黒猫の額:ペットロス日記

息子は18歳7か月で虹の橋を渡りました。大河ドラマが好き。

【どうする家康】#48 家康は「鎌倉殿の13人」義時と相似形、でも最期は幸せに海老すくい

「神の君へ」から来年の「光る君へ」

 もう片手で数えれば2024年が来る。年末だ。毎度のようにああだこうだに追われて年の瀬を迎えているが、気づけばまだ「どう家」最終回について書いていなかった。下手すると来年の大河「光る君へ」が始まってしまうじゃないか。

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第48回(最終回)「神の君へ」は、もう10日以上前の12/17に放送された。この記事を12/29の総集編前に書き始められて良かった(アップできるのは後かもわからないけど😅)。

 最終回サブタイトルの「神の君へ」は明らかに来年大河の「光る君へ」を意識したものだろう。Amazonで発売されていた脚本をチラ見したら、最終回のオリジナルのサブタイトルは「~でどうする!」という形式だったから。

 「光る君へ」では、まだ劇中劇で必ず出てくるはずの光源氏を誰が演じるのか発表されていなかったような。今思うと、松本潤は徳川家康役よりも光源氏役の方にキャスティングされるのが普通だったかなと思うのに、若い頃の「ぴょんぴょんぴょん」だけじゃなく(初めて見た時は唖然としたが、見慣れてしまうと懐かしい)、よくタヌキ親父の晩年まで走り抜けたものだ。

 最終回では、そのタヌキ親父も白兎に戻るとオープニングアニメでは示唆していた。やっと肩の荷が下りると。

 それを指し示す「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」は江戸時代に水戸藩あたりで創作されたもので、神君家康のご遺訓とは・・・💦と今どきの時代考証の先生方はおっしゃっているらしいのによく出したなーと思ったら、それを語りの福(春日局)が「遠き道の果てはまた命を賭した戦場にございました」と続けた。彼女の言葉として処理したってことだよね、考えてる。

 それから、まだまだ引っ張る「鯉」バナ。京の二条城で、これから戦場に赴く家康が阿茶局と会話をする。

家康:わしに言いたいことがあれば、今じゃぞ。これが最後かもしれん。

阿茶:ありません。私は最後とは思うておりませぬので。(家康に羽織を着せかけて)あ、ひとつだけ。よろしければ、あのお話をお聞かせ願いとうございます。

家康:あの話?

阿茶:鯉。

家康:コイ?

阿茶:魚の鯉のお話でございます。

家康:ああ、あれはな、信康と五徳の・・・。

 ここでまたお預けが入るのだ。場面は大坂城の乱世の亡霊の皆様へと移ってしまう。鯉の話を聞かれて、さすがにもう家康は笑い転げたりしないが、口が重そうだ。あの後、満面の笑みを浮かべていた阿茶は、話を聞かせてもらうことはできたのだろうか。

 でも、ここで家康の脳裏にはしっかりと浮かんだんだろうなあ、最後の戦を前にして、幸せだったあの頃が。

 視聴者側の私にも浮かんだ。散々お預けを食らってきたイライラ。最終回に及んで、まだするかと。この脚本家は、全編を通じてあっちこっち話を飛ばすものだから、そんなイライラがあちこちに散りばめられてきた。最終回ではそれらを一気に晴らしてもらいたいと仇を取るくらいに期待していたものだから・・・もう!

 「○○はCMの後で~」と引っ張る手法がいつからか日本では当たり前だけれど、それを、少し前の話だけれど、韓国在住が長い知人が驚いていた。「こんなことをしたら視聴者をバカにするなと韓国だったら暴動が起きるよ」と。今も韓国ではそう受け止められるだろうか。よくよく日本人は従順に躾けられたものよ。

 この引っ張る手法も、視聴者を繋ぎ止める「ロングパス」などとかえって称賛されて乱発されるようになって、もはや制作側では当たり前なんだろう。ミテルガワノコトカンガエロヨ。ああ、私も一話完結とか二時間ドラマしか見られない体質になってきちゃったかな。要するにガマンが利かなくなってる。

 さて、「戦とは汚いものよ」と真田昌幸(佐藤浩市)は生前、信繁に言っていた。「戦はまた起こる。ひっくり返せる時は必ず来る。乱世を取り戻せ。愉快な乱世を泳ぎ続けろ」と種を息子に植え込んでいた。徳川にとっては乱世の帝王・昌幸が生きていてはかなり厄介だったはず。やはり、彼は家康と秀頼の二条城での会見の後、始末されたかな?

 佐藤浩市と同じく、2年連続の大河ご出演となった小栗旬。演じる天海(言われてなかったら分からないレベルの特殊メイク~)が源氏物語と吾妻鏡(昨年最終回でこぼした、お茶の染み付き)を手にしながら源頼朝について語るという、しゃれっ気いっぱいの登場の仕方をした。

 言うまでもなく、小栗旬は昨年の「鎌倉殿の13人」主役の北条義時を演じ、義時は源頼朝にこれでもかと振り回されていた。「世間では(家康のことを)狡猾で恐ろしいタヌキと憎悪する輩も多うございます。かの源頼朝公にしたって、実のところはどんな奴かわかりゃしねえ。周りがシカと称えて語り継いできたからこそ、今日、全ての武家の憧れとなっておる訳で」「人ではありません。大・権・現!」と秀忠に言った時の言葉がちょっと愚痴のようで、ニヤニヤしてしまった。しかし、なぜあそこに真田に嫁いだ稲姫が居るんだ?

 この、前後の大河のエピソードを最終回で噛ませるというのは、今後も恒例になっていくのだろうか。来年の「光る君へ」の主人公・紫式部は、「源氏物語」をあれだけ面白く書くくらい想像力がたくましいのだから、今年の戦国時代と再来年の江戸時代程度の未来なら無理くり想像を飛ばせるか?・・・やっぱり無茶ぶりかな。

とうとう出てきた「鯉」バナの中身

 さて、最終回のあらすじを公式サイトから引用しておこう。

家康(松本潤)は豊臣との決戦に踏み切り、乱世を終える覚悟で自ら前線に立った。家康の首を目がけ、真田信繁(日向亘)らは攻め込む。徳川優勢で進む中、千姫(原菜乃華)は茶々(北川景子)と秀頼(作間龍斗)の助命を訴えた。だが家康が下した決断は非情なものだった。翌年、江戸は活気に満ちあふれ、僧・南光坊天海(小栗旬)は家康の偉業を称え、福(後の春日局/寺島しのぶ)は竹千代に”神の君”の逸話を語る。そんな中、家康は突然の病に倒れる。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 「家康が下した決断は非情なものだった」って、まあ「すまん」とは確かに千姫に言ったけど、最終決断を下したのは秀忠だったが。秀忠の成長を感じる大事なシーンだったのに、どうしてこう書くのか、公式サイトなのに。

 秀忠は「最後ぐらい背負わせて」と家康に言い、涙ながらに茶々と秀頼の助命嘆願をする娘・千姫を前に「将軍として、秀頼には死を申し付ける」と宣言した。家康は心配そうに秀忠の決断を見ていた。(前回、秀忠を「お子ちゃま」と書いてゴメン。彼は家康の苦悩をちゃんとわかっていたね。)

 「鬼じゃー!鬼畜じゃー!豊臣の天下を盗み取ったバケモノじゃ」と泣き叫んでいた千姫が心配だ。自分が愛する人たちを、自分の父と祖父が殲滅しようとし、自分の願いを聞き入れてくれない。これ以上のトラウマ体験も無いだろう。彼女自身が秀頼を深く慕っているだけでなく、多くの者が皆そうだと主張すればするほど逆効果、秀忠の表情が硬くなるのが切なかった。確か、家康が会いたいと言っても、千姫はおじじ様には死ぬまで会わなかったらしいよね。

 まあ、千姫については本多忠勝の孫・忠刻と再婚することがあまりに有名なので、救いにはなる。しかも、姑は信康と五徳の娘・熊姫。そこらへんでスピンオフを作ってくれないか。信康の娘たちは、信長と家康の孫なのにドラマに出てこなかった。瀬名の五徳へのセリフ(確か「そなたには娘たちを育て上げる務めが有ろう!」みたいな)で出てきたが、それだけじゃ寂しい。

 千姫の原菜乃華が瀬名の有村架純に面差しがあまりに似ていて驚きだったが、それを逆手に取って、スピンオフでは有村架純が成長した千姫のその後を、山田裕貴が忠刻を演じたらどうだろうか。

 最終回では、前半はドロンジョ茶々様率いる乱世の亡霊チーム(皆さんの亡霊メイクの白塗りが青白い程で禍々しい。「魔界転生」みたい)相手の大坂夏の陣、そして後半は、例の笑っちゃって話せなくなる信康婚儀の際の「鯉の話」がとうとう描かれた。

 話の基になった逸話は、ドラマオリジナルじゃなくて江戸時代に書かれた物の中に実際にあるとか。道理でどこかで聞いた話・・・と思ったら、滝田栄主演の「徳川家康」にも出てきたそうだ。あ~、そうだったかも、でもほぼ忘れている。

 まあ、引っ張りましたよね、鯉の謎。確か「築山に集え!」と「於愛日記」で焦らされて語られずじまい。で、話の中身は、家康が、信長から贈られた立派な鯉を食べたい家臣らにすっかり担がれ、右往左往した笑い話だった。

 これが笑い話になるのは徳川家中だからで、織田家中だったら何人家臣が殺されたのだろう?実際のところ、信長は家康饗応の席で「淀の鯉」を出して失敗した(させられた)明智光秀をひどく叱責し、恨みを買って本能寺で殺された。「家臣を手討ちにしたりしない」と家康を信頼したからこそ、徳川の家臣らは自分たちの食欲を優先して殿を担げたのだった。まさに、幸せだった頃の岡崎での1コマ。

 こういう幸せなひと時が脳裏にあれば、人は生きていけると思う。常時、最期までずーっと幸福であることなんかない。それでは、幸せに鈍感になってしまう。しがみ付いていられる幸せな記憶が過去に既にあれば、人生は幸せなのだと思う。

 阿茶は「天が遣わした神の君。あるいは、狡猾で恐ろしい狸。いずれにしても、皆から畏れられる、人に在らざるものとなってしまわれた。お幸せだったのでございましょうか」と泣き、本多正信も「戦無き世を成し、この世の全てを手に入れた。が、本当に欲しかったもの、ずっと求めていたものは・・・」と手を合わせていたが。

 信康婚儀の場にいて、家康死去に際してまだ死んでなかったのは五徳ぐらいか。亀姫もいたはず。後は皆、徳川に尽くして命を捧げ、既に死んでいった者たちばかり。そう思うと、家康が深々と頭を下げてお礼を言うのはジンと来た。

 あの場面は、家康が若いんだか年なんだかがいったりきたりで、演じている松潤が緩急をうまく表現していた。

 物語の大団円は三河家臣団や家族との海老すくい。役者の皆さんが生き生きと笑顔で踊っていたのが良かった。昨年の「鎌倉殿の13人」の終わり方があれだけ沈鬱だったので(義時に解毒剤を与えず死なせたというか殺した、政子のすすり泣き)、大きく違う。

「どう家」瀬名は、クセになる

 今年の大河の終幕は和気あいあい、スッキリさっぱりできた。何といっても、家康の幸せの象徴・瀬名と信康が出てきたし。当時、結構な瀬名ロスになった私としても、出てくるのを待っていた。こんな瀬名(築山殿)はこれまで見たことが無かったが、クセになったかな。頭の中の池上季実子の瀬名の上に、有村架純で上書き保存された感じ。

 家康死去の年月日「元和二年(1616年)四月十七日」がパーンと表示された段階で、家康が何か(寅?)の木彫りを起き上がってするってのはもう無理なんじゃ?と疑問に思ったら、瀬名と信康が武者隠しから「もう、出ていってもよいかしら」「あ~くたびれた。もう隠れなくてようございましょう」と、サバサバと登場。ああ、お迎えなんだとわかった。

家康:お前たち、ずっとそんな所に?

信康:父上。戦無き世、とうとう成し遂げられましたな。

瀬名:ようやりました。私の言った通りでしたでしょ。成し遂げられるのは殿だと。ご立派なことでございます。

家康:立派なことなんぞ。やってきたことは、ただの人殺しじゃ。あの金色の具足を付けたその日から、望んでしたことは1つもない。望まぬことばかり、したくも無いことばかりをして。

竹千代(後の家光):(走ってきて)おじじ様、上手に描けたので差し上げます(御簾の内側に差し入れた、男雛を振りつつ話す。紙を差し出し、御簾内の雰囲気に気づいて瀬名・信康とお辞儀を交わし、去る)。

信康:不思議な子でございますな。

家康:竹千代、後継ぎじゃ。

瀬名:初めてお会いした頃の、誰かさんにそっくり。あの子が鎧をまとって戦場に出なくて良い世の中を、あなた様がお創りになったのでしょう。あの子があの子のままで生きてゆける世の中を、あなたがご生涯をかけて成したのです。なかなかご立派なことと存じますが?(信康が持ってきた竹千代の描いたウサギを見て)存外、見抜かれているかもしれませぬな。あなたが狸でも無ければ、ましてや神でもないということを。(ウサギの絵を見せる)

家康:(はらはらと、涙を流す)

瀬名:みんなも待っておりますよ。私たちの白兎を。

 こんな幸せなお迎えがあろうか。家康にとってはこれが一番望んだもののはず。瀬名と信康によくやったと褒められれば、満足のはずだ。阿茶も正信も、心配すること無い無い。

 瀬名・信康・家康といるところに竹千代(家光)が持ってきたのは、実際に家光が描いた兎の絵をモチーフにした物だろう。よく似ていた。

 美術さんが描いただろうウサギは、家光が描いた本来のふわふわしたちょっと分かりにくい毛玉みたいなウサギの絵よりも、視聴者のためにはっきりそれと分かる絵になっていたが、「英雄たちの選択」で見たあの絵だ!とピンときた。

www.nhk.jp

 竹千代は小さな男雛も持ってきた。初回に、瀬名の女雛が乗るおままごとの花籠に乗せられず、別れを暗示された家康のメタファー、家康もとうとうお迎えの舟に乗せてもらえるという意味だろう。

 (ところで、最終回だけに意味深なものが色々あるが、ウサギの木彫りはどこに行ったのか?家康は木の箱に納め、長持ちに大切にしまっていたが、その後まだ見ていない。)

 そうか、「徳川実紀」によれば、前日までに榊原康政の甥を相手に遺言は済ませたのだったか。遺言部分、これもスピンオフにしてくれたら是非見たい、杉野遙亮が当然、康政の甥っ子役で。

 それから・・・「どう家」では、瀬名と信康については深く描かれているのに、他の家康の側室や御三家の祖になった息子たちやらがほとんど出てこないことが気になっていた。

 家康にとっての「幸せな家族」には瀬名と信康が欠かせないのだが、他の側室たちとの関係は、お仕えされる主従関係へと質が異なっていた。後継ぎ秀忠の母・於愛でもそうだったし、阿茶でもそう。瀬名らが死んでからは、家康は仕える家臣らに持ち上げられ遠ざけられるばかりだったかな。

 瀬名と信康がいた頃、家康は普通にか弱い白兎だった。ちゃんとお迎えに来てもらえて、白兎に戻れて何と幸せだったことか。

 そうそう、家康の辞世の句は「嬉しやと 再び醒めて 一眠り 浮世の夢は 暁の空(これが最後だと思い眠ったが、また目覚めることができてうれしい。この世で見る夢は、夜明け前の空のようなものだ)」。これから取ったのだろう、オープニングテーマ曲のタイトルは「暁の空」と聞いて、このドラマで家康の死に際の走馬灯を1年かけて一緒に見てきたような気もしてきた。また最初の方を見てみたい。

徳川家康の辞世の句(最期の言葉)とは?意味もわかりやすく簡単に解説 – 和歌ラボ

どちらも、泣き虫の男の子が戦の無い世を目指した

 今年の「どうする家康」と昨年の「鎌倉殿の13人」。終わり方は対照的だったが、実は同じ「戦の無い世」がこの先にやってくる安堵感がある。それも、北条義時と徳川家康の、ふたりの主人公どちらもが、地獄に落ちたと見られるほど自分本来の優しい姿を犠牲にして得られた到達点。それがとても似ていた。

 義時も家康も、登場当初はナイーブな泣き虫の少年だった。現実に相対するうちに、自分らしさを失い黒くなっていくが、平和な世を息子ら次世代に手渡そうと、もがいてきた。

 「鎌倉殿」の場合は、しかし、長澤まさみのナレーションでも言っていたように、戦いの無い世が続いたのは、息子の泰時(坂口健太郎)が執権として存在していた間だけ。泰時が世を去ると、義時が信じ続けた三浦義村(山本耕史)の家は宝治合戦の末に滅ぼされている。

 しかし徳川の世は260年も続いた。この差は、家康の「吾妻鏡」研究の成果なのかな?

 「鎌倉殿」最終回で、ゲスト出演的に出てきた松潤の徳川家康が「いよいよ承久の変だ」とワクワクしたところでお茶をこぼしていた。これが示唆するものは?と考えると、きっと、実はそのあたりをリアル家康も何度も読んで参考にしたってことではないか。

 承久の変では、北条義時が後鳥羽上皇をも裁き、隠岐送りにした。自分は大悪人の汚名を着ても、皆の希望の存在だった賢い息子・泰時に北条がてっぺんに立つ武家政権というエバーグリーンを遺そうとした。

 泰時は御成敗式目を作ったことで有名だが、しかし、その彼を以てしても「戦の無い世」を続けられたのは泰時が治政を担っている間だけ。それは何故か、どこで失敗したのか、どうしたら永く「戦の無い世」が続くのかと家康は考え抜いたのではないか。

 それで、逆説的に気づいたのが泰時が優秀な人物であったことだったのかもしれない。秀忠を選ぶヒントは吾妻鏡にあったのかな。

 家康はあえて「大いなる凡庸」秀忠を選び、「戦を求める者」にひっくり返されることのないガッチリとした仕組みを、関ヶ原の戦い後、時間をかけて構築したのだろう。

 ただ、ドラマでは仕組み作りが十分には描かれなかった。1603年から1610年にかけて、家康が豊臣の牙を慎重に抜いていく段階もちゃんと見たかった。家康が苦心した部分だろうに、残念だ。

 「青天を衝け」の渋沢栄一の生涯も、彼は90歳以上だったから見足りない感じが強く残ったが(特に「青天」の場合は41回しかなかったし💦)、家康の人生も75歳と比較的長い。大河ドラマ2年ぐらいかけないとダメだったかな。三谷幸喜が、足りないところを補って、もう1回家康で大河ドラマを書いてくれないか。物足りない。

日本がPAの国になったのは、大坂の陣以来?

 ドロンジョ茶々様は、炎に包まれる大坂城と命運を共にした。その前に、家康は馬印の金扇をわざわざ敵から見えるように前に掲げさせ、「家康はここにおるぞ」「さあ来い、共に逝こうぞ」と呼ばわった。心の中では「乱世の亡霊たちよ、わしを連れて行ってくれ」と唱えていたが、周りに死なれて生き残ると、それが本心なんだろう。

 でも、真田信繁らの最後の突撃を逃れ、助かった家康がいたのは六文銭(真田家)の幕の張られた陣だった。これって史実通りなのか?混乱したが、つまりは信繁の兄・信之の息子たちの陣に退避したということか。真田同士なら、ここには来ないだろうと。

 さてさて、北川景子が素晴らしい茶々だった。ドラマのラスボスだったんだそうだ。その場面は見応えがあったが、「ラスボス」という言い方がどうも好きじゃない。ゲームみたいで軽いから。(あ、中1男子がターゲットのドラマだったと思い出してしまった。)

 茶々が死ぬ前に秀頼は切腹し、死ぬ間際に「わが首を以て生きてくだされ」と母に言った。そんなことできる訳がない、息子をそんな目に遭わせておいて、母だけが生きるなんて。マザコンだな、秀頼。彼が母親に反発できるような人物だったら、話も変わっていただろうにね。

 「余は豊臣秀頼なんじゃ」と宿命から逃れられないかのように千姫にかつて言っていた秀頼は、劣勢が明らかになっても「余は最後まで豊臣秀頼でありたい」と今回も千姫に言い、まさに母の誇大妄想の天下人を生きさせられた気の毒な人物としてこのドラマでは描かれた。

 千姫が瀬名にそっくりだから、千姫が秀頼の手を取って「千はただ、殿と共に生きていきとうございます」と言った時のふたりが、昔、瀬名が「どこかに隠れてしまいたい」と言った時の瀬名と家康を彷彿とさせた。秀頼を止められたのは母の茶々だけだっただろうに、茶々が拗れた上にカッコばかり付けるからさー。全部茶々のせい。

 大野治長が秀頼を介錯し、その息子の血しぶきを顔に浴びた茶々が凄まじい。その死に様を「見事であった」と茶々は言ったが、こんなに悲しい血しぶきがあるか。想像を絶する。息子の血だよ・・・。

 そして、その場にいた家臣たちも次々に秀頼の後を追い、「徳川は汚名を残し、豊臣は人々の心に生き続ける」と呪いの言葉を呼ばわった治長も茶々を残して先に切腹。茶々が介錯をし、治長は茶々の腕の中で息絶えた。え?茶々が介錯?そんなの初めて見た。今までのドラマで、そんなのあったかな。

 後にも先にも、茶々のような立場の者が自ら手を汚し腕の中で死なせてやったのは治長だけだったと思うと・・・治長が秀頼の介錯をしたと思うと・・・3人の仲は、かなり特別に見える。秀頼と治長、実の親子だったかと、ふと思ってしまった。ところで治長母の大蔵卿(大竹しのぶ)はどこだ?

 そして、ひとり残った茶々の独白。

茶々:日の本が、つまらぬ国になるであろう。正々堂々と戦うこともせず、万事長きものに巻かれ、人目ばかりを気にし、陰でのみ嫉み、あざける。やさしくて卑屈な、かよわき者たちの国に。己の夢と野心のために、なりふり構わず力のみを信じて戦い抜く。かつて、この国の荒れ野を駆け巡った者たちは、もう現れまい。・・・茶々は、ようやりました。

 中二病を拗らせた人らしく、反省するところはなかったのだな。前回のブログで、ちょうどPA(passive aggression)の話を書いた。日本はPAがあふれている国だとも。それと符合するような話を茶々が言い出した。そうか、大坂の陣で豊臣が破れて徳川の世になってから、AA(active aggression)は鳴りを潜めPAが隆盛することになったか?

 歴史家の磯田道史先生が、江戸時代には年間1000人もの人たちが微罪でも死刑になったとおっしゃっている動画があった。それが200年も続き、お上によく躾けられた国民になったらしい。徳川が表立ったAAを許さず、日本をPAの国にしたんだね。

youtu.be

 それでも「戦の無い世」がまだ全然良いと思うが・・・PAの国のしんどさは、来年の「光る君へ」で存分に描かれそう。楽しみであり、怖くもある。

 わあ、今回は特にダラダラ書き過ぎてしまった。来年からはもう少し控えよう。年末なのに、こんなに長々と読んでくださった方々、ありがとう。良いお年を。来年が素晴らしい年になりますように。なにしろ「光る君へ」だから大丈夫、期待大ですな。

(敬称略)

【どうする家康】#47 「乱世の亡霊の王」を育てた拗らせ茶々、過ちに気づくも遅かった

罪なのは、美しき「憧れの君」松潤家康だった

 NHK大河ドラマ「どうする家康」ラスト前の第47回「乱世の亡霊」が12/10に放送された。前回は冬の陣、今回は夏の陣かと思ったら、講和と夏の陣に向かうまでの話だった。となると、次の最終回は夏の陣と家康の終活か。

 まずは公式サイトからあらすじを引用させていただく。

家康(松本潤)の大筒による攻撃で難攻不落の大坂城は崩壊。茶々(北川景子)の妹・初(鈴木杏)と阿茶(松本若菜)が話し合い、秀頼(作間龍斗)が大坂に留まることと引き換えに、城の堀を埋めることで和議が成立する。だが乱世を望む荒武者たちは全国から大坂城に集まり続け、豊臣を滅ぼすまで平穏は訪れないと、家康は再び大坂城に兵を進める。そんな中、初と江(マイコ)は、姉・茶々を止められるのは家康だけだと訴える。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 この「茶々を止められるのは家康だけ」の理由。茶々のかつての「憧れの君」が家康だったという話が、妹たちから明かされたのだけれどね・・・最終回を前に、「なんだそれ~💦」と気が抜けてしまった。

 それとリンクするかと思うが、ドラマも終わりが近いので、関連記事がネットにたくさんあった中の1つによると、脚本家は「中1の自分が観て喜ぶ大河ドラマを書いた」そうだ・・・確かに「憧れの君」は中学生が喜びそうなパワーワードだ。

 どんなに利発にお育ちだとしても、人生の酸いも甘いも未経験でまだまだ情動の点で浅さが否めない中1が、この大河ドラマのターゲットだったのか。何だかこの1年間を返してもらいたくなった。だから時代考証の先生方が腰を抜かすようなゲーム張りの紫禁城(清須城)など、突飛な映像や妄想が溢れる訳だし、今回はお市と茶々の母娘2代で主人公に恋していたなんて、お茶を吹きそうな話になってる訳だね。

 「実はあなたが好きでした」って中学の同窓会でクラス一番の美人におじさんが言われたい言葉っぽいよねぇ。それをラスト前で「どうだ!」と出してきた感じだ。

 ずっと大河を見てきたアラカンとしては、戦国時代を代表する主要美女キャラが2人まとめて(実際は演じているのは1人だけど)主人公を喜ばせる色恋担当に成り下がったのが萎えた。

 2人ともが家康を好きだ?それって松潤が家康じゃなければ見ている側としてはキモ過ぎる設定だ。「どう家」の家康には、これ以上望めない程かわいらしく平和を希求する瀬名がいたじゃないか。過去の瀬名の中で歴代ナンバーワンだ。それで恋愛ファンタジーは十分じゃないのか。

 そうだそうだ、お市の兄・織田信長も松潤家康にぞっこんだった。織田家は家康大好きなんだね。

 こういう設定は、美しき松潤だから完全に白けることなく辛うじて成り立つシロモノじゃないか。申し訳ないが、過去の映像作品で徳川家康を演じた俳優さん方を思い浮かべ、考えてみてほしい。

 思いつくところでは丹波哲郎、中村梅之助、津川雅彦、西田敏行、松方弘樹、滝田栄、西村雅彦・・・戦国一の美人お市が恋して、その娘の茶々も、本人を良く知りもしないのに多感な少女期に完璧な天下人像を思い描き憧れ恋するような、そんなことが彼らに対してできようか?無理だ。(歴代の家康俳優の皆様方、大変に失礼しております<(_ _)>)

 それは美しき松潤ならでは。その松潤ならではの特性に乗っかった設定が顔を出してしまうと「いや、それ家康じゃないし、松潤だし」と思えてくる。松潤じゃなきゃ通用しないような話にされると、全然面白くない。

 誰かが「岡田准一は興味深い織田信長になっていたけれど、松潤は家康コスプレの松潤だった」と言っていたが、それじゃあまりにも悲しい。松潤家康、当初の心配を覆して悪くなかったと思うのに。

子が拗らせた時、大人が説き聞かせる大切さ

 少女期の「憧れの君」家康への恋がこじれて、アンチ家康になった茶々(まったくなんと単純すぎる設定w 仕方ないか、中1相手だもの)が、妄想上の理想的な天下人へと秀頼を育て上げた。エセ天下人の家康よりも、秀頼が本物の天下人、だから家康を倒して秀頼を天下人の座に就ける方が世のためだと、ドロンジョ茶々様はお考えだと今回判明した。

 家康に対して、憎さ百倍過ぎる。偏見が過ぎる。

 その妄想を素直に背負った秀頼が、夏の陣へ続く滅びの道を「正々堂々」歩むと決めちゃった大坂方。何という悲劇だ。

 他方、家康は、秀忠に丸投げせず総大将を務め「乱世の亡霊を根こそぎ引き連れて滅ぶ覚悟」と言った。この、自分の息子をクリーンな位置にキープしておいて、自分が地獄を引っかぶるポジションというのは、昨年「鎌倉殿の13人」で北条義時が真っ黒になって死守していた。2年連続で大河ドラマの主人公は地獄の道を行くんだね。

 しかし、ここぞというところで親が適切に前に出ることの大切さよ。せっかく茶々は昔の「憧れの君」からの手紙で、遅ればせながら自らの誤りに気づいたらしかったのに。

 家康の手紙はこうだった。なかなか胸を打つものだった。差し込まれる昔の映像(お市と茶々が別人!家康若い!)と、受けの北川景子の表情の変遷が良かった。そうそう、手紙を袂にしまってからお江に微笑まれて一瞬たじろいだ茶々も可愛かった。

茶々殿。赤子のあなたを抱いた時の温もりを、今も鮮やかに覚えております。そのあなたを乱世へ引きずり込んだのは私なのでしょう。今さら、私を信じてくれとは申しませぬ。ただ、乱世を生きるは我らの代で十分。子どもらにそれを受け継がせてはなりませぬ。私とあなたで全てを終わらせましょう。私の命はもう尽きまする。乱世の生き残りを根こそぎ引き連れて滅ぶ覚悟にございます。されど、秀頼殿はこれからの世に残すべき御人。いかなる形であろうとも、生き延びさせることこそが母の役目であるはず。かつてあなたの母君がそうなさったように。

 この手紙を読んだ後も、茶々は毎年正月に息子の背を測って付ける柱のキズを手で撫で、秀頼を思う母になっていた。乱世を生きる荒ぶるヒロインではなく。「かつてあなたの母君がそうなさったように」に改めてハッとさせられたのだろう。

 万能感いっぱいのティーンブレインの秀頼(これは年齢的にもお育ちからもしょうがない)と、家康への恋を拗らせた妄想癖の茶々。少女期に妄想癖全開でこっちが心配したのは茶々ではなくて、次女・初の方だったのに。姉の方が重症だったとは。

 それよりも、ちょっとお市の次女・初の変な受け答えが私は気になった。初がこんなにも人の話をちゃんと聞けないという点は、大坂の陣の講和での伏線になってくるのだろうか。

初:母上は、徳川殿に輿入れするかもしれなかったというのは誠でございますか?

市:えっ?誰がそのような・・・。

江:そうなのですか?

市:嘘じゃ。幼い時分に顔見知りであっただけ。

初:もしかしたら、私たちの父上は徳川殿だったかもしれないのですね

茶々:つまらぬことを申すな。我らの父は浅井長政じゃ。

 茶々は反抗期にあるらしく、物言いはそっけないが正しい。初の言っていることは滅茶苦茶、ものすごい飛躍だ。母が明確に「嘘じゃ」と答えているのに、勝手に妄想が弾けてしまっている。

 人の話を聞けず、妄想癖のある初が、大坂方の運命を背負って切れ者・阿茶の局との講和の席に着くかと思うと空恐ろしい。そりゃ大坂城のお濠が全部埋められても仕方ない。(【どうする家康】#30 戦国のヒロイン・お市が「敗軍の将」、エサに釣られた家康は歯噛み - 黒猫の額:ペットロス日記 (hatenablog.com)

 当時、お市は茶々ら娘たちに対して言葉少なだった。辛さを呑み込んで「はい!」と言った笑顔が印象に残る。もっと説明して娘らの妄想の種を取り除いてもいいのにと思わないでもなかった。

 家康の手紙でようやく気付きを得た茶々。でも、その気づきを彼女はきちんと秀頼にシェアしていない。それでいきなり最終決定を秀頼に託してしまった。その顛末はこうだった。

茶々:母はもう・・・戦えとは言わぬ。徳川に下るもまた良し。そなたが決めよ。そなたの本当の心で決めるがよい。

大野治長:我ら、殿がお決めになったことに従いまする。

千姫:千も殿の本当のお心に従いまする。

秀頼:お千。前にそなたは私の本当の心が知りたいと申したな?私はあれからずっと考えていた。ずっと母の言う通りに生きてきたこの私に、本当の心はあるのだろうかと。(立ち上がり、小姓から刀を受け取る)我が心に問い続け、今、ようやく分かった気がする。(興奮気味に去る)

 (牢人どもの前へ)皆、よう聞いてくれ。余の真の心を申す。信じる者を決して裏切らず、我が身を顧みず人を助け、世に尽くす・・・それが真の秀頼である。今、余は生まれて初めてこの胸の内で熱い炎が燃えたぎるのを感じておる!余は戦場でこの命を燃やし尽くしたい!

茶々:秀頼・・・!

秀頼:皆の者!天下人は断じて家康ではなく、この秀頼であることこそが世のため、この国の行く末のためである。余は信長と秀吉の血を引く者。正々堂々、皆々と共に戦い徳川を倒してみせる!余は決して皆を見捨てぬ!共に乱世の夢を見ようぞ!

牢人一同:オオー(喚声。口々に)乱世の夢じゃ~皆の者、奮え~!秀頼様のために戦おうぞ!(真田信繁が六文銭を掲げる)

秀頼:(茶々を見て)異論ござらんな。

茶々:よくぞ、申した。(涙をため、複雑な笑顔)

千姫:徳川を・・・倒しましょう!

秀頼:エイエイ

牢人一同:オー!(略)

茶々:(振り返った先に初がいる。黙って視線を交わす姉妹。初の見ている前で家康からの手紙を火にポイと捨てて燃やし)共に逝こうぞ、家康!

 「信じる者を決して裏切らず、我が身の危険も顧みずに人を助け世に尽くす。そのような御方であれば、それこそ真の天下人にふさわしき御方だと思わぬか?」と、かつて茶々が妹たちに言っていた誇大妄想を秀頼が口にした時、ため息が出た。そして「戦場で命を燃やし尽くしたい」などと、真田信繫ら牢人に感化されたことまで言っちゃって・・・。

 自分が思いもしなかった選択(ただ、その選択はそれまでの茶々の教えに沿っている)をしたからといって「秀頼💦」なんて声を裏返しても、もう遅い。まともなコミュニケーションが欠けたせいで、秀頼は乱世の亡霊の王よろしく、亡霊の皆さんを引き連れて滅びの道へとまっしぐらだ。

 亡霊代表の真田信繫(どす黒いメイクが凄い)の槍捌きに魅入られてたもんね・・・秀頼は戦いたい正義の戦士モードになってたよね。

 秀頼は、むしろ自分の選択を母は喜んでいると思い込んでいただろう。茶々も母からドロンジョに戻って「よくぞ申した」としか言えなくなった。それは自分が信じてきた道、秀頼に教え込んできた道だから。もはや滅びの道だと分かっているけどね。

 しかし、「共に逝こうぞ、家康」なんだね・・・どんだけ好きなんだか。本能寺で信長が「家康~家康~」と繰り返して血染めの着物でフラフラしていたのを思い出す。

 一方、家康は、秀忠に「そなたがまぶしい」と感情に訴える話をして秀忠の拗らせを解いたし、本多正信&榊原康政という、家中でも切れ者2人がかりで秀忠をフォローさせた。

 両者を比べ、子どもが変な妄想を膨らませて思い込みで拗らせそうになった時、大人が正面から向き合って「説き聞かせる」のは本当に大事だと思わされた。ましてや、秀頼のように母が持つ家康への偏見を幼少期から念入りに刷り込まれたら、まともな判断などできはしない。

 しかし考えてみれば、あんな過酷な運命を歩んでいた茶々姉妹が妄想や偏見に取りつかれる前に、誰が何を説き聞かせられたのだろう。彼女らを真摯に守り、彼女らのために説き聞かせられる大人は皆無の状態だった(実際は、織田信包ら頼れそうな親族がいただろうが、ドラマでは出てこない)。

 今作の豊臣の滅亡は、信頼できる大人とのコミュニケーション不足が招いた悲劇、ということで。拗らせる前に信頼できる大人を見つけてちゃんと話そうね、何かと手遅れになる前にね、と反抗期の中学生に説き聞かせるドラマだったのかな。

家族の期待を裏切った、主君・家康

 今作の家康は(一方的に背負わされた迷惑な妄想ではあるけれども)茶々の期待を裏切った。初曰く「母が死んだ時、憧れは深い憎しみとなりました」そうで、それが大坂の陣のような事態を招いている。

 そして、家康は家族の期待も裏切った。秀忠と千姫だ。千姫の無事を告げられ「何よりの事じゃ」と言った父・家康を見る秀忠のまなざしのきついこと。

 家康は決して自分でそうしたい訳じゃないのにねえ。自分の気持ちには反していても、断腸の涙を流してでも、乱世を鎮めるためにはやらねばならない。その理解がせめてお子ちゃま秀忠にはもう少し欲しいところだ。自力でたどり着けないなら、正信が説き聞かせるしかないか。

 前回のエピソードだが、秀忠は、孫を可愛がってくれる家康だから、まさか千姫を危険に曝すことなどしないと思っていた。一方、お江は「戦となれば、鬼となれる御方では」と家康を見て、千姫への害を恐れて秀忠が大坂攻めの総大将となることを望んだ。

 お江の見方が正しかったことは、大坂城への砲撃で示された通りだ。秀忠は泣いて「父上、止めてくだされ、止めろー」と懇願したが、それ以来、家康を見る目が明らかに変化している。家康を信じない目だ。

 そしてもうひとり、千姫。最初、ビカビカの金箔がちの衣装を着る大坂城の人たちの中で、千姫だけが紫メインの打掛をまとい、見た目から異質だった。座る場も、おかしいくらい明らかに茶々や秀頼から離れた下座で、豊臣からの心理的な距離を感じさせた。

 それが、お江との会話に臨んだ時点では、千姫は豊臣系のビカビカ打掛を着て、母がかけた「徳川の姫として」の言葉に反発、「豊臣の妻でございます」と強く言い切った。そして、下座から立ち上がり、上段の間に上って茶々に連なって座り直した。

 その時の茶々と秀頼の表情も印象的だった。母と娘の決裂を、決して喜んでいなかった。

 過呼吸に陥るほどの砲撃に自分を曝し、殺そうとしたのは徳川だ、私が死んでも構わないと思ったんだ、すぐに助けに行くとおじじ様は私に約束したのに裏切られた!ということだね。額に傷を負ってまで庇ってくれたのは、いつもは冷たかった姑・茶々だったしね。

 それ以来、豊臣系の打掛を身に着けガラリと言動が変わった千姫については、これまた単純な分かりやすい心の動きだとしか・・・中学生向けドラマだからね。

 お江からの櫛も、家康からの「ぺんすう」も千姫に戻され、お江は泣いた。このシーンはお江と秀忠の背後で桜が散り、物悲しく美しかったね。

 秀忠に言わせれば、きっと「全部家康のせい」(昨年は「全部大泉のせい」)なんだろうけれど、主君たるもの仕方ない。家康死後は、背負うのは自分であり、自分も家康のようにせねばならないんだけどね。

 戦後、秀忠もお江も、帰ってきた千姫との間がこじれ苦労することになるんだろうが、ちゃんと説き聞かせられるように秀忠が成れるだろうか。このドラマの秀忠の場合、心配だ。

スルー出来ない方々

 たぶんこれで出番が終わる高台院(寧々)。和久井映見が味わい深かった。計算高い寧々さんかと思ったけど、彼女が演じるからほっこりやんわり。「あの人と2人で何もねえところから作り上げた豊臣家・・・誠に夢のごとき楽しき日々でごぜ~ましたわ」が万感こもっていて、家康が頭を下げたのも分かる。

 次回は大坂城の炎上シーンで遠くから見守る表情が見られるか?いや、無いだろう。お疲れさまでした!

 最終回を前に、大竹しのぶの大蔵卿局がいきなり登場した。鈴木杏の初が出てくるのは予告でわかっていた(「大奥」の平賀源内とは本当に別人格でステキ)が、大蔵卿は、初と阿茶が講和交渉に臨む後方で、苦虫を嚙み潰すような表情で、菓子を前に無言で座っていた。

 無言なのにあの圧!「真田丸」の大蔵卿(峯村リエ)も強烈だったが、大竹しのぶともなると、初出で無言なのにちゃんと大蔵卿にしか見えない。昨年の歩き巫女のおばばなど微塵も見えない。もし「天命に逆らうな」「肘が顎に着くか」と言い出したら分からないが。

 そうか、最終回の死に際に大野治長ら息子たちに「天命に逆らうな」と言って皆で自害するのだろうか。小栗旬は治長の弟だったりして、そうしたら大竹しのぶとセットでご出演だ。

 小栗旬は家光役かと前回書いたが、天海が出てくるのに役者名が書いてないと鋭い人たちがSNSで言っていた。天海か・・・それもいいかもだけど長谷川博己がなあ。「麒麟がくる」の約束を果たさなきゃだし。

 吾妻鏡大好きな家康の事だから、さっきも書いたように、息子の泰時のためにできるだけの地獄を背負って去った義時に、死に際に思いを馳せるかも。あの世で会って、語り合うなんてどうかな。

 ただ、ちょっと義時じゃ弱いから、家康憧れの君・鎌倉幕府初代将軍の源頼朝役で出てくるのはどうだろうか。歴史家の磯田道史氏が、家康は方角オタクだと最近の講演(YouTubeで見た)で言っていて、鶴岡八幡宮に続く段葛(参道)を真っ直ぐ延長すると江戸城に行き着くことを発見したそうだ。それだけ家康は頼朝に思い入れがあるということだ。

 (ちなみに、久能山と日光東照宮を結ぶ線は、富士山山頂のやや西をかすめるのだそうだ。そこって浅間神社があるのでは?)

 小栗旬は、「鎌倉殿」で大泉洋の代わりにワンシーンだけ頼朝役を演じたことがあるもんね。「どう家」でも、もしかしてあったりして。

 ・・・そんなことを書いていたら、「どう家」公式ツイッターじゃなくてXが既にサプライズゲストを発表していた(サプライズなのに?本番前に発表するの?)。小栗旬は天海!

 ということで、もう最終回だから楽しく見られそう。家康の最期は、きっと徳川四天王始め、瀬名がままごとの花籠の舟に乗って迎えにきてくれますって!そこで「共に逝こうぞ!」と吠えてくっついてきた茶々と、瀬名が、家康を巡って熾烈な戦いのゴングを鳴らし・・・なゲーム展開の訳ないね。

 あと1回!

(ほぼ敬称略)

【どうする家康】#46 家康不在で豊臣が勝利したら、秀頼はプーチンのようになったのか

砲撃にさらされ過呼吸の千姫。秀忠も泣く

 NHK大河ドラマ「どうする家康」は大詰めの第46回「大坂の陣」を12/3に放送した。あらすじを公式サイトから引用する。

豊臣家復活を願う方広寺の鐘に、家康(松本潤)を呪う言葉が刻まれたという。家康は茶々(北川景子)が徳川に従い、人質として江戸に来ることを要求。激怒した大野治長(玉山鉄二)は、両家の仲介役・片桐且元(川島潤哉)の暗殺を計画。家康はついに14年ぶりの大戦に踏み切る。全国大名に呼びかけ、30万の大軍で大坂城を包囲、三浦按針(村雨辰剛)に用意させたイギリス製大筒を配備。そんな徳川の前に真田丸が立ちはだかる。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 物語は真田丸の活躍が見られる冬の陣に突入し、徳川方が3倍の大軍で囲んでも降伏しないどころか、雇われ牢人どもが大活躍で気を吐く豊臣方に、業を煮やした家康が、備前島砲台に用意した大筒からの砲撃を大坂城本丸に打ち込んだ。

 どうせ届かないとか、届くか?と危ぶむ声が両陣営から上がっていた大筒の威力は大方の予想に反して凄まじく、本丸から天守に次々と命中。砲台で指揮する本多正純の目は明らかに変になってるし(それだけの覚悟を固めていたとしても、一方的な殺戮をする方は気が変になるよね)、家康が「戦を知らんで良い」「人殺しの術など」と慮っていた秀忠は、やっぱり「止めろ~!」と泣いた。

 砲撃の先では、茶々ら大坂方の女どもが逃げ惑い(赤ちゃんの泣き声も聞こえた。秀頼の子だろうか)、秀忠が心配した通り、娘の千姫は砲撃に曝される中で過呼吸に陥っていた。天井が崩れ、茶々が千姫を庇って負傷、千姫が助けを呼ぶ「誰か~」の声も空しく響き・・・というところで次回へ。

 茶々は、家康の孫として千姫を意識していたとしても、妹・お江の娘(つまり姪)として千姫を可愛がる意識も強くあったのでは?茶々は、妹たちへの保護者意識がものすごくあるように思うから。だから天井が落ちてくる時に、身を投げ出し千姫を庇う気持ちは分かる。

 でも、自分が年を取ったからこそ思うのだけれど、身内じゃなくても若い子は庇ってあげたくなる。計算じゃなく反射的に、体が動くこともあるのでは。あちこち痛くても(茶々はまだそんな年じゃないけど)。

原爆投下を想起させられた

 砲撃の場面での、徳川家康・秀忠親子のやりとりを改めて記しておく。秀忠は戦を知らんで良い、指図はすべてこの自分が出すから従えと、全ての責めを自分が負うと宣言して、家康が総大将を務めている。その意味が、ここに来て秀忠には分かっただろう。言われた時は不満そうだったけど。

 家康は、腹心の本多正信に言っていた。「この戦は、徳川が汚名を着る戦となる。信長や秀吉と同じ地獄を背負い、あの世へ行く。それが最後の役目じゃ」と。

家康:(紙一面に南無阿弥陀仏を書き終えて)正信。あれを使うことにする。

秀忠:あれ・・・父上、あれは脅しのために並べておるのでは?本丸には届かんでしょう。

家康:秀頼を狙う。

秀忠:さ、されど、そうなれば・・・。

家康:戦が長引けば、より多くの者が死ぬ。これが、わずかな犠牲で終わらせる術じゃ。②主君たるもの、身内を守るために多くの者を死なせてはならぬ

(本多正純が指揮する砲撃が、大坂城本丸と天守に次々命中。城内では悲鳴)

秀忠:(続く砲撃音と破壊音)父上、止めてくだされ。父上・・・止めろー!こんなの戦ではない!父上!!もう止めろ~!(家康の胸元に食って掛かって泣く)

家康:(虚ろな表情)③これが戦じゃ。この世で最も愚かで・・・醜い(秀忠を振り捨て、顔を歪め泣きながら)人の所業じゃ

秀忠:(顔を歪め、砲撃される大坂城を見る)

 この場面、現代の私たちも深く考えさせられる。今、ウクライナ、パレスチナで起こっていることを思うと。

 ②で思い起こしたのは、家康が、かつては「身内のための戦」をして多くの家臣を死なせた殿だったということ。「主君たるもの、家臣と国のためならば、己の妻や子ごとき平気で打ち捨てなされ!」と母・於大の方に厳しく叱責されても、家康は、オリジナル大鼠らを犠牲にしながら瀬名と信康を奪還した。上之郷城を攻めて鵜殿氏の息子2人を奪い、瀬名・信康・亀姫と人質交換した。

 そんな家康も、国のためにその瀬名と信康を自死させ、慟哭の限りを味わった。それを踏まえ、孫娘を案じる息子秀忠と対峙していると思うと、たまらない。

 ③について。対武田勝頼の長篠の戦で、織田信長が仕掛けた圧倒的な銃撃による織田・徳川方の勝利に言葉を失っていた家康と信康を思い出す。若かった家康もなす術もなく、信康も、これは戦じゃなく殺戮だと非難していた。それを、家康は「する側」になったのだ。

 (その殺戮を成す信長には相手への敬意とそれなりの覚悟があったことや、秀吉が人の死をせせら笑っていたのも思い出す。)

 なぜそれを成すのか。その理由については①「戦が長引けば、より多くの者が死ぬ。これが、わずかな犠牲で終わらせる術じゃ」なのだが・・・私は広島・長崎への原爆投下を想起させられた。

 第二次世界大戦でアメリカは同じことを言って、広島と長崎への原爆投下による一般人の殺戮を正当化した。「原爆が戦争を終わらせた」と、それがアメリカでは定説だ。

 アメリカが気にしたのは自国兵の犠牲を減らすこと。広島や長崎に暮らす一般日本人の犠牲は思考の外にあったらしい。本丸や天守をダイレクトに狙うことで大坂方の首脳陣だけ砲撃し、無辜の民草には影響を及ぼさなかった家康の方がまだマシだ。(このドラマの上では。)

 (ちなみに、原爆投下を決断した当時のトルーマン大統領の子孫は、広島・長崎の被爆者らと交流し、被爆者の話をアメリカで伝えようと尽力している。興味深いインタビュー記事があった。【原爆投下】トルーマンの孫が語る謝罪と責任の意味(前編)|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト (newsweekjapan.jp) 「原爆投下が正しかったかという問いには関わらない。広島と長崎の人々への敬意は忘れていないが、結果を天秤にかければ、原爆が戦争終結を早めた証拠の方が説得力がある」そうだ。)

 今回の、大筒という圧倒的な兵器による殺戮を見て、現代の私が核兵器競争まで意識が飛ぶのは自然な話だし、制作側も意図していると思う。「これが戦。この世で最も愚かで醜い、人の所業」は、まだ失われていない。

 現代イスラエルは核兵器を所持しアメリカもバックアップしているから、パレスチナの庶民が砲撃を浴びて多くが落命しても、イスラム諸国は黙っているのだろう。戦を闇雲に広げないという点で、賢く弁えた選択とも言えるけれど。イスラエルの核所持に対抗するイラン、開発に血道を上げていた北朝鮮も、核の圧倒的な力が自らを守ると信じている。

 現代の世界は、核を持った者勝ちだ。まだ王道には遠く、覇道の世なのだ。

もし「負ける自信がある」」秀忠が総大将だったら

 もしも・・・既に家康がおらず、全軍の指揮を秀忠(王道を成す者として家康が温存した)が担っていたらどうなっただろう。

 「負ける自信がある」秀忠は、娘・千姫の命を案じてやまず、砲台に並べている大筒は「飾り」とばかりに実際に使おうとは思いもせず、大軍を擁しながらぐずぐずと豊臣に負けていったかもしれない。

 秀忠がいよいよ大筒を使おうと決めた時には、彼のことだからタイミングを逸し、豊臣方にまんまと奪われることにもなったのでは?覇道に生きる豊臣が、現代の核兵器のようなイギリス製の大筒を手にしたら、徳川は殲滅させられるだけ。王道が虚しい。

 徳川から覇権を取り戻した秀頼は、秀吉のように再度朝鮮へと唐(当時は明)狙いで出兵するはず。今回、「無き太閤殿下の夢は、唐にも攻め入り、海の果てまでも手に入れることであった。余はその夢を受け継ぐ」と、牢人どもの前で宣言していた通りだ。

 ただでさえ秀吉の出兵で国土が荒廃した朝鮮なのに、また秀頼が出兵するのでは気の毒な話。が、徳川滅亡後に秀頼を止める人は日本には誰もいない。

 秀頼は年齢も若いので、彼が延々と出兵を続けたら明だけでなく大陸の各勢力と泥沼の戦いに陥って・・・そして、当時の日本の兵力が世界最強とか評価されていた(だそうな)としても、最終的には疲弊し、勝てるとは思えない。

 日本には海を挟んでいる地の利があるとはいえ、あまりに迷惑な出兵が止まないとなれば、逆に、大陸側から大挙して日本が征討されそう。そうなれば、「日本」としてこのエリアが存続できたかどうか。

 こんな妄想を書いていたら、秀頼がプーチンのように見えてきた。ウクライナ出兵を推し進めるプーチンを、今やロシア国内では誰も止められないらしい。ウクライナが滅びれば、さらにプーチンは止められない。

 ここまで妄想して、最初の前提条件「家康が欠けること」の意味を思った。ドラマ上の話だけでなく、日本の歴史に非常に大きな悪影響を及ぼすことだったのではないか。「戦を求める者に天下を渡す」ことの怖さを思った。

大坂方が繰り出す passive aggression (PA)

 妄想からドラマに戻ろう。

 方広寺の鐘銘問題は、ドラマでは茶々が「面白いのう」といい、大坂方が徳川に仕掛けた嫌がらせだった。家康の諱が刻まれていると分からない訳がない。

 一番神経を使って避けなければならないと現代のボンクラでも気づくぐらいのことを、当時確かにやっているのだから、実際にもわざと仕掛ける意図はあっただろう。徳川のイチャモンだと逃げられると思う方がどうかしている。

 考えても見てほしい。現代でも独裁者のいる国で彼の名前を弄ぶようなことをした庶民がどうなるか。銃殺刑だろう。戦前の日本でも、不敬罪に問われたのでは?

 この鐘銘問題は、以前も触れたパッシブアグレッション(受動的攻撃、PA)の分かりやすい例だと思う。やってから「そんな意図はないのに」ととぼけて、相手を考えすぎだと責める。被害者支援関係で学んだ言葉が、ドラマの分析で役に立つとは。

 講師の先生は「日本語ではPAをズバリ言う言葉はないのに、日本はPAが溢れている面白い国だ」と指摘されていたが、「いやがらせ」「いじめ」「あてつけ」「いけず」「罠」等、類する言葉はいっぱいある、むしろ細分化されて全体が見えないか。

 PAの厄介なところはPAのターゲットとされた側が反撃すると、「大人げない」「神経質すぎる」「気のせいじゃないか」「やりすぎだ」とか周囲から非難を浴びがちなところだ。

 分かりやすいPAは、無視とか、黙って泣かれる、とかだ。いきなり泣かれれば「何もしていないのに」と呆然とし、「何かしちゃった?」と、やられた側が自分を責めるだろう。

 それを計算して繰り出されるのがPAで、弱者が強者に仕掛けるのはささやかなる抵抗手段として仕方ない面もある、と説明を受けた。

 ドラマでは、大坂方には10万もの反徳川の牢人が集まりつつあってドロンジョ茶々様らも裏ではノリノリ。鐘銘問題は、調子に乗ってきた大坂方が徳川を貶めるために巧妙に仕掛けた罠であり、徳川が捨て置けないと反応したのは正当だった。

 ただ、史実としては「こんなに大きな問題になるとは思わなかったんだもーん😢」と、かまってちゃんの大坂方の粋な遊びのつもり(=考え無しな悪ふざけ)と解する余地はあるかもなと個人的には思う。1やってみたら100倍返し、みたいな。

 PAについてサクッと知りたい方は、ウィキペディア先生では英語版のこちら(Workplace aggression - Wikipedia)を翻訳してご覧になると良いのでは。「Workplace aggression can be classified as either active or passive.[6][7][8] Active aggression is direct, overt, and obvious. It involves behaviors such as yelling, swearing, threatening, or physically attacking someone.[9][10] Passive aggression is indirect, covert, and subtle. It includes behaviors such as spreading rumors, gossiping, ignoring someone, or refusing to cooperate.」日本語版では病的なものの説明しかないようで、私が習ったのとはちょっと違った。

 これを踏まえ、徳川陣営でのやり取り(まさかの笑い飯哲男登場)を見てみたい。彼らに「これってPAなんだってば。躊躇うこと無し!」と言ってあげたい。

語り(春日局):豊臣の威信をかけて秀頼が建立した大仏殿。その梵鐘に刻んだ文字が、徳川に大きな波紋を投げかけておりました。

林羅山:「国家安康」家康を首と胴に切り分け、「君臣豊楽」豊臣を主君とする世を楽しむ。明らかに呪詛の言葉でございます。徳川を憎む者たちはこれに快哉を叫び、豊臣の世を更に望むことでしょう。

金地院崇伝:それは言いがかりというもの。言葉通り、国家の安康と君臣共に豊楽なる世を願うものであって、他意はございませぬ、と豊臣は申すでしょう。

羅山:大御所様の名が刻まれていることに気づかないわけはない!

崇伝:あくまで大御所様をお祝いする意図で刻みました・・・と豊臣は申すでしょう。

徳川秀忠:崇伝!お前はどっちの味方なんじゃ。

本多正信:要するに、これを見逃せば幕府の権威は失墜し、豊臣はますます力を増大させていく。されど処罰すれば、卑劣な言いがかりをつけてきたと見なされ、世を敵に回す。う~ん、実に見事な一手

本多正純:褒めてる場合ではござらぬ。

正信:うん?・・・腹を括られるほかないでしょうな。

阿茶局:おとなしくしておられれば豊臣は安泰であろうに。

秀忠:何故こうまでして天下を取り戻そうと・・・

家康:倒したいんじゃろう・・・このわしを。

語り:神の君、最後の戦が迫っておりました。

 正信が息子に「褒めてる場合ではござらぬ」と言われていたが、日本では正信の「見事な一手」のように、PAを賢く頭の良いやり方だと褒める風潮があると講師はおっしゃっていた。

 PA(受動的攻撃)が攻撃であることには変わりなく、それをAA(積極的攻撃)のようにあからさまにしないだけのこと。周囲の理解を得られないことで、PAを受ける側の精神的ダメージは、AAの時よりも深まっていく。

 むしろ被害者を装うなんて卑怯なんだ、攻撃なんだと理解が広まればいいなと個人的には思うところだ。まさに、攻撃者を褒めている場合ではない。

織田常信(信雄)の「わ・ぼ・く」炸裂

 この方広寺鐘銘問題だけではなかっただろうが、徳川との間に挟まれる取次役の片桐且元がとてもお気の毒だ。「真田丸」では常に胃薬を手放せなかったね。

 今回のドラマでは、駿府城内でキョドキョドして案内されている様子がまず可哀そう、そして平身低頭して「全て私の不手際。鐘は直ちに鋳つぶしまする」と謝っているのに、若造の正純に「それで済む話でございますまい!度重なる徳川への挑発、もはや看過できませぬ」と叱られていた。

 ただ、このドラマでは且元は家康にお目通りが叶い、直々に「3つの求めのうち、いずれかを飲むよう説き聞かせよ」と言われていた。すなわち、大坂退去の国替え、江戸参勤、茶々の江戸下向だ。

 これまでの大抵のドラマでは、且元は散々待たされた挙句に家康に会えず、正純から何とか条件を聞き出して帰る間に、茶々の乳母の大蔵卿局らが家康にも直接会い、歓待されて「何でもないって言ってました!」と且元の立つ瀬がなくなるようなことを言う。そのせいで、問題解決の条件を口にした且元が追い詰められるのだった。

 でも、それは無し。最近の研究で否定されたのかな?

 ドラマの且元の最大のお気の毒ポイントは、自分が仕える主人に本音を言ってもらえていないところだ。主人のために苦労しているのに、茶々も秀頼も裏では好戦的な大野治長にべったりだ。

片桐且元:修理!こうなると分かってあの文字を刻んだな・・・!

大野治長:片桐殿が頼りにならんので。

且元:戦をして豊臣を危うくする気か!

治長:(バン!と畳を叩き、挑戦的な目で見つつ手を振って)徳川に尻尾を振って豊臣を危うくしておるのはお手前であろう!

(両家臣の言い合い)

茶々:控えよ!

且元:秀頼様。引き続き、徳川様との取次、私に務めさせてくださいませ!

秀頼:・・・無論、頼りにしておる。ひとまずは屋敷にて十分に休むがよい。

且元:ははっ!(退出)

治長:あれはもう、狸に絡め捕られております。害しようとする者も現れますでしょう。

茶々:面白うないのう。

 取次役を害すれば、宣戦布告と見なされ戦だ。茶々の「面白うないのう」は、一応、且元殺害に異を唱えたのだろうか。あんなに徳川と戦をしたがっているのに??? 

 今作では、且元が大野治長からの刺客を察知して大坂城を脱出する話が、元々は千姫から情報がもたらされたおかげになっていた。千姫が織田信雄(常真)に伝えたのだった。

 久しぶりの信雄!この織田家のボンも、今回の「どう家」で汚名が雪がれた口のひとりになったか。今川氏真、武田勝頼、織田信雄。ダメな2代目よと言われてきた人たちだ。

 信雄を演じる浜野謙太は、再放送中の「まんぷく」で牧善之介として登場していて、先日も米軍に誤解からとっ掴まった主人公の夫・萬平さんのためにわざわざ証言しに来ていた。元々が良い人キャラだ。

 視聴者は、信雄の小牧長久手の戦いの右往左往ぶりを見て、その後勝手に秀吉と和睦しちゃって家康が迷惑を受けたと考えているだろうから、信雄が諸将を前に千姫にお酌されながら声高に自慢していた場面は「榊原康政の手柄じゃんね・・・」と白い目を向けていたと思う。

 ところが、廊下でべそをかいていた千姫に、信雄はこう言った。

織田常真(信雄):戦は避けましょう。あなたのおじい様には世話になった。ハハ・・やりとうない。わしの最も得意とする兵法をご存知かな?フフフ。わ、ぼ、く・・・でござる。へへへへへ・・・。(千姫の腕をポンと叩いて)大丈夫、うん。わしと片桐で、なんとかします。(去ろうとする)

千姫:(後ろから捕まえて、泣きながら)片桐殿は、おそらく明日、大野殿に。

 信雄いいとこあるじゃん!機能しているじゃん!と名誉挽回したのではないか。父を含めて天才ばかりがのし歩く戦国時代に、生き延びて家系をつないだけでも大したものだ。

 信康の妻だった妹の五徳が、信雄によって秀吉に人質に出され、側室にされていたのは憤懣やるかたないとも言えるが・・・今回、長生きしているはずの彼女の名前も、且元と信雄の大坂城脱出に絡んで聞けて良かった。

 そして、彼らの脱出を機に家康は「これで我らと話し合える者が豊臣にはいなくなった」「諸国の大名に大坂攻めの触れを出せ」「大筒の用意もじゃ」と言うに及んだ。

病んでも仕方ない千姫

 冒頭、家康が阿茶局と三浦按針からもらった鉛筆(今年、久能山にて見てきたばかり)の話をして、絵を描くのが好きな千姫にやればよかったと思いを馳せていた時、実際のところ家康は、彼女のいる大坂城の堀を埋め立てるよう戦略を巡らして鉛筆で堀を塗り潰していた。

 もう、砲撃を打ち込んだ後の一手を考えていたことになる。

 その砲撃を受ける側に居る千姫は、怖ーい姑であり伯母のドロンジョ茶々らから、徳川の一員としては見過ごせない、気持ちを弄られるような思いをさせられる日々を過ごしている。

 大野治長らとの会話を聞いているだけで胃に穴が開きそうだが、部屋に引きこもらず夫・秀頼と常に一緒に居続けて「何の話でございます?」と聞ける鈍感力があるのは、姫らしい強さだ。

 そして、「そなたも豊臣の家妻として皆を鼓舞せよ」と茶々に迫られ、牢人たちを前に「豊臣のために・・・励んでおくれ!」と気持ちを励まして言った。精神的にギリギリ頑張っているのが泣ける。

 (この時のドロンジョ茶々様の得意げな眉毛の上がり方が怖い。昨年の北条政子張りの演説も、秀頼よりも全然迫力があった。)

 そんな千姫からの問いかけ「あなた様は本当に戦をしたいのですか?本当のお気持ちですか?」に対し、夫の秀頼も思うところが少しはありそう。「余は、徳川から天下を取り戻さねばならぬ。それが正しきことなのだ。分かってほしい」「余は、豊臣秀頼なのじゃ」と逃れられない運命を受け入れている様子だった。

 かわいそうだね、本当に。ふたりとも可哀そうだ。

 今回はダラダラ書き過ぎだった。次回は夏の陣。

(敬称略)

【どうする家康】#45 涙のプリンス秀忠こそが、戦を求めない「王道」を成す者

サブタイトルは「二人のプリンス」でも

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第45回「二人のプリンス」が11/26に放送された。いやあ、11月もこれで終わり、残るは12月の3回分だけ。視聴者側のこちらの気持ちも急いてくる気がする。まずはあらすじを公式サイトから引用する。

関ケ原で敗れ、牢人となった武士が豊臣の下に集結していた。憂慮した家康(松本潤)は、秀頼(作間龍斗)を二条城に呼び、豊臣が徳川に従うことを認めさせようとする。しかし、初めて世間に姿を見せた秀頼の麗しさに人々は熱狂。脅威を感じた家康は、秀忠(森崎ウィン)の世に憂いを残さぬためにも、自らの手で豊臣との問題を解決しようとする。そんな中、豊臣が大仏を再建した方広寺の鐘に刻まれた文言が、大きな火種になる!(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 サブタイトルではプリンスが「二人」だと言っているのだけれど、秀忠、秀頼、そしてかつての今川のプリンス氏真が登場し、家康の弱音を受け止める名場面があったので、プリンス4人でも良かったんじゃないの?と思った。

 今作では、今川が善なる存在で、氏真が家康の「兄」としてがっつり機能しているのが面白い視点で、これまでの大河ドラマなどには無いと思う(大抵、兄役に振り分けられていたのは信長だったのではないか)。その世界観がベースにあるのが面白いね、と既に書いたと思うが、今作の家康は今川義元(野村萬斎)こそを父とも尊敬し、氏真を兄と慕っていたから今川義元カラーの紺を多く纏ってきている。

 氏真が頼れる兄であれば、瀬名は従来説の悪妻ではなく最愛の妻であってもその世界観からするとごく自然、全く異常なものではなかった。信長&秀吉の暴力的な支配に耐え、やっぱり心には幸せだった駿府の今川時代があるんだね・・・瀬名を深く慕って当然じゃない?と、「どう家」世界観に慣れた私は、今そう思ったりしている。

 今回、家康が自分の跡取りの秀忠にも、自身が義元からたたき込まれたのと同様に「徳を以て治めるが王道、武を以て治めるが覇道。覇道は王道に及ばぬもの」と、ずっと教え込んでいたらしいことが分かって胸アツだった。初回からのロングパス。秀忠が、若き家康に重なって見えた一瞬だった。

 三英傑と呼ばれるが、家康が目指したのは織田信長でも豊臣秀吉でもなく、このドラマでは今川義元の王道の政。野村萬斎の義元はいかにも人格者で素晴らしかったと思い出される。初回で殺されたのにこの存在感。もう最終回も近いというのに重きをなしている。

 ということで、「兄」と思う氏真との会話で家康がボロボロ涙を流した場面を記録しておこうと思う。これは感動しただけでなく、虚を突かれた。泣き虫で弱虫、鼻たれの昔の家康(白兎)に意識は戻っているかのようで。家康は狸ではなくそっちが素だったんだよね。

氏真:わしは、かつてお主に「まだ降りるな」と言った。

回想の家康:(掛川城で氏真が投降する時のこと)いつか私もあなた様のように生きとうございます。

回想の氏真:そなたはまだ降りるな。そこでまだまだ苦しめ。

氏真:だが、まさか、これほどまで長く降りられぬことになろうとはなあ。だが、あと少しじゃろう。戦無き世を作り、我が父の目指した王道の治世、お主が成してくれ。

家康:わしには・・・無理かもしれん。

氏真:フ、何を言うか。お主は見違えるほど成長した。立派になった。誰もが・・・。

家康:成長などしておらん。・・・平気で人を殺せるようになっただけじゃ。戦無き世など、来ると思うか?1つ戦が終わっても、新たな戦を求め集まる者がいる。戦は無くならん。(涙がみるみる溢れ)わしの生涯はずっと死ぬまで・・・死ぬまで・・・死ぬまで戦をし続けて・・・(涙)。

氏真:(家康を抱きとめて)家康よ。弟よ。弱音を吐きたい時は、この兄が全て聞いてやる。(涙)そのために来た。お主に助けられた命もあることを忘るな。本当のお主に戻れる日もきっとくる

家康:ハァ(息をつく)。(時計の音が響く)

 氏真は、家康の白兎時代の「本当のお主」を知っている人だ。まだ、幼少期から兄弟のように共に過ごした氏真がいて良かった。

 また、戦をしたくない人が戦続きの人生なのだから、こういう絶望を家康が抱えていても不思議ではなかったね。自分も老い、残りの人生で「戦無き世」の実現が果たせるかどうか、焦っただろう。その後の歴史を知っているから、家康は迷いがないタヌキ親父だけで理解しがちだが、何と粘り強く、人生の最期まで歩んだ人なんだろうか。その途上ではこのように涙した時もあっただろうね。・・・そう考えさせる脚本だ。

 そういえば、オープニング曲のロゴ前に表示されていた四天王などが全て死没した今、家康だけがポツンとひとり表示されるようになった。次の阿茶局・松本若菜はロゴ後だ。時代考証の平山先生は、ドラマ制作側にもう少し多くの人物を出してはどうか、後半ほとんどいなくなっちゃうからと提案したことも当初あったとおっしゃっていた。が、こうなってみると、晩年の家康のポツン具合が表現できてちょうどいいのかも。

秀忠に過去の自分を見ていた家康

 先ほどちょっと触れたが、家康が、秀忠に過去の自分を見ていたとは、ちょっと意外だった。

 秀忠は、大坂方に「老木(家康)さえ朽ち果てれば、後に残るは凡庸なる二代目」と評価されてしまう人物として描かれている。大野治長がそう言うのも、覇権を競う「武将」としてのみ秀忠を見ているからだ。

 秀忠を演じている森崎ウィンがとても良くて、家族でファンになっている。NHKのドラマ「彼女が成仏できない理由」はももクロの高城れに目当てに見始めて彼の存在に気づき、「何この人凄いよね」と気になっていたが、今作でまさかの秀忠役。母親・於愛が広瀬アリスだからバタ臭い顔を持ってきたのかと思ったら(失礼)、そうじゃなくて森崎ウィンが秀忠だから、自然に見えるように広瀬アリスだったんじゃないの?と今や思ってしまうぐらいだ。

 彼の秀忠には、広瀬アリスの於愛がオーバーラップして見えることがしばしばだった。寄せて演じているのかな?と思っていたが、神君は、於愛じゃなくてご自身を彼の中に見ていたと。そうかー。丸顔の千姫は、神君からの隔世遺伝かな。秀忠の中にはちゃんと家康の血が流れていた証拠でもある。

 ドラマの中での秀忠は30代だ。秀忠は、家康が数え38歳で誕生している。30代の家康公が、どれほど泣き虫で心定まらず、榊原康政が前回の最後の諫言で言うまでもなく、酒井忠次ら家臣たちの支え抜きでは立ち行かなかったか。改めて、少し前の録画を数話見返してみた。

 秀忠が生まれて半年ほどで起きた、家康30代の大事件。瀬名と信康が自害するに至った築山殿事件が思い出される。「はるかに遠い夢」あたりでは私も瀬名ロスになって、岡崎まで旅立ったのだったよ・・・その気分が蘇った。あの頃は有村架純をどうやったら再登板させることができるかと考えもしたが、今、瀬名によく似た千姫がご出演でありがたいこと。(つまり、瀬名と家康は似たもの夫婦だったってことか。)

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 武田と織田に挟まれて、日々息つくのもやっと、どうしようもなかった家康。むしろ夫婦のリーダーは瀬名だった。その頼りにもなる愛する妻子を犠牲にせざるを得なかったなんて、自分が1度は内から瓦解する経験だったと思う。

 そういう30代を送っていた家康が、温かい目で秀忠を見ていた。武将として才ある次男・結城秀康(もう死んじゃってるけど)や、舅の伊達政宗と結びつき武将として一花咲かせたいと思いそうな六男忠輝じゃ危なっかしくて仕方ない。家康の中では、最初から秀忠しかいなかったんだと思えたシーンでもあった。

秀忠:あの京大仏の開眼供養だけはどうにかしてくだされ!間違いなく、豊臣の威光、益々蘇ります。正信にもそう申しておるのに・・・!

本多正信:う~ん・・・立派な大仏を作っとるだけですからなあ。

阿茶:うかつに動けば、かえって徳川の評判を落とすことになるのでは?

秀忠:しかし・・・

阿茶:自信をお持ちになって、堂々となさってるのがよろしいかと。

本多正純:諸国の大名は、秀忠様に従うよう誓書を取り交わしております。

秀忠:そんなものが何の役に立つ!・・・父上、世間で流行りの歌をご存知ですか?

家康:歌?

秀忠:「御所柿は、ひとり熟して落ちにけり。木の下にいて拾う秀頼」

正信:大御所様という柿は、勝手に熟して落ちる。秀頼様は木の下で待っていれば天下を拾える。

正純:何と無礼な!

正信:だが、言い得て妙じゃ。

正純:父上!

秀忠:この歌に、私は出てきてもいない。取るに足らぬ者と思われておるのです。父上が死んでしまったら・・・私と秀頼の戦いになったら、私は負けます。負ける自信がある!秀頼は、織田と豊臣の血を引く者。私は凡庸なる者です。父上の優れた才も受け継いでおりませぬ。父上がいつ死ぬのかと思うと・・・夜も眠れませぬ。

家康:秀忠。そなたはな、わしの才をよく受け継いでおる。

秀忠:まさか。

家康:まことじゃ。

秀忠:どこが?

家康:弱いところじゃ。そして、その弱さをそうやって素直に認められるところじゃ。(秀忠、ふてくされる)わしもかつてはそうであった。だが、戦乱の中でそれを捨てざるを得なかった。捨てずに持っていた頃の方が、多くの者に慕われ、幸せであった気がする。(秀忠、真面目に聞き入っている)わしは、そなたがまぶしい。それを大事にせい。(秀忠、驚いたような表情)秀忠。(立ち上がって秀忠のそばに来る家康)よいか・・・戦を求める者たちに、天下を渡すな王道と覇道とは?

秀忠:徳を以て治めるが王道、武を以て治めるが覇道。覇道は王道に及ばぬもの

家康:(うなずいて、秀忠の前に顔を寄せ)そなたこそが、それを成す者と信じておる。(涙と鼻水を流し、家康を見つめる秀忠。家康が、秀忠の肩をポンと叩く)わしの志を受け継いでくれ

秀忠:(家康に頬をポンポンと触られ、一礼。去り際、涙を拭う)

阿茶:(涙を拭う)(家康の背後に、時計が時を刻む音が聞こえる)

 覇道じゃなくて王道の志を継ぐ者だから秀忠なんだと、秀忠自身も、周りにいた家臣も、視聴者も、皆が深く納得したシーンだったと思う。夏目吉信(広次)に家康が言われたセリフじゃないか、泣かせるなあ。脚本家さんも役者さんも素晴らしかった。もう今回はダラダラ書くのをここで止めてもいいぐらいだ。

 でもね、覇道に訴えられたら秀忠が「負ける自信がある」との言葉も、又真実だと家康は受け止めただろう。だから、王道の達成を秀忠に託し、自分が覇道に訴えてくる相手との戦いを全部背負って終わらせてしまう「終活」を考えたのだろうね。

覇道に目が無い大坂方

 一方の大坂方。秀頼の武将としての素晴らしさを誉めそやす場面が、対照的にすぐ出てくるのが分かりやすい。覇道しか考えていない悪のドロンジョチームだ。

 まるで最近は厚化粧のドロンジョ様のようにしか見えなくなってしまった茶々を、北川景子が振り切って演じているのがまだどこか信じられない。堺に遊ぶ家康の前に現れ、「あなた様は安泰」と信長が唯一の友だと考えているからと告げた時の優しく華やかなお市と違い、声音にもドスが効いている。女優さんは凄い。

 その茶々が「惜しいの・・・柿が落ちるのをただ待つのが。家康を倒して手に入れてこそ、真の天下であろう?」と言い出し、例の方広寺の梵鐘の銘について「面白い。面白いのう」とあえて仕掛けをしてきた。徳川方がイチャモンを付けたのではなく、豊臣があえて勝負を挑んできた話になっているのが今作だ。まさに、「戦を求める者」として茶々らがいるのだね。

 話が前後したが、家康は秀頼には後陽成天皇の後水尾天皇への譲位に際する二条城の会見で「してやられている」。これまでは、ただ賢く立派に育った秀頼を見て家康が脅威に感じたから豊臣殲滅に動いたと描かれていたように思い、「真田丸」と「真田太平記」の会見場面を見返した。

 「真田丸」では、中川大志の秀頼が出てきた時点で豊臣の優勝!とも思ったが、むしろ秀頼を守り抜こうとする加藤清正の存在に会見では焦点が当てられていた。本多正信の制止を振り切り、家康にも立ち去れと言われているのに、家康側のお付きのように振る舞うことで会見の場に居続けた。

 「真田太平記」の秀頼は、中村梅之助の家康とにこやかに上段に並んだ。加藤清正が、実は徳川方の忍びの料理番に毒を盛られ始末させられていくなど、忍びの暗躍が描かれた。

 この2作は真田家フォーカスなので、当然ながら九度山に蟄居させられている昌幸の動向も出てくる。今頃気づいたが、昌幸はこの二条城の会見(3月下旬)があった数カ月後の1611年7月に死んでいるじゃないか!えええ!

 豊臣に肩入れする加藤清正が6月に死に、浅野長政が4月上旬に急死、息子幸長も翌々年に若死したことがよく取り沙汰されるが、なんとなんと、真田昌幸も死んだのはこの会見後だった。守ってくれた本多忠勝も既に死んでいるし、徳川方の良からぬ関わりを感じてしまう。

 脱線したが、ドラマでの秀頼。如才なく「わざわざのお出迎え、恐悦至極に存じます。秀頼にございます」と笑顔で家康に近づき、上座をどうぞどうぞと譲り合い。「意地を張るのも大人げのうございますので、横並びに致しましょう」と上座に横並びと見せかけておいて、スチャッと下座に着いて見せた。おじいちゃん家康はパッと身動きできないからねぇ。

 豊臣を公家として祀り上げ住み分ける作戦は大失敗、さらに「武家として」と高らかに宣言されてしまった。秀頼を跪かせたはいいが、徳川は、上方の民衆から「秀頼は慇懃、徳川は無礼。秀頼はご立派、徳川は恥知らず」と罵声を浴びることになった。

 「涼やかで、様子の良い秀吉じゃ」と家康が評すほどのここまでデキる挑戦的な秀頼は、これまたあまり見たことがない。ドロンジョ茶々様の教育の賜物だ。三浦按針に大筒を依頼し、家康が自ら片付けようと腰を上げたのも頷ける。秀忠への親心もそうだが、戦無き世実現への執念が感じられる。

 次回はいざ、大坂の陣だ。

(敬称略)

 

【どうする家康】#44 家康が徳川SDGsに目覚めた10年、秀頼は大成長

母に欺かれていた家康

 NHK大河ドラマ「どうする家康」は第44回「徳川幕府誕生」が特別なオープニングと共に11/19に放送された。今回だけのスペシャルバージョンだそうな。今回は1600年の関ケ原の戦いが終わってのひととき、というよりも1611年に手が届く10年もの期間がブワーッと一気に巻き気味に描かれ、家康の母・於大、股肱の臣の平平コンビ(本多忠勝、榊原康政)、そしてドラマでは出てこなかったが家康の息子らが死んでいった。

 この間、大坂方の豊臣秀頼が確実に成長していく。一方、家康は天下を返さぬための手を打っていった。

 あらすじを公式サイトから引用する。

家康(松本潤)は大坂城で、関ヶ原の戦勝報告を行う。茶々(北川景子)から秀頼と孫娘・千姫の婚姻を約束させられ、不満を隠せない。時は流れ、征夷大将軍となり江戸に幕府を開いた家康。ウィリアム・アダムズ(村雨辰剛)らと国づくりに励むが、秀忠(森崎ウィン)の頼りなさが不安の種。そんな中、忠勝(山田裕貴)が老齢を理由に隠居を申し出る。一方、大坂では大野治長(玉山鉄二)が茶々の下に戻り、反撃の機会をうかがっていた。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 家康は、秀頼への関ヶ原の戦勝報告の際にこう言って頭を下げた。あくまで豊臣の大番頭の体だ。

家康:天下の政は、引き続きこの家康めが相務めまするゆえ、何卒よろしくお願い申し上げまする。

茶々:誠に結構。・・・毎年、正月にあそこにお背丈を刻んでおりましてなあ。(略)あと十年もすれば、太閤殿下に追いつこう。さすれば太閤殿下の果たせなかった夢を、秀頼が果たすこともできましょう。それまでの間、秀頼の代わりを頼みまする。

 あなたはあくまで秀頼の代わりだから忘れるんじゃないよ、と念を押されたのも衝撃だったが、また朝鮮に出兵する気なのか、と空恐ろしくなった。そんな自身の意志の無い、ただただ亡き父の夢だからということで海外出兵をされては、日本が滅んでしまうよね。

 もし秀次が生きて「秀頼の代わり」だったら?とも考えたが、やはり秀吉の遺志に縛られてしまう豊臣の人たちでは長続きもしなかったな。日本は徳川で良かった。

 去り際、家康は孫・千姫の秀頼への輿入れを茶々にせがまれた。秀忠は「ようございましたな、茶々様も徳川と豊臣がしかと結ばれることを望んでおられる。これで安心じゃ、よかったよかった」と喜ぶが、「早う人質をよこせと言っておるんじゃ」と家康は不機嫌だ。きっと「秀頼の代わりをお願い」と茶々に念を押されたこともあるのだろうし、茶々の真意が汲み取れない息子秀忠にもイラ立っている。

 困難を増す豊臣との関係に、本多正信は、征夷大将軍となることを家康に提案。足利将軍がその権威を落としてしまったが、幕府を開けば武家の棟梁として「やれることはずいぶん増える」のは確かだと。

 家康は、徳川が武家の棟梁、豊臣はあくまで公家として住み分けができるのではないかと模索。つまり、ドラマの家康は、この関ケ原直後の時点では豊臣を潰そうとは思っていなかったのだね。

 そうそう、1602年に寧々、都に招かれた於大、家康の三者が会った時に、寧々は家康に「やはり将軍様は寅の方がようございますものな」と口にしたのはどうしてだったのだろう?もう家康が征夷大将軍になることは、その時期、寧々を含め、周りにも意識されて既定路線だったのだろうか?それとも、単なる軍団の中の一般名詞としての将軍だったのか。

 この時、家康母・於大は、家康が実は寅年生まれじゃなくて兎年生まれだと寧々に打ち明けた。それを聞いていた家康は、「寅の年生まれの武神の化身」とのアイデンティティを、まさかの母に突き崩されポカーン。かわいそうに、子としては為す術もない。

 ふと考えると、長いこと主人公が信頼できるはずの人の嘘にまんまと騙されていた点で、昨年の「鎌倉殿の13人」での「おなごは皆キノコ好き」に騙されていた北条義時を思い出す。

 あれも、真っ赤な嘘が暴かれたのはラスト前ぐらいだったか。年数で行くと家康が騙されていた方が長そうだし、母という存在が子に対して生まれの嘘をつくのは罪深い気がする。

 過去の「すべて打ち捨てなされ」と家康にかけた過去の言葉を悔い、於大は「もう捨てるでないぞ、そなたの大事なものを大切にしなされ。一人ぼっちにならぬようにな」と言ったのが救いだ。もう遅い気もしないでもないが。

 この3か月後に於大は家康に看取られて死んだという。やはり老人の旅は命を削るものだね。もう一息で家康は「征夷大将軍~(今年は誰もやらないのか)」だったのに。

 家康は1603年に幕府を開き、若い世代の「戦以外の才」「太平の世を担う才能」に恵まれた優秀な人材に囲まれ、江戸を拠点に国づくりは盛んだ。ウィリアム・アダムズは一瞬の登場で、もうちょっと出してくれないかと思った。

 イカサマ師の息子・本多正純は、父・正信と同じように扇子で首を叩いているが、大久保忠世にまっすぐ育てられ、父を不埒と呼ぶ。あの律義さで身を滅ぼしていくんだね。

平平コンビも涙の退場、四天王サヨウナラ

 本多忠勝は生涯57度の戦いに出ても無傷だったという。それが、死の直前につまらないことで傷を負って、死が近いことを悟ったという。それに近いエピソードが今回は再現されていた。たぶん愛用の蜻蛉切を手入れしていて、忠勝は手を切った。

 前回、オイラこと井伊直政がフラグを立てていたと思ったが、忠勝が榊原康政と話すセリフ「関ヶ原の傷がもとで死んだ直政は、うまくやりおった」の中で、視聴者に直政が没したことが伝えられた。

 「島津の退口」で負った重傷の無理を押して戦後処理に奔走、関ケ原の戦いの2年後には死んだ直政。何事にも完璧主義で、家来は悲鳴を上げていたと聞くが、コントロール欲が強そうでDV気質が垣間見える。誰かに任せて大人しく寝ていられないで、傷が治るわけもない。体力が削られてしまうよね。逆に、そうできていたらもう少し長生きできただろうに、惜しい。

 直政は四天王の中で一番若いのに、アラフォーでの死。本多忠勝、榊原康政も心情的に堪えただろう。彼らも、1548年に生まれ家康より5歳も若いのに、アラカンで死を迎えるとは(康政1606年没、忠勝1610年没)。徳川四天王は、大坂の陣を前に、皆いなくなっていた。

強くて頭も切れる、榊原康政が惜しい

 「どう家」を見ていると彼らがどんな立場に就いていたのかがフワッとしているのだが、ウィキペディア先生で確認すると、康政(榊原康政 - Wikipedia)は北条攻めの後は関東総奉行の地位にあり、関ケ原の戦いでは秀忠軍の軍監、戦後は老中。徳川家中の重鎮としてずいぶん忙しそうだ。

 ドラマでは1603年の時点で「もう我らの働ける世ではないのかもしれんぞ。殿の下には新たな世を継ぐ者たちが集まってきておる」なんて気弱なことを言っていたが、ドラマみたいに、桑名の忠勝の下にしょっちゅう来る暇があったのだろうか。

 康政は、老獪な本多正信と共に、ハッピーな秀忠の相談役を務めていた様子が面白かった。ウィキペディアでは、康政の主君は「家康→秀忠」と書かれていた。「私も、秀忠様にご指南申すのが最後の役目と心得ておる」と言っていたように、知恵の働く康政に、正信と共に秀忠を教育してもらいたいのは家康の意向だろう。(ちなみに、忠勝の主君は「家康」だけだった。)

 関ケ原では秀忠の率いる徳川本軍が間に合わなかった。が、あるいは家康の東軍が負けたとしても、秀忠が康政と正信と共に残れば徳川は何とかなる、道は開けると家康は考えたのかもね。それぐらい、康政の価値は家康に高く見積もられていたと思う。

 康政の死因だが・・・「どこが悪い」と忠勝に聞かれ「はらわたじゃ」とドラマでは答えていたが、面疔とかヨウとかセツとかの毛嚢炎じゃなかったか?自分もなったことがあるため、そう記憶していた。

 私は子どもの頃、川で泳いだ後に黄色ブドウ球菌のせいで毛嚢炎になり、酷く腫れて外科で切開した。あれは、膿の芯がずんずん皮膚の下に伸びて育っていくから「首筋だったら死ぬところだ」と言われた。「タコの吸出し」のようなものを、少し昔だと貼って膿を出したらしい。

 とにかく、ずるずると酷くしてはいけないから、康政も、早いうちに思い切って切開したら良かったのに・・・タイミングを失して手が付けられなくなってしまったのだろうか。

 そういえば康政死没の翌年、1607年に没している秀忠同母弟の忠吉が、やはり腫れものを患って命を落としていたはず。「葵 徳川三代」ではその様子が描かれていた。同母弟の死は、秀忠もショックだったはずだ。

忠勝には真田親子の助命嘆願を期待したが

 一方、本多忠勝は、関ケ原の戦後は初代桑名藩主として藩創設のために城や宿場整備、街づくりなどに忙しかった模様だ(本多忠勝 - Wikipedia)。ドラマにもあったように、病にかかるようになって家康に隠居を申し出たのが1604年。ドラマでは康政の「戦に生きた年寄りは、早、身を引くべき」という言葉も影響したということか。

 結局、「関ケ原はまだ終わっておらぬ」「隠居など認めんぞ」と家康に言われ、「全くいつになったら主君と認められるやら」と忠勝は嬉しそうに答え・・・最後には1560年の桶狭間の戦い後の大樹寺で、実は既に認めていたと康政に明かしたのだった。

 そして、康政死後の1607年に忠勝は眼病を患ったとウィキペディア先生に書いてあるのは、ドラマ的にはとうとう隠しきれなくなったということか。1609年に隠居、翌1610年に没した。

 これは作家・池波正太郎の創作なのかもしれないが、「真田太平記」ファンとしては、関ケ原の戦いの後の本多忠勝と言えば真田昌幸・信繁親子の命乞いだろう、と期待していた。

 忠勝の娘が小松姫(稲姫)、彼女が真田信幸に嫁いだ関係で、忠勝と真田家は切っても切れない間柄として、信幸が命乞いをする時に忠勝も一緒に家康に対して盛大に駄々をこねる・・・という筋書きが頭に入っている。それをやってくれるかな?とワクワクして待っていた。

 が、残念ながら真田信繁が蟄居先の九度山で、家康憎しと鍛錬している様子がチラリと映ったのみだった。そこに至るドラマはやってくれないのか・・・💦佐藤浩市の昌幸パパはどこに?もう出ないのか。

秀忠に「おめでとうございます」と言った秀康も没

 先ほど、ドラマの中で幼少期以来最近触れられていない家康四男・松平忠吉(松平忠吉 - Wikipedia)について、今回サッと通り過ぎた1607年に没していたと書いた。そうしたら、なんと家康次男の結城秀康も1607年に死んでいた。死因は梅毒だとか(結城秀康 - Wikipedia)。

 忠吉は4/1没、秀康は6/2没なのだが、立て続けであり、家康や秀忠の心情を考えるとドラマで扱わないのは奇異だ。どちらも頼りにしていただろう息子だったのに。それとも、家臣の死に比べ、息子ら兄弟らの死の影響は極小だとでも?

 康政の「皆の面前であのようにお叱りになるべきではござらぬ!秀忠様の誇りを傷つけることでございますぞ」との生涯最後の諫言の後、家康は秀忠に1年以内に将軍職を譲るから準備しろと伝えた。その直前、家康はチラリと秀康の方向に「しっかり聞けよ」と言わんばかりに視線を送っていた。

 優秀な秀康は、戸惑う弟・秀忠に対して真っ先に「おめでとうございます。秀忠様」と頭を下げた。逆だったらとても秀忠にはできない芸当だ。

家康:秀忠。

秀忠:(暗い顔)はっ。

家康:関ヶ原の不始末、誰のせいじゃ。

秀忠:(悔しそうに)私の落ち度にございます。

家康:そうじゃ。そなたのせいじゃ。理不尽だのう。この世は理不尽なことだらけよ。わしら上に立つ者の役目は、いかに理不尽なことが有ろうと、結果において責めを負うことじゃ。うまくいった時は家臣をたたえよ。しくじった時は己が全ての責めを負え。それこそがわしらの役目じゃ。分かったか?

秀忠:心得ましてございます。

家康:(秀康の方向に一瞥くれてから秀忠のそばに座る)征夷大将軍、1年の内にそなたに引き継ぐ。用意にかかれ。(去る)

秀忠:はっ!・・・え?わしが・・・将軍?!(本多正信が頷く)

秀康:おめでとうございまする。秀忠様。

 気付けば、この場面での家康の貫禄が凄い。よくよく一挙手一投足を見て、あのヘタレがこんなにも、と今さら思った。松潤だから若い頃だけ演じて終わりかと当初は思っていた。それがこの堂々のタヌキおやじぶり。特殊メイクやら装束やらで助けがあるにしても、松潤も不自然さは全然ない。

 言っている内容も、どこぞの政治家さんや上司さん、みんな聞いてるー?という名言だった。

 この場面を受けての、秀忠と康政、正信の会話も面白い。

秀忠:わしを選んだのは、兄が正当な妻の子ではないからか?

康政:殿がさような理由でお決めになるとお思いで?

正信:才があるからこそ秀康様を跡取りにせぬのでござる。

秀忠:えっ?

正信:才ある将が一代で国を栄えさせ、その一代で滅ぶ。我らはそれを嫌というほど見て参りました。

康政:才ある将一人に頼るような家中は、長続きせんということでござる。

正信:その点、あなた様はすべてが人並み!人並みの者が受け継いでいける御家こそ、長続きいたしまする。いうなれば、偉大なる凡庸と言ったところですな。

康政:何より、於愛様のお子様だけあって大らか。誰とでもうまくお付き合いなさる。豊臣家ともうまくおやりになりましょう。

正信:関ケ原でも恨みを買っておりませんしな。間に合わなかったおかげ。

秀忠:・・・確かにそうじゃ。(うれしそうに)かえって良かったかもしれんな。ハハハハハ!

康政、正信:(視線を交わす)

 正信が「偉大なる凡庸」等とズケズケと秀忠に言ってしまうのに対し、康政は「さすが於愛様のお子様だけあって」と敬意を忘れない物言いで持ち上げてみせるのが流石だ。

 才ある将が一代で潰れてまた世の中に騒乱が起こり、次の才ある将がまとめるまでの戦国時代。これを繰り返さないよう考えての「持続可能性の高い家中」ということだね。SDGsみたいな話になっている。

 でも、それが民衆にとっては幸せの素。戦無き世にするという家康の悲願からすると、当然なる帰結だ。オフィスでも同様、「持続可能性の高い社中」でないと、ひとり優秀な社員が出ても無理を重ねるしかなければ、挙句に体を壊して退職するしかない。それでは社員、会社の幸せは遠い。凡庸な社員が回せる社中であってこそ、組織は成長するのね。社長さん、聞いてるー?

 ここで今一度、石田三成が「戦無き世など成せぬ」「誰の心にも戦乱を求むる心がある」「まやかしの夢を語るな」と言ったことを考えたくなった。

 当時は戦続きで誰も戦乱の無い世を経験していない、知らないとすると、むしろ家康の方が「戦無き世を作る」など相当おかしいことを当時としたら言っているのだ。「何を荒唐無稽なこと言っちゃってんの」みたいなところだ。

 その相当おかしいことを悲願として主人公に希求させるには、相当おかしい装置が必要だったわけで、それが瀬名を家康最愛の妻にして、お花畑的考えを発想させて、しかも見殺しにする(自分の心を殺すような地獄)という三段活用だった。このことがSDGsを目指す今になって胸に迫ってきた。おもしろいものだ。

 家康が幕府を開いて将軍になったら、あの瀬名の木彫りのうさぎを箱から出せるかと思ったが、まだまだ波乱が先に見えている。大坂の陣の後でやっと出せるのかな。死ぬときか。

 さて、秀忠が将軍に就任後の1607年に、兄と弟が続けて死ぬ。抗生物質が当時あればねえ。最初から秀忠が本命だったにしても、秀康は1603年からは寝付いていたという話もあるから(ドラマでは1604年でもシャンとしていたけれど)、秀康と忠吉が病身である点は、家康の次選びの判断の内だったのではないか。健康で残った秀忠が将軍になったか。SDGsにも健康は要だ。

秀頼はスクスクと成長

 家康が身内を亡くしていく一方、秀頼はとうとう秀吉の背丈を示す赤いラインを19歳にして超え、長身になった(1年間の伸び方が凄い)。オープニングアニメも、背丈を記していく柱であり、それが炎上したように見えた。後の大坂城の運命を考えると、さもありなん。

 よく、秀吉は小さいのにーと言われるが、茶々の父・浅井長政は高身長の美丈夫だったというから不自然ではない。

 秀頼に寄り添い、柱のキズを刻む茶々は満面の笑みだ。そして、正室の千姫(家康孫)は、面差しがまるきり瀬名!血縁は無いはずなのにね、驚いた。

 大野治長も流罪から大坂に戻り、秀頼の周りは賑々しくなっている。ただ、将軍職を家康が秀忠に譲った時の茶々の反応に、加藤清正と福島正則は明らかに困惑していた。

 この、あちらの様子を家康は遠方からヒリヒリ感じているのかな。戦神のように睨みを利かせる忠勝の絵を前に、時が満ちるまで、戦闘心を養っていたか。打倒秀頼、残り4回、どう描かれていくのだろう。

 次回どうなる?と前回期待しながら今回スルーになったのは、関ヶ原の行方を決めた金吾殿(小早川秀秋)のその後。決着をつけるナレ死も無く、きれいさっぱり描かれなかった。この大河のやり方にまだ慣れなくて、あれえ?という肩透かし感がある。あと4回なのに慣れないなんてね、苦笑いするしかない。

(敬称略)

【どうする家康】#43 みんな知ってる関ヶ原、じゃない

こんなに凛々しい小早川秀秋、見たこと無い

 NHK大河ドラマ「どうする家康」もいよいよの第43回「関ヶ原の戦い」が11/12に放送された。最近は関ヶ原の戦い周辺の研究が特に進展しているそうで、昔のドラマや映画で慣れ親しんできた戦いの様相は、まさに様変わりの勢いだそうな。

 そんな中での「どう家」だ。注目のひとりは何といっても小早川秀秋(嘉島陸)。お約束の家康からの「問い鉄砲」はどうした?無いじゃないか。

 ドラマの秀秋は、家臣に徳川方に付いたと言いふらされていると聞かされても「気にするな。戦の成り行きのみを見極めよ」と冷静さを発揮。家康が桃配山から陣を進めた絶好タイミングを見て取ってから凛々しく采配を振るい、大谷軍を攻めよと命じた。

 これが金吾殿?はーっ、こんな彼を見たことは無い。若いのに立派な策士じゃないか。

 小早川秀秋は西軍敗退の最大の裏切り者とされてきた。浅利陽介が2回も大河ドラマではヘナヘナといい感じに演じていたし(たぶん「軍師官兵衛」と「真田丸」)、映画「関ヶ原」でも秀秋(東出昌大)は優柔不断の腰抜けの極みでオロオロし、結局は家老が土壇場で東方と決めちゃう情けなさだ。

 今後のドラマや映画では、「どう家」タイプの秀秋に寄せていくことになるのだろうか。

 ドラマを見るばかりでは史学上の新説なのかドラマ上の独自設定なのかがよく分からず太刀打ちできないので、考え方の拠り所にしようと『歴史街道』11月号を、特集「新・関ケ原」目当てで購入した。

 この類は楽しすぎて時間食いになるのであまり買わないようにしているが、今回はまあいいか。内容にはあまり触れないが、従来の関ヶ原合戦の研究が基礎としていたのは旧陸軍参謀本部が編纂した『日本戦史』と、徳富蘇峰の『近世日本国民史』による事実関係だとのことで(15頁)、それじゃあ既に令和にもなり、議論の余地はたくさんありそうだ。更なる研究の進展が楽しみだ。

 そうそう、ちょうど小早川秀秋を取り上げた「英雄たちの選択」で、磯田道史先生が、歴史を見る時に勝者・敗者だけじゃなく滅亡者の視点を持てと仰っていた。(小早川秀秋の関ヶ原 〜裏切り者か?心優しき若き武将か?〜 - 英雄たちの選択 - NHK

 歴史は勝者のものと言う。しかし、敗者も生きてさえいればなんだかんだと言い訳を連ね、後世に名誉挽回さえ叶うことがある。毛利だって、関ヶ原で負けても明治維新では勝者になった。

 しかし、滅亡者の場合はそうはいかない。死人に口なし、言われ放題、改竄され放題でも誰も庇ってくれないのだ。金吾殿はいい例では?

 となると、西軍の怨霊に悩まされ戦から2年後に21歳で酒浸りで死んだとの有名な話は、ドラマでは違う展開になってくるか?彼が生きていては都合の悪い誰かに殺され、彼にまつわる歴史も改竄されたか?さてさて、どう描くのだろう。

幻の秀頼出馬、陣は玉城?

 さらに話を進める前に、あらすじを公式サイトから引用させていただく。

秀忠(森崎ウィン)率いる主力軍が来ない。真田の罠にはまってしまったのだ。西軍に圧倒的に数で劣る家康(松本潤)は、野戦での勝負を決断。決戦の地に関ヶ原を選ぶ。そして大量の密書をばらまき、敵に切り崩しを仕掛ける。優位に立つ三成(中村七之助)は呼応するように兵を進め、両軍合わせ15万が集結、天下分け目の大戦が始まる!一方、大坂では家康の調略に動揺する毛利輝元(吹越満)に、茶々(北川景子)は不満を募らせる。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 毛利と言えば、空弁当かと思っていたが・・・「吉川様、動きませぬ」「何をしておられるのか」「腹ごしらえをしておるとか」「なにをー!?(怒)」と出陣しない言い訳の話だけかと思ったら、今回のドラマでは吉川広家の兵がガッツリ美味しそうなお握りやらのお弁当を実食し「ゆっくり食えよ~」と広家が兵に命じていた。

 ここは従来の説通りか、広家が動かないことで長宗我部盛親の軍も毛利秀元の軍もつかえて動けず、大軍が無力化された。

 また、大坂にいる毛利輝元。広家が家康と勝手に結んでいる事実を知って「この戦、勝てば我らの天下も夢ではないというに・・・」と悔しがり、さらに家康が「小早川は徳川方と言いふらせ」と命じたせいで、「小早川も家康と手を結んだ」と輝元も信じ、毛利は封じ込められた。その結果、輝元は大坂を動かず、一緒に動くはずの秀頼の出馬が無くなった。

 事程左様に家康の調略はうまく運んだ。なぜこんなにも吉川広家が東軍に従順だったのか、そこら辺の彼への調略具合をもうちょっとドラマで描いてほしかった気もする。

 さて、今作の茶々は秀頼の出馬に積極的で、大坂城に居座る毛利輝元が一向に出陣しないことにイラ立っていた。

 秀頼が、もし西軍総大将の輝元と共に関ヶ原に御出ましとなったらどこに?と考えていたが、ここならぴったりじゃないかと思う場所を「歴史探偵」で紹介していた。大谷吉継陣所からさらに奥にある「玉城」だ。(VR関ヶ原 西軍・幻の大作戦 - 歴史探偵 - NHK)と(「関ヶ原の戦い」 - 歴史探偵 - NHK)なんと、例の関ヶ原合戦図屏風にもそれらしき山城の陣は描かれていた。

 この城跡は「岐阜県不破郡関ケ原町玉」にあって、地区名は「玉」だという。どうして玉?と思ったら、ちゃんと関ケ原観光協会の「関ケ原観光ガイド」に説明があった。(東海自然歩道で巡る玉倉部の史跡 | 特集・モデルコース | 関ケ原観光ガイド (sekigahara1600.com)

 「玉」の名で、もしやそういうこと?と勝手に期待を膨らませたが、残念ながら秀頼には関係が無かった。佐竹氏が築いたとのことで、石田三成や大谷吉継が新たに築いたわけではなかったが、立地は抜群、関ヶ原の戦いの際に再度整備されて利用されたとしてもおかしくはなさそうだ。

 ただ、まだ玉城については歴史家の間で賛否両論あるようだが、想像すると東軍への視覚効果はすごい。正面の玉城を頂点に、西軍が両翼を広げたように東軍を囲む図(鶴翼の陣と言っちゃっていいのかな?)に見えるのではないか。東軍が関ケ原にいざ進軍してきて、大谷勢の背後の山城に豊臣の旗がたなびいていたら。自軍が鶴翼の陣にすっぽりハマっていると知ったら。豊臣恩顧の大名は、間違いなく心理的に追い込まれるだろうな。

 そうなる前に、家康は開戦したのかな。秀忠も待たずに。

 地図をまじまじと見ていると、西軍が玉城を頂点にそういう形に持って行きたいと考えても不思議ではないと思えてくる。それどころか、その方が自然じゃない?とも思う。が、ドラマでは秀頼出馬には至らなかった。そのため今回も西軍敗北。残念でした。

強烈な女の関ヶ原、茶々 vs. 阿茶局

 茶々が秀頼をかなり参戦させたがっていたので、どうした経緯で不可になるのかと見ていたら、やっぱり毛利のせい。とぼけた輝元には茶々様の裏拳がスパーンと炸裂!あれはリアルで叩かれた吹越満は痛かったはず・・・本当にあれが北川景子なのか?と目を凝らして見たぐらいの熱演だった。

 その茶々とやり合った阿茶局(松本若菜)も、負けていないぐらいの怖さ全開。寧々の庇護のもと騒動の中を大坂城から命からがら脱出してきて、いったいどこにあの美々しい彼女用の裃を隠していたものかと思うけれど、相変わらず髪をてっぺんできりりと結い、艶やかな裃姿で茶々に相対した。

阿茶:お目通り叶い、恐悦至極に存じまする。

茶々:徳川殿の御側室がこのような所に乗り込んでこられるとは、なんと豪胆な。毛利に見つかったら捕まってしまいますぞ。

阿茶:その時は、命を絶つ覚悟であります。

茶々:話とは?

阿茶:要らぬお世話とは存じましたが、北政所様も同じお考えであらせられるもので・・・秀頼様におかれましては、この戦にお関わりにならぬが宜しいかと。徳川の調略はかなり深くまで進んでおり、既に勝負も決する頃合いかと。毛利殿が未だご出陣なさらぬのがその証。我が殿は信用できるお方。秀頼様を大切にお守りいたしますので、どうぞお身を徳川にお預けくださいませ

茶々:それは・・・過ぎたる物言いじゃ。身の程を弁えよ!!(護衛の家来が一斉に阿茶に対して刃を向ける)

片桐且元:お控えなされ!

茶々:(気を取り直して)ハハ、なかなかハッタリがうまいようじゃ。秀頼を案じてくれて、礼を言うぞ。

阿茶:どういたしまして

茶々:誠に不愉快なおなごよ。二度とお見えにならぬが宜しい。(笑顔で)帰り道には気をつけよ。

阿茶:ありがとうございます。(立ち去る)

茶々:(感情が高ぶり、叫ぶ)うああ!!・・・はあ・・・。

 こんな風に叫ぶ北川景子が信じられない。身の程を弁えろと言った茶々の官位はどれくらいだったかとネットで調べると、諸説ありながら、従五位下らしい。阿茶局は確か家康死後に従一位に上る人ではなかったか。今から見ると、本来はどちらが身の程を弁えなければならなかったのか・・・という話だな。

 その当時は圧倒的に力があった茶々とすれば、「どういたしまして」じゃなくて「申し訳ございません」だろう!となるが、北政所様の御使いとの触れ込みだから、且元は「お控えなされ」と刀を構えた家来どもに言った訳か。

家康の四男・忠吉はスルー、幼少期以来描かれず

 さて、井伊直政が合戦の大勢が決まってから徳川の鼻先をかすめて退却した「島津の退き口」で島津を追い、重傷を負った。「葵 徳川三代」では島津側まできっちり描かれた有名な逸話だ。「チェスト~!」と高い声で叫ぶ山口祐一郎の島津豊久がカッコ良かったな。

 今回のドラマでは、出陣前の井伊直政が急に昔に帰り「おいらを家来にして良かったでしょ?」「ああ」「おいらもでございます。取り立ててくださってありがとうございました」という家康との出会いの頃を思い出させる「おいら」呼びのやり取りがあった。それで、ああフラグ立ったね・・・と思ったが、直政とは今回でサヨナラっぽい。

 直政が島津の退き口で負傷後、家康自ら薬を塗ったとの逸話もあったように思うが、ドラマもそうだった。腕を怪我した設定だったが、直政の中の人の腕がずいぶんと細くて、これで「井伊の赤鬼」として勇名を轟かしたとはとても見えない。この上腕筋肉の優雅さは(中の人が演じた「青天を衝け」の)民部公子だ、と思った。

 井伊直政を舅とした家康四男の忠吉は、「どう家」では出てこずじまいだった。このドラマの直政はあまりにも小柄で少年らしいままだから、ただでさえ陣羽織や甲冑の中で体が泳いでいそうだと常から感じさせた。そうすると「彼を舅としても不自然に見えない大人の役者」を見つけるのが難しいだろう。子役しかいなくなっちゃいそうだ。

 司馬遼太郎原作の映画「関ヶ原」を再見したら、驚いたことに、快活に忠吉を演じていたのは「どう家」で緊張気味に真田信幸を演じている役者さん(吉村界人)だった。別人のよう。徳川四天王を舅とする役を演じる縁があるとは面白い。

 「関ヶ原」では、福島正則は前回伏見城で散った鳥居元忠が演じていたし、何しろ信長が主役の石田三成を演じている。三成を支える「犬」というか伊賀忍びを演じていたのは、瀬名だった。他にもちらほら「どう家」で知った顔が見えた。(役者の名前を書かないと「なんのこっちゃ?」となりそうだ。)

 関ケ原の戦いの先陣は、直政付き添いの上で忠吉に物見をさせるとの名目で実際は先駆けてしまい、先陣役の福島正則軍を制する形になって正則が憤慨したと記憶していて、映画でもそう描かれていたようだったが、そこらへんも「どう家」では忠吉がいなかった。

 この先陣争い自体も、現在は疑問視されているそうな。だとするとドラマで忠吉が出てこなくても仕方ない。於愛のもう一人の息子は、今後出る予定もなく没するのだろうか。信康の元妻・五徳(秀吉の側室になっていたそうな😢)は、忠吉に土地をあてがわれていなかったっけ。五徳のその後の運命もドラマでは語られないままだったね。

 忠吉に限らず、「どう家」では、家康の子どもの人生はその時々で急に浮かび上がることがあっても、基本的にはフォローされないので全体人数も分からない。最近は結城秀康と秀忠が出ているが、他は母子ともに人数が多すぎて大河では追えないか。神君クラスの大名ともなると、自分の子女といえど、つながりの希薄さはあんなもんが普通なのかもしれない。

 そういえば、信康同母妹の亀姫は元気かな?奥平に嫁いだままで、セリフの上でも全然出てこないのは寂しい。信康の遺児二人も全然出てこないし。女子どもに冷たい。

三成の言葉に揺らがない家康

 戦に敗れ、後ろ手に縛られながらも器用に座る三成と、家康対話の場面。三成に「御説ごもっとも」の呪いの言葉を浴びせられても、家康が動じることが無いのは、もう当たり前だろうと思えた。それは、家康の心の底に瀬名と信康がいることをこちらは知っているからだ。

 普通なら、動じるところだろう。かなり前の家康だったら、例えば三成と同世代の家康だったら、三成の言葉に「そうかもな」と揺さぶられてしまっていたかもしれない。

 でも、それだけ家康は成長したのだ。もう見ていて心配することも無い。力不足で多くの家臣を失ってきて、さらに最愛の妻子を助けられず処分するという、三成の考え及ばない苦汁をなめて犠牲を払ってきたからこそ、既に三成の手が届かないところに家康は到達している。それでもやらねば、と思えるのだ。

家康:戦無き世に出会いたかった。さすれば、無二の友となれたはず。このようなことになったのは、行き違いが生んだ不幸。甚だ残念である。

三成:さにあらず。これは、豊臣の天下のために成したること。その志、今もって微塵も揺らいでおりませぬ!

家康:何がそなたを変えた。共に星を眺め語り合ったそなたは、確かにわしと同じ夢を見ていた。これから共に、戦無き世を作っていくものと思っておった。それがなぜ。なぜこのような無益な戦を引き起こした?死人は8千を超える。未曾有の悲惨な戦ぞ!何がそなたを変えてしまったんじゃ?わしは、その正体が知りたい。

三成:フフフフ・・・ハッハッハッハッハ。思い上がりも甚だしい!私は変わっておりませぬ。この私の内にも、戦乱を求むる心が確かにあっただけの事。一度火が付けば、もう止められぬ恐ろしい火種が。それは誰の心にもある。ご自分に無いとお思いか?うぬぼれるな!この悲惨な戦を引き起こしたのは私であり、あなただ。そして、その乱世を生き延びるあなたこそ、戦乱を求むる者!戦無き世など成せぬ。まやかしの夢を語るな。

家康:それでも、わしはやらねばならぬ。(睨む三成に一瞥をくれて立ち去る)

 家康と三成は元々志をシェアしてはいなかっただけのこと。乱世しか知らないからこその「戦無き世など成せぬ」の三成の思考だったかもしれず、家康の思い違いだった。

 その点では、家康だって生まれてこの方乱世しか知らないのだから、むしろ家康の方がおかしな存在であり、「まやかしの夢を語るな」と言われてもおかしくない。瀬名さえいなければ・・・。

 しかし、松潤と七之助は、戦無き世に出会って無二の友となったか。七之助の、顔の表情筋が凄い。歌舞伎役者の底力を感じる。

先走ってロスになりそう

 一緒に歩んできた家臣にとっても、家康は高みへと昇り、手の届かない存在となってきていたのは同じかもしれない。

 四天王のうち、「天下をお取りなされ」と言い置いて既に没した酒井忠次、そして今回「ついにやりましたな!天下を取りましたな!信長にも秀吉にもできなかったことを、殿がおやりになる。これから先が楽しみだ」と言って早世する井伊直政。残るはふたり、本多忠勝と榊原康政だ。

 予告を見た限りでは、次回でふたりともお別れか。人生のエネルギーを殿のために使い切って退場していくか。何と激しく消耗する人生を歩んでいたのだろう。忠勝は57回も戦場に赴くなど、現代では考えられないくらい心身を酷使して。

 体だけでなく、きっと心も酷使したと思うのだ。戦国武将とはいえ、殺戮に「無」の境地でずっといられるとは思わない。

 初期から出ていたふたりが去ると思うと寂しい。そうだ、お葉もそろそろ亡くなるはず。江戸城にいるらしいから、あと1回ぐらい出てくれないかな。彼女の人生の締めくくりが見てみたい。きっと見事なものだろう。

 家康にはまだ阿茶、本多正信がいる。渡辺守綱もいたね。そろそろ今川氏真も織田信雄も帰ってくるか。ウィリアムアダムズもいるもんね。そうだった、秀忠夫妻には家光が生まれるし、語り部の春日局ご本人がもう出てきても良いはずだ。

 最終回の48回まで、残り5回のラストスパート。先走って寂しがっている暇はないかな。

(ほぼ敬称略)

【どうする家康】#42 関が原前夜。これが見たかった!の鳥居元忠&千代の伏見籠城戦

「彦」鳥居元忠の幸せな最期

 NHK大河ドラマ「どうする家康」は第42回「天下分け目」が11/5に放送された。

 関が原前哨戦と言えば、待ってましたの伏見籠城戦。2万5千の三成方に囲まれた2千の徳川方は、元武田忍者の千代が加わって鳥居元忠(彦)と夫婦で戦うという「どう家」ならではの変調バージョンで描かれた。

 「逃げることは許されぬ。必ず守り通せ」と家康に言われた元忠の最期は既に見えていたが、お涙頂戴のコレが見たかった。あらすじを公式サイトから引用する。

上杉征伐に向かう家康(松本潤)のもとに、三成(中村七之助)挙兵の知らせが届いた。小山で軍議が開かれ、西国大名の多くが三成に付く中、家康は天下分け目の戦に臨むため、西へ戻ると宣言する。秀忠(森崎ウィン)に真田昌幸(佐藤浩市)の攻略を任せ、江戸に戻った家康は、各国大名に応援を働きかける。一方、京では千代(古川琴音)と共に伏見城を守る鳥居元忠(音尾琢真)が、三成の大軍に囲まれ、最期の時を迎えていた。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 「千代は今後お楽しみに」というヒントを非公式ながら横から頂戴した日から、彼女が生き延びているとしたら?とワクワク考えていた。鳥居元忠が隠して手元に置いていたと分かってからは、そうすると必然的に・・・と伏見城での戦いへの期待も大きかったが、やっぱり。期待に応えてくれた。

 ただ、不躾ながら「彦」がなあ。かなり手遅れなんだけど、千代のために、せめてもう少しイケメンにして欲しかった(大変に失礼)。男側からしたら、モテ男でもない老いた彦が美女を娶る夢というかロマンなのかもしれないが、囚われて妻にされた千代の身の上からしたら・・・本当は酷い話だよね。かわいそうじゃないかなー。

 伏見城で奮戦する彦は、竹中直人に見えて仕方ないと家族は言っていた。なるほどそうかも。兜をかぶっているから、露出する部分だけでの印象は似ているかもしれない、「もう少しイケメンにして」と書いた後で、相当失礼なんだけれども(ゴメンナサイ)。

 彦は、旧武田家重臣の馬場信春の娘を、殿・家康にも空っとぼけて隠していた。史実でも彦の側室になったこの馬場の娘を、望月千代がモデルとも言われた手練れの忍びの千代にドッキングさせてしまった「どう家」。なかなかのこのアイデアは、当初からの路線ではなかったらしく、千代人気でそうなったらしいとどこかで誰かの話を読んだ。

 千代は、家康方の服部党の忍び・大鼠に重傷を負わせるぐらいの力量ある女忍者だから、武田家と共にただフェードアウトじゃもったいないもんね。

 ということで、伏見城は千代にとって最高の死に場所じゃないかと思う。元最強武田忍者は、死に際も派手派手しく戦ってくれないとね。彼女は、元忠に感謝していた。

元忠:(負傷して)お前には生きてほしい。

千代:お前様が生きるならな。(布を裂いて手当をしようとする)

元忠:数え切れん仲間が先に逝った。土屋長吉、本多忠真、夏目広次・・・ようやくわしの番が来たんじゃ。うれしいのう。

千代:私も、ようやく死に場所を得た。(手を取って)ありがとう存じます、旦那様。

 凛々しい甲冑姿で城から鉄砲を撃つ様は、「八重の桜」の八重・綾瀬はるかを思い出させた。撃たれて尚、彦に支えられても刃を振るい、闘う姿勢を見せていた千代。命を燃やし尽くしての激闘だった。

 以前京都のどこかで血天井を拝見した時に、鳥居元忠は家康に涙ながらにも見捨てられた捨て石の悲しい最期かとも思った。が、10日以上も粘って西軍を伏見城に引き付けたことで時間稼ぎになり、家康には大感謝されたのは確かだろう。しかも、ドラマでは隣に愛する千代も隣にいて一緒に死んでくれるという・・・幸福な死に方だったのだと思いたい。

 伏見城落城を渡辺守綱から知らされて、家康は「落ち着け守綱!落ち着くんじゃ」と口にした。あれは自分自身に言い聞かせていた。心が動かない訳が無い。しかし「今は誰がどちらに付き、どう動くかをしかと見定める時」だから、すぐには伏見城に赴けない。猛将本多忠勝も陰で涙した。

 伏見城がもっとあっけなく落ちていたら、家康は味方を作るためのお手紙を腕が折れるまで書く暇も無かっただろうし、東西は関ケ原じゃなく東のどこら辺での決戦になったのだろうか。素人考えだが、そうなると家康は不利そうだ。いずれ三成による豊臣政権は瓦解するとしても、家康がその前に命を落としていたかもしれない。そうなったら、秀忠は毛利、上杉、伊達らに対抗できただろうか。

 伏見城と言えば、そんな気はなかったのに仕方なく西軍に参加したと言われる島津。伏見城への入城を申し出て断られたエピソードまではやらなかった。島津は本戦での井伊直政の件で絡んでくるのだから、そこら辺もやるかなと勝手に待っていたが、盛り込み過ぎになっちゃうからか割愛?だった。有名な関が原だけに、前夜でもエピソードは様々ある。

「彦」だけでなく「七」もご退場

 今川の人質時代にも彦と共に家康の傍らにいた「七」、平岩七之助親吉も、ドラマでは小山評定での場面が出演のラストだったらしい。11/10の「あさイチ」で松本潤が言っていて、ええ?そうだったの?となった。古株の彦と七は、今回仲良くいっぺんにご退場だった。

家康:どうした?七。

親吉:ようやく来たんじゃ。わしらはあの時、御方様や信康様をお守りできず、腹を切るつもりでございました。されど殿に止められ、お二人が目指した世を成し遂げるお手伝いをすることこそが我らの使命と思い直し今日まで・・・今日まで(泣く)。その時が来ましたぞ!厭離穢土欣求浄土。この世を浄土に致しましょう。

家康:(無言で親吉の肩を叩いてうなずき、「厭離穢土欣求浄土」ののぼりに共に目をやる)

 ウィキペディア先生によると(平岩親吉 - Wikipedia)、七は家康と同い年で1612年まで生きているから、ドラマではずいぶんと早くいなくなる。七の残りの12年間は触れられないのか?中の人・ハナコ岡部大が年末年始のお笑い番組収録のために忙しいのだろうか?

 改めて振り返ると、ドラマでの七は、信康切腹の場面で号泣してしまって介錯が出来なかったり、家康伯父の水野信元を誅殺したりしていた。正直篤実な性質を家康に信頼され、なかなかの身内関連の修羅場に立ち会ってきている役どころだった。

 今回も、家康次男の結城秀康と共に、背後の会津若松城にいる上杉景勝への抑えのために残った。いわゆる殿(しんがり)なのかと思うと背筋が震える立場だ。関が原本戦と比べると地味だが、信頼されているからこそ任される役目だと思う。

 七の出番がここでお終いということは・・・尾張・義直の付け家老になる話もドラマでは無いのか(家康の子守役がこの人は多いね)。家康と秀頼の二条城での会見は?立ち会わないのかな?それとも既に撮影してあるのか。毒まんじゅうの話はどうするんだろう。

小山評定で、家康がシレっと言った言葉

 有名な小山評定の場面では、本多正信の「褒美をちらつかせての抱き込み」によって福島正則が家康と共に戦おうと場の雰囲気を持って行くはずだったが、セリフを忘れたのか言い淀んでしまいハラハラさせられた。だが、頭に来たらしいワイルドな山内一豊が熱を発しながらうまく呼応してくれ、事なきを得た。

 しかし、どうしても「功名が辻」の上川隆也の優しいイメージが刷り込まれているから、あの山内一豊にはびっくり。戦国時代の武将なんだから、実はあのワイルドさがむしろリアルだったのかもしれないが。

 申し訳ないけどイメージ違いでは藤堂高虎もそうだ。小山評定だけでなく少し前からご出演だったが、本来高虎はかなりの大男だったとの思い込みが私にはある。だから、優しそうなインテリに見える役者さんでそんなに高身長に見えないため、そーなのかーとつい思ってしまった。

 三成の人質に取られるのを拒んで死んだ細川ガラシャの悲報がもたらされ、評定の場が弔い合戦的に盛り上がる・・・ようなことも無かった。それは「葵 徳川三代」で見たのだったか?

 歴史的に有名な場面は既に大河ドラマでは描き尽くされているから、エピソードの取捨選択は脚本家の腕の見せ所。今回、改めて注目させられたのは、「皆を一つにする」ため諸将に対して呼びかける家康の言葉だった。

家康:長く続いた戦乱の世が、信長様、太閤殿下によってようやく鎮められた。しかし、それを乱そうとするものがおる。皆も聞いての通り、石田三成が挙兵した。これより上杉討伐を取りやめ、西へ引き返す。

 ・・・が、ここにいる多くの者は大坂に妻子を捕らわれていよう。このようなこととなり(頭を下げて)誠に申し訳なく思っておる。無理強いはせぬ。わしに従えぬ者は、出て行っても良い。

 だが、考えてもみられよ。皆の留守に屋敷に押し入り、妻子に刃を突きつけるような男に天下を任せられようか!(←石田三成を指す)戦に乗じて私腹を肥やさんとする輩を野放しにできようか!(←真田昌幸を指す)このまま手をこまねいておっても世は騒然、乱世に逆戻りじゃ!

 よってわしは、たとえ孤立無援となろうともこれと戦うことに決めた。全ては、戦無き世を作る為じゃ。安寧な世を成せるかは我らの手にかかっておる!

豊臣諸将:おう!そうじゃ。

福島正則:(本多正信からの目くばせを受けて)おい、みんな!三成に天下を治められると思うか?!毛利らを束ねられると思うか!できるのは内府殿だけじゃ!

豊臣諸将:そうじゃ!

正則:内府殿と共に!

豊臣諸将:おー!

正則:内府殿と共に!(目が泳ぐ)

豊臣諸将:おおー!

山内一豊:うぬ!(立ち上がり、福島正則を尻目に家康の前に膝を付く)内府殿と共に、この山内一豊戦いまする!

豊臣諸将:わしもじゃ!(口々に)おー!

黒田長政:三成などに屈してなるものか!秀頼様を取り返すぞ!

豊臣諸将:ああ!おー!

藤堂高虎:皆の者、大戦じゃ!

豊臣諸将:おー!三成討つべし!蹴散らしてくれよう!そうじゃー!

長政:内府殿、お供しますぞ。

豊臣諸将:おー!

家康:秀忠、初陣につき我が兵3万を預ける。本多正信、榊原康政と共に信濃に向かい、真田を従わせよ

秀忠、康政、正信:はっ!

家康:よいか、石田三成を討ち、我らが天下を取る!

一同:おー!

家康:皆の者、取り掛かれー!

一同:おおー!

 重箱の隅をつつくようだが、家康は「全ては、戦無き世を作る為」「真田を従わせよ」「石田三成を討ち、我らが天下を取る」と意思を表明している。他方、豊臣諸将は「三成討つべし!蹴散らしてくれよう」、そして黒田長政は「三成などに屈してなるものか!秀頼様を取り返すぞ」と仲間に呼びかけている。微妙に異なる点がある。

 「石田三成を討つ」は共通項だ。ただ「我らが天下を取る」と家康が言ってしまうと、「天下=秀頼様」なら豊臣諸将としても問題ないが、「秀頼様から我らが天下を取る」意味ならオイオイ、我らって誰?となる話だ。

 こんな時に、どちらとも取れる微妙な話をしちゃう家康。こんな時だからこそか。タヌキ親父的にはどさくさに紛れてシレっと言っておいて「わし、天下取るって言ったよね?」と後で有無を言わさない方策かな。

稲姫、三代のお家芸を披露

 さて、少し遡って小山評定の場に着陣した真田信幸。先立って「犬伏の別れ」を済ませており、父の昌幸と弟の信繁は来なかった。

 真田一族は関ケ原合戦の場外で台風の目になる。嫡男信幸に徳川からすったもんだで嫁いでいたのが本多平八郎忠勝が溺愛する娘・稲だったから、忠勝が聞く。

真田信幸:遅れてしまい申し訳ございませぬ!真田信幸、着陣いたしました。

徳川秀忠:よう来てくれた。真田、信じておったぞ。

本多忠勝:信幸殿。ひとりか?おやじは?真田昌幸は!

信幸:我が父と弟信繁は、信濃に引き返しました。

秀忠:えっ?

信幸:三成に付くものと存じます。申し訳ござらぬ!

忠勝:婿殿よ。お主も気を遣わんでいいんだぞ。わしの娘を捨てたければ捨てろ。

井伊直政:真田が上杉とつながれば取り囲まれる。やっかいですぞ?

忠勝:婿殿には大いに働いてもらう。今は(肩をバンと叩いて)ゆっくり休め。(さらに強めにバンと叩く)

信幸:はっ!(井伊直政にもバンバンと叩かれ、礼をして下がる)

 稲は、「真田丸」では吉田羊が颯爽と演じていたが、「どう家」の鳴海唯も負けていない。例の有名な見せ場も堂々としたもので、印象は強く残った。彼女は、父・忠勝役の山田裕貴の目元に本当によく似た目をしている。NHKのキャスティング力の素晴らしさよ。

(沼田城外、引き返してきた真田昌幸と信繁)

昌幸:わしじゃ、昌幸じゃ!

信繁:信繁でござる!

(太鼓が叩かれ、武装した稲が格子のうちへ姿を見せる)

昌幸:おお、嫁ご。

稲:何用でございましょう。

昌幸:石田三成が何事がやらかしたようでな。真田が一つになって事に当たらねばならん。入るぞ。

稲:この城の主は我が夫、真田信幸と存じます。

昌幸:ハハ・・・わしを信用できんのか?

(稲が槍を一振りし、太鼓が鳴る。兵が矢を構える)

信繫:何たる無礼な振る舞い!(門に向かって前に出る)

稲:(対抗して進み出て)ここから先は、(右手で槍を地面にドンと突く)一歩も通しませぬ!

昌幸:さすが本多忠勝の娘じゃ。この城を乗っ取るのは止めじゃ。・・・稲、孫たちの顔を見せてくれ。ほんの少しで良い。

(子どもたちが連れてこられる)

子どもたち:じいじ!じい!(馬から下りようとする昌幸)

稲:下りてはなりませぬ。

昌幸:(馬上からしばし孫たちを眺め、無言ながらサインを送り、去ろうとする)

子どもたち:じじ様!じじ!じいじ!・・・

稲:戦が終わりましたら会いにいらしてくださいませ。

子どもたち:(去る馬上の昌幸に)じいじ!じいじ!

 稲の「ここから先は、(槍ドン)一歩も通しませぬ!」、すごい剣幕だった。やるねー。そして、今作の昌幸パパは、抜け目なく沼田城を乗っ取るつもりだった。「真田丸」とは異なる。

 この「ここから先は一歩も通さん」的なセリフは、忠真・忠勝・稲と本多家三代のお家芸。「よ、待ってました!」となったが、待てよ、これは「どう家」だからなのか?と気になって「真田丸」での稲のセリフを確認すべく録画を見てみた。

 「真田丸」では、信幸のふたりの妻・稲と幸(真田本家の出)が人質になるのを避けて上方から落ち延びてきて、沼田城外で昌幸らと会うところから描かれる。そこで稲は、夫の信幸が徳川方に、昌幸らが三成方にと分かれたことを知った。それが夫が考えた「真田が生き残るための策」=方便であり、「実は真田は一つ」だとは、稲は知らない。

稲:お城にお越しなら、夫に成り代わり私がきちんとお迎えせねばなりません。支度を整えてお出迎えいたしますゆえ、しばしのご猶予を頂きたく存じます。

真田昌幸:相分かった。一刻遅れて城に向かう。

(沼田城前)

矢沢三十郎:開門、我ら真田安房守の軍勢でござる。直ちに門を開けよ。

真田信繁:おかしいな(稲が姿を現す)姉上?

稲:(武装して、槍ドン)これより、一歩たりとも御通しする訳には参りませぬ。我が殿、真田伊豆守は徳川方、ならば徳川に歯向かう者はすべて敵でございます。お引き取りを。

昌幸:まあ、そう言うな。敵と言うても我ら・・・。

稲:(家臣に対し命令して)射かけよ!

信繁:待て!

昌幸:フッフッフ。さすがは徳川一の名将、本多平八郎の娘じゃ!源三郎は良い嫁をもろうたのう。

 やはり「真田丸」の稲も、槍ドンしてこれより一歩も通さないと言っていた。そうすると・・・「どう家」では、この稲姫ご活躍の有名な場面から逆算しての三代のお家芸だったのだろうか?だとしたら、面白い。

 「どう家」では、真田家の「犬伏の別れ」は描かれなかった。佐藤浩市パパだと息子二人との会話はどうだったのか、見たかったな。

 ところで、真田信繁(日向亘)と小早川秀秋(嘉島陸)の見分けがつかないのだが。ふたりともキャラが被り過ぎじゃないのか。二役?そんな訳ないか・・・と冗談を言いながら見ている。

 秀秋がなかなかのワルで、これまで見たことが無いタイプだ。しかし「どちらにも転べるようにしておけ」と言える人が、戦後、アル中になって命を縮めちゃうのか?違う死因が用意されているのかな。

阿茶を助けた寧々

 ちょっと気になったのが、前回終わりで大坂城西ノ丸で武装兵に囲まれてしまった阿茶局。助けに来たのが寧々の意を含んだ兵だった。あれは誰?寧々の兄の木下家の兵かな。「真田丸」では混乱のスキを突いて斉藤由貴がゆうゆうと脱出していたが。

 そして、寧々は優雅に茶をたてて阿茶をお出迎えだったが、寧々さんはいつ髪を下ろし出家したのかと疑問に思った。ドラマではまだのようだ。夫秀吉が死んだらすぐにも髪を下ろすのか?と思っていたら、違ったようだ。

 またウィキペディア先生(高台院 - Wikipedia)にお出まし願うと、寧々の落飾は1603年(慶長8年)。養母の死と、秀頼と千姫の婚儀を見届けてから、となっていた。関ヶ原の後で、家康が征夷大将軍になる年なんだね。徳川幕府が開かれ、ある意味豊臣政権に諦めがついたからの落飾、ということもあったのかな?

三成、茶々に踊らされる

 さてさてさて、前回で大谷吉継(今作ではかなり家康とも仲良し)を自陣に引き入れることに成功した石田三成は、「内府違いの条々」を送り奉行らを抑えて他大名らの味方を増やし、「逆賊、徳川家康を成敗いたす!」と高らかに宣言した。

 怖ーいのは、茶々。三成らと共に杯を割って見せ、やる気満々だった。

 茶々は「家康、動き出しました。こちらの思惑通りでございます」との三成の言葉に、「万事、手はず通りに進んでおるようだな」と言った。

 上田に秀忠が釘付けにされた件は「これで家康は本軍無し。我らは秀頼様と毛利殿の本軍をお迎えする」「これで兵力の差は歴然」とのことで、これらは手はず通りの進行だと分かる。

 岐阜城が福島正則に落ちるのも「手の内でござる」と島左近あたりが言ったのがちょっと分からなかったけど、西軍としては、当初は岐阜に東軍を集め、決戦に及びたかったのだろうか。それは「より大きな蜘蛛の巣をもうひとつ張っております」との三成の言葉でわかるように、計画変更になるらしいが。

 これに反応するように「関が原」と言ったのは、よくよく気をつけて見たら徳川方の本多忠勝の方だった。三成方の情報が入っているということか。

 それに「乗ってみるかな」と言える家康。歴史を知らなかったら恐ろしい決断に思えてしまう。

 茶々は「秀頼を戦に出す用意はある。必ず、家康の首を取れ!」と三成に厳命していた。あの、新たに見つかった大規模な城跡(名前が出てこない😅お城専門家の千田義博先生が小躍りしていた、アレです)に秀頼が陣を張ることになっていた、となるのか。茶々の意志があるとしたら、結局秀頼が出陣できなかった理由はどう描くのだろう。

 この「どう家」では、茶々が、家康を片付けるためのグランドデザインを描いているらしいが、傍らに目を泳がせる毛利輝元が控えているのが意味深だ。「どう家」なりの関ヶ原、成り行きを次回、じっくり見定めよう。

(敬称略)

【どうする家康】#41 逆襲のシャアならぬ三成、家康との最後の戦い前夜

最後に向けて盛りだくさん

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第41回「逆襲の三成」が先週10/29に放送された。石田三成は、秀吉死後の五大老五奉行の政を進めたが、朝鮮戦役から戻った加藤清正らの処遇に失敗して混乱を抑えられず、失脚した。

 この「逆襲の三成」というサブタイトルを聞いた時、世代的にどうしても機動戦士ガンダムの映画「逆襲のシャア」を思い浮かべてしまったが(それにしてはすっかり中身を忘れている)、確かあの映画もアムロとシャアの「最後の戦い」を描いたんじゃなかったっけ・・・(気になる人は調べて)。「どう家」の三成と家康も、いよいよ決着が付く「関が原」前夜と言ったところに物語は差し掛かっている。

 「もうお会いすることもございますまい」と家康に告げる三成。中村七之助の、諦めきって覇気も失われた表情がとても良かったよね。

 あらすじを公式サイトから引用する。

家康(松本潤)の決断で、佐和山城に隠居させられた三成(中村七之助)。一方、家康は大坂城・西ノ丸に入り、政治を意のままに行い、周囲から天下人と称されていた。そんな家康を茶々(北川景子)は苦々しく見ている。ある時、会津の上杉景勝(津田寛治)に謀反のうわさが広がる。家康は茶々から天下泰平のため、成敗に向かうべきと諭されるが、大坂を離れることに一抹の不安を感じ、留守を鳥居元忠(音尾琢真)に預けることにする。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 冒頭は重陽の節句での家康暗殺未遂事件が露見しての評定の場。後半の重要人物、大野治長(マッサン)が出てきて流罪を申し渡された。この時、首謀者の前田利長の名前を吐かせるため、家康が信長のように畳をトントン叩いたが、全然信長の凄みは無い。狸として無理をしている。

 この「どう家」ならではのストーリーが、茶々の暗躍。「どう家」家康は「戦無き世を作る」のが宿願であり、「狸は辛いのう」とこぼして「気張れや狸、ポンポコポーン」と本多正信に肩を叩かれているぐらいのお優しい設定だから、彼女みたいな悪役がいないと話が進まない。

 「あらすじ」に書いてあったように「家康は茶々から天下泰平のため、成敗に向かうべきと諭され」たから、大坂を離れ会津の上杉征伐に向かうことになった。黄金2万両、兵糧2万石という多額な資金も兵糧も豊臣から与えられて。

 茶々は秀吉の小田原攻めまで持ち出し、秀吉は北条を大軍勢で囲み「見事、日の本を一つにまとめられた。内府殿もそうなさった方が良いのではないか」「また世が乱れでもしたら・・・ああ、心配な事よ」と言った。

 しかし、大坂を離れた途端に「内府殿のお力で天下が静謐を取り戻すならば結構な事」と言っていたはずの石田三成が、家康討伐を掲げて挙兵。その陰には、茶々から多額の金が与えられていたことが示唆され、大谷刑部吉継が驚愕していた。あっちもこっちも、茶々が両方焚きつけていたのか!と視聴者も驚く。(そういえば大谷刑部の三成への手みやげが干し柿!そうだよね~。)

 茶々・・・とても分かりやすい女狐だ。正月の西ノ丸での家康を囲んでのどんちゃん騒ぎが気に入らず(家康も配慮に欠ける、わざとなら人が悪い)、早々に家康を片付けてしまいたくなったか、それとも虎視眈々と狙ってタイミングを待っていたか。それに乗せられる真面目な三成か。

 遠く上方を離れてから三成挙兵を知り「我々はハメられた」と動揺する徳川陣営に、茶々からの手紙「三成をどうにかして」が届き、家康は空虚に笑う。茶々の二枚舌を理解しての事だろう。

 この茶々からの手紙は実在したのだそうで、そこから物語がうまく発想されている。手紙については最近も絶好調の「かしまし歴史チャンネル」の動画解説で見た。(前述のシャアについてもさすが同世代!同じことを連想していて嬉しくなった。)

youtu.be

 でも、史実の茶々が、三成挙兵に際し、本当に家康を信じてSOSの手紙を書いたのなら、気の毒だ。豊臣存続のために信じるべき人(三成)を信じず、信じてはいけない人(家康)を信じていたことになるか。

 さらに、後世(現代)で神君家康公を輝かせるために、全国放送のドラマでまさかの女狐扱い。私ごときにも、これまでのブログで「禍々しいキャラ」と散々書かれ(ゴメンナサイ)、可哀そうな人物だ。

 ちなみに、西ノ丸での正月どんちゃん騒ぎにも、馬やら書物やらのエピソードが盛りだくさんに仕込まれていたことが「かしまし」動画でわかった。本当にきりゅうさんて博識!

 彼女の凄いところは、歴史の表ネタも学説に基づいて話せるだけじゃなく、さすが元KOEIのライター、アニメなどオタクネタまで網羅しているところ。講談師のような話術もある。そんな解説ができる人はそういないだろう。希有な人だ。

大谷吉継の茶を飲み干す三成

 大谷吉継の病がうつるのを嫌い、誰も彼の後に回し飲みの茶を飲まなかったエピソードは有名だが、今回、これも三成と吉継の固い友情をうまく表現するのに使われた。ここで持ってくるのか~吉継もほだされるよね。

大谷吉継:用意はできたか、三男坊。(武装して出てきたのは三成の方だった)治部?!やめておけ。

三成:今しかない。

吉継:無理だ!内府殿はお主を買っておる!共にやりたいと申された。

三成:徳川殿のことは当代一の優れた大将だと思うておる。だが、信じてはおらぬ。殿下の置き目を次々と破り、北政所様を追い出して西ノ丸を乗っ取り、抗う者はとことん潰して!政を思いのままにしておる。

吉継:天下を鎮めるためであろう!

三成:否!すべては、天下簒奪のためなり!野放しにすれば、いずれ豊臣家は滅ぼされるに相違ない。それでいいのか?家康を取り除けば、殿下の御遺言通りの政を成せる。今度こそ、我が志を成して見せる!刑部!正しき道に戻そう!

吉継:我らだけの手勢で何ができる。

三成:奉行衆と大老たちをこちらに付ければ・・・勝てる。

島左近:(後ろから入ってきて刀を抜き、畳下の黄金を発いて見せる)

吉継:どこから出た!まさか・・・大坂?あ!

三成:(無言で吉継の飲んでいた茶を飲み干す)うつして治る病なら、私にうつせ!

 「どう家」では、三成(というか配下の島左近?)が何でも万全に手を回し、抵抗する吉継(忍足修吾)を自軍に引き入れるパターン。吉継は、伏見城に参陣して家康に「佐和山に立ち寄り、治部の三男坊を我が陣に加えたく存じます」と進言する程だったが・・・ハンセン氏病を患っていたという吉継の心を、茶を飲んでグッと引き寄せた三成だった。

 対して、「真田丸」の石田三成(山本耕史)は、蟄居に至ってまで状況を読めないのか事務処理に最後まで猪突猛進で、ヤレヤレ仕方ないなという感じの大谷吉継(片岡愛之助)が色々と指示を出して各方面に支援を求める手紙を書き、べそをかきながら戦いに臨んで行くパターンだった。

 それぞれの年代で新しい学説をどう生かすか、物語の中で何をどう採用してキャラを作るのか、見比べると面白い。

 考えて見ると、今作の三成は、秀吉を理想として掲げるからこそ、家康が豊臣を滅ぼすパターンしか見えてこないのだろう。秀吉が織田家をそうしたから。そうじゃない道が考えられないのだ。

 この、吉継の茶を飲み干したのは石田三成のバージョンだけじゃなく、秀吉バージョンもあったように思う。

 どこかで読んで信憑性は無さそうだと思ったのが、大谷吉継は寧々さんの侍女が産んだ秀吉の隠し子であり、茶席で秀吉が我が子を不憫に思って庇い、吉継の茶を飲み干したという。

 寧々さんが子が産めない嫉妬から、秀吉の子どもたちが生まれるたびに幼いうちに育たないように毒を盛り(「大奥」の一橋治済ならやりそう、仲間由紀恵も他3人の役者もすごかった)、それでも生き延びた吉継が顔が崩れるような状態になったと・・・寧々さん、散々な言われようだ。ひどすぎる。

 もし吉継が秀吉の子なら、表向き養子にでも何でもして、何としても跡取りにしたのではないかと思うけれど、それも正室の寧々さんの嫉妬が理由で、嫡男にはできなかったって話にされていた。ひどすぎる(2回目)。

 まあ、三成と共に豊臣に殉じたような大谷吉継だから、秀吉とは特別な縁があったに違いないと信じられて、ああでもないこうでもないと物語が練られて寧々さんが犠牲になったのだろう。

 いつの日か、吉継の大河ドラマが作られるのだろうか。私としては小西行長、安国寺恵瓊も加えてもらったら題材として良いと思うんだけどな。

鳥居元忠の名場面、他と見比べてみたかったが

 今回の見せ場は、何といっても伏見城を任された鳥居元忠(彦右衛門)と、家康の別れの場面だと思う。ここは、彼の運命が分かっているだけに、涙無しで見るのが難しい。

家康:この伏見を、お主に任せたい。上方を留守にすれば兵を挙げる者がおるかもしれん。

元忠:(注がれた酒を飲み干して)石田治部殿が?・・・いや~無謀でござろう。

家康:治部は、損得では動かん。己の信念によって生きている。負けると分かっていても立つかもしれん。信念は人の心を動かすでな。わしを恨む者たちが加わらんとも限らぬ。万が一の折、要となるのはこの伏見。留守を任せられるのは最も信用できる者。逃げることは許されぬ。必ず・・・必ず守り通せ。

元忠:(話を聞くうちに表情も引き締まり、威儀を正して)殿のお留守、謹んでお預かりいたします。(頭を下げる)

家康:すまぬ・・・兵は、お主が要るだけ・・・。

元忠:いや、三千もいりゃあ十分で。

家康:少なすぎる。万が一・・・。

元忠:一人でも多く連れて行きなされ。なーに、伏見は秀吉がこさえた堅牢な城。そうたやすく落ちやしませんわい。殿。わしゃ挙兵してえ奴はすりゃあええと思うとります。殿を困らせる奴は、このわしが、みんなねじ伏せてやります。まあ、わしは平八郎や直政のように腕が立つわけでもねえし、小平太や正信のように知恵が働くわけでもねえ。だが・・・殿への忠義の心は誰にも負けん。殿のためなら、こんな命、いつでも投げ捨てますわい。上方は、徳川一の忠臣、この鳥居元忠がお守りいたしまする。

家康:・・・。

元忠:(鼻をすすり)殿にお仕えして五十年。あの泣き虫の殿が・・・よくぞここまで(すすり泣き)。

家康:止めよ。

元忠:そうですな。わあ、めそめそするとまた千代にひっぱたかれる。

家康:やっぱり引っぱたかれとるんではないか。(笑い合う)

元忠:(鼻をすする音)はあ~、殿。宿願を遂げる時でございますぞ。戦無き世を成し遂げてくださいませ。

家康:彦・・・(目に涙をためて)頼んだぞ。

 以前の時代劇でも、同じ別れの場面を見たような気がして「真田太平記」「真田丸」の録画をチェックしてみたが、見つからなかった。たぶん記憶しているのは、笹野高史が元忠を演じた「葵 徳川三代」ではないかと思う。「徳川家康」でも見ただろうか?残念ながらこちらも録画が手元に残っていない。

 小説だと、池波正太郎著「真田太平記」の(六)「家康東下」の巻きの、まさに「家康東下」の章の(一)の終わりに、元忠と家康が別れの酒を酌み交わす場面が出てくる。元忠が笑って「殿、これが殿の御顔の見おさめにござる」と言い、家康は答えず、うなずきもせず、じっとうなだれたまま・・・だった。

 このドラマでは、涙もろい元忠が、昔は泣き虫だった家康を思い出し「よくぞここまで」と終盤で泣き、その涙を押しとどめるように「止めよ」と家康が言った。松潤家康は涙をためたまま。死んでいく彦の方が泣く。

 譜代の家臣を、見す見す死なせなければならない状況に追い込まれている家康。それも、石田治部が信念の人だからだ。厄介な事よ。どちらが悪でもない、うまい話運びだと思う。

 とはいえ、伏見を守る兵が少ない方が、三成への誘い水になる。それを家康も考え、彦も察しただろう。合理的に考えて多くの兵を置くのも無駄。残酷なことだ。

 今作の元忠(彦)は、元武田忍びの千代(馬場信春の娘、古川琴音)を継室にしている。千代にひっぱたかれ、尻に敷かれている暮らしぶりのようだ。忍びだった千代に彦が敵う訳がない。

 次回の籠城戦でも千代はその能力を発揮して活躍するようだから、それはそれで楽しみではあるが・・・彼女の生命を燃やし尽くしての戦いが予想される。武将の嫁は辛いね。

 千代のように、武田旧臣の娘が徳川家中の妻にされている例では、家康の阿茶局もそうだし、故・酒井忠次も、あのド迫力でご出演だった山県昌景の娘を側室にしていたらしい(正室は前も書いた碓井姫)。敗れた家の娘が、褒美の品のように戦後与えられていた、ひどい戦の世。終わらせてほしいと、多くが願ったはずだ。

 ちなみに「家忠日記」を遺した松平家忠も伏見城で命を落とす。ここまでずっと松平家関連の記録を残してくれて歴史家の皆さんは感謝しているだろう。おこぼれに預かる私もだ。

上杉景勝、あれでいいのか

 前回も少し書いたのでしつこくなるが、上杉景勝が見てくれから悪役丸出しの作りで驚いている。上杉謙信を継いだ「義」の武将だよ?そんなはずないよね。

 今回、家康から上洛して申し開きせよとの命令を「ええい!無礼な書状じゃ!」と投げつけ、「大体、家康が天下人だと誰が認めた!秀吉には屈したが、家康に屈した覚えなど無いわ!」と大声で景勝は拒否した。あの表情に乏しく無口な景勝が激高しているなんて・・・一生に1回、猿の仕草で笑った記録があるくらいの人だよね?

 この後、直江兼続(今回も声が良い)に挑発的な返答(有名な「直江状」)を書かせて会津征伐を煽った、「愛」の兜ファンが待ってましたの場面が描かれた。それで家康は、表向き豊臣の大軍を率いて出陣した。

 景勝は、第一次上田合戦で真田と徳川が戦う直前、それまで揉めていた真田家に対して、事情を理解して和を講じ、しかも人質(後の真田信繁)も取らず、親と共に思いっきり戦って来いと言った。真田は徳川に見事勝ち(この時負けたのが彦だったね)、戦後もそれを恩に着せたりしなかった・・・というのが小説とドラマ(演じたのは伊藤孝雄)の「真田太平記」に刷り込まれている上杉景勝の清廉潔白、見事な武将としての姿だ。

 「利家とまつ」ではあの里見浩太朗が演じ、直江兼続(妻夫木聡)が主役だった大河ドラマ「天地人」でも、北村一輝が景勝を演じた。大坂に引き返す徳川を追撃できるチャンスで、兼続を「背後から攻めるのは卑怯」とかなんとか言って止めさせ、徳川軍を潰す千載一遇の機会を失った兼続が地団太踏んで悔しがっていなかったっけ?

 「真田丸」の景勝(遠藤憲一)は、気が弱くて何でも「兼続頼み」だったが、義に篤い武将のイメージは裏切っていなかった。

 それなのに、だ。今作ではどうしてアレ?流布されたイメージを裏切るなら、今作なりの理由づけをしっかりしてほしい。できないなら、せめて眉毛は、中の人の津田寛治の眉毛のまま、普通に演じてくれたら良かったのに。

 「事を荒立てるな。武を以て物事を鎮めることはしとうない」「相手は大老。慎重に進めよ」と、家康に言わせて無理くり善人仕立てを際立たせようとするから、景勝はあおりを食ってしまったのだね。

 家康は狸を演じ、茶々は悲しい過去から女狐になった。それでいいじゃないか。上杉景勝まで巻き込み、誇りを失わせるような悪役的描き方はいただけない。

 ただ、それを受けての家康の参謀チームの状況分析の様子は面白かった。家康の脳内が可視化され、徳川出陣への道が選ばれていく過程が見えた。以前に茶々に諭された通りのことを選ぶ家康。

阿茶:もはや成敗する他ないのでは?威信を見せなければ国はまとまりませぬ。

本多正信:だが相手は上杉。半端な軍勢を差し向けてヘタを打てば、天下を揺るがす大戦になりかねませんぞ。

家康:やるとなれば、わしが出陣せねばならぬであろう。天下の大軍勢で取り囲み、速やかに降伏させる・・・戦を避けるにはそれしかない。

阿茶:願わくば戦場で戦いたいぐらいではございますが、殿のお留守はこの男勝りの阿茶にお任せ下さいませ。

家康:あとは・・・上方を誰に託すかじゃな。

二代目茶屋四郎次郎、三浦按針が登場

 ひっそり出番を終えていたと少し気になっていた茶屋四郎次郎。まさかの眉毛バージョンアップ(また眉毛😅)で「父よりだいぶ色男」の二代目清忠となり、三浦按針の通訳として出てきていた。

 通訳と言うか、「明、朝鮮と戦をして何になりましょう!これからは多くの異国との商いを以て国と民を富ませるのでございます!」と自説を盛大に披露していたが。今回は、中村勘九郎&七之助のご兄弟が所を変え揃ってご活躍だ。

 先走るが、三代目の茶屋四郎次郎は二代目の弟で、家康が死ぬきっかけになったと言われた鯛の天ぷらにも関わっていたとか。もしも、だけれども、もし七之助が石田三成として生きた後に二代目の弟として転生して三代目四郎次郎として出てきたら・・・と考えると面白い。

 まるで三成が三代目になって宿願を遂げるみたいになるじゃない?そんなこと有り得ないか。

 小栗旬が最終回に出る、みたいな報道もあった。そうすると、三代目四郎次郎は小栗旬?家族は「それはいやだ、北条義時で出てきてほしい」と言っていたが。それもそうか。

 さて、四郎次郎と共に「ウィリアムアデムス」、後の三浦按針として「大奥」の青沼様が転生してご登場だった。涙涙の悲劇の最期を遂げられたばかりだから、青い沼にどっぷりはまっていた「大奥」ファンはここでロスを払拭できる。今後、家康のアドバイザーとしていっぱい出てきてほしい。

最後の大暴れ

 そういえば、先走って悲しくなった場面があった。徳川軍が伏見城に参集したところで、ファッションショーのランウェイを歩くように本多忠勝、榊原康政、井伊直政らが入場してきた。

榊原康政:我らの殿がついに天下を取る時が来ましたな。

井伊直政:最後の大暴れといきましょう。彦殿、守綱殿。まだ動けますかな?

鳥居元忠:当たり前じゃ!

渡辺守綱:暴れたくてウズウズしとったわ!

直政:我ら徳川勢が集まった時の強さ、見せてやりましょうぞ。

一同:おう!

 そこで、徳川勢の将の最前列中央に陣取った井伊直政が言った「最後の大暴れ」。そうだね、直政よ・・・💦まだ髭も可愛らしいぐらいなのに、と「おんな城主直虎」ファンとして涙してしまった。彼の短命が惜しい。

(敬称略)

【どうする家康】#40 念入りに老けた「狸」家康、満を持して天下様へ

「狸」の域に達した家康

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第40回「天下人家康」が10/22に放送された。前回、秀吉がおどろおどろしく死んじゃったので今回はちょっと気が抜けてしまったが、残り8回しかない家康はそうも言っていられないだろう。あらすじを公式サイトから引用する。

秀吉(ムロツヨシ)が死去し、国内に動揺が走る。家康(松本潤)は三成(中村七之助)と朝鮮出兵の後始末に追われる。秀吉の遺言に従い、家康は五大老たちと政治を行おうとするものの、毛利輝元(吹越満)や上杉景勝(津田寛治)は自国に引き上げ、前田利家(宅麻伸)は病に倒れる。家康は加藤清正(淵上泰史)ら諸国大名たちから頼られる中、やがて政治の中心を担うようになる。そんな家康に野心ありと見た三成は警戒心を強め、二人は対立を深めていく。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 秀吉という絶対的なリーダーがいなくなり、石田三成が理想を燃やす五大老五奉行という合議体ができた。いくら「やってみろ」と秀吉に言われたからといっても、人への心配りに欠ける三成が実情無視で押し進めては、物事はまとまらない。そうすると、世は次第に乱れていくだけだ。

 今回、乱世への逆戻りを恐れた家康が、本多正信の助言で手を打った。朝鮮戦役で不当評価を受け、「全部三成のせい」と不満を抱える諸将との縁組(婚姻)により、彼らを手なずけ暴発を防ぐつもりだ。

 だが、「あの御人は狸と心得よ」「あの御方は平気で噓をつくぞ」と、毛利輝元と上杉景勝コンビ、そして茶々により家康への不信感を植え付けられていた五奉行筆頭の超素直でまっすぐな三成には、「天下簒奪の野心あり」と見られてしまった・・・と、家康の言い分はこんなところだ。

 でも「そんな気はない」と言っても、誰も信じない。それは前田利家が言ったように、伝説上のオロチのように見られ、恐れられているから。その域になると、相手に何をどう言っても、「オロチだぁ」となってしまって、単なる話が簡単には通じない。

 それがオロチでも狸でも遠ざけ逃げたい点では同じこと。両者のニュアンスの違う点は、オロチ=ただただ怖い、狸=化かされるという、後者は不実で信頼性が揺らぐイメージがある点だ。

 だが、こうも言えるだろう。「この人が言うことには、もしかしたら実があるのかも」と思わせるような魅力があるからこそ、人はその相手を「狸」と呼び、予め自分の警戒心を呼び起こし、距離を取ろうとするのかもしれない。そうしないと煙に巻かれ、惹きつけられてしまうから。それほど、オロチに対して狸が魅力的であることの裏返しなのかと思う。

 私は、家康は秀吉没後のこの時期、反三成派の諸将と縁組を進めたのは、五奉行五大老という自分を押さえつける枠を破るため、自分の派閥の仲間づくりをしたと理解していたので、ドラマではそれをどう正当化して家康のために美しく描くのかなと考えて見ていた。

 そしたら、乱世を望む諸侯の動きに抗い再度戦乱の世に戻さないための、家康なりの努力だったと・・・正式な手順を踏んでいたら手に負えなくなると判断したのだと。家康なりの、善意からの行動だったとした。この時の、秀吉の置き目破りの婚姻政策を実行するにあたり、本多正信のアドバイスは以下の通り。

  • 勇ましいことをすると危ない。裏で危なっかしい者どもの首根っこを押さえるぐらいにしておくのがよろしいかと。
  • 相談すれば異を唱えられる。しらばっくれて、こっそりやるのみ。
  • (糾弾されたら)その時は、謝る。

 それで、やっぱり来てしまった糾問使に対し、家康は、秀吉亡き今、婚姻の許可は要らないと誤解していたと言って「いや、わしとしたことが、うっかりしておった。いや、すまなんだ。ほんの行き違い」と謝った。同時に、正信はぬかりなく脅して見せた。

本多正信:我が主はあくまで、奉行の皆様を陰ながら支えるためにやったこと。殿下の御遺言を忠実に実行しております。処罰には値しません。何せ徳川家中には、血の気の多いものが数多おりますでな、殿の御身に何かあれば、一も二もなく軍勢を率いて駆けつけてしまう・・・(略)。

 家康も、「言うことを聞かん奴らでな、わしも手を焼いておるんじゃ」と困ったふりをする芝居っぷり。家康を「狸」にしたのは、傍にいる大狸の正信だった。

 前回、酒井忠次に「天下を取りなされ」と言われ、秀吉にも「天下はどうせお主のものになるんじゃろう」と言われた家康。これまで彼の心の中で積み上がってきた天下への道は、既に総仕上げの段階を迎えているはず。

 「天下簒奪の野心あり」どころか、家康の悲願であり、やるしかないと判断していると、ドラマを10カ月見てきたこちらはよく知っている。手をこまねいている方が不実であろう大きな存在(オロチ)に、既に家康がなっていることは、前田利家が指摘した前述の通り、自他ともに認めるところまで来た。あとは良きタイミングを待つだけだった。

 天下簒奪という言葉は「無理やり」というニュアンスがあるし、天下を取って覇を唱えたいとか、支配欲の権化のようなイメージがある。ドラマの秀吉のように勝手放題したいんだろうな、と。だから順番待ちの家康の場合は、そのイメージを嫌い、天下が転がり込むのを、狸に成って、待てるだけ待ったのだろう。

修正された七将による三成「襲撃」事件

 五奉行五大老制度が瓦解して家康が天下様と呼び称されるまでの過程で、朝鮮で苦労させられてきた七将による三成「襲撃」事件が起きたとこれまでは言われていたが、研究が進み、それは否定されてきたようだ。

 文禄・慶長の役が秀吉の我がままによるものであり、それで壮大な無駄をさせられ生きるか死ぬかの苦汁をなめさせられて徒労感いっぱいの皆でも、死んだからといって秀吉のせいだとは当時とても言えない話だ。

 だから矛先は奉行ら、筆頭の三成になるのは自然だろうとは思うが、ドラマではうまく運んでいた。

 三成が疲弊の極みで帰ってきた諸将出迎えの場で「戦のしくじりは不問に」と言い出し、労いの茶会を催すと言って、皆をキレさせた。その際のつわもの・加藤清正の涙目の演技がとても良かった。三成の茶なんかじゃなくて「わしが皆に粥を」と返したが、それでも三成は「わしは何も悪くない」と寧々に言ってしまうので、救いようがない三成よと、こちらにしっかり分かった。

 7人は行動を起こし、三成を奉行から外すように単に訴えようとした(この時点では武装していない)。だが、三成の方が伏見城内の自分の屋敷に武装して立てこもった。それで城の周りを武装した7人が囲み、騒動になった。(その騒動のとりまとめは家康だけでなく北政所が最終的に収集したらしいがそこは描かれず。)責任については、家康が他の大老とも調整して三成を奉行から外し、佐和山隠居を申し渡すつもりが、三成が自らそう申し出て、家康は次男・結城秀康を付けて佐和山まで三成を送った・・・と今回のドラマで見た。

 「真田丸」以外のこれまでの時代劇や小説だと、概ねそうではなかった。武装した七将に追われた三成が、こともあろうに家康の屋敷に逃げ込んで家康に庇護を乞う。それで「窮鳥懐に入れば猟師も殺さず」などと家康は言って、七将から三成を守り、場合によっては、三成の兄が身代わりになっている隙に三成は家康の忠言を入れて屋敷を脱し、佐和山へと逃げる。そんなスリリングで面白い展開に仕立てられてきたように思う。

 でも、そうじゃなかったとはっきりしてきたらしい。

 このあたりの学問の進み具合は、「どう家」時代考証の平山優先生の旧ツイッター(現X)での力の入った解説の連投がとても面白いのでぜひご覧あれ。

 また、徳富蘇峰や旧日本軍のせいでスリリングな話が拡大再生産されてきたというのは、こちらの動画に詳しい。そうだったんだねー。

youtu.be

アラカン家康、シミがてんこ盛り

 今回、松潤家康の見てくれがまたグッと老けた造りになった。この老け見えの進み具合も、長丁場の大河ドラマならではの見どころの1つだと思っている。

 アラカン家康は太り、首回りもたるみ、顔がシミだらけ、目もたれ目、そして体全体に厚みが出ていた。衣装の下には肉襦袢をたくさん着込んでいそうだ。

 全体的にたるんできていたが、アラカンってそんな見方がされているのかとアラカン世代としてやるせない。まあ、昔は年齢3割増しというから、現代の78歳当たりの風体があれか。もう軽やかな海老すくいは踊れないだろうね。それにしてもあのシミ、メイクさんは描くの大変だろう💦

 しかし、声は隠せないものだ。家康が多少大きめに発声した時に若さが感じられてしまった。すぐに低めに戻ったものの、あ~勿体ないと思った。松潤は歌い手だけに、声が伸びやかなんだね。

 ついでに、他のキャストの老けっぷりはどうだろう。家康よりも年上の本多正信(松山ケンイチ)は、あまり老けて見えない。常に何か食べて補給しているからか。頭脳労働のために食べていると思ったが、若さキープにもなっているか。

 本多忠勝は家康よりも5歳程度しか若くないはずだが、それでいいのか!と思うぐらい、そのレベルよりも若い。山田裕貴の隠しきれないツヤツヤのお肌が気になる。

 家康、正信、忠勝の3人がいると、なんか松潤家康ばかりが念入りに老けさせられているように見えてしまう。「それは天下人になる心労からなの?」と考えることにしようか。

リアルアラカンの宅麻伸(前田利家)

 今回は、秀吉没後の前田利家の去就が大きな影響を持つ時期を描いていた。秀吉と若い頃から親しかったはずの利家は、今作では若い時には全然出てこなかったが、秀頼の守役として秀吉が死んで大きな力を持つ。しかし、すぐに死んでしまう。

 天下に近づいたここぞという時にすぐ死んで、敵に大いに喜ばれる例では、武田信玄、上杉謙信がいる。さすがの大物だ。前田利家も秀頼を支えるポジションではあるが、あるいは同列に入れてもいいのかも・・・何の同列って、もしかして手練れの忍びによって毒殺されたんじゃないの?の私の妄想のラインだ。将来、何か文献が出てこないかな、出てこないか。

 今作では宅麻伸が利家としてご出演、二大老として松潤家康と並んで座るツーショットの場面もあったため、不自然じゃないか変に心配した。

 松潤は顔が小さい。いくら念入りな特殊老けメイクを施されていても、並んでしまえば、見栄え的にふたりの間に親子ぐらいの年齢差がハッキリと見えてしまうのではないかと・・・そうすると、お芝居に集中できなくなるから。

 でも、宅麻伸は健闘した。並ぶことで家康のリアルな若さが際立ってしまうよりも、元々がハンサム、実年齢の割に美しく若い宅麻伸の方に引っ張られて(?)家康と、同世代が語り合うお芝居をちゃんと観ることができた。三成への「政は道理だけではできん!」も、良かったなー。

 もっと若い頃から秀吉サイドで妻のお松さんと出してくれたら良かったのに、そうすれば三成に物申せるのも当然と分かる。実は、ここまで引っ張ってくるからには、「利家とまつ」の唐沢寿明がご出馬するのかとちょっと期待していた。外れたが。

 利家に引き換え、毛利輝元と上杉景勝の見てくれはあれでいいのか?必要以上に老けさせちゃっていないか・・・やりすぎると白けちゃうのだけれどなあ。三成と同世代と聞いたけど、とにかく景勝の眉毛は奇異だ。そして輝元には家康に対抗すべく4奉行が頼ったらしいが、そのカリスマはいったいどこへ。

 三成の、素っ頓狂なまでの真っすぐさを表すための若々しい造りを出すため、ふたりでバランスを取っているのか。もう撮影も終わっているけど、ちょっと修正してほしかったな。

(ほぼ敬称略)

【どうする家康】#39 徳川の大番頭・酒井忠次にお別れ、秀吉最期はホラー

秀頼誕生から秀吉の死へ、話が一気に進んだ

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第39回「太閤、くたばる」が先週10/15に放送された。早速あらすじを公式サイトから引用しておこう。

茶々(北川景子)に拾(ひろい、後の秀頼)が生まれた。家康(松本潤)の説得により、明との和睦を決めた秀吉(ムロツヨシ)。しかし、石田三成(中村七之助)たちが結んだ和議が嘘とわかると、朝鮮へ兵を差し向けると宣言、秀吉の暴走が再び始まった。都が重い空気に包まれる中、家康は息子の秀忠(森崎ウィン)を連れて、京に隠居していた忠次(大森南朋)を訪ねた。忠次から最後の願いを託され悩む家康に、秀吉が倒れたとの知らせが届く。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 今回を入れて残り10回。道理で進行にものすごく巻きが入った。前回終わりで懐妊を告げられた将来の秀頼は、今回頭でご誕生。終わりで秀吉が死んだので、今回だけで1593年から1598年まで突っ走ったことになる。

 主人公家康は、ようやく50歳超えかとうかうかしていたら一気に数え57歳へ。急に老けた神君だ。

 このドラマでは、そういえば千利休も出てこなかったし(たぶん)、秀次事件も家康のセリフ以外では取り上げない。茶々の妹である江が家康の嫡子秀忠に嫁いでいるのだし、あれやこれやが茶々3姉妹絡みであったのではないかと妄想が膨らむポイントだったが、それも無い。成長した初はどこだ?大坂の陣の講和交渉まで出てこないのか。

 色々あったはずなのにね、すごく大胆な割愛だ。

 そして秀忠と江夫妻にはいきなり千姫が生まれ、家康は、死に目の秀吉に、幼い彼女を秀頼と娶せるように言われ、承諾した。

 物語はホップステップジャンプ、バッタバッタとドラマの主要人物たちもこの世を去っていった。今回花道を飾った酒井忠次と双璧を成した石川数正、そして大久保忠世、服部半蔵。この3人はそれなりに見せ場の回があったが、死んだことなどは触れないのだね。天下を語る殿にとっては枝葉末節か。

 数正は名護屋で家康家中に会っていたのではないのか、死ぬ前に殿との邂逅の場面でも、と期待したがそれも無かった。井伊直政が「裏切り者」数正との同席を嫌がったという逸話は、いつの話なのか。それも無かったが。

 半蔵はまだ50代。どう死を迎えたのか、「どう家」なりの解釈で描いてほしかった気もするが、山田孝之を欲しがり過ぎかな。

 ちょうど良い記事があった。(「どうする家康」秀吉&忠次W退場だけじゃない…他に一気6人も没年 ついに関ヶ原2年後に迫る (msn.com)

 前回第38話「唐入り」(10月8日)のラストは、文禄2年(1593年)5月。史実上、第39話ラストの慶長3年(1598年)までに没年を迎えている今作の主な登場人物は、

 石川数正(松重豊)=文禄2年(1593年)10月(諸説有):劇中最後の登場は第34話「豊臣の花嫁」(9月3日)

 大久保忠世(小手伸也)=文禄3年(1594年):劇中最後の登場は第37話「さらば三河家臣団」(10月1日)

 豊臣秀次(山下真人)=文禄4年(1595年)劇中最後の登場は第38話「唐入り」(10月8日)

 茶屋四郎次郎(中村勘九郎)=慶長元年(1596年):劇中最後の登場は第29話「伊賀を越えろ!」(7月30日)

 酒井忠次(左衛門尉)(大森南朋)=慶長元年(1596年)(劇中と相違)

 服部半蔵(山田孝之)=慶長元年(1596年):劇中最後の登場は第38話「唐入り」(10月8日)

 足利義昭(古田新太)=慶長2年(1597年):劇中最後の登場は第38話「唐入り」(10月8日)

 豊臣秀吉(ムロツヨシ)=慶長3年(1598年)

 ということで、こちらの記事によると、茶屋四郎次郎も足利義昭もこの世を去っていた。義昭は前回のブログでも書いたようにご活躍があったから良いとしても、茶屋四郎次郎(中村勘九郎)はあのまま?ちょっと扱いが冷たい・・・と思ったら、中の人のリアル弟(中村七之助)が交代で石田三成として活躍し始めていた。そういうことかな。

希有な存在、家康のダブル叔母・碓井姫(登与)

 今回の見せ場は、酒井忠次の最期だった。初回を見返したくなるような「頼朝公の生まれ変わり」との同じセリフ。家康が岡崎に帰って久しぶりに対面した時に忠次の口から出た称賛の言葉が、また若き秀忠に対して出てきた。

 於愛に似て顔の彫りが深く明るい秀忠(森崎ウィン。「パリピ孔明」も良かったよ~)は、忠次による「本家」海老すくいを見たくてしょうがない。「願わくば一目だけでも本家本元のアレをと」と所望された忠次も、体調も構わずよっしゃとばかりに立ち上がるのだが、その時に、同時に気合を入れて立ち上がった妻の登与がとても微笑ましかった。

 「恐らくこれが酒井忠次、最後の海老すくいとなりましょう。とくとご覧あれ」と言った忠次は、縁側で登与の拍子で舞い始める。目を患っているのに落ちないか心配したが登与がいるから大丈夫。その後、秀忠に家康、井伊直政も交え、みんなで楽しく海老すくいと相成った。

 初回でも、登与は忠次と喜々として海老すくいを踊っていた。初回を懐かしく思い出させる仕掛けだろう。

 登与(碓井姫)は、家康の叔母。前も書いたが、珍しいことに彼女は家康にとって二重の叔母という希有な存在だ。確か家康の祖父清康が、於大を産んだ後の絶世の美女・華陽院(家康祖母)を妻に迎えて娘をもうけたのが彼女であり、父・広忠の妹であり、母・於大の妹でもある唯一無二の人だ。

 碓井姫は初婚ではないらしいが、それでも彼女を妻としてもらい受けている酒井忠次が、いかに松平の家で掛け替えのない重要人物であったかがわかる。駿府で人質生活を送る幼い主君に代わり、家中をまとめていけたのは、碓井姫を妻にし殿の義理の叔父の立場にあった忠次の他にいないだろう。

 しかも、その知力と武勇と、欠けることのない武将である忠次。正に完璧。彼が下剋上もせずに大番頭として存在してくれたのは奇跡だ。そうか、忠次に万が一にも下剋上をさせないための松平からの重しが、碓井姫だったのかな。

 家康も、忠次のありがたみは十分に身に染みていたようだ。「お主がおらねばとっくに滅びていた」と言っていたぐらいだから。

酒井忠次:唐入りはどうなりましょう?これで片付くとお思いですかな?

家康:(薬を煎じている)かつて信長様が言っておった。

忠次:信長様が?

家康:安寧な世を治めるは、乱世を鎮めるよりはるかに難しいと。

忠次:あ~、まさに。(家康に向かってにじり寄ってくる)

家康:うん?(右肩に両手を掛けられ)何じゃ?(両腕で抱きしめられる)ちょ、おいおい(笑)、やめよ。

忠次:ここまで、よう耐え忍ばれましたな。つらいこと、苦しいこと、よくぞ乗り越えて参られた。

家康:何を申すか。お主がおらねばとっくに滅んでおるわ

忠次:それは違いますぞ。殿が数多の困難を辛抱強くこらえたから、我ら徳川は生き延びられたのです。殿、ひとつだけ願いを言い残してようございますか。

家康:何じゃ。

忠次:天下をお取りなされ。秀吉を見限って、殿がおやりなされ

家康:天下人など、嫌われるばかりじゃ。

 ここで時は3カ月後に飛んでしまう。まだふたりの会話は続いていたのに・・・この脚本家の得意な手法だ。こんな大事な場面でお預けを食らうのは、やっぱりイラつく。もったいつけるのも大概にしてもらいたいなあ。

 ここで忠次に何を言われたかで、後の家康の心証は確実に変わる。どんな心持ちでその後を行動したのか、改めて録画を見直してみてね、ということなのか。

 そして3カ月後、雪のちらつく中、縁側で甲冑を身に着けるヨボヨボの忠次は「殿から出陣の陣振れがあったんじゃ(気のせいだろう)、参らねば」と登与に言い、立ち上がるが庭先で崩れ落ちた。登与は手伝い、ほどけた甲冑をひもで結ぶが、忠次は事切れていた。

 登与はそれと察し、亡くなった夫に向かって両手をつき「ご苦労様でございました」と頭を下げた。後述する秀吉と茶々との姿とは対照的な、徳川の屋台骨を支え合ってきた老夫婦の麗しい姿。書いているだけで涙がこぼれてくる、ベテランふたりによる名場面だった。忠次も数正も、理想的な良い妻を持っていたね。

 先ほどの忠次との会話の続きは、ドラマの最後にワープ、家康の脳内での回想という形でようやく見せてもらえた。

家康:天下人など、嫌われるばかりじゃ。信長にも、秀吉にもできなかったことが、このわしにできようか?

忠次:ハッ(笑う)・・・殿だから、できるのでござる。戦の嫌いな殿だからこそ。嫌われなされ。・・・天下を取りなされ!

家康:(忠次を見つめたまま、一筋の涙をはらはらとこぼす)

 家中の筆頭、大番頭として徳川をずっと見守ってきた忠次は、家康が弱虫泣き虫鼻水垂れであったことを十分承知だ。どう見ても頼りない殿であった。視聴者のこちらもずっこけるくらい。その忠次が「天下を取りなされ」と言ったから、家康の心に響く「天下取り記念日」になったはず。

 思えば、家康に期待される役割は表向きはナンバー2ばかりだったのに、本当は彼こそがトップに立つべきと考えていたのはEU的ユートピアを提唱していた瀬名だった。そこに、実子・信忠の存在をものともせず、愛ゆえに(?)国譲りを持ち掛けた信長もいた。後で書くが、秀吉もその列につながるか。

 徳川の家老双璧だったひとり、石川数正も家康に期待するからこそ、徳川を救うために我が身を捨てて去った。そして残る忠次が、死に際にしっかりと殿に覚悟を促した。

 こうやって、みんなが家康にトップに立て立てと優しく優しく誘導してくれての天下人家康誕生となるのだなあ。ガツガツ家康じゃなく、嫌だけど仕方ないなあ、の家康。神君だから生まれが違うのだな。

 家康が思い描いていた天下人の姿は、多分にそれは前任者らに影響を受けていたようだけれど、それを忠次は違うと笑った。「戦が嫌いだからこそ、出来る」という、忠次に見えていた有りよう。ここぞというところで勝ってきた彼が、出来ると言うのだから出来る、そう家康も信じられただろう。秀吉が死んだ今、瀬名の木彫りの兎を箱から取り出すのも、そろそろだ。

秀吉➡家康の国譲りは完了

 さて。サブタイトルが「太閤、くたばる」だから、それを書かない訳にいかない。今作の秀吉は、ゲスでも頭の切れるサイコパスだと巷間言われている。自分が死んだら豊臣も終わりだと理解していて、次は家康だともわかっている(というか、自分が家康から奪ったと思っている?)という点で、これまであまり見ないタイプの秀吉に思う。

家康:家康にございます。

寧々:おふたりだけに。

秀吉:秀頼を頼む。

家康:弱気になってはいけません。

秀吉:秀頼を・・・。

家康:無論、秀頼さまはお守りいたします。

秀吉:そなたの孫・・・千姫とくっつけてくれ。

家康:仰せの通りに。しかしその前に、殿下にはまだまだやっていただかねばならぬことが。

秀吉:秀頼をな・・・。

家康:殿下。(立ち上がり、近くへ)殿下。この戦をどうなさるおつもりで?世の安寧・・・民の幸せを願うならば最後まで天下人の役目を全うされよ。

秀吉:そんなもん。嘘じゃ。世の安寧など、知ったことか。天下なんぞ、どうでもええ。秀頼が幸せなら、無事に暮らしていけるなら、それでええ。(立ち上がり、家康の方向へ歩いてくる)どんな形でもええ。ひでえことだけは、のう?しねえでやってくれ。のう?頼む。あ・・・(家康に抱きとめられる)

家康:情けない・・・これではただの老人ではないか。

秀吉:ああ・・・天下はどうせ、おめえに取られるんだろう

家康:フフ・・・そんなことはせん。(秀吉を下ろし、背中をトントン)わしは、治部殿らの政を支える。

秀吉:白兎が、狸になったか。知恵出し合って話し合いで進める?そんなもん・・・うまくいくはずがねえ。おめえもよう分かっとろう。(家康を小づく)今の世は、今のこの世は、そんなに甘くねえと。豊臣の天下はわし一代で終わりだわ

家康:だから放り出すのか。唐、朝鮮の怒りを買い、秀次様を死に追いやり、諸国大名の心は離れ、民も怒っておる!こんな滅茶苦茶にして放り出すのか!

秀吉:ああ、そうじゃ。な~んもかんも放り投げて、わしはくたばる。あとはおめえがどうにかせえ。ハハハハハハハハハハハ!(咳き込む)

家康:死なさんぞ、まだ死なさんぞ。秀吉!(秀吉、息を止めているが堪えられなくなり、ハッと息をする。家康、様子を見ていたが)猿芝居が!(バン!と畳を叩く)大嫌いじゃ!

秀吉:・・・わしは、おめえさんが好きだったに。信長様は、ご自身の後を引き継ぐのはおめえさんだったと、そう思ってたと思われるわ。悔しいがな

家康:天下を引き継いだのは、そなたである。(座り直して)まことに見事であった。

秀吉:う~ん・・・すまんのう(頭を下げる)うまくやりなされや

家康:二度と、戦乱の世には戻さぬ。あとは、任せよ。

秀吉:(鈴を鳴らし)お帰りだ。(家康が去り、控えていた寧々が顔を出し、ほほ笑んだ)

 秀吉は、「後は任せよ」と家康が言って安心したようだった。力だけを信じる秀吉には、(三成へのカッコつけの二枚舌が、トラブルの種になるが)実は合議制は限りなく甘く見える策だし、自分が織田家にした仕打ちを考えれば、秀頼が天下人になることは考えられもしなかっただろう。秀頼が今後無事であれと願うのが関の山だった。

 しかし、家康はまさに人たらしのお株を奪う狸に!あれだけ「滅茶苦茶にして放り出すのか」とモンクを言い募っていた舌の根も乾かぬうちに、「見事」と褒めてやるのだから。そして、秀吉➡家康の国譲りは完了した。

この時を待っていた茶々

 物語的に盛り上げようとしているのは分かるのだけれど・・・割って入る役回りなのが茶々。母に誓った「天下を取る」の言葉を実現しようと、ここまで全身全霊で彼女なりに戦ってきたのだ。

 秀吉が倒れた時、茶々以外の全員が慌てて秀吉に駆け寄っているのに、彼女は庭の隅でゆっくりと立ち上がり、青白い炎が立ち上ったような表情からもこの時を待っていた感が溢れ出ていた。そしていよいよ秀吉の臨終の場面でも、苦しむ彼の手から呼び鈴を遠ざけ、一言。

茶々:秀頼はあなたの子だとお思い?(かぶりを振って)秀頼はこの私の子。天下は渡さぬ。後は私に任せよ。猿。

秀吉:(ニヤリと笑って事切れる)

茶々:(顔を見て死を確認、秀吉の亡骸を抱きしめ、泣く)

 秀吉が笑ったのも、おめーさんにはできねえよ、徳川殿も大変なこって、後の顛末は地獄から見せてもらうよ、といったところか。やっぱり女狐の茶番だったか、わかってたよ、という気持ちもあったかな。

 秀吉が死んでいく顔は、あまりにリアルに見えて、血のりも相まってほぼホラーだった。NHK大河でここまでやるのか。昨年の「鎌倉殿の13人」でもワダッチこと和田義盛の死に顔がリアル過ぎて、しばらく夢にも出てきて困ったが、秀吉の死に顔が出てきたらやだなあ。

 その後、和田義盛を演じた横田栄司は体調を崩したとのニュースを見たが、茶々の北川景子は大丈夫か。(本人の考えはともかく)役の滅びに魅入られてしまったかのような竹内結子の気の毒な例もあるし、つくづくメンタル的にタフじゃないとできない禍々しい役が茶々だと思う。

 茶々は、血を吐く秀吉の顔を両手でつかみ、死んだと分かって抱きしめて泣いた。秀吉への愛憎など諸説あると思うが、その時の茶々の主な感情は「母上、とうとう茶々は復讐をやり遂げました」の方だろう。とても素直な泣き顔に見えた。信じられないくらい精神的負担の大きい生き方をしてきて、耐えて耐えて耐え忍んできて得た結果だから、達成感は大きかったと思う。

 今後は茶々が三成らを翻弄して家康と戦っていく路線。茶々の戦いは続く。北川景子には頼りになる夫・DAIGOもいて美味しいご飯を作ってもらえると思うが、心身の健康にはどうぞケアを怠りなく、茶々を演じ切ってほしい。

秀吉の言葉と茶々に翻弄される三成

 秀吉の良い面だけを見せられ、言い残された三成も気の毒な。「天下人は無用と存じまする。豊臣家への忠義と知恵ある者たちが、話し合いを以て政を進めるのが最も良き事かと」と具申したら、秀吉は「わしも同じ考えよ。望みはひとえに世の安寧。民の幸せよ。治部。よい、やってみい」と認められた。

 三成は嬉しかっただろうが、そこは二枚舌、三枚舌の秀吉だ。既に引用したように、家康には異なることを言った。そちらが本心だろう。 

 「天下人を支えつつも、合議によって政を成す」という三成の理想は・・・その試みはこれまでも先人がやり続けて、合議体が形骸化して戦乱に陥るの繰り返しだったのだと思うが、三成亡き後260年も続く完成形が徳川の世で叶うことになる。皮肉だ。

(敬称略)

【どうする家康】#38 傾城の女狐・茶々は意志を秘めて悪女全振り、家康の防波堤は阿茶局

なんかちょっとマンガチック

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第38回「唐入り」が先週10/8に放送された。あと10回かと思うと感慨深い。残り10回で、女狐お茶々を打ち破って天下泰平の世を築けるのかタヌキ家康!狐と狸の化かし合い!みたいな流れになってきた。

 何とも善悪がはっきりし過ぎ、茶々が全部悪を被る方向(でも麗しい悲劇のヒロインなのよ)なのがどうもマンガチックだ。ジャニーズ崩壊といえど、松潤を悪者には「絶対」しないんだろうね。既定路線、当たり前か。そう考えると、岡田准一は爽やかとは縁遠い、思い切った信長を演じたものだ。

 公式サイトからあらすじを引用する。

天下統一を果たした秀吉(ムロツヨシ)は、次の狙いを国外に求めた。江戸開発に勤しんでいた家康(松本潤)をはじめ、諸大名を肥前名古屋城に集め、唐入りを命じる。朝鮮に渡った加藤清正たちから連戦連勝という知らせが届き、秀吉はご満悦だが、家康は苦戦を強いられているという裏情報をつかむ。家康は石田三成(中村七之助)と共に渡海しようとする秀吉を必死に止めようとする。そんな時、家康の前に茶々(北川景子)が現れる。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 今作の茶々は、全身全霊を懸けて目的を果たそうとしている。死に際の母と約束した「母上の無念は茶々が晴らします。茶々が天下を取ります」(第30回)との、その言葉だ。

 ロックオンした秀吉は既に籠絡済み。このドラマでは南殿も出てこないし鶴松は秀吉の初子の設定なので、茶々の魔法もより強力だ。そして今回、次のターゲットである家康の心を奪っておこうと、秀吉が大政所危篤で肥前名護屋を離れている間に、茶々は家康の陣所に美々しく出現した。秀吉に困ったら頼れと言われたのは前田利家だったのに、わざわざ策略を胸に出向いてきた。

 天下の美女・北川景子が本気で演じる茶々の涙顔は何と美しいことか。あんなに間近にあの美しい顔があって、さらに両手でしっかり手を握られ涙ながらに懇願されたら、迫力に負けて内容はともかく誰でも何でもOKしちゃいそうだ。

茶々:やにわに押しかけて申し訳ございませぬ。何か困ったことがあらば家康殿にご相談申し上げよと殿下が。・・・何か?

家康:いえ。

茶々:母に似ている・・・よく言われます。

家康:(座敷に招じ入れて)お困りな事とは?

茶々:ずっと家康殿とお話がしたかったのです。我が母の事。母からよう聞かされておりました。あなた様は母がお慕い申し上げた御方だったと。

家康:いや・・・そのようなことは。

茶々:隠さなくてもようございます。北ノ庄城が落城する中、母は最後まで家康殿の助けを待っておりました。なぜ、来て下さらなかったのですか?

家康:(頭を下げて)済まなかったと思っております。

茶々:時折、無性につらくなります。父と母を死なせた御方の妻であることが。

家康:殿下を恨んでおいでで?

茶々:わかりませぬ。手を差し伸べていただいて感謝もしております。でも、はしゃいでいなければどうかしてしまいそうな時も。(すすり泣く。立ち上がり、家康のそばに来る)茶々は、ずっと思っておりました。あなた様は私の父であったかもしれぬ御方なのだと。真の父は、あなた様なのかもと。

家康:滅相も無い。

茶々:父上だと思って・・・お慕いしてもようございますか?茶々は(両手で家康の手を取り、胸元に引き寄せる)あなた様に守っていただきとうございます。

家康:もちろん・・・お守りいたします。私にできる事あらば何なりと。

阿茶:殿、そろそろ。

 母・お市の方は気高い敗軍の将として振る舞ったのに、茶々、こんなにも母について嘘をつきまくって、お市に恨まれるぞ。

 だけれど、軽々しい思い付きではなく、自分で覚悟を決めて北ノ庄落城当時から実行している復讐の一環なんだろう。ちゃんと母の思い出話で「実は母が慕っていたのはあなた」と家康をキュンとさせ舞い上がらせておいてから、「父として慕っていいか」と、NOを言いにくい攻め方をしている。

 この時に利用した「家康がわれらの父だったかもしれない」ロジックは、お市が生前に次女のお初にぶつけられていた。明確に否定をするお市の話を全然聞かずに暴走するお初の妄想が不自然で、将来のトラブルメーカーになるのを案じてその時の回のブログにも書いたのだった。そのお初の言ったロジックを今になって利用してきたのは、その場では妹の話を否定したお茶々の方だった。怖ーい。

初:母上は、徳川殿に輿入れするかもしれなかったというのは誠でございますか?

市:えっ?誰がそのような・・・。

江:そうなのですか?

市:嘘じゃ。幼い時分に顔見知りであっただけ。

初:もしかしたら、私たちの父上は徳川殿だったかもしれないのですね

茶々:つまらぬことを申すな。我らの父は浅井長政じゃ。

(第30回「新たなる覇者」より)

toyamona.hatenablog.com

 家康はあっさり「お守りいたします」との言質を取られてしまった。その時、茶々はほくそ笑んでいた。この言葉だけでも将来どんな災いが降りかかるか・・・阿茶が「殿、そろそろ」と場に切り込んできてくれなかったら、いったいどれだけの約束を家康はさせられていたことか。

 お茶々との戦いに登場した、とても頭の切れる生徒会書記風の阿茶も良かったが、このドラマの北川景子のあざといお茶々がとても良い。申し訳ないけど「西郷どん」の篤姫は、きれいどころなら誰でもできそうな出来だった。今回は一味違う。

 「真田丸」のメンヘラで食べづわりの淀殿を演じた竹内結子も、個人的にとても気に入っているが、竹内お茶々がかなり辛そうで気の毒な人生を歩んでいたのに対して、北川お茶々は復讐への戦闘意欲満々なのが清々しいほど。3人姉妹の状況と、どう憎い秀吉と家康に対峙するかの筋立てを全て企み、強い意志を以て遂行してきたように思える。

 ドラマとしては悪女の立ち位置でも、北川景子は生き生きと演じている。代表作になりそうだ。

このための古田新太だったのか

 ところで家康は、阿茶のしっかりとした教育のお陰か、秀吉に茶々から離れるように助言した。茶々としては思惑外れの行動か。

家康:改めて大政所様、お悔やみ申し上げます。

秀吉:うーん。わしは阿呆になった、皆そう思っとるらしい。狐に取りつかれとる。このわしが、小娘相手に思慮を失うと思うか?

家康:恐れながら、茶々様は遠ざけられるべきと存じまする。あの御方はどこか計り知れぬところがございます。人の心にいつの間にか入り込むような。

秀吉:わかっとる!わしゃ、み~んな全て分かっとる。のう?あれで政を危うくはせん。(真顔になって)茶々は離さんぞ。

家康:殿下のお心を惑わす御方。

秀吉:(膳をぶちまけて家康に詰め寄り)茶々を愚弄するのか。図に乗るなよ・・・わしは太閤じゃ。その気になれば徳川くらい潰せるぞ。

家康:(睨み合ったまま)かつての底知れぬ怖さがあった秀吉ならば、そんなことは口にすまい。(秀吉の腕をつかんで)目を覚ませ。(秀吉の腕を引っ張り、つかみかかられた手を外させて)惨めぞ、猿!(払って秀吉を畳の上に転がす)

 おおお!ようやくか・・・ようやく神君家康公はここまでのご成長。あの弱虫泣き虫鼻水垂れの殿が。齢50歳(数えで51歳)を超え、とうとう戦国の覇者・太閤秀吉にこんな口が叩けるようになった。かえって家康としては強く出すぎてやしないかと冷や冷やするぐらいだ。

 ここで、タイミングを計ったような闖入者が。まさかの元将軍・足利義昭(出家して昌山)だったのが面白かった。以前に出てきた義昭だけではかなり物足りなくて、申し訳ないが「古田新太の無駄遣い」と前に書いたかもしれない。だが今回「そうかーこのための古田新太だったんだな」と納得した。軽やかに、言いたいことだけ言って出て行った。彼にぴったりだ。

忠勝:お待ちを!

昌山:よいよい構うな、わしは将軍だ。(家康と秀吉のいる部屋に入ってくる)おう、また来たぞ大納言。太閤殿下も一緒だと聞いてな。3人でやろうではないか。

忠勝:今度にしてくだされ。

昌山:1杯だけじゃ。将軍だった頃はな、この世の一番高い山のてっぺんに立ってるようなもんでな、下々の者がよ~く見えた。何もかも分かっておった。そう、思い込んでおった。(秀吉の顔色が変わる)だが、実のところは全く逆でな。霞がかって何も見えとらん。周りが良いことしか言わんからじゃ。自分はそうはならん。そう思っておっても、なるんじゃ。遠慮なく厳しいことを言ってくれる者がおって、どれだけ助かったか。てっぺんは独りぼっちじゃ。信用する者を間違えてはならんのう。・・・さて、伊達のところに行くか。あいつは酒が強いからの。

 この義昭に厳しいことを言ってくれたのは誰だったのだろう。出てこなかった細川藤孝か?「麒麟がくる」の明智十兵衛光秀だったなら、確かに厳しいことも言っただろう。でも、この「どうする家康」の光秀だと、ぜーんぜんそんなことは無さそう。

 古田新太の昌山が、光秀や信長を振り返るセリフは今後あるのかな。どう死んでいった彼らを評するのか、聞いてみたいものだ。

 さて、義昭(昌山)が一瞬の嵐のように去り、毒気が完全に抜かれた秀吉は家康に「おめえさんはええのう、わしには誰もおらんかった」云々と言い出した。そして「自分が本当は何が欲しかったんだか」分からずに欲望の塊になったという母の最期の言葉に思いを馳せ、家康に「わしを見捨てるなよ」と一言。黙ってうなずく家康。

 この後のシーンで秀吉は茶々に京に帰るように告げ、「殿下と一緒に唐に渡るのでは?」「茶々は、殿下のおそばにいとうございます」と詰め寄られて泣かれても秀吉の決意は変わらなかった。

 これで茶々は完全敗北かと思われたが、終わり際で逆転満塁ホームランをかっ飛ばした。皆が無理だと思っていたこと=再度の妊娠を果たしたのだった。これで秀吉は理性のネジがぶっ飛んだ。

 まさに傾城の女狐・茶々。次回、カオスを遺して秀吉がこの世を去るとすると、今度は三成が茶々に翻弄される番だ。この純情っぽい三成だと、ひとひねりだろうな。既に朝鮮出兵で大陸に渡り、疲れ切って帰国していたやつれっぷりが見事、気の毒だったのに、三成も大変だ。

 昨年は「全部大泉のせい」だったけれど、今年の今後は「全部茶々のせい」で朝鮮出兵も続き、関が原も大坂の陣も引き起こされる事になりそうだ。となると、家康の防波堤としての阿茶局の存在は大きくなっていくね。

服部半蔵の出番がまだあった

 前回、大久保忠世(1594年没)もそうだけれど、史実的にそろそろ亡くなる服部半蔵(1596年没、酒井忠次と同じ)の見せ場の回でもあったのかなと書いたところ、今回もまだ文禄の役(1592年~93年)の頃の話で、山田孝之の半蔵が大鼠とともに活躍した。

 彼らは、実際に朝鮮半島に出兵している家中の、現地とのやり取りの手紙等を潜入して入手し、現状を家康が把握することに貢献した。明の助けを得た朝鮮が反転攻勢、水軍がやられ補給が途絶え、現地の寒さにもやられ、日の本の国の軍は苦戦していた。

 肥前名護屋には重臣が本多忠勝ぐらいしか来ていないらしく、本多正信も姿が見えない。オープニングにも榊原康政や井伊直政ら最近の常連の名前が無かったから寂しいものだ・・・と思ったところ、タイトルロゴ明けにドーンと表示されたのが大鼠・松本まりか。そこに来るか~と期待が湧いた。

 大鼠を呼ぶとき、半蔵は指笛がなかなか鳴らせなくて、結局「おい」と呼んだら「呼んだか?」と大鼠登場。半蔵は相変わらずの面白担当だ。今後、山田孝之がいなくなったら面白はどうするんだろう。

 そういうドラマの作りもあるが、後述するが、今回見返した「真田太平記」との忍びのノリの違いよ。「どう家」では明るく面白く、大して苦労もしていないように見えてしまう忍び達。「真田丸」でも佐助を演じたのが藤井隆だったので、完全に面白担当だった。忍びは自由だから面白担当にしやすいかな。他方、「真田太平記」では暗く重く痛そうでしぶとい戦いを、主のために忍び達が続け、命を無駄に落としていっていた。

 忍びは人とも思われない、と言ってみても、「どう家」では、家康が忍びにも思いやりがある行動をする設定なので、あんなに明るく家康と話せてたじゃん、と思ってしまう。「真田丸」「真田太平記」では、「あの御方は人扱いしてくれる」と喜ぶ忍び達だが、あくまで控え目だ。ドラマを見比べてみると面白いものだ。

 次回は酒井忠次の終わりの回で、たっぷりと忠次の見せ場があるようだ。ということは、同年に死ぬからには服部半蔵も華々しい終わりが描かれるか。そして慶長の役が始まり、秀吉の死。しっかり見届けたい。

「瓜売り」比べ

 さて、こんなことに注目したのは私だけかもしれないが、肥前名護屋城で退屈しのぎに秀吉が催した遊びの瓜売りの謡いが気になってしまった。はっきりと耳に残っている「真田丸」のものとは明らかに違った。

  • 真田丸:味良しの瓜 召されそうらえ 召されそうらえ
  • どうする家康:味良しのう~りうり 召され 召され 召されそうらえ、 味良しのう~りうり あじか かわし 召されそうらえ
  • 真田太平記:瓜よ瓜 味良しの瓜を 召されそうらえ

 思いついて「真田太平記」の録画も引っ張り出して見てみた。第15回「暗闘忍びの群れ」の回で、長門裕之演じる秀吉が謡っていた。

 今回の「どうする家康」では、異国人の笛の演奏付きで家康の「あじか売り」も輪に加わり、皆でどんちゃん騒ぎをする体で「味良しのう~りうり」が唄われていた。途中の「あじかかわし」はどういう意味だろう。あじか(ざる)に攫われないうちにお召し上がりを、ということか。

 期待の佐藤浩市の真田昌幸はここでは登場してこなかったが、彼の扮装は何だったのだろう。

 「真田丸」第26回のその名も「瓜売」では、秀吉お声がかりの「やつし比べ」で、秀吉と、同じ瓜売りでバッティングしてしまって悩む草刈正雄の真田昌幸が、同じ節回しを別々に謡っていた。(もちろん優勝は秀吉。昌幸は秀吉を憚って「急な病により」当日欠席、忍びの佐助に教わっての瓜売り練習がムダになった。危篤の母・トリの枕元で披露しても「うるさい」で終わった。)

 各番組を作る側としては、少しでも節回しに変化をつけ差別化しようとしたのかなあ・・・要らない差別化だ。「どう家」バージョンは、どうもうるさい。「真田丸」の方が自然で、軍配を上げたい。

 ちなみにタヌキ比べをすると、

  • 「真田丸」の内野聖陽演じる家康は、太って出っ張ったお腹をわざわざ出して見せての熱演で、いかにもタヌキ親父だった。役のために太ったんだろう。
  • 「真田太平記」の中村梅之助は、最初からタヌキ親父のイメージどんぴしゃり、そのまま家康であるかのよう。しかし50歳にも見えず、もっと老けて見える。
  • 「どう家」松潤はどうしても小顔で若く姿も細く美しく、タヌキと呼ぶには未だかなり躊躇がある。
家康は自分に「腹を召す」?

 瓜売りの「召されそうらえ」でも出てきた「召す」という言葉。重要なシーンで家康の口から出てきた時、ちょっと面食らった。どうした家康!

 一瞬何を言ったのかと思って確認したら、家康は「腹を召しまする」と自分に尊敬語を使っていたのだった。えええー、そんなバカな。腹を切るでいいじゃんね。

 「お腹を召されませ」「腹を召されたそうな」と他人の話なら「腹を召す」で当然わかる。けれど、今回のセリフには「?」だ。それとも、切腹という行為は武将として尊敬すべき特別なものだから自らに対しても「召す」の言い回しを使ってもOKという使用法でも存在するのか?

 そんな話、聞いたこと無い。誰か、国語の得意な人の解説が無いかな。

石田三成:嵐が多く海が荒れる時節に差し掛かります。海が静まるのを待ってから、殿下には悠々と御渡りいただくのがよろしいのではないかと。

家康:殿下はこの日の本には無くてはならぬ御方。万が一があればまた天下は乱れましょう。どうかお考え直しを。

侍女たち:茶々様!

茶々:(いきなり入ってきて)我的名子是茶茶!我が名は茶々である。ウフフフ。

(略)

秀吉:茶々、少し外しておれ。のう?(茶々、不服そうに家康に一瞥をくれてから廊下に出る。立ち止まり聞き耳を立てている)

家康:殿下。差し出がましいことを申し上げます。若君様の事、心よりお悔やみ申し上げます。茶々様の御心を思えば、その悲しみいかばかりか。されど、それと政は別の事。

秀吉:あ~大納言。そなたは余が茶々を慰めるためにこの戦をしているとでも申すか?アハハハハ。余計なお世話じゃ。(膳をひっくり返す。その音で三成が驚き、茶々が逃げる)おめえが口出しすることではねえ。余は日の本の民の為、明・朝鮮の民のために唐を斬り従えるんじゃ!(立ち上がって出て行こうとする)

三成:殿下!(先回りして廊下へ)殿下に先んじてこの三成と(大谷)刑部、そして増田長盛が朝鮮へ奉行として海を渡り、じきじきに指図をいたしまする!そして御座所を設け・・・。

秀吉:どけ!(三成を蹴り飛ばす)

家康:お待ちくだされ、殿下。(廊下に脇差を差し出し、通せんぼして座る)どうしても参られるのであれば、この家康、ここで腹を召しまする!殿下のお代わりは殿下しかおりませぬゆえ。

秀吉:(暫し考え、無言で立ち去る。家康と三成が揃って頭を下げる)

三成:徳川殿・・・我らの留守を、よろしくお頼み申し上げまする。

家康:御武運を。

 鶴松を亡くした直後、秀吉の「次は何を手に入れようかのう」で既にビビっていた三成。秀吉が間違ったら止めると言ったじゃないか・・・ということで、家康と二人がかりで秀吉の朝鮮半島への渡航を何としても止めるという、とてもいい見せ場だった。

 逸話によれば、実際の浅野長政が担った役割を受け継いだような家康の決死の言葉だった(浅野長政 - Wikipedia)。リアルの家康は、ここまで積極的に秀吉を止めていたのだろうか?

 浅野長政は「おんな太閤記」では尾藤イサオが気の弱い感じで演じていたと思う。秀吉正室の「ねね」の妹の「やや」と結婚しており、秀吉とは相婿同士だ。口の立つ浅茅陽子のややに完全にやり込められていたおとなしめな夫、秀吉にも相婿というよりも従順な家来だった。

 今作にもちゃんと浅野長政はいた。「おんな太閤記」の長政よりは重々しい。「どうかしておる!正気の沙汰とは思えませぬ。バカげた戦じゃ。殿下はどうかされてしまわれた。(つまみ出されながら)殿下は狐に取り付かれておる!狐に取り付かれておるんじゃ。もう昔の殿下ではのうなってしもうたわ!」と、一同の前で叫んでいた。

 義理とはいえ弟、秀長亡き後には唯一の存在だったはず。仲さんがよそに儲けたか、惨めに処分された秀吉のかわいそうな弟妹の話はなかなか大河ドラマでは出てこない。

 この長政の役者さん、どこかで見た。長政は旭姫に付き従って浜松に行ったはず。そこで出てきていたろうか。

 長政は、秀吉と姻戚であり長い付き合いだからこそ、身内の責任を感じていただろう。ドラマでは「浅野殿にはよく言って聞かせます。ここは家康にお預けくださいますよう」と秀吉をなだめ長政を守る側に回った家康にポイントが入った。

 しかし、後には家康も長政に従うか。寧々を含め、入れ代わり立ち代わり、秀吉を止めようとした人たちはいたんだろう。でも、結局止めきれない。ドラマでは戦を煽る滅びの女狐も存在するから。

 権力者が独断でする戦争は本当に迷惑だ。今のロシアでも、どれだけの人たちがプーチンを止めようとして処分されていったのだろう。現代になっていても、秀吉のように彼が死ぬまで、ロシアは戦争を止められなさそうだ。

 それに、プーチンが死んだ時点では既にお隣中国がロシアにつられて戦に足を踏み入れ、引き返せなくなっていそうなのが怖い。

 そうなったら、日本で大河ドラマどころでもなくなる。楽しむのは今のうちだ。

(敬称略)

 

【どうする家康】#37 「さらば三河家臣団」大久保忠世と半蔵(?)惜別の花道回、酒井忠次はどこに

徳川家臣団も老いていく

 NHK大河ドラマ「どうする家康」の第37回「さらば三河家臣団」が10/1に放送されたのだが、酒井忠次が出てこなかった…と思ったら、オープニングには「酒井忠次 大森南朋(回想)」の表記になっていた。忠次が「回想」だけなんて、前回もチラッと出ただけだったし、彼もとうとう…。

 とにかく、心を落ち着けてあらすじを公式サイトから引用する。

茶々(北川景子)が秀吉(ムロツヨシ)との子・鶴松を産んだ。勢いづく秀吉は、北条攻めを決定。和平を主張する家康(松本潤)に秀吉は先陣を命じ、勝てば北条領を全て与えると言う。しかし、それは故郷・三河を離れる事でもあった。家康は家臣たちに事情を話せないまま、出陣を命じる。秀吉が20万もの大軍で小田原城を包囲する中、家康は氏政(駿河太郎)に降伏を促すが、全く応じようとしない。氏政には関東の雄としての意地があった。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 小田原征伐の結果、天下統一を果たした秀吉に旧北条領への国替えを言い渡された家康。当時は未だ湿地で大掛かりな開発を必要とする江戸へ行けと言われた上に、有力家臣もそれぞれ領内で城持ちとせよと言われてしまう。つまり、江戸の開発で多大な出費をさせ、強固なつながりを誇る徳川家臣団をバラバラにする秀吉の思惑は明白で、家康は悔しがる。

 家康は家臣らの反発を予想していたが、「異論は認めんぞ!」と強く出たところで「関東も良いところに相違ござらん」「我らはとっくに覚悟ができており申す」「新たな領国を収めるのもまた、大いにやりがいのあること」と返されて肩透かし。国替えは本多正信⇒大久保忠世によって予め伝えられ、下ごしらえはできていたのだ。

 そのように、見えないところで徳川家臣団の暴れ馬たちをドウドウヨシヨシして貢献してきた大久保忠世は、これまで北条家が拠点としていた重要な小田原城を任されることになり、花道を飾った。

 北条討伐でも、オープニングアニメになっていた「蝶」の旗指物を背に巨体を揺らしてジャンプ!大丈夫か、と見ながら心配になった。その前にも、本多正信の機転で国替えは避けられないと忠世が同僚たちに告げた時には、すっかり鬱憤晴らしの的にされ、庭に転がされて泥塗れ。ほんとに中の人は大丈夫か・・・転がる時にはちゃんと受け身だったらしいから、柔道経験者?なら平気なのか。私なら骨折するところだ。

 鬱憤晴らしの的になりつつも、泣きに泣く仲間に「気は済んだか」と声を掛け、甘んじて耐える忠世は頼りになる兄貴分だった。そんな忠世を家康もしっかり評価しており、その結果が小田原城となった。

 忠世は隠居間近な年(当時58歳前後)だとか何とか言っていたが、嫡子の忠隣も優秀だし、大久保一族は頼りになるしで小田原城を任せるには適任だったのだろう。大久保一族についてはついつい後の事件まで先走って頭に浮かんでしまうが・・・それは置いとこう。

 家臣団がそれぞれ任地を告げられ、江戸での再会を誓う場面は感動的だったが、もうほぼお約束となった服部半蔵(山田孝之)のニヤニヤするおとぼけがここでも嚙まされてきた。

 「どこかやる」と約束してもらった半蔵が、殿と江戸に行ったからこその、現在も残る半蔵門だ。近くの西念寺は半蔵が(ドラマでは介錯した)故信康の供養のために開こうとした寺で、半蔵のお墓も信康の遺髪を埋めた供養塔もある。

 ・・・と西念寺のHP(お寺の由緒・歴史|浄土宗西念寺|新宿区の四谷にある服部半蔵が開基したお寺 (yotsuya-sainenji.or.jp))を確認しながら書いたのだが、半蔵は「しかしながら寺院建立を果たせず、文禄4年(1595)11月14日、55歳で正念往生なさいました」とある。ウィキだと1596年になっているが、お寺の方が正しそうだ。

 半蔵は開基の立場ではあるけれど、「寺院建立を果たせず」と言うからには寺の完成を待たずに亡くなったか?と思ったら、開山は「文禄3年(1594年)専譽念無上人」とのことで、半蔵の死の前年。え?こういったことに疎く、混乱した。

 とにかく半蔵は55歳で亡くなるのか。小田原合戦が1590年だから、たった5年後だ。先ほどの大久保忠世が没するのは1594年だから、その翌年だ。

 ウィキの「徳川十六神将」のページ(徳川十六神将 - Wikipedia)からドラマの出演者だけ生没年を抜粋して引用させていただき一部追記、そして本多正信と家康をリストに加えた。

 鳥居元忠のように戦死する場合もあり、総じてやはり若いと感じてしまう。最たるものは井伊直政だ、もったいない。寿命の蠟燭を比べるようで寂しくなるが、小田原征伐の1590年を基点とすると、忠世はあと4年、後を追うように半蔵、忠次が関ヶ原の戦いを前に世を去っていく。

 そう思うと、今37回は忠世の花道の回だけでなく、実は半蔵の見せ場の回でもあったのだ。だから半蔵は手裏剣もまぐれで当たるし、あんなに北条との戦いでの活躍が描かれたのか。

 山田孝之の半蔵は最後、笑顔を消して微妙な表情をした。あれが半蔵の終幕?もうニヤニヤ出てこないのか、寂しいことだ。大鼠との息子役で再登場してはどうだろう。

酒井忠次はどこに

 小田原での三河家臣団解散!の場に、家臣団のリーダー・酒井忠次がいなくて寂しかったが、彼は京にいたはずだ。家康が、旭姫に「このまま大政所様の下にいて差し上げたら」と勧めた時に、忠次は「おお、それは良うございます。私も、京勤めとなりましたので」と前36回の「於愛日記」で言っていた。

 ドラマでは「京勤め」なのだが…ここでまたウィキペディア先生にお出ましを願うと、史実の忠次は眼病を患ってほぼ失明したため小田原征伐の2年前の1588年に家督を譲って隠居、秀吉から京都桜井に屋敷と世話係の女、在京料として1000石を与えられたとか。出家して「一智」と号したそうだ。(酒井忠次 - Wikipedia)そして、前述のように1596年には亡くなる。

 石川数正や大久保忠世らがあれだけ特別なお別れの回で送られているのだから、酒井忠次ほどの者が旭と家康の夫婦の会話に引っかかるぐらいでの退場は無いはず。きっと彼を盛大に送る回があるはずだ。

 ちょうど「やまコレ」(やまコレ どうする家康スペシャルトークショーin鶴岡 - #どうする家康 - NHKプラス)という番組で、酒井忠次の中の人・大森南朋の山形県鶴岡市でのトークショーを扱っていて、10/6にNHK+にアップされていた。

 鶴岡は忠次の子孫が治めた土地だ。大森南朋は、妻・登与さんのモデルになった忠次の正室・碓井姫の像とツーショットを撮影していたのが微笑ましかった。その像の福々しいお顔が、登与さんの中の人・猫背椿と何となく似ている。

 ショーには、「どうする家康」の磯智明・制作統括も出演していた。

磯:「家康自身もこのドラマではマイペースなところもあったりするので、実際に徳川というチームを動かしていたのは酒井忠次だったのではと思い、普段は一歩引いているがここぞという時は前に出て殿に対して厳しい意見を言う。殿もいろんな家臣団の意見を聞くけど、酒井忠次の(意見)については、きちっとそれを受け入れるような態度を取っていく感じで(ドラマでは)描いていますね」

とのことだった。そして今後の見どころとして、こう言った。

磯:これから家康の関ヶ原・天下取りに向けての大きな物語が始まっていくと思います。この前、石川数正が出奔したように、だんだんと三河家臣団のそれぞれが散っていったりとか、家康の下をいろんな形で去っていく別れも大きな見どころなんですよね。

 いずれ、この酒井忠次と家康の別れのシーンも出てくる。酒井忠次が最後に家康に伝えるメッセージが、物語上、石川数正と同じくらい、もしくはそれ以上に大きな家康を動かすインパクトのある言葉になっていくと思うので、そういう大きな物語を期待してご覧頂ければと思います。

 徳川家の裏の舵取りは、今回を見ると本多正信と阿茶に移ったようだったが、やはり、忠次があのまま終わるわけがなかった。別れは次回ぐらいに描かれてもおかしくないぐらい近くなっていると思うけれど、彼は大きな影響を家康に遺して去るらしいので、期待して見届けたい。忠次~!

 そうそう、忠次十八番の「海老すくい」は、唄も踊りも一から取材をして作り上げたこのドラマオリジナルだとか。宴会芸だと侮るなかれ、大森南朋曰く、踊ると汗びっしょりになるそうだ。海老すくいのせいでオファーを断らないよう、いかにも何でもないと思わせられてきたのに様々な場面で踊ることになって「海老すくい詐欺」にあったと思ったそうだ。でも、家臣団の空気を保つために大事な舞だ。

 大森南朋は、演じる酒井忠次について;

大森:武将としても一流、非常に強い戦国武将であると思いますし、統率力、家臣団をまとめる力(がある)。底抜けに明るく自分を見せて、家臣たちを納得させていく。とにかく、強い心を持ち、優しく明るい人だったのではないかなと僕は思っております。

 酒井忠次の最後の回もぜひお楽しみに。海老すくいがあるのかないのか?ご想像にお任せいたします。

とのこと。石川数正が去って寂しそうだった酒井忠次も去るか。先ほどの表で確認してしまったが、最後まで残るのは家康と正信、阿茶、そして渡辺守綱だけなのか。もう物語も終わりが見えてきた。

三成と家康、同じ星を見ていたのに

 秀吉は今回、四公六民という善政を施し民にも慕われていた北条家を滅し、一統を成し遂げた。当時は、酷いと七公三民なんて民から搾り取る武将もいたらしいから、北条は凄い。後に移ってきた家康が、善政のつもりで五公五民でどうだー、とやったら「ウチはずっともっと良くしてもらってた」と旧北条の民から返されたとの逸話は、今後出てくるのか?

 ドラマでは、ようやく降伏した(と言いながら、氏直と違ってまだ甲冑姿の)氏政に、家康が「なにゆえもっと早くご決心なさらなかったか」と問うた。この時、氏政の口からまた瀬名のユートピア論が飛び出したのにはちょっと面食らったものの、民を大事にしてきた北条だからこそ、瀬名の話は響いたのかもしれない、とは思った。

 この時、その場にいた榊原康政はハッとしたように見えたが、家康は顔色を変えなかった。一番心の柔らかい部分を突いてくる瀬名に関する話でも、いつの間にか殿は狸に化けられるようになっていたか。

 気づけば家康の声音は以前からすると低い。そろそろ数えで50歳。最近の家康は物語の進行に従って坂道を転げ落ちるように年齢も重ねているから、役者さん(松潤)は声で加齢を表現するか。声って年を取っても一番変わらないと言われてなかったかとは思うが面白いものだ。

 秀吉は北条を滅ぼし、少し違うかもしれないが「人を呪わば穴二つ」という言葉が浮かんでしまった。一統の反面、秀吉の身内には不幸が続いた。旭、秀長、そして鶴松だ。次回予告では仲が死に、もしかしたら早々に秀吉ご本人も?ドラマの進行も巻きが入っている。

 本作では多忙だと言われながらも長々と星を眺め、家康に「気が合いそうですな」との人懐こい登場の仕方をした石田三成が、今回、徳川陣営を訪ねてわざわざ警告をした。織田信雄が国替えを断ったら改易されたと。親切だね、それより三成、忍城の方は大丈夫?

本多正信:殿、客人でございます。

家康:治部殿。

石田三成:小田原を制したご挨拶に。また、関東へのお国替え、おめでとうござりまする。

家康:そのことは、殿下ともう一度話し合うつもりじゃ。

三成:織田信雄様もまた、殿下にお国替えを命じられました。

家康:信雄様が?

三成:信雄様はそれを不服とし、異を唱えたところ…改易と相成りました。

家康:改易…織田家を取り潰すのか?

三成:徳川様は、どうかご辛抱を。

家康:わしは戦無き世を成すために殿下に従った。今の殿下のやり方にはついて行けぬ。

三成:殿下は賢明なる御方。これまで一度として間違ったことはございませぬ。もし万が一、殿下が間違ったことをなさったときは、この三成がお止めいたします。(立ち上がり空を見て)戦無き世を成す…私はかねてより、徳川様と同じ星を見ていると心得ております。共に力を合わせて参りとうございます。

家康:治部殿。(三成が頭を下げて去る。家康は空を見る)

正信:江戸からも、同じ星は見えまする。

 三成は、このドラマでは清潔感ある好ましい人物として描かれている。この人も後世の悪評をドラマが払拭する路線か。家康も、「今の殿下のやり方にはついて行けぬ」と秀吉配下の三成に直接言うなんて、ずいぶんとぶっちゃけたものだ。

 この人と、家康は十年後に戦うことになる。三成は、あの秀吉の貪欲さも見てきたはずだが「殿下は賢明なる御方。これまで一度として間違ったことはございませぬ」と言い切るとは。望遠鏡で見るように、自分を引き上げてくれた主として、美しいところだけ見てきたか。

 でも秀長も寧々もそうだった。常人にはモンスターはとても魅力的に見えるし、近くにいるからといっても止められないものだ。それを止める役を皆が家康に期待している状況なのかと思ってきたが、今のところ三成にもその気はあるのだね。

 前にも書いたが、家康はずっと補佐役として望まれてきた。今川義元は、嫡子・氏真を支える存在として家康を教育した。織田信長も、唯一の友としての位置づけで、自分のパートナーとして家康を望んでいた。

 秀吉は?妹の婿として一応、家康を遇して東を任せようとしている。義元や信長に比べて家康に対する特別な感情は無いが、ある意味信頼はある。家康はナンバー2気質の人なんだろうと改めて思う。

 そのナンバー2が天下を取り長持ちさせるのだから、面白いものだ。

(敬称略)

【どうする家康】#36 家康の心を救った笑顔の於愛、偽りが誠になった夫婦

殿不在時、家中に指図をする於愛の方

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第36回「於愛日記」が9/24に放送された。徳川幕府二代将軍の母としてその名を遺した於愛を中心に、真田信幸に嫁ぐ嫁がないのすったもんだを演じた本多忠勝の娘・稲姫、お久しぶりの武田の間者・千代、そして初登場のはずだけれど見覚えのある茶々(やっぱりの北川景子がお市の方と二役)の話が主に描かれた。

 まずは公式サイトからあらすじを引用する。

家康(松本潤)は真田昌幸(佐藤浩市)から、北条に領地を渡す代わりに徳川の姫が欲しいと頼まれる。忠勝(山田裕貴)の娘・稲(鳴海唯)を養女にして嫁がせようとするが、父娘ともに猛反対。そんな中、家康が探させていた武田の女を、元忠(音尾琢真)が匿っていたことが分かる。説得に向かった忠勝は、抵抗する元忠と一触即発の危機に陥る。改めて、於愛(広瀬アリス)が元忠に話を聞くと、意外な事実がーー。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 忠勝は「説得」に行ったか?どうみても鳥居元忠(彦右衛門)に戦いを挑みに行っていたが。武田の女・千代を真田の間者と疑って「そそのかされた結果、真田の手先になっている」彦右衛門から千代を奪うつもりだったのだろう。

 この乱闘の原因になった渡辺守綱が面白かった。そうだった、彼は一向宗門徒側で戦っていたから千代を良く知っていた。だから彦右衛門宅で彦右衛門にいちゃつかれる千代を見て、すぐにそれと分かったのだ。それを家康に報告するならともかく、言いふらしちゃうなんてねぇ。

 守綱が乱闘の中で「やめい~!」と良く通る声でカッコつけて呼ばわった所に、「お前のせいじゃろうが!」と叫ぶ彦右衛門の蹴りがキレイに後ろから入った。さらに、本多正信が扇子をじっと構え、パン!と叩かれた時の顔がまた、作り込まれていておかしかった。

 しかし、この乱闘が起きた時、家康は正室の旭と上洛中。徳川家中のリーダー酒井忠次は同じく上洛中で、京に滞在することになったらしい。

 主不在のこんな時、重臣の彦右衛門と本多忠勝のいざこざを裁定する場面で、本多正信が「殿がお留守である以上、ここは於愛様の御指図を」と言ってきたが、ここにちょっと新鮮味を覚えた。

 これまでの大河だったら、裁定は於愛抜きで大久保忠世単独か、忠世と正信ふたりが話を聞き、殿の帰国までのとりあえずを決める路線になりそう。しかし今回は、於愛が殿の席の上座にデンと座り、脇に忠世と正信が控え、次の間に彦右衛門や千代、忠勝らがかしこまっていた。

 石川数正出奔の時に、評定の場に於愛が顔を出したことでSNSで異論を唱えて怒っている方々がいた。けれど、江戸幕府以降の女を完全に排除したシステムが出来上がっていない頃だと、こうなるって事なんだろうね。おもしろかったなあ。

お葉から於愛への助言が正に金言

 さて今回も、この脚本家お得意の「実はこうでした」の後出しジャンケン。「於愛日記」を振り返ることによって、於愛の裏を深掘りする作りになっていた。時系列に拘っていたわけじゃないが、慣れるとこれはこれで面白い。

 於愛は心から慕っていた夫を元亀3年10月(1572年、家康数え31歳、於愛は12~13歳⁈)に戦で失った。そして子ども2人を祖父母に預けて城に上がった時、お葉から於愛への助言が正に金言。さすが出来者のお葉、於愛を通じて家康をも救ったか…となる言葉だ。

お葉:(暗い顔の於愛の頬に両手を当て、口角を上げて)嘘でも笑っていなされ。皆に好かれぬと辛いぞ。

 その助言に従って日頃口角を上げるように努めていた於愛。例の、女たらしの井伊直政と見間違えて殿のお尻をスパーン!と叩く直前も、水面に映る顔を見てそうしていた。

 天正4年(1576年)5月20日、「思いがけぬお話を頂いた」と記したこの日には、於愛はお葉や彦右衛門に築山に連れていかれ、御方様・瀬名に面会。この場面はしっかり記憶にある。

 瀬名は「良い笑顔じゃ。愛や、殿のことをよろしく頼みます。そなたの大らかなところがこの先、殿の助けになろう」と於愛を側室とした。瀬名の死の3年前だと長篠の戦のせいで信康がPTSDを発症、瀬名は遥かなる夢への覚悟を固めた緊張の頃だったか。

 この時の於愛の心中は、日記によればこうだった。

御方様、私の笑顔は偽りでございます。殿のことは心から敬い申し上げているけれど、お慕いする御方では・・・ない。

 今回の鍵だった、この「偽りの笑顔」。武家のおなごは家と家のつながりの為に使命を帯びて嫁ぐから、好きだの嫌いだの言っている暇はなかっただろうね。於愛の場合はご奉公か。皆が皆、偽りの笑顔を浮かべていたと言えばそうだったのかも。

 天正7年(1579年、秀忠誕生の年)9月15日、於愛は「恐ろしいことが起こった」と書いた。瀬名に続き信康自害が伝わった日で、家康は心労から倒れた。於愛はさらにこう記す。

お支えしなければならない。私よりはるかに傷ついているこの御方を。笑っていよう。たとえ偽りの笑顔でも。絶えず大らかでいよう。この方があのお優しい笑顔を取り戻される日まで。

 於愛は秀忠を産んだ頃でも、お務めとしての「偽りの笑顔」を意識していたことになるのか…。家康も心は瀬名に在ったのだから、ふたりはなんとしんどいお務めの関係だったことか。

 それでも、於愛の「偽りの笑顔」はいつしか誠のものとなり、家康を救っていた。そうなったのはいつだったんだろうね。

家康:これまでそなたに救われてきた。いつもそなたが大らかでいてくれたから。そうでなければ、わしの心はどこかで折れていたろう。

 於愛も家康に救われていたと言い、無理やり口角を上げる仕草を「いつの間にか忘れさせてくださいました」と家康に感謝した。

 偽りの関係から始まっても、支え合う誠の関係になっていた家康と於愛。これから更に良い夫婦になって行けただろうに…ここで死んじゃったのは、本当にもったいないね。

連れ合いに先立たれる寂しさは不変

 於愛が若くして死んだので(諸説あるようだが30歳前後?)、彼女の死については「陰謀論」がささやかれたとか。

 築山殿の侍女が毒を盛った説については、家康の正室旭も於愛も同時期に死んでおりまさか?と思わないでもなかった。が、今作ではドロドロ系はNHKがやることじゃないし、「天使の瀬名」が侍女にそんな事をさせる訳もない。

 他方、「家忠日記」の作者・松平家忠の家中が関係する喧嘩で死んだとの同日記での記述は、信憑性があるかと気を揉んだものの、ドラマで於愛の死は具体的に描かれず、ナレ死で終わった。

 於愛はたびたび胸痛に見舞われた。瀬名譲りの薬研で胸の痛みを取る薬を作ってくれた家康に、いつか瀬名と信康のたわいない思い出話を聞きたかったと心の内を伝え、家康と笑い合っての幕引き。笑顔だけに悲しさの余韻が残る。

 家康が彼女と話題にしたのは例の、信康と五徳の祝言でのエピソードだったが、以前も瀬名が話そうとして笑ってしまった謎の面白話だ。最終回までには話の内容は明らかになるのだろうか?鯉が出てくるのはわかったが、他に誰か知っていたら話してほしい。京住まいになった忠次が、こっそり数正と話していたら面白いところだ。

 このあたりで、家康は瀬名、於愛、旭と都合3人の妻に先立たれることになる。連れ合いに死なれる寂しさは、人が簡単に死ぬ当時だって目減りするものでもないだろう。

 ちょっと脱線するが、ちょうど朝ドラ「らんまん」が9/29で最終回を迎え、主人公・牧野万太郎は原因不明の病で妻・寿恵子と死別した。発病を知り、万太郎が知人の力を搔き集めて急いで完成させた図鑑には、多くの協力者の名前が書かれ、掲載された植物は「爛漫の」3206種を数えた。その最後が新種のスエコザサ。体が弱る妻に「寿恵ちゃんの名前じゃ」「わしを信じてくれてありがとう」「愛しちゅう」などと伝え、抱きしめた。

 朝から涙涙。作中の万太郎も、モデルとなった牧野富太郎博士も、妻への気持ちは現代の私たちのそれと変わりないだろう。練馬の植物園には、スエコザサに囲まれた博士の胸像が立っているとか😢訪問したら、涙無しでは見られそうもない。

 「どう家」に戻るが、於愛が心に残る言葉を遺した。千代の件の裁定で人情ある「大岡裁き」をした家康が、「於愛の助言に従ったまで」と言う。その時に於愛が言った。

於愛:人の生きる道とは、辛く苦しい茨の道。そんな中で慕い慕われる者あることがどれほど幸せな事か。それを得たのなら、大事にするべきと思うまで。(千代と彦右衛門が深々と於愛に礼をする)

 大久保忠世がウンウン肯いていた。後世、水戸藩周辺で江戸時代末期までに作られ、徳川慶喜や渋沢栄一まで信じてしまっていたという、でっち上げの「徳川家康公御遺訓」にも何となく似ている。とにかく、こういう「できた妻」を早死にで失ったら、尚更辛い。

 於愛は、この裁定の時に千代の話を自分に重ねて聞いていた。千代としたら、最初は身の安全が守られればいいと思っていたのだろうな。その後、偽りが誠になっていたのを感じさせた。

於愛:千代、そなたの言い分は?

千代:ございませぬ。非道なことを散々してきた私の言葉に信用などありますまい。

於愛:彦殿を慕う気持ちは誠のものか?

千代:さあ…わかりませぬ。きっと偽りでございましょう。ずっとそうして生きてきたので。(彦に)あなたは私に騙されたのさ。もう私の事は忘れなされ。

於愛:千代。間もなく殿がお帰りになる。殿のご裁定を待つように。

於愛:(私室に戻って)回想「きっと偽りでございましょう。ずっとそうして生きてきたので」「私の笑顔は偽りでございます」(日記を出し、偽りの笑顔でも殿のために大らかでいようと覚悟した日を読み返す。)

 気になっていた、於愛のヘタウマ笛のエピソードは回収されず。亡き夫の笛を見よう見まねで吹いていたから下手だった?と予想していたが。今後、彼女の息子たち、秀忠か忠吉がその笛を吹いていたら面白い。

千代、そのエピソードに着地したか

 「千代の再登場は期待していい」と横から聞いていたので、てっきり千代が家康の妻ふたり(旭、於愛)の死に絡んでくるのか?と妄想をたくましくしていたが、大外れだった。脚本家は千代に悪事を重ねさせず、優しかった。

 千代は、長篠の戦で戦死した武田重臣・馬場信春(信房)の娘との設定で再登場。家康は、「築山の謀」の同志として彼女の行方を鳥居元忠に探させていたつもりだったが、元忠は半年も前に馬場信春の地元・教来石の外れで野良仕事に従事する彼女を見つけていたのに、家康に「恨まれとるに相違ない。処断されるか忍びの仕事をさせられては不憫」と早合点して隠し、勝手に妻にしていた。

 ・・・おい!何をやってる!と言いたくなるが、史実でも彼の側室は馬場信春の娘だから、架空の存在だった千代を絡ませ着地させたんだね。なるほど。

 千代は元忠の側室になってハッピーエンドか?まだ終わりじゃない気もする。関ヶ原の前哨戦、千代が夫の立てこもる伏見城に駆け付けたら面白いなぁ。

 千代の父・馬場信春は今作ではチラとも出てこなかったが、「風林火山」では元・男闘呼組の高橋和也が演じていた。2007年からもう16年も経つ。「武田信玄」の美木良介も覚えている。1988年だから35年前。はぁ、そんなに前か。

 年号等を確認しようとウィキペディア先生(馬場信春 - Wikipedia)を拝見したら、面白いことが分かった。

  1. 今作の時代考証を担っている重鎮、小和田哲男先生の母方の先祖が馬場信春なんだとか。
  2. 千代は元忠の男子を3人も生んだらしい。子孫には大石内蔵助がいるんだって。へえ!
  3. 千代の姉妹のひとりは、なんと真田信伊に嫁いでいた。昌幸の弟だ。「真田丸」では主人公・信繁の叔父で栗原英雄が演じ、誠にカッコ良かった。

 ・・・ということは、本多忠勝が千代のことを「真田の忍びだ」と大騒ぎして警戒し、稲の真田家への嫁入りに抵抗したのも、③という近いつながりがあった訳なのだね、なんて。

 今作「どう家」には今のところ出てこないけれど、信伊叔父上は徳川家臣のはず。出してほしいなあ。

凛々しい期待の稲姫

 いよいよの稲姫。「真田太平記」での紺野美沙子、「真田丸」の吉田羊が素敵に演じてくれていて人気のキャラだが、新たに鳴海唯が印象を塗り替えてくれるかな。

 鳴海唯はどこかで見たな~と考えていたら、この目力は朝ドラ「なつぞら」の明美だった。明美はまだ全然子どもだったのに、今の稲はすっかり大人。これも役者の力か、それともリアルに彼女が成長したのか。

 紺野美沙子の稲姫は、ずらり並んだ婿候補たちのあごを扇子でクイっと持ち上げ、吟味するシーンが印象深い。本来は髷をつかんで顔を見たらしいが、それじゃ豪快過ぎる。渡瀬恒彦演じる信幸が「無礼な!」等と叱り飛ばし稲に気に入られた・・・ような気がする。おしとやかで切れ者、「使者の御用の趣は」と、遠慮せずにずばり信幸に聞く姫だった。信之も敢えて彼女にはすべて告げ、徳川に隠し事をしない態度を見せた印象がある。

 吉田羊の稲姫は、彼女を溺愛する藤岡弘の忠勝パパが嫁入りの付き人に化けたり、何かというと現れ、子離れできていなかった。その点が今作の山田裕貴の忠勝パパの参考になるか。キリッとした稲姫だったけれど、正妻を譲ってくれた信幸の先妻「こう」や「こう」の息子には万事、思いやりがあった。

 どちらも、稲姫見せ場の例のシーンではハチマキを額にキリリと巻いて長刀を構え、堂々としていた。これが稲姫だよね。

 鳴海版も楽しみだ。前二者と違い、躾がなってないところが笑える。打掛を着崩したり、生け花にも苦戦。「輿入れ先が無い」と父に嘆かれるような不出来な姫設定だが、真っすぐな父に武芸はたっぷり仕込まれ、心身はしっかりしている姫と見た。

 彼女は、於愛に「好き嫌いは脇に置きなされ」と諭され、小田原征伐を避けるために苦心している最中の、北条家に嫁いだおふう(お葉の娘)が「大切なお務め」をしていると聞かされたところで顔色が変わったように見えた。そこから稲なりに考えたか。しかし、お葉親子は黙々と優秀だね。

家康:平八郎、異存ないか。

本多忠勝:(千代が)真田の忍びである疑いが晴れておりませぬ。真田は信用なりませぬ。万が一その忍びに、徳川重臣が操られていたとあらば由々しき事。寝首を掻かれてからでは遅い。

稲:ならば、私が。父上、私が真田に入り込んで真田を操れば良うございます。彦殿が寝首を掻かれたら、私は真田親子の寝首を掻きます。それでお相子。

忠勝:左様なこと、お前ができるはずがない。

稲:父上に武芸を仕込まれてきました。できます。(於愛に)夫婦を成すも、またおなごの戦と思い知りました。真田家、我が戦場として申し分なし。殿、謹んでお受けしとうございます。

大久保忠世:平八郎。お主があのじゃじゃ馬をどれほどかわいがっておったか、わしもよう知っとるつもりじゃ。だがな・・・。

本多正信:・・・いい加減、手放す時でござる。観念しなされ。

稲:父上、本多忠勝の娘として、その名に恥じぬよう立派に務めを果たして参ります。(忠勝、すすり泣き始める。)

於愛:(笑顔で家康と顔を見合わせてから、視線を千代に送る。千代、礼を返す。)

 覚悟を決めて「申し分なし」と言い切るカッコイイ娘の前で泣く忠勝よ…観念するしかないね。

禍々しい茶々、女優さんは手抜きで演じて

 稲は真田家に徳川の養女として輿入れし、プラス沼田の替え地も手に入れた真田は不平を言わずに矛を収め、沼田から手を引こうとしていた。徳川の努力によるものだ。

 しかし、沼田を手に入れても、ようやっと先代当主の弟・氏規だけを上洛させると決めた北条家に対して、秀吉は不満足。「沼田の一部を真田にもやれ、不公平だ」と言い出し、「それでは北条は満足しない」と家康は気色ばむ。このままではおふうや榊原康政の努力も水の泡、北条は秀吉と戦になる。

 さらに秀吉のストッパーとなっていた秀長が病。もう北政所と家康しか我が道を進む秀吉(もう訛りは使わない)には諫言できない、イエスマンだらけの取り巻きに気を付けなされと秀長から家康が耳打ちされたところで出てきたのが、北川景子が演じていたお市の方の長女・茶々だった。

 茶々は、煌びやかな衣装に身を包み、北九州市の成人式に参加してそう。秀吉が散々矢を射かけながら外してばかりの的に火縄銃をぶっ放し射抜くという、「セーラー服と機関銃」も真っ青な、派手な登場の仕方をした。

 やはり茶々も北川の二役だが、だけれど醸し出す禍々しさが違う。清々しく凛々しいお市には無いものだった。徳川の偽りスタートでも誠のある夫婦関係に至る姿を視聴者に見せた後で、豊臣には禍々しい偽りしかないのかと思わせる茶々。

 家康にも銃口を向けた時に一瞬暗い表情がのぞき、口で「ダーン」と言って笑い、続けて秀吉にも「ダーン」。化粧厚めのギャルがふざけて大笑いしているようだが、苦しい恨みも見える。(でも、井伊直政は家康に銃口が向いた時にはポーズでも主君を守るために間に割って入らなきゃ、ボーっとしてちゃダメだって!)

 茶々は、妹たちを安全に嫁がせるために、父母の仇・秀吉の妻とならざるを得ない。でも若い自分が、母の身代わりに母が嫌った秀吉なんぞの言いなりにされている事実には拭えない嫌悪感がありそう。こんな心理的葛藤があったら、まともに生きている方が不思議なくらいだ。

 そこで茶々の支えになったのが、母に誓った天下取りの言葉なのかな。

 そして、母を土壇場で裏切った(と茶々が考える)家康が目の前にいる。実のところは怒り心頭、引き金を引きたかっただろう。

 茶々(淀殿)といえば、古くは「おんな太閤記」の池上季実子(茶々のスタンダードを作ったか)や「徳川家康」の夏目雅子、最近ではどうしても「真田丸」の竹内結子が思い出される。

 竹内結子はメンタルの危うい茶々が素晴らしかった。それだけに、役を理解しようとして、茶々の闇を彼女は真正直に引き受けてしまったのではないか、役を超えて彼女自身がリアルに蝕まれたのでは?と、つい考えてしまう。

 だから、北川景子を始めとして今後茶々を演じる女優さん方には、ある程度手を抜いて茶々を演じてほしいくらい。落城3回の恨みの重さをバカにしちゃいけない。そんなに真面目に茶々に寄り添わなくていい、扮装で十分茶々だと分かるから。元々北川景子の根っこにある健全な明るさは大きな救いだから杞憂だとは思うけれど、メンタルのケアはしっかりとお願いしますよ、と言っておきたい。

(敬称略)

【どうする家康】#35 母も弟も恐れる「欲望の怪物」秀吉、家康は太刀打ちできるのか

欲望底無しの秀吉

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第35回「欲望の怪物」が9/17に放送された。前回までに家康は、秀吉を認めて自らの天下取りを諦めた。他の人が戦の無い世を実現してくれるのならそれでいい、それを支えようと方向転換した。

 しかし、秀吉の欲望は底無し。天下統一後も海外へ食指を伸ばそうとし、戦を止める考えはない。このドラマでは「海外進出が信長の夢だったから夢を継ぐ」ではなく、「まだあんなにあるじゃん」的な、食べ物は食い尽くさなければ満足しない、自分の欲にどこまでも正直な人物として秀吉を描くようだ。

 ムロツヨシの秀吉は表向きひょうきんでもあり裏には底知れぬ怖さもあり、それを声音でコントロールするアイデアがいいよね。「おんな城主直虎」で商人でありながらも直虎の家臣という難しい役柄を面白く演じていたが、秀吉にキャスティングした人、正に慧眼。偉いなー。ぴったりだ。

 裏表ない信長という、この上ない上司を見つけ尽くすことで己を伸ばした秀吉が、小泉孝太郎という人の善い権力者の息子を友人として世に頭角を現してきたご本人と印象が重なる・・・と言ったら失礼かな。それも才覚だと思う。

 別に小泉孝太郎が養分を吸い尽くされた訳でもない。綾瀬はるか主演の「八重の桜」だったと思うが、彼の徳川慶喜は良かったよね。人が善いからこそ、ああいうピリッとしたヒールもできるんじゃないか。念のために書いておくとね。

 「麒麟がくる」では、染谷信長が天真爛漫で無垢なサイコパスと描かれて、佐々木秀吉はただただ計算高い人物のようだった。今作の岡田信長は、天下一統してからが難しいんだと家康に悩みを打ち明けるぐらいで、もしかしたら、信長は海外進出になんぞ関心が無かったりして。今作では、信長が意外にも常識人で、欲望果てしないサイコパスは秀吉なんだぞと描くのかな。

 まわりにとって「怖い人物」って自分の欲に正直な御人だ。赤ちゃんには誰も勝てない。権力者が己の欲に従い自制を忘れ、まわりを食い物にするのを頓着しなくなると怖いんだよな。ジャニーみたいな怪物になる。

 勝手な期待を裏切られた家康の「豊臣大名」としての苦難の日々スタート・・・という訳だが、あのまま戦い続ければ徳川滅亡は不可避だったのだから、石川数正や家康の選択ミスでは全くない。

 前にも書いた気がするが、家康は、結局時機を待つしかなかったのだよね。モンスターにはやっと狸に成りかけの殿では太刀打ちできない。それは数正の言う通りだった。だから、秀吉の死を待つしかないのだ。

 さて、公式サイトから第35回のあらすじを引用しておく。

秀吉(ムロツヨシ)は母・仲(高畑淳子)を、家康(松本潤)の上洛と引き換えに人質として岡崎へ送る。秀吉は家康を歓待する中、妻の寧々(和久井映見)や弟の秀長(佐藤隆太)を紹介し、諸大名の前で一芝居打ってくれと頼み込む。大坂を発つ前夜、秀吉から北条・真田の手綱を握る役目を任された家康は、一人の男と出会い興味を持つ。それは豊臣一の切れ者と名高い石田三成(中村七之助)だった。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

秀吉の母・仲、そうきたか

 高畑淳子の無駄遣いではなかった。大河ドラマでは色々な「秀吉の母・なか」がこれまで描かれてきたが、そうきたか。振り回され、恐れおののく母。息子が欲望お化けじゃ、そりゃ怖い。(でも、今後それだけで終わるのかな、高畑淳子だし。)

 今回、井伊直政が本多作左衛門の有名エピソードである、仲と旭の寝所の周りに薪を積み上げ「殿に何かあったらいつでも火を点けてやる」との脅しを代わってやっていた。オープニングアニメも薪だったし。

 その直政の美貌を褒め、母・奥山ひよ(前年死亡)の話をするうちに、水を向けられた仲が、自分は幸せかと話し出した。

仲:わしは幸せなんかのう・・・。外を出歩くことも許されん。大きな城の隅っこにちいせえ畑あてがってまって、要らん菜っ葉や大根なんぞこさえて、こんな時だけ人質に差し出される。これが幸せなんかのう・・・。

 また、帰国するにあたっての仲の言葉。息子の本質をぼんやりとはつかんでいて、かなり恐れている。ただならぬ感じがする。

大久保忠世:では、参りましょうか。

仲:きゃありたないのう・・・。

忠世:何を仰せです。関白様がお帰りをお待ちでございますぞ。

仲:関白って誰じゃ。

忠世:アハハハ・・・大政所様ご自慢の御子息、秀吉様でございます。

仲:ありゃ、わしの息子なんかのう?わしゃ、あれのことをな~んも知らん。わしゃただの貧しい百姓でず~ッと働きづめで、あれにゃあ躾のひとつもしとらん。十やそこらで家を出てってまってな、何年かしてひょ~っこりきゃあってきたら、織田様の足軽大将になっとった。それからは、あ~っちゅう間に出世して、今は天下人。関白じゃと。ありゃあ何もんじゃ?わしゃ、何を生んだんじゃ?とんでもねえバケモンを生んでまったみたいで、おっかねえ・・・誰かが力づくで首根っこを押さえたらんと、えれえことになるんだないかのう。そう徳川殿にお伝えしてちょう!

 ある意味、凄い置き土産を残していったものだ。これを聞かされた家康家臣団は何を思うか。そして家康は。背筋が寒くなる。

 秀吉の母は、私の中ではイコール「秀吉」の市原悦子演じる「なか」だ。息子のためなら一肌脱いで、どこまでも尽くすタイプ。それで言ったら、最近の再放送「篤姫」で大久保利通の母フク(演・真野響子)が、鬼になると言う息子に対して「私も鬼の母になるだけのこと」と静かに受け止めたのと共通する。

 そんな市原悦子の「なか」も傲慢になる秀吉を非難するようになるが、頭の良い、肝の座った百姓女だった。その点では、最初から最後まで愁眉を開くことなく、嫁のねねと共に苦悩し、息子秀吉に説教しつづけた「おんな太閤記」の赤木春恵も賢い母だった。母の立場から逃げなかった。

 今作の、家康の母・於大の方も逃げていない。前34回「豊臣の花嫁」で、豊臣から送り付けられた女人ふたりを慮る於愛の方を援護する形で家康と言い合った。

於大:人を思いやれるところがそなたの取り柄と思うておったがのう。

家康:思いやりなんぞで国を守れるものか。これは、わしと秀吉の駆け引きじゃ。

於大:おなごは男の駆け引きの道具ではない!

家康:母上らしくない物言いですな。ご自身こそ、散々そのような目に。

於大:だからこそ、せめて、蔑ろにされる者を思いやれる心だけは失うなと申しておる。

 このように、殿である息子に対しても毅然と言ったのが於大だった。

 人が人に対して物を言うのは、まだ期待があるから。期待しない人には何も言わず、離れるだけだ。なら離れればいいじゃないかと簡単に言えないのが天下人の家族だ。

 今の仲の場合、息子が天下人になって、逃げようもなく支配下に置かれ、恐れるしかできないのかな。悲惨。いつか、母として逃げずに立ち向かうのかもしれないが。

秀長も逃げられず

 仲は、秀吉を恐れて秀長の大和郡山にもよく行っていたとの話も聞くけれど、秀吉の首根っこを押さえようとまさに苦労したのが秀長。有名な話だが、その苦労が彼の命を縮めたのだろう。

 今作でも、「良い身内をお持ちで」と、寝たふりをする秀吉に家康が言及したのが寧々と秀長だった。

 秀長は、近くでつぶさに兄を見ている。今作の寧々にはまだ秀吉との視点の近さが見られ、オッと思ったが(例えば、震災後の「もはや戦どころではないわ。民を救うのが先でごぜえますじょ。速やかに立て直さねば我らの足元が崩れてまう」「わかっとるわ」の夫婦の会話)、秀長は今のところ常識人らしき振舞いをしており、微妙に狂った兄に仕えることに苦労しているように見える。

 そして、兄はどんどん狂っていくのだ。

秀吉:戦無き世か・・・家康。戦が無くなったら武士どもをどうやって食わしていく。民もじゃ。民もまっとまっと豊かにしてやらにゃいかん。日の本を一統したとてこの世から戦が無くなることは・・・ねえ。切り取る国は日の本の外にまだまだあるがや。(世界地図を見る目が獣化)

秀長:(怯みつつも)まあまあ兄様。今は天下一統でござる。先々のことはおいおい。(無言でにらみつける秀吉、身動きできない秀長)

 怖いだろうな。仲同様、こちらも逃げられない秀長は、心配を沢山抱えて死んでいったのだろう(ドラマではまだだけど)。歴代大河の秀長は、中村雅俊・高嶋政伸あたりの印象が強いが、今作の佐藤隆太も加えて、根が真面目そうな俳優陣が演じてきた。それで尚更悲劇的に見えるのだろう。

家康、狸の力試しはどう転ぶ

 方向転換をして、秀吉を操縦することで「戦の無い世」を作る夢を胸に上洛した家康だが、気づけば数え45歳。昔の人は年齢を3割増しで考えると今の人の感覚でぴったりだと聞いたことがあるので計算してみると、58.5歳だった。なるほど。

 定番だった「どうしたらええんじゃ~」も封印されて久しい気がする。が、これぐらいの落ち着きをもう少し前に出してくれていたら、とは思う。正直、神君家康公だというのに、感情的過ぎて見づらかった。こんなに子どもっぽい人が、狸などと呼ばれる訳がない。

 前回など、織田信雄とのやりとりでは信雄の方がよほど狸だった(ビジュアル的にも)。自分が家康に何をしたかはすっかり棚の上で「そなたにとっては天の助けじゃ、関白は正に兵を差し向ける寸前であった。そなたは命拾いしたんじゃ、今しかない、上洛なされ」と家康にこんこんと諭す感じ。狸よの~。対する家康は感情も露わ、忠次に止められる有様で全く狸じゃなかった。

 今回、狸の力試しにはちょうど良かった真田昌幸と対峙する場面。佐藤浩市の怒りの目力が威圧的で、いやもう凄かった。対する家康は、その怒りの挑発を「言葉は人並みに分かる」と、いなしながらも、結局、沼田の替え地プラス養女を信幸の嫁に与える方向に持って行かれた。

 真田の思う壺の展開であり、家康もイライラしたか。でもそのイライラを先に表に出していたのは重臣の方で(たぶん大久保忠世がダンっと足を強めに踏んで合図を送り、刀を構えた家臣たちが陰から出現して真田親子を威嚇)、敵地でのこのプレッシャーに耐える真田親子の胆力をとにかく褒めるしかないだろう。

 そうそう、浜松城を離れるにあたり、城下に餅を配りに行った時、昔の三方ヶ原合戦における誹謗中傷を広めた柴田理恵の婆さんらに「あの頃のわしが無様だったのは確かだから、もっと言っちゃって~」的に笑って許したのは、なぜそこまでと考えさせられた。「許してあげるから、もう言わないでね。訂正してね」じゃないのだ。

 これは現代に引っ張ってきて参考にしてはいけない部分なんだろうな。誹謗中傷はいけない事だ、なぜなら言われた方の傷つきは大きい。

 あの頃はデジタルタトゥーの心配もいらないし(とはいえ、現代までこんなに残っているがw)、殿様にそんなことをしたとバレたら即打ち首なんだろう。だから思い切り許してあげなければいけなかったのではないかな。良かった、狸の階段を1つ上れて。

 そして、この餅配りも於愛との楽しかった思い出の1つになるんだろう😢今回もスカーンと殿のお尻を叩き「近見が進んで」と平謝りしていた於愛。これって伏線になりそうで怖いな・・・。 

今週の正信

 もはや、いてくれるとホッとするのが本多正信。イカサマ師というかこちらこそ正真正銘の狸、何をしてくれるのかとワクワクする。

 まず、しっかり台本が書かれた陣羽織の大芝居を家康が秀吉のために演じた後、家臣控室(?)での鳥居(彦右衛門)元忠・榊原康政・本多正信が揃った場面が面白かった。なぜ直政と自分がお供を交代になったのかと元忠が問う場面だ。

 どうして正信は、食べ物のありかを瞬時に嗅ぎつけることができるのだろう。ここでのミッションは2つ。怪しまれずに彦右衛門から食べ物を奪い取ること、そして彦右衛門の疑問に対して彼を傷つけないように快い嘘をついてあげることだ。これを並行してやり遂げる正信の能力の高さ。康政が横で黙って見届けているのも面白い。

 次に、星談義を楽しむ家康と石田三成の横で、アレコレ話す家臣たち。「(星は)みんな並んでおる」と投げやりなのが正信だろう。腹の足しにならないものには興味が無いのか。

 そして、真田昌幸・信幸親子との緊張の対面場面。「さ~な~だ~ど~の」と間延びした呼びかけで、徳川の与力の立場だから徳川の言うことを聞かなきゃならんことは知っているかと問い、秀吉の命令であることも指摘する。が、昌幸が「で~き~ま~せ~ぬ」と、あれこれ言い逃れた。

 正信の問いかけは真田昌幸相手に不発に終わったが善戦。何といっても表裏比興の者だもの。のんびりした徳川家中の人たちを相手にしていたら、正信も腕がなまるというもの。今後に期待したい。

「真田丸」の気分でいると・・・

 ところで、真田昌幸が家康よりも4歳下であるという事実に気づき、世の中がざわついている。本多正信よりも9歳下なんだとか。あらら・・・やっぱり佐藤浩市が大御所過ぎて、あの場で一番偉く見えちゃうから、はっきり言ってそぐわない。

 高校生でも凄く老けている子はいるけどね。そういったタイプと思えばいいのか・・・無理でしょ、舞台じゃないのだから。映像作品だと難しいよね。あの山田裕貴(33歳になったばかり)が演じる本多忠勝のキラキラした若さと並んで、息子と娘の親同士ですと佐藤浩市が言えるのだろうか・・・。次回はその信幸の嫁取りの話になるのだろう。

 前述の真田親子と対決では、家康が「沼田の件ではこちらにも落ち度があった」と替え地を与えると言うものの、「ありていに言えば、徳川を信用できない」と頑張る昌幸が、信幸に家康の娘(重臣の娘の養女でも可)を嫁に欲しいと望む流れだった。

 えええ~信幸にはれっきとした妻がいるのに!しかも、真田本家の娘(昌幸の兄・信綱の娘・清音院殿)を妻にしている。そうじゃ無かったら、庶子で他家を継いでいた昌幸が、真田家の家督を継ぐ理が薄れてしまう。真田からあんな話を持ち出したのは大いに疑問だ。

 むしろ徳川側から言い出した懐柔策だったのではないのか。人質として嫡男信幸を駿府に置かせ、その間に、徳川の娘を娶せて嫡男を取り込む。これこそ狸にふさわしい策だと思うが。

 「真田丸」の大ファンなので、この信幸の最初の正妻(「真田丸」では「こう」)の話になると、病弱でしゃもじを取り落していた彼女(長野里美)が浮かぶ。宴会では、ピンチで夫に頼まれ、場持たせのために「雁金踊り」を突然ヨロヨロと舞い、その場にいた全員、視聴者をも心配させたのだった。秀逸だった。

 その彼女は、正妻の座から降りて稲姫に仕える立場になったら俄然元気に。面白かったなー。

 「どうする家康」では「こう」の立場の最初の妻は出てくるのだろうか。出てきたら面白い。

(敬称略) 

【どうする家康】#34 自分のお気持ち大事な家康、数正・忠次・正信・於愛の連係プレーでようやく上洛へ

瀬名ロスがぶり返す押し花の秘密

 NHK大河ドラマ「どうする家康」第34回「豊臣の花嫁」が2週間前の9/3に放送されていた。体調不良時を除き、一応、毎週感想をダラダラと書いてきているのに、今回は何の理由もなく通過するところだった。危ない危ない。

 34回も決して見どころが無かったわけではなく楽しんで見たのだが、このところのジャニーズ問題の方に気を取られていたら・・・今作は、ガッツリとジャニーズ大河だ。9/15発表の新キャストにもジャニーズタレントがいる。とはいえ、主役を挿げ替える訳にも行かないから、今年はこのままだろう。

 さて、早速あらすじを公式サイトから引用させていただく。

打倒・秀吉(ムロツヨシ)を誓ったはずの数正(松重豊)が豊臣方に出奔、徳川家中に衝撃が走る。敵に手の内を知られたも同然となり、家康(松本潤)は追い詰められるが、そこに未曽有の大地震が発生し、両軍戦どころではなくなる。何とか家康を上洛させたい秀吉は、妹の旭(山田真歩)を家康に嫁がせ、さらに老いた母まで人質に差し出す。秀吉に屈服するか、全面対決するかの二択を迫られた家康は……。(これまでのあらすじ | 大河ドラマ「どうする家康」 - NHK

 前のブログで、出奔した石川数正が残していった物を「残されていたのは木彫りの仏、たぶん秀吉に押し付けられたという金の入った箱、『関白殿下是天下人也』という書き付け」とテキトーに書いていたのが、今回の放送でバレてしまった。

 録画を見直してみたら、「木彫りの仏」と「書き付け」は合っていたが、「たぶん秀吉に押し付けられたという金の入った箱」は、寧々が「奥方に」と言って数正に差し出した高価な櫛入りの箱だった。

 そして!築山のお花畑の花であろう押し花が入った箱が、仏様と一緒に置いてあったのだった。それが、今回のキーアイテムになった。

 押し花の上には、「正信念仏偈」と題された紙が入っており、さも念仏入れの箱に押し花を入れてあっただけであるかのように一見、見えた。しかし、実は大切なのは花の方だった。築山にいた瀬名の花を、念仏で供養している箱なんだね。

 於愛の方は「もしかしたら、今は無きあの場所を数正殿はここに閉じ込めたのではありませんか。いつも築山に手を合わせておられたのではありませんか」と言っていた。

 妻の鍋も知っていて(というか、不器用だという数正ではなく、鍋が押し花を作ったのだろう)、だから瀬名への供養にと、寧々からの高価な櫛もお供えとして置いていったのだろう。

 今回の冒頭、なでしこと見える花を生けつつ鍋が物思いにふけっていたのは、岡崎の屋敷に残してきた押し花を思ってのことだったのだね。オープニングのミニアニメも花々だったし(残念ながら名前が分からない💦)。

 瀬名ロスがぶり返す思いだ😢😢徳川家中の妻女は、実はほとんどが築山の花の押し花を似たような形でこっそり供養しているのかも。「誰も世話する人がいなくなるから持って行って」と生前の瀬名は来訪者に勧めていたしね。花を貰った人が、持って帰って捨てられる訳がない➡押し花にしよう、ということになるから。

「チームA」があの手この手で上洛への道筋をつけた

 ドラマでは、家康に上洛を決断させようと働きかけていた「チームA」が、酒井忠次、本多正信、於愛の方。反対に、殿と足並み揃えて「秀吉には跪けない」と意地を張っていた「チームB」が、本多忠勝、榊原康政、井伊直政だった。

 ざっくりと、チームAは親・石川数正というか現実派だ。この3人が、評定ではまるで打ち合わせでもしたかのように絶妙に合いの手を入れ合い、殿らチームBを追い込んだ。

忠次:(「何年でも戦い続けて領国を守り抜く」と言う忠勝らに)それが本心か、平八郎、直政。本当に戦えると思うか。どんな勝ち筋があるというんじゃ!殿、殿も本当は分かっておられるはず、我らは負けたのだと。それを認めることがお出来にならんのは、お心を囚われているからでございましょう。

正信:囚われているとは、何に?

忠次:今は亡き、御方様と信康様。そうでござろう。

家康:悪いか。もう誰にも何も奪わせぬ、わしが、わしが戦無き世を作る、ふたりにそう誓ったんじゃ。(略)評定のさ中ぞ(於愛が何か抱えて入ってくる)。

於愛:私には難しいことは分かりません。なれど、御方様が目指した世は、殿が成さなければならぬものでございますか?他の人が戦無き世を作るなら、それでも良いのでは?

忠次:数正には、それが見えておったのかもしれんな。自分が出奔すれば、戦はもう、したくてもできん。それが殿と皆を、ひいては徳川を守ることだと。

正信:だから誰も巻き込まずに己ひとりで間者となった。罪をすべて一人で背負った。殿のご迷惑にならぬように。

於愛の方:私、ずっと考えておりました。なぜ数正殿が仏様を置いていかれたのか。(お経の入った木箱を開き、底に仕込んである押し花を出して見せる)私にもわかりません。でも、もしかしたら今は無きあの場所を数正殿はここに閉じ込めたのではありませんか。いつも築山に手を合わせておられたのではありませんか。

井伊直政:良い香りだ。

鳥居元忠:懐かしい、築山の香りだ(泣く)。

本多正信:なんとまあ、不器用な御方じゃな。

酒井忠次:それが石川数正よ。(座を正して)殿。お心を縛り付けていた鎖、そろそろ解いてもよろしいのでは。これ以上、己を苦しめなさるな!

 この後、家康は涙をボロボロ流して天下を取ることを諦めても良いか?秀吉に跪いても良いか?とチームBに聞いた。そして、数正の裏切りのせいで戦えなくなった、数正のせいじゃー、殿は悪くないー・・・と皆が泣き叫んで徳川家中のガス抜きも完了、話が上洛&秀吉臣従でまとまった。ヤレヤレ。

頼りになる副将・酒井忠次、ずっといてほしい

 このドラマの酒井忠次(A-1)は、殿の意向に反するゆえに誰も切り出せない話を、きっちり的を射た上に殿の心情を害さないように提示して説得する、頼りになる家老であり続けている。

 演じているのが大森南朋だし「カッコいいな~、カッコいいよ~」と隣で見ている家族がいつもうるさい。でも確かにずっといてほしい。

 忠次は「数正には数正なりの何か深い考えがあってのことじゃろ」と言い、出奔前に何の相談が無くても、数正への信頼は揺るぎない。一方、家康は「決してお忘れあるな。私はどこまでも殿と一緒でござる」と去り際の数正にしっかり言われたにも拘らず、裏切られた~なんでじゃ~数正~と涙目で悪夢を見てしまう。

 いつまでもシャッキリしない殿だよなあ・・・ご機嫌を取って導く副将忠次は大変だ。でも、義理の叔父さんだから頑張るしかないもんね。

 家康は、未だに家臣を信頼できないご様子。その点はドラマ当初から成長が見られないじゃないか~と見ている方もガッカリだ。なぜ数正を信頼できない?

 こんな殿だから、副将である忠次に共感してしまうのだろうなあ。今回も、旭姫を家康正室の名目で人質に送ってくるという話に「秀吉としてはこの上ない歩み寄り」ときちんと分析していたし、いよいよ後が無くなった評定で、腹を括って殿を説得にかかった。

 家康が幼少期に人質に取られていた時から徳川はずっと、彼が副将として家中の舵取りをしてきたのだろう。いなかったら徳川はどうなったか。こんなに優秀で、よく下剋上を考えなかったよなあ。

数正の意図を早くからつかんでいただろう正信

 忠次と共に、ちょいちょい数正の考えに沿った言葉を挟んできていたのが本多正信(A-2)だ。数正の出奔の意図は、早くから分かっていた様子だ。それだけ感情に左右されない怜悧な頭を持っているから、見ていてホッとする。脚本家が一番好きなキャラは彼なんじゃないか?

正信:難儀なのは今後。あの御人が敵方に付いたということは、我が方の子細、裏の裏まで秀吉に渡ったと見るべきでござる。今度こそ迷うことなく攻めて参りましょう。これでも尚、戦えますかのー。奴が先方かもしれませんぞ。

 そして陣立ての刷新を家康に提言した。数正出奔に対して怒ったりショックを受けたり涙したりする前に、現時点でのToDoが良く分かっている。また、数正が秀吉によって「飼い殺し」になっている実情をちゃんと調べていた。それを伝える際も、言い回しが殿の心証を害しないよう、プラス自分の同情心を隠して絶妙だ。

正信:殿、老婆心ながらそれとなく探らせておりまして、大坂まわりを。例の裏切り者でござる。秀吉の下でいかなる悪だくみを図っておるかと思いましてな。

 その結果を「放っておけばよいのではないのか」との声もある中、「せっかくじゃ、申してみよ。秀吉の下で何をしておる」と家康や皆の耳に入れようとするA-1忠次。連係プレーはバッチリだ。そして、数正は単に飼い殺しになっていると皆が知る。

 正信は、あくまで仕事をサクサクするポーズを取っているが、そこに「殿もバカだな~、考えなくたって数正の意図は分かりそうなものを」という気分が見え隠れする。このまま家康が上洛しないで戦うと最終的に決めたら、呆れて秀吉方に寝返ったかも。

 ところで、正信は食べ物があれば必ず手を出して食べるし(大きな味噌田楽を食べながら喋るのは大変そうだったけど美味しそうだった)、秀吉からの金にも手を出して数正に叩かれていたし、殿の部屋の本も懐に入れてしまう。とにかく正信は手癖が悪い。

 その点で、何かあればすぐにポケットに入れ、後の戦いで面白く活用して見せる「マスターキートン」の主人公のエージェントを思い出した。正信もキートンも、気分の浮き沈みが少なく安定している。共に、冷静に物事を考えられる性質なんだろう。

切り札はやっぱり瀬名(於愛)

 忠次と正信のふたりは、家康の外堀をどんどん埋める。しかし、自分のお気持ちを何より大切にする今作の家康は、頭の理解より心の納得が何より大事だ。

 そこに、瀬名関連の品を引っ提げて登場、殿の心のど真ん中を撃ち抜いたのがチームAの切り札、於愛の方だった。出奔した数正が、木彫りの仏と一緒に、押し花入りの箱(=つまり瀬名)にも祈りを捧げていた・・・というのが今回の家康ら家臣団の涙腺崩壊ポイントになったのは前述の通りだ。

 「数正のせいじゃ~」と家康含む家臣団が涙にむせびながら叫ぶ場面、正信を除く、御方様を慕う男どもは評定の場で皆泣いているのに、於愛は泣かずにニッコリ。いつまでも子どもの殿に、ヤレヤレか?彼女が今回、家康の心を動かしたMVPだった。

 それにしても於愛。亡き正室・瀬名への愛情にどっぷりのままの家康に笑顔で仕え、御方様が遺した夢の実現に向けて心を砕く。そして継室の旭が来ても「お仕えしていて楽しゅうございます」と屈託なく言ってのける度量の広さ、評定にもズカズカ入り込む度胸、なかなかの人物だ。

 於愛には、人を思いやれる真っ直ぐな優しさもある。秀吉が妹と母をも差し出すのに戦をするのかと家康に問い、夫と無理やり離縁して浜松に来た旭を慮って家康に食って掛かる。旭の元夫が行方知れずであることも家康に伝えた。ただ旭や仲が不憫だからだと言う。

 演じる広瀬アリスは、ちょっとテンポが早すぎだーと感じる場面が前にはあったが、もう慣れた。於愛の人間性は出来過ぎだが、中の人そのままかもしれないとも思える爽やかさ。そんな訳ないか。

 大河ドラマでは、竹下景子が演じた於愛を憶えている。だが、今作ほど家康にガンガン物を言う於愛は面白い。今作の家康がフニャフニャ煮え切らないから丁度いいのかな。

 ドラマの最後で、瀬名を象徴する木彫りの兎を箱にしまった後、家康は「関白を操りこの世を浄土にする。手伝ってくれ」と於愛に告げる。「はい」と答えた彼女は輝く笑顔だったが、旭と共に退場が近く残念だ。だが、そこは史実だから変えられない。だから今回は於愛に花を持たせたか。

 家康が長生きだからか、他のキャラが悉く短命に思えてしまう。四天王も、誰も大坂の陣の時には生き延びていないと思うと寂しい。イカサマ師の正信はいてくれるが。

 ということで、そろそろ切れ者の阿茶の局が出てきてもいいのに。彼女も長生き。それも楽しみではある。

思い出す泉ピン子に清水ミチコ

 今作の旭姫はワンポイントで終わってしまいそうだが、演じる山田真歩は良かった。「えー、中の人はあの『花子とアン』に出てたクールな人でしょ。信じられなーい」と思った。役者さんは凄い。隣で家族も「うまいよね、泣けるよね」と絶賛していた。

 自分が家康を上洛させる役目を果たせず、老いた母・大政所も浜松にやってくると知ってショックを受けた旭。一瞬言い淀んでもすぐに於大らにおどけてみせたが、ひとりになったら頭を床にゴンとぶつけて(あれ本当に痛そう)オイオイ泣き、家康が評定から戻った時にも、大泣きの後の涙がまだ目の端に光っていた。

家康:もう良い、もうおどけなくて良い。辛い気持ちを押し隠し、両家の間を取り持とうと懸命に明るく振る舞ってくれたのに、老いた母君まで来させることになり誠に申し訳ない。この通りじゃ(頭を下げる)。わしは上洛する。そなたのお陰で、我が家中が少しだけ明るくなった。礼を言うぞ。そなたはわしの大事な妻じゃ。(旭、また頭を床にゴンとぶつけ、泣く)

 しかし、低い声でしゃべる、こわーい兄・秀吉に、問答無用で夫と離縁させられ見知らぬ土地に人質同然で送り込まれるなんて、病になるに決まっている。実際の彼女、44歳で嫁いで47歳で没しているようだ。なんてことだ。ご正室様でございますと祀り上げられ、命を縮めたんだな。

 ただ、最新の説では彼女は本能寺の変の頃には既に前夫とは離縁していたとか。「問答無用で夫と離縁させられ」の泣きポイント1つは、そうじゃなかったことになる。

 この役は、つい最近もBSで再放送されていた「おんな太閤記」(1981年)で見たばかりだ。泉ピン子の朝日姫は、よくしゃべる義理の妹として主人公の寧々(佐久間良子)の生活に早くから関り、夫の副田甚兵衛(?だったかな)を演じるせんだみつおと仲の良い面白夫婦の体だったが、家康に嫁ぐ段になると一転、涙を大いに誘った。

 本放送で見た42年前も、泉ピン子の朝日がかわいそうで泣いた覚えがあるのだが、最近の再放送でも「ピン子ってものすごく良い女優さんじゃないの!」と涙が出た。

 フランキー堺の家康が驚くぐらいの善人設定で、ピン子の朝日も大事にされたのだったが、朝日との離縁を言い渡されて行方不明になっていたせんだみつおが芸人一座に入っていて、浜松城下にその一座がやってきた時に「元気のない御方様(ピン子)」に城で芸を見せることになり再会。このくだりが本当に泣けた。

 そういえばこの時、篠ひろ子演じる阿茶の局が、不自然に意地悪で意気軒昂だった。いじめられる朝日!かわいそう!との演出だったのだろうけど。

 という訳で、私の中で朝日姫と言えば=ピン子の位置は刷り込まれて揺るぎないが、「真田丸」(2016年)の清水ミチコはどうしようもないくらいおかしくて、忘れられない。もう反則でしょう。ほぼ無言の仏頂面で、今書きながらも笑ってしまう。大政所と再会した時の「おっかあ」と抱きついて泣くぐらいしか、表情の変化を覚えていない。

 あと、美人すぎるんじゃ・・・と思った朝日は「秀吉」(1996年)の細川直美。イメージピッタリなのにあまり覚えていないのは「功名が辻」(2006年)の松本明子だ。

 短い出演でも今作の山田真歩は印象的。とても良かった。次回は大政所(高畑淳子)が登場、全部持って行きそうだ。

 秀吉一家は皆天パ。それはママがそうだからなんだね~と分かるビジュアルを予告で見たが、面白さばかりじゃなく、ちゃんと母娘の心細さ、哀れさも表現してほしいところ。そうじゃないと、高畑淳子と山田真歩の無駄遣いになりそう。はてさて。

(敬称略)