、こんな彼を見たことは無い。若いのに立派な策士じゃないか。

 小早川秀秋は西軍敗退の最大の裏切り者とされてきた。浅利陽介が2回も大河ドラマではヘナヘナといい感じに演じていたし(たぶん「軍師官兵衛」と「真田丸」)、映画「関ヶ原」でも秀秋(東出昌大)は優柔不断の腰抜けの極みでオロオロし、結局は家老が土壇場で東方と決めちゃう情けなさだ。

 今後のドラマや映画では、「どう家」タイプの秀秋に寄せていくことになるのだろうか。

 ドラマを見るばかりでは史学上の新説なのかドラマ上の独自設定なのかがよく分からず太刀打ちできないので、考え方の拠り所にしようと『歴史街道』11月号を、特集「新・関ケ原」目当てで購入した。

 この類は楽しすぎて時間食いになるのであまり買わないようにしているが、今回はまあいいか。内容にはあまり触れないが、従来の関ヶ原合戦の研究が基礎としていたのは旧陸軍参謀本部が編纂した『日本戦史』と、徳富蘇峰の『近世日本国民史』による事実関係だとのことで(15頁)、それじゃあ既に令和にもなり、議論の余地はたくさんありそうだ。更なる研究の進展が楽しみだ。

 そうそう、ちょうど小早川秀秋を取り上げた「英雄たちの選択」で、磯田道史先生が、歴史を見る時に勝者・敗者だけじゃなく滅亡者の視点を持てと仰っていた。(小早川秀秋の関ヶ原 〜裏切り者か?心優しき若き武将か?〜 - 英雄たちの選択 - NHK

 歴史は勝者のものと言う。しかし、敗者も生きてさえいればなんだかんだと言い訳を連ね、後世に名誉挽回さえ叶うことがある。毛利だって、関ヶ原で負けても明治維新では勝者になった。

 しかし、滅亡者の場合はそうはいかない。死人に口なし、言われ放題、改竄され放題でも誰も庇ってくれないのだ。金吾殿はいい例では?

 となると、西軍の怨霊に悩まされ戦から2年後に21歳で酒浸りで死んだとの有名な話は、ドラマでは違う展開になってくるか?彼が生きていては都合の悪い誰かに殺され、彼にまつわる歴史も改竄されたか?さてさて、どう描くのだろう。

幻の秀頼出馬、陣は玉城?

 さらに話を進める前に、あらすじを公式サイトから引用させていただく。

秀忠(森崎ウィン)率いる主力軍が来ない。真田の罠にはまってしまったのだ。西軍に圧倒的に数で劣る家康(松本潤)は、野戦での勝負を決断。決戦の地に関ヶ原を選ぶ。そして大量の密書をばらまき、敵に切り崩しを仕掛ける。優位に立つ三成(中村七之助)は呼応するように兵を進め、両軍合わせ15万が集結、天下分け目の大戦が始まる!一方、大坂では家康の調略に動揺する毛利輝元(吹越満)に、茶々(北川景子)は不満を募らせる。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 毛利と言えば、空弁当かと思っていたが・・・「吉川様、動きませぬ」「何をしておられるのか」「腹ごしらえをしておるとか」「なにをー!?(怒)」と出陣しない言い訳の話だけかと思ったら、今回のドラマでは吉川広家の兵がガッツリ美味しそうなお握りやらのお弁当を実食し「ゆっくり食えよ~」と広家が兵に命じていた。

 ここは従来の説通りか、広家が動かないことで長宗我部盛親の軍も毛利秀元の軍もつかえて動けず、大軍が無力化された。

 また、大坂にいる毛利輝元。広家が家康と勝手に結んでいる事実を知って「この戦、勝てば我らの天下も夢ではないというに・・・」と悔しがり、さらに家康が「小早川は徳川方と言いふらせ」と命じたせいで、「小早川も家康と手を結んだ」と輝元も信じ、毛利は封じ込められた。その結果、輝元は大坂を動かず、一緒に動くはずの秀頼の出馬が無くなった。

 事程左様に家康の調略はうまく運んだ。なぜこんなにも吉川広家が東軍に従順だったのか、そこら辺の彼への調略具合をもうちょっとドラマで描いてほしかった気もする。

 さて、今作の茶々は秀頼の出馬に積極的で、大坂城に居座る毛利輝元が一向に出陣しないことにイラ立っていた。

 秀頼が、もし西軍総大将の輝元と共に関ヶ原に御出ましとなったらどこに?と考えていたが、ここならぴったりじゃないかと思う場所を「歴史探偵」で紹介していた。大谷吉継陣所からさらに奥にある「玉城」だ。(VR関ヶ原 西軍・幻の大作戦 - 歴史探偵 - NHK)と(「関ヶ原の戦い」 - 歴史探偵 - NHK)なんと、例の関ヶ原合戦図屏風にもそれらしき山城の陣は描かれていた。

 この城跡は「岐阜県不破郡関ケ原町玉」にあって、地区名は「玉」だという。どうして玉?と思ったら、ちゃんと関ケ原観光協会の「関ケ原観光ガイド」に説明があった。(東海自然歩道で巡る玉倉部の史跡 | 特集・モデルコース | 関ケ原観光ガイド (sekigahara1600.com)

 「玉」の名で、もしやそういうこと?と勝手に期待を膨らませたが、残念ながら秀頼には関係が無かった。佐竹氏が築いたとのことで、石田三成や大谷吉継が新たに築いたわけではなかったが、立地は抜群、関ヶ原の戦いの際に再度整備されて利用されたとしてもおかしくはなさそうだ。

 ただ、まだ玉城については歴史家の間で賛否両論あるようだが、想像すると東軍への視覚効果はすごい。正面の玉城を頂点に、西軍が両翼を広げたように東軍を囲む図(鶴翼の陣と言っちゃっていいのかな?)に見えるのではないか。東軍が関ケ原にいざ進軍してきて、大谷勢の背後の山城に豊臣の旗がたなびいていたら。自軍が鶴翼の陣にすっぽりハマっていると知ったら。豊臣恩顧の大名は、間違いなく心理的に追い込まれるだろうな。

 そうなる前に、家康は開戦したのかな。秀忠も待たずに。

 地図をまじまじと見ていると、西軍が玉城を頂点にそういう形に持って行きたいと考えても不思議ではないと思えてくる。それどころか、その方が自然じゃない?とも思う。が、ドラマでは秀頼出馬には至らなかった。そのため今回も西軍敗北。残念でした。

強烈な女の関ヶ原、茶々 vs. 阿茶局

 茶々が秀頼をかなり参戦させたがっていたので、どうした経緯で不可になるのかと見ていたら、やっぱり毛利のせい。とぼけた輝元には茶々様の裏拳がスパーンと炸裂!あれはリアルで叩かれた吹越満は痛かったはず・・・本当にあれが北川景子なのか?と目を凝らして見たぐらいの熱演だった。

 その茶々とやり合った阿茶局(松本若菜)も、負けていないぐらいの怖さ全開。寧々の庇護のもと騒動の中を大坂城から命からがら脱出してきて、いったいどこにあの美々しい彼女用の裃を隠していたものかと思うけれど、相変わらず髪をてっぺんできりりと結い、艶やかな裃姿で茶々に相対した。

阿茶:お目通り叶い、恐悦至極に存じまする。

茶々:徳川殿の御側室がこのような所に乗り込んでこられるとは、なんと豪胆な。毛利に見つかったら捕まってしまいますぞ。

阿茶:その時は、命を絶つ覚悟であります。

茶々:話とは?

阿茶:要らぬお世話とは存じましたが、北政所様も同じお考えであらせられるもので・・・秀頼様におかれましては、この戦にお関わりにならぬが宜しいかと。徳川の調略はかなり深くまで進んでおり、既に勝負も決する頃合いかと。毛利殿が未だご出陣なさらぬのがその証。我が殿は信用できるお方。秀頼様を大切にお守りいたしますので、どうぞお身を徳川にお預けくださいませ

茶々:それは・・・過ぎたる物言いじゃ。身の程を弁えよ!!(護衛の家来が一斉に阿茶に対して刃を向ける)

片桐且元:お控えなされ!

茶々:(気を取り直して)ハハ、なかなかハッタリがうまいようじゃ。秀頼を案じてくれて、礼を言うぞ。

阿茶:どういたしまして

茶々:誠に不愉快なおなごよ。二度とお見えにならぬが宜しい。(笑顔で)帰り道には気をつけよ。

阿茶:ありがとうございます。(立ち去る)

茶々:(感情が高ぶり、叫ぶ)うああ!!・・・はあ・・・。

 こんな風に叫ぶ北川景子が信じられない。身の程を弁えろと言った茶々の官位はどれくらいだったかとネットで調べると、諸説ありながら、従五位下らしい。阿茶局は確か家康死後に従一位に上る人ではなかったか。今から見ると、本来はどちらが身の程を弁えなければならなかったのか・・・という話だな。

 その当時は圧倒的に力があった茶々とすれば、「どういたしまして」じゃなくて「申し訳ございません」だろう!となるが、北政所様の御使いとの触れ込みだから、且元は「お控えなされ」と刀を構えた家来どもに言った訳か。

家康の四男・忠吉はスルー、幼少期以来描かれず

 さて、井伊直政が合戦の大勢が決まってから徳川の鼻先をかすめて退却した「島津の退き口」で島津を追い、重傷を負った。「葵 徳川三代」では島津側まできっちり描かれた有名な逸話だ。「チェスト~!」と高い声で叫ぶ山口祐一郎の島津豊久がカッコ良かったな。

 今回のドラマでは、出陣前の井伊直政が急に昔に帰り「おいらを家来にして良かったでしょ?」「ああ」「おいらもでございます。取り立ててくださってありがとうございました」という家康との出会いの頃を思い出させる「おいら」呼びのやり取りがあった。それで、ああフラグ立ったね・・・と思ったが、直政とは今回でサヨナラっぽい。

 直政が島津の退き口で負傷後、家康自ら薬を塗ったとの逸話もあったように思うが、ドラマもそうだった。腕を怪我した設定だったが、直政の中の人の腕がずいぶんと細くて、これで「井伊の赤鬼」として勇名を轟かしたとはとても見えない。この上腕筋肉の優雅さは(中の人が演じた「青天を衝け」の)民部公子だ、と思った。

 井伊直政を舅とした家康四男の忠吉は、「どう家」では出てこずじまいだった。このドラマの直政はあまりにも小柄で少年らしいままだから、ただでさえ陣羽織や甲冑の中で体が泳いでいそうだと常から感じさせた。そうすると「彼を舅としても不自然に見えない大人の役者」を見つけるのが難しいだろう。子役しかいなくなっちゃいそうだ。

 司馬遼太郎原作の映画「関ヶ原」を再見したら、驚いたことに、快活に忠吉を演じていたのは「どう家」で緊張気味に真田信幸を演じている役者さん(吉村界人)だった。別人のよう。徳川四天王を舅とする役を演じる縁があるとは面白い。

 「関ヶ原」では、福島正則は前回伏見城で散った鳥居元忠が演じていたし、何しろ信長が主役の石田三成を演じている。三成を支える「犬」というか伊賀忍びを演じていたのは、瀬名だった。他にもちらほら「どう家」で知った顔が見えた。(役者の名前を書かないと「なんのこっちゃ?」となりそうだ。)

 関ケ原の戦いの先陣は、直政付き添いの上で忠吉に物見をさせるとの名目で実際は先駆けてしまい、先陣役の福島正則軍を制する形になって正則が憤慨したと記憶していて、映画でもそう描かれていたようだったが、そこらへんも「どう家」では忠吉がいなかった。

 この先陣争い自体も、現在は疑問視されているそうな。だとするとドラマで忠吉が出てこなくても仕方ない。於愛のもう一人の息子は、今後出る予定もなく没するのだろうか。信康の元妻・五徳(秀吉の側室になっていたそうな😢)は、忠吉に土地をあてがわれていなかったっけ。五徳のその後の運命もドラマでは語られないままだったね。

 忠吉に限らず、「どう家」では、家康の子どもの人生はその時々で急に浮かび上がることがあっても、基本的にはフォローされないので全体人数も分からない。最近は結城秀康と秀忠が出ているが、他は母子ともに人数が多すぎて大河では追えないか。神君クラスの大名ともなると、自分の子女といえど、つながりの希薄さはあんなもんが普通なのかもしれない。

 そういえば、信康同母妹の亀姫は元気かな?奥平に嫁いだままで、セリフの上でも全然出てこないのは寂しい。信康の遺児二人も全然出てこないし。女子どもに冷たい。

三成の言葉に揺らがない家康

 戦に敗れ、後ろ手に縛られながらも器用に座る三成と、家康対話の場面。三成に「御説ごもっとも」の呪いの言葉を浴びせられても、家康が動じることが無いのは、もう当たり前だろうと思えた。それは、家康の心の底に瀬名と信康がいることをこちらは知っているからだ。

 普通なら、動じるところだろう。かなり前の家康だったら、例えば三成と同世代の家康だったら、三成の言葉に「そうかもな」と揺さぶられてしまっていたかもしれない。

 でも、それだけ家康は成長したのだ。もう見ていて心配することも無い。力不足で多くの家臣を失ってきて、さらに最愛の妻子を助けられず処分するという、三成の考え及ばない苦汁をなめて犠牲を払ってきたからこそ、既に三成の手が届かないところに家康は到達している。それでもやらねば、と思えるのだ。

家康:戦無き世に出会いたかった。さすれば、無二の友となれたはず。このようなことになったのは、行き違いが生んだ不幸。甚だ残念である。

三成:さにあらず。これは、豊臣の天下のために成したること。その志、今もって微塵も揺らいでおりませぬ!

家康:何がそなたを変えた。共に星を眺め語り合ったそなたは、確かにわしと同じ夢を見ていた。これから共に、戦無き世を作っていくものと思っておった。それがなぜ。なぜこのような無益な戦を引き起こした?死人は8千を超える。未曾有の悲惨な戦ぞ!何がそなたを変えてしまったんじゃ?わしは、その正体が知りたい。

三成:フフフフ・・・ハッハッハッハッハ。思い上がりも甚だしい!私は変わっておりませぬ。この私の内にも、戦乱を求むる心が確かにあっただけの事。一度火が付けば、もう止められぬ恐ろしい火種が。それは誰の心にもある。ご自分に無いとお思いか?うぬぼれるな!この悲惨な戦を引き起こしたのは私であり、あなただ。そして、その乱世を生き延びるあなたこそ、戦乱を求むる者!戦無き世など成せぬ。まやかしの夢を語るな。

家康:それでも、わしはやらねばならぬ。(睨む三成に一瞥をくれて立ち去る)

 家康と三成は元々志をシェアしてはいなかっただけのこと。乱世しか知らないからこその「戦無き世など成せぬ」の三成の思考だったかもしれず、家康の思い違いだった。

 その点では、家康だって生まれてこの方乱世しか知らないのだから、むしろ家康の方がおかしな存在であり、「まやかしの夢を語るな」と言われてもおかしくない。瀬名さえいなければ・・・。

 しかし、松潤と七之助は、戦無き世に出会って無二の友となったか。七之助の、顔の表情筋が凄い。歌舞伎役者の底力を感じる。

先走ってロスになりそう

 一緒に歩んできた家臣にとっても、家康は高みへと昇り、手の届かない存在となってきていたのは同じかもしれない。

 四天王のうち、「天下をお取りなされ」と言い置いて既に没した酒井忠次、そして今回「ついにやりましたな!天下を取りましたな!信長にも秀吉にもできなかったことを、殿がおやりになる。これから先が楽しみだ」と言って早世する井伊直政。残るはふたり、本多忠勝と榊原康政だ。

 予告を見た限りでは、次回でふたりともお別れか。人生のエネルギーを殿のために使い切って退場していくか。何と激しく消耗する人生を歩んでいたのだろう。忠勝は57回も戦場に赴くなど、現代では考えられないくらい心身を酷使して。

 体だけでなく、きっと心も酷使したと思うのだ。戦国武将とはいえ、殺戮に「無」の境地でずっといられるとは思わない。

 初期から出ていたふたりが去ると思うと寂しい。そうだ、お葉もそろそろ亡くなるはず。江戸城にいるらしいから、あと1回ぐらい出てくれないかな。彼女の人生の締めくくりが見てみたい。きっと見事なものだろう。

 家康にはまだ阿茶、本多正信がいる。渡辺守綱もいたね。そろそろ今川氏真も織田信雄も帰ってくるか。ウィリアムアダムズもいるもんね。そうだった、秀忠夫妻には家光が生まれるし、語り部の春日局ご本人がもう出てきても良いはずだ。

 最終回の48回まで、残り5回のラストスパート。先走って寂しがっている暇はないかな。

(ほぼ敬称略)

【どうする家康】#42 関が原前夜。これが見たかった!の鳥居元忠&千代の伏見籠城戦

「彦」鳥居元忠の幸せな最期

 NHK大河ドラマ「どうする家康」は第42回「天下分け目」が11/5に放送された。

 関が原前哨戦と言えば、待ってましたの伏見籠城戦。2万5千の三成方に囲まれた2千の徳川方は、元武田忍者の千代が加わって鳥居元忠(彦)と夫婦で戦うという「どう家」ならではの変調バージョンで描かれた。

 「逃げることは許されぬ。必ず守り通せ」と家康に言われた元忠の最期は既に見えていたが、お涙頂戴のコレが見たかった。あらすじを公式サイトから引用する。

上杉征伐に向かう家康(松本潤)のもとに、三成(中村七之助)挙兵の知らせが届いた。小山で軍議が開かれ、西国大名の多くが三成に付く中、家康は天下分け目の戦に臨むため、西へ戻ると宣言する。秀忠(森崎ウィン)に真田昌幸(佐藤浩市)の攻略を任せ、江戸に戻った家康は、各国大名に応援を働きかける。一方、京では千代(古川琴音)と共に伏見城を守る鳥居元忠(音尾琢真)が、三成の大軍に囲まれ、最期の時を迎えていた。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 「千代は今後お楽しみに」というヒントを非公式ながら横から頂戴した日から、彼女が生き延びているとしたら?とワクワク考えていた。鳥居元忠が隠して手元に置いていたと分かってからは、そうすると必然的に・・・と伏見城での戦いへの期待も大きかったが、やっぱり。期待に応えてくれた。

 ただ、不躾ながら「彦」がなあ。かなり手遅れなんだけど、千代のために、せめてもう少しイケメンにして欲しかった(大変に失礼)。男側からしたら、モテ男でもない老いた彦が美女を娶る夢というかロマンなのかもしれないが、囚われて妻にされた千代の身の上からしたら・・・本当は酷い話だよね。かわいそうじゃないかなー。

 伏見城で奮戦する彦は、竹中直人に見えて仕方ないと家族は言っていた。なるほどそうかも。兜をかぶっているから、露出する部分だけでの印象は似ているかもしれない、「もう少しイケメンにして」と書いた後で、相当失礼なんだけれども(ゴメンナサイ)。

 彦は、旧武田家重臣の馬場信春の娘を、殿・家康にも空っとぼけて隠していた。史実でも彦の側室になったこの馬場の娘を、望月千代がモデルとも言われた手練れの忍びの千代にドッキングさせてしまった「どう家」。なかなかのこのアイデアは、当初からの路線ではなかったらしく、千代人気でそうなったらしいとどこかで誰かの話を読んだ。

 千代は、家康方の服部党の忍び・大鼠に重傷を負わせるぐらいの力量ある女忍者だから、武田家と共にただフェードアウトじゃもったいないもんね。

 ということで、伏見城は千代にとって最高の死に場所じゃないかと思う。元最強武田忍者は、死に際も派手派手しく戦ってくれないとね。彼女は、元忠に感謝していた。

元忠:(負傷して)お前には生きてほしい。

千代:お前様が生きるならな。(布を裂いて手当をしようとする)

元忠:数え切れん仲間が先に逝った。土屋長吉、本多忠真、夏目広次・・・ようやくわしの番が来たんじゃ。うれしいのう。

千代:私も、ようやく死に場所を得た。(手を取って)ありがとう存じます、旦那様。

 凛々しい甲冑姿で城から鉄砲を撃つ様は、「八重の桜」の八重・綾瀬はるかを思い出させた。撃たれて尚、彦に支えられても刃を振るい、闘う姿勢を見せていた千代。命を燃やし尽くしての激闘だった。

 以前京都のどこかで血天井を拝見した時に、鳥居元忠は家康に涙ながらにも見捨てられた捨て石の悲しい最期かとも思った。が、10日以上も粘って西軍を伏見城に引き付けたことで時間稼ぎになり、家康には大感謝されたのは確かだろう。しかも、ドラマでは隣に愛する千代も隣にいて一緒に死んでくれるという・・・幸福な死に方だったのだと思いたい。

 伏見城落城を渡辺守綱から知らされて、家康は「落ち着け守綱!落ち着くんじゃ」と口にした。あれは自分自身に言い聞かせていた。心が動かない訳が無い。しかし「今は誰がどちらに付き、どう動くかをしかと見定める時」だから、すぐには伏見城に赴けない。猛将本多忠勝も陰で涙した。

 伏見城がもっとあっけなく落ちていたら、家康は味方を作るためのお手紙を腕が折れるまで書く暇も無かっただろうし、東西は関ケ原じゃなく東のどこら辺での決戦になったのだろうか。素人考えだが、そうなると家康は不利そうだ。いずれ三成による豊臣政権は瓦解するとしても、家康がその前に命を落としていたかもしれない。そうなったら、秀忠は毛利、上杉、伊達らに対抗できただろうか。

 伏見城と言えば、そんな気はなかったのに仕方なく西軍に参加したと言われる島津。伏見城への入城を申し出て断られたエピソードまではやらなかった。島津は本戦での井伊直政の件で絡んでくるのだから、そこら辺もやるかなと勝手に待っていたが、盛り込み過ぎになっちゃうからか割愛?だった。有名な関が原だけに、前夜でもエピソードは様々ある。

「彦」だけでなく「七」もご退場

 今川の人質時代にも彦と共に家康の傍らにいた「七」、平岩七之助親吉も、ドラマでは小山評定での場面が出演のラストだったらしい。11/10の「あさイチ」で松本潤が言っていて、ええ?そうだったの?となった。古株の彦と七は、今回仲良くいっぺんにご退場だった。

家康:どうした?七。

親吉:ようやく来たんじゃ。わしらはあの時、御方様や信康様をお守りできず、腹を切るつもりでございました。されど殿に止められ、お二人が目指した世を成し遂げるお手伝いをすることこそが我らの使命と思い直し今日まで・・・今日まで(泣く)。その時が来ましたぞ!厭離穢土欣求浄土。この世を浄土に致しましょう。

家康:(無言で親吉の肩を叩いてうなずき、「厭離穢土欣求浄土」ののぼりに共に目をやる)

 ウィキペディア先生によると(平岩親吉 - Wikipedia)、七は家康と同い年で1612年まで生きているから、ドラマではずいぶんと早くいなくなる。七の残りの12年間は触れられないのか?中の人・ハナコ岡部大が年末年始のお笑い番組収録のために忙しいのだろうか?

 改めて振り返ると、ドラマでの七は、信康切腹の場面で号泣してしまって介錯が出来なかったり、家康伯父の水野信元を誅殺したりしていた。正直篤実な性質を家康に信頼され、なかなかの身内関連の修羅場に立ち会ってきている役どころだった。

 今回も、家康次男の結城秀康と共に、背後の会津若松城にいる上杉景勝への抑えのために残った。いわゆる殿(しんがり)なのかと思うと背筋が震える立場だ。関が原本戦と比べると地味だが、信頼されているからこそ任される役目だと思う。

 七の出番がここでお終いということは・・・尾張・義直の付け家老になる話もドラマでは無いのか(家康の子守役がこの人は多いね)。家康と秀頼の二条城での会見は?立ち会わないのかな?それとも既に撮影してあるのか。毒まんじゅうの話はどうするんだろう。

小山評定で、家康がシレっと言った言葉

 有名な小山評定の場面では、本多正信の「褒美をちらつかせての抱き込み」によって福島正則が家康と共に戦おうと場の雰囲気を持って行くはずだったが、セリフを忘れたのか言い淀んでしまいハラハラさせられた。だが、頭に来たらしいワイルドな山内一豊が熱を発しながらうまく呼応してくれ、事なきを得た。

 しかし、どうしても「功名が辻」の上川隆也の優しいイメージが刷り込まれているから、あの山内一豊にはびっくり。戦国時代の武将なんだから、実はあのワイルドさがむしろリアルだったのかもしれないが。

 申し訳ないけどイメージ違いでは藤堂高虎もそうだ。小山評定だけでなく少し前からご出演だったが、本来高虎はかなりの大男だったとの思い込みが私にはある。だから、優しそうなインテリに見える役者さんでそんなに高身長に見えないため、そーなのかーとつい思ってしまった。

 三成の人質に取られるのを拒んで死んだ細川ガラシャの悲報がもたらされ、評定の場が弔い合戦的に盛り上がる・・・ようなことも無かった。それは「葵 徳川三代」で見たのだったか?

 歴史的に有名な場面は既に大河ドラマでは描き尽くされているから、エピソードの取捨選択は脚本家の腕の見せ所。今回、改めて注目させられたのは、「皆を一つにする」ため諸将に対して呼びかける家康の言葉だった。

家康:長く続いた戦乱の世が、信長様、太閤殿下によってようやく鎮められた。しかし、それを乱そうとするものがおる。皆も聞いての通り、石田三成が挙兵した。これより上杉討伐を取りやめ、西へ引き返す。

 ・・・が、ここにいる多くの者は大坂に妻子を捕らわれていよう。このようなこととなり(頭を下げて)誠に申し訳なく思っておる。無理強いはせぬ。わしに従えぬ者は、出て行っても良い。

 だが、考えてもみられよ。皆の留守に屋敷に押し入り、妻子に刃を突きつけるような男に天下を任せられようか!(←石田三成を指す)戦に乗じて私腹を肥やさんとする輩を野放しにできようか!(←真田昌幸を指す)このまま手をこまねいておっても世は騒然、乱世に逆戻りじゃ!

 よってわしは、たとえ孤立無援となろうともこれと戦うことに決めた。全ては、戦無き世を作る為じゃ。安寧な世を成せるかは我らの手にかかっておる!

豊臣諸将:おう!そうじゃ。

福島正則:(本多正信からの目くばせを受けて)おい、みんな!三成に天下を治められると思うか?!毛利らを束ねられると思うか!できるのは内府殿だけじゃ!

豊臣諸将:そうじゃ!

正則:内府殿と共に!

豊臣諸将:おー!

正則:内府殿と共に!(目が泳ぐ)

豊臣諸将:おおー!

山内一豊:うぬ!(立ち上がり、福島正則を尻目に家康の前に膝を付く)内府殿と共に、この山内一豊戦いまする!

豊臣諸将:わしもじゃ!(口々に)おー!

黒田長政:三成などに屈してなるものか!秀頼様を取り返すぞ!

豊臣諸将:ああ!おー!

藤堂高虎:皆の者、大戦じゃ!

豊臣諸将:おー!三成討つべし!蹴散らしてくれよう!そうじゃー!

長政:内府殿、お供しますぞ。

豊臣諸将:おー!

家康:秀忠、初陣につき我が兵3万を預ける。本多正信、榊原康政と共に信濃に向かい、真田を従わせよ

秀忠、康政、正信:はっ!

家康:よいか、石田三成を討ち、我らが天下を取る!

一同:おー!

家康:皆の者、取り掛かれー!

一同:おおー!

 重箱の隅をつつくようだが、家康は「全ては、戦無き世を作る為」「真田を従わせよ」「石田三成を討ち、我らが天下を取る」と意思を表明している。他方、豊臣諸将は「三成討つべし!蹴散らしてくれよう」、そして黒田長政は「三成などに屈してなるものか!秀頼様を取り返すぞ」と仲間に呼びかけている。微妙に異なる点がある。

 「石田三成を討つ」は共通項だ。ただ「我らが天下を取る」と家康が言ってしまうと、「天下=秀頼様」なら豊臣諸将としても問題ないが、「秀頼様から我らが天下を取る」意味ならオイオイ、我らって誰?となる話だ。

 こんな時に、どちらとも取れる微妙な話をしちゃう家康。こんな時だからこそか。タヌキ親父的にはどさくさに紛れてシレっと言っておいて「わし、天下取るって言ったよね?」と後で有無を言わさない方策かな。

稲姫、三代のお家芸を披露

 さて、少し遡って小山評定の場に着陣した真田信幸。先立って「犬伏の別れ」を済ませており、父の昌幸と弟の信繁は来なかった。

 真田一族は関ケ原合戦の場外で台風の目になる。嫡男信幸に徳川からすったもんだで嫁いでいたのが本多平八郎忠勝が溺愛する娘・稲だったから、忠勝が聞く。

真田信幸:遅れてしまい申し訳ございませぬ!真田信幸、着陣いたしました。

徳川秀忠:よう来てくれた。真田、信じておったぞ。

本多忠勝:信幸殿。ひとりか?おやじは?真田昌幸は!

信幸:我が父と弟信繁は、信濃に引き返しました。

秀忠:えっ?

信幸:三成に付くものと存じます。申し訳ござらぬ!

忠勝:婿殿よ。お主も気を遣わんでいいんだぞ。わしの娘を捨てたければ捨てろ。

井伊直政:真田が上杉とつながれば取り囲まれる。やっかいですぞ?

忠勝:婿殿には大いに働いてもらう。今は(肩をバンと叩いて)ゆっくり休め。(さらに強めにバンと叩く)

信幸:はっ!(井伊直政にもバンバンと叩かれ、礼をして下がる)

 稲は、「真田丸」では吉田羊が颯爽と演じていたが、「どう家」の鳴海唯も負けていない。例の有名な見せ場も堂々としたもので、印象は強く残った。彼女は、父・忠勝役の山田裕貴の目元に本当によく似た目をしている。NHKのキャスティング力の素晴らしさよ。

(沼田城外、引き返してきた真田昌幸と信繁)

昌幸:わしじゃ、昌幸じゃ!

信繁:信繁でござる!

(太鼓が叩かれ、武装した稲が格子のうちへ姿を見せる)

昌幸:おお、嫁ご。

稲:何用でございましょう。

昌幸:石田三成が何事がやらかしたようでな。真田が一つになって事に当たらねばならん。入るぞ。

稲:この城の主は我が夫、真田信幸と存じます。

昌幸:ハハ・・・わしを信用できんのか?

(稲が槍を一振りし、太鼓が鳴る。兵が矢を構える)

信繫:何たる無礼な振る舞い!(門に向かって前に出る)

稲:(対抗して進み出て)ここから先は、(右手で槍を地面にドンと突く)一歩も通しませぬ!

昌幸:さすが本多忠勝の娘じゃ。この城を乗っ取るのは止めじゃ。・・・稲、孫たちの顔を見せてくれ。ほんの少しで良い。

(子どもたちが連れてこられる)

子どもたち:じいじ!じい!(馬から下りようとする昌幸)

稲:下りてはなりませぬ。

昌幸:(馬上からしばし孫たちを眺め、無言ながらサインを送り、去ろうとする)

子どもたち:じじ様!じじ!じいじ!・・・

稲:戦が終わりましたら会いにいらしてくださいませ。

子どもたち:(去る馬上の昌幸に)じいじ!じいじ!

 稲の「ここから先は、(槍ドン)一歩も通しませぬ!」、すごい剣幕だった。やるねー。そして、今作の昌幸パパは、抜け目なく沼田城を乗っ取るつもりだった。「真田丸」とは異なる。

 この「ここから先は一歩も通さん」的なセリフは、忠真・忠勝・稲と本多家三代のお家芸。「よ、待ってました!」となったが、待てよ、これは「どう家」だからなのか?と気になって「真田丸」での稲のセリフを確認すべく録画を見てみた。

 「真田丸」では、信幸のふたりの妻・稲と幸(真田本家の出)が人質になるのを避けて上方から落ち延びてきて、沼田城外で昌幸らと会うところから描かれる。そこで稲は、夫の信幸が徳川方に、昌幸らが三成方にと分かれたことを知った。それが夫が考えた「真田が生き残るための策」=方便であり、「実は真田は一つ」だとは、稲は知らない。

稲:お城にお越しなら、夫に成り代わり私がきちんとお迎えせねばなりません。支度を整えてお出迎えいたしますゆえ、しばしのご猶予を頂きたく存じます。

真田昌幸:相分かった。一刻遅れて城に向かう。

(沼田城前)

矢沢三十郎:開門、我ら真田安房守の軍勢でござる。直ちに門を開けよ。

真田信繁:おかしいな(稲が姿を現す)姉上?

稲:(武装して、槍ドン)これより、一歩たりとも御通しする訳には参りませぬ。我が殿、真田伊豆守は徳川方、ならば徳川に歯向かう者はすべて敵でございます。お引き取りを。

昌幸:まあ、そう言うな。敵と言うても我ら・・・。

稲:(家臣に対し命令して)射かけよ!

信繁:待て!

昌幸:フッフッフ。さすがは徳川一の名将、本多平八郎の娘じゃ!源三郎は良い嫁をもろうたのう。

 やはり「真田丸」の稲も、槍ドンしてこれより一歩も通さないと言っていた。そうすると・・・「どう家」では、この稲姫ご活躍の有名な場面から逆算しての三代のお家芸だったのだろうか?だとしたら、面白い。

 「どう家」では、真田家の「犬伏の別れ」は描かれなかった。佐藤浩市パパだと息子二人との会話はどうだったのか、見たかったな。

 ところで、真田信繁(日向亘)と小早川秀秋(嘉島陸)の見分けがつかないのだが。ふたりともキャラが被り過ぎじゃないのか。二役?そんな訳ないか・・・と冗談を言いながら見ている。

 秀秋がなかなかのワルで、これまで見たことが無いタイプだ。しかし「どちらにも転べるようにしておけ」と言える人が、戦後、アル中になって命を縮めちゃうのか?違う死因が用意されているのかな。

阿茶を助けた寧々

 ちょっと気になったのが、前回終わりで大坂城西ノ丸で武装兵に囲まれてしまった阿茶局。助けに来たのが寧々の意を含んだ兵だった。あれは誰?寧々の兄の木下家の兵かな。「真田丸」では混乱のスキを突いて斉藤由貴がゆうゆうと脱出していたが。

 そして、寧々は優雅に茶をたてて阿茶をお出迎えだったが、寧々さんはいつ髪を下ろし出家したのかと疑問に思った。ドラマではまだのようだ。夫秀吉が死んだらすぐにも髪を下ろすのか?と思っていたら、違ったようだ。

 またウィキペディア先生(高台院 - Wikipedia)にお出まし願うと、寧々の落飾は1603年(慶長8年)。養母の死と、秀頼と千姫の婚儀を見届けてから、となっていた。関ヶ原の後で、家康が征夷大将軍になる年なんだね。徳川幕府が開かれ、ある意味豊臣政権に諦めがついたからの落飾、ということもあったのかな?

三成、茶々に踊らされる

 さてさてさて、前回で大谷吉継(今作ではかなり家康とも仲良し)を自陣に引き入れることに成功した石田三成は、「内府違いの条々」を送り奉行らを抑えて他大名らの味方を増やし、「逆賊、徳川家康を成敗いたす!」と高らかに宣言した。

 怖ーいのは、茶々。三成らと共に杯を割って見せ、やる気満々だった。

 茶々は「家康、動き出しました。こちらの思惑通りでございます」との三成の言葉に、「万事、手はず通りに進んでおるようだな」と言った。

 上田に秀忠が釘付けにされた件は「これで家康は本軍無し。我らは秀頼様と毛利殿の本軍をお迎えする」「これで兵力の差は歴然」とのことで、これらは手はず通りの進行だと分かる。

 岐阜城が福島正則に落ちるのも「手の内でござる」と島左近あたりが言ったのがちょっと分からなかったけど、西軍としては、当初は岐阜に東軍を集め、決戦に及びたかったのだろうか。それは「より大きな蜘蛛の巣をもうひとつ張っております」との三成の言葉でわかるように、計画変更になるらしいが。

 これに反応するように「関が原」と言ったのは、よくよく気をつけて見たら徳川方の本多忠勝の方だった。三成方の情報が入っているということか。

 それに「乗ってみるかな」と言える家康。歴史を知らなかったら恐ろしい決断に思えてしまう。

 茶々は「秀頼を戦に出す用意はある。必ず、家康の首を取れ!」と三成に厳命していた。あの、新たに見つかった大規模な城跡(名前が出てこない😅お城専門家の千田義博先生が小躍りしていた、アレです)に秀頼が陣を張ることになっていた、となるのか。茶々の意志があるとしたら、結局秀頼が出陣できなかった理由はどう描くのだろう。

 この「どう家」では、茶々が、家康を片付けるためのグランドデザインを描いているらしいが、傍らに目を泳がせる毛利輝元が控えているのが意味深だ。「どう家」なりの関ヶ原、成り行きを次回、じっくり見定めよう。

(敬称略)

【どうする家康】#41 逆襲のシャアならぬ三成、家康との最後の戦い前夜

最後に向けて盛りだくさん

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第41回「逆襲の三成」が先週10/29に放送された。石田三成は、秀吉死後の五大老五奉行の政を進めたが、朝鮮戦役から戻った加藤清正らの処遇に失敗して混乱を抑えられず、失脚した。

 この「逆襲の三成」というサブタイトルを聞いた時、世代的にどうしても機動戦士ガンダムの映画「逆襲のシャア」を思い浮かべてしまったが(それにしてはすっかり中身を忘れている)、確かあの映画もアムロとシャアの「最後の戦い」を描いたんじゃなかったっけ・・・(気になる人は調べて)。「どう家」の三成と家康も、いよいよ決着が付く「関が原」前夜と言ったところに物語は差し掛かっている。

 「もうお会いすることもございますまい」と家康に告げる三成。中村七之助の、諦めきって覇気も失われた表情がとても良かったよね。

 あらすじを公式サイトから引用する。

家康(松本潤)の決断で、佐和山城に隠居させられた三成(中村七之助)。一方、家康は大坂城・西ノ丸に入り、政治を意のままに行い、周囲から天下人と称されていた。そんな家康を茶々(北川景子)は苦々しく見ている。ある時、会津の上杉景勝(津田寛治)に謀反のうわさが広がる。家康は茶々から天下泰平のため、成敗に向かうべきと諭されるが、大坂を離れることに一抹の不安を感じ、留守を鳥居元忠(音尾琢真)に預けることにする。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 冒頭は重陽の節句での家康暗殺未遂事件が露見しての評定の場。後半の重要人物、大野治長(マッサン)が出てきて流罪を申し渡された。この時、首謀者の前田利長の名前を吐かせるため、家康が信長のように畳をトントン叩いたが、全然信長の凄みは無い。狸として無理をしている。

 この「どう家」ならではのストーリーが、茶々の暗躍。「どう家」家康は「戦無き世を作る」のが宿願であり、「狸は辛いのう」とこぼして「気張れや狸、ポンポコポーン」と本多正信に肩を叩かれているぐらいのお優しい設定だから、彼女みたいな悪役がいないと話が進まない。

 「あらすじ」に書いてあったように「家康は茶々から天下泰平のため、成敗に向かうべきと諭され」たから、大坂を離れ会津の上杉征伐に向かうことになった。黄金2万両、兵糧2万石という多額な資金も兵糧も豊臣から与えられて。

 茶々は秀吉の小田原攻めまで持ち出し、秀吉は北条を大軍勢で囲み「見事、日の本を一つにまとめられた。内府殿もそうなさった方が良いのではないか」「また世が乱れでもしたら・・・ああ、心配な事よ」と言った。

 しかし、大坂を離れた途端に「内府殿のお力で天下が静謐を取り戻すならば結構な事」と言っていたはずの石田三成が、家康討伐を掲げて挙兵。その陰には、茶々から多額の金が与えられていたことが示唆され、大谷刑部吉継が驚愕していた。あっちもこっちも、茶々が両方焚きつけていたのか!と視聴者も驚く。(そういえば大谷刑部の三成への手みやげが干し柿!そうだよね~。)

 茶々・・・とても分かりやすい女狐だ。正月の西ノ丸での家康を囲んでのどんちゃん騒ぎが気に入らず(家康も配慮に欠ける、わざとなら人が悪い)、早々に家康を片付けてしまいたくなったか、それとも虎視眈々と狙ってタイミングを待っていたか。それに乗せられる真面目な三成か。

 遠く上方を離れてから三成挙兵を知り「我々はハメられた」と動揺する徳川陣営に、茶々からの手紙「三成をどうにかして」が届き、家康は空虚に笑う。茶々の二枚舌を理解しての事だろう。

 この茶々からの手紙は実在したのだそうで、そこから物語がうまく発想されている。手紙については最近も絶好調の「かしまし歴史チャンネル」の動画解説で見た。(前述のシャアについてもさすが同世代!同じことを連想していて嬉しくなった。)

youtu.be

 でも、史実の茶々が、三成挙兵に際し、本当に家康を信じてSOSの手紙を書いたのなら、気の毒だ。豊臣存続のために信じるべき人(三成)を信じず、信じてはいけない人(家康)を信じていたことになるか。

 さらに、後世(現代)で神君家康公を輝かせるために、全国放送のドラマでまさかの女狐扱い。私ごときにも、これまでのブログで「禍々しいキャラ」と散々書かれ(ゴメンナサイ)、可哀そうな人物だ。

 ちなみに、西ノ丸での正月どんちゃん騒ぎにも、馬やら書物やらのエピソードが盛りだくさんに仕込まれていたことが「かしまし」動画でわかった。本当にきりゅうさんて博識!

 彼女の凄いところは、歴史の表ネタも学説に基づいて話せるだけじゃなく、さすが元KOEIのライター、アニメなどオタクネタまで網羅しているところ。講談師のような話術もある。そんな解説ができる人はそういないだろう。希有な人だ。

大谷吉継の茶を飲み干す三成

 大谷吉継の病がうつるのを嫌い、誰も彼の後に回し飲みの茶を飲まなかったエピソードは有名だが、今回、これも三成と吉継の固い友情をうまく表現するのに使われた。ここで持ってくるのか~吉継もほだされるよね。

大谷吉継:用意はできたか、三男坊。(武装して出てきたのは三成の方だった)治部?!やめておけ。

三成:今しかない。

吉継:無理だ!内府殿はお主を買っておる!共にやりたいと申された。

三成:徳川殿のことは当代一の優れた大将だと思うておる。だが、信じてはおらぬ。殿下の置き目を次々と破り、北政所様を追い出して西ノ丸を乗っ取り、抗う者はとことん潰して!政を思いのままにしておる。

吉継:天下を鎮めるためであろう!

三成:否!すべては、天下簒奪のためなり!野放しにすれば、いずれ豊臣家は滅ぼされるに相違ない。それでいいのか?家康を取り除けば、殿下の御遺言通りの政を成せる。今度こそ、我が志を成して見せる!刑部!正しき道に戻そう!

吉継:我らだけの手勢で何ができる。

三成:奉行衆と大老たちをこちらに付ければ・・・勝てる。

島左近:(後ろから入ってきて刀を抜き、畳下の黄金を発いて見せる)

吉継:どこから出た!まさか・・・大坂?あ!

三成:(無言で吉継の飲んでいた茶を飲み干す)うつして治る病なら、私にうつせ!

 「どう家」では、三成(というか配下の島左近?)が何でも万全に手を回し、抵抗する吉継(忍足修吾)を自軍に引き入れるパターン。吉継は、伏見城に参陣して家康に「佐和山に立ち寄り、治部の三男坊を我が陣に加えたく存じます」と進言する程だったが・・・ハンセン氏病を患っていたという吉継の心を、茶を飲んでグッと引き寄せた三成だった。

 対して、「真田丸」の石田三成(山本耕史)は、蟄居に至ってまで状況を読めないのか事務処理に最後まで猪突猛進で、ヤレヤレ仕方ないなという感じの大谷吉継(片岡愛之助)が色々と指示を出して各方面に支援を求める手紙を書き、べそをかきながら戦いに臨んで行くパターンだった。

 それぞれの年代で新しい学説をどう生かすか、物語の中で何をどう採用してキャラを作るのか、見比べると面白い。

 考えて見ると、今作の三成は、秀吉を理想として掲げるからこそ、家康が豊臣を滅ぼすパターンしか見えてこないのだろう。秀吉が織田家をそうしたから。そうじゃない道が考えられないのだ。

 この、吉継の茶を飲み干したのは石田三成のバージョンだけじゃなく、秀吉バージョンもあったように思う。

 どこかで読んで信憑性は無さそうだと思ったのが、大谷吉継は寧々さんの侍女が産んだ秀吉の隠し子であり、茶席で秀吉が我が子を不憫に思って庇い、吉継の茶を飲み干したという。

 寧々さんが子が産めない嫉妬から、秀吉の子どもたちが生まれるたびに幼いうちに育たないように毒を盛り(「大奥」の一橋治済ならやりそう、仲間由紀恵も他3人の役者もすごかった)、それでも生き延びた吉継が顔が崩れるような状態になったと・・・寧々さん、散々な言われようだ。ひどすぎる。

 もし吉継が秀吉の子なら、表向き養子にでも何でもして、何としても跡取りにしたのではないかと思うけれど、それも正室の寧々さんの嫉妬が理由で、嫡男にはできなかったって話にされていた。ひどすぎる(2回目)。

 まあ、三成と共に豊臣に殉じたような大谷吉継だから、秀吉とは特別な縁があったに違いないと信じられて、ああでもないこうでもないと物語が練られて寧々さんが犠牲になったのだろう。

 いつの日か、吉継の大河ドラマが作られるのだろうか。私としては小西行長、安国寺恵瓊も加えてもらったら題材として良いと思うんだけどな。

鳥居元忠の名場面、他と見比べてみたかったが

 今回の見せ場は、何といっても伏見城を任された鳥居元忠(彦右衛門)と、家康の別れの場面だと思う。ここは、彼の運命が分かっているだけに、涙無しで見るのが難しい。

家康:この伏見を、お主に任せたい。上方を留守にすれば兵を挙げる者がおるかもしれん。

元忠:(注がれた酒を飲み干して)石田治部殿が?・・・いや~無謀でござろう。

家康:治部は、損得では動かん。己の信念によって生きている。負けると分かっていても立つかもしれん。信念は人の心を動かすでな。わしを恨む者たちが加わらんとも限らぬ。万が一の折、要となるのはこの伏見。留守を任せられるのは最も信用できる者。逃げることは許されぬ。必ず・・・必ず守り通せ。

元忠:(話を聞くうちに表情も引き締まり、威儀を正して)殿のお留守、謹んでお預かりいたします。(頭を下げる)

家康:すまぬ・・・兵は、お主が要るだけ・・・。

元忠:いや、三千もいりゃあ十分で。

家康:少なすぎる。万が一・・・。

元忠:一人でも多く連れて行きなされ。なーに、伏見は秀吉がこさえた堅牢な城。そうたやすく落ちやしませんわい。殿。わしゃ挙兵してえ奴はすりゃあええと思うとります。殿を困らせる奴は、このわしが、みんなねじ伏せてやります。まあ、わしは平八郎や直政のように腕が立つわけでもねえし、小平太や正信のように知恵が働くわけでもねえ。だが・・・殿への忠義の心は誰にも負けん。殿のためなら、こんな命、いつでも投げ捨てますわい。上方は、徳川一の忠臣、この鳥居元忠がお守りいたしまする。

家康:・・・。

元忠:(鼻をすすり)殿にお仕えして五十年。あの泣き虫の殿が・・・よくぞここまで(すすり泣き)。

家康:止めよ。

元忠:そうですな。わあ、めそめそするとまた千代にひっぱたかれる。

家康:やっぱり引っぱたかれとるんではないか。(笑い合う)

元忠:(鼻をすする音)はあ~、殿。宿願を遂げる時でございますぞ。戦無き世を成し遂げてくださいませ。

家康:彦・・・(目に涙をためて)頼んだぞ。

 以前の時代劇でも、同じ別れの場面を見たような気がして「真田太平記」「真田丸」の録画をチェックしてみたが、見つからなかった。たぶん記憶しているのは、笹野高史が元忠を演じた「葵 徳川三代」ではないかと思う。「徳川家康」でも見ただろうか?残念ながらこちらも録画が手元に残っていない。

 小説だと、池波正太郎著「真田太平記」の(六)「家康東下」の巻きの、まさに「家康東下」の章の(一)の終わりに、元忠と家康が別れの酒を酌み交わす場面が出てくる。元忠が笑って「殿、これが殿の御顔の見おさめにござる」と言い、家康は答えず、うなずきもせず、じっとうなだれたまま・・・だった。

 このドラマでは、涙もろい元忠が、昔は泣き虫だった家康を思い出し「よくぞここまで」と終盤で泣き、その涙を押しとどめるように「止めよ」と家康が言った。松潤家康は涙をためたまま。死んでいく彦の方が泣く。

 譜代の家臣を、見す見す死なせなければならない状況に追い込まれている家康。それも、石田治部が信念の人だからだ。厄介な事よ。どちらが悪でもない、うまい話運びだと思う。

 とはいえ、伏見を守る兵が少ない方が、三成への誘い水になる。それを家康も考え、彦も察しただろう。合理的に考えて多くの兵を置くのも無駄。残酷なことだ。

 今作の元忠(彦)は、元武田忍びの千代(馬場信春の娘、古川琴音)を継室にしている。千代にひっぱたかれ、尻に敷かれている暮らしぶりのようだ。忍びだった千代に彦が敵う訳がない。

 次回の籠城戦でも千代はその能力を発揮して活躍するようだから、それはそれで楽しみではあるが・・・彼女の生命を燃やし尽くしての戦いが予想される。武将の嫁は辛いね。

 千代のように、武田旧臣の娘が徳川家中の妻にされている例では、家康の阿茶局もそうだし、故・酒井忠次も、あのド迫力でご出演だった山県昌景の娘を側室にしていたらしい(正室は前も書いた碓井姫)。敗れた家の娘が、褒美の品のように戦後与えられていた、ひどい戦の世。終わらせてほしいと、多くが願ったはずだ。

 ちなみに「家忠日記」を遺した松平家忠も伏見城で命を落とす。ここまでずっと松平家関連の記録を残してくれて歴史家の皆さんは感謝しているだろう。おこぼれに預かる私もだ。

上杉景勝、あれでいいのか

 前回も少し書いたのでしつこくなるが、上杉景勝が見てくれから悪役丸出しの作りで驚いている。上杉謙信を継いだ「義」の武将だよ?そんなはずないよね。

 今回、家康から上洛して申し開きせよとの命令を「ええい!無礼な書状じゃ!」と投げつけ、「大体、家康が天下人だと誰が認めた!秀吉には屈したが、家康に屈した覚えなど無いわ!」と大声で景勝は拒否した。あの表情に乏しく無口な景勝が激高しているなんて・・・一生に1回、猿の仕草で笑った記録があるくらいの人だよね?

 この後、直江兼続(今回も声が良い)に挑発的な返答(有名な「直江状」)を書かせて会津征伐を煽った、「愛」の兜ファンが待ってましたの場面が描かれた。それで家康は、表向き豊臣の大軍を率いて出陣した。

 景勝は、第一次上田合戦で真田と徳川が戦う直前、それまで揉めていた真田家に対して、事情を理解して和を講じ、しかも人質(後の真田信繁)も取らず、親と共に思いっきり戦って来いと言った。真田は徳川に見事勝ち(この時負けたのが彦だったね)、戦後もそれを恩に着せたりしなかった・・・というのが小説とドラマ(演じたのは伊藤孝雄)の「真田太平記」に刷り込まれている上杉景勝の清廉潔白、見事な武将としての姿だ。

 「利家とまつ」ではあの里見浩太朗が演じ、直江兼続(妻夫木聡)が主役だった大河ドラマ「天地人」でも、北村一輝が景勝を演じた。大坂に引き返す徳川を追撃できるチャンスで、兼続を「背後から攻めるのは卑怯」とかなんとか言って止めさせ、徳川軍を潰す千載一遇の機会を失った兼続が地団太踏んで悔しがっていなかったっけ?

 「真田丸」の景勝(遠藤憲一)は、気が弱くて何でも「兼続頼み」だったが、義に篤い武将のイメージは裏切っていなかった。

 それなのに、だ。今作ではどうしてアレ?流布されたイメージを裏切るなら、今作なりの理由づけをしっかりしてほしい。できないなら、せめて眉毛は、中の人の津田寛治の眉毛のまま、普通に演じてくれたら良かったのに。

 「事を荒立てるな。武を以て物事を鎮めることはしとうない」「相手は大老。慎重に進めよ」と、家康に言わせて無理くり善人仕立てを際立たせようとするから、景勝はあおりを食ってしまったのだね。

 家康は狸を演じ、茶々は悲しい過去から女狐になった。それでいいじゃないか。上杉景勝まで巻き込み、誇りを失わせるような悪役的描き方はいただけない。

 ただ、それを受けての家康の参謀チームの状況分析の様子は面白かった。家康の脳内が可視化され、徳川出陣への道が選ばれていく過程が見えた。以前に茶々に諭された通りのことを選ぶ家康。

阿茶:もはや成敗する他ないのでは?威信を見せなければ国はまとまりませぬ。

本多正信:だが相手は上杉。半端な軍勢を差し向けてヘタを打てば、天下を揺るがす大戦になりかねませんぞ。

家康:やるとなれば、わしが出陣せねばならぬであろう。天下の大軍勢で取り囲み、速やかに降伏させる・・・戦を避けるにはそれしかない。

阿茶:願わくば戦場で戦いたいぐらいではございますが、殿のお留守はこの男勝りの阿茶にお任せ下さいませ。

家康:あとは・・・上方を誰に託すかじゃな。

二代目茶屋四郎次郎、三浦按針が登場

 ひっそり出番を終えていたと少し気になっていた茶屋四郎次郎。まさかの眉毛バージョンアップ(また眉毛😅)で「父よりだいぶ色男」の二代目清忠となり、三浦按針の通訳として出てきていた。

 通訳と言うか、「明、朝鮮と戦をして何になりましょう!これからは多くの異国との商いを以て国と民を富ませるのでございます!」と自説を盛大に披露していたが。今回は、中村勘九郎&七之助のご兄弟が所を変え揃ってご活躍だ。

 先走るが、三代目の茶屋四郎次郎は二代目の弟で、家康が死ぬきっかけになったと言われた鯛の天ぷらにも関わっていたとか。もしも、だけれども、もし七之助が石田三成として生きた後に二代目の弟として転生して三代目四郎次郎として出てきたら・・・と考えると面白い。

 まるで三成が三代目になって宿願を遂げるみたいになるじゃない?そんなこと有り得ないか。

 小栗旬が最終回に出る、みたいな報道もあった。そうすると、三代目四郎次郎は小栗旬?家族は「それはいやだ、北条義時で出てきてほしい」と言っていたが。それもそうか。

 さて、四郎次郎と共に「ウィリアムアデムス」、後の三浦按針として「大奥」の青沼様が転生してご登場だった。涙涙の悲劇の最期を遂げられたばかりだから、青い沼にどっぷりはまっていた「大奥」ファンはここでロスを払拭できる。今後、家康のアドバイザーとしていっぱい出てきてほしい。

最後の大暴れ

 そういえば、先走って悲しくなった場面があった。徳川軍が伏見城に参集したところで、ファッションショーのランウェイを歩くように本多忠勝、榊原康政、井伊直政らが入場してきた。

榊原康政:我らの殿がついに天下を取る時が来ましたな。

井伊直政:最後の大暴れといきましょう。彦殿、守綱殿。まだ動けますかな?

鳥居元忠:当たり前じゃ!

渡辺守綱:暴れたくてウズウズしとったわ!

直政:我ら徳川勢が集まった時の強さ、見せてやりましょうぞ。

一同:おう!

 そこで、徳川勢の将の最前列中央に陣取った井伊直政が言った「最後の大暴れ」。そうだね、直政よ・・・💦まだ髭も可愛らしいぐらいなのに、と「おんな城主直虎」ファンとして涙してしまった。彼の短命が惜しい。

(敬称略)

【どうする家康】#40 念入りに老けた「狸」家康、満を持して天下様へ

「狸」の域に達した家康

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第40回「天下人家康」が10/22に放送された。前回、秀吉がおどろおどろしく死んじゃったので今回はちょっと気が抜けてしまったが、残り8回しかない家康はそうも言っていられないだろう。あらすじを公式サイトから引用する。

秀吉(ムロツヨシ)が死去し、国内に動揺が走る。家康(松本潤)は三成(中村七之助)と朝鮮出兵の後始末に追われる。秀吉の遺言に従い、家康は五大老たちと政治を行おうとするものの、毛利輝元(吹越満)や上杉景勝(津田寛治)は自国に引き上げ、前田利家(宅麻伸)は病に倒れる。家康は加藤清正(淵上泰史)ら諸国大名たちから頼られる中、やがて政治の中心を担うようになる。そんな家康に野心ありと見た三成は警戒心を強め、二人は対立を深めていく。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 秀吉という絶対的なリーダーがいなくなり、石田三成が理想を燃やす五大老五奉行という合議体ができた。いくら「やってみろ」と秀吉に言われたからといっても、人への心配りに欠ける三成が実情無視で押し進めては、物事はまとまらない。そうすると、世は次第に乱れていくだけだ。

 今回、乱世への逆戻りを恐れた家康が、本多正信の助言で手を打った。朝鮮戦役で不当評価を受け、「全部三成のせい」と不満を抱える諸将との縁組(婚姻)により、彼らを手なずけ暴発を防ぐつもりだ。

 だが、「あの御人は狸と心得よ」「あの御方は平気で噓をつくぞ」と、毛利輝元と上杉景勝コンビ、そして茶々により家康への不信感を植え付けられていた五奉行筆頭の超素直でまっすぐな三成には、「天下簒奪の野心あり」と見られてしまった・・・と、家康の言い分はこんなところだ。

 でも「そんな気はない」と言っても、誰も信じない。それは前田利家が言ったように、伝説上のオロチのように見られ、恐れられているから。その域になると、相手に何をどう言っても、「オロチだぁ」となってしまって、単なる話が簡単には通じない。

 それがオロチでも狸でも遠ざけ逃げたい点では同じこと。両者のニュアンスの違う点は、オロチ=ただただ怖い、狸=化かされるという、後者は不実で信頼性が揺らぐイメージがある点だ。

 だが、こうも言えるだろう。「この人が言うことには、もしかしたら実があるのかも」と思わせるような魅力があるからこそ、人はその相手を「狸」と呼び、予め自分の警戒心を呼び起こし、距離を取ろうとするのかもしれない。そうしないと煙に巻かれ、惹きつけられてしまうから。それほど、オロチに対して狸が魅力的であることの裏返しなのかと思う。

 私は、家康は秀吉没後のこの時期、反三成派の諸将と縁組を進めたのは、五奉行五大老という自分を押さえつける枠を破るため、自分の派閥の仲間づくりをしたと理解していたので、ドラマではそれをどう正当化して家康のために美しく描くのかなと考えて見ていた。

 そしたら、乱世を望む諸侯の動きに抗い再度戦乱の世に戻さないための、家康なりの努力だったと・・・正式な手順を踏んでいたら手に負えなくなると判断したのだと。家康なりの、善意からの行動だったとした。この時の、秀吉の置き目破りの婚姻政策を実行するにあたり、本多正信のアドバイスは以下の通り。

  • 勇ましいことをすると危ない。裏で危なっかしい者どもの首根っこを押さえるぐらいにしておくのがよろしいかと。
  • 相談すれば異を唱えられる。しらばっくれて、こっそりやるのみ。
  • (糾弾されたら)その時は、謝る。

 それで、やっぱり来てしまった糾問使に対し、家康は、秀吉亡き今、婚姻の許可は要らないと誤解していたと言って「いや、わしとしたことが、うっかりしておった。いや、すまなんだ。ほんの行き違い」と謝った。同時に、正信はぬかりなく脅して見せた。

本多正信:我が主はあくまで、奉行の皆様を陰ながら支えるためにやったこと。殿下の御遺言を忠実に実行しております。処罰には値しません。何せ徳川家中には、血の気の多いものが数多おりますでな、殿の御身に何かあれば、一も二もなく軍勢を率いて駆けつけてしまう・・・(略)。

 家康も、「言うことを聞かん奴らでな、わしも手を焼いておるんじゃ」と困ったふりをする芝居っぷり。家康を「狸」にしたのは、傍にいる大狸の正信だった。

 前回、酒井忠次に「天下を取りなされ」と言われ、秀吉にも「天下はどうせお主のものになるんじゃろう」と言われた家康。これまで彼の心の中で積み上がってきた天下への道は、既に総仕上げの段階を迎えているはず。

 「天下簒奪の野心あり」どころか、家康の悲願であり、やるしかないと判断していると、ドラマを10カ月見てきたこちらはよく知っている。手をこまねいている方が不実であろう大きな存在(オロチ)に、既に家康がなっていることは、前田利家が指摘した前述の通り、自他ともに認めるところまで来た。あとは良きタイミングを待つだけだった。

 天下簒奪という言葉は「無理やり」というニュアンスがあるし、天下を取って覇を唱えたいとか、支配欲の権化のようなイメージがある。ドラマの秀吉のように勝手放題したいんだろうな、と。だから順番待ちの家康の場合は、そのイメージを嫌い、天下が転がり込むのを、狸に成って、待てるだけ待ったのだろう。

修正された七将による三成「襲撃」事件

 五奉行五大老制度が瓦解して家康が天下様と呼び称されるまでの過程で、朝鮮で苦労させられてきた七将による三成「襲撃」事件が起きたとこれまでは言われていたが、研究が進み、それは否定されてきたようだ。

 文禄・慶長の役が秀吉の我がままによるものであり、それで壮大な無駄をさせられ生きるか死ぬかの苦汁をなめさせられて徒労感いっぱいの皆でも、死んだからといって秀吉のせいだとは当時とても言えない話だ。

 だから矛先は奉行ら、筆頭の三成になるのは自然だろうとは思うが、ドラマではうまく運んでいた。

 三成が疲弊の極みで帰ってきた諸将出迎えの場で「戦のしくじりは不問に」と言い出し、労いの茶会を催すと言って、皆をキレさせた。その際のつわもの・加藤清正の涙目の演技がとても良かった。三成の茶なんかじゃなくて「わしが皆に粥を」と返したが、それでも三成は「わしは何も悪くない」と寧々に言ってしまうので、救いようがない三成よと、こちらにしっかり分かった。

 7人は行動を起こし、三成を奉行から外すように単に訴えようとした(この時点では武装していない)。だが、三成の方が伏見城内の自分の屋敷に武装して立てこもった。それで城の周りを武装した7人が囲み、騒動になった。(その騒動のとりまとめは家康だけでなく北政所が最終的に収集したらしいがそこは描かれず。)責任については、家康が他の大老とも調整して三成を奉行から外し、佐和山隠居を申し渡すつもりが、三成が自らそう申し出て、家康は次男・結城秀康を付けて佐和山まで三成を送った・・・と今回のドラマで見た。

 「真田丸」以外のこれまでの時代劇や小説だと、概ねそうではなかった。武装した七将に追われた三成が、こともあろうに家康の屋敷に逃げ込んで家康に庇護を乞う。それで「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」などと家康は言って、七将から三成を守り、場合によっては、三成の兄が身代わりになっている隙に三成は家康の忠言を入れて屋敷を脱し、佐和山へと逃げる。そんなスリリングで面白い展開に仕立てられてきたように思う。

 でも、そうじゃなかったとはっきりしてきたらしい。

 このあたりの学問の進み具合は、「どう家」時代考証の平山優先生の旧ツイッター(現X)での力の入った解説の連投がとても面白いのでぜひご覧あれ。

 また、徳富蘇峰や旧日本軍のせいでスリリングな話が拡大再生産されてきたというのは、こちらの動画に詳しい。そうだったんだねー。

youtu.be

アラカン家康、シミがてんこ盛り

 今回、松潤家康の見てくれがまたグッと老けた造りになった。この老け見えの進み具合も、長丁場の大河ドラマならではの見どころの1つだと思っている。

 アラカン家康は太り、首回りもたるみ、顔がシミだらけ、目もたれ目、そして体全体に厚みが出ていた。衣装の下には肉襦袢をたくさん着込んでいそうだ。

 全体的にたるんできていたが、アラカンってそんな見方がされているのかとアラカン世代としてやるせない。まあ、昔は年齢3割増しというから、現代の78歳当たりの風体があれか。もう軽やかな海老すくいは踊れないだろうね。それにしてもあのシミ、メイクさんは描くの大変だろう💦

 しかし、声は隠せないものだ。家康が多少大きめに発声した時に若さが感じられてしまった。すぐに低めに戻ったものの、あ~勿体ないと思った。松潤は歌い手だけに、声が伸びやかなんだね。

 ついでに、他のキャストの老けっぷりはどうだろう。家康よりも年上の本多正信(松山ケンイチ)は、あまり老けて見えない。常に何か食べて補給しているからか。頭脳労働のために食べていると思ったが、若さキープにもなっているか。

 本多忠勝は家康よりも5歳程度しか若くないはずだが、それでいいのか!と思うぐらい、そのレベルよりも若い。山田裕貴の隠しきれないツヤツヤのお肌が気になる。

 家康、正信、忠勝の3人がいると、なんか松潤家康ばかりが念入りに老けさせられているように見えてしまう。「それは天下人になる心労からなの?」と考えることにしようか。

リアルアラカンの宅麻伸(前田利家)

 今回は、秀吉没後の前田利家の去就が大きな影響を持つ時期を描いていた。秀吉と若い頃から親しかったはずの利家は、今作では若い時には全然出てこなかったが、秀頼の守役として秀吉が死んで大きな力を持つ。しかし、すぐに死んでしまう。

 天下に近づいたここぞという時にすぐ死んで、敵に大いに喜ばれる例では、武田信玄、上杉謙信がいる。さすがの大物だ。前田利家も秀頼を支えるポジションではあるが、あるいは同列に入れてもいいのかも・・・何の同列って、もしかして手練れの忍びによって毒殺されたんじゃないの?の私の妄想のラインだ。将来、何か文献が出てこないかな、出てこないか。

 今作では宅麻伸が利家としてご出演、二大老として松潤家康と並んで座るツーショットの場面もあったため、不自然じゃないか変に心配した。

 松潤は顔が小さい。いくら念入りな特殊老けメイクを施されていても、並んでしまえば、見栄え的にふたりの間に親子ぐらいの年齢差がハッキリと見えてしまうのではないかと・・・そうすると、お芝居に集中できなくなるから。

 でも、宅麻伸は健闘した。並ぶことで家康のリアルな若さが際立ってしまうよりも、元々がハンサム、実年齢の割に美しく若い宅麻伸の方に引っ張られて(?)家康と、同世代が語り合うお芝居をちゃんと観ることができた。三成への「政は道理だけではできん!」も、良かったなー。

 もっと若い頃から秀吉サイドで妻のお松さんと出してくれたら良かったのに、そうすれば三成に物申せるのも当然と分かる。実は、ここまで引っ張ってくるからには、「利家とまつ」の唐沢寿明がご出馬するのかとちょっと期待していた。外れたが。

 利家に引き換え、毛利輝元と上杉景勝の見てくれはあれでいいのか?必要以上に老けさせちゃっていないか・・・やりすぎると白けちゃうのだけれどなあ。三成と同世代と聞いたけど、とにかく景勝の眉毛は奇異だ。そして輝元には家康に対抗すべく4奉行が頼ったらしいが、そのカリスマはいったいどこへ。

 三成の、素っ頓狂なまでの真っすぐさを表すための若々しい造りを出すため、ふたりでバランスを取っているのか。もう撮影も終わっているけど、ちょっと修正してほしかったな。

(ほぼ敬称略)

【どうする家康】#39 徳川の大番頭・酒井忠次にお別れ、秀吉最期はホラー

秀頼誕生から秀吉の死へ、話が一気に進んだ

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第39回「太閤、くたばる」が先週10/15に放送された。早速あらすじを公式サイトから引用しておこう。

茶々(北川景子)に拾(ひろい、後の秀頼)が生まれた。家康(松本潤)の説得により、明との和睦を決めた秀吉(ムロツヨシ)。しかし、石田三成(中村七之助)たちが結んだ和議が嘘とわかると、朝鮮へ兵を差し向けると宣言、秀吉の暴走が再び始まった。都が重い空気に包まれる中、家康は息子の秀忠(森崎ウィン)を連れて、京に隠居していた忠次(大森南朋)を訪ねた。忠次から最後の願いを託され悩む家康に、秀吉が倒れたとの知らせが届く。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 今回を入れて残り10回。道理で進行にものすごく巻きが入った。前回終わりで懐妊を告げられた将来の秀頼は、今回頭でご誕生。終わりで秀吉が死んだので、今回だけで1593年から1598年まで突っ走ったことになる。

 主人公家康は、ようやく50歳超えかとうかうかしていたら一気に数え57歳へ。急に老けた神君だ。

 このドラマでは、そういえば千利休も出てこなかったし(たぶん)、秀次事件も家康のセリフ以外では取り上げない。茶々の妹である江が家康の嫡子秀忠に嫁いでいるのだし、あれやこれやが茶々3姉妹絡みであったのではないかと妄想が膨らむポイントだったが、それも無い。成長した初はどこだ?大坂の陣の講和交渉まで出てこないのか。

 色々あったはずなのにね、すごく大胆な割愛だ。

 そして秀忠と江夫妻にはいきなり千姫が生まれ、家康は、死に目の秀吉に、幼い彼女を秀頼と娶せるように言われ、承諾した。

 物語はホップステップジャンプ、バッタバッタとドラマの主要人物たちもこの世を去っていった。今回花道を飾った酒井忠次と双璧を成した石川数正、そして大久保忠世、服部半蔵。この3人はそれなりに見せ場の回があったが、死んだことなどは触れないのだね。天下を語る殿にとっては枝葉末節か。

 数正は名護屋で家康家中に会っていたのではないのか、死ぬ前に殿との邂逅の場面でも、と期待したがそれも無かった。井伊直政が「裏切り者」数正との同席を嫌がったという逸話は、いつの話なのか。それも無かったが。

 半蔵はまだ50代。どう死を迎えたのか、「どう家」なりの解釈で描いてほしかった気もするが、山田孝之を欲しがり過ぎかな。

 ちょうど良い記事があった。(「どうする家康」秀吉&忠次W退場だけじゃない…他に一気6人も没年 ついに関ヶ原2年後に迫る (msn.com)

 前回第38話「唐入り」(10月8日)のラストは、文禄2年(1593年)5月。史実上、第39話ラストの慶長3年(1598年)までに没年を迎えている今作の主な登場人物は、

 石川数正(松重豊)=文禄2年(1593年)10月(諸説有):劇中最後の登場は第34話「豊臣の花嫁」(9月3日)

 大久保忠世(小手伸也)=文禄3年(1594年):劇中最後の登場は第37話「さらば三河家臣団」(10月1日)

 豊臣秀次(山下真人)=文禄4年(1595年)劇中最後の登場は第38話「唐入り」(10月8日)

 茶屋四郎次郎(中村勘九郎)=慶長元年(1596年):劇中最後の登場は第29話「伊賀を越えろ!」(7月30日)

 酒井忠次(左衛門尉)(大森南朋)=慶長元年(1596年)(劇中と相違)

 服部半蔵(山田孝之)=慶長元年(1596年):劇中最後の登場は第38話「唐入り」(10月8日)

 足利義昭(古田新太)=慶長2年(1597年):劇中最後の登場は第38話「唐入り」(10月8日)

 豊臣秀吉(ムロツヨシ)=慶長3年(1598年)

 ということで、こちらの記事によると、茶屋四郎次郎も足利義昭もこの世を去っていた。義昭は前回のブログでも書いたようにご活躍があったから良いとしても、茶屋四郎次郎(中村勘九郎)はあのまま?ちょっと扱いが冷たい・・・と思ったら、中の人のリアル弟(中村七之助)が交代で石田三成として活躍し始めていた。そういうことかな。

希有な存在、家康のダブル叔母・碓井姫(登与)

 今回の見せ場は、酒井忠次の最期だった。初回を見返したくなるような「頼朝公の生まれ変わり」との同じセリフ。家康が岡崎に帰って久しぶりに対面した時に忠次の口から出た称賛の言葉が、また若き秀忠に対して出てきた。

 於愛に似て顔の彫りが深く明るい秀忠(森崎ウィン。「パリピ孔明」も良かったよ~)は、忠次による「本家」海老すくいを見たくてしょうがない。「願わくば一目だけでも本家本元のアレをと」と所望された忠次も、体調も構わずよっしゃとばかりに立ち上がるのだが、その時に、同時に気合を入れて立ち上がった妻の登与がとても微笑ましかった。

 「恐らくこれが酒井忠次、最後の海老すくいとなりましょう。とくとご覧あれ」と言った忠次は、縁側で登与の拍子で舞い始める。目を患っているのに落ちないか心配したが登与がいるから大丈夫。その後、秀忠に家康、井伊直政も交え、みんなで楽しく海老すくいと相成った。

 初回でも、登与は忠次と喜々として海老すくいを踊っていた。初回を懐かしく思い出させる仕掛けだろう。

 登与(碓井姫)は、家康の叔母。前も書いたが、珍しいことに彼女は家康にとって二重の叔母という希有な存在だ。確か家康の祖父清康が、於大を産んだ後の絶世の美女・華陽院(家康祖母)を妻に迎えて娘をもうけたのが彼女であり、父・広忠の妹であり、母・於大の妹でもある唯一無二の人だ。

 碓井姫は初婚ではないらしいが、それでも彼女を妻としてもらい受けている酒井忠次が、いかに松平の家で掛け替えのない重要人物であったかがわかる。駿府で人質生活を送る幼い主君に代わり、家中をまとめていけたのは、碓井姫を妻にし殿の義理の叔父の立場にあった忠次の他にいないだろう。

 しかも、その知力と武勇と、欠けることのない武将である忠次。正に完璧。彼が下剋上もせずに大番頭として存在してくれたのは奇跡だ。そうか、忠次に万が一にも下剋上をさせないための松平からの重しが、碓井姫だったのかな。

 家康も、忠次のありがたみは十分に身に染みていたようだ。「お主がおらねばとっくに滅びていた」と言っていたぐらいだから。

酒井忠次:唐入りはどうなりましょう?これで片付くとお思いですかな?

家康:(薬を煎じている)かつて信長様が言っておった。

忠次:信長様が?

家康:安寧な世を治めるは、乱世を鎮めるよりはるかに難しいと。

忠次:あ~、まさに。(家康に向かってにじり寄ってくる)

家康:うん?(右肩に両手を掛けられ)何じゃ?(両腕で抱きしめられる)ちょ、おいおい(笑)、やめよ。

忠次:ここまで、よう耐え忍ばれましたな。つらいこと、苦しいこと、よくぞ乗り越えて参られた。

家康:何を申すか。お主がおらねばとっくに滅んでおるわ

忠次:それは違いますぞ。殿が数多の困難を辛抱強くこらえたから、我ら徳川は生き延びられたのです。殿、ひとつだけ願いを言い残してようございますか。

家康:何じゃ。

忠次:天下をお取りなされ。秀吉を見限って、殿がおやりなされ

家康:天下人など、嫌われるばかりじゃ。

 ここで時は3カ月後に飛んでしまう。まだふたりの会話は続いていたのに・・・この脚本家の得意な手法だ。こんな大事な場面でお預けを食らうのは、やっぱりイラつく。もったいつけるのも大概にしてもらいたいなあ。

 ここで忠次に何を言われたかで、後の家康の心証は確実に変わる。どんな心持ちでその後を行動したのか、改めて録画を見直してみてね、ということなのか。

 そして3カ月後、雪のちらつく中、縁側で甲冑を身に着けるヨボヨボの忠次は「殿から出陣の陣振れがあったんじゃ(気のせいだろう)、参らねば」と登与に言い、立ち上がるが庭先で崩れ落ちた。登与は手伝い、ほどけた甲冑をひもで結ぶが、忠次は事切れていた。

 登与はそれと察し、亡くなった夫に向かって両手をつき「ご苦労様でございました」と頭を下げた。後述する秀吉と茶々との姿とは対照的な、徳川の屋台骨を支え合ってきた老夫婦の麗しい姿。書いているだけで涙がこぼれてくる、ベテランふたりによる名場面だった。忠次も数正も、理想的な良い妻を持っていたね。

 先ほどの忠次との会話の続きは、ドラマの最後にワープ、家康の脳内での回想という形でようやく見せてもらえた。

家康:天下人など、嫌われるばかりじゃ。信長にも、秀吉にもできなかったことが、このわしにできようか?

忠次:ハッ(笑う)・・・殿だから、できるのでござる。戦の嫌いな殿だからこそ。嫌われなされ。・・・天下を取りなされ!

家康:(忠次を見つめたまま、一筋の涙をはらはらとこぼす)

 家中の筆頭、大番頭として徳川をずっと見守ってきた忠次は、家康が弱虫泣き虫鼻水垂れであったことを十分承知だ。どう見ても頼りない殿であった。視聴者のこちらもずっこけるくらい。その忠次が「天下を取りなされ」と言ったから、家康の心に響く「天下取り記念日」になったはず。

 思えば、家康に期待される役割は表向きはナンバー2ばかりだったのに、本当は彼こそがトップに立つべきと考えていたのはEU的ユートピアを提唱していた瀬名だった。そこに、実子・信忠の存在をものともせず、愛ゆえに(?)国譲りを持ち掛けた信長もいた。後で書くが、秀吉もその列につながるか。

 徳川の家老双璧だったひとり、石川数正も家康に期待するからこそ、徳川を救うために我が身を捨てて去った。そして残る忠次が、死に際にしっかりと殿に覚悟を促した。

 こうやって、みんなが家康にトップに立て立てと優しく優しく誘導してくれての天下人家康誕生となるのだなあ。ガツガツ家康じゃなく、嫌だけど仕方ないなあ、の家康。神君だから生まれが違うのだな。

 家康が思い描いていた天下人の姿は、多分にそれは前任者らに影響を受けていたようだけれど、それを忠次は違うと笑った。「戦が嫌いだからこそ、出来る」という、忠次に見えていた有りよう。ここぞというところで勝ってきた彼が、出来ると言うのだから出来る、そう家康も信じられただろう。秀吉が死んだ今、瀬名の木彫りの兎を箱から取り出すのも、そろそろだ。

秀吉➡家康の国譲りは完了

 さて。サブタイトルが「太閤、くたばる」だから、それを書かない訳にいかない。今作の秀吉は、ゲスでも頭の切れるサイコパスだと巷間言われている。自分が死んだら豊臣も終わりだと理解していて、次は家康だともわかっている(というか、自分が家康から奪ったと思っている?)という点で、これまであまり見ないタイプの秀吉に思う。

家康:家康にございます。

寧々:おふたりだけに。

秀吉:秀頼を頼む。

家康:弱気になってはいけません。

秀吉:秀頼を・・・。

家康:無論、秀頼さまはお守りいたします。

秀吉:そなたの孫・・・千姫とくっつけてくれ。

家康:仰せの通りに。しかしその前に、殿下にはまだまだやっていただかねばならぬことが。

秀吉:秀頼をな・・・。

家康:殿下。(立ち上がり、近くへ)殿下。この戦をどうなさるおつもりで?世の安寧・・・民の幸せを願うならば最後まで天下人の役目を全うされよ。

秀吉:そんなもん。嘘じゃ。世の安寧など、知ったことか。天下なんぞ、どうでもええ。秀頼が幸せなら、無事に暮らしていけるなら、それでええ。(立ち上がり、家康の方向へ歩いてくる)どんな形でもええ。ひでえことだけは、のう?しねえでやってくれ。のう?頼む。あ・・・(家康に抱きとめられる)

家康:情けない・・・これではただの老人ではないか。

秀吉:ああ・・・天下はどうせ、おめえに取られるんだろう

家康:フフ・・・そんなことはせん。(秀吉を下ろし、背中をトントン)わしは、治部殿らの政を支える。

秀吉:白兎が、狸になったか。知恵出し合って話し合いで進める?そんなもん・・・うまくいくはずがねえ。おめえもよう分かっとろう。(家康を小づく)今の世は、今のこの世は、そんなに甘くねえと。豊臣の天下はわし一代で終わりだわ

家康:だから放り出すのか。唐、朝鮮の怒りを買い、秀次様を死に追いやり、諸国大名の心は離れ、民も怒っておる!こんな滅茶苦茶にして放り出すのか!

秀吉:ああ、そうじゃ。な~んもかんも放り投げて、わしはくたばる。あとはおめえがどうにかせえ。ハハハハハハハハハハハ!(咳き込む)

家康:死なさんぞ、まだ死なさんぞ。秀吉!(秀吉、息を止めているが堪えられなくなり、ハッと息をする。家康、様子を見ていたが)猿芝居が!(バン!と畳を叩く)大嫌いじゃ!

秀吉:・・・わしは、おめえさんが好きだったに。信長様は、ご自身の後を引き継ぐのはおめえさんだったと、そう思ってたと思われるわ。悔しいがな

家康:天下を引き継いだのは、そなたである。(座り直して)まことに見事であった。

秀吉:う~ん・・・すまんのう(頭を下げる)うまくやりなされや

家康:二度と、戦乱の世には戻さぬ。あとは、任せよ。

秀吉:(鈴を鳴らし)お帰りだ。(家康が去り、控えていた寧々が顔を出し、ほほ笑んだ)

 秀吉は、「後は任せよ」と家康が言って安心したようだった。力だけを信じる秀吉には、(三成へのカッコつけの二枚舌が、トラブルの種になるが)実は合議制は限りなく甘く見える策だし、自分が織田家にした仕打ちを考えれば、秀頼が天下人になることは考えられもしなかっただろう。秀頼が今後無事であれと願うのが関の山だった。

 しかし、家康はまさに人たらしのお株を奪う狸に!あれだけ「滅茶苦茶にして放り出すのか」とモンクを言い募っていた舌の根も乾かぬうちに、「見事」と褒めてやるのだから。そして、秀吉➡家康の国譲りは完了した。

この時を待っていた茶々

 物語的に盛り上げようとしているのは分かるのだけれど・・・割って入る役回りなのが茶々。母に誓った「天下を取る」の言葉を実現しようと、ここまで全身全霊で彼女なりに戦ってきたのだ。

 秀吉が倒れた時、茶々以外の全員が慌てて秀吉に駆け寄っているのに、彼女は庭の隅でゆっくりと立ち上がり、青白い炎が立ち上ったような表情からもこの時を待っていた感が溢れ出ていた。そしていよいよ秀吉の臨終の場面でも、苦しむ彼の手から呼び鈴を遠ざけ、一言。

茶々:秀頼はあなたの子だとお思い?(かぶりを振って)秀頼はこの私の子。天下は渡さぬ。後は私に任せよ。猿。

秀吉:(ニヤリと笑って事切れる)

茶々:(顔を見て死を確認、秀吉の亡骸を抱きしめ、泣く)

 秀吉が笑ったのも、おめーさんにはできねえよ、徳川殿も大変なこって、後の顛末は地獄から見せてもらうよ、といったところか。やっぱり女狐の茶番だったか、わかってたよ、という気持ちもあったかな。

 秀吉が死んでいく顔は、あまりにリアルに見えて、血のりも相まってほぼホラーだった。NHK大河でここまでやるのか。昨年の「鎌倉殿の13人」でもワダッチこと和田義盛の死に顔がリアル過ぎて、しばらく夢にも出てきて困ったが、秀吉の死に顔が出てきたらやだなあ。

 その後、和田義盛を演じた横田栄司は体調を崩したとのニュースを見たが、茶々の北川景子は大丈夫か。(本人の考えはともかく)役の滅びに魅入られてしまったかのような竹内結子の気の毒な例もあるし、つくづくメンタル的にタフじゃないとできない禍々しい役が茶々だと思う。

 茶々は、血を吐く秀吉の顔を両手でつかみ、死んだと分かって抱きしめて泣いた。秀吉への愛憎など諸説あると思うが、その時の茶々の主な感情は「母上、とうとう茶々は復讐をやり遂げました」の方だろう。とても素直な泣き顔に見えた。信じられないくらい精神的負担の大きい生き方をしてきて、耐えて耐えて耐え忍んできて得た結果だから、達成感は大きかったと思う。

 今後は茶々が三成らを翻弄して家康と戦っていく路線。茶々の戦いは続く。北川景子には頼りになる夫・DAIGOもいて美味しいご飯を作ってもらえると思うが、心身の健康にはどうぞケアを怠りなく、茶々を演じ切ってほしい。

秀吉の言葉と茶々に翻弄される三成

 秀吉の良い面だけを見せられ、言い残された三成も気の毒な。「天下人は無用と存じまする。豊臣家への忠義と知恵ある者たちが、話し合いを以て政を進めるのが最も良き事かと」と具申したら、秀吉は「わしも同じ考えよ。望みはひとえに世の安寧。民の幸せよ。治部。よい、やってみい」と認められた。

 三成は嬉しかっただろうが、そこは二枚舌、三枚舌の秀吉だ。既に引用したように、家康には異なることを言った。そちらが本心だろう。 

 「天下人を支えつつも、合議によって政を成す」という三成の理想は・・・その試みはこれまでも先人がやり続けて、合議体が形骸化して戦乱に陥るの繰り返しだったのだと思うが、三成亡き後260年も続く完成形が徳川の世で叶うことになる。皮肉だ。

(敬称略)

【どうする家康】#38 傾城の女狐・茶々は意志を秘めて悪女全振り、家康の防波堤は阿茶局

なんかちょっとマンガチック

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第38回「唐入り」が先週10/8に放送された。あと10回かと思うと感慨深い。残り10回で、女狐お茶々を打ち破って天下泰平の世を築けるのかタヌキ家康!狐と狸の化かし合い!みたいな流れになってきた。

 何とも善悪がはっきりし過ぎ、茶々が全部悪を被る方向(でも麗しい悲劇のヒロインなのよ)なのがどうもマンガチックだ。ジャニーズ崩壊といえど、松潤を悪者には「絶対」しないんだろうね。既定路線、当たり前か。そう考えると、岡田准一は爽やかとは縁遠い、思い切った信長を演じたものだ。

 公式サイトからあらすじを引用する。

天下統一を果たした秀吉(ムロツヨシ)は、次の狙いを国外に求めた。江戸開発に勤しんでいた家康(松本潤)をはじめ、諸大名を肥前名古屋城に集め、唐入りを命じる。朝鮮に渡った加藤清正たちから連戦連勝という知らせが届き、秀吉はご満悦だが、家康は苦戦を強いられているという裏情報をつかむ。家康は石田三成(中村七之助)と共に渡海しようとする秀吉を必死に止めようとする。そんな時、家康の前に茶々(北川景子)が現れる。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 今作の茶々は、全身全霊を懸けて目的を果たそうとしている。死に際の母と約束した「母上の無念は茶々が晴らします。茶々が天下を取ります」(第30回)との、その言葉だ。

 ロックオンした秀吉は既に籠絡済み。このドラマでは南殿も出てこないし鶴松は秀吉の初子の設定なので、茶々の魔法もより強力だ。そして今回、次のターゲットである家康の心を奪っておこうと、秀吉が大政所危篤で肥前名護屋を離れている間に、茶々は家康の陣所に美々しく出現した。秀吉に困ったら頼れと言われたのは前田利家だったのに、わざわざ策略を胸に出向いてきた。

 天下の美女・北川景子が本気で演じる茶々の涙顔は何と美しいことか。あんなに間近にあの美しい顔があって、さらに両手でしっかり手を握られ涙ながらに懇願されたら、迫力に負けて内容はともかく誰でも何でもOKしちゃいそうだ。

茶々:やにわに押しかけて申し訳ございませぬ。何か困ったことがあらば家康殿にご相談申し上げよと殿下が。・・・何か?

家康:いえ。

茶々:母に似ている・・・よく言われます。

家康:(座敷に招じ入れて)お困りな事とは?

茶々:ずっと家康殿とお話がしたかったのです。我が母の事。母からよう聞かされておりました。あなた様は母がお慕い申し上げた御方だったと。

家康:いや・・・そのようなことは。

茶々:隠さなくてもようございます。北ノ庄城が落城する中、母は最後まで家康殿の助けを待っておりました。なぜ、来て下さらなかったのですか?

家康:(頭を下げて)済まなかったと思っております。

茶々:時折、無性につらくなります。父と母を死なせた御方の妻であることが。

家康:殿下を恨んでおいでで?

茶々:わかりませぬ。手を差し伸べていただいて感謝もしております。でも、はしゃいでいなければどうかしてしまいそうな時も。(すすり泣く。立ち上がり、家康のそばに来る)茶々は、ずっと思っておりました。あなた様は私の父であったかもしれぬ御方なのだと。真の父は、あなた様なのかもと。

家康:滅相も無い。

茶々:父上だと思って・・・お慕いしてもようございますか?茶々は(両手で家康の手を取り、胸元に引き寄せる)あなた様に守っていただきとうございます。

家康:もちろん・・・お守りいたします。私にできる事あらば何なりと。

阿茶:殿、そろそろ。

 母・お市の方は気高い敗軍の将として振る舞ったのに、茶々、こんなにも母について嘘をつきまくって、お市に恨まれるぞ。

 だけれど、軽々しい思い付きではなく、自分で覚悟を決めて北ノ庄落城当時から実行している復讐の一環なんだろう。ちゃんと母の思い出話で「実は母が慕っていたのはあなた」と家康をキュンとさせ舞い上がらせておいてから、「父として慕っていいか」と、NOを言いにくい攻め方をしている。

 この時に利用した「家康がわれらの父だったかもしれない」ロジックは、お市が生前に次女のお初にぶつけられていた。明確に否定をするお市の話を全然聞かずに暴走するお初の妄想が不自然で、将来のトラブルメーカーになるのを案じてその時の回のブログにも書いたのだった。そのお初の言ったロジックを今になって利用してきたのは、その場では妹の話を否定したお茶々の方だった。怖ーい。

初:母上は、徳川殿に輿入れするかもしれなかったというのは誠でございますか?

市:えっ?誰がそのような・・・。

江:そうなのですか?

市:嘘じゃ。幼い時分に顔見知りであっただけ。

初:もしかしたら、私たちの父上は徳川殿だったかもしれないのですね

茶々:つまらぬことを申すな。我らの父は浅井長政じゃ。

(第30回「新たなる覇者」より)

toyamona.hatenablog.com

 家康はあっさり「お守りいたします」との言質を取られてしまった。その時、茶々はほくそ笑んでいた。この言葉だけでも将来どんな災いが降りかかるか・・・阿茶が「殿、そろそろ」と場に切り込んできてくれなかったら、いったいどれだけの約束を家康はさせられていたことか。

 お茶々との戦いに登場した、とても頭の切れる生徒会書記風の阿茶も良かったが、このドラマの北川景子のあざといお茶々がとても良い。申し訳ないけど「西郷どん」の篤姫は、きれいどころなら誰でもできそうな出来だった。今回は一味違う。

 「真田丸」のメンヘラで食べづわりの淀殿を演じた竹内結子も、個人的にとても気に入っているが、竹内お茶々がかなり辛そうで気の毒な人生を歩んでいたのに対して、北川お茶々は復讐への戦闘意欲満々なのが清々しいほど。3人姉妹の状況と、どう憎い秀吉と家康に対峙するかの筋立てを全て企み、強い意志を以て遂行してきたように思える。

 ドラマとしては悪女の立ち位置でも、北川景子は生き生きと演じている。代表作になりそうだ。

このための古田新太だったのか

 ところで家康は、阿茶のしっかりとした教育のお陰か、秀吉に茶々から離れるように助言した。茶々としては思惑外れの行動か。

家康:改めて大政所様、お悔やみ申し上げます。

秀吉:うーん。わしは阿呆になった、皆そう思っとるらしい。狐に取りつかれとる。このわしが、小娘相手に思慮を失うと思うか?

家康:恐れながら、茶々様は遠ざけられるべきと存じまする。あの御方はどこか計り知れぬところがございます。人の心にいつの間にか入り込むような。

秀吉:わかっとる!わしゃ、み~んな全て分かっとる。のう?あれで政を危うくはせん。(真顔になって)茶々は離さんぞ。

家康:殿下のお心を惑わす御方。

秀吉:(膳をぶちまけて家康に詰め寄り)茶々を愚弄するのか。図に乗るなよ・・・わしは太閤じゃ。その気になれば徳川くらい潰せるぞ。

家康:(睨み合ったまま)かつての底知れぬ怖さがあった秀吉ならば、そんなことは口にすまい。(秀吉の腕をつかんで)目を覚ませ。(秀吉の腕を引っ張り、つかみかかられた手を外させて)惨めぞ、猿!(払って秀吉を畳の上に転がす)

 おおお!ようやくか・・・ようやく神君家康公はここまでのご成長。あの弱虫泣き虫鼻水垂れの殿が。齢50歳(数えで51歳)を超え、とうとう戦国の覇者・太閤秀吉にこんな口が叩けるようになった。かえって家康としては強く出すぎてやしないかと冷や冷やするぐらいだ。

 ここで、タイミングを計ったような闖入者が。まさかの元将軍・足利義昭(出家して昌山)だったのが面白かった。以前に出てきた義昭だけではかなり物足りなくて、申し訳ないが「古田新太の無駄遣い」と前に書いたかもしれない。だが今回「そうかーこのための古田新太だったんだな」と納得した。軽やかに、言いたいことだけ言って出て行った。彼にぴったりだ。

忠勝:お待ちを!

昌山:よいよい構うな、わしは将軍だ。(家康と秀吉のいる部屋に入ってくる)おう、また来たぞ大納言。太閤殿下も一緒だと聞いてな。3人でやろうではないか。

忠勝:今度にしてくだされ。

昌山:1杯だけじゃ。将軍だった頃はな、この世の一番高い山のてっぺんに立ってるようなもんでな、下々の者がよ~く見えた。何もかも分かっておった。そう、思い込んでおった。(秀吉の顔色が変わる)だが、実のところは全く逆でな。霞がかって何も見えとらん。周りが良いことしか言わんからじゃ。自分はそうはならん。そう思っておっても、なるんじゃ。遠慮なく厳しいことを言ってくれる者がおって、どれだけ助かったか。てっぺんは独りぼっちじゃ。信用する者を間違えてはならんのう。・・・さて、伊達のところに行くか。あいつは酒が強いからの。

 この義昭に厳しいことを言ってくれたのは誰だったのだろう。出てこなかった細川藤孝か?「麒麟がくる」の明智十兵衛光秀だったなら、確かに厳しいことも言っただろう。でも、この「どうする家康」の光秀だと、ぜーんぜんそんなことは無さそう。

 古田新太の昌山が、光秀や信長を振り返るセリフは今後あるのかな。どう死んでいった彼らを評するのか、聞いてみたいものだ。

 さて、義昭(昌山)が一瞬の嵐のように去り、毒気が完全に抜かれた秀吉は家康に「おめえさんはええのう、わしには誰もおらんかった」云々と言い出した。そして「自分が本当は何が欲しかったんだか」分からずに欲望の塊になったという母の最期の言葉に思いを馳せ、家康に「わしを見捨てるなよ」と一言。黙ってうなずく家康。

 この後のシーンで秀吉は茶々に京に帰るように告げ、「殿下と一緒に唐に渡るのでは?」「茶々は、殿下のおそばにいとうございます」と詰め寄られて泣かれても秀吉の決意は変わらなかった。

 これで茶々は完全敗北かと思われたが、終わり際で逆転満塁ホームランをかっ飛ばした。皆が無理だと思っていたこと=再度の妊娠を果たしたのだった。これで秀吉は理性のネジがぶっ飛んだ。

 まさに傾城の女狐・茶々。次回、カオスを遺して秀吉がこの世を去るとすると、今度は三成が茶々に翻弄される番だ。この純情っぽい三成だと、ひとひねりだろうな。既に朝鮮出兵で大陸に渡り、疲れ切って帰国していたやつれっぷりが見事、気の毒だったのに、三成も大変だ。

 昨年は「全部大泉のせい」だったけれど、今年の今後は「全部茶々のせい」で朝鮮出兵も続き、関が原も大坂の陣も引き起こされる事になりそうだ。となると、家康の防波堤としての阿茶局の存在は大きくなっていくね。

服部半蔵の出番がまだあった

 前回、大久保忠世(1594年没)もそうだけれど、史実的にそろそろ亡くなる服部半蔵(1596年没、酒井忠次と同じ)の見せ場の回でもあったのかなと書いたところ、今回もまだ文禄の役(1592年~93年)の頃の話で、山田孝之の半蔵が大鼠とともに活躍した。

 彼らは、実際に朝鮮半島に出兵している家中の、現地とのやり取りの手紙等を潜入して入手し、現状を家康が把握することに貢献した。明の助けを得た朝鮮が反転攻勢、水軍がやられ補給が途絶え、現地の寒さにもやられ、日の本の国の軍は苦戦していた。

 肥前名護屋には重臣が本多忠勝ぐらいしか来ていないらしく、本多正信も姿が見えない。オープニングにも榊原康政や井伊直政ら最近の常連の名前が無かったから寂しいものだ・・・と思ったところ、タイトルロゴ明けにドーンと表示されたのが大鼠・松本まりか。そこに来るか~と期待が湧いた。

 大鼠を呼ぶとき、半蔵は指笛がなかなか鳴らせなくて、結局「おい」と呼んだら「呼んだか?」と大鼠登場。半蔵は相変わらずの面白担当だ。今後、山田孝之がいなくなったら面白はどうするんだろう。

 そういうドラマの作りもあるが、後述するが、今回見返した「真田太平記」との忍びのノリの違いよ。「どう家」では明るく面白く、大して苦労もしていないように見えてしまう忍び達。「真田丸」でも佐助を演じたのが藤井隆だったので、完全に面白担当だった。忍びは自由だから面白担当にしやすいかな。他方、「真田太平記」では暗く重く痛そうでしぶとい戦いを、主のために忍び達が続け、命を無駄に落としていっていた。

 忍びは人とも思われない、と言ってみても、「どう家」では、家康が忍びにも思いやりがある行動をする設定なので、あんなに明るく家康と話せてたじゃん、と思ってしまう。「真田丸」「真田太平記」では、「あの御方は人扱いしてくれる」と喜ぶ忍び達だが、あくまで控え目だ。ドラマを見比べてみると面白いものだ。

 次回は酒井忠次の終わりの回で、たっぷりと忠次の見せ場があるようだ。ということは、同年に死ぬからには服部半蔵も華々しい終わりが描かれるか。そして慶長の役が始まり、秀吉の死。しっかり見届けたい。

「瓜売り」比べ

 さて、こんなことに注目したのは私だけかもしれないが、肥前名護屋城で退屈しのぎに秀吉が催した遊びの瓜売りの謡いが気になってしまった。はっきりと耳に残っている「真田丸」のものとは明らかに違った。

  • 真田丸:味良しの瓜 召されそうらえ 召されそうらえ
  • どうする家康:味良しのう~りうり 召され 召され 召されそうらえ、 味良しのう~りうり あじか かわし 召されそうらえ
  • 真田太平記:瓜よ瓜 味良しの瓜を 召されそうらえ

 思いついて「真田太平記」の録画も引っ張り出して見てみた。第15回「暗闘忍びの群れ」の回で、長門裕之演じる秀吉が謡っていた。

 今回の「どうする家康」では、異国人の笛の演奏付きで家康の「あじか売り」も輪に加わり、皆でどんちゃん騒ぎをする体で「味良しのう~りうり」が唄われていた。途中の「あじかかわし」はどういう意味だろう。あじか(ざる)に攫われないうちにお召し上がりを、ということか。

 期待の佐藤浩市の真田昌幸はここでは登場してこなかったが、彼の扮装は何だったのだろう。

 「真田丸」第26回のその名も「瓜売」では、秀吉お声がかりの「やつし比べ」で、秀吉と、同じ瓜売りでバッティングしてしまって悩む草刈正雄の真田昌幸が、同じ節回しを別々に謡っていた。(もちろん優勝は秀吉。昌幸は秀吉を憚って「急な病により」当日欠席、忍びの佐助に教わっての瓜売り練習がムダになった。危篤の母・トリの枕元で披露しても「うるさい」で終わった。)

 各番組を作る側としては、少しでも節回しに変化をつけ差別化しようとしたのかなあ・・・要らない差別化だ。「どう家」バージョンは、どうもうるさい。「真田丸」の方が自然で、軍配を上げたい。

 ちなみにタヌキ比べをすると、

  • 「真田丸」の内野聖陽演じる家康は、太って出っ張ったお腹をわざわざ出して見せての熱演で、いかにもタヌキ親父だった。役のために太ったんだろう。
  • 「真田太平記」の中村梅之助は、最初からタヌキ親父のイメージどんぴしゃり、そのまま家康であるかのよう。しかし50歳にも見えず、もっと老けて見える。
  • 「どう家」松潤はどうしても小顔で若く姿も細く美しく、タヌキと呼ぶには未だかなり躊躇がある。
家康は自分に「腹を召す」?

 瓜売りの「召されそうらえ」でも出てきた「召す」という言葉。重要なシーンで家康の口から出てきた時、ちょっと面食らった。どうした家康!

 一瞬何を言ったのかと思って確認したら、家康は「腹を召しまする」と自分に尊敬語を使っていたのだった。えええー、そんなバカな。腹を切るでいいじゃんね。

 「お腹を召されませ」「腹を召されたそうな」と他人の話なら「腹を召す」で当然わかる。けれど、今回のセリフには「?」だ。それとも、切腹という行為は武将として尊敬すべき特別なものだから自らに対しても「召す」の言い回しを使ってもOKという使用法でも存在するのか?

 そんな話、聞いたこと無い。誰か、国語の得意な人の解説が無いかな。

石田三成:嵐が多く海が荒れる時節に差し掛かります。海が静まるのを待ってから、殿下には悠々と御渡りいただくのがよろしいのではないかと。

家康:殿下はこの日の本には無くてはならぬ御方。万が一があればまた天下は乱れましょう。どうかお考え直しを。

侍女たち:茶々様!

茶々:(いきなり入ってきて)我的名子是茶茶!我が名は茶々である。ウフフフ。

(略)

秀吉:茶々、少し外しておれ。のう?(茶々、不服そうに家康に一瞥をくれてから廊下に出る。立ち止まり聞き耳を立てている)

家康:殿下。差し出がましいことを申し上げます。若君様の事、心よりお悔やみ申し上げます。茶々様の御心を思えば、その悲しみいかばかりか。されど、それと政は別の事。

秀吉:あ~大納言。そなたは余が茶々を慰めるためにこの戦をしているとでも申すか?アハハハハ。余計なお世話じゃ。(膳をひっくり返す。その音で三成が驚き、茶々が逃げる)おめえが口出しすることではねえ。余は日の本の民の為、明・朝鮮の民のために唐を斬り従えるんじゃ!(立ち上がって出て行こうとする)

三成:殿下!(先回りして廊下へ)殿下に先んじてこの三成と(大谷)刑部、そして増田長盛が朝鮮へ奉行として海を渡り、じきじきに指図をいたしまする!そして御座所を設け・・・。

秀吉:どけ!(三成を蹴り飛ばす)

家康:お待ちくだされ、殿下。(廊下に脇差を差し出し、通せんぼして座る)どうしても参られるのであれば、この家康、ここで腹を召しまする!殿下のお代わりは殿下しかおりませぬゆえ。

秀吉:(暫し考え、無言で立ち去る。家康と三成が揃って頭を下げる)

三成:徳川殿・・・我らの留守を、よろしくお頼み申し上げまする。

家康:御武運を。

 鶴松を亡くした直後、秀吉の「次は何を手に入れようかのう」で既にビビっていた三成。秀吉が間違ったら止めると言ったじゃないか・・・ということで、家康と二人がかりで秀吉の朝鮮半島への渡航を何としても止めるという、とてもいい見せ場だった。

 逸話によれば、実際の浅野長政が担った役割を受け継いだような家康の決死の言葉だった(浅野長政 - Wikipedia)。リアルの家康は、ここまで積極的に秀吉を止めていたのだろうか?

 浅野長政は「おんな太閤記」では尾藤イサオが気の弱い感じで演じていたと思う。秀吉正室の「ねね」の妹の「やや」と結婚しており、秀吉とは相婿同士だ。口の立つ浅茅陽子のややに完全にやり込められていたおとなしめな夫、秀吉にも相婿というよりも従順な家来だった。

 今作にもちゃんと浅野長政はいた。「おんな太閤記」の長政よりは重々しい。「どうかしておる!正気の沙汰とは思えませぬ。バカげた戦じゃ。殿下はどうかされてしまわれた。(つまみ出されながら)殿下は狐に取り付かれておる!狐に取り付かれておるんじゃ。もう昔の殿下ではのうなってしもうたわ!」と、一同の前で叫んでいた。

 義理とはいえ弟、秀長亡き後には唯一の存在だったはず。仲さんがよそに儲けたか、惨めに処分された秀吉のかわいそうな弟妹の話はなかなか大河ドラマでは出てこない。

 この長政の役者さん、どこかで見た。長政は旭姫に付き従って浜松に行ったはず。そこで出てきていたろうか。

 長政は、秀吉と姻戚であり長い付き合いだからこそ、身内の責任を感じていただろう。ドラマでは「浅野殿にはよく言って聞かせます。ここは家康にお預けくださいますよう」と秀吉をなだめ長政を守る側に回った家康にポイントが入った。

 しかし、後には家康も長政に従うか。寧々を含め、入れ代わり立ち代わり、秀吉を止めようとした人たちはいたんだろう。でも、結局止めきれない。ドラマでは戦を煽る滅びの女狐も存在するから。

 権力者が独断でする戦争は本当に迷惑だ。今のロシアでも、どれだけの人たちがプーチンを止めようとして処分されていったのだろう。現代になっていても、秀吉のように彼が死ぬまで、ロシアは戦争を止められなさそうだ。

 それに、プーチンが死んだ時点では既にお隣中国がロシアにつられて戦に足を踏み入れ、引き返せなくなっていそうなのが怖い。

 そうなったら、日本で大河ドラマどころでもなくなる。楽しむのは今のうちだ。

(敬称略)

 

【どうする家康】#37 「さらば三河家臣団」大久保忠世と半蔵(?)惜別の花道回、酒井忠次はどこに

徳川家臣団も老いていく

 NHK大河ドラマ「どうする家康」の第37回「さらば三河家臣団」が10/1に放送されたのだが、酒井忠次が出てこなかった…と思ったら、オープニングには「酒井忠次 大森南朋(回想)」の表記になっていた。忠次が「回想」だけなんて、前回もチラッと出ただけだったし、彼もとうとう…。

 とにかく、心を落ち着けてあらすじを公式サイトから引用する。

茶々(北川景子)が秀吉(ムロツヨシ)との子・鶴松を産んだ。勢いづく秀吉は、北条攻めを決定。和平を主張する家康(松本潤)に秀吉は先陣を命じ、勝てば北条領を全て与えると言う。しかし、それは故郷・三河を離れる事でもあった。家康は家臣たちに事情を話せないまま、出陣を命じる。秀吉が20万もの大軍で小田原城を包囲する中、家康は氏政(駿河太郎)に降伏を促すが、全く応じようとしない。氏政には関東の雄としての意地があった。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 小田原征伐の結果、天下統一を果たした秀吉に旧北条領への国替えを言い渡された家康。当時は未だ湿地で大掛かりな開発を必要とする江戸へ行けと言われた上に、有力家臣もそれぞれ領内で城持ちとせよと言われてしまう。つまり、江戸の開発で多大な出費をさせ、強固なつながりを誇る徳川家臣団をバラバラにする秀吉の思惑は明白で、家康は悔しがる。

 家康は家臣らの反発を予想していたが、「異論は認めんぞ!」と強く出たところで「関東も良いところに相違ござらん」「我らはとっくに覚悟ができており申す」「新たな領国を収めるのもまた、大いにやりがいのあること」と返されて肩透かし。国替えは本多正信⇒大久保忠世によって予め伝えられ、下ごしらえはできていたのだ。

 そのように、見えないところで徳川家臣団の暴れ馬たちをドウドウヨシヨシして貢献してきた大久保忠世は、これまで北条家が拠点としていた重要な小田原城を任されることになり、花道を飾った。

 北条討伐でも、オープニングアニメになっていた「蝶」の旗指物を背に巨体を揺らしてジャンプ!大丈夫か、と見ながら心配になった。その前にも、本多正信の機転で国替えは避けられないと忠世が同僚たちに告げた時には、すっかり鬱憤晴らしの的にされ、庭に転がされて泥塗れ。ほんとに中の人は大丈夫か・・・転がる時にはちゃんと受け身だったらしいから、柔道経験者?なら平気なのか。私なら骨折するところだ。

 鬱憤晴らしの的になりつつも、泣きに泣く仲間に「気は済んだか」と声を掛け、甘んじて耐える忠世は頼りになる兄貴分だった。そんな忠世を家康もしっかり評価しており、その結果が小田原城となった。

 忠世は隠居間近な年(当時58歳前後)だとか何とか言っていたが、嫡子の忠隣も優秀だし、大久保一族は頼りになるしで小田原城を任せるには適任だったのだろう。大久保一族についてはついつい後の事件まで先走って頭に浮かんでしまうが・・・それは置いとこう。

 家臣団がそれぞれ任地を告げられ、江戸での再会を誓う場面は感動的だったが、もうほぼお約束となった服部半蔵(山田孝之)のニヤニヤするおとぼけがここでも嚙まされてきた。

 「どこかやる」と約束してもらった半蔵が、殿と江戸に行ったからこその、現在も残る半蔵門だ。近くの西念寺は半蔵が(ドラマでは介錯した)故信康の供養のために開こうとした寺で、半蔵のお墓も信康の遺髪を埋めた供養塔もある。

 ・・・と西念寺のHP(お寺の由緒・歴史|浄土宗西念寺|新宿区の四谷にある服部半蔵が開基したお寺 (yotsuya-sainenji.or.jp))を確認しながら書いたのだが、半蔵は「しかしながら寺院建立を果たせず、文禄4年(1595)11月14日、55歳で正念往生なさいました」とある。ウィキだと1596年になっているが、お寺の方が正しそうだ。

 半蔵は開基の立場ではあるけれど、「寺院建立を果たせず」と言うからには寺の完成を待たずに亡くなったか?と思ったら、開山は「文禄3年(1594年)専譽念無上人」とのことで、半蔵の死の前年。え?こういったことに疎く、混乱した。

 とにかく半蔵は55歳で亡くなるのか。小田原合戦が1590年だから、たった5年後だ。先ほどの大久保忠世が没するのは1594年だから、その翌年だ。

 ウィキの「徳川十六神将」のページ(徳川十六神将 - Wikipedia)からドラマの出演者だけ生没年を抜粋して引用させていただき一部追記、そして本多正信と家康をリストに加えた。

 鳥居元忠のように戦死する場合もあり、総じてやはり若いと感じてしまう。最たるものは井伊直政だ、もったいない。寿命の蠟燭を比べるようで寂しくなるが、小田原征伐の1590年を基点とすると、忠世はあと4年、後を追うように半蔵、忠次が関ヶ原の戦いを前に世を去っていく。

 そう思うと、今37回は忠世の花道の回だけでなく、実は半蔵の見せ場の回でもあったのだ。だから半蔵は手裏剣もまぐれで当たるし、あんなに北条との戦いでの活躍が描かれたのか。

 山田孝之の半蔵は最後、笑顔を消して微妙な表情をした。あれが半蔵の終幕?もうニヤニヤ出てこないのか、寂しいことだ。大鼠との息子役で再登場してはどうだろう。

酒井忠次はどこに

 小田原での三河家臣団解散!の場に、家臣団のリーダー・酒井忠次がいなくて寂しかったが、彼は京にいたはずだ。家康が、旭姫に「このまま大政所様の下にいて差し上げたら」と勧めた時に、忠次は「おお、それは良うございます。私も、京勤めとなりましたので」と前36回の「於愛日記」で言っていた。

 ドラマでは「京勤め」なのだが…ここでまたウィキペディア先生にお出ましを願うと、史実の忠次は眼病を患ってほぼ失明したため小田原征伐の2年前の1588年に家督を譲って隠居、秀吉から京都桜井に屋敷と世話係の女、在京料として1000石を与えられたとか。出家して「一智」と号したそうだ。(酒井忠次 - Wikipedia)そして、前述のように1596年には亡くなる。

 石川数正や大久保忠世らがあれだけ特別なお別れの回で送られているのだから、酒井忠次ほどの者が旭と家康の夫婦の会話に引っかかるぐらいでの退場は無いはず。きっと彼を盛大に送る回があるはずだ。

 ちょうど「やまコレ」(やまコレ どうする家康スペシャルトークショーin鶴岡 - #どうする家康 - NHKプラス)という番組で、酒井忠次の中の人・大森南朋の山形県鶴岡市でのトークショーを扱っていて、10/6にNHK+にアップされていた。

 鶴岡は忠次の子孫が治めた土地だ。大森南朋は、妻・登与さんのモデルになった忠次の正室・碓井姫の像とツーショットを撮影していたのが微笑ましかった。その像の福々しいお顔が、登与さんの中の人・猫背椿と何となく似ている。

 ショーには、「どうする家康」の磯智明・制作統括も出演していた。

磯:「家康自身もこのドラマではマイペースなところもあったりするので、実際に徳川というチームを動かしていたのは酒井忠次だったのではと思い、普段は一歩引いているがここぞという時は前に出て殿に対して厳しい意見を言う。殿もいろんな家臣団の意見を聞くけど、酒井忠次の(意見)については、きちっとそれを受け入れるような態度を取っていく感じで(ドラマでは)描いていますね」

とのことだった。そして今後の見どころとして、こう言った。

磯:これから家康の関ヶ原・天下取りに向けての大きな物語が始まっていくと思います。この前、石川数正が出奔したように、だんだんと三河家臣団のそれぞれが散っていったりとか、家康の下をいろんな形で去っていく別れも大きな見どころなんですよね。

 いずれ、この酒井忠次と家康の別れのシーンも出てくる。酒井忠次が最後に家康に伝えるメッセージが、物語上、石川数正と同じくらい、もしくはそれ以上に大きな家康を動かすインパクトのある言葉になっていくと思うので、そういう大きな物語を期待してご覧頂ければと思います。

 徳川家の裏の舵取りは、今回を見ると本多正信と阿茶に移ったようだったが、やはり、忠次があのまま終わるわけがなかった。別れは次回ぐらいに描かれてもおかしくないぐらい近くなっていると思うけれど、彼は大きな影響を家康に遺して去るらしいので、期待して見届けたい。忠次~!

 そうそう、忠次十八番の「海老すくい」は、唄も踊りも一から取材をして作り上げたこのドラマオリジナルだとか。宴会芸だと侮るなかれ、大森南朋曰く、踊ると汗びっしょりになるそうだ。海老すくいのせいでオファーを断らないよう、いかにも何でもないと思わせられてきたのに様々な場面で踊ることになって「海老すくい詐欺」にあったと思ったそうだ。でも、家臣団の空気を保つために大事な舞だ。

 大森南朋は、演じる酒井忠次について;

大森:武将としても一流、非常に強い戦国武将であると思いますし、統率力、家臣団をまとめる力(がある)。底抜けに明るく自分を見せて、家臣たちを納得させていく。とにかく、強い心を持ち、優しく明るい人だったのではないかなと僕は思っております。

 酒井忠次の最後の回もぜひお楽しみに。海老すくいがあるのかないのか?ご想像にお任せいたします。

とのこと。石川数正が去って寂しそうだった酒井忠次も去るか。先ほどの表で確認してしまったが、最後まで残るのは家康と正信、阿茶、そして渡辺守綱だけなのか。もう物語も終わりが見えてきた。

三成と家康、同じ星を見ていたのに

 秀吉は今回、四公六民という善政を施し民にも慕われていた北条家を滅し、一統を成し遂げた。当時は、酷いと七公三民なんて民から搾り取る武将もいたらしいから、北条は凄い。後に移ってきた家康が、善政のつもりで五公五民でどうだー、とやったら「ウチはずっともっと良くしてもらってた」と旧北条の民から返されたとの逸話は、今後出てくるのか?

 ドラマでは、ようやく降伏した(と言いながら、氏直と違ってまだ甲冑姿の)氏政に、家康が「なにゆえもっと早くご決心なさらなかったか」と問うた。この時、氏政の口からまた瀬名のユートピア論が飛び出したのにはちょっと面食らったものの、民を大事にしてきた北条だからこそ、瀬名の話は響いたのかもしれない、とは思った。

 この時、その場にいた榊原康政はハッとしたように見えたが、家康は顔色を変えなかった。一番心の柔らかい部分を突いてくる瀬名に関する話でも、いつの間にか殿は狸に化けられるようになっていたか。

 気づけば家康の声音は以前からすると低い。そろそろ数えで50歳。最近の家康は物語の進行に従って坂道を転げ落ちるように年齢も重ねているから、役者さん(松潤)は声で加齢を表現するか。声って年を取っても一番変わらないと言われてなかったかとは思うが面白いものだ。

 秀吉は北条を滅ぼし、少し違うかもしれないが「人を呪わば穴二つ」という言葉が浮かんでしまった。一統の反面、秀吉の身内には不幸が続いた。旭、秀長、そして鶴松だ。次回予告では仲が死に、もしかしたら早々に秀吉ご本人も?ドラマの進行も巻きが入っている。

 本作では多忙だと言われながらも長々と星を眺め、家康に「気が合いそうですな」との人懐こい登場の仕方をした石田三成が、今回、徳川陣営を訪ねてわざわざ警告をした。織田信雄が国替えを断ったら改易されたと。親切だね、それより三成、忍城の方は大丈夫?

本多正信:殿、客人でございます。

家康:治部殿。

石田三成:小田原を制したご挨拶に。また、関東へのお国替え、おめでとうござりまする。

家康:そのことは、殿下ともう一度話し合うつもりじゃ。

三成:織田信雄様もまた、殿下にお国替えを命じられました。

家康:信雄様が?

三成:信雄様はそれを不服とし、異を唱えたところ…改易と相成りました。

家康:改易…織田家を取り潰すのか?

三成:徳川様は、どうかご辛抱を。

家康:わしは戦無き世を成すために殿下に従った。今の殿下のやり方にはついて行けぬ。

三成:殿下は賢明なる御方。これまで一度として間違ったことはございませぬ。もし万が一、殿下が間違ったことをなさったときは、この三成がお止めいたします。(立ち上がり空を見て)戦無き世を成す…私はかねてより、徳川様と同じ星を見ていると心得ております。共に力を合わせて参りとうございます。

家康:治部殿。(三成が頭を下げて去る。家康は空を見る)

正信:江戸からも、同じ星は見えまする。

 三成は、このドラマでは清潔感ある好ましい人物として描かれている。この人も後世の悪評をドラマが払拭する路線か。家康も、「今の殿下のやり方にはついて行けぬ」と秀吉配下の三成に直接言うなんて、ずいぶんとぶっちゃけたものだ。

 この人と、家康は十年後に戦うことになる。三成は、あの秀吉の貪欲さも見てきたはずだが「殿下は賢明なる御方。これまで一度として間違ったことはございませぬ」と言い切るとは。望遠鏡で見るように、自分を引き上げてくれた主として、美しいところだけ見てきたか。

 でも秀長も寧々もそうだった。常人にはモンスターはとても魅力的に見えるし、近くにいるからといっても止められないものだ。それを止める役を皆が家康に期待している状況なのかと思ってきたが、今のところ三成にもその気はあるのだね。

 前にも書いたが、家康はずっと補佐役として望まれてきた。今川義元は、嫡子・氏真を支える存在として家康を教育した。織田信長も、唯一の友としての位置づけで、自分のパートナーとして家康を望んでいた。

 秀吉は?妹の婿として一応、家康を遇して東を任せようとしている。義元や信長に比べて家康に対する特別な感情は無いが、ある意味信頼はある。家康はナンバー2気質の人なんだろうと改めて思う。

 そのナンバー2が天下を取り長持ちさせるのだから、面白いものだ。

(敬称略)

【どうする家康】#36 家康の心を救った笑顔の於愛、偽りが誠になった夫婦

殿不在時、家中に指図をする於愛の方

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第36回「於愛日記」が9/24に放送された。徳川幕府二代将軍の母としてその名を遺した於愛を中心に、真田信幸に嫁ぐ嫁がないのすったもんだを演じた本多忠勝の娘・稲姫、お久しぶりの武田の間者・千代、そして初登場のはずだけれど見覚えのある茶々(やっぱりの北川景子がお市の方と二役)の話が主に描かれた。

 まずは公式サイトからあらすじを引用する。

家康(松本潤)は真田昌幸(佐藤浩市)から、北条に領地を渡す代わりに徳川の姫が欲しいと頼まれる。忠勝(山田裕貴)の娘・稲(鳴海唯)を養女にして嫁がせようとするが、父娘ともに猛反対。そんな中、家康が探させていた武田の女を、元忠(音尾琢真)が匿っていたことが分かる。説得に向かった忠勝は、抵抗する元忠と一触即発の危機に陥る。改めて、於愛(広瀬アリス)が元忠に話を聞くと、意外な事実がーー。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 忠勝は「説得」に行ったか?どうみても鳥居元忠(彦右衛門)に戦いを挑みに行っていたが。武田の女・千代を真田の間者と疑って「そそのかされた結果、真田の手先になっている」彦右衛門から千代を奪うつもりだったのだろう。

 この乱闘の原因になった渡辺守綱が面白かった。そうだった、彼は一向宗門徒側で戦っていたから千代を良く知っていた。だから彦右衛門宅で彦右衛門にいちゃつかれる千代を見て、すぐにそれと分かったのだ。それを家康に報告するならともかく、言いふらしちゃうなんてねぇ。

 守綱が乱闘の中で「やめい~!」と良く通る声でカッコつけて呼ばわった所に、「お前のせいじゃろうが!」と叫ぶ彦右衛門の蹴りがキレイに後ろから入った。さらに、本多正信が扇子をじっと構え、パン!と叩かれた時の顔がまた、作り込まれていておかしかった。

 しかし、この乱闘が起きた時、家康は正室の旭と上洛中。徳川家中のリーダー酒井忠次は同じく上洛中で、京に滞在することになったらしい。

 主不在のこんな時、重臣の彦右衛門と本多忠勝のいざこざを裁定する場面で、本多正信が「殿がお留守である以上、ここは於愛様の御指図を」と言ってきたが、ここにちょっと新鮮味を覚えた。

 これまでの大河だったら、裁定は於愛抜きで大久保忠世単独か、忠世と正信ふたりが話を聞き、殿の帰国までのとりあえずを決める路線になりそう。しかし今回は、於愛が殿の席の上座にデンと座り、脇に忠世と正信が控え、次の間に彦右衛門や千代、忠勝らがかしこまっていた。

 石川数正出奔の時に、評定の場に於愛が顔を出したことでSNSで異論を唱えて怒っている方々がいた。けれど、江戸幕府以降の女を完全に排除したシステムが出来上がっていない頃だと、こうなるって事なんだろうね。おもしろかったなあ。

お葉から於愛への助言が正に金言

 さて今回も、この脚本家お得意の「実はこうでした」の後出しジャンケン。「於愛日記」を振り返ることによって、於愛の裏を深掘りする作りになっていた。時系列に拘っていたわけじゃないが、慣れるとこれはこれで面白い。

 於愛は心から慕っていた夫を元亀3年10月(1572年、家康数え31歳、於愛は12~13歳⁈)に戦で失った。そして子ども2人を祖父母に預けて城に上がった時、お葉から於愛への助言が正に金言。さすが出来者のお葉、於愛を通じて家康をも救ったか…となる言葉だ。

お葉:(暗い顔の於愛の頬に両手を当て、口角を上げて)嘘でも笑っていなされ。皆に好かれぬと辛いぞ。

 その助言に従って日頃口角を上げるように努めていた於愛。例の、女たらしの井伊直政と見間違えて殿のお尻をスパーン!と叩く直前も、水面に映る顔を見てそうしていた。

 天正4年(1576年)5月20日、「思いがけぬお話を頂いた」と記したこの日には、於愛はお葉や彦右衛門に築山に連れていかれ、御方様・瀬名に面会。この場面はしっかり記憶にある。

 瀬名は「良い笑顔じゃ。愛や、殿のことをよろしく頼みます。そなたの大らかなところがこの先、殿の助けになろう」と於愛を側室とした。瀬名の死の3年前だと長篠の戦のせいで信康がPTSDを発症、瀬名は遥かなる夢への覚悟を固めた緊張の頃だったか。

 この時の於愛の心中は、日記によればこうだった。

御方様、私の笑顔は偽りでございます。殿のことは心から敬い申し上げているけれど、お慕いする御方では・・・ない。

 今回の鍵だった、この「偽りの笑顔」。武家のおなごは家と家のつながりの為に使命を帯びて嫁ぐから、好きだの嫌いだの言っている暇はなかっただろうね。於愛の場合はご奉公か。皆が皆、偽りの笑顔を浮かべていたと言えばそうだったのかも。

 天正7年(1579年、秀忠誕生の年)9月15日、於愛は「恐ろしいことが起こった」と書いた。瀬名に続き信康自害が伝わった日で、家康は心労から倒れた。於愛はさらにこう記す。

お支えしなければならない。私よりはるかに傷ついているこの御方を。笑っていよう。たとえ偽りの笑顔でも。絶えず大らかでいよう。この方があのお優しい笑顔を取り戻される日まで。

 於愛は秀忠を産んだ頃でも、お務めとしての「偽りの笑顔」を意識していたことになるのか…。家康も心は瀬名に在ったのだから、ふたりはなんとしんどいお務めの関係だったことか。

 それでも、於愛の「偽りの笑顔」はいつしか誠のものとなり、家康を救っていた。そうなったのはいつだったんだろうね。

家康:これまでそなたに救われてきた。いつもそなたが大らかでいてくれたから。そうでなければ、わしの心はどこかで折れていたろう。

 於愛も家康に救われていたと言い、無理やり口角を上げる仕草を「いつの間にか忘れさせてくださいました」と家康に感謝した。

 偽りの関係から始まっても、支え合う誠の関係になっていた家康と於愛。これから更に良い夫婦になって行けただろうに…ここで死んじゃったのは、本当にもったいないね。

連れ合いに先立たれる寂しさは不変

 於愛が若くして死んだので(諸説あるようだが30歳前後?)、彼女の死については「陰謀論」がささやかれたとか。

 築山殿の侍女が毒を盛った説については、家康の正室旭も於愛も同時期に死んでおりまさか?と思わないでもなかった。が、今作ではドロドロ系はNHKがやることじゃないし、「天使の瀬名」が侍女にそんな事をさせる訳もない。

 他方、「家忠日記」の作者・松平家忠の家中が関係する喧嘩で死んだとの同日記での記述は、信憑性があるかと気を揉んだものの、ドラマで於愛の死は具体的に描かれず、ナレ死で終わった。

 於愛はたびたび胸痛に見舞われた。瀬名譲りの薬研で胸の痛みを取る薬を作ってくれた家康に、いつか瀬名と信康のたわいない思い出話を聞きたかったと心の内を伝え、家康と笑い合っての幕引き。笑顔だけに悲しさの余韻が残る。

 家康が彼女と話題にしたのは例の、信康と五徳の祝言でのエピソードだったが、以前も瀬名が話そうとして笑ってしまった謎の面白話だ。最終回までには話の内容は明らかになるのだろうか?鯉が出てくるのはわかったが、他に誰か知っていたら話してほしい。京住まいになった忠次が、こっそり数正と話していたら面白いところだ。

 このあたりで、家康は瀬名、於愛、旭と都合3人の妻に先立たれることになる。連れ合いに死なれる寂しさは、人が簡単に死ぬ当時だって目減りするものでもないだろう。

 ちょっと脱線するが、ちょうど朝ドラ「らんまん」が9/29で最終回を迎え、主人公・牧野万太郎は原因不明の病で妻・寿恵子と死別した。発病を知り、万太郎が知人の力を搔き集めて急いで完成させた図鑑には、多くの協力者の名前が書かれ、掲載された植物は「爛漫の」3206種を数えた。その最後が新種のスエコザサ。体が弱る妻に「寿恵ちゃんの名前じゃ」「わしを信じてくれてありがとう」「愛しちゅう」などと伝え、抱きしめた。

 朝から涙涙。作中の万太郎も、モデルとなった牧野富太郎博士も、妻への気持ちは現代の私たちのそれと変わりないだろう。練馬の植物園には、スエコザサに囲まれた博士の胸像が立っているとか😢訪問したら、涙無しでは見られそうもない。

 「どう家」に戻るが、於愛が心に残る言葉を遺した。千代の件の裁定で人情ある「大岡裁き」をした家康が、「於愛の助言に従ったまで」と言う。その時に於愛が言った。

於愛:人の生きる道とは、辛く苦しい茨の道。そんな中で慕い慕われる者あることがどれほど幸せな事か。それを得たのなら、大事にするべきと思うまで。(千代と彦右衛門が深々と於愛に礼をする)

 大久保忠世がウンウン肯いていた。後世、水戸藩周辺で江戸時代末期までに作られ、徳川慶喜や渋沢栄一まで信じてしまっていたという、でっち上げの「徳川家康公御遺訓」にも何となく似ている。とにかく、こういう「できた妻」を早死にで失ったら、尚更辛い。

 於愛は、この裁定の時に千代の話を自分に重ねて聞いていた。千代としたら、最初は身の安全が守られればいいと思っていたのだろうな。その後、偽りが誠になっていたのを感じさせた。

於愛:千代、そなたの言い分は?

千代:ございませぬ。非道なことを散々してきた私の言葉に信用などありますまい。

於愛:彦殿を慕う気持ちは誠のものか?

千代:さあ…わかりませぬ。きっと偽りでございましょう。ずっとそうして生きてきたので。(彦に)あなたは私に騙されたのさ。もう私の事は忘れなされ。

於愛:千代。間もなく殿がお帰りになる。殿のご裁定を待つように。

於愛:(私室に戻って)回想「きっと偽りでございましょう。ずっとそうして生きてきたので」「私の笑顔は偽りでございます」(日記を出し、偽りの笑顔でも殿のために大らかでいようと覚悟した日を読み返す。)

 気になっていた、於愛のヘタウマ笛のエピソードは回収されず。亡き夫の笛を見よう見まねで吹いていたから下手だった?と予想していたが。今後、彼女の息子たち、秀忠か忠吉がその笛を吹いていたら面白い。

千代、そのエピソードに着地したか

 「千代の再登場は期待していい」と横から聞いていたので、てっきり千代が家康の妻ふたり(旭、於愛)の死に絡んでくるのか?と妄想をたくましくしていたが、大外れだった。脚本家は千代に悪事を重ねさせず、優しかった。

 千代は、長篠の戦で戦死した武田重臣・馬場信春(信房)の娘との設定で再登場。家康は、「築山の謀」の同志として彼女の行方を鳥居元忠に探させていたつもりだったが、元忠は半年も前に馬場信春の地元・教来石の外れで野良仕事に従事する彼女を見つけていたのに、家康に「恨まれとるに相違ない。処断されるか忍びの仕事をさせられては不憫」と早合点して隠し、勝手に妻にしていた。

 ・・・おい!何をやってる!と言いたくなるが、史実でも彼の側室は馬場信春の娘だから、架空の存在だった千代を絡ませ着地させたんだね。なるほど。

 千代は元忠の側室になってハッピーエンドか?まだ終わりじゃない気もする。関ヶ原の前哨戦、千代が夫の立てこもる伏見城に駆け付けたら面白いなぁ。

 千代の父・馬場信春は今作ではチラとも出てこなかったが、「風林火山」では元・男闘呼組の高橋和也が演じていた。2007年からもう16年も経つ。「武田信玄」の美木良介も覚えている。1988年だから35年前。はぁ、そんなに前か。

 年号等を確認しようとウィキペディア先生(馬場信春 - Wikipedia)を拝見したら、面白いことが分かった。

  1. 今作の時代考証を担っている重鎮、小和田哲男先生の母方の先祖が馬場信春なんだとか。
  2. 千代は元忠の男子を3人も生んだらしい。子孫には大石内蔵助がいるんだって。へえ!
  3. 千代の姉妹のひとりは、なんと真田信伊に嫁いでいた。昌幸の弟だ。「真田丸」では主人公・信繁の叔父で栗原英雄が演じ、誠にカッコ良かった。

 ・・・ということは、本多忠勝が千代のことを「真田の忍びだ」と大騒ぎして警戒し、稲の真田家への嫁入りに抵抗したのも、③という近いつながりがあった訳なのだね、なんて。

 今作「どう家」には今のところ出てこないけれど、信伊叔父上は徳川家臣のはず。出してほしいなあ。

凛々しい期待の稲姫

 いよいよの稲姫。「真田太平記」での紺野美沙子、「真田丸」の吉田羊が素敵に演じてくれていて人気のキャラだが、新たに鳴海唯が印象を塗り替えてくれるかな。

 鳴海唯はどこかで見たな~と考えていたら、この目力は朝ドラ「なつぞら」の明美だった。明美はまだ全然子どもだったのに、今の稲はすっかり大人。これも役者の力か、それともリアルに彼女が成長したのか。

 紺野美沙子の稲姫は、ずらり並んだ婿候補たちのあごを扇子でクイっと持ち上げ、吟味するシーンが印象深い。本来は髷をつかんで顔を見たらしいが、それじゃ豪快過ぎる。渡瀬恒彦演じる信幸が「無礼な!」等と叱り飛ばし稲に気に入られた・・・ような気がする。おしとやかで切れ者、「使者の御用の趣は」と、遠慮せずにずばり信幸に聞く姫だった。信之も敢えて彼女にはすべて告げ、徳川に隠し事をしない態度を見せた印象がある。

 吉田羊の稲姫は、彼女を溺愛する藤岡弘の忠勝パパが嫁入りの付き人に化けたり、何かというと現れ、子離れできていなかった。その点が今作の山田裕貴の忠勝パパの参考になるか。キリッとした稲姫だったけれど、正妻を譲ってくれた信幸の先妻「こう」や「こう」の息子には万事、思いやりがあった。

 どちらも、稲姫見せ場の例のシーンではハチマキを額にキリリと巻いて長刀を構え、堂々としていた。これが稲姫だよね。

 鳴海版も楽しみだ。前二者と違い、躾がなってないところが笑える。打掛を着崩したり、生け花にも苦戦。「輿入れ先が無い」と父に嘆かれるような不出来な姫設定だが、真っすぐな父に武芸はたっぷり仕込まれ、心身はしっかりしている姫と見た。

 彼女は、於愛に「好き嫌いは脇に置きなされ」と諭され、小田原征伐を避けるために苦心している最中の、北条家に嫁いだおふう(お葉の娘)が「大切なお務め」をしていると聞かされたところで顔色が変わったように見えた。そこから稲なりに考えたか。しかし、お葉親子は黙々と優秀だね。

家康:平八郎、異存ないか。

本多忠勝:(千代が)真田の忍びである疑いが晴れておりませぬ。真田は信用なりませぬ。万が一その忍びに、徳川重臣が操られていたとあらば由々しき事。寝首を掻かれてからでは遅い。

稲:ならば、私が。父上、私が真田に入り込んで真田を操れば良うございます。彦殿が寝首を掻かれたら、私は真田親子の寝首を掻きます。それでお相子。

忠勝:左様なこと、お前ができるはずがない。

稲:父上に武芸を仕込まれてきました。できます。(於愛に)夫婦を成すも、またおなごの戦と思い知りました。真田家、我が戦場として申し分なし。殿、謹んでお受けしとうございます。

大久保忠世:平八郎。お主があのじゃじゃ馬をどれほどかわいがっておったか、わしもよう知っとるつもりじゃ。だがな・・・。

本多正信:・・・いい加減、手放す時でござる。観念しなされ。

稲:父上、本多忠勝の娘として、その名に恥じぬよう立派に務めを果たして参ります。(忠勝、すすり泣き始める。)

於愛:(笑顔で家康と顔を見合わせてから、視線を千代に送る。千代、礼を返す。)

 覚悟を決めて「申し分なし」と言い切るカッコイイ娘の前で泣く忠勝よ…観念するしかないね。

禍々しい茶々、女優さんは手抜きで演じて

 稲は真田家に徳川の養女として輿入れし、プラス沼田の替え地も手に入れた真田は不平を言わずに矛を収め、沼田から手を引こうとしていた。徳川の努力によるものだ。

 しかし、沼田を手に入れても、ようやっと先代当主の弟・氏規だけを上洛させると決めた北条家に対して、秀吉は不満足。「沼田の一部を真田にもやれ、不公平だ」と言い出し、「それでは北条は満足しない」と家康は気色ばむ。このままではおふうや榊原康政の努力も水の泡、北条は秀吉と戦になる。

 さらに秀吉のストッパーとなっていた秀長が病。もう北政所と家康しか我が道を進む秀吉(もう訛りは使わない)には諫言できない、イエスマンだらけの取り巻きに気を付けなされと秀長から家康が耳打ちされたところで出てきたのが、北川景子が演じていたお市の方の長女・茶々だった。

 茶々は、煌びやかな衣装に身を包み、北九州市の成人式に参加してそう。秀吉が散々矢を射かけながら外してばかりの的に火縄銃をぶっ放し射抜くという、「セーラー服と機関銃」も真っ青な、派手な登場の仕方をした。

 やはり茶々も北川の二役だが、だけれど醸し出す禍々しさが違う。清々しく凛々しいお市には無いものだった。徳川の偽りスタートでも誠のある夫婦関係に至る姿を視聴者に見せた後で、豊臣には禍々しい偽りしかないのかと思わせる茶々。

 家康にも銃口を向けた時に一瞬暗い表情がのぞき、口で「ダーン」と言って笑い、続けて秀吉にも「ダーン」。化粧厚めのギャルがふざけて大笑いしているようだが、苦しい恨みも見える。(でも、井伊直政は家康に銃口が向いた時にはポーズでも主君を守るために間に割って入らなきゃ、ボーっとしてちゃダメだって!)

 茶々は、妹たちを安全に嫁がせるために、父母の仇・秀吉の妻とならざるを得ない。でも若い自分が、母の身代わりに母が嫌った秀吉なんぞの言いなりにされている事実には拭えない嫌悪感がありそう。こんな心理的葛藤があったら、まともに生きている方が不思議なくらいだ。

 そこで茶々の支えになったのが、母に誓った天下取りの言葉なのかな。

 そして、母を土壇場で裏切った(と茶々が考える)家康が目の前にいる。実のところは怒り心頭、引き金を引きたかっただろう。

 茶々(淀殿)といえば、古くは「おんな太閤記」の池上季実子(茶々のスタンダードを作ったか)や「徳川家康」の夏目雅子、最近ではどうしても「真田丸」の竹内結子が思い出される。

 竹内結子はメンタルの危うい茶々が素晴らしかった。それだけに、役を理解しようとして、茶々の闇を彼女は真正直に引き受けてしまったのではないか、役を超えて彼女自身がリアルに蝕まれたのでは?と、つい考えてしまう。

 だから、北川景子を始めとして今後茶々を演じる女優さん方には、ある程度手を抜いて茶々を演じてほしいくらい。落城3回の恨みの重さをバカにしちゃいけない。そんなに真面目に茶々に寄り添わなくていい、扮装で十分茶々だと分かるから。元々北川景子の根っこにある健全な明るさは大きな救いだから杞憂だとは思うけれど、メンタルのケアはしっかりとお願いしますよ、と言っておきたい。

(敬称略)

【どうする家康】#35 母も弟も恐れる「欲望の怪物」秀吉、家康は太刀打ちできるのか

欲望底無しの秀吉

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第35回「欲望の怪物」が9/17に放送された。前回までに家康は、秀吉を認めて自らの天下取りを諦めた。他の人が戦の無い世を実現してくれるのならそれでいい、それを支えようと方向転換した。

 しかし、秀吉の欲望は底無し。天下統一後も海外へ食指を伸ばそうとし、戦を止める考えはない。このドラマでは「海外進出が信長の夢だったから夢を継ぐ」ではなく、「まだあんなにあるじゃん」的な、食べ物は食い尽くさなければ満足しない、自分の欲にどこまでも正直な人物として秀吉を描くようだ。

 ムロツヨシの秀吉は表向きひょうきんでもあり裏には底知れぬ怖さもあり、それを声音でコントロールするアイデアがいいよね。「おんな城主直虎」で商人でありながらも直虎の家臣という難しい役柄を面白く演じていたが、秀吉にキャスティングした人、正に慧眼。偉いなー。ぴったりだ。

 裏表ない信長という、この上ない上司を見つけ尽くすことで己を伸ばした秀吉が、小泉孝太郎という人の善い権力者の息子を友人として世に頭角を現してきたご本人と印象が重なる・・・と言ったら失礼かな。それも才覚だと思う。

 別に小泉孝太郎が養分を吸い尽くされた訳でもない。綾瀬はるか主演の「八重の桜」だったと思うが、彼の徳川慶喜は良かったよね。人が善いからこそ、ああいうピリッとしたヒールもできるんじゃないか。念のために書いておくとね。

 「麒麟がくる」では、染谷信長が天真爛漫で無垢なサイコパスと描かれて、佐々木秀吉はただただ計算高い人物のようだった。今作の岡田信長は、天下一統してからが難しいんだと家康に悩みを打ち明けるぐらいで、もしかしたら、信長は海外進出になんぞ関心が無かったりして。今作では、信長が意外にも常識人で、欲望果てしないサイコパスは秀吉なんだぞと描くのかな。

 まわりにとって「怖い人物」って自分の欲に正直な御人だ。赤ちゃんには誰も勝てない。権力者が己の欲に従い自制を忘れ、まわりを食い物にするのを頓着しなくなると怖いんだよな。ジャニーみたいな怪物になる。

 勝手な期待を裏切られた家康の「豊臣大名」としての苦難の日々スタート・・・という訳だが、あのまま戦い続ければ徳川滅亡は不可避だったのだから、石川数正や家康の選択ミスでは全くない。

 前にも書いた気がするが、家康は、結局時機を待つしかなかったのだよね。モンスターにはやっと狸に成りかけの殿では太刀打ちできない。それは数正の言う通りだった。だから、秀吉の死を待つしかないのだ。

 さて、公式サイトから第35回のあらすじを引用しておく。

秀吉(ムロツヨシ)は母・仲(高畑淳子)を、家康(松本潤)の上洛と引き換えに人質として岡崎へ送る。秀吉は家康を歓待する中、妻の寧々(和久井映見)や弟の秀長(佐藤隆太)を紹介し、諸大名の前で一芝居打ってくれと頼み込む。大坂を発つ前夜、秀吉から北条・真田の手綱を握る役目を任された家康は、一人の男と出会い興味を持つ。それは豊臣一の切れ者と名高い石田三成(中村七之助)だった。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

秀吉の母・仲、そうきたか

 高畑淳子の無駄遣いではなかった。大河ドラマでは色々な「秀吉の母・なか」がこれまで描かれてきたが、そうきたか。振り回され、恐れおののく母。息子が欲望お化けじゃ、そりゃ怖い。(でも、今後それだけで終わるのかな、高畑淳子だし。)

 今回、井伊直政が本多作左衛門の有名エピソードである、仲と旭の寝所の周りに薪を積み上げ「殿に何かあったらいつでも火を点けてやる」との脅しを代わってやっていた。オープニングアニメも薪だったし。

 その直政の美貌を褒め、母・奥山ひよ(前年死亡)の話をするうちに、水を向けられた仲が、自分は幸せかと話し出した。

仲:わしは幸せなんかのう・・・。外を出歩くことも許されん。大きな城の隅っこにちいせえ畑あてがってまって、要らん菜っ葉や大根なんぞこさえて、こんな時だけ人質に差し出される。これが幸せなんかのう・・・。

 また、帰国するにあたっての仲の言葉。息子の本質をぼんやりとはつかんでいて、かなり恐れている。ただならぬ感じがする。

大久保忠世:では、参りましょうか。

仲:きゃありたないのう・・・。

忠世:何を仰せです。関白様がお帰りをお待ちでございますぞ。

仲:関白って誰じゃ。

忠世:アハハハ・・・大政所様ご自慢の御子息、秀吉様でございます。

仲:ありゃ、わしの息子なんかのう?わしゃ、あれのことをな~んも知らん。わしゃただの貧しい百姓でず~ッと働きづめで、あれにゃあ躾のひとつもしとらん。十やそこらで家を出てってまってな、何年かしてひょ~っこりきゃあってきたら、織田様の足軽大将になっとった。それからは、あ~っちゅう間に出世して、今は天下人。関白じゃと。ありゃあ何もんじゃ?わしゃ、何を生んだんじゃ?とんでもねえバケモンを生んでまったみたいで、おっかねえ・・・誰かが力づくで首根っこを押さえたらんと、えれえことになるんだないかのう。そう徳川殿にお伝えしてちょう!

 ある意味、凄い置き土産を残していったものだ。これを聞かされた家康家臣団は何を思うか。そして家康は。背筋が寒くなる。

 秀吉の母は、私の中ではイコール「秀吉」の市原悦子演じる「なか」だ。息子のためなら一肌脱いで、どこまでも尽くすタイプ。それで言ったら、最近の再放送「篤姫」で大久保利通の母フク(演・真野響子)が、鬼になると言う息子に対して「私も鬼の母になるだけのこと」と静かに受け止めたのと共通する。

 そんな市原悦子の「なか」も傲慢になる秀吉を非難するようになるが、頭の良い、肝の座った百姓女だった。その点では、最初から最後まで愁眉を開くことなく、嫁のねねと共に苦悩し、息子秀吉に説教しつづけた「おんな太閤記」の赤木春恵も賢い母だった。母の立場から逃げなかった。

 今作の、家康の母・於大の方も逃げていない。前34回「豊臣の花嫁」で、豊臣から送り付けられた女人ふたりを慮る於愛の方を援護する形で家康と言い合った。

於大:人を思いやれるところがそなたの取り柄と思うておったがのう。

家康:思いやりなんぞで国を守れるものか。これは、わしと秀吉の駆け引きじゃ。

於大:おなごは男の駆け引きの道具ではない!

家康:母上らしくない物言いですな。ご自身こそ、散々そのような目に。

於大:だからこそ、せめて、蔑ろにされる者を思いやれる心だけは失うなと申しておる。

 このように、殿である息子に対しても毅然と言ったのが於大だった。

 人が人に対して物を言うのは、まだ期待があるから。期待しない人には何も言わず、離れるだけだ。なら離れればいいじゃないかと簡単に言えないのが天下人の家族だ。

 今の仲の場合、息子が天下人になって、逃げようもなく支配下に置かれ、恐れるしかできないのかな。悲惨。いつか、母として逃げずに立ち向かうのかもしれないが。

秀長も逃げられず

 仲は、秀吉を恐れて秀長の大和郡山にもよく行っていたとの話も聞くけれど、秀吉の首根っこを押さえようとまさに苦労したのが秀長。有名な話だが、その苦労が彼の命を縮めたのだろう。

 今作でも、「良い身内をお持ちで」と、寝たふりをする秀吉に家康が言及したのが寧々と秀長だった。

 秀長は、近くでつぶさに兄を見ている。今作の寧々にはまだ秀吉との視点の近さが見られ、オッと思ったが(例えば、震災後の「もはや戦どころではないわ。民を救うのが先でごぜえますじょ。速やかに立て直さねば我らの足元が崩れてまう」「わかっとるわ」の夫婦の会話)、秀長は今のところ常識人らしき振舞いをしており、微妙に狂った兄に仕えることに苦労しているように見える。

 そして、兄はどんどん狂っていくのだ。

秀吉:戦無き世か・・・家康。戦が無くなったら武士どもをどうやって食わしていく。民もじゃ。民もまっとまっと豊かにしてやらにゃいかん。日の本を一統したとてこの世から戦が無くなることは・・・ねえ。切り取る国は日の本の外にまだまだあるがや。(世界地図を見る目が獣化)

秀長:(怯みつつも)まあまあ兄様。今は天下一統でござる。先々のことはおいおい。(無言でにらみつける秀吉、身動きできない秀長)

 怖いだろうな。仲同様、こちらも逃げられない秀長は、心配を沢山抱えて死んでいったのだろう(ドラマではまだだけど)。歴代大河の秀長は、中村雅俊・高嶋政伸あたりの印象が強いが、今作の佐藤隆太も加えて、根が真面目そうな俳優陣が演じてきた。それで尚更悲劇的に見えるのだろう。

家康、狸の力試しはどう転ぶ

 方向転換をして、秀吉を操縦することで「戦の無い世」を作る夢を胸に上洛した家康だが、気づけば数え45歳。昔の人は年齢を3割増しで考えると今の人の感覚でぴったりだと聞いたことがあるので計算してみると、58.5歳だった。なるほど。

 定番だった「どうしたらええんじゃ~」も封印されて久しい気がする。が、これぐらいの落ち着きをもう少し前に出してくれていたら、とは思う。正直、神君家康公だというのに、感情的過ぎて見づらかった。こんなに子どもっぽい人が、狸などと呼ばれる訳がない。

 前回など、織田信雄とのやりとりでは信雄の方がよほど狸だった(ビジュアル的にも)。自分が家康に何をしたかはすっかり棚の上で「そなたにとっては天の助けじゃ、関白は正に兵を差し向ける寸前であった。そなたは命拾いしたんじゃ、今しかない、上洛なされ」と家康にこんこんと諭す感じ。狸よの~。対する家康は感情も露わ、忠次に止められる有様で全く狸じゃなかった。

 今回、狸の力試しにはちょうど良かった真田昌幸と対峙する場面。佐藤浩市の怒りの目力が威圧的で、いやもう凄かった。対する家康は、その怒りの挑発を「言葉は人並みに分かる」と、いなしながらも、結局、沼田の替え地プラス養女を信幸の嫁に与える方向に持って行かれた。

 真田の思う壺の展開であり、家康もイライラしたか。でもそのイライラを先に表に出していたのは重臣の方で(たぶん大久保忠世がダンっと足を強めに踏んで合図を送り、刀を構えた家臣たちが陰から出現して真田親子を威嚇)、敵地でのこのプレッシャーに耐える真田親子の胆力をとにかく褒めるしかないだろう。

 そうそう、浜松城を離れるにあたり、城下に餅を配りに行った時、昔の三方ヶ原合戦における誹謗中傷を広めた柴田理恵の婆さんらに「あの頃のわしが無様だったのは確かだから、もっと言っちゃって~」的に笑って許したのは、なぜそこまでと考えさせられた。「許してあげるから、もう言わないでね。訂正してね」じゃないのだ。

 これは現代に引っ張ってきて参考にしてはいけない部分なんだろうな。誹謗中傷はいけない事だ、なぜなら言われた方の傷つきは大きい。

 あの頃はデジタルタトゥーの心配もいらないし(とはいえ、現代までこんなに残っているがw)、殿様にそんなことをしたとバレたら即打ち首なんだろう。だから思い切り許してあげなければいけなかったのではないかな。良かった、狸の階段を1つ上れて。

 そして、この餅配りも於愛との楽しかった思い出の1つになるんだろう😢今回もスカーンと殿のお尻を叩き「近見が進んで」と平謝りしていた於愛。これって伏線になりそうで怖いな・・・。 

今週の正信

 もはや、いてくれるとホッとするのが本多正信。イカサマ師というかこちらこそ正真正銘の狸、何をしてくれるのかとワクワクする。

 まず、しっかり台本が書かれた陣羽織の大芝居を家康が秀吉のために演じた後、家臣控室(?)での鳥居(彦右衛門)元忠・榊原康政・本多正信が揃った場面が面白かった。なぜ直政と自分がお供を交代になったのかと元忠が問う場面だ。

 どうして正信は、食べ物のありかを瞬時に嗅ぎつけることができるのだろう。ここでのミッションは2つ。怪しまれずに彦右衛門から食べ物を奪い取ること、そして彦右衛門の疑問に対して彼を傷つけないように快い嘘をついてあげることだ。これを並行してやり遂げる正信の能力の高さ。康政が横で黙って見届けているのも面白い。

 次に、星談義を楽しむ家康と石田三成の横で、アレコレ話す家臣たち。「(星は)みんな並んでおる」と投げやりなのが正信だろう。腹の足しにならないものには興味が無いのか。

 そして、真田昌幸・信幸親子との緊張の対面場面。「さ~な~だ~ど~の」と間延びした呼びかけで、徳川の与力の立場だから徳川の言うことを聞かなきゃならんことは知っているかと問い、秀吉の命令であることも指摘する。が、昌幸が「で~き~ま~せ~ぬ」と、あれこれ言い逃れた。

 正信の問いかけは真田昌幸相手に不発に終わったが善戦。何といっても表裏比興の者だもの。のんびりした徳川家中の人たちを相手にしていたら、正信も腕がなまるというもの。今後に期待したい。

「真田丸」の気分でいると・・・

 ところで、真田昌幸が家康よりも4歳下であるという事実に気づき、世の中がざわついている。本多正信よりも9歳下なんだとか。あらら・・・やっぱり佐藤浩市が大御所過ぎて、あの場で一番偉く見えちゃうから、はっきり言ってそぐわない。

 高校生でも凄く老けている子はいるけどね。そういったタイプと思えばいいのか・・・無理でしょ、舞台じゃないのだから。映像作品だと難しいよね。あの山田裕貴(33歳になったばかり)が演じる本多忠勝のキラキラした若さと並んで、息子と娘の親同士ですと佐藤浩市が言えるのだろうか・・・。次回はその信幸の嫁取りの話になるのだろう。

 前述の真田親子と対決では、家康が「沼田の件ではこちらにも落ち度があった」と替え地を与えると言うものの、「ありていに言えば、徳川を信用できない」と頑張る昌幸が、信幸に家康の娘(重臣の娘の養女でも可)を嫁に欲しいと望む流れだった。

 えええ~信幸にはれっきとした妻がいるのに!しかも、真田本家の娘(昌幸の兄・信綱の娘・清音院殿)を妻にしている。そうじゃ無かったら、庶子で他家を継いでいた昌幸が、真田家の家督を継ぐ理が薄れてしまう。真田からあんな話を持ち出したのは大いに疑問だ。

 むしろ徳川側から言い出した懐柔策だったのではないのか。人質として嫡男信幸を駿府に置かせ、その間に、徳川の娘を娶せて嫡男を取り込む。これこそ狸にふさわしい策だと思うが。

 「真田丸」の大ファンなので、この信幸の最初の正妻(「真田丸」では「こう」)の話になると、病弱でしゃもじを取り落していた彼女(長野里美)が浮かぶ。宴会では、ピンチで夫に頼まれ、場持たせのために「雁金踊り」を突然ヨロヨロと舞い、その場にいた全員、視聴者をも心配させたのだった。秀逸だった。

 その彼女は、正妻の座から降りて稲姫に仕える立場になったら俄然元気に。面白かったなー。

 「どうする家康」では「こう」の立場の最初の妻は出てくるのだろうか。出てきたら面白い。

(敬称略) 

【どうする家康】#34 自分のお気持ち大事な家康、数正・忠次・正信・於愛の連係プレーでようやく上洛へ

瀬名ロスがぶり返す押し花の秘密

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第34回「豊臣の花嫁」が2週間前の9/3に放送されていた。体調不良時を除き、一応、毎週感想をダラダラと書いてきているのに、今回は何の理由もなく通過するところだった。危ない危ない。

 34回も決して見どころが無かったわけではなく楽しんで見たのだが、このところのジャニーズ問題の方に気を取られていたら・・・今作は、ガッツリとジャニーズ大河だ。9/15発表の新キャストにもジャニーズタレントがいる。とはいえ、主役を挿げ替える訳にも行かないから、今年はこのままだろう。

 さて、早速あらすじを公式サイトから引用させていただく。

打倒・秀吉(ムロツヨシ)を誓ったはずの数正(松重豊)が豊臣方に出奔、徳川家中に衝撃が走る。敵に手の内を知られたも同然となり、家康(松本潤)は追い詰められるが、そこに未曽有の大地震が発生し、両軍戦どころではなくなる。何とか家康を上洛させたい秀吉は、妹の旭(山田真歩)を家康に嫁がせ、さらに老いた母まで人質に差し出す。秀吉に屈服するか、全面対決するかの二択を迫られた家康は……。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 前のブログで、出奔した石川数正が残していった物を「残されていたのは木彫りの仏、たぶん秀吉に押し付けられたという金の入った箱、『関白殿下是天下人也』という書き付け」とテキトーに書いていたのが、今回の放送でバレてしまった。

 録画を見直してみたら、「木彫りの仏」と「書き付け」は合っていたが、「たぶん秀吉に押し付けられたという金の入った箱」は、寧々が「奥方に」と言って数正に差し出した高価な櫛入りの箱だった。

 そして!築山のお花畑の花であろう押し花が入った箱が、仏様と一緒に置いてあったのだった。それが、今回のキーアイテムになった。

 押し花の上には、「正信念仏偈」と題された紙が入っており、さも念仏入れの箱に押し花を入れてあっただけであるかのように一見、見えた。しかし、実は大切なのは花の方だった。築山にいた瀬名の花を、念仏で供養している箱なんだね。

 於愛の方は「もしかしたら、今は無きあの場所を数正殿はここに閉じ込めたのではありませんか。いつも築山に手を合わせておられたのではありませんか」と言っていた。

 妻の鍋も知っていて(というか、不器用だという数正ではなく、鍋が押し花を作ったのだろう)、だから瀬名への供養にと、寧々からの高価な櫛もお供えとして置いていったのだろう。

 今回の冒頭、なでしこと見える花を生けつつ鍋が物思いにふけっていたのは、岡崎の屋敷に残してきた押し花を思ってのことだったのだね。オープニングのミニアニメも花々だったし(残念ながら名前が分からない💦)。

 瀬名ロスがぶり返す思いだ😢😢徳川家中の妻女は、実はほとんどが築山の花の押し花を似たような形でこっそり供養しているのかも。「誰も世話する人がいなくなるから持って行って」と生前の瀬名は来訪者に勧めていたしね。花を貰った人が、持って帰って捨てられる訳がない➡押し花にしよう、ということになるから。

「チームA」があの手この手で上洛への道筋をつけた

 ドラマでは、家康に上洛を決断させようと働きかけていた「チームA」が、酒井忠次、本多正信、於愛の方。反対に、殿と足並み揃えて「秀吉には跪けない」と意地を張っていた「チームB」が、本多忠勝、榊原康政、井伊直政だった。

 ざっくりと、チームAは親・石川数正というか現実派だ。この3人が、評定ではまるで打ち合わせでもしたかのように絶妙に合いの手を入れ合い、殿らチームBを追い込んだ。

忠次:(「何年でも戦い続けて領国を守り抜く」と言う忠勝らに)それが本心か、平八郎、直政。本当に戦えると思うか。どんな勝ち筋があるというんじゃ!殿、殿も本当は分かっておられるはず、我らは負けたのだと。それを認めることがお出来にならんのは、お心を囚われているからでございましょう。

正信:囚われているとは、何に?

忠次:今は亡き、御方様と信康様。そうでござろう。

家康:悪いか。もう誰にも何も奪わせぬ、わしが、わしが戦無き世を作る、ふたりにそう誓ったんじゃ。(略)評定のさ中ぞ(於愛が何か抱えて入ってくる)。

於愛:私には難しいことは分かりません。なれど、御方様が目指した世は、殿が成さなければならぬものでございますか?他の人が戦無き世を作るなら、それでも良いのでは?

忠次:数正には、それが見えておったのかもしれんな。自分が出奔すれば、戦はもう、したくてもできん。それが殿と皆を、ひいては徳川を守ることだと。

正信:だから誰も巻き込まずに己ひとりで間者となった。罪をすべて一人で背負った。殿のご迷惑にならぬように。

於愛の方:私、ずっと考えておりました。なぜ数正殿が仏様を置いていかれたのか。(お経の入った木箱を開き、底に仕込んである押し花を出して見せる)私にもわかりません。でも、もしかしたら今は無きあの場所を数正殿はここに閉じ込めたのではありませんか。いつも築山に手を合わせておられたのではありませんか。

井伊直政:良い香りだ。

鳥居元忠:懐かしい、築山の香りだ(泣く)。

本多正信:なんとまあ、不器用な御方じゃな。

酒井忠次:それが石川数正よ。(座を正して)殿。お心を縛り付けていた鎖、そろそろ解いてもよろしいのでは。これ以上、己を苦しめなさるな!

 この後、家康は涙をボロボロ流して天下を取ることを諦めても良いか?秀吉に跪いても良いか?とチームBに聞いた。そして、数正の裏切りのせいで戦えなくなった、数正のせいじゃー、殿は悪くないー・・・と皆が泣き叫んで徳川家中のガス抜きも完了、話が上洛&秀吉臣従でまとまった。ヤレヤレ。

頼りになる副将・酒井忠次、ずっといてほしい

 このドラマの酒井忠次(A-1)は、殿の意向に反するゆえに誰も切り出せない話を、きっちり的を射た上に殿の心情を害さないように提示して説得する、頼りになる家老であり続けている。

 演じているのが大森南朋だし「カッコいいな~、カッコいいよ~」と隣で見ている家族がいつもうるさい。でも確かにずっといてほしい。

 忠次は「数正には数正なりの何か深い考えがあってのことじゃろ」と言い、出奔前に何の相談が無くても、数正への信頼は揺るぎない。一方、家康は「決してお忘れあるな。私はどこまでも殿と一緒でござる」と去り際の数正にしっかり言われたにも拘らず、裏切られた~なんでじゃ~数正~と涙目で悪夢を見てしまう。

 いつまでもシャッキリしない殿だよなあ・・・ご機嫌を取って導く副将忠次は大変だ。でも、義理の叔父さんだから頑張るしかないもんね。

 家康は、未だに家臣を信頼できないご様子。その点はドラマ当初から成長が見られないじゃないか~と見ている方もガッカリだ。なぜ数正を信頼できない?

 こんな殿だから、副将である忠次に共感してしまうのだろうなあ。今回も、旭姫を家康正室の名目で人質に送ってくるという話に「秀吉としてはこの上ない歩み寄り」ときちんと分析していたし、いよいよ後が無くなった評定で、腹を括って殿を説得にかかった。

 家康が幼少期に人質に取られていた時から徳川はずっと、彼が副将として家中の舵取りをしてきたのだろう。いなかったら徳川はどうなったか。こんなに優秀で、よく下剋上を考えなかったよなあ。

数正の意図を早くからつかんでいただろう正信

 忠次と共に、ちょいちょい数正の考えに沿った言葉を挟んできていたのが本多正信(A-2)だ。数正の出奔の意図は、早くから分かっていた様子だ。それだけ感情に左右されない怜悧な頭を持っているから、見ていてホッとする。脚本家が一番好きなキャラは彼なんじゃないか?

正信:難儀なのは今後。あの御人が敵方に付いたということは、我が方の子細、裏の裏まで秀吉に渡ったと見るべきでござる。今度こそ迷うことなく攻めて参りましょう。これでも尚、戦えますかのー。奴が先方かもしれませんぞ。

 そして陣立ての刷新を家康に提言した。数正出奔に対して怒ったりショックを受けたり涙したりする前に、現時点でのToDoが良く分かっている。また、数正が秀吉によって「飼い殺し」になっている実情をちゃんと調べていた。それを伝える際も、言い回しが殿の心証を害しないよう、プラス自分の同情心を隠して絶妙だ。

正信:殿、老婆心ながらそれとなく探らせておりまして、大坂まわりを。例の裏切り者でござる。秀吉の下でいかなる悪だくみを図っておるかと思いましてな。

 その結果を「放っておけばよいのではないのか」との声もある中、「せっかくじゃ、申してみよ。秀吉の下で何をしておる」と家康や皆の耳に入れようとするA-1忠次。連係プレーはバッチリだ。そして、数正は単に飼い殺しになっていると皆が知る。

 正信は、あくまで仕事をサクサクするポーズを取っているが、そこに「殿もバカだな~、考えなくたって数正の意図は分かりそうなものを」という気分が見え隠れする。このまま家康が上洛しないで戦うと最終的に決めたら、呆れて秀吉方に寝返ったかも。

 ところで、正信は食べ物があれば必ず手を出して食べるし(大きな味噌田楽を食べながら喋るのは大変そうだったけど美味しそうだった)、秀吉からの金にも手を出して数正に叩かれていたし、殿の部屋の本も懐に入れてしまう。とにかく正信は手癖が悪い。

 その点で、何かあればすぐにポケットに入れ、後の戦いで面白く活用して見せる「マスターキートン」の主人公のエージェントを思い出した。正信もキートンも、気分の浮き沈みが少なく安定している。共に、冷静に物事を考えられる性質なんだろう。

切り札はやっぱり瀬名(於愛)

 忠次と正信のふたりは、家康の外堀をどんどん埋める。しかし、自分のお気持ちを何より大切にする今作の家康は、頭の理解より心の納得が何より大事だ。

 そこに、瀬名関連の品を引っ提げて登場、殿の心のど真ん中を撃ち抜いたのがチームAの切り札、於愛の方だった。出奔した数正が、木彫りの仏と一緒に、押し花入りの箱(=つまり瀬名)にも祈りを捧げていた・・・というのが今回の家康ら家臣団の涙腺崩壊ポイントになったのは前述の通りだ。

 「数正のせいじゃ~」と家康含む家臣団が涙にむせびながら叫ぶ場面、正信を除く、御方様を慕う男どもは評定の場で皆泣いているのに、於愛は泣かずにニッコリ。いつまでも子どもの殿に、ヤレヤレか?彼女が今回、家康の心を動かしたMVPだった。

 それにしても於愛。亡き正室・瀬名への愛情にどっぷりのままの家康に笑顔で仕え、御方様が遺した夢の実現に向けて心を砕く。そして継室の旭が来ても「お仕えしていて楽しゅうございます」と屈託なく言ってのける度量の広さ、評定にもズカズカ入り込む度胸、なかなかの人物だ。

 於愛には、人を思いやれる真っ直ぐな優しさもある。秀吉が妹と母をも差し出すのに戦をするのかと家康に問い、夫と無理やり離縁して浜松に来た旭を慮って家康に食って掛かる。旭の元夫が行方知れずであることも家康に伝えた。ただ旭や仲が不憫だからだと言う。

 演じる広瀬アリスは、ちょっとテンポが早すぎだーと感じる場面が前にはあったが、もう慣れた。於愛の人間性は出来過ぎだが、中の人そのままかもしれないとも思える爽やかさ。そんな訳ないか。

 大河ドラマでは、竹下景子が演じた於愛を憶えている。だが、今作ほど家康にガンガン物を言う於愛は面白い。今作の家康がフニャフニャ煮え切らないから丁度いいのかな。

 ドラマの最後で、瀬名を象徴する木彫りの兎を箱にしまった後、家康は「関白を操りこの世を浄土にする。手伝ってくれ」と於愛に告げる。「はい」と答えた彼女は輝く笑顔だったが、旭と共に退場が近く残念だ。だが、そこは史実だから変えられない。だから今回は於愛に花を持たせたか。

 家康が長生きだからか、他のキャラが悉く短命に思えてしまう。四天王も、誰も大坂の陣の時には生き延びていないと思うと寂しい。イカサマ師の正信はいてくれるが。

 ということで、そろそろ切れ者の阿茶の局が出てきてもいいのに。彼女も長生き。それも楽しみではある。

思い出す泉ピン子に清水ミチコ

 今作の旭姫はワンポイントで終わってしまいそうだが、演じる山田真歩は良かった。「えー、中の人はあの『花子とアン』に出てたクールな人でしょ。信じられなーい」と思った。役者さんは凄い。隣で家族も「うまいよね、泣けるよね」と絶賛していた。

 自分が家康を上洛させる役目を果たせず、老いた母・大政所も浜松にやってくると知ってショックを受けた旭。一瞬言い淀んでもすぐに於大らにおどけてみせたが、ひとりになったら頭を床にゴンとぶつけて(あれ本当に痛そう)オイオイ泣き、家康が評定から戻った時にも、大泣きの後の涙がまだ目の端に光っていた。

家康:もう良い、もうおどけなくて良い。辛い気持ちを押し隠し、両家の間を取り持とうと懸命に明るく振る舞ってくれたのに、老いた母君まで来させることになり誠に申し訳ない。この通りじゃ(頭を下げる)。わしは上洛する。そなたのお陰で、我が家中が少しだけ明るくなった。礼を言うぞ。そなたはわしの大事な妻じゃ。(旭、また頭を床にゴンとぶつけ、泣く)

 しかし、低い声でしゃべる、こわーい兄・秀吉に、問答無用で夫と離縁させられ見知らぬ土地に人質同然で送り込まれるなんて、病になるに決まっている。実際の彼女、44歳で嫁いで47歳で没しているようだ。なんてことだ。ご正室様でございますと祀り上げられ、命を縮めたんだな。

 ただ、最新の説では彼女は本能寺の変の頃には既に前夫とは離縁していたとか。「問答無用で夫と離縁させられ」の泣きポイント1つは、そうじゃなかったことになる。

 この役は、つい最近もBSで再放送されていた「おんな太閤記」(1981年)で見たばかりだ。泉ピン子の朝日姫は、よくしゃべる義理の妹として主人公の寧々(佐久間良子)の生活に早くから関り、夫の副田甚兵衛(?だったかな)を演じるせんだみつおと仲の良い面白夫婦の体だったが、家康に嫁ぐ段になると一転、涙を大いに誘った。

 本放送で見た42年前も、泉ピン子の朝日がかわいそうで泣いた覚えがあるのだが、最近の再放送でも「ピン子ってものすごく良い女優さんじゃないの!」と涙が出た。

 フランキー堺の家康が驚くぐらいの善人設定で、ピン子の朝日も大事にされたのだったが、朝日との離縁を言い渡されて行方不明になっていたせんだみつおが芸人一座に入っていて、浜松城下にその一座がやってきた時に「元気のない御方様(ピン子)」に城で芸を見せることになり再会。このくだりが本当に泣けた。

 そういえばこの時、篠ひろ子演じる阿茶の局が、不自然に意地悪で意気軒昂だった。いじめられる朝日!かわいそう!との演出だったのだろうけど。

 という訳で、私の中で朝日姫と言えば=ピン子の位置は刷り込まれて揺るぎないが、「真田丸」(2016年)の清水ミチコはどうしようもないくらいおかしくて、忘れられない。もう反則でしょう。ほぼ無言の仏頂面で、今書きながらも笑ってしまう。大政所と再会した時の「おっかあ」と抱きついて泣くぐらいしか、表情の変化を覚えていない。

 あと、美人すぎるんじゃ・・・と思った朝日は「秀吉」(1996年)の細川直美。イメージピッタリなのにあまり覚えていないのは「功名が辻」(2006年)の松本明子だ。

 短い出演でも今作の山田真歩は印象的。とても良かった。次回は大政所(高畑淳子)が登場、全部持って行きそうだ。

 秀吉一家は皆天パ。それはママがそうだからなんだね~と分かるビジュアルを予告で見たが、面白さばかりじゃなく、ちゃんと母娘の心細さ、哀れさも表現してほしいところ。そうじゃないと、高畑淳子と山田真歩の無駄遣いになりそう。はてさて。

(敬称略)

性加害、切実な被害者の声が届くようになったか😢

外部専門家チームの人選をしたのは誰?素晴らしい

 いつも大河ドラマのことばかり書いているが、今週9/10の放送はラグビーでお休みだったし、たまには被害者周辺の話も書こうと思う。ちょうどある問題が大きくクローズアップされており、気になっている。「どうする家康」主演の松本潤も所属する、ジャニーズ事務所の創設者の話だ。

 故ジャニー喜多川による、所属事務所のタレントや候補生(Jr.)の未成年者に対する性加害問題が昨今大きく取り上げられている。今年に入っての動きをメモしておくと;

  • 3/18 BBCが故ジャニー喜多川による性加害についての番組を放送
  • 5/14 姪の藤島ジュリー景子社長(当時)が謝罪動画を公表
  • 8/4 国連の「ビジネスと人権の作業部会」委員が記者会見
  • 8/29 ジャニーズ事務所の外部専門家チームが記者会見
  • 9/7 ジャニーズ側記者会見。故人による性加害を公式に認め謝罪、藤島社長の退任、東山紀之社長の就任を発表

ーーという流れだ。

 反響を見ていて思うのは、時代が変わったという点だ。「枕営業」などと被害者の声が茶化されることなく、やっと尊重され扱われるようになった気がするが、まだ表面的なものだろうか?少なくとも、被害者を尊重しないとまともじゃないとの空気は流れている。こんなにも日本社会での受け止め方が変化したことに、正直言って驚きがある。

 切実な被害者の声に、今やっと日本社会が耳を傾けるようになった理由は何だろう。この国では少し前のMeToo運動も茶化して低調だった印象があるのに。

 ジャニーズ問題では、男が被害者として声を上げたからか?男が物を言わないと真面目に受け止めない日本社会だから・・・という気もしないではない。女が散々言ってきても大して耳を貸さないけれど、男が言って初めて「そりゃ大変だ」と物事が動き出す。よくあることだ。

 そして、外圧に弱い日本人だから、まず国内的しがらみのないBBCが報道してくれたことが大きい。ここで、国連の人権委員会をも動かした。提言に法的拘束力はないとはいえ、日本人にショックを与えるには十分、作戦勝ちだと思う。被害者側の作戦参謀は誰だろう。BBCがアドバイスしたのだろうか。

 さらに国内での流れを決定的にしたのは、ジャニーズが依頼した「外部専門家による再発防止特別チーム」が、誰に忖度する訳でもなく被害事実を公に認定したことだろう。公式サイトにガバナンス上の問題点、再発防止策の提言を含む報告書(調査報告書(公表版).pdf (saihatsuboushi.com)調査報告書(概要版).pdf (saihatsuboushi.com))が載っていた。

 「ジャニーズが頼んだのだから、適当にお茶を濁して終わるのではないか」「独立した第三者委員会じゃないとダメだろう」との見方もネット上にはあった。しかし「このメンバーがお茶を濁して済ます訳ないじゃないか、被害者支援都民センターの面子がかかっているんだぞ」と、私は心中思って推移に注目していた。

 何しろ、記者会見に並んだ専門家の3人のうち2人は、同センター関係者。理事長の精神科医・飛鳥井望先生と臨床心理士の斎藤梓さん。被害者の声に長く耳を傾け支えてきたベテランの人たちだ。同センターには、性犯罪被害者からの相談が近年は多くなっていたはず。そのプロの方たちが、被害者の声を蔑ろにするわけがないと信じられた。

 会見時に真ん中で主に受け答えをされていた方は、元検事総長の林眞琴弁護士。検察は言うまでもなく「被害者とともに泣く」存在。そのトップにいた人だ。

「外部専門家による再発防止特別チーム」についてのお知らせ | ジャニーズ事務所 | Johnny & Associates (johnny-associates.co.jp)

 この外部チームの人選をしたのは誰だろう、その人は本当に偉かったと思う。こんなに被害者方向に顔をちゃんと向けた面子を揃えるのはなかなか無い。そしてこの面子を、よくジャニーズ側に飲ませたものだ。もちろん、飛鳥井先生を始め外部専門家チームも良くお引き受けになった。疑いを持たれながらの大変な作業だったろう。

 紹介者は誰だろう?外部取締役?顧問弁護士なのだろうか?裏で弁護士ら支援者同士がつながって良き方向に導いたのだろうか?誰かわからないが素晴らしい仕事をした。

所属タレント=ほぼ被害者、無理なアウティングは悲劇を招くおそれも

 この外部専門家チームの報告・提言によって追い詰められ、ジャニーズ事務所は謝罪した。記者会見での生真面目なヒガシと人の良さそうなイノッチの姿を見て、所属タレントが売り物の印象そのままを生かし、ジュリー氏や前々日に退任したとして姿も見せなかった前副社長の盾にされちゃったかと気の毒だった。

 前社長、前副社長が揃ってまず記者会見すべきだったのではないか。新社長のお披露目はその後だろう。

 会社経営は素人でよくわからないが、現在所属するタレントは「ジャニーズ」の冠をかぶされている限りはどんどんCMなど仕事が無くなっていきそうだ。国際化している大企業のスポンサーは、性加害に対する国際基準に照らして離れていくだけだろう。早く別会社を仕立て、タレントをそちらに移さなければ惨憺たることになるのでは?

 いっそのこと、タッキーの会社「ToBe」に全員引き受けてもらったらどうか?

 そして「ジャニーズ」という名を持つ企業は、新会社から切り離されたものとして被害者への損害賠償等を担うとして前社長が存続させるとか?故人の遺産を全て被害弁償に当てる財団にするとか?所属タレントへの被害を少なく抑えるために、何かできることがありそうだが。

 そう心配になるのも、現在のジャニーズ所属タレントの中には被害者が沢山いるだろうと思うからだ。「皆ほぼ被害者」と言っていいかもしれない。①故人から直接に被害を受けた人たちと、②直接ではなくても、故人への絶対崇拝の逃げられない空気の中でのいわば「順番待ち」だったかもしれない人たちだから。

 ②の人たちは、いつ自分も被害を受けるかと恐れおののいて過ごし、同時に、自分の身近な友人が被害を受けた噂を知って、「何もできなかった」という自責感にも苦しんできたはずだ。

 1人の被害が発生すると、波紋が広がっていくように、同心円状に皆、被害の影響を受けて傷ついていくもの。「被害者はひとりじゃない」と言われる所以だ。子どもが被害に遭って、そばで泣く親の姿、まわりで悲しむ友人の姿は容易に想像できるはずだ。

 今回の問題について櫻井翔の口が重く、キャスター失格だとかあげつらわれているのが気になっている。無責任に追い詰めて、彼が①だったらどうするんだ?もしくは②で、近しい人、例えば嵐のメンバーが①であって事情をよく知っていたら。

 追い詰めて、事実上の強制的なアウティングなどをさせないでもらいたい。彼が「知っていた」と言えば、誰かが①と推測されてしまう。追い詰めないでほしい。ファンへの影響も当然考えるべきだろう。スターには、同心円状に多くの人がいるのだ。

 故人が絶対的な存在であればあるほど、なかなか協力者も得られにくい。被害者に近い立場で誰にも言えず孤立していれば、何ができたというのか。「ほぼ被害者」なのだから、所属タレントを責めないでほしい。

 これまでメンタル的に不安定なジャニーズタレントの存在は、ファンでなくても目についた。反動からか、過剰にマッチョに振る舞ったり薬物に落ちていく人たちも気になった。故人から被害に遭った人たち、その周辺にいた人の心は、今大揺れに揺れているだろう。フラッシュバックの連続に見舞われているかもしれない。気の毒でしかない。

 所属タレントの皆さんは、被害を受けて心にザックリ傷を負っている状態なのだから、治療や支援を受けるのは当たり前で恥ずかしいことでは全くない。しんどかったら無理せずに医療機関や被害者支援都民センターでカウンセリングを受けてほしい。

 支援センターのカウンセリングは、ある程度まで無料のはずだ。しかし、その場合、ジャニーズ事務所前社長は相続した遺産を同センターに寄付し、資金的に支援をバックアップすべき道義的責任があると思う。

どこかで記事にできなかったのだろうか

 さて、自分の過去を省みる。英字新聞の放送メディア担当記者として働いた時期があったのだから、当時、何かできなかったか。今もその立場だったら、今回の記者会見は必ず取材に出向いて記事にしていたことだろう。

 今回の問題がクローズアップされてくるにつれ、あまりの被害の大きさに気が重くなった。ただ・・・確認してみると微妙にタイミングがズレていて、私には記事化は難しかった。言い訳になってしまうが。

 20世紀は女性の性被害が矮小化され、茶化されまくっていた時代だ。まるで、被害者側も楽しんでいて「枕営業」「ハニートラップ」をしかけているかのように加害者側に都合の良い解釈がはびこる一方で、性被害が、どれだけ被害者に心身ともに長く続く無残な被害を与えるかについて、例えば、半年歯が溶けるほど吐き続けた後の自死を招いてしまう程悲惨なことにもなるのだと、知られていなかった。

 ましてや男性の性被害に対しては「ホモ」などと揶揄され、私は全く気が回っていなかった。この頃、男性の性被害者であることの辛さは一入だっただろう。理解者がほぼ社会にいないのだから。

 さて、9/7放送のTBS「情報7daysニュースキャスター」で示されていた表を一部引用させていただく。

①1988年 元フォーリーブスの北公次氏が告白本出版、翌年、告白ビデオを発表

②1999年 週刊文春がジャニー氏のセクハラについて記事連載、ジャニーズが名誉棄損で提訴

③2002年 東京地裁が賠償額880万の支払いを文春側に命じる

④2003年 東京高裁が賠償額を120万に減額、ジャニー氏によるセクハラ被害の真実性を認める

⑤2004年 上告棄却の決定、ジャニー氏の性加害の事実を認めた高裁判決が確定

 まず①の北公次氏の暴露本とビデオ。彼は既に2012年に病死している。私は申し訳ないが、本もビデオも存在を知らなかった。痛々しい訴えのビデオは「情報7Days」で放送された今回、初めて見た。1988年は、まだ留学中だった。

 英字新聞でメディア面担当になったのは90年代半ば、阪神大震災の後だ。98年に体を壊し、週刊文春の連載②1999年は療養中。元気でも「これは週刊誌ネタ。新聞が書く段階ではない」との住み分けを意識して手を出さなかったと思うが・・・この頃は手術や療養に忙しく、週刊誌を読む余裕が無かった。

 新聞が記事にしやすかったタイミングの裁判③~⑤の2002~2004年については、体調悪化が続き、逃すことになった。2003年7月に新聞社を療養期間満了で退職、判決確定時には新聞社外にいた。

 なんとも記者運が無い。所詮、ポンコツ体質には無理な仕事だった。

 もしも健康で在職してメディア面担の仕事を続けていたとしたら、③~⑤のタイミングで記事にできただろう。自分でも間違いなくこの時に裁判記録を読み、記事を書いたと思う。

 ただ、それが当時紙面に載ったかどうかは何とも言えない。英字だし、かえってベタ記事にしてしまえば目につかずに載せられたか。デスクや上が気に入らなければ大きめの記事にはできなかったかもしれないし、逆に問題なく載せてもらえたかもしれない。

 当時のデスクの中には脈絡なく好みの水着グラビアみたいな配信写真を大きく載せたがるのに、被害者目線の「性被害」の記事には眉を顰め「男女平等もいい加減に」などと叱りボツにする人がいた。そういうデスクは「女は男の言うことを聞いていればいいんだ」とばかりに加害者の肩を持つ。「なぜ加害者側か」と頭に来たものだ。

 それも男社会ゆえだったと思うと、仮に男が被害者に回る記事を書いたとしても、余計にそのデスクの頭では単なる同性愛の「怪しからん話」と捉えられ、「新聞の扱う記事ではない」と考えられてしまった可能性もありそうだ。あくまで推測だけれど。

 もしかして、⑤の上告棄却を記事化した朝日新聞と毎日新聞は、上からの指示でのボツを避けるためのあえてのベタ記事だったのだろうか。だとしたら、現場の知恵だ。他紙はボツとは闇が深い・・・。

 2004年と言えば、犯罪被害者等基本法ができた年だ。被害者を黙らせておけば社会は平穏、といった空気が少しずつ変わってきた頃だったと思う。

 それでも、性被害=女性が遭う、という見方が固定化していたし、私自身も男性の被害者に会って実際にお話を伺う機会をいただいたのはもう少し後、被害者支援に関わり始めてからだった。2005年以降だ。

 その時まで正直、自分でも「男同士なら抵抗できるだろう」との無意識な思い込みを持っていたと思う。が、考えてみれば被害が無いわけが無いのだ。加害者は抵抗できない人を狙うから。被害者を女性に限ってしまうのも、現在急速に広まったLGBTの考え方に違和感が無くなってみると、何故そう考えていたのか、おかしな話だと思う。

 また、日本は企業や団体が優先され、個人の声はなかなか聞いてもらえない傾向にあった。弱者と見なされてしまえば尚更。有力企業を率いてきた権力者の加害に目を瞑らず加害として捉えるという点で、SNSが発達して個人の声を蔑ろにできなくなった今のタイミングまで社会が成熟するのを待たざるを得なかったのかもしれない。

 声を上げた被害者が、誰であれ、守られる社会であってほしい。

(ところどころ敬称略)

【どうする家康】#33 瀬名への誓いに縛られた家康に、自分の言葉を届けるための数正出奔

出奔理由、ドラマの数正の感情で言えば一択

 NHK大河ドラマ「どうする家康」の第33回「裏切り者」が8/27に放送された。第33回か・・・「おんな城主直虎」では鶴こと小野但馬が磔となり、直虎が止めを刺したんだった・・・と妄想がシュポーンと飛んでいきそうなところで止めておく。「直虎」も「どう家」も、パートナー的立ち位置の重要人物が主人公のもとを去る回ではあった。

 では、「裏切り者」のあらすじを公式サイトから引用させていただく。

家康(松本潤)は小牧長久手で秀吉(ムロツヨシ)に大勝。しかし秀吉は織田信雄(浜野謙太)を抱き込んで和議を迫り、さらに人質を求めてくる。そのうえ、秀吉が関白に叙せられたという知らせが浜松に届き、家康は名代として数正(松重豊)を大坂城へ送る。そこで数正は、改めて秀吉の恐ろしさを痛感。徳川を苦しめる真田昌幸(佐藤浩市)の裏にも秀吉の影を感じた数正は、決死の進言をするが、家康の秀吉に対する憎しみは深くーー。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 「家康の秀吉に対する憎しみ」って、お市を死に追いやった一点でそんなに深くなっていたのか。自分がまんまと秀吉の策に乗せられて、お市らを助けに行かずに甲斐信濃ニンジンをしゃぶっている間にあれよあれよと死地に追い込んだという、自分への不甲斐なさからの腹いせ?

 秀吉に対して、家康の心情として深まっているとしたら憎しみじゃなくて嫌悪感程度じゃないのかな、それならわかるけれど。建前はともかく、戦国の世なら下剋上は当たり前との考えもあったはずだが。

 「数正の決死の進言」が家康の心に届かないとしたら、

  • 家康が瀬名に、自分が戦無き安寧な世を作ると誓ったこと
  • 今川義元から教えられた「王道>覇道」の信条

ーーこの2つの観念的な話が邪魔をしているのではないか。

 特に前者が殿の心を占拠して縛っている状況では、いくら数正が「見えているものがある」(by 酒井忠次)と言ったって、現実的にどうこうの自分の言葉はとても届かない、取次としての役目を諦めるしかない、と思ったのでは。

 殿を呪縛から解き放ち、現実に目を向けさせるショック療法が、自らの出奔だったのだろう。そんな描き方を、このドラマはしていると感じた。

徳川家康:幼い頃、わしはそなたが苦手でな。いつも叱られてばかりおった。そのおかげで今がある。そなたが、わしをここまで連れてきてくれたんじゃ。

 そなたの言い分は分かっておるつもりじゃ。だがわしは・・・こうする他ないんじゃ。勝つ手立てが必ずやある。そなたがいれば。(数正の方を向いて)そなたがいなければ、できぬ。数正。

石川数正:(両手をついたまま座っている)大高城の兵糧入れが、ついこないだの事のようでござる。数え切れぬほどの戦をしてまいりました。実に多くの仲間を失いました。今も・・・夢によう出ます。あの顔や、あの顔やあの顔が。

 あの、弱く優しかった殿が、かほどに強く勇ましくなられるとは。さぞや・・・さぞやお苦しいことでございましょう。

家康:苦しいことなどあるものか。わしは、戦無き世を作る。この世を浄土にする。そう心に決めてきた!苦しくなどない。

数正:(体を起こして)そう、お誓いなさったのですね・・・亡き御人に

家康:(立ち上がる)王道を以て覇道を制す!わしにはできぬと申すか。数正!

数正:・・・秀吉にひれ伏すなどと申したら、この国を守るために死んでいった多くの者たちが化けて出ましょう。危うく忘れるところでござった。殿を天下人にすることこそ、我が夢であると。(立膝になって)覚悟を決め申した!もうひとたび、この老体に鞭打って大暴れいたしましょう!

 (家康の目を見て、両手をつく)私はどこまでも殿と一緒でござる。(立ち上がる)羽柴秀吉何するものぞ!我らの国を守り抜き、我らの殿を天下人に致しまする!(笑みを浮かべ、出ていこうとして、背中を向けたまま)殿、決してお忘れあるな。私はどこまでも殿と一緒でござる。(去る)

 この次の場面は夜。数正は妻の鍋(いかにもの慎ましい紺色ベースの打掛を、お出かけスタイルの壺装束みたいにしている薄幸女優ナンバーワンの木村多江)、家来も連れて出奔する。そして朝、空になった数正の屋敷に一足先に来ていた酒井忠次が「石川数正、その妻子、その家臣、出奔いたしてございます」と、駆けつけた家康に事務的に、だけど悲しい響きで報告した。

 その頃には数正夫妻は秀吉、寧々、秀長に大坂城で謁見。数正は秀吉と杯を交わして新たに「出雲守吉輝」という名を貰っていた。吹き曝しの、良く言えば自然を常に感じることのできる浜松城と、人工的に作り込んだ庭と金ぴかに光り輝く豪華な建物が大坂城。対照的だ。鍋が大坂城の廊下を見渡し、身をすくめていた。

 気になったのは数正の口上だ。秀吉に「石川出雲守吉輝、関白殿下のため身を捧げまする」とは言ったが、「身も心も」とか「全身全霊」とは言わなかった。彼が、心を家康の下に置いてきたのを思わせる。

 そして、残されていたのは木彫りの仏、たぶん秀吉に押し付けられたという金の入った箱、「関白殿下是天下人也」という書き付け。「羽柴秀吉何するものぞ!我らの国を守り抜き、我らの殿を天下人に致しまする!」と言われたばかりの家康は、混乱しただろう。いや、裏切られたと思っただろう。

 そうじゃないよ、家康。思い出せ、最後の数正の言葉を・・・。

交渉は、身内との情報共有が肝

 こうあってほしいという気持ちも込めて書くと、このドラマの数正は、明らかに家康のために出奔した。ドラマでは於義伊(中の子は「麒麟がくる」の竹千代君だ!)の次の人質として、やはり家康の子らを秀吉が望んでいた設定になっていたが、本来は「家老中之人質二、三人」(家康宛信雄書状)が望まれていたのだから、数正としては自分が人質になるぐらいの気持ちで、秀吉の下に赴いたのだと思う。

 松重豊が演じてきたこれまでの数正は、我を通す人柄ではない。徳川が生き残るとしたら遅かれ早かれ秀吉の旗下に入らざるを得ないと数正は考えていたようだったから、なるべく無事にソフトランディングできるよう、道ならしを先にしておき、有利な条件を徳川のために引き出すつもりと見た。

 きっと、自分が「緩衝材」になり、自分がいる限りは決して秀吉に徳川を潰させない覚悟だろう。

 今回は、しかし「百聞は一見に如かず」「井の中の蛙大海を知らず」が頭の中に何度も去来した回だった。当時の徳川が生き残るには、日の出の勢いの秀吉との和議しかないのに・・・それを知る人が徳川家中にほぼいなかった。

 ドラマの数正も、渋くて寡黙設定だから・・・手を変え品を変え、家中に自分の見てきたことをペラペラ喋って共有することができないタイプ。家中との情報共有が大事だったのに、戦勝を祝う場面でも、ひとりで風に吹かれている場合じゃなかった。特に日の出の勢いで相手方が変化している時には。

 戦前の日本を思い出す。アメリカの国力の実際の強大さを知らずに、はるかに貧乏国の日本が戦いを挑んでいた悲しさ。日露戦争時のポーツマスの講和でもいい。臣民は日本の現状を知らされていなかったから、講和の結果に不満足だとあれだけ憤慨したんだよね。

 例えば四天王の若手3人が、於義伊の護衛と称して大坂城まで送り届け、大坂の町と城を目にしていたらどうだっただろう。一気に情報が入って自らの不明を恥じただろうし、数正が出ていく事も無かったのではないか。

プロと素人の差を認めない人たち

 ドラマを離れるが、歴史家はこの石川数正の謎多い出奔をどのように見ているのか、NHK‐BSの人気番組「英雄たちの選択」8/30の回「どうした?石川数正~なぜ家康の忠臣は出奔したのか~」を興味深く見た。

 司会の磯田道史先生は家族ぐるみでファンであり、夫は「バランスの取れた真っ当な考え方ができる人だ」と、磯田先生を日本国の首相にしたがっている。そんなツテも権限も我が家はないけれど。

 その磯田先生が石川数正について「日本史上、一番お疲れさまが言いたい人。戦国一の苦労人。こんなに誠心誠意勤めた人はいませんよ」と言うのだから、これはもう間違いない。

www.nhk.jp

 ちょっと脱線する。単なる大河ドラマ好きの(一般人の)私が、気分とか期待とかイメージとかで勝手気ままに妄想を述べる時に、他方の歴史研究者の人たち(玄人)は、一字一句に裏付けとなる文献の有無を確認しながら慎重に話をしていることは、私も分かっているつもりだ。

 言葉遣いも、同じ日本語だからといって騙されてはいけない。玄人衆は一般人とは異なり、意味合いを厳密に捉える。厳密さという点で、言葉の捉え方のレベルが違う。一般人のように「カッコいいから」「こんなもんでしょ」とか、ふんわり雰囲気で言い回しを選んでいない。

 その文献とか厳密な言葉遣いとか、そうやって積み上がってきた学問や研究がある。それなのに、その研究上どうしたって存在する理解の深さ浅さの差を理解せず、高名な玄人にSNSで噛みついて返り討ちにあったり、困惑させている人たちを見かけるが、何故なんだろう。

 プロの研究者に太刀打ちできるほどの研究を、自分がしてきたのか?研究の積み上げを認めず、研究者と素人の自分が専門分野で対等に話ができると思っているのが不思議だ。

 このように玄人と一般人がごちゃ混ぜになった結果、大抵の玄人は困惑したままSNSから撤退していく。そうすると、せっかく興味深い専門的なツイート(今はポストだった)を拝見できなくなってしまう。それでも、玄人に噛みついて存在価値を認めてもらいたいのかな・・・。歪んでいるな・・・「餅は餅屋」なのに(脱線終り)。

 こういった「SNS上の素人さんからの噛みつき」にも未だ果敢に対応している(?)平山優先生も、この回の「英雄たちの選択」にはご出演。あと城郭考古学の千田嘉博先生、元国際交渉人の島田久仁彦氏が出ていた。

 石川数正が追い詰められていった現場は正に「国際交渉」の現場だ。数正のように相手方に取り込まれる「ミイラ取りがミイラ」型の取次役というか代表者って、今もやっぱり存在するんだろうか。

 自陣営を説得できないまま、自陣営から裏切り者として疑惑の目を向けられてしまう辛さよ。それを回避するためには情報をできるだけ共有することだよね。

プロの意見も「徳川を守るための出奔」

 前振りが長くなったが、こういった専門家のみなさんが一様に選択したのが数正の行動は「徳川を守るための出奔」であり、「徳川を見限って出奔」の選択肢を選んだ方はいなかった。そうだよね!

 平山先生が言うには、今の研究者たちの共通認識は、見限ったというよりも追い詰められて出奔したという路線だそうだ。

 先生方の理由づけの中で、興味深い所を記録しておきたい(ざっくりメモ)。

  • (平山)孤立している取次役は、当時、暗殺されるか、腹を切らされるか、取次を解任されるか3つに1つ。数正は暗殺される危険性が凄くあった。しかし、戦国期には取次役を解任したり傷つけたりすると相手方への宣戦布告を意味する。数正が暗殺されれば石川家の家臣が黙っておらず徳川家中の内乱状態に陥る可能性があり、そんな中で秀吉方と開戦を迎えては家康にとって最悪。そこで、あらゆる機密を握る徳川のトップである自分が秀吉の下へ行けば、家中の分裂は免れるし、「あらゆる手立てを知られてしまった以上戦おうとしても厳しい」という自制を徳川に促せる。
  • (千田)数正は取次役として苦労が多く、自分の息子まで人質に出し、全身全霊で家康を支えていた人。目先の十万石じゃ秀吉の下へは行かない。むしろ秀吉の下へ行ってもっとダイレクトに物事が分かれば、「秀吉は次こういう手を打ってきますよ」と伝えることができる。これまでしてきたことの延長として、動ける。
  • (島田)数正の出奔は、徳川家中にとってスーパーサプライズ。すごいショック療法。全て握っている彼が先方に行けば、徳川家の情報はダダ洩れで、ここで全部根本から変えなくてはいけないという意識を持たせ、陣形、戦略から変える後押しができた。
  • (磯田)豊臣は家康を殺したいとまで思っていない。秀吉は天下が統一したいだけ。家康方は5か国程度の東海筋の領国を持ったまま長期に生存したいとだけ思っている(ドラマとは違うけど)。これは妥結点がある。戦争をする必要はない。秀吉にしても家康と戦うデメリットは大きく(千田先生によると、岡崎城始め西三河の城は非常に戦闘的に作り替えられていた)、講和した方が良い。そのための蟻の一穴を開けるには数正が出奔するしかない。

・・・磯田先生の話は、「合理的に考えたら」という前提があると思う。戦国武将は血の気が多そうだし、常に合理的に人間が動けるものとも思えない。いきり立っている場面で、メンツを捨てて合理的に動ける契機に、数正の出奔がなったということだろうね。冷や水を浴びせられて、徳川家中がハッと我に返ったというか。

 そして、これは決定的なんじゃないの?と感じたのは、平山先生の指摘した「取次役が解任されたり傷つけられたりしたら相手方への宣戦布告」との当時の縛り。これがあるのでは、家中を説得できずに孤立した数正は、徳川を守るために出るしかない。これだな。つくづく取次役は辛いね。

 考えてみれば、織田信雄が秀吉に内通していた3家老を斬ったことが小牧長久手の戦いの宣戦布告になったというのを見たばかりだった。実際に、斬られた家老の地元で反乱が勃発し、信雄は鎮圧に苦労して家中がバラバラになり秀吉と単独講和するに至ったらしいから、秀吉は、この再現を徳川家中で狙ったのだろう。

硬軟取り混ぜて相手を追い詰める秀吉、やり手の真田昌幸

 徳川家中をガタガタにすることを狙って、秀吉が取次役の数正が家中から疑われるような意味深な手紙を出していたことも番組では紹介されていた。下ごしらえが凄い秀吉。

 「長久手の戦い(1584年)直後に、既に数正が調略されているかのような書き方」(平山)で、「その方に対しては前々から格別に思っている。馬鎧を贈った。万一家康の耳に入れば、その方の立つ瀬は無くなるかもしれない」と。怖いなー。

 翌1585年7月には、秀吉は関白に任官され、徳川への更なる人質(前述の家老二、三人)を迫っている。家中が激怒、反発する中で、ひとり数正だけが和議を主張している(武家実記)そうだ。「秀吉は天下の半を領し諸将の多くがその下風に立つ。たとえ一旦利を得るとも、ながく敵し難し」(寛政重修諸家譜)。ここで徳川から大人しく家老を出しておけば、家中で情報共有ができたのに。

 この1585年、閏8月には第一次上田合戦で徳川が敗退、11月に数正出奔という流れだ。

 2016年の大河ドラマ「真田丸」では、真田昌幸の弟・真田信伊が徳川方に居たから、その口車に乗せられて真田にとって非常にうまいタイミングで数正を出奔させちゃった、となっていたように思う。出奔で徳川は真田どころではなくなるのだった。

 「真田丸」ファンとしては、どこに信伊叔父上がいるのかな?とキョロキョロしてしまうが、残念ながら「どう家」では出てこないご様子。そして、第一次上田合戦がごく簡単に描かれて、「武衛」の佐藤浩市が表裏比興の者・昌幸として登場した。

 歓迎したい気持ちの一方で、ゴメンナサイと先に謝っておくが、何故に彼なんだろう。昌幸は家康の4つ下なんだけれど。佐藤浩市は言うまでもなくいい役者さんで上総介も印象的だったが、今回はもう少し若い役者に譲るべきだったのではないか。

 家族と一緒に真田昌幸候補として勝手に考えたのは、

  1. 綾野剛
  2. 大沢たかお
  3. 山本耕史
  4. 原田泰造

・・・だったかな。もっといたように思うが、今思い出せない(人の名前が出てこない年頃なので)。

 ①綾野剛は、最初「ウシジマくん」ファンの家族が、山田孝之が思い浮かんだけれど既に服部半蔵で出ているじゃんということで、二番手として思い浮かべたのが綾野剛だった。若すぎる気もするが。信之でもいいよね。

 ②大沢たかおは、「キングダム」で「ムフ」ばかり言っていないでそろそろ大河に戻ってきても良い人材かと。「花燃ゆ」もちょっと気の毒な結果だったし。優しそうに見えて底知れない怖さがありそうな、まさに表裏のある昌幸になりそう。

 ③山本耕史は、佐藤浩市が2年連続OKなら、何でもできる山本耕史だってOKでしょということで。少し気真面目が前面に出た昌幸となりそうだけれど。

 ④原田泰造は、ネプチューンのお笑いの人と思っていたら、「龍馬伝」の近藤勇での殺気に度肝を抜かれた。「篤姫」の大久保利通も良かったし、豪放磊落でコワイ昌幸を演じてくれそうということで。

・・・勝手にここで吠えてみても、佐藤浩市の昌幸は、年齢など気にされずすごくウェルカムされているみたい。数正が出なくなったら重鎮がいなくなるばかりだしね。

 家康の方も、見てくれで言えば数正と対話している場面で顔のラインも緩み、うっすら狸チックになってきたかもなと思ったら既に数え44歳。これからは殿の老け勝負が見どころか。

 ということで、色男殿・大久保忠世を演じている中の人がインタビューで次34回は「神回」と言っていた。楽しみにしたい。

(ほぼ敬称略)

 

 

【どうする家康】#32 四天王が勇躍、小牧長久手で会心の一撃の徳川軍。でもね?

天下人織田家の看板、変わりつつあるのに

 NHK大河ドラマ「どうする家康」の第32回「小牧長久手の激闘」が8/20に放送された。公式サイトからあらすじを引用する。

家康(松本潤)は秀吉(ムロツヨシ)10万の大軍に対し、あえて前進し、小牧山城に兵を集めた。互いにどう動くか探り合いが続く中、康政(杉野遙亮)は秀吉の悪口を書き連ねた立札をばらまいて秀吉を揺さぶる一方で、城の周辺に謎の堀を作り始める。徳川軍が守りに入ったと考えた池田恒興(徳重聡)は、秀吉に、家康を引っ張り出すため岡崎城を攻撃するという策を献上。進軍を開始するが、まさにそれこそが家康の狙いだった。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 小牧長久手の戦いを描く後編といった趣の今回。徳川軍の活躍を存分に見られてスッキリするかなとの期待の一方で、次回以降を考えると織田信雄と石川数正の動きにもついつい注目して見てしまった。

 そうすると、やっぱり信雄がね・・・「総大将は家康じゃなくてコッチね」との細かいアピールが、今回もちょいちょい入っていて可笑しかった。天下人織田家の看板をなんとか背負って、まだ抗ってるなぁ。

 秀吉側の「三河中入り勢」を追いかけて徳川・織田側が出陣する時も、家康の「出陣じゃ~!」に続いて信雄は何か言いたかった様子、皆には気づいてもらえてなかったけれど。勝利を収めての勝鬨「エイエイオー」も、スタートは家康なんだけれど、終盤は信雄の声になってなかった?酒井忠次の「海老すくいならぬ天下すくい」の踊りも、「能がうまいんだよ俺!」てな感じでズイズイ前に出て乗っ取っていた。

 「徳川殿、まことにようやってくれた!これで秀吉に勝てる!我らの天下じゃ」ってわざわざお礼を言うのも、「立場は自分が上」感を醸し出しているように見える。前回は家康にしっかり「信雄!」って呼び捨てで叱られて、素直に「ハイ」って答えちゃってたけど。

 この信雄のちょっとした家康に対する不満(大将は俺でも実力があるのは家康殿、でも、いいんだいいんだ、世代的に上だし、勝ってくれさえすれば多少顔を立てて、細かいことはガマンしとこう)は、チリが積もっていくように大きさを増し、次回以降の彼の家康への断りもない行動へとつながるんだろう。

 信雄は、足利義昭が信長に担がれた時のように、誰かに天下人にしてもらえると思っているのだろう。でも、織田家の天下人としての看板は、実力があってこそだ。足利将軍のように力無い人が継いでいける類の権威にはなっていない。織田家のボンボンで生まれ育ち、「織田家ってすごい」が基本認識になっていて勘違いしたのかもしれないが。今作の信雄(浜野謙太)は、やっぱりいいよね。

 それでも信雄はまだいい。今後徐々に、実際の権力のありかと自分の立ち位置を嫌でも認識させられるのだから。そこが、秀吉が死んだ時にまだ幼児で「天下人」一択で周囲に持ち上げられ育つ秀頼とは違う。

 この権力の変遷に抗って、まだ織田家の看板を外せなかったのが秀吉側の池田恒興(勝入、中の人は徳重聡)だったのかもしれない。秀吉はもう、以前のような「織田配下の同僚」ではない。池田恒興も、秀吉を「お主」と呼んで大きく出ている場合ではない。双方から声を掛けられていた立場だからこそ、謙虚さって大事。

 今作の秀吉は、以前も家康に対してコソコソ小さい声でアドバイスや信長のご機嫌を報告し注意を促した場面があったけれど(それはなかなか家康に優しい配慮だったりした)、今回の池田恒興に対してのそれは、結構怖い揺さぶりだった。

秀吉:(三河中入りを進言されて)う~ん。中入りっちゅ~んは本来ええ策ではねえ。肝心の本軍の数を減らしてまう。

池田恒興:はあ・・・。(不躾に秀吉のいる壇上に途中まで登り)筑前よ。ここはわしに従っとけ。この池田勝入がいるから、織田家臣たちがお主に付いてきていることを忘れんでもらいたい。

秀吉:(立ち上がり、池田に近づき低く小さい声で)そういう言い方はせん方が良いぞ。(声色を変え、明るく)一晩考えさせてちょう。しくじるわけにはいかん戦だで。

 池田恒興は、信長の乳兄弟という格別の存在。けれど、織田ももうすぐ過去の存在になる。それでも「腹ん中じゃ、まんだ自分が上だと思っとる」(秀吉)。秀吉が織田の権威を必要としなくなるにつれ、遅かれ早かれ池田は粛清されただろう。それとも、自分の立場の低下を自覚し跳ね返そうとして、「中入り」策で一頑張りしようとしたのかも?😢

 そうそう、森乱の兄、森長可を演じているのが城田優なので、銃で撃たれて討ち取られる場面と、それにまつわる愛馬の活躍を見せてもらえるのかと少し期待したが、秀吉への報告で池田恒興と共に死が告げられ出番が終わってしまった。

 前回、羽黒の戦いで敗れたとはいえ見せ場があったし、「有名な逸話は素直になぞらない(ひねるかスルーか)」との今作の姿勢があるからか。たまにはいいのにね。ちょっとがっかり😞

中入り、もったいつけ過ぎ

 今回、見ていて少々イライラしちゃったのが、この「三河中入り」についての話運び。すんなり出てこず、時系列があっちこっち、集中して見たいところで途切れて次に飛ぶ。見ていて何度もお預けを食った気分だった。

 内容的には分かり切っていることだ。もったいつけ過ぎで、そこで見るのを止めようかと思ったくらいだ。若い人向けに興味を引っ張って作っているつもりらしいが、民放のバラエティ番組じゃないんだから、視聴者を引っ張りまわすのも見づらいからいい加減にしてほしい。オールド大河ファンとしては、そこで凝らなくてもいいと思いまーす。

正信:(ポリポリと何かを食べながら敵陣方向を見張る)

忠次:そろそろ何かしら動いてくるやもしれませぬな。

忠勝:やはり、東側から来るじゃろうな。

康政:砦で固めておる。

直政:正面から数で押してくるのでは?

家康:正信。お主が秀吉方なら、どう攻める?

正信:さようでございますなあ。某ならば(石を手に取る。遠く離れたところに落とす)ここを攻めますかな。

忠勝:(掴みかかって)またふざけたこと抜かしおって!

(顔色を変える重臣たち)

数正:いかがいたします?殿。

家康、忠次:(緊迫感のある表情)

堀を掘削中の兵卒たち:このひと掘りが、どっこいどっこい~土を固めて足固め。どっこいどっこい~

康政:ただいまより新たに手を加える!この図面の通りに掘れ!

一同:へい!

忠勝:急げ!時は迫っておるぞ!急げ、急げ、頼んだぞ。

 本多正信が、家康に問われ「自分だったらここを攻める」と石(?みたいなもの)を落とした先がどこなのか、映像としてはリフレインが入り、逸らされて見えなかった。三河の岡崎方向に落としたはずだが、画面が動いて地図の圏外に落としたらしいぐらいしか分からず、ここでまずイライラ①した。いいじゃんハッキリ見せてよ!

 次は榊原康政が掘削の手直しを命じているシーンに切り変わってしまって、会議の様子は途中で切られてイライラ②した。なんだかな・・・。後に回された会議の続きはこうだった。

数正:いかがします?殿。

家康:秀吉に気づかれずに、中入り勢を叩けばよい。

忠次:こちらの動きは向こうから丸見え。そのような術は無かろう・・・。

家康:(図面を引き寄せ)小平太。この堀を作り直せ。(一部をなぞって)気づかれるなよ。

康政:なるほど。(図面の手直しをする)

 お預けを食らった部分。見てみると、家康が手直しをしろと指図した図面の変更部分も、家康がさらりとなぞって見せただけなので、どう直せば単なる堀が抜け道に変化するのかが、結局はっきり分からなかった(イライラ③)。

 ここら辺は秀吉の「堀ではねえ、奴らがせっせと掘っとったんは・・・守るための堀ではなく、密かに打って出るための抜け道だわ!」とのセリフでドヤ~とやりたかったから、入念に引っ張ったのだろう。でも、見ているこちらは、お預け部分はそうしなくても大差なさそうな内容なのに、いちいち引っ張られてカタルシスよりもイライラが溜まった。ちょっとやり過ぎなんだわ。

四天王がお目見え

 今回は、いわゆる徳川四天王がお披露目になったのかと思う。特にこの小牧長久手の戦いで名を馳せたのが、小牧山城の大修復を短時間でやり遂げ、中入り勢を追う先方を務めた榊原康政だっただろう。一番のヒーローだった。

 抜け道の中を榊原勢が粛々と進んでいき、「外へ出るぞ~一気に駆け上がれ~!」を合図に攻勢に出る場面。康政の中の人(杉野遙亮)の声が若々しく上ずって緊張感が伝わり、こちらも手に汗握った。

 それと、先に膠着状態の戦線を動かすために、秀吉軍を焚きつける方法として秀吉に対する「罵詈雑言の流布」を言い出したのは本多正信だったけれど、能書家であるという理由で康政が書くことになり、秀吉方には康政の名が伝わった。悪口を書くのにわざわざ名も書くんだw そこが武士らしい。

 それを受けての秀吉の名言はこちら。

所詮、人の悪口書いて面白がっとるような奴は、己の品性こそが下劣なんだと白状してるようなもんだわ。

 SNSでも切り抜かれ、賛同を集めているのを見かけた。書いた康政は講和後に秀吉に指名されて相対するはずだ。実際に対面すれば、気まずいだろうなあ・・・面と向かって言えないことは、SNSでも立札でも書かないことだ。対面場面も楽しみだ。

 このドラマの中では、康政は同い年の本多忠勝とバディのような扱いだ。

忠勝:こんな見事な図面を描けるようになっていたとはな。

康政:お主に追いつき、追い越すのが私の望みであった。・・・が、どうやら戦場では敵わないらしい。ならばせめて、おつむを鍛えるほかなかろう。ふん。地味な仕事の方が性に合っているようでな。お主こそ、無茶が過ぎて早々に討死すると思っておったが、しぶといのう。

忠勝:戦場でかすり傷一つついたことないからな。

康政:出た出た。

忠勝:まことじゃ。

康政:傷を負ったことに気づいとらんだけだろう。まあいい。それを信じた大勢の奴らがお主に震え上がっとるからな。大したものよ。

忠勝:まだしばらく死ぬわけにはいかん。殿を天下人にするまでは死ぬわけにはいかん。(互いに頷きあう。)

 忠勝も、中入り勢が壊滅したと知って出てきた秀吉本軍を、たった500の兵数で止める活躍があったと聞く。かすり傷を負ったことも無いとの忠勝の有名エピソード、「そう言い回っているおかげで本多忠勝の名にビビっとる」と康政が言っていたが、なかなかうまい処理だよね、リアルではやっぱり信じ難いものだし。蜻蛉切と呼ばれる彼の槍先に、トンボが生きて飛んでいたのもご愛敬だ。

 そして、忠勝が「ここから先は、一歩も通さん!」と手を広げて立ちはだかるのはどこかで見た・・・と思ったら、叔父の忠真が討死する前に三方ヶ原合戦でやっていたじゃないか。忠勝は見てなかったはず、叔父さんが乗り移ってる設定なのか。

 ただ、本来榊原康政は、井伊直政の方と仲が良く、互いに信頼し合っていたらしいと何かで読んだ気がする。ドラマでは、直政はイカサマ師の本多正信と「家康の命を狙った過去のある者同士」であり、「ご恩返し」で気持ちが通じあったような描き方だったが、正信は皆から嫌われ者だったと聞くのになあ。

 モラハラっ気があるぐらいの完璧主義の直政と、いい加減ですぐ逃げる正信、気が合うとは思えないけれど、正信が直政に茶々を入れてからかってる感じでじゃれ合うのなら想像できそうだ。ふたりの年の差は、なんと親子ほどの23歳もある。

 ちなみに家康と重臣それぞれの生まれ年は、ウィキ調べで;

  • 酒井忠次 1527年
  • 石川数正 1533年(+6歳)
  • 本多正信 1538年(+5歳)
  • 徳川家康 1543年(+5歳)
  • 榊原康政 1548年(+5歳)
  • 本多忠勝 1548年(+0歳)
  • 井伊直政 1561年(+13歳)

・・・だそうだ。ちなみに、真田昌幸の生年は1547年。家康よりも4つ年下なんだけれど、今年の「どうする家康」では武衛人気の佐藤浩市が演じると発表されている。次回登場するらしい。松潤の4つ年下?どう見ればいいのか。

 そうそう、井伊の赤鬼と称された井伊直政については、お気に入りの「おんな城主直虎」最終回を思い出す。確か、配下の武田旧臣にからかわれた直政(菅田将暉)が、ムキーッと怒って家臣の先頭を切って突っ込んでいく、スピード感ある小牧長久手の戦いだった。そっちの方が良いな・・・今作の、ただどっしり馬上から「かかれ~」と指示を出しているだけじゃ、どこが赤鬼なのか?という感じもする。

いつの間にか強くなっている家康

 家康もそうだ。掛け声だけで全然戦いの場面を見せてもらえてない気がする。いつの間にか、説明では戦った上で勝っているらしい。今回も、顔見世興行よろしく馬に乗り、ずらりと並んだ動きのない絵面。

 徳川は、いつの間にか天下を争う程、強くなっていたんだよね・・・秀吉が、家康をこき使って強くしたと信長を責めるほどに。

 順不同で思いつくままで申し訳ないが、三河を統一したのもいつの間にか、どうやって統一できたのか。上之郷城の戦いは面白かったが、掛川城の氏真は攻めあぐんでいたしなあ。三方ヶ原は大敗、そうそう、北陸まで行って金ヶ崎の退き口では巻き込まれて殿(しんがり)だった。

 その後、徳川軍が大活躍して全国的に名前を知られたらしい姉川の戦いも、家康の心理的葛藤ばっかり焦点でまともに戦ってくれなかった。長篠の戦は親子で茫然自失、他の武田との戦は戦争ごっこだったし。どこでそんなに戦って強くなっていたんだった?

 そうだ、酒井忠次は鳶ヶ巣砦の戦いや、羽黒の戦いでも活躍していたね。彼がいたから「徳川が強い」と言われているのか?

 もうちょっと強い家康自身を見せてもらいたかったな。

既に孤立の兆しが見えていた数正

 石川数正にも注目して見ていたと冒頭で触れたので、彼についても少し書いておこう。オープニング明け、織田信雄が家康に「あんな大軍勢にどうやって勝つ」かと聞いた場面。石川数正の返答を巡って忠勝、直政、康政との間に緊張が走った。数正出奔につながるギスギス感だろう。

織田信雄:徳川殿。あんな大軍勢にどうやって勝つんじゃ。

石川数正:敵はあれだけの兵に食わせるだけでも一苦労。長引けば秀吉に焦りも出ましょう。さすれば、我らに有利なる和議を結ぶことも。

本多忠勝:和議?弱気なことを。

数正:いや、数が違い過ぎるでな。

井伊直政:大軍なるものは一体にあらず。所詮寄せ集め。一戦交えて大いに叩きのめせば、必ずや崩れましょう。

榊原康政:秀吉に愛想を尽かしこちらにつく者が出てくれば、勝ち目は十分にあると存じまする。

忠勝:数正殿。和議など二度と口に出さんでもらいたい。勝利あるのみ。

数正:いや、ちょちょちょ・・・。

徳川家康:(数正の腕をつかんで止め)秀吉もあれだけの大軍をまとめ上げておる。今さら無駄な動きはせんじゃろう。

 家康が数正を守るように、両軍のにらみ合いの方に話を逸らした。変な空気になったことを家康も危ぶんだのだろう。

 次回が怖いな~。

(敬称略)

【どうする家康】#31 ヒゲ家康の覚悟、秀吉との大戦へ家臣を動かす

老けメイクでロボ感が増した家康公

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第31回「史上最大の決戦」が8/13に放送され、主人公の神君家康公がいきなり髭付きになり、ビジュアルが変化した。

 数え43歳になり、それなりの老け顔にしたらしい。お市の方に死なれたのがあまりにもショックで、外見に影響したという設定か。しかし、42歳から43歳のたった1年で、見た目にギャップがありすぎやしないか。

 視聴者向けに、家康公がヒゲを蓄えるようになった理由ぐらい於愛あたりがセリフで語ってくれないかな・・・。ついでに、家康だけでなく家臣たちの衣装もいつの間にかレベルアップしている。本多忠勝の大数珠も登場した。

 大河を見ていると、役柄で老ける時は大体メイクが濃くなっていく傾向にある。「篤姫」の宮崎あおいは、スタート当初はほぼノーメイクに見えるような色黒な於一(おかつ)で出てきた。それが、夫の13代将軍家定が死んで天璋院篤姫となるまでにはアイラインもバッチリの色白しっかりメイクへと変わった。将軍御台所へと身分も上昇していたから、貫禄も醸し出され、メイクでの変化は大成功だった。

 今作の家康公も、齢43歳となって中の人・松本潤の実年齢を超えてきたのだろうか?松潤がいくつだか知らないが、アラフォーの不惑前後のはず。だが、さすがトップアイドル、30代前半だと言われても楽に通る磨き上げられた若い外見をしている。

 その人に老けメイクをしっかり施したらどうなるか。あの秀吉軍と小牧山で対峙する最終シーン、冷たい炎に内から燃えているからと言えばいいのか、表情の動きがあまりない、スッとした鼻筋が目立つ家康が馬に乗り登場、それが一瞬CGかアンドロイドかと思ってしまった。

 作りが整っている人にしっかりメイクをすると、美しさがさらに強調される。人間離れして、ロボット感と言うか人工物感が増すような気がする。

浜野謙太の信雄がサイコー

 さて、公式サイトから、31回のあらすじを引用する。

お市(北川景子)を死に追いやった秀吉(ムロツヨシ)に、家康(松本潤)は激怒、打倒秀吉の意志を固める。だが勢いに乗る秀吉は信長の次男・信雄(浜野謙太)を安土城から追放、着々と天下人への道を進んでいた。信雄からも助けを求められ、10万を超える秀吉軍と戦う方法を考えあぐねていた家康は、正信(松山ケンイチ)の日の本全土を巻き込む壮大な作戦を採用。しかし、その策も秀吉に封じられ、大ピンチに追い込まれ・・・。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 今回、ちょっと面白かったのは浜野謙太演じる信雄。いやー、良いね。家康に怒られての「ハイ!」は、とっても素直なお返事、笑いが抑えられなかった。上記の「大ピンチ」に陥った時のことだ。

織田信雄:どうなるんじゃ?秀吉を囲い込む策は!

本多正信:既に崩れました。

信雄:なぜ池田はわしを裏切る?

榊原康政:申し上げます。池田の手勢、犬山を出て更に向かっております。楽田を狙うものと。

信雄:どうするんだ?楽田まで落とされれば次は小牧山じゃ!目と鼻の先じゃぞ!おい、なぜこんなことになった!池田は、我が父の幼い・・・!

徳川家康:信雄!(ハッと振り返る信雄)秀吉相手の戦が思い通りに行かぬことはもとより承知の上。既に火蓋は切られておる。総大将がうろたえるな!(歩いていき、近くで信雄を見つめる)信長の息子じゃろう。(肩に手を置き)しっかりせい。

信雄:・・・ハイ。

 このシーンの他、ムロツヨシ(この人も無論のこと面白いし)の秀吉に安土を追い出される時に「二度と天下に手を伸ばすに及ばず」と言われ、信雄は「三法師も追いやったまま・・・お前は織田家を・・・」(今更、ようやく気付いたんか~い!)とプリプリ怒り、悔しがって出ていく。そのシーンの足取りが文字通り「地団太踏んで」のようで面白かった。

 中の人を最初に見たのは、ずいぶん昔になるけど、来年の大河「光る君へ」で主演を張る吉高由里子の映画「婚前特急」。これは面白かった。2011年だった。

 この「2011年」を確認するためにウィキペディアをチェックして目に入ったのが、あの「戦国鍋TV」での秀吉役(浜野謙太 - Wikipedia)。見ていたのに忘れていた。そうだった、秀吉も演じていたね!

 彼は今作の信雄について「劣等感に塗れた人」「いろんな才能や頭の良い人に触れ、右往左往したり素直に驚いたりしている」とインタビューで答えていた(織田信雄役 浜野謙太さんインタビュー まるっと* - #どうする家康 - NHKプラス)。

 信雄には、非凡な父・信長を持ち、天下取りの争いの中で状況が読めず、自ら織田家の力を削ぎ落して家を没落させていくアホ坊ちゃんというイメージがある。近いところでは、三谷幸喜の映画「清須会議」での妻夫木聡が、見ただけで突き抜けたアホ感が伝わる信雄を演じて、おかしかった。

 今作では信雄をただのアホボンにするのかどうなのか。坊ちゃんなりに劣等感に塗れていた・・・そう思えば気の毒な人だ。信雄も、今川氏真・武田勝頼と共に偉大な父を持つ残念な二代目と考えられてきた人だ。実は氏真と同じく長生きだし、もしかして揃って今作で名誉挽回なるのかな?

「信長はわしが」「光秀はわしが」「秀吉はわしが」で、3度目の正直

 さて、前回ブログで書いたが、お市の死を知ってまだ机なんぞ叩いて子どもっぽく悔しさをぶつけていた家康。旧武田領というニンジンをぶら下げられて自分が貪り食べている間に、秀吉はアホボン信雄を利用して織田家の簒奪に成功した。お市も死に追いやられた。

 家康は、はっきり言って秀吉にまんまとやられた。そりゃ「秀吉はわしが倒す」と悔し紛れに言いたくもなるが、言うだけなら何でも言える。「信長はわしが」「光秀はわしが」に引き続き、既視感ありすぎ。

 しかし三度目の正直、「秀吉を倒す」は口先で終わらなかった。瀬名を失い、信長を乗り越え、お市を失った。それを糧に、数え39歳から43歳への足掛け5年で家康は進むべき方向を見失わなくなった。

 むしろ、「秀吉から天下を取り返してくれ!わしと共にあの盗人を倒してくれ!」と頼んできた信雄に「刺し違える覚悟、おありでございましょうや」と「どうする」の決断を迫る側に立つ。

 何か、大きなステップを上った。こういう家康公をもっと早く見せてもらえたら良かったな。もう8月半ば、視聴者もよくガマンした。

戦い前夜の家臣との対話

 天下分け目の秀吉との戦い(小牧長久手の戦い)に向け、家康は動き出す。印象に残ったのは、信雄に泣き付かれた後、家老2人と若手3人の家臣とそれぞれ話した場面だ。

忠次:この話、軽々に乗るべきではございませぬ。秀吉の軍勢は、今や10万を超え・・・。

家康:わかっておる。

数正:あるいは全て秀吉の手の内ということもあろうかと。

家康:・・・無謀な戦をするつもりはない。下がって良い。

 家康は秀吉打倒に立ち上がることを心に決めていた。「無謀じゃない戦」をするつもりだ。保護者的な重臣ふたり、酒井忠次と石川数正には、聞いてみたらやっぱり止められた、という感じか。

 次に家康は、若手の3人、後の四天王のうちの井伊直政、榊原康政、本多忠勝をわざわざ訪ね、問うた。

 まずは井伊直政。旧武田兵との稽古で傷だらけだ。自信喪失気味の直政だったが「もし、近いうち大きな戦となったら、(預けた旧武田兵を)思いのままに動かせるか?」と家康に問われ、「必ずや手なずけてご覧に入れます」と威儀を正して答えた。

 次に榊原康政。家康は勝算はあるかと聞いた。この時の返答がカッコイイ。

康政:敵は寄せ集めの大軍。我らはいくつもの戦をくぐり抜けてきた、小さいながらも固い固い一丸。なぜ負けましょうや。

 家康は「今度こそ死ぬかもしれんぞ」と、さらに覚悟を問うた。

家柄のよからぬ武家の次男坊が、ここまで出世し長生きできるとは思っておりませんでした。何の悔いもありませぬ。

 家康は、それを聞いて初めて、懐から絵図を取り出した。康政に渡し「お主の知恵を頼りにしておる」と言って去った。絵図には犬山城、楽田城、小牧山城などに赤丸が付いており、そこで戦った場合の勝利プランを練っておけということで、責任重大だ。

 最後に家康が会いに行ったのは、本多忠勝。彼は槍の稽古中で、家康が問う前に「俺に聞くまでも無いこと。やるべし」「天下の覇権を巡って戦えること、この上ない喜び」と言った。

 忠勝が「天下をお取りになったら(主君と認めることについて)考えてもようござる」と言って突き出した瓢箪は、あの叔父忠真の形見だろう。そう思うと、家康が瓢箪に一礼してから中の酒を飲んだのがグッときた。

 もちろん、瓢箪と言えば秀吉。秀吉を飲んでやるという意味もあるか。

家康の覚悟

 鷹匠から軍師に昇格したらしい本多正信が、畿内の秀吉をぐるりと囲う策を説明した時、池田恒興を「要」だと言い「こやつを調略すれば秀吉の懐に深く入り込むことができる」と言った。

 池田が付けば、丹羽も前田もこちらになびくそうだ。前田利家が?そうかな・・・。越中の佐々成政、土佐の長宗我部元親、紀州の根来衆、雑賀衆は期待できるにしても。

 肌感覚で「そうはなるまい」と感じたとすれば数正ぐらいか。「池田恒興、うまく調略できますでしょうか」と疑問を述べた。

 そんな大事な池田恒興なのに、家康が調略をなぜアホボン信雄に任せたのかは大いなる疑問だ。父親の乳兄弟である古くからの顔見知りだからと言うなら、顔つなぎはお願いするにしても、任せっきりではねえ。「できる!必ずやる!」と言ったとて、詰めの甘さでは一流の信雄だよ!

 この、日の本全土を巻き込む大戦に踏み出す前の徳川家中の気持ちを思うと、緊張と恐怖で逃げ出したくなる。「今やらねば秀吉は益々強大となり、跪くのみとなりましょう」と康政は言ったが、跪く前に潰されるだけの結果になる方が十分考えられた訳で。良く踏み出したものだ。

 「殿のお心は決まっておいでなのでしょう?」と忠次に投げかけられて、家康は言う。

家康:何も持たぬ百姓であった男がありとあらゆるものを手に入れてきた。それが羽柴秀吉じゃ。そういう男は欲に果てが無い。もし、秀吉に跪けば我らのこの国も奴に奪われるのではないか?わしは身に染みてよう分かっておる。力が無ければ何も守れん。強くなければ奪われるだけじゃと。乱世を鎮め安寧な世をもたらすは、このわしの役目と心得ておる!秀吉に勝負を挑みたい。

 国を奪われる、は後に本当になった。家康の言葉を聞いていた家臣からは口々に「異存なし」と声が上がった。忠次は「ご奉公いたしまする」と。数正は「猿を檻に入れましょう」と言って頭を下げた。

ちょっと先走って数正出奔について

 話が先に飛んで恐縮だが、石川数正がなぜ翌年に秀吉側に出奔したのか、わかった気がした。もちろんこれはドラマであり脚本家が書いたフィクションだが、決戦前夜には徳川家中で似たようなやり取りがあっただろうと察する。皆、死地に赴く決意だったろう。

 数正の行動は、やっぱり家康を守る為だったのだ。この家康の言葉を聞いて、数正が自分だけのために逃げたとは思えない。もしかしたら、自分が秀吉の陣営に加わる引き換えに、徳川を潰さないという条件でも引き出していたのかも。

 数正は、自分が秀吉側になることで、スムーズに家康・秀吉間の講和が結べるように、そして徳川がうまく秀吉陣営で生き延びて行けるように、地ならしをして守っていくためにあちらに転じたのではないか。それしかないじゃないか。

 そのために裏切者のそしりを受けることも厭わない。なんと律義者だろう。

 さて、数正出奔はドラマではどう描かれるだろう。瀬名の言葉「きっと戦の無い世を築いてくださいませ。あなたならできます、必ず」が家中全員の悲願になっているのなら、そうなると思うのだが。

小牧長久手の戦い、スタート

 家康がゴーサインを出し、秀吉に通じていた家老3人を信雄が誅殺して、戦いの火蓋が切られた。秀長が「まんまと仕掛けてきおったな」と口にし、秀吉も「愚かよのう。これで信雄、家康、まとめて滅ぼしたれるわ」と言ったので、秀吉の目論見通りに家康は踊らされているらしいと分かる。

 だが、戦いは水物。やってみなければわからない。武威を示しておくことこそが大事なのだし。

 徳川軍が清須城に入る前に、酒井忠次が大久保忠世、鳥居元忠、平岩親吉の3人に「背後の守りを任せる」と言った。「甲斐信濃を固めよ。特に、真田からは目を離すな!」と。この面子だし、そろそろ第一次上田合戦かとワクワクする。

 殿のお言葉はこうだった。

家康:皆々、ここまでよう付いてきてくれた。この戦は、いまだかつてない日の本を二分する大戦となろう。機は熟せり。織田信雄様の下、上洛し今こそ我らが天下を取る時ぞ!

 多くの武将が、こうやって家臣を鼓舞して戦いに挑んでいっただろう。そして破れ死んでいった。自分たちは正しい、でも勝ち目は無さそうという点で似通っているのかもと、浅井長政軍を思った。ドラマでも、家康がギリギリまで味方をしたいと悩んだ相手だった。あの時は若すぎた家康、でも機は熟したんだね。

 家康はこの後、神がかり的に運が良い。運を味方に付けるぐらいの、後の世で神君と呼ばれる程の人物なのだから、「どうしたらええんじゃ~」から卒業してくれて、本当に良かった。

 大垣城の池田恒興は、秀吉方に寝返り信雄方の犬山城を占拠。さらに進軍してくるのを止めるため「羽黒辺りでたたきまする」と酒井忠次が出陣、勝利した。それでヒヤッとしたか、秀吉本軍10万(!)が犬山、楽田城まで出てきて陣を敷き、清須から小牧山に陣を移した家康・信雄軍(3万ぐらい?)と対峙した。

 次回は、忠次が戦った前哨戦に続き、本戦での家康の家臣それぞれの活躍が描かれるはず。楽しみにしているからスルーしないでほしいね。 

秀吉の人たらし術

 戦いからちょっと遡るが、後の数正出奔にもつながるので、戦勝祝いの場面での秀吉の人たらし術を確認しておこうと思う。

秀長:徳川三河守様ご家臣、石川伯耆守数正殿にごぜ~ます。

数正:(深々と礼をして)こたびのご戦勝、我が主に成り代わりまして心よりお喜び申し上げます。

秀吉:(座敷上段で胡坐をかき、低い声で)大儀である。・・・(声も高く)な~んちゅ~て堅っ苦しいのは止めだわ!毎日毎日、決まり文句聞かされてま~、うんざりだでよ~。(ハイハイ歩きで壇上から数正の前に降りてくる)よ~う来てくれたのう、石川殿。まあ、いつ見てもええ男っぷりだわ・・・徳川殿が羨ましい・・・欲しいのう。

秀長:まあまあ、兄様。

秀吉:(数正にさらに近寄り)わしも、そなたのような家臣が欲しいのう。

数正:(かぶり気味に)我が主より預かりし品、何卒お納めいただきますよう。(視線を床に下げたまま、両手をつき微動だにしない)

秀吉:(近くでじっと数正を見つめていたが、弾けたように離れて)あ~!気ぃ遣わんでええのに!何が出るかしゃん?ええ?出てきおった(木箱から取り出された、柿の実くらいの壺型の品を手に取り、まじまじと眺める)・・・こりゃあ(震える手で掲げる)・・・初花肩衝だにゃあきゃ?

数正:はて、お気に召しませぬか?

秀吉:(アワアワと)もったいねえ、そんな・・・あ・・・徳川殿はこの卑しい身の上の猿に、下さるっちゅ~んか?そ・・・いやいや、もったいね。もったい・・・ああ~もったいねえ・・・(泣く)。(表情を変えない数正を、秀長がじっと見ている)徳川殿に伝えてくりゃあせ!徳川殿が頼りじゃと!支え合って、仲良くやろまいな!あ・・・あの、わしの新たな城が出来上がったらお招きするで、また・・・遊びに来てちょ~でえ。

 初花肩衝という茶器、YouTube動画で聞いたのを受け売りすると元々は信長の所有物➡家督を譲った時に信忠が譲り受けた、ということで天下人の印みたいな存在らしい。

 ドラマでは大久保忠世が「信長の形見」と呼び、家康が形見分けで貰ったようにも聞こえる言い方だったが、家康は、信忠死後の混乱時に流出した初花肩衝を入手した家臣から献上され、そのままちゃっかり持っていただけだそうだ。え?織田家に返さないの家康???

youtu.be

 その初花肩衝を、家康が秀吉に贈った。「あなたが天下人」と認めているようにも解釈される行為だよね。秀吉が頬ずりするのも分かる。家康本人が挨拶に来ないのか~と愚痴ってはいたが。

 この会見を家康に報告する数正。

数正:我が手を取り、仲良くやろうと。

酒井忠次:すべて猿芝居か・・・。

数正:何もかも芝居のようであり、いや、何もかも赤子のように心のままにも思える。得体が知れん。

忠次:前にも増して不気味じゃな。

 数正は、妻のお鍋が着替えを手伝いながら「お役目ご苦労な事でございました。大坂はいかがでございました?」と問うても、ずらりと居並ぶ秀吉の軍勢にすっかり意識が飛び、憂えているようだった。

 使いに行くと、あちらの様子がよく分かるだけに独自に考える余地が生まれる。確かに、出奔して外から徳川を支えるアイデアは思考の埒外にも思えるが、人質になっている家康の次男・於義丸や自身の息子を近くで見守れる意味でも、実はベストだったかもしれない。

(敬称略)

【どうする家康】#30 戦国のヒロイン・お市が「敗軍の将」、エサに釣られた家康は歯噛み

秀吉を甘く見ていたよね?家康、忠次

 NHK大河ドラマ「どうする家康」の第30回「新たなる覇者」が8/6に放送され、戦国時代のヒロインお市の方が柴田勝家とともに越前北庄城で命を終えた😢😢😢

 まずは公式サイトからあらすじを引用する。

無事、浜松へ戻った家康(松本潤)。一方、秀吉(ムロツヨシ)は織田家の後継ぎを決める清須会議で、信長の孫・三法師を立てつつ、織田家の実権を握ろうとしていた。そんな秀吉の動きを苦々しく見ていた市(北川景子)は柴田勝家(吉原光夫)との結婚を決意。秀吉と勝家の対立が深まる中、家康は旧武田領に手を伸ばす関東の雄・北条氏政(駿河太郎)との一戦に臨むことになる。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 先ほどいつものように土曜日の再放送を見ていたら、色々と気づくところもあり、当初の放送とはまた印象が変わった。いつものことで、そうするとこうやってブログを書きたくなる。今日もダラダラ行きますよ~次回放送までに間に合うか?

 今回、主人公・家康は柴田勝家&お市陣営からの手紙を度々受け取っていたようだったが、援軍を出さず、静観した。徳川家中からも、度々お市を助けに行こうと声が上がっていたのにもかかわらず、自身の足元(甲斐・信濃)を固めることを家康は優先した。

 なんでお市を助けに軍を出さなかったのだろう。

 日曜日に見た時は、ただ「家康、なんかグズグズしちゃった結果、お市を見殺しかぁ」と思った。

 けれど、土曜日に再度見て思ったのは「ドラマでは見て見ぬふりの見殺しの話だったけれど、その実、家康は結構秀吉を甘く見てた結果、気づいた時にはチャンスを逃してもう手が出せなくなってたってことなんじゃないか」だった。

 もっと言うと、秀吉にまんまと釣られた結果、軍を出せなかったーーじゃないか。ちょっと秀吉兄弟の会話を見ると、2つの意味でまんまとやられている気がする。

秀吉:北条とぶつかったか。

秀長:徳川殿に助けを送りますか?

秀吉:何でえ?

秀長:徳川殿はあくまで織田家のために戦っとります。形だけでも。

秀吉:任しときゃあええ。

秀長:数が違いますに。北条は2万を超える大軍勢を動かしとる。

秀吉:ええか?弟よ。この20年、徳川殿が上様の下でどれほど多くの大戦をしてきたと思うとる?今や、あの三河もんに勝てる軍勢なんぞそうはおらん。ましてや、関東の端っこでぬくぬくしておった北条なんぞにゃあな。せいぜい潰し合ってくれりゃあええがね。ほっときゃあええ。こっちはそれどころにゃねえわ。

 1つは、家康は、秀吉に、旧武田領というエサを与えられて意識を逸らされていた。「徳川は、あくまで織田家のために北条と戦をしている」と秀長が言うのだから、そういう指示が出ている。その間に、秀吉が織田家を簒奪する魂胆。家康は「見て見ぬふり」を・・・してたかもね。しかし北条との戦は簡単じゃないし、そうするまでもなく、織田家中の争いには手も足も出せなかった気もする。

 そして2つ目は、会話の中にあるように「潰し合いを期待」と言う点だ。将来の白兎潰しを見込んで、北条とやり合って軍を痛めておけと。秀吉は頭いいなー家康は、まんまとやられている。

 オープニング明け、秀吉の実力をしっかり理解できていなかったノンビリ家康は、こう酒井忠次と会話していた。

家康:まさか秀吉が明智を討つとはな・・・。

忠次:かくも恐るべき速さで備中から京まで引き返すとは。まるで何もかもお見通しだったかのごとくですな。

家康:うむ。

忠次:秀吉は、信長の仇を討ったと触れ回っております。まあ、そうたやすく織田家の天下は揺るがんでしょうが

 秀吉への感想は「まさか」。そして「織田家は揺るがない」。これが本音で、徳川家中の基本的な考え方がこうだったのではないか。

 しかし、一応この後、家康は秀吉を警戒するよう指示を出している。

家康:だが・・・なんせ秀吉だからな。左衛門尉、奴の動きから目を離すな。

忠次:はっ。

家康:秀吉の好きにさせてはならぬ。

 白々しい・・・この後の行動はこの言葉と矛盾してないか?「ボク、警戒していたもん!」と言うなら、全っ然足りなかったと思う。

家康:我らが急ぎ成すべきことは、甲斐・信濃・上野の三国を鎮め、北条より先に手に入れることじゃ。秀吉のことはひとまずお市様にお任せし、我らはその間に揺るぎない実力をつけよう。さすれば天下も自ずと近づいてくるというもの。

 これは秀吉の目論見通りだ。結果として、家康が頼れる味方は失われ、敵は大きくなった。そして小牧山で対峙せざるを得なくなった。家康には先見の明が無い。エサに簡単に釣られ、カッコ悪いこと甚だしい。

 誰かが勇気をもって声を上げている時、お任せしたり傍観しちゃダメだ。助けなきゃ。自分が追い詰められるターンが来た時に、味方が誰もいなくなる。

 家康には、勝家やお市の危機感は伝わっていただろうか。ドラマでは幼い頃のお市への想いなんか持ち出して家康は悔しがって見せていたが、どうも浅い。エサに釣られてたくせに・・・最後の「秀吉はわしが倒す」も何を今さら。本気なら、早くお市が生きている間に立とうよね。お市を助けに行こうとの本多忠勝らの声は正しかったよね、早いうちだったら!

お市は、敗軍の将として責めを負う

 それにしても、「織田家の血が流れている&かなり美しい」という特上のかぶり物をあてがわれて、お市は気の毒な人だ。かぶり物の価値がべらぼうに高いが故に彼女をトロフィーワイフのように欲しい人たちは、彼女のマインドなどどうでも良いのだから。自分を卑しい人間と言わせないためにお市を妻としたがる、今作の秀吉がいい例だ。

 このドラマのお市様は、かぶり物だけでなく精神も気高く、最後は一軍の将として立派に振る舞った。市がほほ笑んで娘たちを北庄城から送り出して以後の、勝家(+α)との会話は凛々しかった。

勝家:そなたも出よ。

市:断る。

勝家:信長様に顔向けできん!

市:一度ならず二度までも、夫だけを死なせて生き恥をさらすことこそ地獄にいる兄に笑われようぞ。

 私は、誇り高き織田家の娘じゃ。男のように乱世を駆け巡るのが我が夢であった。最後にほんの少しそのまねごとができた。この戦の総大将はこの市であると心得ておる!(市に対して膝を付く勝家)敗軍の将はその責めを負うもの。一片の悔いも無い。織田家は死なぬ。その血と誇りは、我が娘たちがしかと残していくであろう。(気配に振り向く)

茶々:(戻ってきて話を聞いていた。おずおずと進み出て、お市に抱きつく)母上の無念は茶々が晴らします。(お市の目を見て)茶々が天下を取ります

市:(涙の滲む目でほほえみ、茶々にうなずく)

 夫である勝家も、市の前に膝を付き臣下の礼を取った。市は敗軍の将として責めを負う覚悟があり、その無念を晴らし、天下を取ると茶々が宣言。親子今生の別れの胸アツ場面だった。

 家の駒として政略結婚相手に嫁がされる女子の悲哀は、これまでの時代劇やら大河ドラマで散々見てきた。お市様も大抵そんな弱弱しい描かれ方。だが今作は従来の流れと少し違う。瀬名もそうだったが、ヒロインを受動的な人物にとどめない。

 とても現代的に見えるが、女性が男性の陰に押し込められた江戸時代に比べ、戦国時代には女城主も存在し、相続権やら社会的な力が認められていたと聞くし、お市が能動的に甲冑を纏う姫だったとしても愉快でいい。

 それこそお市の娘の淀君は、大坂の陣で鎧に身を固めて城内を見回った話を聞く。「真田丸」でも、今は亡き竹内結子が繊細に演じていた淀が、派手な秀吉を思わせるカラフル羽根つきの鎧姿で出てきた気がする。今作でも淀は、母親のお市が北庄落城でやっていた姿を大坂落城の際に真似ることになるのか。(北川景子が淀も二役で演じるのだったら、2回も甲冑姿になるのか。)

 ただ、お市が総大将を自認するのは、元々そんな夢を持っていたセレブ女子だという設定だから良いのだけれど、外にいる徳川家中の面々からも、何の疑いもなく当たり前のように「お市様から仕組んだのかもしれませんな」「やはり柴田勢の本当の総大将は、柴田勝家でも織田信孝でもなく、お市様かと」といったセリフが聞こえてきたのが、どうも納得できなかった。

 瀬名は、三河に嫁いで「おなごは政に口を出すな」とばかりに、一向一揆の戦でも黙って握り飯を作らされていた。そんな風土に育っているあなたたちは、何を知っていてそう言うの?

 お市が年の瀬の挨拶に綿布を贈ってきたから?綿布に特別な意味でも・・・と考えてみると、「おんな城主直虎」で、柴咲コウ演じる「女城主」直虎が領地で綿花を育てさせていた。綿布を商品として売りさばいたのは、今作で秀吉を演じているムロツヨシの豪商・瀬戸方久だったけど?

 他に何か意味があるのだろうか?

(追記:「越前の綿は当時大変な貴重品だった」とのこと。秀吉と地元中村の住民とのエピソードを読んで知った。なるほど!「あの大将首を獲った武将をクビにしろ」部下管理のプロ・家康が大手柄の猛将を即切り捨てた納得の理由【2023上半期BEST5】 「泣くまで待とう」とはまったく違う…背筋が凍るほどの厳しさ (4ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

家康よりも兄・信長が好き

 さて、お市なりに目算が無いわけではなかったが、秀吉という相手が悪かった。信長次男の信雄が秀吉に誑し込まれ、織田家は分裂。お市や信孝などを先に悉く潰し、御しやすい信雄を後で潰せば織田家は終わりだ。

 秀吉軍の兵火に城を囲まれいよいよ最期かという時を迎えても、お市はまるで天守から花火を眺めているかのように落ち着いて見えた。娘たちの手前、平静を装っていたのだろう。笑顔で「はい!」と嘘をついた後、初と江を抱きしめた顔は泣きそうだった。

 その最期に甲冑姿のお市が身に着けていた黒いベストは、初期の信長が用いていた物なんだとか。今川義元の兜首を投げつけた印象的なシーンで岡田信長が着た物を、背中側をたくさん詰めて細くして、北川景子が着ていると彼女のインタビューで知った。

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 このインタビューで、面白いことを彼女は言っていた。今作のお市は、初恋の相手は家康となっているけれど、実は好きなのは兄・信長の方なんだと。家康ラブの信長フィルターを通して家康を見ていたから、自分も勘違いしていただけ、みたいな話?

北川:凄く強くて戦に長けている兄のことは、凄く尊敬していたと思いますし、兄のために自分がどう役に立てるかというか、何ができるのかということを考えて生きていたんじゃないかと思います。

 何となく初恋のシーンとかはありましたけど、いつも私が家康さんを見る時は、兄を通して見ているという感じだったので、兄がいて初めて保たれていた関係というか。

 すごくいい人だなとは思うけど、兄に対する愛情の方が強いんですよね、すごく。それは感じました。

 そうだよね。金ケ崎の退口の時に、阿月ちゃんに浅井の裏切りを報せに行かせるのは家康の陣所じゃなくて、お市ならどう考えたって兄の信長の方じゃない?物語として不自然だよな、と感じたのを思い出す。確かブログでも指摘した。

 不自然ついでに思うのは、幼い竹千代が溺れた市を助けて(!)「お市様は竹千代がお助けします」と言い出した件。弱虫泣き虫鼻水垂れだった小学生低学年の当時の竹千代君、いきなりどうした?だった。

 残念ながら、強い兄を追いかけて織田家の総大将を名乗るくらいのたくましい女子なら、幼少期でもバカにするなと反発するのでは。「何か勘違いを?私は私が守ります。強い兄もおりますので」ということだ。

 お市と家康との初恋説は、演じた北川景子もああ言うのだし、家康だけの片思いでは?お市の側は、大好きな兄信長がそんな風に理解していたから(どうじゃ、恋焦がれていた男に振られる気持ちは、みたいなことを言っていたね)乗せられてその気になってあげた、ぐらいのものかも。

 だから、家康を待ってたなんてストーリーは、申し訳ないけどしっくりこなかった。後に家康を逆恨みする茶々のための無理やりな筋立てだろう。お市は、兄の地獄からの援軍だったら待ってたのかもね。そっちの方が全然かっこいいな。

お市の娘たち

 それにしても、今作の脚本家は強い姫君が好き。以前も書いたが、今作では出てこない信長正妻のお濃(帰蝶でもいい)、映画「レジェンド&バタフライ」では綾瀬はるかが演じてやたら強いとか。

 初夜の格闘で信長を組み伏せて「聞きよった通りのひ弱でがらんどうの嫡男じゃ」と言ってのけるんでしょう?(辛酸なめ子の信長&濃姫夫婦をイラストレビュー|WEB MAGAZINE レジェバタ公記 - 新聞・雑誌|映画『レジェンド&バタフライ』公式サイト|大ヒット上映中 (legend-butterfly.com)

 そちらにはお市が出てこない。どちらも「男勝りの強い姫」のキャラ被りになる。今作では、その「男勝りの姫キャラ」は、今後は茶々=淀殿が担うのだろう。

 前述の、母の最期の覚悟を聞いた茶々が、市に抱きついて

母上の無念は、この茶々が晴らします

と誓いを立てたが、後のことを考えると、大きな十字架を背負ったものだと胸が痛む。

 茶々が秀吉に取った振舞いについては「13歳の子役に何をやらせるのか。茶々はどこでそんなことを学んだのか」とは思ったけれど。(しかしあんなことで、人たらしの達人・秀吉が籠絡されるものか?)

 それよりも、ちょっとお市の次女・初の変な受け答えが私は気になった。初がこんなにも人の話をちゃんと聞けないという点は、大坂の陣の講和での伏線になってくるのだろうか。

初:母上は、徳川殿に輿入れするかもしれなかったというのは誠でございますか?

市:えっ?誰がそのような・・・。

江:そうなのですか?

市:嘘じゃ。幼い時分に顔見知りであっただけ。

初:もしかしたら、私たちの父上は徳川殿だったかもしれないのですね

茶々:つまらぬことを申すな。我らの父は浅井長政じゃ。

 茶々は反抗期にあるらしく、物言いはそっけないが正しい。初の言っていることは滅茶苦茶、ものすごい飛躍だ。母が明確に「嘘じゃ」と答えているのに、勝手に妄想が弾けてしまっている。

 人の話を聞けず、妄想癖のある初が、大坂方の運命を背負って切れ者・阿茶の局との講和の席に着くかと思うと空恐ろしい。そりゃ大坂城のお濠が全部埋められても仕方ない。

本多正信がさっそく始動

 今回のブログはお市の話がメイン。だが、楽しみに待っていた本多正信についても触れておきたい。殿に北条との戦に参陣するよう呼ばれ、ようやく鷹匠から側近へと昇格か。逃がしてしまった鷹はどうなった?於愛がいきなり「イカサマ師殿」と呼びかけていたのがおかしい。家康がそう裏で呼んでいるんだな。

 於愛に「足の古傷の具合がどうも」と最初は言っていたのに、鷹を逃がしてしまったので、きっとその件を有耶無耶にするために「そこまで殿が仰せならお供せねばなりますまい」と言い出した。相変わらずだ。

 北条の氏政・氏直親子は、定番の汁かけ飯で登場。2万を超える軍勢で甲斐・新府城に陣を敷く徳川の3000に対抗してきた。「持ちこたえられないから手勢を呼び寄せよう」という井伊直政に、やってきた本多正信は「それはいかがなものか」と言う。正信に「来たか」と言う家康はほんのり嬉しそうだ。

家康:来たか、正信。

正信:散らばった手勢が集まれば、敵の散らばった手勢もまた集まり、敵がさらに膨れ上がります。

直政:しかし、既に敵は大軍。

正信:大軍ゆえに動きは緩慢。山中では大軍は進むも退くも意のままにならん。彦右衛門殿の手勢を密かに動かし、黒駒あたりで待ち伏せしてみては?

直政:それでも、数は及びませぬ。

正信:狭き山道ゆえ、数の差は気にならん。

家康:(爪を噛んで)僅かな兵で大軍を追い払うことができれば、勝利以上の値打ちがある。やってみるか。

直政:殿、このような奴の言葉を・・・。

家康:直政。一軍の将になるからには、こやつのずる賢さも学ぶが良い。

正信:学ぶが良い。

直政:一軍の将?

家康:召し抱えた武田の兵はそなたに預ける。

正信:(喜びを押し隠す直政をニヤニヤ見る)

 面白いよね、正信は出てくるだけでこちらがニヤニヤする。家康も熟考ポーズが出て、その上で正信に賛同するぐらい彼の策には説得力があったのだ。そりゃ側で使いたくなるよね。

 北庄城への援軍についての軍議でも、お市を助けに行こうという忠勝や康政らを尻目に、正信が出てきて言った。

正信:前田利家も柴田を裏切ったと聞く。つまり、織田家臣の多くは秀吉に調略された訳じゃ。

康政:なぜそんなことになったのか・・・。

正信:それこそが秀吉という男の才覚。(略)殿、これはあくまで織田家中の争い。我らはただ静観し、勝った方に「おめでとうございまする」と言いに行くが上策かと。

 これには石川数正と酒井忠次の両家老も同意、静観が決まった。的確な物の見方ができ心強いと、正信は評価されていくのだろう。

 こうなると、石川数正の動向が気になってくる。もしかしたらこの正信の再加入は、数正の出奔に関係するのだろうか。キャラがやや被りだからな・・・なんてことだけじゃなく。

蛇足・家康が光秀を討てた場合の「もしも」を妄想する

 今回の家康は、於愛に「古い約束があってな・・・お相手はずっと覚えておったんじゃろう。なのにわしは、その約束を一番果たさねばならん時に果たせぬ・・・祈ることしかできぬ」なんてノスタルジーたっぷりに語っていたのだが、いやいやそこまで思うのだったら行動に起こせよ、と言いたくなった。

 結局、秀吉に乗せられての自国の利益優先で、「自重」という名の見て見ぬふり。市の死を知って「気持ちはあっても動けなかったんだよ」的な表現がまた、中学生が鬱憤晴らしで机を叩くような幼稚さだったのが見ていて情けない。「秀吉は、わしが倒す」と口にするのも中学生っぽくて今さら感満載。今作の家康は、信長が死んで少しは大人になったのかと思ったのにな。中坊のような反応はもうやめてほしい。

 前回ブログで、「ヘタレじゃない本当の家康」なら、瀬名と信康の仇の信長の首を取るために準備万端整えた上でやることとして、

  • 光秀を嵌めて信長を討たせ、
  • アリバイ作りに堺で遊び、
  • 手なずけた伊賀者の案内でスムーズに帰国、
  • 謀反人光秀を討ち果たして天下に号令(←秀吉が討つ)

ーーという筋書きを示し「情報収集に長けた秀吉に出し抜かれ、計画をコンプリートできなかったのでは」と書いた。

 秀吉が秀長に説明していたように、当時の三河の兵は強かった。でも、もし家康が先んじて光秀を討っていたとしても、家康は秀吉と違い、織田家は織田家として、外様の家康が織田家の内部抗争には介入しなさそう。

 そうなると、まずは信孝なり信雄なりが三法師を支えて政を行うのを外から眺め、そのうち起きる織田家内部の争い・下剋上を目撃し・・・結局は白兎を潰す気満々の秀吉と戦うことになるのかな。

 でも、家康が「光秀を成敗した者の責任として」もう少し早期に織田家の内部抗争に関われたか?例えば、最後の最後に残った信雄からお呼びがかかる前に、生前の信孝&お市と連携できたかもしれない。それこそ、お市が選ぶ結婚相手は家康になったのかも。

 ただ、軍勢が強くても、勝家がそうだったように口八丁の秀吉にどんどん周囲が切り崩されて、追い詰められたか・・・結局、才覚お化けの秀吉には敵わず、正解は「争いの外にいて秀吉の死を待つ」だったかな。

(敬称略)